土左衛門大学生
苦悩
大学生1年生の山本は土左衛門という渾名で呼ばれていた。いつも顔色が青紫色でぬめぬめしているからである。本人もそれは重々承知していたし,なぜ自分の顔色が常に悪いのかも分かっていた。ぬめぬめは体質である。
山本は辟易していたのだ。大学校内はどこを見渡してもカップルばかり。誰かが話していると思えば内容は艶聞ばかり。ほとほとうんざりしていた。うんざりはしていたが,そういう話が行われている時は大抵,耳に神経をフォーカスさせて謹聴した。
回顧してみれば,高校入学当初から,恋愛に拘泥していた。先生にも相談したが,ただ一言,「鷹揚な人間になりましょう」とだけ言われた。そこで鷹揚な精神を持って女子が自らの胸に飛び込んでくるのを待ち続けたが,結局何も起こらず高校生活を棒に振ったのだった。
「なぜ,俺には恋人ができないのだ!不条理だ!」
山本は夜中の大阪・道頓堀で絶叫した。近くの通りすがりの人はたいそう剣呑がって走り去った。
その後,山本は行方不明となった。
数少ない友人の同じくモテナイ男が山本の最後の姿を目撃したという。大阪の新世界を幸福の神ビリケン像を背負って走り去っていったと男は云う。もちろん誰も取り合わなかった。
邂逅
不思議な夜だった。
あの夜,失意のどん底で呆然としていた。時代の趨勢に取り残され,恋患うこともなく腐り果てていくのだと,それならばもういっそ夭折したほうがましだとさえ考えていた。まあ本当にそうなりたくはない。思ってみただけだ。
夜中の道頓堀で,未開地の原住民のように叫び狂い,そうやってから,行く宛もなく歩いた。悄然と頭を垂れてとぼとぼと,ふいに,通天閣が目の前にあって,嗚呼,彼女と来てビリケンさんの足の裏を一緒に触ったりしたら愉しかろ,と妄想した。
しかし,今夜の通天閣はやけに魅きつけられる。もう午後3時過ぎだというのになぜかとても明るい,近隣にまったく遠慮のないライトアップで燦然と輝いている。
ふらふらと近寄っていくと,人っ子ひとりいない。エレベーターが勝手に開いたので吸い込まれるようにして入って行くと,ドアは自動的に閉まり展望台へと登っていった。
ビリケンさんとの邂逅を果たすと,俺はビリケンさんを担いで塔を降りていた。何がなんだがわからなかった。はっと振り返ると,エレベーターの電源は落ちていて,通天閣のライトアップも,消えないまでも先程より抑えられている。
無我夢中で走った。これは窃盗罪ではないか,いいや,違う,不可抗力だ,気付いたら持っていたのだ,走っていたのだ。嗚呼,どうせ「・・・などと意味不明な供述をしており」と云う風に報道されてしまうのだろう。これはまずい,誰かに目撃されたら終わりだ,こんなものを持って走っているぬめぬめした顔の青い男など見たら,どれほどのインパクトを脳に与えるだろうか,たちまち脳の秘奥に刻印されるは必定だろう。
・・・俺は無事に寮にたどり着いた。不思議な事に,走る所走る所,誰もおらず,車も通らず,おそらく誰にも見られていないのではないか。よくよく考えてみればあの夜,俺は誰にも会わなかったぞ。自分でも何を言っているのかわからんが,まるで別次元にいるようだった。
だが,きっと明日は大騒ぎになるだろう。その夜ねむれずに,ひとまず座布団に座らせたビリケンさんと向い合って過ごした。
土左衛門大学生