茗荷の舌 第15話ー葛

茗荷の舌 第15話ー葛

子狸の摩訶不思議なお話。PDF縦書きでお読みください。

第15章 葛

 そろそろお昼にしよう思っていると、玄関先に車が止まった。
 「たぬ配便です」と声がした。
 宅急便のようだ。認を持って出ると、若いお兄さんが荷物を渡してくれた。
 門の前の配送車を見ると狸の絵が描いてある。
 黒猫じゃないんだ。
 お兄さんは狸のバッチをつけた帽子をとって「ありがとうございました」と挨拶をした。僕がそれに見とれていたので、お兄さんは、「信楽運輸です」と説明をして、また「ありがとうございました」と言うと、車に乗り込んだ。
 「狸便もあるんだ」
 荷物を見ると円美ちゃんからだ。
 大間のマグロの佃煮だ。入っていた手紙にお茶漬けにとってもいいと書いてある。円美ちゃんは大間に行ったらしい。大間は津軽海峡に面した本州西北端の町である。一本つりのマグロは上等で有名である。大間に行くには時間がかかる。大湊線の大湊からバスで一時間半と大変遠い。しかもバスの本数はほんの少しだ。しかし、円美ちゃんはフィガロで行ったのだろう、あの勢いで運転すればあっという間に着くだろう。
 お茶漬けの用意をして、大間のマグロの佃煮で食べた。これはとてもおいしい。
 手紙の続きを読むと、ジンベイザメを見に行きたいと書いてあった。ジンベイザメは沖縄と大阪の水族館にいる。大間からそちらに回るのだろうか。と、さらに手紙の続きには、恐山に行って、それから、東京に来るということだ。
 高幡不動尊の八十八地蔵を回りたいと書いてある。高幡不動尊のある高幡山には四国の八十八巡りを再現した八十八地蔵がある。明後日の土曜日に来るようだ。でもそれだったら佃煮をわざわざ送ることもないのに。と思ったら、最後に、早く食べて欲しかったので送ったとあった。ありがたいことだ。
 お茶漬けを食べて、うっつらうっつらしていると、高尾山にいる彫刻家、悼心贈が家にやってきた。あまり出歩かない男なのに珍しい。
 「こんなものができちまった」彼は自分で作った大きな作品を布に包んで持ってきていた。いつも小さいものしか作らない彼としては珍しい。
 「わざわざ持ってきたのかい」
 「頼みたいことがある。お願いがあるのに来てもらうのもわるいし」と言う。これも珍しい、いつもは呼びつけられることのほうが多い。ずいぶん殊勝なことを言うようになったものだ。
