異世界にて、我、最強を目指す。ー薔薇6編ー
薔薇6編 第1章
8月1日。
学校は夏休み真っ只中だが、普通科、魔法技術科、魔法科の全校生徒が講堂に集まっている。
今日は生徒総会の日だった。
いつもなら、薔薇6のエントリー発表だけがあって、他は何事もなく終わる一日だと聞いた。
ところがその日、沢渡会長が全校生徒の前で突然退任を発表したから講堂の中は騒然となった。
生徒会役員全員も同時に退任するという。
後任の生徒会長は光里陽太先輩、2年。
弥皇企画広報部長の後任は、普通科の麻田弥央先輩、2年。
六月一日副会長の後任には、魔法技術科の栗花落譲司。1年。
女子の副会長は三枝先輩が退任し、魔法科の南園遥、1年が選出された。
当分の間、書記は置かないことが総会で了承され、ここに光里体制が発足した。
光里先輩は逍遥の願いどおり、魔法科だけの生徒会役員体制を改めた。
魔法科からは若干抗議の声も出たが、何より魔法技術科と普通科の連中が光里会長に親しみを覚えたようだ。
人心掌握、OK♪
続いて、光里会長の下で早速薔薇6のエントリー選手が発表された。
スターティングメンバーは、Gリーグ予選とほとんど同じ。
今年の場合、練習不足や不協和音があったものの、新しいメンバーではなくGリーグ戦メンバーをエントリーしたという説明がつけ加えられた。
マジックガンショットは、3年上杉憲伸、1年四月一日逍遥、1年南園遥。
アシストボールは、1年四月一日逍遥FW、2年光里陽太MF、2年光流弦慈DF、3年沢渡剛GK。
ラナウェイは、3年勅使河原晋、1年魔法技術科栗花落譲司、3年定禅寺亮。
プラチナチェイスは、先陣3年沢渡剛、後陣2年光里陽太、チェイサー四月一日逍遥、遊撃2年設楽聖都、3年斎田工。
サブメンバー
3年八月十五日梓、3年九十九翠、2年羽生翔真、1年八朔海斗、1年岩泉聡。
計20名。
サポーター
1年八神絢人、1年山桜亜里沙、1年長谷部明、2年広瀬翔英、2年宮城聖人、3年若林正宗、3年千代桜。
計7名。
午後は麻田弥央先輩から、薔薇6の詳細説明があるということで、エントリー発表後に解散した生徒たちの中で、エントリーされた生徒が再集結し、講堂に集まることになった。
昼休み。
ほとんどの生徒は学校を後にしたが、エントリー組は学校に残り食堂で昼食を摂っていた。
俺と逍遥、岩泉くんは揃って焼肉定食にありついていた。譲司と南園さんは、新規生徒会の副会長ということで、色々と業務があるのだろう、姿が見えなかった。
亜里沙や明、絢人もまた姿が見えない。どこか別のところで昼食をとっているのか。
本当に、この頃ご無沙汰というやつだ。
「ふう、今回はベタなエントリーになったな」
俺の言葉を待っていたかのように逍遥が声を上げる。
「八雲なんて入れるからチームがガタガタになったんだよ。あいつは疫病神だ」
「おいおい、また上意下達の先輩方に知れて一悶着になるから、大声で話すのはよしてくれ」
「海斗は相変わらずヘタレだ、ね?岩泉くん」
岩泉くんは少々困惑した表情で俺たちを見る。
「ヘタレって、それなら僕はヘタレ以上だ」
「じゃあ、映す価値なし?」
「おいおい逍遥、それは余りに酷だろ」
「ごめんごめん、冗談のつもりだったけど、通じなかった?」
「いや、いいんだ。実際、今の段階でサブにエントリーされるなんて思っても見なかったことだから」
「逍遥はたまに爆弾発言するから、俺は気が気じゃないよ」
岩泉くんが小首を傾げる。
「逍遥って、四月一日くんのこと?八朔くん、すごく仲良しになったんだね」
「うん。俺のことは海斗でいいよ」
「僕は逍遥で構わない」
「じゃあ、僕のことはサトルって呼んで」
「OK、サトル」
「じゃあ俺も。サトルでいいんだな」
「僕、中学の時から傲慢な性格になってしまって、名前呼びとかしてもらったことなくて。憧れだった」
「誰でも黒歴史はあるさ。リアル世界じゃ、俺は黒歴史まっしぐら」
「そうなの?」
「1人でいるのが怖かった。でもこっちに来てからは1人でいられるようになった」
「僕はまだ1人が怖いよ。でも、受け入れないといけないね」
ふふふと逍遥が不気味に笑う。
その、たまーにやらかすその裏で、君は何を考えているんだ、逍遥。
その時だった。
またもや、俺はあの突き刺すような視線に見舞われることになった。
誰だ。俺をターゲットとしているのは。
また、立って後ろを振り向くが、そこには2年と3年の先輩方がいるだけ。
エントリー組しかここには残っていないはず。
「どうした、海斗」
挙動不審な俺を見て、逍遥から声が掛かった。
「いや、強烈な視線が背中に突き刺さるんだ」
「視線?今日が初めてか?」
「いや、全日本の宿舎にいた時からだ」
「何回くらいあった、そういうこと」
「3~4回くらいかな」
「僕は感じない、サトルは?」
「特には」
「じゃあ、やっぱり海斗がターゲットか」
俺は軽く首を竦め分らないといった風情で席に座る。前に逍遥たちに話したような気もするが、皆覚えていないのだろう。自分のことでない限り、人は忘れるようにインプットされているものだ。
さて、本当に、睨まれる意図がわからない。
第3Gを嫌う人が多いのも事実だから、それで睨まれるのだろうか。
それにしたって、俺、今回はサブであり。
ああ、サブに入り損ねた魔法科組は1年から3年まで合わせると75人近くになる。
いやいや待てよ。
入り損ねた生徒は、今、ここにはいない。
段々気が滅入ってくるので、視線のことは頭の隅に追いやることにした。
午後から俺たちはまた、講堂に集められた。
薔薇6のことを良く知らない1年生に向けた丁寧な説明。2,3年はもう勝手知ったる我が家状態なのだろうが、特に、俺のようなこの世界を知らない第3Gは、詳細を聞かなければ訳が分からない。
薔薇6対抗戦は、夏休みの8月中旬に約2週間の予定で開催される、薔薇姉妹校6校の対抗戦だ。別名、6校祭りともいうらしい。
競技種目はマジックガンショット、ラナウェイ、アシストボール、プラチナチェイス。ちょうどGリーグ予選と種目が重なるため、紅薔薇としては練習量も試合勘もあるので幸運に他ならない。
Gリーグ予選と同じメンバーを選出するのも凡そ理に適っているわけだ。
紅薔薇、白薔薇、黄薔薇、桃薔薇、紫薔薇、青薔薇の6校総当たり戦での勝ち点により各々の競技の勝敗が決まり、4種目を合わせた勝ち点で1位になった高校が薔薇6の優勝校と呼ばれる。
夏休みということで、ギャラリーの数は全日本と比べても遜色ないほど多いという。
各種目は3カ所の会場に分かれて1日当たり午前と午後とで2試合、予備日を合わせ、約2週間に渡り熱戦が展開される。
出場するメンバーは学年を問わず、3学年が混じった混成チームとなる。ただし、1種目につき1人は1年を入れることが定められている。
えーと。
前にもこの話は聞いたことがあるような気がするのだが。
6校が総当たりで、1種目につき合計15試合が行われ、4種目の総試合数は60試合になるはずだ。
合ってるか?俺はこの試合数を数えるのが凄く苦手だ。
もし間違えていたら、ゴメン。
スタメンの人数は、マジックガンショット3名。ラナウェイ3名。アシストボール4名。プラチナチェイスは5名。
スタメン・サブは20名以内でエントリーを終了する。
全体で5~7名のサポーターの帯同が許される。
スタメン15名に対し、サブは5名。メンバーが全体で20名しか選出されないということを考えると、メンバーチェンジは、ほとんど行えないことになろう。
ギリギリの感じもするが、帯同するサポーターの仕事を考えると、これがMAXの数字になるということだった。
薔薇6事務局は年度ごとにスライドする。今年は長崎にある白薔薇高校が担当校。来年度は兵庫県神戸市にある黄薔薇高校が担当予定であるとのことだ。
競技に参加する以外にも、ギャラリーについて教えてくれた。
全競技とも競技場にて観戦ができるが、ラナウェイだけは施設を必要とするため、競技場に特大モニターを設置し応援ができるのだという。
PV会場も市内3カ所に設けられ、一般人や競技場に入れなかった生徒も応援することができる。
もうひとつ、薔薇6戦は、そのほとんどが市内中心部の競技場や校内のグラウンドで大会を行う。競技場での太鼓や笛、吹奏楽などの高校生お定まりの応援はできない。
周囲の環境に配慮してのことだという。
PV会場はドーム型の球場や体育館が主となるため、そこでは太鼓や笛、吹奏楽、チアガール等々、何でもありなのだとか。
だから競技場へは行かずにPV会場に応援に行く生徒も多い。
薔薇6の話は噂には聞いていて、ある程度のことは知っていたからだが、麻田企画広報部長は、きめ細かな配慮ができる人なのだなと感じた。
でも、思うことがある。
六月一日先輩だって、最初からあんな物言いをする人ではなかったのではないか。だから同級生からの信頼も厚かった。
弥皇部長だって、あの様子を見ると配慮の出来る人で、人徳を認められ生徒会に入ったと思われる。
人は、一旦権力を得ると人柄や考え方さえも変わってしまうのか。
確かに、六月一日先輩が逍遥に言い放った言葉と、沢渡元会長が六月一日先輩にぶつけた言葉は同じだったにもかかわらず、六月一日先輩は魔法科に拘りを見せた。
たぶん、紅薔薇という高校では魔法科が最上で、普通科が最低の評価なのだ。
皆、心の奥では線引きをして生きている。
俺には分らないし、分りたくもない。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
Gリーグ予選とほとんど変わらないメンバーだったが、八雲と六月一日先輩は強制終了させられ、三枝先輩は生徒会を辞めたためかわからないが、薔薇6への参加を辞退した。
ラナウェイはGリーグ予選で1年が入っていなかったため、譲司がスタメンに選出された。ラナウェイには俺の方が合ってると思ったので、そこは意外だった。
それよりなにより、なんといっても嬉しいのが、サトルがサブとして復活したことだった。薔薇6は学年関係なしに戦うので1年が試合に出ることは少ないと思われるが、サブとして認められた功績は大きい。
ひとえに、四月一日マジックとでもいうべきか。
その日の夕方、俺とサトルは、今度は生徒会のミーティング室に呼び出された。また先輩たちに何か言われるのだろうか。
今日は逍遥抜き。
俺は弁達者ではない。熱くなると仙台弁が出そうな気もするが。今のところ標準語で話せている。
違う違う。今はそういうことが問題なんじゃない。
サトルはすっかり意気消沈しており、見ている俺も辛いほどだ。
生徒会ミーティング室に入って待つこと10分、姿を現したのは、沢渡元会長だった。
「久しぶりだな、八朔、岩泉」
サトルは、サブエントリーを外されると思ったのか、身体が震えているのがわかる。
そんなサトルを前にして、沢渡元会長は椅子に腰かけ、間髪置かずに話し出した。
「岩泉。俺は例の噂により全日本時からお前を国分事件の犯人扱いしてきた。事実、お前を嫌いだったと言ってもいい。しかし四月一日とこの八朔がお前の未来を変えてくれた。もちろんそこには、お前の持って生まれた力と人知れぬ努力があったと解する。その努力を活かすためにも、今後、姑息な真似は一切止めろ」
サトルは目に涙を浮かべている。
「お前は捲土重来を期するべきなのだ」
俺は四文字熟語に弱い。
「会長、捲土重来とはどんな意味なのですか」
「何だ八朔、知らないのか。物事に一度失敗した者が、非常な勢いで盛り返すことを指す。今の岩泉に必要なものだ」
「勉強不足で申し訳ありません」
「構わない。ところで、今回お前たちはサブでエントリーするが、場合によってはメンバー交代も有り得るから、きちんと修業に励め」
俺とサトル、2人の声がシンクロする。
「承知しました」
生徒会ミーティング室を出る際、ドアの前で部屋に向き直り、もう一度深々と頭を下げるサトル。
あたふたと俺も同じように頭を下げる。
ミーティング室の中から、沢渡元会長の笑顔が俺たちを見送った。
俺たちは揃って1年の魔法科教室を目指し足音も緩やかに歩みを進める。
「海斗、本当にありがとう。君のおかげだ」
「俺は何もしてないよ。逍遥が君を守ったんだ」
俺とサトルは、お互いの顔を見つめてふふふと小声で笑い、肩を組んで夕方の廊下を占領した。
薔薇6編 第2章
白薔薇高校は、長崎県長崎市にある。
選手たちの体調や調整時間を考え、長崎入りは試合開始の3日前になった。
長崎は日本の江戸時代、鎖国が強化されるまでは海外との貿易を行っており、鎖国後も出島でオランダ人が貿易を行っていたという。
そういった歴史もあり、異国情緒に溢れ、まるで日本では無いかのような錯覚に捉われる建物が軒を並べるこの街は、一方で原子爆弾投下という悲劇に見舞われるという哀しい出来事が起こった悲運な街でもあった。
今は平和記念公園に観光客が訪れ、坂の所々にカギ尻尾の猫たちが寝そべり、平和という二文字を満喫しているかのようでもある。
残念なことに、薔薇6戦を控えた俺たちは、とてもじゃないが観光ムードでなかったため、観光地に足を伸ばすことは許されていなかった。
折角来たのだから、天草四郎を思い起こさせる隠れキリシタンの世界遺産とか、ハウステンボスとかグラバー邸とか行ってみたいところが沢山あったのだが。
俺はスタメンに入っていなかったから余計観光のことが気になっていたのだと思う。
それはそうと、沢渡元会長は、この世界とリアル世界とは背中合わせだと言っていた。そうなると、観光地の街並みや歴史は変わらないのか。
いやいや、この風景はこの世界の風景なのであって、もしかしたらリアル世界の長崎はもっと違った側面を見せてくれるのかもしれない。
周囲に聞いた限りでは歴史の流れはリアル世界と同様だと思うが、俺が知らない何かがこの世界にあってもおかしくはない。
観光、したかったな。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
選手たちやサポーター、生徒会役員に、今回は県外遠征ということで県外引率の教師が1人。俺たちは全員バス移動で、横浜から長崎までバス4台で20時間近くをかけて移動した。学年ごとにバスに乗ったので、結構気楽に構えていられた。だが女子は1台のバスで学年を考慮せずに押し込めたはずだ。
俺、女子じゃなくて良かった―。これが先輩と一緒なら、緊張しっ放しで余計に疲れ果てていたと思う。
でも、俺としては、どうせなら移動は飛行機にしてもらいたかった。それまで飛行機に乗ったことがなかったからという地味な理由もある。
え?海外旅行とか沖縄旅行とか、したことがないのかって?
