子育て放心
母親は涙を流す、世界の人々へ、ノイローゼ気味になったことがいけなかったか、隣人への配慮を怠ったか、いいや、あの子を産んだことが間違いだったか、生んだ覚えがなければ、育てた事が間違いだったのだ。
「放っておけば自由に育つから、子育てなんてそんなもの、余計なことしなければいいのよ」
或いはまとを得ているかもしれないが、その選択は、期待の対象がすでに恨みを抱えていない事が条件だ。
「わがままは若いうちがいい、泣くだけ泣かせる赤ん坊にしよう」
それもまた人間がいないのなら、そんな放心に他人がとよかくいうまでもなかろう。
「悪さをしたときだけ、何が悪いか諭した方がいい」
良心とは、相手が人間であることが限られる。
母親は涙を流す。すべての母親は、教育の原因と結果をたったの一度で成功しなければいけないのか、子の姿も子の性質も、一人として同じものはいないのに、走馬燈のように流れていくのは、あれていた子供時代の自分の姿。
「ああ、そうか、この子達は人間をうらんだのね」
母親は寺院にいた、母親は父親であった、父親は住職だった、彼は老体にかこつけて、酒をのみ、供養をおこたった。
やがて恨みを募らせた呪術の道具、呪いの人形たちは人間の世界にくりだして、生命や血と肉を食い荒らすことになるだろうが、それはまた別のお話。
子育て放心