 心贈の彫るものは目的のものとはだいぶ違った形になり、それが大うけしてきたのである。根っからの天才である。それなのに、心から贈るなどときざな名前をつけたものだ。
 彼は持ってきたものを布から出した。
 「鯰を彫ったらこれになった」
 一メートルもあろうかと思われる魚の彫刻だ。作務衣を着た魚だ。作務衣は濃い草色に着色してあった。着色をするのも彼としては珍しい。
 「多摩子さんに草木染をおそわったんだ。羊歯で色付けさ」
 ジンベイザメに似ている。ゆったりとしていて、見るヒトは気持ちがやすらぐ。
 「名前をつけてくれないか」
 彼は僕に頼んだ。時々そのようなことを彼から頼まれる。
 「甚平じゃなくて作務衣だな、サムイザメはどうだ」
 画廊をやっている金鱗子さんが気にいって画廊のディスプレーに置いてくれたところ、注文が舞い込んだのだそうだ。それで、名前をつけて欲しいといってきたのだそうだ。
 「サムイザメだとなんだかムサイ感じにならないだろうか」
 と彼は心配した。
 本当はムサイザメだと言いたいのだが、こういうのも好きな人がいるのだろう。
 「鯰ザメにするかい」
 と言ってみた。彼が最初に彫った鷲はミミズクになり、わしミミズクと納得していたことを知っている。
 「鮫じゃない、もっとしゃれたのがいい」贅沢を言っている。
 温泉でゆったり泳がしたらいいんじゃないか、温泉なら湯布院である。
 「ユフインというのはどうだい。これと一緒に湯に入るとゆったりする」
 彼はうんと頷いた。
 こうして、ユフインは生まれた。
 「八つも注文がきているんだ」
 もの好きもいるものだ。
 夕ご飯にもう一度大間のマグロの佃煮で茶漬けを作って、彼と一緒に食べた。
 「この茶漬けはうまいね」
 心贈は二杯目を食べ始めた。
 「今作っているのはユフインだけかい」
 「いいや、この間、犬を頼まれたのだが、狸になった、それは信楽のほうから注文が来た、できたらいくらでも送ってくれと言われている」
 「そりゃあ、いいね」
 「でも忙しくて、今日もユフインを二つと、狸を三匹作らなければならないんだ」
 「それじゃ、ここに来なくても、電話ですんだじゃないか」
 「いや、息抜きさ、ありがたいことだよ、そうだ、ユフインと名前をつけてもらった記念にこれはおいていこう、あーおいしかった、さー帰ろう」
 「でも、あと二つ作らなければいけないのに、いつか余裕ができたときでいいよ」
 といった具合でずいぶん遠慮したのだが、悼心贈はジンベイザメもどきのユフインを玄関に立てかけて帰って行った。
 