あるわけないよ、あの親だモン。
息子を海外や沖縄に連れて行くより、自分の仕事や休日ゴルフを優先させる両親に多くを求めても無駄。俺の諦め精神はそこからきている節もある。
おっと。俺は両親の悪口が言いたいんじゃない。
バスに何時間も揺られるのは非常に辛いという事実が俺の前に突き付けられていることを力説したいのだ。
途中休憩もあるのだが、足腰がバキバキに固まってしまい、エコノミー症候群を発症しそうだ。
あー、こういう強行軍だから3日前の長崎入りを決めたのか。
向こうに着いたら、まず背伸びをしないと。
20時間をバスで駆け抜ける旅は、俺にとって苦痛でしかなかった。
何より、夜眠れない。昼間はなんとなくぼーっと外を眺めていたからだけど。昼間に眠って置けば良かった。
もう、夜は信号でのブレーキと歩行者信号音でまず目が覚める、繁華街近くの道路では車同士の衝突事故まであったようでドン!!と凄い音がしていた。
少し田舎道に入ったのかなと思うと、虫の大合唱。牛かと思うような声で泣くあの虫は、なんなんだ?
そんな俺を乗せながら20時間。
バスは長崎市内に入り、目指すホテルにようやく着いたようで、バスのドライバーさんは徐々に、ゆっくりとブレーキを踏む。
俺のようにほとんど寝付けなかった生徒もいるかもしれないと心配していたのだが、案外皆、欠伸をしながらもぞもぞと起き上がっていた。
やっぱり俺の神経質細胞はMAXで蠢いているのかもしれない。
逍遥も欠伸をしながら、疲れ果て目の下にくまをつくった俺を見てくすっと笑った。
「全然寝てないかのような顔だ」
「お察しのとおり、全然寝てない」
「席は倒せただろう?それとも窮屈なままでいたの?」
「倒したさ。でも寝れないんだよ。20時間起きてるのはさすがに辛い」
「時差ボケじゃあるまいし・・・。ホテル内で今日明日の日程について説明があるだろうから、その後部屋で寝たらいいよ」
逍遥はたまにすごく失礼なことを言う。
先にバスを降りた逍遥が、バス側面に設けられた荷物置き場からキャリーバッグを取り出した。俺も倣ってキャリーバッグを取り出す。
2日前の夜のことを思い出した。
俺は小中学校の修学旅行の他は、1泊2日の日程でさえ旅行とかしたことがないものだから、キャリーバッグなる物を持っていなかった。
困ったなと頭を抱えていると、亜里沙がひょっこり現れて、俺にキャリーバッグを貸してくれた。
「新古品だからあんたのモノにしていいそうよ」
「どっから持ってきたんだよ」
「生徒会室から」
「お前、生徒会にしょっちゅう出入りしてるのか」
「まさか」
確か全日本の最中に、こいつと明が601の部屋にいたのを逍遥が透視している。
「全日本の時も生徒会役員部屋にいただろ」
「あのときはあんたの波動が複雑になってリアル世界に戻りかねない状況だったから、サポーターとしてできることがないか聞かれてたのよ」
「そうなのか?で、なんか策はあったの?」
「そんなん、あたしと明が分る訳ないじゃない。結局あんたは戻ることなく今もこうしてここにいる、それが結論」
「なんだ、そしたらお前らだってここから帰れないじゃん」
「まあねー。それはそれよ」
「何がそれはそれなのかわかんねー」
「なるようにしかならないってこと」
かくして俺は今もこっちの世界にいて、亜里沙と明もこっちにいる。
ほとんど会わないけど。
俺はこいつらが普段はリアル世界に戻ってるんじゃないかと疑ったほどだ。
でもそうなると、時間の流れが読めなくなるんだよな。
リアル世界では一瞬の時間が、いや、もしかしたら時間が止っていて、今は俺の意識だけがここにいるのかもしれない。身体もここにいるのかな。それがわからん。
そうすると、こないだの母さんとのバトルは5月半ばということで、そこから時間が経過していないとするならば、俺や亜里沙たちがずっとここにいられるのもわかる。
つまりは、白昼夢みたいなものですな。
“こちらの世界を楽しめ”
沢渡元会長の一言があったから、今俺はここにこうしていられるようなもので。
第3Gを快く思わない人もたくさんいて。
でも、友人と呼べる人もいて。
ただし、これが白昼夢なのであればあるほど、現実の世界に戻った俺は茨の道を歩かなくてはならないだろう。
どこの高校に属したとしても、友人も作らず、孤独を感じながら生きることになるかもしれない。
それとも、また挫折してひきこもり生活になるかもしれない。
いや、孤独を感じたとしても、もう俺は逃げない。
孤独を楽しめるほど俺は強くないけど、1人でも生きていけるような気がする。
こちらの世界に来て、ようやく孤独を感じ孤独を受け入れられるようになったのだから。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
同じバスに乗っていたサトルが俺の頬をつついた。
「海斗、何ぼーっとしてるの?」
サトル。お前も結構はっきりとモノをいうやつだな。
「ちょっと考え事。眠れなかったから辛くてさ」
「あ、僕も眠れなかった。隣で逍遥がイビキかいて寝てるのが羨ましかったよ」
「強心臓だよ、逍遥は」
どこからともなく逍遥の声がする。
「僕がなんだって」
どうやらまたホテルの中から透視、離話してるらしい。
まったく。
「なんでもないよ、君がイビキかいて寝てたという話」
「僕がイビキなんてかくわけないだろう」
「残念でした。今回は目撃者がいる」
「誰?」
「サトル」
「おかしいな、僕はいつもスヤスヤ寝てるんだが」
おいおい。
言い訳しても無駄だ。
透視は試合以外で使うとなると、趣味が宜しくない。学校側でも禁止にしてくれないかな。
逍遥くらい遠くまで透視できる生徒はいないだろうから、禁止など意味をなさないのかもしれないけど。
溜息をつきながら、俺はサトルとともにホテルの中に入った。
譲司は生徒会役員になったので、今回行動を共にすることはできない。
なんでも薔薇6は全日本以上に生徒会がメインになり進行するため、もう、全日本とは比較にならないくらい忙しいのだそうだ。だから南園さんも見ていない。
生徒会役員は以前より1人減ったわけだから、忙しくなるのも無理はない。早く書記の子を見つければいいのに・・・と、俺が言えた口ではない。
以前の生徒会をぶち壊したのは、逍遥と、俺だ。
またそうやって考えてしまうと歩みが止る。
サトルが俺の面倒を見てくれて、キャリーバッグをガラガラ引っ張ってくれる。
俺たちがホテル内に入ると、キャリーバッグをフロントに預け終えた逍遥が立っていた。
「君たちも早く預けておいでよ。これから日程説明があるらしい」
「わかった」
俺とサトルはガラガラとキャリーバッグを転がしてフロントに急いだ。
もう、フロントでは生徒たちが列をなしている。
その最後尾に並びながら、サトルは少し興奮気味に語っている。
「今回チャンスが回ってくるかわからないけど、もし出場できたらベストを尽くそうね」
俺は全日本に出場してるからピンとこなかったが、サトルにとっては薔薇6がデビュー戦になるのだ。緊張しているのが見て取れる。
「そう力まないでさ。いつ出てもいいように2人でトレーニングしようよ」
「うん!」
本当に嬉しそうな顔だった。
あの出来事さえなければ全日本で活躍できたのに、という思いと、あれがあったからこそ、サトルは自分を振り返り反省することができたのだなという思いが俺の中で交錯する。
サトル自身がやっとここまで来たのだから、あとは思い切り動き回ってもらうだけ。
出る機会があるとすれば、ラナウェイかアシストボール、あるいはプラチナチェイス。マジックガンショットは出場3選手が皆9~10分台で上限100個のレギュラー魔法陣を撃ち落としているのだから、よほどの事故でもないかぎりメンバー変更はないだろう。
ところで、俺はマジックガンショット12~13分台で上限撃ち落としなのだが、サトルはどのくらいの実力なんだろう。
そう思うと、1度出てみて欲しい気もする。
黄薔薇高校あたりだと実力的にみて紅薔薇の方が勝っているようなので、そこでメンバーチェンジもあり得るかも。
生徒会がどう考えているか、譲司に聞きたいほどだった。
またもやぼーっと考えている俺。
フロントの綺麗なお姉さんに「おはようございます!」と元気に声を掛けられるまでその場に立ち尽くしていた。もうサトルは荷物を預け終えていた。
「早く早く」
急くサトルを尻目に、ゆっくりとした動作でしか動けない。
寝ていないのが辛い。
お姉さんが何を言ったのかもほとんど聞き取れなかった。
目の前が真っ暗になる目眩と、ザーッという激しい耳鳴りが俺を襲ってきた。
思わず、俺はその場に座り込んだ。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
何分そうしていただろうか。
暗かった目の前が段々明るくなり、耳鳴りも止んできた。
立ち上がろうとした瞬間、サトルでもお姉さんでもない声が聞こえてきた。
「海斗、どうした」
重くのしかかる声。
目を開けると、そこには父さんが立っていた。
薔薇6編 第3章
「海斗、立ちなさい」
目の前に現れた父さん。そして、その横で憤慨した顔をしている母さん。
俺はまた、リアル世界に戻ったというのか。
兆候などなかったというのに。
いや、前回のときだって戻り際にこういった兆候はなかった。前回は寝落ちしてリアル世界に戻り、耳鳴りがして向こうの世界に行ったんだった。
「海斗、聞いてるの?」
母さんのヒステリックな声が頭の中をぐるぐると回る。
その頃には、目眩も耳鳴りも止んでいた。
俺はのっそりと立ち上がる。
黙ったまま、相手の出方を待った。
「海斗」
父さんの声を聞くとともに、俺は時計を探した。
時計の針は、11時を指している。
父さんが仕事から戻った時間なのだろう。
あ、時間の流れ。
気になった。
父さんが何か言ってたけど聞き取れず、俺は時計を凝視していた。
俺は突然、父さんたちに聞いた。
「今日、何月何日」
「海斗、話を逸らすんじゃありません」
母さんのキンキン声。
父さんは何を言っていたんだろう。
「何?ごめん、聞こえなかった」
俺としては普通に話したつもりだったんだが、両親にとっては不良になった子どもくらいの認識だったに違いない。
父さんは、少し怒鳴り気味に声を荒げた。
「どうして学校に行かないことを黙っていたんだ」
ここは家の中で、どうやら俺はリビングにいるらしい。
今日がいつなのか気になってカレンダーを探したが見つからなかった。
仕方ない。父さんと話すしかあるまい。
「言えば『学校に行け』しか言わなかったでしょ」
「じゃあ、どうして行かなかった」
「あの学校が嫌いだったから。自分で決めて入った学校じゃない。父さんと母さんが勝手に決めて『入らされた』学校だ」
「入らされた?」
「そうだよ、最初は嘉桜に行きたいって言った。次は桜ヶ丘に行きたいって言った。どっちも蹴られて泉沢に入らされたんだよ。忘れたの?」
父さんは一瞬、目を伏せた。母さんも視線を脇に反らした。
でも父さんは、やおら俺を敵視するような目つきで見返してる。
「どうするつもりだ。明日から行くのか」
「どこに」
「泉沢学院に決まってるだろう」
俺は深く息を吸い込んだ。
もう、嘘は吐かない。
「泉沢学院は辞める」
母さんがキーキーとまるで烏が泣き叫ぶような声を上げる。
「あんた何言ってるかわかってんの。泉沢辞めてどうするの、高校中退なんてみっともなくて周りに話せやしない」
「それは母さんの都合でしょ。俺は来年嘉桜か桜ヶ丘受けるよ」
すると父さんが、ホントに、ホントに驚くようなことを言った。
「親のお金で高校に行かせてもらってるお前が意見できるとでも思うのか」
「は?」
「お前に選択の自由などない。お前は親のお金で高校に通う身分なんだ。明日からちゃんと泉沢学院にいきなさい」
あまりの言い草に、俺は腹が立つよりも涙が出てきた。
選択の自由がないだって?
