真夏は夜に咲く

僕の、最上の、夏。

 僕が真夏と暮らすようになって一年が経つ。名は体を表すと言うけれど、真夏は本当に名前の通り、夏の暑さによく似た少年だった。ちょうど、ひまわりを背景にして立つと似合うような、そんな感じだ。けれど、ひまわり畑に攫われてしまいそうかと言えば、べつにそういうわけでもない。しいていえば真夏は太陽で、太陽に焦がれたひまわりが一斉に真夏の方向を向いて咲き誇っている。
「……まぁ、そういうイメージなんだよ。真夏、わかる?」
 僕が真夏に向かって言うと、真夏はベッドに腰掛けたまま気怠けに「わからない」と答えた。
「わからないし、わかりたくもないし。俺に変な妄想を押し付けようとしてるおまえのことなんか。それに俺はもう少年ってトシじゃねーだろ」
「そうかな」
「そうだろ」
 真夏は十八歳でまだ未成年なのだから、僕にしてみれば真夏は子供で、少年と形容することも全然間違いだとは思わない。だが、本人が嫌がるのなら無理にそう呼ぶのも可哀そうだろうから次からは真夏について語るときは青年だと言うようにしよう。それで文句はないはずだ。
 しかし、年齢がどうであれ真夏が僕の太陽だと言う点については譲れない。
「気持ち悪りぃ」
「いくら気持ち悪がられたって僕は痛くも痒くもないんだよ」
 その言葉だって本当だ。現に今だって嫌悪感を表す「うぇぇ」という漫画みたいなセリフを吐く真夏のことだって僕は少しも嫌だとは思わないし、むしろ可愛いとさえ思っている。
「真夏」
 真夏の髪は今までに一度だって傷んだことがないようなツヤツヤの茶髪で、光に当たるとまるで太陽の熱を含んだみたいにオレンジがかって見える。やっぱり真夏は僕の太陽だ。柔らかな髪を撫でながら僕はこの出会いに日々感謝をせずにはいられない。
「なんだよ……」
「なかなか外に出る機会を与えてあげられなくてごめんね」
「仕方ないだろ、見つかるとマズいんだから。お互いに」
「そうだけど、真夏のことをいつまでもこんな暗い部屋に閉じ込めておいちゃ可哀想というか、なんだか勿体無い気がしてさ」
「本当かよ? 俺はてっきりそういうのがおまえの趣味なのかと思ってたけどな……まぁ、いいさ。閉じ込められて飼い殺しにされんのは慣れてる」
 そう嘯く真夏の瞳には初めて出会った日と変わらない鋭さが見え隠れしている。この一年の間で随分穏やかになったとは思っていたけれど、結局のところ真夏が僕とともに生活をしているのは復讐のためなのだ。
 ベッドに座ったまま、いつの間にか真夏の視線は窓の外に見える塔に向けられている。
「なぁ、瑞希さん」
「何?」
「俺をあの塔のてっぺんまで連れて行ってくれたらそのときは太陽になってやってもいいよ」
 