 土曜日の夕方、西日が当たり始めた頃、円美ちゃんの赤いフィガロが玄関前に止まった。玄関の戸が開くと、
 「こんちわあ」
 と明るい円美ちゃんの声が聞こえた。続けて、また、若い女の人の声で「こんにちわ」と声が聞こえた。誰だろう。
 「いらっしゃい」
 玄関に行くと、赤いスカートと白いブラウスの円美ちゃんの後ろに、やっぱり赤いスカートと白いブラウスの若い女性が立っていた。
 円美ちゃんがその女性を前に押し出した。
 女性と目があった。にこにこしている。
 そんなはずはないが、九茶路子さんか。いや、九茶路子さんの姪御さんだろうか。良く似ている。
 その女性が、携帯電話をとりだすと、電話をかけた。そうしたら、うちの電話が茶りん茶りんと鳴った。
 九茶路子さんだ。
 僕がよほどびっくりした顔をしていたのだろう。
「そうよお」とその女性は、さっさと靴を脱いで上がってきた。
「若くなったでしょう」九茶路子さんはニコニコしている。
 円美ちゃんが玄関にあるユフインに気がついた。
 「あーら、ジンベイザメに似ているわねえ。これきっと、悼さんのこしらえたのではなあい」
 「そうだけど、よくわかったね。ジンベイザメではなくてユフインというんだ」。
 円美ちゃんは、へえといってそれ以上言わなかった。円美ちゃんは悼心贈に会ったことがあっただろうか。
 二人は居間に入ってきて自分で座布団を出すと、ちゃぶ台の周りに座った。
 「そういえば円美ちゃん、大間の佃煮ありがとう。とてもおいしいね」
 「よかった」
 円美ちゃんは、これもおみやげと水筒をバッグから取り出した。
 「恐山の湧き水よ」
 若くなった九茶路子さんが言った。
 九茶路子さんの年齢は知らなかったけれど、こんなに若いはずはない。
 僕がきょとんとして何もいわないので、九茶路子さんは「ふふふ、円美ちゃんが教えてくれたの」と言った。
 それでも何を言っているのか分からない。何を教えてくれたのだろう。
 「恐山の湧き水で葛湯を作って飲むと若くなるの、でも一週間効いているだけ、恐山に生えている葛じゃないとだめなんですって、恐山のみやげに葛湯があるのよ」
 九茶路子さんは顔を手でこすると「つるつるよ」とまたニコニコした。
 「円美ちゃんが湧き水の場所を知っていてね、宿の叔母さんが恐山の葛から作ったくず粉を持っていたので、その水をつかって葛湯をつくってもらったの。ちょっと若くなったでしょう」
 ちょっとどころじゃない。自分とは親子ほどにはなれて見えていたのに、円美ちゃんと同じ位の年に見える。
 「でも、一週間よ」
 「円美ちゃんは飲まなかったの」
 そう聞いてみた。
 「ええ、私が飲んだら赤ちゃんになっちゃう」
 確かにそうかもしれない。
 「その水を使ってお茶漬けを作りましょう、からだにいいのよ」
 ということで、その水を使って、九茶路子さんの持ってきた苔茶でお茶をいれ、友達が送ってくれた葛の葉の古漬けをご飯にのせお茶漬けを作った。
 「おいしーわー」円美ちゃんが大きな声を上げた。円美ちゃんは正直だ。本当に美味しいと大きな声を上げてしまう。
 「これ、最高ね」若くなった九茶路子さんの声もいつもより高く、華やいでいる。
 そんな声を聞いて、美味しいお茶漬けを食べていると、なんとなく元気になってきた。
 「明日、高幡不動につれてって」九茶路子さんが言った。「円美ちゃんが八十八地蔵を回りたいんだって」
 「もちろん、行きましょう」僕は頷いて、「また、結界を作るのかな」と円美ちゃんに聞いてみた。
 「うーん、やってみようかな、うまくいかないかもしれないけど」
 「結界ってなあに」九茶路子さんはまだ見ていない。
 「結界はちょっとその場の空気をずらすのよ、するとその場が違う世界になるの」
 円美ちゃんは何事も無いように返事をくれたのだが、我々には分からない。
 「空気がずれると、そこを通って違う世界に住んでいる人たちがきてくれるのよ」
 「どんな世界なの」九茶路子さんが興味しんしんに聞いた。
 「ゆったりとした、へんちくりんな、摩訶不思議の世界」
 「へーえ、円美ちゃんそんな人たちと知り合いなんだ」
 九茶路子さんが尊敬の眼で円美ちゃんを見た。
 「でもどうやって、空気をずらすのかな」
 僕が円美ちゃんに聞くと、円美ちゃんは目をくりくりさせて、
 「まだわたし訓練生なの、もっと勉強しないと説明できないわあ」と両手を挙げた。何か光の珠が空に浮かんで消えていった。
 眠くなってきた。明日は高幡不動だ。

