残火

残火

思い出の断片はそこら中に

僕には5年間付き合っている彼女がいた。
話は数時間前。平成最後の夏の出来事だ。

今日は気温は33度、湿度80%のとんでもない日だった。数日前まで残暑を終えると秋が来ると言われていたが、そんな生ぬるいものじゃない。
3日前との気温差は8度。日本の夏が本格的に殺しにかかっていた。
「今日、楽しみだね」
いつもの笑顔で彼女が言った。ふわふわした優しい子だ。第一印象は静かな子というイメージだが、彼女が眼鏡を外して髪を下ろしてメイクをしたら、モデルや女優さんと肩を並べる女性になる。メイクがすごいとかではない。元がいいんだ。普段は変装しているだけ。
「あぁ。楽しみだ。早く行こう!」
髪をセットしながら僕は言った。

家を出ると想像以上の暑さで、一気に体が汗ばんだ。
「暑いね…」
彼女は頷きながら「すごく」と顔を歪めて言った。

今日は久しぶりに2人揃って休みで、あらかじめ計画しておいたデートプランで映画やディナーを楽しみ予定だ。
中古で買った車に乗り込み、10時半に家を出た。

「最近どう?」
彼女が問いかける。エアコンの効いた車内だったが、どこか暑そうな顔をしていた。
「最近か……。うーん……そうだな。特には何も」
真剣に考えてみたが、真剣に何も思いつかなった。仕事も日常も特に変わりはない。僕は君といれればそれでいいんだ。そう思ったが、言わなかった。
「そっか」
彼女は素っ気なく言った。
「まいかは?」
「んー……」
彼女も顎に手をやって考え始めた。僕も運転しながら答えが出るのを待った。
「考えてみたけど、私もかな」
そう言って彼女は窓の外を見た。
「まいかもないか」
「うん」
そう言って2人で笑った。

小さい会話を続けていると、お昼過ぎに映画館についた。
駐車場について車から降りたとき、中と外の気温差にめまいがしたが何とか持ちこたえ、心配してまいかを見ると、ちょうど同じような格好をしていて、2人で笑った。
そのまま逃げるように店内に入り、中に入ってた個人経営のハンバーガーショップで昼食をすませて映画館に入った。

映画館の中は独特の匂いがする。ある人は下ろしたての車と言ったり、男性がつける整髪剤の匂いと言ったり、誰かの部屋の匂いだと言ったり。
僕は車の匂いに近いと言い、彼女は近くのゲームセンターの匂いだ言った。

今日見た映画はニュースで話題になっている恋愛映画だ。内容は彼女を殺されてしまった彼氏が時を超えて犯人を見つけるものというもので、前半から中盤にかけての伏線が素晴らしく、どう推理しても、最後の1ピースが終盤まで分からないようにちょっとした細工がしてあった。

「悲しい話だったね」
エンドロールが終わり、みんなが館内から出て行く中飲みかけのコーラを飲みながらまいかが言った。
「そうだな。幸せな2人を見るたびに悲しくなった」
「そこじゃなくて」
カップ置いてまいかは続ける。
「時間を遡るうちに、主人公は犯人を追うことに固執しすぎて、彼女を見失ってた」
「確かに…」
「問題だと思ったのは中盤で、彼女が殺されないと犯人が捕まえられないと分かってから、3度目のループで彼女を見殺しにした。あれはないなって思ったかな」
「あの場面から空気感も変わったもんね。原作とは全然違う終わり方だったらしいよ」
「そうなんだ。原作もいつか読んでみたいね」
「買ってく?」
「ううん、今度でいい」
「そっか。じゃあ、行こう」
およそ8割の人が館内から出たころ、僕たちも館内から出た。

5時に映画館を出て、1時間ほどドライブをした。
4月には県外で花見をして、5月には温泉旅行に行って、6月はお寺に行って、7月は海行って、8月には浴衣と甚兵衛で花火を見に行った。そんな思い出話をしていた。

次の目的地に着いたのは7時前。思い出の遊園地だった。
「うわー…懐かしい」
まいかは呟くように言った。
「5年ぶりだ」
僕も呟くように言った。

ここは僕とまいかが5年前に初デートで来た場所だ。観覧車、ジェットコースター、お化け屋敷、ゴーカート。5年という歳月の中で、色が変わって、乗り物も若干変わっていた。一部封鎖されてしまった区域や、新しく始まったアトラクションもあった。
それからあの頃の記憶を辿りながらアトラクションを楽しみ、チュロスを食べて、コーヒーを飲んだ。

「じゃあ、あれ乗ろっか」
そう言ったと同時に、まいかが「えー」と言った。そう言いながらも、乗らないといけないことぐらいは分かっていた。

「2人ね。あんまり中で暴れないように。この時間はライトアップの関係で、回転速度が遅くなってるから、3分ぐらいは回ってるよ。じゃ、ごゆっくり」
案内のおじさんはそう言って僕らを観覧車に乗せてくれた。

「夜だから、下を見たって綺麗なだけだって。月が出てない今日を選んだのはそのためだったんだ」
僕がそう言うと、疑いながらも外を覗いたまいかは「うわー……」と声をもらした。
「綺麗」
ただ一言そう言って、夜景を眺めていた。ちょうど日が沈みきって、もうじき完全な夜が来る。そんな時間だった。
「覚えてる?5年前もここでこうして夜景を見ながら話をして……」

