ゴルゴダの丘
神により選任の命を受けて、聖霊と対話をして、宇宙の形状を知る主の聖なる教えを請う。
天地の聖霊によって神の真理を授けられ、一大創世記の宇宙に御誕生する空のまた空のこの人間が、私の手の平で今まさに誕生している。
本当に宇宙の形状が無限に広がっていく崇高な天翔ラインに光輝やく一直線の道ができて、私の夢は宇宙の形状と同一化していくのです。
この世界をお願い、もう一度始めて見せてくれませんか。
キリストはエルサレムの嘆きの道を登っていく時、この全知全能なる神の手の平で世界を創造していたのだ。
キリストは己の聖なる灯のはるか先に、人類愛に燃ゆる灯台の光を見て、ふふっこの世は一回きりの人生で苦しみ、悲しみの内に喜びがあり、ふと己の人間としての内なる細胞の運動をじっと見つめた。
キリストは人類に崇高で真っ直ぐな神の愛を与えるただそれだけの為に、世界にたった今を生きて死ななくてはならないのです。
宇宙の天体運動は大いなる可憐さで周遊する。
そして神の手の平で誕生している世界の形状は感化し合い、復活の丘への道は、救いを迎える為の人類の方法を模索して、この頂上で完成体を眺めてみる。
ああ、世界はたった今キリストの手の平でこんなにも可憐な形状になっている。神の計らいは麗しい立体形状に安らかになぞられて変化する。
「あなた、あなたは生まれています。お願いです。助けて、私を想像上の天使のままにしないで下さい。」
キリストがこんなにも美しい世界を想像すれば、その通りにここは地上の楽園になっていくのだとしたら、今キリストはマリアを見つめて救いの手を差し伸べられた。
「あなたを泣かせてしまいました。これから私はどのようにして生きていけばいいのでしょうか。」
マリアのか細い柔らしい手にはキリストが昇天する為のエネルギーが溢れて、ほらっ、丘の上には虹が架かって晴れ上がり、雲間から厳かな愛に満ちた神の光が降り注がれている。
あなたにしか見えない、聖霊が飛翔している情景の中に深遠な形状をした復活の丘があった。
そこに愛の恩謝に満ちた真っ直ぐに、天上への青い一直線の道がつくられ、人生が本当に解逅している。
その上空には天使が目映く浮遊している。
新しい大地に青き衣を着て光り輝く愛を浮遊させて、ふふっとキリストが微笑する時、私は生き返ったのです。
人間である事をしばらく忘れて、この時空に神の説法を受け始めるのです。
キリストは両手を大きく広げてこの世界とは一体何なのかと、壮大な雲の流れる方向が示されて、嘆きの道から上にふわっと浮遊していき全く存在を無くしたのです。
キリストはこの世界に何を指し示しているのか。神の啓示によって私の存在価値はこの世界で何をする事で報われるのでしょう。
これは天に昇るために未来軸を正しくセットして、人類に一つの愛のメッセージを送るために、キリストは己が存在する意味を未来の人類に提示したその時、私はこの世に生きて存在した意味があったと知るのです。
肉体に人類の重荷を背負うこの苦労も、全ては後の人類の為になるのですから、何もいう事はありません。
キリストの体は十字架に張り付けられて、もう直ぐに死にゆくのです。
そして新しい世界の形状を作りキリストの奇蹟の復活を迎えて、天地に一大世紀の叙事詞で究極の神の光り輝く愛を届けるのです。
この世界で生きる価値のある一人の生命の生死のドラマに人類は有意義さを教えられた。
キリストは喜んで自ら死ににいくのです。
もう人類の待ち望んだ天上界へと、全く美しき天昇の世界へと、時空を移象させていき、キリストが想像し憧れた世界の形状がそこに現れた時、十字架に架けられるこの奇跡の意味に人類は初めて感動して泣くのです。
この嘆きの丘を命を懸けて昇るキリストと人類の未来との奇跡の関係性に、生命とはこんなにも宇宙の形状と同化していき、自らが死んで人類を贖罪する意味に一世一代の救済が行われたのです。
神々しい真理が私をこの世に再び誕生させている。
丘の上空には青い精霊達が静寂にゆったりと浮遊している。
全く神の意識をそのままに浮遊しているこの姿こそが、この世の救いの御姿なのです。こんなにも精霊達が暖かく私を迎えていた。
清らかな青い御光で満たされて、純真無垢に完成した静寂な魂は安らかにただ安らかに美しい死の世界がそこに存在していて、「ああ、これでもう死ねるのです」と神に身を委ねたのです。
死んで人類を重荷から免れさせた。
人類は神の啓示の本望を迎えている。神は、もう人類は完成いたしました。
天上の全く苦しみの無い世界に連れていき、肉体と精神は完全に全人類の完成体に解脱させて、新しい生きる寄り処に、はっとキリストの意味を知って世界の形状が安定している。
その円のあまりにもの神々しさに感動して天昇していくのです。
人生の役割を完結した時、この人生は神に救われた事を知ったのです。
ゴルゴダの丘