 日曜日の朝は良く晴れた。
 円美ちゃんのフィガロは使わずに高幡不動駅までミニバスで行くことにした。丘の上の団地の間を通って行く小さなバスである。かわいくていいわねえ、と二人は十分ほどのバスの旅を楽しんだ。丘に建つ家々の間を縫うようにしてバスは上り下りを繰り返し、やがて北野街道に出て、高幡不動駅に着いた。 
 高幡不動尊は京王線高幡不動駅から歩いて二分ほどのところにある。駅の商店街入り口から不動尊の門が見える。その商店街には、ジェラード屋、ラーメン屋、そば屋、甘栗屋、饅頭屋、そして、土方歳三の店などがある。日野市は土方歳三が生れたところだそうだ。
 高幡不動尊は丘と言っていいほど低い高幡山のふもとにある古い由緒ある寺である。比較的新しく建てられた五重塔が良く目立つ。
 今日は第三日曜日なのでござれ市がおこなわれているはずだ。全国から集まった古物屋さんが時代物のこまごましたものや、陶器、家具などを持ち込んで店を広げている。古着に群れているのは外人さんだ。本絹の着物が安く手に入るから人気がある。僕もたまに来て見て歩く。売っている人たちが面白い。なんとなく異星人のようだ。やはり、今日も境内はござれ市でにぎわっていた。
 円美ちゃんは人ごみの中をさっさと歩いていく。
 五重塔の裏手にいくと、「あった」と目を丸くした。八十八のお地蔵さんの八十八番目のものである。なぜここを知っているのだろう。
 円美ちゃんは手を合わせると八十八番目のお地蔵さんに向かってむにゃむにゃ言っている。むにゃむにゃ言い終わると、大きな目をくるりと回して、脇の道から山の上に登り始めた。ちょっといくと、八十七番目のお地蔵さんがある。
 円美ちゃんはまた手を合わせさらに進んだ。どうも反対回りをしようとしている。本場、四国の八十八箇所は逆周りを生き返らせたい人の年の数だけおこなうとそれがかなうという説もある。ある作家が勝手に作ったことかもしれないが、あってほしいとも思う。
 高幡山を散策すると植物に名前のラベルが目に付く。丁寧に草木に名前の札が立てられ、植物の勉強にもなる。いろいろな草が植えられているが、特に、紫陽花は有名で、六月ごろには幾種類もの見事な紫陽花の花を見ることができる。そのころはカメラを手にしたたくさんの人たちの歩く姿がある。
 お地蔵さんに出会うたびに、円美ちゃんはむにょむにょと手を合わせる。八十、七十九、と回っていくと、桜の木の植わっている広場に出た。広場の周りの道にお地蔵さんがいくつかある。そこを通り、丘に登っていくとわずかに住宅街が見下ろせる場所に行き着いた。
 九茶路子さんは草臥れたようだ。丸木の椅子に腰掛けた。
 「ここでまってて、駆け足で回って、またここにくるから」
 円美ちゃんはそう言い残すと、早足で四十九番のお地蔵さんのほうに行ってしまった。
 九茶路子さんにどうして一緒に来たのか聞いてみた。
 「円美ちゃんが恐山のことを良く知っていて、そこの水を飲むと若返るというのよ、まだだれも、それでお茶をたてたことがないって言うものだから、行きたくなるじゃない」と若くなったつやつやした顔にえくぼを寄せた。なかなかかわいい。
 九茶路子さんは、恐山にいったら、早速その水でお茶をたててみたのだそうだ。そうしたら、お茶にならず九茶路子さんの抹茶茶碗の底にお茶の木が芽吹いたのだそうだ。さすが恐山だ。
 大間では、捕り立てのマグロに恐山の水で作った熱いお茶をかけてマグロ茶漬けを楽しんだのだそうである。うらやましい限りである。
 そうこうするうちに、円美ちゃんが戻ってきた。
 白い顔がピンク色になっている。走ってきたようだ。桃みたいだ。
 円美ちゃんは空にむかって手を上げ、むにゃむにゃ言った。結界を作っているのだ。
 と、真っ青な空が、ふーっと暗くなり、五重塔の上に、大きなものが現れ、ゆらゆら動めいている。
 ジンベイザメだ。ジンベイザメはゆうに二十メートルにもなる大きな鮫だ。空をゆったりと泳ぐ様はみごとだ。五重塔のもこしの上に顎を擦りつけたりしている。猫みたいだ。とたんに桃の匂いが漂った。
