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「俺の心が楽になる方法をみつけたぞ、バーチャル空間やSNSとの接触を断つんだ」
 あるバーチャルアイドルグループの青年がいた。かれは売り出し中のアイドルであり、その反面、実生活は孤独だった、彼は、以前から電脳ネットワークの空間内で自らの安寧の地をみつけていた。そこまではよかったのだった。アイドル活動にも専念ができるし、電脳空間でさえ、人に気を使わないでいい事の充実感に充たされていた。

 そこは、影の楽園といわれる、電脳世界の特別な空間であり、そこは自分以外のアバターがほぼ存在しないと思えるような環境だ。厳密にいえば存在するのだが、静寂につつまれた図書館や寺院のような空間ーーつまりそこにいるすべての人々は他者との接触を一切欲していない、ネットに接続しながらも他者との関係を断つ、全時代のネットサーフィンのような環境―—そういう人間が、ある合意をもって集まりをもったある空間を、彼の電脳上の長年の調査と探求によって、電脳空間ないに発見をした。今世紀にはいってから、コンピューターネットワークはほとんどが電脳化され、以前のような古びたコンピューターのインフラはすたれていった、だからこそ、彼のような人間には、そういう場所が必要だったのだ。

長らく電脳世界に入り浸っていたが、その場所を発見した彼はやっと落ち着いた。それは何もない、ただ白いだけのだだっ広い空間だった、しいて言うなら塔のような形状をしていて、円形で、縦に階段がのびていて、その空きスペースに様々な姿かたちの人が思い思いのネットへの接続を試みている。ここでの会話はご法度だ、だれが仕切っているのかわからないが、看板や張り紙には明確に、厳粛にそのルールが記載させている。
 彼は自分の意識もろとも電脳空間に接続しておいて、そのうえで、他者との接続をたちきる必要があった、彼の心は孤独を欲するのに、彼は電脳世界への依存性を持っていた、それは昨今普及しつつある電脳科の医者からも指摘されたもので、薬やプログラムの人工の脳の修正程度ではどうにもならなかったのだ。
 彼はほとんどの間電脳空間に存在していなければ心も体も異常をきたす病気を抱えている。彼は同時に、他者との接触を嫌っていたのだ、たとえばアイドル活動の間ならかまわないのだが、彼は、人との距離感がわからない、接触を始めた人と、妙に近い距離感をとってしまって戸惑わせたり、下品な冗談など突然言って困らせてしまった、だから今回、彼は安心したのだ。—――
これで人とかかわらないで済む、病気を原因にして、バーチャルアイドル活動を抑えることもできた。ということは、人に迷惑をかけなくて済むわけだ———しかし問題はそこではなかった、むしろ彼の場合段々と悪化していく、

 確かに数日は何事もなかった、しかし次第に彼の日常生活、つまり現実での生活が異常をきたしていく、家族との会話すらおっくうになり、ついには家族と会う事すら避けるようになった、それもこれもネット空間でそんな生活ばかりしていからだった。家族はみんな兄が、ネットアイドルをやりながら引きこもっていると心配しはじめたのだった。
「俺のこころの闇はいったいなんなんだ」

 電脳空間の影の楽園をみつけ、人とのかかわりを持たずにできるネットサーフィン、その世代の人間にはある種の新鮮さをもつその体験の中で、彼は粛々と、自分の中の自分を探し、気づき、思い出しつつあったのだが。あるとき、ついにこらえきれなくなり、静かな空間で独り言を発してしまった。それまで彼さえも、きっとだれもが、影の楽園には声という概念が存在しないものと思い込んでいたらしく、彼の声にみんなが驚いた。それまで、空間は何もない空間だった、だれもしゃべらず、思い思いに活動をしている、本を読むものや、ゲームをするもの、勉強をするもの、机やテーブルを持ち込むものもいる。ふいに、後からやってきた彼が、ネットアイドルで名前が知られているとはいえ、お互いの協調が不可欠なその空間。そんな中で独り言をつぶやいたので、彼は何日も何日も、その空間で白い目でみられていた、そんなときだった、電脳空間上で他者とのかかわりをたち、ただ情報のインプットだけに重きをおいていた彼の前に、白いワンピース少女がまいおりた、
「おひさしぶりですか、私を覚えていますか」
「……?」
「あなたは随分こらえてきましたね、だけどこらえたからいけないのです」
「あなたは?」
それは見覚えがある少女だった、しかし、脳内に電撃が走り、何の理由か、突然自分の機械化した脳が、エラーをおこし、電脳空間との接続がきれ、目を覚ますと自分の部屋の机の上にひじをつっぷしてよだれをたらして寝ている自分がいた、現実空間にいる、しかしけだるい、目の前には机、自室らしかった、そなえつけの椅子にすわり、机をながめ、3時間ほどぼーっとしていた。家族がよびかけにきてももちろん気のない返事をするばかり。いつの間にやら家族の出す物音も静まった。しかし、ふと一瞬、彼の心を動かすものがった、目をつぶったとき思い出されたもの、机をゆらし、影の楽園で出した独り言をまた、彼はその場でくちにした。
「あっ。あの子……」
それはある思い出、記憶だった、例の空間で先ほどあった少女、彼女の記憶である……時刻はすでに深夜2時をまわっていて、明日がアイドル活動の休業日でなければ、首になっていたことだろう、彼はその卓上の写真を左手でつかむ、すると頬を涙がつたって、
「俺は何をしているんだ」
と独り言をつぶやき、やがて夢の中へいざなわれ、回想にひたるのだった。