どうしてこの人たちはそんなことが言えるんだ?
自分たちの玩具だとでもいうのか、俺が。
俺の意志、俺の個性、俺の未来。
全部含めて俺なのであって、選ぶのは俺じゃないのか?
「そう。俺の意志はどうでもいいわけだ。2人とも、自分たちの玩具があればそれでいいんだ」
「言葉が過ぎるぞ」
「そうですか。もう部屋に上がってもいいですか?」
俺は腹の底から怒りが増していた。梃子でも泉沢学院に行くとは言わなかった。何が悲しくて、自分の親に丁寧語で話さなけりゃならない。
俺は父さんたちの返事を待つことなく、2階にある自分の部屋に向かった。
もう、決めた。
この家で必要としているのは俺じゃない。言うことを良く聞く従順な人形。
さっきの会話で全て理解した。
今、俺が決めて泉沢学院に行くのなら孤独も我慢できる。でも、俺は泉沢学院だけは嫌だ。
親の金で行く高校を親が決めるってのは解り易い屁理屈ではある。でも、高校に行かない選択肢はない。おかしいだろ、それって。
親の金云々の話になるなら、高校に行かない選択肢があって然るべきだ。
俺は部屋に入るとスマホで今日が何月何日かを見た。
5月15日。
向こうの世界に行く前、ちょうど亜里沙が俺に連絡を寄越した日だった。
やはりリアル世界の時間は動いていなかった。
スマホと金の入っていない財布をリュックに入れた俺は、ジーパンと厚手のジャンパーに着替え、紅薔薇高校が舞台となった本を探したが、どうしても見つからなかった。
中から鍵を掛けて、仕方なく別の本を部屋の中で読む。
下で両親が寝静まったら、家を出るつもりだった。
ここにいても、俺は人形のように生きる屍になるだけ。
そんな屍などまっぴら御免だ。
スマホのアラームを午前3時にセットし、俺はベッドに横たわった。20時間以上眠っていなかったから、もう、疲れ果ててしまった。
もし俺がいなくなったとしても、首を吊ったとしても、あの両親は俺を無視して外向けの理由を探し続けるだろう。
早く向こうの世界に行きたい。
でも、簡単に行ける世界じゃないのも知っている。このまま俺はこちらのリアル世界で家出し浮浪者になる運命なのかもしれない。
こういう時に限って、時間の進みは遅かった。
俺はウトウトとベッドの上で船を漕ぎながら時間が来るのを待ったが、余りの疲労に少し眠ってしまったらしかった。
午前3時のアラームが鳴った。慌ててアラームを消す。
暗闇の中、音を立てないようにスリッパを履かずに靴下だけで移動する。
鍵を開け、そっと廊下に出た。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
部屋から出た俺を待っていたのは、広々とした、ライト輝くホテルの廊下だった。
ああ、またこちらの世界に来ることができた。
今回は耳鳴りも何もなく、こっちに戻ってきた。
一言でいえば、なんだかとても嬉しかった。
「戻ってきたのね、こちらに」
後ろに誰か立っていた。いや、声でわかる。亜里沙だ。俺は後ろを振り向いた。
「おう、亜里沙」
「あんたの波動が複雑になっててね、境界がアンバランスになってたから、もしかしたら、って思ったのよ。大丈夫、チェックインは明がしといたから」
「悪いな、明はいないのか」
「波動をチェックに行ってる」
「今度はスゲー展開だったよ。俺に高校決める意志はいらないんだとさ。まったく。俺は玩具じゃないつーの」
「家出するつもりだったんでしょ」
「まーな。第3Gの期限が終わっても、戻る家は無いわな」
「そう。なら、こっちで暮せばいいじゃない」
「俺はいいけど、お前と明は困るんじゃないの?」
「困らないわ。あたしたちは昔からこっちの人間だから」
はあっ?何気に爆弾発言なんすけど。
「何言ってんだよ、保育園の頃からの付き合いだろ、俺たち」
「あたしと明はあんたのSP役になるために魔法で身体を小さくしたの」
「なんだ、それ」
「あんたの第3G入りは生まれた時から決まってたのよ」
そうか、沢渡元会長がいやに俺を買い被っていたのは、亜里沙と明から話を聞いていたのか。それでこいつらが全日本の601にも簡単に出入りしてたわけだ。
亜里沙がいつになく真剣な顔をしている。
「それで、どうする?」
俺はこっちでも俺の意志ではなかったのかと思いつつ、半分呆れ、半分笑いが込み上げてきた。
「何をどうするってのさ」
「リアル世界に戻る気はあるの?」
「いや、向こうはもういい。戻ったところで泉沢学院に行かせられるだけだ。親の金で通う限り意見もしちゃいけない家なんて、戻る価値もない」
「そう。なら、壁を埋めるわ。もう二度と戻れない、それでいいのね?後悔しない?」
「後悔したとしても、それは自分の意志で決めたことだから」
「第3Gとしての特権も無くなる。それでも構わない?あんたの両親の顔も忘れる。それでも後悔しない?」
「特権なんてあったっけ?それに、どうやってあの親の顔忘れんだよ」
「あんたが知らないだけで特権はあるのよ。あとで徐々に教えてあげる。それとね、薬があるの。チオペンタール。元はリアル世界でテロリストが開発した薬と言われているけど。記憶喪失になるの」
「俺の記憶はまだしも、親の記憶は?」
「向こうの記憶も抹消するわ。あんたの部屋ごと消す」
スゲー荒業。
でもまあ、玩具がいなくなって寂しがるより、最初から玩具なんてなくていいんだ。
「OK。それでお願いするわ」
「じゃ、あとで薬持ってくるから」
亜里沙は踵を返して去っていく。今までの亜里沙の歩き方とはどこか違う。
ここにいるのはもう一人の亜里沙のような気がした。
薔薇6編 第4章
スマホ、財布、ジャンパーにジーンズ。
ジーンズ他着るものはクローゼットの中にあったからだが、財布とスマホはこちらには持ってきていないものだった。なぜ初めてこちらに来た時消えていたのかわからないが、今はこうして手元にある。
スマホは、電話としての機能はなくインターネットも見られないが、時計やアラームにのみ特化するなら、問題なく動いていた。財布の中身は・・・空だ。
ホテル内の部屋で色々考えた。
本当にこれでいいのか、後悔は本当にないのか。
親は、俺によかれとしてあの学校を勧めたし実際、あそこで踏ん張るべきだったのかもしれない。学校に行けば何かが変わったのかもしれない。
でも俺は、あの人たちの息子でいることに疲れてしまった。
気付かないうちは良かったんだ。でももう、気付いてしまった。気付きほど人生を変え狂わせてしまうものはない。
ここで決めたのも自分自身。自分の意志で何もかも決めていく人生。
そうだよ、俺は俺としての人生を歩みたい。
俺にはもう退路が無い。
第3Gの特権とやらが気になったが、まあ、なんとかなるだろう。もしかして、金目のことなら大変だけど。財布、空だし。
でも、たぶんこっちの世界を選ぶ第3Gは少ないんだろうな。
誰だって、親と暮らしたいと願うはずだ。
しばらくの時間が経った。自分で長く感じただけかもしれない。
ドアをノックする音とともに、沢渡元会長が姿を現した。
「山桜から事情は聞いた。本当にいいのだな」
「決心は変わりませんが、2,3点ほど、伺いたいことがあります」
「なんだ」
「第3Gの特権とはなんですか」
「一番の特権は競技会へのエントリーだ。同じ成績なら、学科生より第3Gを優先する」
「あとは・・・」
「生活面だな。第3Gは、学費や寮費まですべて免除される。第3Gを辞めれば免除でなくなる。だが、その分は奨学金で賄える。返さなくても良い奨学金なので、使いやすいだろう」
「小遣いは・・・」
「それも含めての奨学金だ。派手な生活はできないが暮らすのに支障はない程度の金額が支給される。我が校においては、アルバイトは禁止されている」
「魔法実技が試験科目とか?」
「そうだ」
「もうひとつだけ。新しい第3Gは来るのですか」
「中途になるから、もう今年はとらないだろう。そうだ、お前の制服など、必要なものは揃えておく。あとで山桜と長谷部に持たせるから、明日から制服の時はそちらを着るように」
沢渡元会長はゆっくりと立ち上がり、俺に会釈しながら部屋を出ていった。
行き違いに、亜里沙と明がワタワタとした足取りでノックもせず部屋に入ってきた。
「沢渡元会長から聞いた?」
「第3Gの特権と奨学金の話は聞いた」
「そう。じゃ、これから薬あげるから一気に飲み干して」
「お前たちの顔まで忘れたりしないだろうな」
「どうかなあ。人に飲ませたことないからわかんない」
「俺は人体実験の道具か」
「第3Gでこっちに根城を置く人がいなかっただけよ」
明もにこやかに頷く。
「忘れたとしても、俺たちが思い出させてあげるよ、幼馴染だっていうことだけ。昔の暮らしのことは全て忘れる。でも俺たちはずっとそばにいるから」
「いいよ、それで。お前たちが近くにいてくれるだけでいい」
寄越された薬は、飲み干すと言われたのでてっきりドリンク系かと思ったら錠剤だった。うげっ。昔から錠剤は苦手だ。
錠剤が一粒、それで記憶をコントロールできるなんて発明品だなと思う。ところで、副作用とかないんだろうな。
「これもねえ、初めての経験だからわかんなくて。なんかの副作用あっても薔薇6の試合日まではなんとかなると思うけど」
「頼りない幼馴染だな」
俺は微かに笑い、薬を手に取った。
まずはよし。
これで俺の人生の第二期が始まる・・・。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
目覚めると、俺はベッドの上で船を漕いでいた。
亜里沙と明が目の前にいた。眠気の混じった声で2人を呼ぶ。
「おう、亜里沙、明。お前らここで何してんの」
「あら海斗。目覚めた?」
「なんで俺座ったまま寝てんの」
亜里沙が首を傾げる。
「なんでかしらね。さ、下に降りて食堂いくかー」
明も一緒に立ちあがった。
2人ともどうしたんだろ。なにか変だ。
俺たちは全員、紅薔薇の制服を着ている。それに対し、俺は別に違和感がなかったし、2人とも粗探しをしない。
そのまま3人で食堂に降りた。
逍遥が目を瞬かせて近づいてきた。
「似合いだねえ」
何のことを言われているか分らない。
「何のことだ?」
「3人揃っている所が」
逍遥はそういって笑ったが、目が笑ってない。何か隠し事をしている。まあいい。逍遥は昔から隠し事だらけだ。
サトルも近くにきたが、亜里沙と明に遠慮しているようだった。
「どうした、サトル。遠慮しないでこっちきなよ」
「今日は止めとく。明日のミーティング午前9時だから忘れないでね」
普通なら亜里沙や明はこういうときどっかに消えてしまうのだが、今日はそばを離れなかった。
まったく、お前たちは昔からそうだよ。
・・・昔?
こいつらは幼馴染。でも、いつから一緒だったっけ。
そうだ、保育園。
母さんが働いてる俺は、1歳の時から保育園に預けられたんだ。
で、2歳になってから亜里沙と明が保育園にやってきた。
それ以来の仲というわけさ、俺たち3人は。
「なあ、お前たちの両親って働いてたんだよな、保育園預けるくらいだし」
亜里沙は少し考えてるようだったが、いつもの明るい口調で言葉が返ってきた。
「あたしのとこも明のとこも自営業だったからね」
「美容師とか?」
「そんなものね」
「うちは小学校の先生でさ。うるさい母親だったよ」
亜里沙の顔がそれとわかるくらい渋くなる。眉間にしわを寄せ、目を細めている。
なぜ?お前たち、母さんのこと知ってるよな?
「母さんのこと、昔から俺の家に遊びに来てたからわかるだろ」
明は黙ったまま、口を開かない。
「どうしたんだ、2人とも」
亜里沙と明はアイコンタクトをとっている。
なぜ?
