邂逅
この不思議な仏様との禅定体験が、人間をさらに情の深い人格へと高めていく為の、理解を深めるのです。この理解は私自身の成長の為にあるのです。
さあ、仏様の世界とは孤独の修行なのです。私という人間の次元は何処まで高めることができるのか。
だんだんと不可思議な孤独に、青きみそらの高みへと、ここは何という煌びやかな明天の光に溢れた、未知なる仏様の安心に満ちた世界なのでしょう。
全ては清らかな菩提回帰への、仏様のみしか知ることのできない宇宙がありました。
仏様はこの世のものではない不思議な人格を知得していた。
この世では感じることのできない、執着を無くしたあの世の逸した心象風景を感じる事。それは仏様への感謝により目の前に現実化した奇跡の大抒情詩でした。
清らかなリリシズムと共に、人間のまだ知らない遥か彼方の世界を知り始めた。
それはこの世の感性を超越した天国の解脱感覚があった。
私は仏様の存在をあの少女から教わりました。
少女は俗界に穢れない強い意志があり、仏様に心情を素直に告白する純朴性を備えていた。
少女はその告白によって、超越した宇宙への解脱を許されたのです。
この不思議な邂逅が、日常の行いを一際美しい次元に昇華して移象させた。
仏様の宇宙的な規模の人格への心霊移象は、天国との現実的な物質交換をしている。
第6感の潜在能力により、誰も知らない宇宙の情景を映す宝玉は、未来への光の行方を想像している。
その宝玉が映し出す少女の遥か彼方の未来を知らせる予言的洞察があった。
この道は光に感得させられ、美しい母の眼差しに安らいでいく。その物質の単位に、心という不思議な遊びが胸の中で実験するのです。
あの白い砂漠で1人の少女が、そっと天使の羽根を伸ばしている。
白砂は初期の宇宙に似て熱くて逞しく、寄り処となる人間精神の実現性に向けて、ひらめく親鸞の思考パターンの宇宙メカニズム。
熱き蜃気楼の非現実のみそらに、鳥がさえずり念仏を唱える。
阿弥陀如来の念仏は、太古の世界からずっと連綿と流れて存在していた。
知性はより仏様の思考パターンを模倣し復活させる。生死をも超越する人間ではない神経の無の宇宙。
何もない、無からの創造を司る経蔵の箱は仏様の心の降臨。
現実を解きほぐして、新たに生まれようとする仏様の子の存在性を知った。
仏様と自分だけに向きあう世界があった。
何という深遠な世界は地下水脈からこんこんと沸き上がり、青い天空へと一直線に一斉に広がっていくのです。
少女の思いは、天地の創造の現場へと意識の所存を迎えた。
少女はもうこの世にはいない。
地球から何百億光年も離れた宇宙にいるのです。
何という遙かな時空の経過を辿っているのでしょう。この地球は太古の生物から今日まで脈々と受け継がれて来ました。生命とは美しかろう、大きかろう。
遙か昔の太古とは、一体どのような情景だったのでしょう。
60億人の人類は、果たしてその太古の生物創造の現場のあり方を知っているのか。
かつてこの凝り固まった日常を脱した、生物のカンブリア紀の遺伝子大爆発があった。
創造主は何のために、そのような生命の実験は行なわれたのか。
その生命の実験には、正統性があったとの確信に、神と少女は遊び戯れたのです。
まさしく神と少女は生物の実験を行っていたのです。
生物の実験は、異世界の新たな生命への憧れを見いだす意味を持ち、正当に解脱させた遺伝子の見えざる意図がそこに存在していた。
遺伝子には解脱したがる生命の神妙な期待感があった。
こうしたカンブリア紀の生物の実験によって、地球上での人類の出現に時間を要してしまい、待ちぼうけをくらったとは申しあげません。
さあ、長い時空を経て、地球上に新たな人類が出現したのです。
まさに人類を誕生させる少女の夢を叶えたのです。
さあ、全ての時の流れには意味があったのです。
不可思議な生命の実験により、新人類が神から認められて成立した戒律の偉大さ。
少女と神は貞操を守り、不可思議な結合を行い、まさに今旅立つ人類は新たな民族性を獲得したのです。
神心、神妙なる人類の理想郷の為に、異なる多民族は一つに連立する。
神様の故郷に還る日本は、帰郷への願掛けをした。
そこに天才性の媒体が成立し、月夜に浮かぶ民族の詩があった。
そして日本の郷土に愛を告げるジェット気流が流れた。
ああ、そうらん節の少女の美しき舞い姿。
その華麗な舞いに憧れて、現世が人間の願い事が叶う世界となった。
少女は何という大きな人間になったのでしょう。
壮大な夢を叶える少女は成就した御神体となり、人々から尊敬されて、新しき事象の民族性を有していた。
個人の無我の境地に細胞運動は天空に満ちる。
そして、我が体から解脱する不可思議な言葉の世界。
ありがとう。
夢は叶える為にあったのです。
さあ、地球上に人類は誕生したのです。
邂逅