 ジンベイザメがこっちを見た。あの少し切れ長の浮世絵の女性のような目をして、こっちを見た。
 円美ちゃんがジンベイザメに「会いたかったのよ」と言った。
 円美ちゃんが手紙に書いてきたのは沖縄と大阪の水族館にいるジンベイザメではなかったのだ。高幡不動のジンベイザメだったのだ。でも僕にそれが分かるはずはない。
 ジンベイザメが円美ちゃんの上空に浮かんで、ゆったりと輪を描いた。円美ちゃんが手を振った。ジンベイザメはゆるゆると降りてきた。木々が、ぐにゃりとおじぎをするように土にひれ伏した。ジンベイザメは、円美ちゃんの真上に来ると大きな口を開けて、円美ちゃんを飲み込んだ。
 どうしよう、九茶路子さんを見た。ニコニコ笑っている。ジンベイザメはちょっと空に浮かぶと一度旋回して九茶路子さんの上に降りてきた。今度は九茶路子さんを飲み込んだ。僕はジンベイザメのお腹にくっついているコバンザメの尾っぽをつかんだ。そのとたん、ジンベイザメはゆるり、ゆるりと雲の上にのぼっていった。お辞儀をしていた木々がしゃきっと元に戻った。僕はコバンザメの尾っぽにつかまったまま雲の中に入っていった。
 ジンベイザメの鰓の中から白い腕が出て僕をつかんだ。僕は円美ちゃんの腕でジンベイザメの鰓から体の中に引き込まれた。
 ジンベイザメの鰓の中の白いひだの上に腰掛けた円美ちゃんと九茶路子さんが微笑んでいた。
 「これから、お空の散歩をたのんだの、前のほうに行きましょう」
 円美ちゃんはそう言うと、ジンベイザメのからだの中を歩き始めた。
 九茶路子さんと一緒についていくと、明るいところに出た。
 これは脳の中の一日のリズムを作るところなの。光の情報が入るのですって、いうなれば窓ね。
 ミクロの決死圏のようだ。人が小さくなってからだの中に入り、病巣を切り取るという大昔の映画だ。人が小さくなることはできるわけがないが、今では血管の中に小型カメラを入れて、撮影もできるような技術が当たり前のように発達してきた。昔の多くのSFが本当になっている現代である。だけど、透明人間は作れないだろう。
 円美ちゃんと九茶路子さんが窓から下界を見ている。高幡不動の全景どころか、京王線を中心として日野市のすべてが見渡せた。どうもジンベイザメの視神経につながっている神経細胞の集まりをのぞいているらしい。いうなれば、光ファイバーの末端をのぞいているのだ。
 「きれいね」
 ジンベイザメはゆっくりと日野市の上空をまわって行く。
 東京のはずれの墨田までくると完成して間もないスカイツリーの一番上に擦りついた。また、桃の匂いがした。六三四メーターで世界一だ。ジンベイザメはゆっくりと回旋して東京タワーの上に来た。これだって、作られた一九五八年には世界一で三三二メートルもある。
 ジンベイザメが東京タワーの天頂にこすりつくと、桃の匂いが黄桃の匂いになった。黄桃の匂いが広がると空一面に海の水が流れ込んできた。地球の大気圏が水によって囲まれた。見渡す限り海の中で、クラゲもふらふら、マンボウもふらふらしている。たくさんのジンベイザメが寄ってきた。円美ちゃんが嬉しそうに言った。
 「海の結界がうまくいったの、嬉しいわ」
 ジンベイザメがぶるっと身震いをした。そのとたん、僕たちはいきなり大気圏の海の中に投げ出された。
 海の底に東京タワーとスカイツリーが見える。
 海の中を円美ちゃんと九茶路子さんはミジンコのように手をふらふらさせてふわふわと浮いている。僕もそういう状態なのだろう。
 一匹のジンベイザメが寄ってきて、僕の目の前に目をもってきた。国会議事堂がすぽりと入りそうな口をあけて笑っていた。
 僕も笑い返した。
 ジンベイザメが手鰭を上に挙げた。
 僕も手を上に挙げたら体が下に沈み始めた。円美ちゃんも九茶路子さんも万歳をしている。