「俺の両親のこと、知らないんだっけ」
亜里沙が思いっきりにこやかに俺の方を向いている。
「ねえ、海斗。あんたのお父さんて何してるんだっけ」
「しがないサラリーマンだ。帰りが遅いから小さい頃から話した記憶がないほど。なのに、高校生になったら俄然口出し始まって・・・」
「あんた、今までの生活忘れてないのね」
「何いってんだよ、忘れる訳ないだろ」
亜里沙は一旦苦々しげな表情になった。こんな亜里沙は初めてだった。
「じゃあ、今ここにいる理由は?」
「第3G、と。違うな、こっちに来ること決めて、第3Gを返上した」
「OH.NO!」
亜里沙が叫んでいる。お前はいつもどこかに向かって吠えるんだよ。今回はどこに向かって吠えてるんだ。
「副作用も何も、全然効いてないじゃない。プラセボでもあるまいし」
「プラセボ?俺、何か飲んだんだっけ。ああ、記憶喪失の・・・って、なんで全然効いてないんだよ」
そうだった。記憶喪失になる薬をもらって、一気に飲んだんだった。
なんで俺、記憶失ってないんだろう。なんで効かないんだ?
偽薬でもつかまされたんじゃないのか、亜里沙。
「わかんないわよ」
「しょうがないなあ。効かなかったものは仕方ない。第3Gから抜けたことだけ覚えてればいいだろ」
明が、むすっとしている亜里沙を横目に、俺を指さして笑う。
「海斗は昔より神経質で無くなったような気がする」
俺、神経質だったっけ?
そういえばそんなこともあったような。
性格が変わる薬だったのか?
亜里沙がなぜ焦ったのか察しがついた。両親の記憶も同時に抹消したからだ。
俺はもう、二度とリアル世界に帰れない。
「あー、こんなことなら並行して進めるんじゃなかった」
「いいよ、別に。ああいう親だし、こっちに来なけりゃ来ないで、家出してたと思うよ、俺」
「そうかなあ。大人になっても会えないんだよ、いいの?」
「構わないって。さて、今日の飯はなんだ?」
「ホテルのバイキング。どこでも似たようなものよ。何食べる?取ってきてあげる」
「じゃあ、焼肉」
「肉料理ね、了解。明は?」
「自分で選ぶ」
亜里沙たちは2人揃ってトレイを持ち、肉料理のコーナーに消えていく。
その時また、俺に向かって視線を発する動きが見られた。
今回が一番酷いというか、長かった。
制服を着てるから第3Gでないことは分るはずなんだが。それに、ここには1年はいない。やはり、2,3年から恨みを買っているようだ。
沢渡元会長に相談した方がいいだろうか。
いや、あの人は怒ると物凄く怖い。会長で無くなったといっても、影響力は以前同様だと思う。
沢渡元会長に相談するのは最後の手段として・・・。
なんで睨まれるんだろう。
俺が首を捻っているのを亜里沙が見つけたようで、料理を持ってくるなりしゃがんで上目遣いで俺の方を見る。
「どうしたの」
「誰かに睨まれてるんだ。全日本のときから。今日で5回目くらいかな」
「第3Gだったからかもね。あんた何気に目立ってたし」
「もう立場捨てたの、制服見ればわかんだろ?」
「うん。それなのに睨むってことは、相当恨んでるのかも」
「怖いこと言うなよ」
久しぶりに亜里沙と明と3人での夕飯は、とても楽しき時間を俺にくれた。
保育園時代からの思い出話に花を咲かせ、これからの紅薔薇生活に心馳せながら。
薔薇6編 第5章
今回の薔薇6戦。
瀬戸さんのようにある程度の知識を持った人間がいないから戦いにくいなと思っていたんだが、どうやらサトルはそういう方面にも長けているらしく、各校の情報を集めていた。
今回の開催校白薔薇高校は、全てにおいて中より上の力を要している。
土地勘もあるため、ラナウェイでは他校に対し、その力を遺憾無く発揮すると考えられた。
マジックガンショットは、白薔薇はおろか、どこも紅薔薇には勝てないだろうと言われている。
俺もそれは方々から聞いていた。
そもそも、マジックガンショットは紅薔薇のお家芸のようなものだ。これは逍遥が常から豪語している。
逍遥、ホントは10分切ってレギュラー魔法陣消せるだろう。それも上杉先輩よりも速く、驚異的な7~8分台で。なぜ力を抜くのか分らないが、本来の姿を見せたくないという秘密主義の表れか。
ああ、還元という言葉を前に使っていた。
だとすれば、還元するために必要でないから10分台という微妙な線で落ち着かせているのかもしれない。
サトルからの情報に戻ろう。
アシストボールも紅薔薇強しの声が上がる。
紅薔薇の鉄壁のゴールを破れるかどうかがキーとなる。
沢渡元会長は1年の時からGKに就いていて、腕はかなりのモノだと他の学校同士、2年前から噂しているらしい。
白薔薇高校のディフェンスも、突破するのは中々難しいと言われている。
紫薔薇と青薔薇には要注意。
この2校は、レギュレーション違反スレスレ、あるいは違反していることを知りながら攻撃をしかけてくる。
自己修復魔法を効果的に使用し、怪我を負うことの無いよう試合を長引かせずに決戦することが大事。
ラナウェイはどこが勝ってもおかしくない。
効果的な透視魔法があれば勝利に近づくのは確かだが、余所でそういう魔法を使える生徒がいるとは聞こえてこない。
紅薔薇が情報を外に漏らさないようにしているのと同様、各校でも情報管制を敷いている可能性は大きく、常に周囲を観察するよう心掛けること。
プラチナチェイスは、これは沢渡・光里の自陣を崩せるか、時間との戦いになる。逍遥は一発でボールを仕留める人間だから、各校とも、紅薔薇に自陣をキープされるのが一番嫌な展開になるだろう。
だからといって、白薔薇を初めとした他校にチャンスが無いわけでもない。
紫薔薇や青薔薇のように、激しいタックルや、ゲームが自陣合戦と化して反則しながら自陣を競り合う場合、総合力として紅薔薇を上回る可能性が無いでもない。
サトルからの情報を掻い摘んでいえば、そういうことらしい。
俺も思い出した。
全日本のプラチナチェイスでもそうだった。青薔薇の態度は不遜で、健全な高校生が行うスポーツとは言い難かった。
それが持ち味といって開き直られればそれまでだが、到底許せない範囲であり、チームとしての存在を問題視してしまうような部分も大いにある。
勝ちにこだわることと、傷害まがいのプレーをすることは同義ではない。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
翌日、借りたグラウンドで紅薔薇御一行様がさらっと各競技の通し練習をした。
そこで、サトルの実力は本物だということが判明した。俺が想像してた以上に身体が動いている。一人で黙々とトレーニングを積んできたのだろう。それに加え、180cm近い身長に60kgという、ぱっと見に痩せ型のサトルは、脱ぐと筋肉質で胸板が厚く、男の俺から見てもカッコいい。この胸板。ああ、俺が女子だったらイチコロだ・・・。
って、そんな冗談を飛ばしている場合ではない。
逍遥は体格等を別にしても魔法力が別格だから比較のしようもないのだが、サトルは1年魔法科の中では逍遥に次ぐ第2の位置をキープしているのではないかと思わせるものがあった。
だからこそ、あんな真似をしてまで一番でいたかったのかは不明だが、サトルの場合、少なくても先読み・ポジショニングに秀でており、ラナウェイに出場すれば勅使河原先輩以上のモノを披露してくれると俺は信じている。
アシストボールでも自分の役割を淡々と熟し、八雲のような自分勝手な動きは見受けられない。プラチナチェイスでも、チェイサーを任せてもいいくらいボールを探す時間はおろかラケットでボールを捕まえる動きも俊敏で、逍遥とは違ったタイプながら直ぐにでも実戦投入できそうだった。
マジックガンショットだけは少々苦手のようだったが、それでも上限100個の撃ち落としは15分台。並以上の力を有していた。
八雲なんて入れないで逍遥とサトルを出していれば、もしかしたらGリーグ予選、結構いいところまで行ったかもしれないのに・・・。
つい、タラレバを論じてしまう俺。
いかん。あのGリーグ予選があったからこそ、今の生徒会体制が発足し新たな紅薔薇が生まれようとしているんだ。
起きるべくして起きた、一種の事故みたいなものだったんだ、あれは。
ところで、俺はといえば、マジックガンショットで上限100個の撃ち落としが11分台前半まで成績が伸び、あと少しで10分台に乗る可能性が出てきた。俺の動きというよりは、デバイスの正確性が上がったのだと思っているんだが。
俺の透視術はあまり披露したくないと沢渡、光里間で合意しているらしく、ラナウェイで声がかかることは無くなったとみていい。ラナウェイに出場できるとすれば、先読み・ポジショニングに秀でたサトルだろう。
アシストボールでは俺は走れなくて役立たずだし、プラチナボールに出場の機会があるだろうか?出るとすれば、遊撃しかあるまい。陣形争いにはどう頑張っても加われない。吹き飛ばされてしまうと思う。
近頃は、練習しているときでさえあの視線が背中を裂くように動く。選手かサポーターに違いない。ギャラリーもいることはいたが、他校の選手たちが多く、彼らは単純に紅薔薇の情報収集を行っているのだと思われる。
やだやだ。
俺に対して言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに。
「お前は下手くそだから辞退しろ」
入間川先輩のようにはっきり言われる方が余程マシかもしれない。
傷つくけど。
そんな俺に近づいてきたのが、ギャラリーの中にいた本校のサポーター軍団。
俺はそのときマルチミラーをホテルに置いたまま練習場にきてしまったのでショットガンしか持っていなかった。
デバイスを見せてと言われた俺は、即座に1丁手渡した。特に変わったデバイスを持っているわけではないんだが、みんな俺のショットガンを手にとっては「へー」とか「ほー」とか声にならない声を発している。
たぶん、マジックガンショットで一定の成果を上げて段々記録が伸びていることで、デバイスが気になったのだと思う。自分の担当する生徒に使ってもいいかな、という先輩もいて、俺が休憩中は4人のサポーターの先輩がとっかえひっかえデバイスに触っていた。
亜里沙と明は、普段忙しいのは先輩方から頼まれたプログラミングを実行しているだけだと言ってた。でも今の状況を見ると、先輩方と俺のショットガンの間には何のかかわりも無いように見受けられる。
亜里沙も明も、解り易い嘘吐くようになったもんだ。
ただ、亜里沙に秘密裏に言われていたことがある。
「誰にでも見せるデバイスは2つ。あと1個、万が一の時に使うショットガンは絢人とあたしたちがプログラミングするから、絶対に人前で見せないこと」
亜里沙の考え過ぎのような気もするが、あの狂気とも呼べる視線は今回長崎入りした誰かが発していることを思えば、誰をも疑ってかからなければならない。
人を疑ってかかるのは、それだけで疲れる。
俺はあの両親に育てられた割には、脳天気なところがある。神経質と脳天気は両立しないって?
