私の存在とは
私の前生は一体何だったのでしょう。私にはよくわからない不思議な現象を体験したのです。
私の体の中を流れる素粒子が、私を生命として捉えて慈しみ深い明星になろうとしている。
私はピエロのような性格を持っていました。ピエロには性格が無いというのでしょうか。
私の持っている肉体、精神、性格を完全に自分自身から解脱して無へと環った人類になれるのでしょうか。
私の存在を形成する各器官の全細胞は全く形状の全てが無重力となり、全宇宙の中にぽつんと存在を無にしました。
私の存在は全てが全く無くなり、広大な宇宙の構成物となって、私の自分自身の思想は無になる。
私はこの世界に一人確かに存在していても、本当は全く存在していない無の存在なのです。
私は私を生きている、ただそれだけなのです。
私は広大無辺の宇宙の一部となって生きていく。
私の存在に何も期待していない。ただ人間として生まれて人間では無い存在となって死んでいくのです。
私の存在は宇宙の万物の何とも全く関係しない。
私の存在は自分自身の中にある存在の真理を知っているのだろうか。
私の中に新たな生命が生まれて遣伝子を形成し始めて、私にはもう1人の私がいる事を知っている。
宇宙は私の存在を知らない。全世界の生命は私の存在を知らない。
私の存在は全宇宙でただ一つだけでいいのです。そして私の細胞はこの全宇宙から全て無くなっていく。
私は私だけになっていく。私はもうすでに死んでいる。
私は死んでいるのであるから、この全宇宙に私の細胞は存在しないのです。
しかし、私は完全には死に到達できていない。
だから、生きているのです。
私は私の存在からすっと離れて、私の存在をもう1人の私として認識している。
もう一人の私の存在は本当に私なのでしょうか。
もう私の存在は宇宙には存在していない。そして宇宙の全物質も全く存在していない。
私はどのような人間なのでしょうか。私は一体どのような性格、特徴、思想を持っているのでしょうか。
私は私の存在を無とする事で、私が私から一旦離れて、私のとなりに私がいる。
さあ、私はこのような人間であります。
私は私と対話している。私の話した事に私が答えている。私の話した事に神の真理の解答を、私に答えた。
もしかして私の中のもう一人の人間は神ではないかしら。私は本当に私なのだろうか。一体どのような私が本当の私なのだろうか。
もう一人の私は神の啓示を語り始める。私はその真言で全宇宙の中に人間のシンメトリーの調和した構造を確認するのです。
私の中のもう一人の人間は、一体何を考えているのでしょうか。
今の私の存在は一体誰なのか。その答えは私のみがもっているという事実なのです。
私は私なのか。私ではないのか。
真実は私の遣伝子がここに確かに存在していること。私の遣伝子は生物の多様性を用意しているのです。
私の全ては私の遣伝子。私の素粒子。
私は私でいる時を大事にする。私は私でない時を大事にする。
私は私でない万物の起源の時空に還り生まれる前の胎児になる。私の存在は空になる。
万物の素粒子は一体何を考えているのか。
遣伝子は空になる。全くの生まれる前の宇宙になり万物は無くなる。私は生まれる前の精神状態になる。
私は本当に生まれたのだろうか。
私は本当に存在しているのだろうか。
私は決定論より偶然論を信用するのです。
私は私になり私に還っていく。私の存在は全宇宙になっていく。私はもうこの全宇宙の大空になる。
私は私なのです。私は私になっている。私は全てが一つに私になっていく。
私の存在とは