花嫁行列
うつくしいものを尊ぶということ。幼い頃に必死に集めた、硝子の瓶。胸がすう、となるような夜明けの藍。それらを見た時、わたしはわけもなく懐古の念に浸る。柔らかな真白のレースを翻し、真珠色のヴェールを被った姉は、神さまのもとへ嫁ぐことになった。鮮やかな化粧を施した、しめやかな姉の顔は、わたしには一等うつくしいものに思えた。
わたしの村では、いまだに時代錯誤めいた儀式が執り行われていた。何百年かに一度、年頃の娘から神さまの花嫁を選ぶ。そうすればしばらくは凶事もなく、村は安寧の日々が続くらしい。時期が近づけば村の大人達は、夜な夜な顔を付き合わせては花嫁のことを話し合う。恐らくは、何かしらの基準に当てはまったのだろう。終いには、わたしの姉に白羽の矢が立てられた。
「シャーリィ、泣かないで」
「でも、わたし、悲しくて」
「死ぬわけじゃないよ、心配しないで」
姉が神さまの元へ嫁ぐと知らされた日。ちょうど家で刺繍をしていて、蒼白な顔をした父によって告げられたのだ。姉は目をわずかに見開いた後に、困ったように微笑んだだけだった。一方のわたしは、姉の膝でぽろぽろと泣いた。優しい手が、私の亜麻色の髪を梳く。姉も同じ髪の色をしていたが、私のそれとは全く違った。姉の髪は長く、緩やかに波打っていた。比べられるのが嫌で、わたしはいつも髪を短くしていた。
「神さまと結婚しても、いつも通りだよ。何かが変わるわけじゃない」
「それでも、姉さんは」
その先を紡ごうとして、私は目を逸らした。神さまの元へ嫁ぐということ。昔話みたいに、その命を捧げるわけではない。しかし、姉は神さまを夫にするのだ。子も残せず、見えやしない神さまだけを愛して、一生を終える。
「シャーリィ、とうさま。かわいそうなんて思わないで。この村を支えてきた神さまだから、きっと素敵な旦那さまに決まってる」
気丈に振る舞う姉の姿に、わたしも父も、もう何も言えなかった。
その日から、婚礼の式に至るまで。周りのものたちは、私たち家族におめでとう、と祝福の言葉を投げかける。姉は顔に喜びを湛え、その度に謝辞を述べるのだ。幾度となく繰り返されたその光景は、わたしにはみにくいものに思えて仕方がなかった。
「みてみて、花嫁行列!」
「なんてきれいなんだろう、あたしもきてみたいなあ」
色とりどりの花弁が風に舞い、楽師達は祝婚歌を奏でる。凪いだ湖面を映したような青空だった。一様に白い服を着た大人たちを引き連れて、花嫁衣装を纏った姉は丘の上の教会へ向かう。傍らには、新郎がいるべき場所には、誰もいない。胃から苦いものがせり上げて、わたしはその場を立ち去った。とにかく、この馬鹿馬鹿しい祭り事から離れたかった。
村はずれまでくれば、もうあたりに人の気配なんてない。花嫁行列を見に、皆目抜き通りの方まで出かけているのだ。
「神さまがなんだっていうの、姉さんの幸せを奪っておいて」
感情のままに、言葉が溢れた。婚礼の式が終わった後、姉はずっと教会で暮らすことになるだろう。神さまの嫁になったのだ、あまり自由になんてさせてもらえない。ずっと、会えなくなるわけではない。だけれど、姉の幸せはどうなってしまうのだろう。
「ねえ、お嬢さん、どうしたの」
不意に話しかけられて、わたしは大声をあげそうになった。声の方を見れば、フードで顔を覆った男の姿があった。
「旅人の方?」
「そのようなものだよ、お嬢さんはこの村の?」
簡素なローブを着た長身の旅人に、わたしは訝しげな視線を送り、首を縦に振る。村は閉鎖的だから、あまり人が立ち寄ることはない。たまに異国の行商人が訪れては、足早に立ち去って行く。
旅人の男はぐっと伸びをして、恐らくは遠くを見つめたのだろう。彼方に見える丘陵へと顔を向けた。
「今日は祝事があったんだね」
「そう、わたしの姉さんの結婚式」
「けれどもお嬢さん、あんたはあまり嬉しそうではない」
旅人の語り口は、穏やかで優しいものだった。けれども、苛立ちが募るばかりだった。
「姉さんは、神さまと結婚するんだ」
「なるほど」
「みんな、口を揃えておめでとうと言う。でも、これって本当に幸せなことなの? 他の女の子みたいに恋もできないし、何かあれば神さまの妻だからといわれる。ねえ、旅人さま。これって、本当におめでたいこと?」
「あんたはべらべらとお喋り好きみたいだ」
旅人があまりに軽やかな笑い声をあげるので、わたしは急に気恥ずかしくなった。
「よくある話だ、多くのために1人を人柱にするなんて」
「そうかもしれない。けれど、神さまって、本当にいるのかな」
最後の方は、消え入るような声だった。その時、フードの奥でわたしをじっと見据えてる気がした。微かに覗く口元がやわらぐ。
「そんなこと、言ってはいけないよ。少なくともこの婚礼の間はね」
「どうして」
「ひとりきりの婚礼なんて、さみしいに決まってるからね」
そう言って、旅人はわたしの頭を撫でた。その手の冷たさに、わたしは驚きで肩が跳ねた。そのさまをみた旅人は、再び笑い声をあげる。そうっと手が離れた時の名残惜しさは、一体何だったのか。
「案ずることはない、お嬢さんの姉上は幸福に恵まれる」
旅人は背を向け、目抜き通りに繋がる路地へ歩いていく。わたしは慌てて追いかけた。
「旅人さま、あなたのお名前は?」
叫びながら路地に入れば、そこには望んだ背中はなかった。かわりに、白い猫がわたしを凝視していた。うつくしい、真白の毛並みと瑠璃色の双眸を持つ猫だった。隙間から溢れる木漏れ日にあてられて、猫の毛はうすらと輝きを帯びている。しばらくして、猫は興味を失ったのか、一鳴きして去っていった。
その日は始終、旅人の姿を探したが、ついには会うことは叶わなかった。 それから、婚礼の式はつつがなく終わり、姉は神さまの花嫁になった。教会のそばにある小さな家に移り住んだ姉を訪ねるために、わたしは毎日丘を登る。時折、姉に不思議な旅人の話をするけれど、その度に姉は嬉しそうな顔で笑むのだ。
花嫁行列