チッチッ。
これが両立するんだな。
たぶん俺、小さな頃は両親に可愛がられていたのだと思う。
保育園で亜里沙や明といるときは泥まみれで遊んでいたくらいだから別に神経質と言うわけでもなかったし。
それが、小学校のころかな、少しばかり偏差値が高いという事実に母親が気付き、そこから受験戦争に巻き込まれ、大学付属の中学や公立私立の中高一体型の学校を目指せとばかりに、小学校3年の時だったかな、塾に通うようになった。
そのあたりから母親は猛烈な教育ママになり、父親も母親に引きずられる形でそれを許容したんだな。俺が神経質になったのは其処からだったと記憶している。
ま、中学は全部落ちて公立に進んだけど。
昔話を今更語ってもどうにもならない。両親はもう、俺のことなど覚えていないのだから。俺の部屋ごと両親の記憶を消したと亜里沙が言ってた。俺もそうなるはずが、薬が効かなくて今までのことを全部覚えている。
でも、別に取り乱すようなことでもないし、俺は俺としてこれから生きていくわけだから、記憶が残ったままで良かったんだと思う。
そういえば、沢渡~光里間で俺の透視術を隠したがっているようだが、どうしてなんだろう。別に、全日本のロストラビリンスやラナウェイではそういう戦い方をしていたわけだし、それ以上もそれ以下もないと思うのだが。
ああ、第3Gで無くなった生徒がそういう技を繰り出すのが国内競技では禁止されているのかもしれない。
俺はもう、こちらの人間で、紅薔薇の一員になったのだから。
と、サブも入れて総合練習をするとグラウンドの向こうから指令が飛んでいる。
俺はやはりと言っていいのかどうか、マジックガンショットのグループに入れられた。サトルはアシストボール。
ばらばらにグラウンドに向かい、個々のグループに属する俺たち。
サトルの横顔を見ると、とても緊張しているように見えた。
先輩たちにばれないかちょっとヒヤヒヤしたが、サトルに向かって離話する。
「サトル。いつもどおりの力を出せばいいから、心配するなよ」
「海斗?さすがだね、ここまで届いてる。先輩たちに見つかりそうだからもう切るけど、君たちのお蔭で今があるから、出来る限りのことをするよ」
反対側のグラウンドを見ると、沢渡元会長が少しだけ口元に笑みを浮かべて俺を見ているような気がした。
やばっ、見つかったかな。
「離話は適当にして練習に励め」
遠く離れた場所にいる沢渡元会長の声。
やっぱり見つかっていた。
沢渡元会長の力は半端ない。俺は逍遥をいつも見てるからレベルに関しては目が肥えてる方だと思うが、沢渡元会長の魔法力は、逍遥と同等かそれ以上かも、といつも思っていた。全ての力を出し切っていない逍遥と、たぶんこれまた全ての力を出していない元会長を比べるなんて、ペーペーの俺には烏滸がましい限りではあるんだが。
俺は本校サポーター軍団からショットガンを返してもらい、総合練習している場所に向かった。
ギャラリーチームに交じり、今日も視線が熱い。と言うより痛い。
なるべくそっちの方向は見ないで、黙々と魔法陣探しに熱中する俺だった。
薔薇6編 第6章
1時間分の総合練習を終え、紅薔薇チームは宿舎であるホテルに引き揚げることになった。
どこから迷い込んだのか、白黒の地域猫が1匹、俺たちをホテルまで誘う。
最初は「ニャーン」と鳴くだけだったのに、いざ荷物を持って歩き出したら、俺たちに先んじてホテルの方に向かったというわけで、俺たちが別に迷子になったわけではないし、猫が頭いいんだと思う。
ホテルの前に着いたら、やはり使い魔であったのか、猫は姿を消していた。
今回のホテルは30階建で、薔薇6出場校が全員宿泊している。
そして5階が紅薔薇男子に振り分けられている。
譲司たち生徒会役員が詰めるのは7階の701号室。
また透視しようと思えば透視できるのだろうが、光里先輩、いや、光里会長は離話できるんだろうか。その前に、透視されたら見破るくらいの力を持っているんだろうか。
で、俺たちが透視できるということは、他校の連中も透視しようと思えばできるわけで。大丈夫なのか?情報規制。
逍遥は、透視する気満々でいる。
でも、なぜか集まるのは俺の部屋、503。
おいおい。向こうが透視返ししてきたら、バレるのはこの部屋じゃないのか?
段々と紳士らしさを失っていく逍遥。まったく。
503に集まっているのは、俺と逍遥、サトルの3人。
そこに口笛を吹きながら絢人が1人で現れた。
「やあ、絢人。忙しくないのか」
「1年で今スタメン張ってるのは四月一日くんだけだから、デバイスチェックも兼ねて遊びに来た。それに、出場機会のありそうな面々もここに揃い踏みだろうと思ってさ」
「亜里沙や明は?」
「あの2人なら701にいるよ」
俺の目は真ん丸になる。なんでサポーターの1年小僧が生徒会役員室に?
「あいつらサポーターだよな。701に用なんてあるのか」
「あ、余計な事言っちゃったかな。あの2人は魔法技術科に属してはいるけど、ブレーンだから生徒の受け持ちとかはしないんだよ」
「ブレーン?」
「あ、またまた余計な事言っちゃった。そう。生徒会のブレーン。どちらかといえば、戦術的なことや現状把握について生徒会役員と相談したり、戦術を立てたりする重要な立場にあるんだ」
俺はあんぐりとするし、逍遥はケタケタと笑っている。サトルだけが、何のことかわからないといった表情で皆の顔を代わる代わる見ている。
逍遥が一言だけ口にした。
「ブレーンねえ」
「そう。四月一日くんなら意味わかるでしょ」
「反対に海斗やサトルはわかってないみたいだけど」
急に話を振られても、俺も困る。
「今までずっと幼馴染としてやってきたから、今更あいつらが何者であっても驚きはしないと思ってたけど、紅薔薇のブレーンってのはさすがになあ」
「それも仕方のないことだよ。黙っててくれと言われてたんだけど・・・喋っちゃった」
申し訳なさそうに絢人は下を向く。
でもこの男、性格は逍遥に似ていると見た。
「うん、別に構わない。あいつらをこれからも信じていくだけだから」
隣でサトルが目をウルウルさせている。
「君は強いなあ。僕だったら嘘つかれてたと思って後ろ向きになるかもしれない」
「向こうの世界を混ぜると12年ほどの付き合いだから、何があっても。ま、敵と言われたら“なんでー”って思うだろうけど」
逍遥は“嘘”という言葉に敏感に反応した。
「嘘は1度吐いたらそれを隠すために何度も塗り固める必要があるからね。でも、こっちに来てから不思議な現象があっただろう?今まで」
「まあ、俺だけくるなら未だしも、あいつらまでついて来たり、普通科じゃなくて魔法技術科だったり、ましてやサポーターと聞いて“できんの?こいつらに”とは思ってた」
絢人がバタバタと右手を大きく振る。
「あの2人の戦術の立て方やプログラミングの腕は、今の3年でも追いつかない程正確無比なんだ。魔法技術科でもみんな一目置いているよ。先輩方だってそうだ。それが君専用のサポーターになったから、余計君は目立ったというわけ」
「え、そうだったの」
「うん、内緒だよー。これ話したって聞いたら拳骨くるから」
「拳骨は亜里沙の専売特許だ」
皆であっはっはと笑っていると、耳の奥で亜里沙の声が聞こえた。
「隠したって無駄よ。絢人に言っておいて」
亜里沙はどうやら、離話までできるらしかった。
それには俺もすっかり驚いてしまった。
「お前、透視できんの?離話までできんの?」
「まあね」
「どうりで俺のことわかってたわけだ」
「年から年中透視してるわけないじゃない。朝だけよ、今日も学校行かないのか、って」
「そういえば寝てる日に限って電話あったな」
「嘘吐くのはあんたと同じで嫌いなんだけど、こればかりはね」
「明も透視とか離話できんの?」
「明はあたしよりすごいよ」
「うへえ、あとで話してみよーっと」
「こっちのミーティングが終わってからにして」
亜里沙の声は消え、俺の前に3人が集い不思議そうな顔をしていた。
逍遥が先陣を切る。
「今のは山桜さんだよね、彼女離話までできるんだ」
俺が明の顔真似をする。いたってクールに。
「明はもっとスゲーらしい」
「大したものだよ、魔法技術科には勿体無い」
「それって絢人に失礼じゃないか?」
「そうかい?山桜さんと長谷部さんは特別だと思うけど」
サトルがこちらを見て、首を竦める。
「今年の魔法技術科は、魔法科よりも魔法に優れてる人が多いみたい。どうして魔法科にこなかったの」
逍遥と絢人が同時に話し始めた。
「八雲は抜いてくれよ」
「魔法技術開発は、これからの世界にとって必要なものだから。昔は人さし指ひとつで魔法を使えていればそれで良かったけど、今は違う。デバイスを経由してもっと魔法力を上げることができる」
逍遥は頷きながらも反対意見を述べる。
「実戦における魔法力は、デバイスだけではどうしようもできない。元々の能力がなければいけないと僕は思う。伸びしろの無いデバイスで上がりきってしまったら、実戦ではお終いなんだ。でも身体的能力は留まるところを知らずに伸びていく。海斗が良い例だ。今は飛行魔法もバングルなしで10mまで浮き上がるくらいだから」
サトルと絢人は驚きを素直に表現する。
「えっ、そうなの?」
「すごいじゃない、海斗」
「そうか?照れるな~」
俺をサカナに議論を始める3人。どうやら701の透視は止めたらしい。
ところで、俺としては各校の情報規制が気になる。こうやって話してることが透視に寄り他校にも知れるんじゃないのか?
その疑問にいち早く答えてくれたのは逍遥だった。
「大丈夫」
逍遥によれば、このホテルでは2~4階、5~7階、8~10階、11~13階、14~16階、17~19階に分れて情報を遮断するバリアが張り巡らされており、他校(ほか)の生徒会役員室や各部屋などへの透視はできなくなっている。
ただし1階の食堂や20階のパーティールームでは情報遮断の措置はとっておらず、九十九先輩のいうとおり、食堂で自校の戦術や上層部への異論、他校の誹謗中傷などを言っていると即座に透視されてしまう。
俺は九十九先輩と勅使河原先輩に耳を引っ張り上げられ怒られた時のことを思い出した。
「やっぱり九十九先輩の言うとおりだったか」
逍遥は平然としている。
「1階と20階で言わなければいいということさ」
サトルはのみの心臓に近い。
「5階から7階の中でもまずいんじゃないの」
「大丈夫さ、実を言えば、3年生は皆が皆、魔法力が強くなるわけじゃない。持って生まれた素質が物を言うんだよ。魔法競技について言えば、あれは反復練習で何とかなる程度のものでね」
絢人も 逍遥の意見に賛成している。
「逍遥の話は大袈裟だけど、3年生が魔法競技に関して上手に見えるのは練習を積み重ねているからだという話は本当だね」
「透視は使える人が少ないのも事実なんだ。事実、瀬戸さんは巧く使えなかっただろう?」
「でも透視は身体的な能力に他ならない。実際、海斗はこっちに来たばかりなのに上手に使えていた」
「あれを見た3年や2年は、君のことを警戒したと思うよ」
サトルはようやく、会話の中に入ってくる。
「ああ、君を睨んでいるのもそういう3年や2年の選手かもね。自分は何年経っても透視ができないのに、君は一発で熟してしまったから」
絢人が腕を組んで俺の方を向いた。
「睨まれてる・・・?」
「実はね」
俺は今までの経緯を簡単に絢人に話した。全日本の宿泊時から始まり、紅薔薇での昼食や長崎に来てからも嫌な視線が続いていることを。
「最初は八雲かと思ったけど、今回の場合、八雲は長崎に来てないだろ?だから2,3年の誰かかなーって思ってた」
絢人はそのまま腕組みをしながら、右手で口元を押さえている。
「それ、山桜さんや長谷部君に話した?」
「いや、あいつらも忙しいだろうと思って。全然会う機会も無かったし」
「僕が後で話しておくよ。なんか嫌な予感もするし」
俺は笑いながら左手をぶんぶんと振る。
「睨まれてるだけだって」
絢人は急に真面目な顔になった。
「ショットガン、今日の昼に先輩たちに貸してたよね」
「ああ」
「今預かっていく。あと、絶対に見せてはいけないと言われた分は、見せてないだろう?」
「もちろん」
「あれは人前でなるべく使わないようにして。試合中に事故が起きて他の2つが使えない時だけ使うんだよ」
「そんなにまずいのか」
「他のデバイスでは組んでいないプログラムなんだ。紅薔薇の中でも限られた人間しか知らない。だから、むやみやたらに使うのだけは止めると約束してくれ」
「いいけど、なんでそう難しいプログラムを使ってるデバイスを俺が持つんだ?」
「君でないと使いこなせないからだよ」
「逍遥とかサトルでも無理なのか?」
「この2人なら、別バージョンのデバイスを持ってるから」
聞いてない。
俺は逍遥とサトルを交互に見つめ、はあっと大きく息を吐き出す。
「それは聞いてなかったな」
逍遥は、なおも平然としている。
「君に話せば山桜さんに話すかもしれないと思ってねえ」
サトルは申し訳なさそうにしている。
「沢渡元会長から急に呼び出しがあって、1人で伺ったんだ。その時渡されて、他の人には言うなって」
逍遥と絢人が可笑しいといった顔をして互いの身体を突きながら笑う。
いや、そこ、笑うとこじゃないから。
俺は、デバイスなんてみな同じだと思っていた。プログラムが同じショットガンを2~3丁持つだけだと。
だから、亜里沙たちが忙しそうにしているのを見てもピンとこなかったのが事実だった。
やっと、目の前を覆っていた濃い霧が、ギラギラとした太陽に照らされて晴れていくような感覚に、背骨がピン、と伸びた自分がいた。
薔薇6編 第7章
それから1時間くらいなんだかんだとお喋りをしたあと3人が帰り、部屋の中はガランとなった。
最初は透視でもやらかしてまた怒られる羽目になったらどうしようと気を揉んでいたので、それに対する危惧は徒労に終わった。
しかし、かなりな爆弾発言が飛び出した。
亜里沙と明の正体だ。
宇宙人と言われても別に構いはしないんだが、あいつらがそんなに高い地位についてるのが何となく不思議で。今まで同じようなレベルだと思っていたから。
事実、向こうの世界では、明は泉沢を一緒に受験して落ちていたし、亜里沙も泉沢女子校を受けて落ちていた。
それがこっちにきたら、『生徒会のブレーン』。
表立った生徒会役員ではないものの、陰で生徒会を牛耳るような立ち位置にいる。
うへえ。
なんか、嬉しいような寂しいような。
あいつらが突然高みへ飛んで行ったように思われて。
でも、きっとあいつらは変わらずにいてくれるはず。六月一日先輩のように、地位に執着し会長に阿る人間にだけはならないでほしい。
今、俺が言えるのはそれだけだ。
と、またドアをノックする音が聞こえる。
デバイスは絢人に渡したし、逍遥やサトルの忘れ物もないはず。
誰だろう。
また誰もいないなんてオカルトめいた展開にならないだろうな・・・。
知らんぷりしようかな。
どうしよう・・・。
でも、そこで知らんぷりできないのが俺の性格。
万が一誰かが来ていたら、と思うと居留守を使えない優しい俺。
「はーい」
声を出すと、またノックする音がした。
ドアのところまでパタパタとスリッパで走り、そっとドアを開けた。
・・・。
誰もいない・・・。
や、止めてくれーーーーーー!!
