ドラマティックベースボール

「拓海か?」俺がそう呼ぶと、そいつは振り返った。十数メートル先、田舎の農道。夕日で顔はよくわからなかったが、さっき見つけたあの背中は、間違いなく拓海のものだった。
 俺が影に向かって駆け出すと、部活道具でいっぱいのエナメルバックが、腰の辺りで何度も跳ねた。影は静かに立ち止まって俺を待っていた。近寄ってみると、やはりそこにいたのは拓海だった。
 そうして、俺が横に並ぶと、拓海は驚きながらも、にやりと唇の端を上げて言った。
「おお、駿か。よりによってこんな日に会うなんてな。まあ、家は近いし、会っても当然か」
 俺たちはそのまま夕日に向かって歩き始めた。部活で疲れた脚が重い。バックに詰まった荷物も重い。きっと拓海も一緒だろう。二人して黙ったままのろのろと進んだ。
 何せ試合以外でこうして近くで顔を合わせるのは、久しぶりなのだ。話したいことはたくさんある気もするが、でも、何を話したらいいのかは分からなかった。
 最後に一緒に遊んだのはいつだっただろう。高一の秋であった気がする。あの頃よりも今の拓海は二回りは大きかった。背丈も伸びたが、それ以上に身体の厚みが増していた。あのカッターシャツの下に、鍛え抜かれた肉体があることは明白だった。拓海から見た俺も同じだと信じたい。
「でも、中々会わねえもんだな」とりとめもない話題を、と俺が言った。
「学校から帰る時間が違うんだろ。俺の学校、遠いからさ」拓海が答えた。
「今日は早く終わったのか?」
「明日に備えて、な」
「そりゃ、そうか」何がおかしいのかわからなかったが、俺はケラケラ笑った。それにつられて拓海も笑った。
 俺は拓海の笑った顔が好きだった。昔から好きだった。家が近所だった俺らは、小さな頃からよく一緒に遊んでいた。野球も拓海に誘われて始めた。リトルリーグでも、中学校の部活でも俺らは一緒だった。
 あの頃から拓海は上手かった。バッティングのセンスが人よりずば抜けていて、拓海の打った球が、外野の遥か頭上を抜けていく様を見るのは爽快だった。
 だけど俺だって、たぶんそれ程負けてはいなかったはずだ。拓海のような力強いバッティングはできない。それでもミート力には自信があったし、野手としてなら拓海より活躍できると思っていた。
 けれども、俺は拓海と同じ高校には行けなかった。俺に推薦の枠はなかった。何が足りなかったのかわからない。
 しかし、憧れの名門校への進学、そしてその先への道が断たれたというのはその時点で、紛れもない事実だった。
 だけど。だけど、まさかここまで来ることができるなんて。
 名も無き地元の公立校。偶然揃った最高のメンバー。二年半で培った団結力。三年前は見向きもされなかった学校が、少しずつ少しずつ実力をつけ、今や県大会の優勝候補だ。
 毎日の野球が面白かった。めきめきと殻が壊れる音を聞いた気がする。日々成長していくチームが誇らしかった。
 拓海のような最初からの強豪校にいては、この感覚は味わえまい。この高校に入学して良かったのだと、今は痛いほど、強く思っている。
「いよいよ、だな」俺は言った。
「だな」拓海も言った。
 明日は県大会の決勝戦。勝てば甲子園。明日、拓海と会うときは球場で、だ。
 ふと思い、俺は言った。
「俺さ。おまえの学校、行けないってなった時さ、人生終わったって思ったんだけどさ。今はこう思うわ。おまえと戦うために、公立行ったんだって」
「それなりのドラマだよな。よく、ここまで勝ち上がってきたもんだよ、本当に」
「そりゃ、努力したからな。自分でもすげえって思うよ。公立だから、お金もない。設備もない。全て一からだぜ。根性が他とは違う」
 俺は最後の「他」という言葉に力を込めた。
「え。何。おまえ何が言いたいわけ」俺の言葉に拓海が反応する。ぎろりと睨まれた。
 俺はふふっと笑って言った。
「宣戦布告。強豪校だかなんだか、知らねえけどな、俺の学校、おまえらなんかに負けないから」
 根拠はない。大会や新聞で、ネットで、拓海や拓海の学校の活躍は散々見てきた。勝てる保証なんて全くない。でも、それでも、俺たちの勝利を信じて疑わなかった。俺たちが創り上げてきたこの部が負けるはずがない。
 拓海は俯きしばらく黙っていた。でも、俺は彼が口の端を歪めて必死で笑いを堪えているのに気づかないわけにはいかなかった。
「おい。言いたいことがあるならさっさと言えよ」
 そう言うと、遂に拓海は吹き出して、俺を見た。
「俺のあとをついて回ってばかりいた甘ちゃんがでかい口叩くようになって。なんだよ、それ。そりゃ、すげーのは確かだけどさ。でもな。駿」
 そう言って、不敵な笑みを浮かべた拓海の顔は、俺が昔からよく知っている、あの揺らがない強い顔だった。
 「おめー、ドラマやってんのは、自分たちだけだと思ってるだろう。でもな、本気のやつの数だけ、ドラマはあるんだぜ」

 次の日、グラウンドに拓海の姿はなかった。数日前の練習で手首を痛めてメンバーを外されていたということを俺が知ったのは、それより大分後のことだった。
 あの畦道で会ったあの時、拓海は既に試合に出られないことを知っていたはずだ。彼はあの時、何を思っていたか。
 大学生となって街を出た今、俺にそれを知る術はない。

ドラマティックベースボール

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-26

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