 僕たちが出会ったのは一年前の暑い夏の日だった。遠くの地面に見つけた逃げ水を追うようにして歩いているうちにどうやら僕は来る道を間違えてしまったらしく、気付いたときには街の中心部の大通に着いていた。
 この街の大通に中心部を丸く取り囲むように電車が走っていて、そのときもちょうど僕の目の前を真っ赤な電車が通過していった。電車と言っても、線路の上を何両も連なって走行するようなものではなくて、いわゆる路面電車という種類の車輌だ。ちなみにこの二つの違いがあまりよく分かっていない僕は普段からこの赤い車輌のことを「路面電車」ではなくて「電車」と呼んでいるのだけれど、鉄道好きの真夏が言うにはこの二つは全然違うものだそうだ。一緒に住み始めてしばらく経ったころにそう言っていた。
 そして、あの日、真っ赤な電車が走り去ったあと、僕の目の前に立っていたのが真夏だった。じっと何かを睨み付けているかのようなあの日の真夏の視線を僕は今も忘れない。あの場には僕と真夏以外の人間はいなかったから最初は僕のことを見ているのだと思った。けれど、いつまで経っても僕たち二人の視線が交錯することはなくて、そのうち僕は自分の背後にそびえ立つ塔の存在と彼の足元にある線路のことを思い出し、ようやく合点がいった。
 真っ赤な電車が走る線路の内側は塔に住む人間の箱庭だ。そして塔の最上階は環状線の内側の様子を観察するための特等席。内側にいる人間が足を踏み入れる機会なんか一生に一度もないような場所だ。
「あぁ」
 そのとき僕の中に生まれたのは、納得のような同情のような気持ち。箱庭で生活している彼への哀れみの感情。
 けれど、真夏は憐憫や排斥などといった感情を自分に向けられることなどとうに慣れていたのだろう。
「ん、誰? まぁいいや。なぁ、あんた独り身? 成人……はしてるよな。どう見ても俺より年上だし」
 こちら側で生きる僕相手にも全く臆することなく話しかけ――
「俺のこと買ってくんない? 手続きだけでいいからさ」
「は?」
 ――強引に、
「今どうしてもそっちでやりたいことがあってさ。面倒見てくれとは言わないし、転出にかかる費用も後で必ず返すから」
 ――そして何の脈絡もなく契約を迫られた。
「あの、どうして僕に……」
 今あったばかりの僕に、と続けようとして、気付く。
 この子にとってはこれが日常なのだ、と。
 頼み事をしているにも関わらず真夏の顔には最初から諦めの色が浮かんでいたし、このときに交わした言葉にしたって真夏にとっては言い慣れたセリフに過ぎなかったのだろう。
「もしかして、きみ、ずっとここで誰かに買ってもらえるよう頼んでるの?」
 内側に住む人間が外に出る方法はただ一つ。外側にいる人間に自分を買ってもらうこと。
 だから、真夏はここでずっと誰かに買ってもらえることを信じて必死に自分を売り込んでいたのだ。しかし、見知らぬ人間を買おうとする者なんて、そう簡単に現れるわけもない。そのうえ、人間一人を買うわけだから、もちろん費用だって馬鹿にならない。
「もし、僕が、その買い物に興味がある……って言ったらどうする?」
 けれど、あいにく僕には人一人を買うだけの金銭的余裕はあったし、何よりも一目見た瞬間から彼のことが気になってしまった、というのがこの契約を決断した一番の要因だ。
「あんた、名前は?」
 ぶっきらぼうに真夏が聞く。まったく、この子には愛想ってものがない。他人に何かを尋ねるとき、……いや、百歩譲って何か頼み事をするときくらい、せめて、もう少し可愛げのある表情を見せていれば、僕に出会うよりも早く、もっとまともな大人に買ってもらえていたかもしれないのに。
「きみは? きみから先に名乗ってほしいな」
 自慢じゃないけど、僕は見た目よりもずっと狡猾で悪い人間だ。
「……最上真夏」
 そしてそれを自覚しているから、少しでも良い人間、良い大人であろうと心がけているし、そう見えるように笑顔を作る。作り笑顔だって悪くないけど、どちらかと言えば本物の笑顔のほうがいい。
「……まなつ、か」
 そして、このときの僕は正真正銘、心から笑っていた。
「僕は真冬だよ、瑞希真冬。正反対のものは惹かれ合うって言うから、夏のきみとは相性がいいかもしれないね」
 真夏と真冬。
 偶然の出会いにしては出来すぎた、そんな運命みたいな名前が嬉しかった。
 僕は線路の向こう側へ一歩踏み出して、それから、
「よろしく」
 と、手を差し出した。そこで真夏は初めて驚いたように目を見開いて僕の顔と足元を交互に見た。どうやら真夏が内側まで引き込んだ人間は僕が最初だったらしい。
「きみ、最初からそういう顔してれば良かったのに」
 出会ったときとは逆に、今度は真夏が塔を背にして立っている。そのときの僕はまだ彼の企みなんて知らなかったけど、笑顔が可愛いこの少年の役にたてるなら契約の一つや二つ、全然構わないとさえ思っていた。
 笑顔は最大の鎧であり、武器だ。
「転出届を出しに行こう。真夏、きみを箱庭の外に逃がしてあげるよ」

真夏は夜に咲く

真夏は夜に咲く

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-28

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