前にも言ったが、俺は幽霊とお化けが怖いんだ。
もう、ダメだ。
逍遥に話して策を練ってもらおう。
俺は部屋を飛び出し、逍遥の泊まっている507のドアをドンドンと何回も叩いた。
「はーい」
逍遥がのんびりと出てくるかと思いきや、そこにはなまはげの仮面をつけた人間がいた。
「ぎゃーーーーーーーっ」
驚きのあまり、気を失いそうになる俺。
「あ、ごめん、海斗」
確かに逍遥の声だ。
「ゴメンじゃないよ!もうチビリそうになったぞ!」
「ごめんごめん。で、どうしたの」
「俺の部屋でオカルト現象が起こってる」
俺は、全日本の時と今さっき、ドアをノックする音が聞こえたのに開けると誰もいないことを説明した。焦っていて、かなり言葉足らずだったらしい。
「で、廊下は見たの?」
「見たさ、でも5階には誰もいなかったんだよ」
「うーん。そういう系統は僕ではダメだなあ」
そうだよね、魔法でどうにかなるならとっくに俺が何とかしてる。
「たぶん、誰かが古典魔法で式神を作って君の部屋に飛ばしてると思うわけ」
「式神?古典魔法?」
「呪術とか陰陽師とか、そっち系統。誰か詳しい人いるかな」
俺と逍遥が廊下でワイワイやっているのがうるさかったらしい。
誰かが俺たちの方に近づいてくる。
そこに現れたのは、2,3年の先輩サポーター4人だった。
2年の広瀬翔英先輩、同じく2年の宮城聖人先輩、3年の若林正宗先輩、3年の千代桜先輩。
若林先輩が一声を発した。
「どうした、四月一日、八朔」
宮城先輩も同調する。
「廊下がうるさいから点検にきたんだが、何かあったのか」
幽霊やお化けが怖くて部屋を飛び出してきたとはさすがに言えない。恥ずかしくて。すると逍遥が俺に代わって返答してくれた。
「八朔くんの部屋で怪現象が起きまして。ノックする音がするのにドアを開けると誰もいないのだそうです」
・・・。
先輩たちは一呼吸置いたかと思うと、ぎゃははと腹を抱えて笑い出した。
だから嫌なんだ、人に話すのは。
「で、八朔は怖くて四月一日の部屋に逃げてきたのか?」
宮城先輩が笑いながら俺を指さす。
「ええ、まあ・・・」
で、また先輩たちは笑い出す。
しばらく笑い転げたあと、先輩たちはようやく真面目な顔になった。
「じゃあ、503に行ってみるか」
若林先輩がやっと俺の気持ちをわかってくれたのか、俺の部屋に向かって歩き始めた。
じっと扉をみる先輩方。
「どれ、炙り出してみるか」
千代先輩がふっと息を吸い、静かに吐きだす。
すると小さな小さな透明に近い白色の妖精のようなものがドアの周りを動き回る。
妖精たちは、次第に赤色に替わりチカチカと光り出した。
それを見た先輩たちの顔色が変わった。
もちろん、逍遥も。
千代先輩が皆に聞えるかどうかの低い声で俺に問う。
「八朔。お前誰かに妬まれたり恨まれてたりしていないか」
うん、たぶん。
誰かまでは予測不可能だけど。
「横浜にいる1年の中には僕を恨んでいる人もいますが、ここでは・・・」
「横浜からこちらに術を飛ばせるような1年はいないだろう。どちらかといえば、長崎にいると思った方がいい」
「術?」
千代先輩の実家は古くから続く陰陽師の家系で、その陰陽道と魔法をかけ合わせた新しい道を千代先輩は模索しているのだという。
「長崎に来ている人間から恨みを買う覚えは?」
「特に何もないと思いますが・・・少なくとも1年の中では」
「2,3年は?」
「お会いする機会も少ないですし、ただ、僕に対し厳しいお考えをお持ちの方は沢山いらっしゃるかと」
「そうだな、色々な意味で目立ち過ぎの部類ではあるな」
千代先輩は眉間にしわをよせた。
やはり、2,3年の先輩方は俺に対しある種の嫌悪感というか、嫉妬というか、複雑な感情を抱いている人も多いのだろう。
宮城先輩が、慰めるように俺の右肩を叩く。
「千代先輩に、ドア付近に札を書いてもらって貼るといい。内側に張るだけでも結界になる」
千代先輩も心配するなと俺を励ましてくれた。
「じゃあ、今部屋に戻って書いてくるから、君は四月一日の部屋にいてくれ」
広瀬先輩は、皆に交じりはするものの何も語らず、じっとその様子を見ていた。
逍遥の部屋に急遽避難した俺は、誰かに妬まれ恨まれているという事実を実感できないでいた。
「俺、そんなに恨まれてたのか」
逍遥はいつでも冷静沈着。八雲のことを除けば。
「2,3年の誰かだろう。1年の中には君を恨む人間はいないよ、八雲以外は。八雲はこちらに来ていないからね」
「となると、誰だ?」
「選手かサポーター、どっちかだね」
「俺としては、選手の方から恨みを買いやすい気はするんだけど」
「いずれ、君がきたことで不利益を被った人間がいるはずだ。そいつの仕業に違いない」
30分もしないうちに、千代先輩はお札を書き、逍遥の部屋に持ってきてくれた。
3人で503の部屋に行き、俺は鍵をかけないで逍遥の部屋に逃げたことを知り、猛反省した。こういったホテル内での泥棒行為は後を絶たないのだそうだ。
千代先輩は、ドアの内側の四隅にセロハンテープでお札を張ると、何やら呪文みたいなものを唱えて数珠を鳴らす。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん!」
あのー、セロハンテープなどという文明の利器で貼ってもいいんですか・・・。
千代先輩曰く、本当は色々とあるそうだが、今現在、できることはこれしかないという。
「剥がさなければ大丈夫。さ、これで薔薇6期間中はこういったこともないだろう。ゆっくり休め。横浜に戻ったら、寮のドアにまた書いてやるから」
といわれても、ホントにあの音がしなくなったのか心配で、しばらく寝付けなかった。
薬を飲めば薬物検査で引っかかる恐れもあるし、痛し痒しで布団にもぐる俺。
結局寝たのは明け方の5時。
朝7時に逍遥に叩き起こされ、またあれかとビビりながらドア付近まで行くと、逍遥が高らかに「おはよーっ!」と廊下の真ん中で叫んでいる。
俺は慌ててドアを開けた。
「眠い・・・」
「君のことだ、寝つけなかったんだろう」
「まあ、そんなところだ」
逍遥は人を小馬鹿にしたようにくすくす笑って、俺に着替えと洗面を要求する。
「とにかく、下の食堂に行こう。サトルも誘ってくる。譲司はどうする?」
「向こうも夜遅いみたいだし、近頃は生徒会役員と食べてるみたいだよ」
「何かしら情報持ってないかな」
「あったとしても食堂で話さないだろ」
逍遥の脳天気さには、もう笑うしかない。
俺が着替えている間に、逍遥はサトルを呼びに行くという。
せかせかと着替えている間、ひょいと亜里沙や明のことを思い出した。
あいつらがブレーンと呼ばれる立場にいるのなら、もう親しくすることはできないのかな。俺、第3Gじゃなくなったし。
これからどういう態度取ればいいんだろう。
あー、悩ましい。
俺があーでもないこーでもないと必死に考えている間に、着替えたサトルと逍遥が俺の部屋のドアをノックする。昨夜の件もあり、ノックの音に敏感に反応する俺。
「誰?」
大声を出すと、向こうから帰ってくる。
「逍遥とサトル!!」
安心しながら、ドアを開ける。逍遥、被り物だけはしてくれるな。心臓が止まる。
サトルが俺を急かす。
「午前9時からミーティングだから早く食べないと」
まだ午前7時半前じゃないか。
サトルは神経質だからな、昔の俺がそうだったから良くわかる。
今の俺はといえば、少しだけ呑気になったような気もするし、そうでないような気もする。でも昨夜のことを考えれば、まだまだ俺の神経質細胞は元気なのかもしれない。
とにかく腹ごしらえをしようと決め、3人で1階の食堂に降りた。
ホテルの朝食はお定まりのバイキング方式。
俺はいつもどおり、パンとサラダと野菜ジュース。今日はスクランブルエッグも追加してみた。
逍遥とサトルは、2人とも、ご飯に味噌汁に魚と野菜のお浸しと卵焼き。
ゆっくりと噛んで胃の中に流し込み、胃と食物が喧嘩しないように中和する。
サトルは少し焦っているのか、時間を気にして早く食べていたが、ミーティングまであと1時間以上ある。ましてや、逍遥以外に試合に出る1年はいない。もう少し余裕を持って食することを推奨したい。
午前8時。俺たちはようやく席を立ちトレイを下げて食堂を出た。食堂の中では、九十九先輩に言われたとおり情報に繋がるような会話は避けた。ミーティングまでの間、逍遥の部屋で少し話そうかと俺が提案した。
サトルは俺の部屋のお札が見たかったらしいのだが、いつ何時(なんどき)効力が失われるかもしれないので、俺は首を縦に振らなかった。残念そうな顔をするサトルだったが、こればかりは譲れない。
早速507に皆で入る。いつも逍遥の部屋は整理されていた。ベッドに逍遥とサトルが座り、俺は椅子に腰かけて作り付けのライティングデスクに肘をついた。
試合日程をほとんど覚えていない俺。自分が出ないから興味がないというのが本音でもある。
「今日から試合か。種目は何だっけ」
「今日は午前中に開催式典と、午後から白薔薇との対戦でアシストボール。海斗、君、どうせ自分が出ないと高括って、日程忘れてるだろ」
逍遥の手痛い一撃を食らって、弁明の言葉もない。
「バレた?」
「君は顔に出やすいといったじゃないか。気を付けるんだぞ」
サトルはそんな俺たちの会話を聞いて口に手を当て笑っている。
「あ、サトルまで。ところでその仕草、女子っぽくないか?」
「海斗、なんて失礼な。僕は男子中の男子だよ。君らの会話が可笑しかったんだけど、目の前で笑ったら海斗が傷つくと思ってああいう仕草になっただけだ」
逍遥はサトルの横に座っていたため仕草を見ていなかったようで、もう一度やってくれと頼むがサトルが拒否する。
「ケチ」
「ケチで結構。見たら笑うに決まってる」
「うん、たぶん笑うと思う」
そんな軽いやり取りをしている間に、時計の針は、もう午前8時50分を指していた。まずい、ミーティングに遅れる・・・。
俺たちは、あたふたと逍遥の部屋を出た。
ミーティングは701と702の壁を取り払った、広い会議室で行われる予定だ。
701のドアを開けると、ほとんどの選手やサポーターが集まっていた。俺たちは静かに下を向きながら横に進み、一番後ろの席に座った。
「おい1年。遅いぞ」
九十九先輩の声だ。あちゃー、見つかっていたか。逍遥はその気もなかったみたいだが、俺とサトルは平身低頭で謝意を表現するとともに、逍遥の頭も押さえつけて礼をさせた。
すると、沢渡元会長が九十九先輩を嗜める。
「九十九。俺たちは後輩に最低限の規律を伝えていかなければならない責務があるが、上意下達を原則とする生徒会はもうない。必要以上に後輩を叱咤しなくてもよかろう」
「会長・・・」
「俺はもう会長ではない。ただし、責務を背負っていることは確かだ。正しいことを正しいと声を上げ、紅薔薇を良い方向に持っていくよう、後輩を見守る責務が。八朔や四月一日、岩泉。これからはお前たちの時代だ。紅薔薇が今以上に良くなるよう、意見を出し合って欲しい」
逍遥が直ぐに反応し、沢渡元会長に向かい、二度、頭を下げた。
「正しいことを正しいと言うためには、己の行動を律する必要があります。本日はミーティングの場とはいえ、大変申し訳ありませんでした」
沢渡元会長は逍遥や俺たちから視線を外した。
「もういいだろう、座れ」
「恐縮です」
逍遥がすっと椅子を引き座る。
俺とサトルも逍遥を真似て椅子を引いた。
薔薇6編 第8章
今日朝のミーティングでは、各薔薇高校の紹介、平たく言えば情報収集の結果を纏めたワンペーパーが配布された。
サトルが集めた情報とほとんど変わりがない。
どうやって高校ごとの戦い方を変えるかが示されていた。
この戦術を亜里沙と明が作ったのかあ。
まったく、最初から話してればいいものを。
でも、いいか。
必要悪だったのだろうから。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
白薔薇高校
今年の薔薇6事務局。
長崎県長崎市。
全体的に基礎魔法力の高い学校。6校の中での実力は中の上。
アシストボールが得意種目。
DFとGKの働き如何で試合の勝敗を決することになるので、カウンターを放ち縦パスを有効に使うことで相手を攪乱(かくらん)し点数に繋げること。
ラナウェイは土地勘に勝るため今回白薔薇高校は有力校になる。
マルチミラーを効果的に使用し、相手の足元を注視しながら競技を有利に進めること。
その他は特に注意事項無し。
青薔薇高校
長野県アルプス市。
アウトローな学校で、ラフプレーを得意とする。
特にアシストボールやプラチナチェイスではレギュレーション違反が多く、相手校に怪我人を出すこともしばしば。
こちらもイエロー寸前のラフプレーで応戦のこと。
そのためには、レギュレーション違反を取られない程度のイエロー寸前のラインがどこにあるか、練習によって確認すること。
また、相手のレギュレーション違反により怪我をする確率が高いので、プラチナチェイスやアシストボールについては、怪我をしないよう都度自己修復魔法を掛けるか、事前に無効魔法をかけておくこと。
