山の魔物
僕は遠い昔、子どもの頃まで、人里離れた閑散とした山奥に家族と、毎日自分たちの、その日の生活を自分たちだけで賄うため、自給自足の生活をしていた。そのころ、自分は子どもは皆そうして暮すものだとおもっていたし、そう聞かれていたし、今でも親に何の恨みもないし、今は都会で安定したくらしをしているので、感謝しかしていない。
父の事はキャップと呼べといわれていた、大学まで出ていた父だったが、都会での生活につかれ、あるころからかある程度のたくわえをもって山籠もりのような生活をはじめた。僕が生まれて、物心ついたころに見た父はもうすでに白いひげをたくわえた、仙人のような格好をしていた。その格好からみてわかるようにすでに60を超えていて、孫もいるような年齢だった。自分には一人兄がいたが、すでに成人した兄は立派に都会で働いて生活していた。だから僕も徐々に兄のような生き方にかわっていくのだろうと漠然と考えていたし、兄も、父も賛成していたようだった。
しかし父にも頑固なところがあり、初めからもの静かな所があったが、子どもの頃、10歳やそこらまでは子供として山で自由に生活させ、勉強は勉強で自分たちで教えるべきで、それよりも、自分たちが今、子どもの、子供時代に何を伝えるべきか、そんなようなことを漠然と延々と考えているような人だった。布切れ一枚着てそんな事ばかり考えているから余程の狂人である。
そんな山での生活は、ヤギやニワトリなど、家畜を育てるのも、電気を起こすのにも工夫が必要で、今考えるとひどく無駄が多く、何を学んだかということはさだかではないが、それでも漠然と、社会の事や世界のこと、物と物とのつながりはその子供の時代の方がよく考えていた。だが今でも自分の心にくすぶり、ときめきを与えてくれている記憶は父の望んだそういう事ではなく、理屈では証明できない不思議な出来事の数だった、あるいはそれは、僕が都会の生活になれ、他の人間と変り映えのない自由を謳歌するようになったからかもしれないが、ただ、今も不思議な話は、自分をあの頃の心に回帰させ、精神的に穏やかな気持ちになれる。例えばこういうお話だ。
いつも頑固で口数少ない父だったが、その代わりにしゃべり、彼の意向を聞かせてくれたのが母だった。母はそんな暮らしをしているのに常識人で、近くの村にも親しくなった人が何人もいた。母は元々ファッション関係の仕事をしていたらしく、常におしゃれな服装をしていた、たとえ貧相に見える布切れでも母の手にかかれば少し味があるように見える、それはそれで不思議な世界だったのだが、子どもの不思議に思うような世界は、夕焼けの後に現れる。今思えば、外観はほとんどログハウスのような見た目で、大嵐にも耐えうる強度をもったあの家は、それはそれで不思議なものだった。
そのころ僕は、ヤマビコを朝夕確認するのが日課だった、それは子どもの頃僕がつくった僕用の占いなのだが、朝と夕方必ず家の前の切り立った崖の前からヤマビコをやって、ヤマビコの返答がうまくかえってきたとき、山の精霊が返事をしたのだと考え僕らの事を見守ってくれていると考えたし、悪いと、何か不吉な予兆で山の精が僕らに何かを伝えたい証拠なのだと思う事にしていた。特に夫婦喧嘩などがあったときには、僕はおそるおそる、いつもよりおびえた声でヤマビコをためすのだが、それが子どもの頃、一番恐ろしい瞬間だったと思う。たったの一度も、そういう日に返事がうまく帰ってこなかったことはないが。喧嘩がすごいと、子どもまで色々心配をするものだ。
ある日そんな夕方のヤマビコがあまりに怖くて、長い時間かけて山の頂上にまで出かけたころだった、やっとの思いで頂上にてヤマビコをおえたころには、夕日はほとんどしずんでいて、ほとんど夜になりかけて、見慣れた山道さえ、どこか異国の、知らない山の山中にみえた。僕はひとりでぽつぽつと家への道急いだのだったが、やはり心細くて、ヤマビコによびかけながら、というより怖いのを隠すように、母や父に自分の居場所を知らせるようにのっそりのっそり進んだのだった。
(ヤマビコサァァン)
かすれ声で、ほとんど暮れて明かりもみえない山の中を、夜目だけをたよりに、家の明かりをさがす。道はわかっていたし、必ずたどりつくと信じていたが、涙がながれてくるのはとめられなかった。
(ぼくかい?きみは、だれだい?ぼくかい?)
(えっ?)
僕に似たような声がして、後ろを振り返る、そこにはとても普通の人間とはいえないような大きさの、常人の二倍、ひょっとすると三倍も体格のある人が立っていた。なんどもめをこすりこすり、考えた、見つめなおした、しかしだめだった。
だめというのは、どう考えても目の前にいるのは、人間とは思えなかった、くまともちがう、人間の姿をしているし、見た目は少しふとった人間でしかない、ただ遠近法で考えてもあきらかにおかしい、そのころには3D映画だなんてものもなかったし、しかしそれは《影》だった。まごうことなき《影》で、ただそれでしかなかった。
(僕はね、隣山の商人なんだ、君の事、君の家族の事は隣山でも、隣村でもうわさになっているよ、信仰心をもった人々だって)
影は続ける。
(だからね、ほら、これをあげよう、これは売り物ではなく、拾いものなんだ)
見るとそれは古びて、さびたり禿げたりした箇所のある、懐中電灯らしかった。僕はそれをつきに照らして、しばらくみとれていたようだった、するとふとしたに目をもどすと、影はいなくなっていた。僕は聞こえてるか聞こえていないかもわからずに。
(ありがとう)
とだけ告げて、家路をいそいだ、それもそうなのだ、夜目だけではなく月の光を反射する天然のライトだ、それがいま、たったいま丁度手に入った。勇気がわいてきて、急いで家にかえったのだった。変えると丁度父と母が警察に連絡をする少し手前だった。母は自分にだきつき、父は説明をもとめた、その最中で、僕は叱られることが苦手で苦し紛れにあの話をまぜた、すると父はとびあがって驚いて、僕の頭をなで、もう寝なさいといった。
翌日の母の言葉でこの話は終わりになる、あとは僕や、この話を聞いた方のご想像に任せることにしよう。母は板敷きのカラフルな家具や壁を母の工夫でカーテン類をつけおしゃれにした居間に、料理を運んでいる最中だった、キッチンにたちキャベツを刻みながら僕に挨拶をつげると開口一番こういった。
「あんたすごいね、あれ、昔お父さんがなくした大事な懐中時計なんだってよ」
山の魔物