 高校生のころ、snsにてやりとりをしていた女性とお付き合いをするようになった、しかし彼女は少し精神を病んでいた、おまけに、極端に体も悪い人だった、それで病気が進行していき、帰らぬ人となったのだった。彼女は動植物を人間の何倍も愛し、だから彼女と一緒にひとつの奇妙な植物を育てていた、その植物を通じて、彼は彼女へ感情移入していた。ところが彼女の死とともに、植物は死んだのだった。いまでもそんなかつての彼女、感情移入する彼女へ感情移入している、それが意思のいう、電脳世界への依存の原因「トラウマ」彼はベッドに腰かけ、明日の仕事の事や、これまでの自分の生活態度の事をおもいだす、つねに現実を避けていた。それでいて、卓上には額に入れた彼女との写真をたくさんならべているのだ。いま、思う事はひとつ。
「自分はそんな過去すらかくして、仮想現実へ自分の意識を逃がして、トラウマから逃げていたのか」
机の上には彼女ととった写真がずらりとならんでいて、未だに処分できずにいる、偏執的だが、それすら普通だと思えるほど、違和感を失ってしまっていた、あるいは電脳世界の非日常性や情報量の多さがそうさせたのかもしれない、そもそもの発端が、彼女との出会い、彼女との思い出のすべては、彼にとってはいつも、日常であり、彼女の死や、植物の死、その苦痛さえ、日常だったのだ。彼はそこへたどり着こうとしている、彼女と出会ったきっかけが、バーチャル世界でのやり取りだった事はいつまでもかわらない事実。

 「仮想空間だからこそ、人の言葉や考えが、現実よりも直に伝わってくることがある、ましてや昨今の電脳世界では、人間の五感を疑似的に再現するシステムすら普及しつつある。こんな時代だからこそ、人と人との距離感は、遠すぎず、近すぎない事が大事なのかもしれないな」
 二日後、仕事場の控室の廊下で存分に独り言をいった、アイドルグループのみんなは彼の変人的扱いにたけていたし、彼はそのことによって、彼等と打ち解ける事ができていた。だからだれも、そこで彼を責めはしなかったのだが……マネージャーは心配していた。マネージャーは心配性なのだった。
 彼は仕事を終えて帰宅する、その電車の中で、マネージャーの事ばかり考えた、だがそれとは別に、彼自身、もはやネットなしにしては現実の人格を整理できない事を理解していた。彼はSNS上で、最初の彼女、彼女と出会うまでは、家庭環境や学校になじめず居場所のない青年だった事に思いをはせた。なら、なぜネットアイドルにスカウトされたとき、自分はうまくやれると思ったのか、そこにある違和感やギャップとは何だったのだろうか、彼のギャップとはそもそも、電脳世界や、ネットワークが存在したからこそ、理想に出会い、理想に出会ったからこそ、生じたものだったのだ。と彼はやっと理解したのだった。彼女は彼の理想だった。ならば、彼の心理を縛ることも、あるいは解放することも無駄な意識で、彼はまず彼の心理の特性を理解しなくてはいけなかったのだ。いやでも何でも、自分から逃げる事はできないのだ。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-27

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