自己修復魔法や無効魔法の掛け方が分らない選手は、サポーターに確認しておくこと。
紫薔薇高校
鹿児島県指宿市
青薔薇に次ぎアシストボール等でのラフプレーが多い学校で有名。
ただし、こちらはレギュレーション違反よりも、相手校にレギュレーション違反をさせるよう仕向けている。
この学校に相対したときはラフプレーよりもルールに沿った王道プレーで対抗すること。
特に強い種目はないが、どこでラフプレーが出るか分らないので注意しながらプレー続行のこと。
その他の種目では目立った箇所無し。
桃薔薇高校
愛知県名古屋市。
再来年の薔薇6事務局。
薔薇6対抗戦では決して目立つ方ではないが、全日本には連続5年出場している。
得意種目はなし。まんべんなく種目をこなす学校と言える。
しかし、油断は禁物。知らぬ間に自分たちのペースに持ち込みプレーする傾向が見受けられるので、全ての種目につきペース配分をしっかりと構築すること。
黄薔薇高校
兵庫県神戸市。
来年の薔薇6事務局。
薔薇6の対決では下位に甘んじることが多いが、全日本にシードで連続出場できるくらいの力を持つ学校。
得意種目は特にないが、時折畳みかけるように攻撃してくるときがあるので注意。
一瞬での立場逆転形成にならないよう、周囲に目を配ること。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
全体ミーティングは1時間ほどで終了し、正選手のみが集められ午後からの日程に沿った形で個別ミーティングに割り当てられた。
逍遥は午後の試合に合わせ、早めに昼食を摂るらしい。
俺とサトルはお腹が空くわけでもなかったが、逍遥に合わせ軽く食事を摂ることにした。
俺は深く考えることなくスパゲティに手を伸ばした。
そこで今度はスパゲティ談義が始まる。
初めに話し出したのは逍遥だ。
「試合の前に食べるなら、クリームスープ系は止めた方がいい」
正しくクリームスープスパゲティに手を伸ばそうとしてた俺は、逍遥の一言で手が止り、悩むことになる。
「どうしてさ」
「口や胃の中にクリームスープが充満する」
その言葉を馬鹿にしたわけではないのだが、あまりに根拠のない発言にちょっぴり閉口した。
「じゃあ君なら何を食べる」
「ボンゴレビアンコ」
「油脂分を考慮に入れれば、それだっておかしい」
「スパゲティはすぐに血糖値を上げないから、スポーツ選手にとって試合前の昼食にはスパゲティが一番適してるのさ」
「ホントか?」
「記憶は曖昧だけど、小さな頃にTVで観た」
「ソースは記憶にない、か。でも考えてみれば、朝と違ってスパゲティの種類は多いな」
そんな俺たちの会話など露知らず。サトルはひとり悠々とサンドイッチと牛乳、トマトサラダをチョイスしている。
悩んだ末に、俺はスパゲティコーナーを離れた。
「俺もそっちにするわ」
「海斗、朝もパンだったのに昼も?少し米類食べた方がいいんじゃない?」
「腹に入ればなんだって同じさ。米は夕食で賄うよ」
俺の食べることへの執着のなさに呆れ顔のサトル。
そこに、譲司が入ってきた。顔を見るのはいつ以来だろう。
「久しぶり、海斗。こちらは・・・岩泉くんか」
「譲司、紹介するよ、こちらはサトル」
譲司は頭の中にクエスチョンマークが並んだような、いかにもぽけっとした顔をする。
「サトルが君を譲司と呼んでもいいか?」
我に返った(と思われる)譲司は、サトルを歓迎する、といった顔をしてあははと笑う。
「OK。ところでサトル、明日の午後辺り、アシストボールに出てみないか」
サトルは顔を紅潮させて目を見開いた。
「いいの?僕が出ても」
「光里会長と沢渡元会長の許可はとってある。君の練習風景は素晴らしかった。明日の午後は黄薔薇高校が相手だし、気楽にできるんじゃないかな。ポジションはDFで構わない?」
「どこでも!僕が役に立つのなら!」
「よし、っと。海斗はマジックガンショットの練習に励んでて。君が出るとすればそれになると思うから」
「OK。ところで、食堂で話してていいのか?」
「大丈夫。スクランブルかけてこの部屋との回線を遮断してある。紅薔薇高校魔法技術科十八番の基礎魔法さ」
譲司は俺たちのテーブルから離れ、他のテーブルに交渉しに行った。生徒会副会長とは、本来、こき使われる立場なのだな、大変そう。
それに比べ亜里沙や明はフィクサーよろしく701で踏ん反り返っているんだろうな。ブレーンだって。なんか可笑しくなってくる。
「ね、DFのスタメンって光流先輩だよね。練習見ててもシュート止めたりしてすごかった。僕が入ってあんな風に連携できるかな」
サトルは基本神経質なんだろう。昔の俺によく似てる。
「サトルなら大丈夫さ。DFの働き、わかってんだろ」
「基本的に守備だよね。ボールを追いながら相手陣地に入ることもあるけど」
「それが判れば大丈夫。八雲は酷かったからなあ」
「Gリーグ予選のこと?内緒だけど、あれは内部からかなり顰蹙かったみたい。普通科の生徒がPV見てて生徒会を罵ってた。なんであんなやつ出場させるんだ、って」
「そりゃそうだと思うわ、俺も。逍遥なんて退学覚悟で進言しに行ったんだぞ」
「何を進言しに?」
あ、ヤバイ。
俺と逍遥がサトルのことを進言して返り討ちに遭い、逍遥と沢渡元会長が喧嘩腰になって八雲を出場させたあの事件をサトルに知られてはならない。
だって、いまですらこんなに蚤の心臓なのに、あの当時のこと話したらまた泣き出しかねない。
サトルよ、もう少しだけ自分に自信を持ってくれ。頼む。
なんか。本当、サトルの中にこれまでの自分を見てしまう。俺も周囲から見たらこうだったんだろうなあ。
亜里沙や明は中学の時毎朝迎えに来てたっけ。よほど俺が蚤の心臓に見えたに違いない。
俺自身、毒親から逃げ出し今はこっちの世界にいるわけだが、親と俺、どっちが正しいとも言えないような気がしてきた。
俺が生きてきた世界では魔法なんて超常現象に見られてただけで、信じる人はまずいない。でもこっちでは魔法が当たり前。
俺は魔法が使えるのをいいことに、こっちの世界に逃げた。
逃げたことそのものに後悔はないけど、泉沢学院という高い高い壁にぶち当たった時、なぜ越えられなかったのか、なぜ越えようとしなかったのか、悔いが残らないと言ったら嘘になる。昔の俺なら色々と屁理屈こねていたんだろうけど、今の俺は段々悔いることを覚えてきた。
今夜は、久々のなぜなぜ時間が始まりそうな予感がする。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
午後からのアシストボール。
俺はリアル世界のサッカーW杯で、日本が他国にオフサイドトラップを仕掛けた場面を見て、驚愕と歓喜の思いで叫びたい気持ちになったことを思い出した。
当時はもちろん夜中。スマホでの視聴。
テレビは部屋に置いてもらえなかったし、夜中に起きてサッカー見てるなんて知れたらそのまま朝までお説教パターンが待っていた。
色々とリアル世界のことが思い出される今日この頃。
決してあの親の元に戻りたいわけではないのだが。
「あんたのことだもん、あとから後悔するに決まってるでしょ」
離話で亜里沙の声が聞こえた。
悪趣味だな、また透視していやがったか。
「ご挨拶だな、亜里沙。ところで明は?」
明とは近頃本当にご無沙汰していて、話がしてみたかった。
「久しぶり」
明の声が聞こえた。何というか、亜里沙よりも音声がクリアな感じ。明の方が離話は得意と亜里沙が言っていたことは本当なのだろう。
「おう、久しぶり。元気だったか?」
「お蔭様で。そっちは?」
「なんとかなってる。お前たちブ・・・」
「ブ?」
危ない危ない。絢人から口止めされていたんだった。ブレーンの話は内緒にしてくれと。
「いや、何でもない。今回は俺が出ないからお前たちも出番はなし、か?」
「そうだね、細々とした調整はあるけど、基本的には自由」
「対白薔薇戦、グラウンドで一緒に応援しないか」
「ごめん、先輩方から預かったプログラミングの処理しないといけないんだ」
まーたまた。
本当は、7階会議室にPVあるからグラウンドに足運ぶまでもないのだろうが。
ま、そのうち真実は明らかになるのだろうから、度重なる嘘も許してやるよ。
「そうか、じゃ、またあとで」
明との会話が終わってから、ハタと気付いた。
俺は心の中で『戻りたいと思っていない』と思っただけなのに、亜里沙は開口一番、『あとから後悔するに決まってる』そう言った。
まさか亜里沙と明、俺の心の中が読めるってのか?
離話どころじゃねーぞ、お前たち。
今まで俺の心を読みながら幼馴染続けていたと?
清水の舞台から突き落とされるような衝撃を受けた俺。
でも、あんなに消極的で神経質な俺を見守り続けていてくれたのかもしれない。
そう思うと、不思議と騙された感はなく、早く自分たちの正体を明かしてほしいなどと勝手に思ってしまう。
でも、正体を明かしたら、もう今までどおりには付き合っていけないのだろう。
なんとなく、立場の違いを明確に突き付けられたように思う。
やはり、ずっと知らんふりしていよう。
それが俺自身のためになるのだと頭の何処かで理解している俺がいた。
薔薇6編 第9章
俺とサトルは、宿舎となっているホテルから出て、2人で会場の白薔薇高校グラウンドまで歩く。
徒歩10分。
紅薔薇の寮から学校までよりは遠いが、学校の近くにこんな設備がある白薔薇高校も、相当恵まれた立地にあると思う。
さて、10分後。グラウンドに着いた俺とサトルは、一番前でグラウンドが良く見える席を根城に応援することにした。
「やあ、八朔くん、岩泉くん」
若林先輩ほか、4人のサポーターが俺やサトルの周りに陣取って座った。
もちろん、絢人もその中に混じっている。
亜里沙や明の話は敢えて持ち出さなかった。先輩方の間で、あの二人がどのような立ち位置にいるのかわからなかったから。
千代先輩がグラウンドを見渡して楽しそうに呟いた。
「今日のアシストボールは白薔薇戦か。さて、スコアが楽しみだな」
「賭けるか?」
若林先輩の突拍子もないダイナマイト発言に、俺とサトルは瞬時に固まった。
身体の身動きが取れないのに、目だけが宙を舞っているような、そんな感覚。
若林先輩は、俺たちの動きがとてもお気に召したと見える。
「冗談だよ、冗談。お前たち初々しくて面白いなあ」
広瀬先輩は俺の後ろに座っていたのだが、よほど俺たちの姿が可笑しかったのだと思う。
「俺たちにもこういう時期があったんですかねえ」
千代先輩が真顔で言い放つ。
「いや、広瀬も宮城も最初から不真面目だったぞ」
宮城先輩はまさかという顔をして俺たちの方を向いた。
「いやあ、いくらなんでも今年の新入生に比べれば大人しかったでしょう」
「今年の新入生はいい意味でも悪い意味でも目立つ奴らが多いよな」
絢人が自分だけは違うと主張していたのだが、先輩方は絢人の言い分なんぞ聞いてはいない。
若林先輩が遠くを見つめながら独り言をいう。たぶん、俺たちに対してそれとなく水を向けているのだと思う。
「主張できるのは幸せなことだ。俺たちが入学してからなんだ、魔法科が上意下達みたいな理屈こねるようになったのは。魔法技術科では昔から上下関係なしに和気藹々と授業を行っていたから、魔法科の新入生に対しては少し可哀想に思ったもんだよ。魔法科さんよ、果たしてそれでいいのか、って」
この場の会話として適切かどうかは別として、俺自身も若林先輩のいうことに激しく同調したかった。でも周囲を見たら、先輩方は皆、首を横に振っている。
そこで俺は、若林先輩が非常に優秀な人で、3年のデバイスを一気にみるような人だからこんな暴言吐いても許されるのだと知った。
結局、言いたいことをいう、やりたいことをやる、それには力が必要なのだとあらためて認識した出来事だった。
若林先輩は、それまでの発言を吹っ切るかのように立ちあがり、後ろを向く。
「さー、暗い話はここまでかな。人も集まってきたようだな。あと5分で試合が始まる。皆、声を大にして応援してくれ」
魔法科サブ1年とサポーター全員が、思い思いに紅薔薇チームを応援している。
沢渡元会長のGKとしての仕事はいつもながらに見事なのだが、先輩方が目を見張ったのは逍遥の動きに対してだった。
全日本でも逍遥はアシストボールに出たはずなのだが、八雲の個人プレーで1回戦負け。チームとしての評価は最低だった。
それに加え、Gリーグ予選でみっともない負け方をしたことが、魔法技術科内はおろか、普通科内ですら批判を呼んだらしい。
そりゃそうだ。
あれは余りに出来が悪かった。
逍遥が入るべきポストに全て八雲を起用したのだから、上手くいくはずもない。
それなのに今日は、逍遥がFWに入り、光流先輩がコーナーから投げ入れたボールを掴んだかと思うと、間髪入れずに難しい角度から投げ込みシュートを決める。
かと思うと自分もDFに交じり沢渡元会長の目前で敵のシュートを止めるのに一役買っっている。
ああ、八雲はDFなのに、陣地も守らず、他の先輩に悪態吐いた挙句オウンゴール3発もやらかしたっけ・・・。
うん、記憶に新しい。
あいつは一体何がしたかったんだろう。
シュートか?自陣にシュートしたかったのか?