 ゆっくりと海の底の地上に降りたった。銀座だった。ジンベイザメたちも降りて来て、晴海通りを連なって行進を始めた。数十匹のジンベイザメが銀ブラだ。
 雄大な眺めだ。
 円美ちゃんは大喜びだ。九茶路子さんも嬉しそうだ。
 「銀座を水族館にしたかったの」
 円美ちゃんが言った。
 「この結界は、会いたいものに会えるのよ」
 ジンベイザメたちはゆるりと、銀座を行進し、勝鬨橋にきた。
 勝鬨橋は一九四〇年に日本の純粋な技術で七年かけて完成した跳ね橋である。ゆるりゆるりと銀座の晴海通りを連なってやってきたジンベイザメたちは勝鬨橋のかかる隅田川に入って行った。隅田川を下って海に帰るのだろう。
 最後のジンベイザメが笑って大きな口を開けた。
 円美ちゃんと、九茶路子さんが口の中に入った。僕も入った。
 ジンベイザメはぐうーんと海の上に上っていくと海がなくなり空になり、高幡不動尊に来た。
 ジンベイザメはふわりふわりと地上に降り、僕たちを高幡山の上におろした。
 円美ちゃんは、「ありがとう」と言った。
 ジンベイザメがまたアーンと口を開けた。
 円美ちゃんは水筒にはいっていた恐山の水をジンベイザメの口にいれた。
 ジンベイザメは目を細めると、からだをひねらし空中に浮かんで、五重塔のもこしにもう一度擦りつくと桃の匂いを撒き散らした。
 円美ちゃんが言うには、ジンベイザメは不老不死になったのだそうだ。
 「帰ろう」
 円美ちゃんが言った。
 高幡不動尊から、南平の家まで歩いて帰った。三十分かかった。
 玄関に入ると心贈がつくったユフインが玄関の中で浮かんでいた。やはりジンベイザメなんじゃなかろうか。
 九茶路子さんはユフインをつかまえると玄関に立てかけた。
 円美ちゃんに聞いてみた。
 八十八箇所を逆回りをしてどうしたの。
 「ふふ、九茶路子先生はもう元に戻らないの。恐山の水の効果が消えないようにしたのよ」
 九茶路子さんは、
 「きゃーーあ」と言って飛び跳ねた。大喜びだ。
 「ありがとう」
 このようにして、九茶路子さんは円美ちゃんの一つ違いのお姉さんになったのだ。
 お昼のお茶漬け用意をした。みんなでちゃぶ台を囲むと電話が鳴った。
 「円美ちゃん出してー」
 多摩子さんだった。
 「円美ちゃん、多摩子さんから電話ですよ」
 円美ちゃんは食べようとしていたお茶漬けの箸を置くと電話にでた。
 多摩子さんの大きな声が電話から洩れてくる。
 「ありがとー、円美ちゃん」
 やけに嬉しそうだ。
 「それじゃ、またそのうちお会いします」
 電話をおいた円美ちゃんがちゃぶ台の前に戻ってきた。
 「多摩子さんどうしたの」九茶路子さんが聞いた。
 円美ちゃんは、
 「多摩子さんにも恐山の水を送ったの、必ず今日飲んでくださいといっておいたの」
 「多摩子さんも若返ってるのね」九茶路子さんは笑顔になった。
 「さっき、八十八地蔵さんを回ったとき、九茶路子先生と一緒に多摩子さんも元に戻らないようにお願いしてあるの」
 「私だけ若くなったら悪いと思ってたのよ、嬉しいわ」
 若くなった九茶路子さんはうれし涙を流している。
 「円美ちゃんはやさしいね」僕も嬉しくて涙が出そうだ。
 多摩子さんも円美ちゃん一つ違いのお姉さんになったのだ。どんなになっているのだろう、早く逢ってみたいものである
 「さーお茶漬けをたべましょう」
 白いご飯に山椒の佃煮をのせて、九茶路子さんのお茶で溶いた熱い葛湯をかけてみた。ちょっと複雑な茶漬けとなった。
 明日は鎌倉の多摩子さんのところに行くことにした。

「茗荷の舌」所収、自費出版33部 2016年 一粒書房

茗荷の舌 第15話ー葛

茗荷の舌 第15話ー葛

恐山の湧水で、葛湯を作って飲むと、若返るそうだ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-31

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