僕たちは付き合ったんだ。

うん、覚えてるよ。もちろん。忘れるわけがないよ。
こうして何度だって蘇る。ここに来るたびに。きっと。

またいつか、ここに来よう。2人で。

……うん。きっと。

観覧車を後にした僕たちは、すっかり夜になった遊園地を練り歩いた。何の目的もなく、ただ、落とした何かを探すかのようにゆっくりと。

「ねぇ」
最初に静寂を破ったのはまいかだった。
「話があるの」
「なに?」
いつもとは少し雰囲気が違ったが、僕は普段の調子で聞いた。

「……私たち、別れましょう」

最初は理解ができなかった。彼女の口から発せられたのか、遊園地の古いスピーカーから偶然発せられたのか。その声はどこか遠くの方で聞こえた気もするし、1番近くで聞こえた気もした。

「…冗談だろ?」
僕も一応、言葉を返した。スピーカー、あるいはまいかに向けて。
「ううん。今日でどうするか決めようと思ったんだ」
立ち止まってまいかは言った。
「何でそんな突然……」
動揺を隠せない俺にまいかは言う。
「私ね、貴方から色んなことを教えてもらったの」
街灯が照らすベンチに腰掛けて続ける。
「最初の頃の私を覚えてる?」

何を言ったらいいのか分からず、答えられなかった。

「私は内気で、友達も少ないし、趣味もないし、ただ生きているだけの人だった。もちろん恋なんかしたことないし、するつもりもなかったし、永遠に1人何だろうなってずっと思ってた。でも、貴方が声をかけてくれて、連絡先を交換して、ゆっくりゆっくり貴方を知っていくうちに、私は貴方のことを好きになってしまったんだと気付いた」

「だけど、気持ちを私から伝えることはできない。人生初の恋が24だったから、告白ってどうやったらいいかわからない。そんなことを考え始めて2ヶ月後。貴方から私に告白してくれた。その時のこと、今でも忘れてないよ。あの時私、すごい幸せだって思ったんだ」

「それから交際を始めて、同じ時間を過ごす中で、好きな気持ち以外に、もう一つの感情を抱いていることがわかったの。最初はそれが何なのか分からなくて、ずっと心のどこかで感じてばかりだったけど、3年経った今、はっきり分かったの」

それはね、貴方への罪悪感。

間をおいて、ゆっくりと放たれた言葉だった。
何も言えない僕を見ながら、まいかは続ける。

「貴方は何をするにしても、必ず私を優先してくれる。どんな時でも優しい。気を使ってくれてる。私が不自由したことは一度もない。必ず料理も手伝ってくれる。部屋の掃除もしてくれる。良いとこを挙げればきりがないし、悪いとこを挙げるには、長い時間考えなければいけない。それほど私の事を愛してくれている。分かってる。けど、私は貴方にそこまでの愛を返せてない」
「……そんな事ないよ。いつもそばにいてくれるし、好きだと言ってくれる」
「それは貴方も同じでしょ?」
何かを言い返そうとしたが、何も言い返せなかった。
その姿をみて、微笑みながらまいかは立ち上がった。
「勘違いして欲しくないのは、貴方を嫌いになったから、別れるんじゃなくて、自分が嫌になったから別れるの。わがままだよ。私の」
そう言いながら僕の前に立ち「ごめんね」と悲しそうな目で言った。
「……本当に終わりなのか?」
そんな言葉しか出てこなかった。
「うん。本当に終わり」
彼女の目に偽りはない。何かを決めた真剣な目だった。

それから先の記憶はあまりない。
気が付けば、1人で車の運転をしていた。
隣に彼女の姿はない。

来た時は下道だったが、帰りはなぜかバイパスで帰っていた。
『現在は9時28分!35分から次のコーナーにいこうかなと…』
いつのまにか流れていたラジオで現在時刻を知った。

帰りは何を考えていたんだろう。特に何も考えてなかった気もするし、彼女との日々を思い出していたかもしれない。
ぼんやりと運転をしていると、窓の外で破裂音がなっているのが分かった。特に興味もないまま横を見ると、花火が上がっていた。かなりでかい花火で、しかもかなり近くで上がっていた。3Dの映画を見ている気分だった。
近くでお祭りをやっていることも、今日お祭りがあることも知らなかった。不意の花火は、1ヶ月前の花火を思い出させた。
一緒に見た花火。まいかの浴衣姿。祭りの雰囲気。空気感。それら全てが繋がった瞬間、僕は衝撃と轟音にのまれ、真っ白な世界に投げ出された。

「大丈夫ですか!?声が聞こえます!?」
男性の声で目を覚ました。うまく聞こえなかったが、そんな事を言っているように聞こえた。目を開けて見たが、前も見えない。真っ暗なままだ。手にも足にも力は入らない。全身が心臓になったように脈を強く感じる。そしてほんのり血なまぐさい。
状況から察するに、事故にあったようだ。体が全く動かせず、前も見えないことから、取り返しのつかない事になっていそうだ。
だけど幸いな事に、痛みもないし、温度も感じない。それとなく心地もいい。

そんな中、どこか遠くで花火の音だけが鮮明に聞こえた。
僕には5年間付き合っている彼女がいた。
その幸せだった日々を祝福するかのような花火の音が、止むことはなかった。

残火

残火

「綺麗だ…」

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-09-05

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