あれはもう、紅薔薇高校にとって黒歴史に他ならない。
いや、失礼した。
今日の薔薇6初戦を声の限り応援しなくては。俺、今回サブだし。譲司はああいったけど、たぶん俺の出番はない。マジックガンショットは9分台と10分台でガチガチに固めているのだから、もう、万が一にも俺の入る隙などあそこにはない。
俺は色々考え過ぎて応援にも身が入らなかったのだが、隣のサトルはとても楽しそうに応援していた。全日本ではサブには入ったものの試合に出してもらえず、よほどプライドが傷ついたのだろう。応援することさえせず涙に明け暮れる日々が続いた。
それが今はとても楽しそうにサブの練習を熟し応援にも熱を入れている。本当によかったな、サトル。
サトル&サポーターチームの応援の結果、紅薔薇高校は白薔薇高校との初戦に2-1で勝利し、勝ち点3を物にした。
「やったよ、海斗!勝ち点3!」
「そ、そうだな。お前明日声でなくなるから、もう声だすな」
「海斗?」
宮城先輩が立って後ろから俺の肩を抱き、にっこり笑った。
「俺の弟も海音って言うんだ。海の音と書いて海音。同じ読み方なんて奇遇だな」
「そうなんですか、海の音って素敵な名前ですね。海斗は海と北斗星の斗、だよね」
サトルは初戦をものにしたこともあり、自分が翌日の午後の試合でスタメンになる可能性もあると言われ有頂天になっていたので、シャイな部分が吹き飛んで宮城先輩の言葉に燥いでいる。
だが俺には、ちょっぴり宮城先輩の言葉のイントネーションが引っ掛かった。
宮城先輩は奇遇だな、と最後に付け加えたが、どうも奇遇とは思っていない節がある。もしかしたら、最初から俺の名前を知っていたのではないか。全日本の選手発表の時にはフルネームで呼ばれたし、俺は色々な意味で目立ち過ぎた第3Gだったかもしれない。名前に記憶があっても何ら不思議なことではない。
それなのに、今更奇遇だな、なんて・・・。
あまり他人に対し穿った見方はしたくないので、この辺で考えるのは止めよう。
俺も宮城先輩に何か言葉を返そうかと思ったが、その弟さんが紅薔薇にいるのか、魔法に関係あるのかないのかさえも知らなかったので、何を言っていいのか分らず、その場は答えずにスルーした。
「お先に失礼します」
俺とサトルは先輩方に丁寧に挨拶し、グラウンドのギャラリー席を離れホテルに戻り、逍遥に会いに出かけた。
逍遥は701会議室に設けられた選手控室にいた。
膝を氷水で冷やしている。
「どうしたんだ?痛むのか?」
スポーツに造詣の深くない俺は、短絡的に考えている。
隣にいたサトルが小声で「違うよ」と教えてくれた。
「今日はシュートで膝を酷使したから、筋肉が炎症を起こさないように冷やしているんだ」
「そうなんだ。今日のシュートはお見事だったよ」
逍遥はいつもの飄々とした態度で俺たちを迎えた。
「肩慣らし、ってとこかな」
「へえ、肩慣らしであそこまでできるのか」
サトルは今でも興奮冷めやらずといった感じで、逍遥にありったけの賛辞を並べた。
「もう、肩慣らしだなんて!あそこまで肩が動くのは驚きだよ!一緒に見てたサポーターの先輩方、すごくびっくりしてたよ。僕なんか角度的にあの場所からシュートなんてできない」
「サトルだってFWに入ればできるさ、あれくらいなら」
「無理無理。僕がもし出場できるなら、DFで精一杯やらせてもらうだけだよ」
「今日はいつになく言葉に淀みがないな」
「もう、興奮しちゃって」
俺はサトルのこういう姿を見ることができて嬉しい気持ちになった。逍遥も同じだと思う。
試合後のミーティングを控えている逍遥を残し、俺とサトルは部屋を出た。
やっとサトルは落ち着きを取り戻したかと思えば、明日以降アシストボールに出られるかもしれないという緊張で身体が固まっていた。
サトルが宿泊している510に行き、マッサージしようと思ったが、何せ俺はマッサージの仕方も分からない。確か前、譲司にやってもらった。魔法技術科では習うとかなんとか。
ちょうど、絢人の部屋は511だった。
帰っていればめっけもん。マッサージをお願いできないだろうか。
コンコンとドアをノックすると、すぐにドアが開いた。
「やあ、さっきはどうも」
「こちらこそ。なあ、絢人。お願いがあるんだけど、今時間あるか」
「事と次第によりけりだね」
俺はサトルが緊張して身体が凝り固まっていることを知らせた。
すると絢人は一瞬だけ考えたような顔をしたが、マッサージをしてくれるという。
というわけで、隣の510に絢人を案内した。
個別ミーティングだと言われ俺は503に戻ることに。明日以降のアシストボール出場を勘案し、サトルに色々と指南することがあるんだろう。
俺はちょっとだけいい気分で503のドアを開けた。もちろん、鍵は掛けてある。
なのに、鍵を回したら・・・開いていた。
なんで?ミーティング行く前に鍵かけたよね、確かに。
鍵を左に回した感触が今も手に残っているというのに。
仕方なく、俺は誰にも見せていないショットガンを腰から右手に持ち、部屋のドアをゆっくりと足で開けた。他のショットガンは部屋に置きっぱなしだったのだ。
ベッドと机だけのシンプルな部屋の中には、誰の影も見えない。
ドアがゆっくりと締まる。
その方向を向くと、千代先輩に書いてもらったお札がビリビリに破かれドアの内側に貼り付けてあった。
やはり、幽霊の仕業ではない。幽霊なら、テープで2度貼り付けるなどという真似はしないだろう。
お札を破いたのは人間としか考えられない。式神とやらにはできない芸当だと思う。妬まれて恨まれて、また嫌がらせか・・・。
そしてその機会があったのは、今日出場していない2,3年かサポーター軍団か、あるいは生徒会の連中。生徒会は亜里沙たちが目を光らせているだろうからこういった犯行にはなり得ないだろう。
2,3年の生徒。今日、周りで大騒ぎして燥いでた先輩の誰かがこういうことをしたとは思い難かったが、ピースを一つずつ集めてパズルを完成させていけば、自ずと犯人は割れるはず。
亜里沙たちに話すべきかどうか。
明日以降の戦術会議もあるだろうし、忙しいかもしれない。
でも、離話くらいなら・・・。
俺は701に向かい、指で円をくるくると書いた。逍遥と同じように。
701の中には、沢渡元会長、亜里沙、明の3人しかいなかった。
「亜里沙、亜里沙」
俺は亜里沙に呼びかけたが、3人は真剣な顔をして話しているようで、俺へのアクセスはない。
俺の魔法は届いていないのだろうか。透視だけしかできていないのか。それとも、聞こえてるけど無視しているのか。
しばらく読唇術で何を話しているのか探ろうとしたが、もやもやとしたものが口もとを覆い、内容まではわからない。
10分くらいそうしていたんだが、結局3人の誰かと離話することはできなかった。
そうこうしている間に、逍遥がやってきた。
ドアの部分に気が付いていない逍遥。
俺は首を竦めながらお手上げのポーズをとる。
「見てくれよ、ドアの内側」
「なんだ、これ」
逍遥も確かあの時俺の部屋に来て一部始終を見ていたはずだ。
「なりふり構わなくなってるね、段々」
「そのようだ」
「生徒会に直訴して部屋変えてもらったら?公的には503にいることにして。701、誰かいるんだろ」
「沢渡元会長と亜里沙と明がいたけど、誰にも反応してもらえなかった」
「じゃあ乗り込むしかない」
こういう時の逍遥は動きが速い。俺は半ば引きずられる形で、気が付いたら701の前に立っていた。
逍遥が大きな音で701のドアをノックする。
もう誰もいないのかと思わせるくらい、中から応答はなかった。
「仕方ない」
そういって、中を透視する逍遥。
「なんだ、3人ともいるんじゃないか」
逍遥がもう一度チャレンジしてドアをノックする。
すると、1分ほどのちようやくドアが開いた。そして明が顔を出した。
「忙しいのだけど。どういった用件?」
「八朔くんの部屋に嫌がらせをしている人間がいます」
明の顔色がさっと変わり、頬に赤みを帯びた。明にしては珍しい、俺はそう思った。
「一度ここに居て」
そういってドアを閉めると、1分後、またドアが開いた。
今度は亜里沙がドアを開けて中に入れてくれた。いつもより1オクターブ低い声で話す亜里沙。
「どういう嫌がらせなの?」
真面目そうにしている亜里沙にちょっと面喰ったが、とにかく用件を簡潔に話さなければ。
「夜にコンコンとノックされ廊下に出ると誰も居なかったり、千代先輩に書いていただいたお札がビリビリに破かれドアに貼ってあったりしました」
亜里沙が急に目を閉じる。
まさか、これだけで透視できるんじゃあるまいな。俺なんて、透視は今の状態しか見えないけど、過去にさかのぼって透視なんてできるのだろうか。
そのまさかだった。
亜里沙は淡々とした表情と声で事実を述べていく。
「なるほど。魔法を使って式神を寄せたのね。で、今日の出来事は本人が実際に入って行ったみたい」
俺は犯人の名が知りたかった。執拗に俺をつけ狙う犯人は誰なのか。
「いったい誰が?」
「それはまだ言えない。最速、薔薇6が終わってから解決しましょう。それよりあんた、部屋を移りたくてここにきたんでしょう。712の部屋が丁度あいてるわ。すぐ、そっちに移って。大きな荷物は503においといて。目くらましになるから」
「え、でも制服とか」
「明にお願いするわ。相手はあたしたちのことよく知らないはずだから」
逍遥が亜里沙に対し、手を差し伸べる。
「僕が手伝いますよ。相手も僕が出入りしている分には友人だと思って気を抜くでしょうから」
「そうね。じゃ、お願い」
そこまで言われれば、俺としてはOKせざるを得ない。というか、それが一義的な目的だったのは確かだ。
でも、今日の亜里沙は何となく俺の知ってる亜里沙じゃないような気がした。こいつの本性なのかもしれない。いや、別に本性が嫌だとか言うわけじゃないけど、しっかり者だったんだな、亜里沙。
「あんたたちより経験を重ねてるのは確かよ。あっちの世界じゃアホのふりしてたけど」
俺の心の呟きも、亜里沙にはお見通しらしい。
って、そんなことまでわかるのか?
もしかして、沢渡元会長以上の魔法の使い手なのか?
沢渡元会長が太く大きな声を出して、笑った。
「そうか、八朔は向こうの世界の山桜しか知らんのだな」
ビクッ。
「はい、あの、その・・・」
「少なくとも、俺では御呼びもつかないくらいの魔法の使い手だ」
逍遥の目がランランと光る。
「もしかしたら、お二人は日本軍魔法部隊所属の大佐殿でいらっしゃいますか」
亜里沙がふうっと大きく溜息をつき右手で逍遥を制した。
「その辺はノーコメントでお願いするわ」
逍遥が右に首を傾げて言葉を返す。
「じゃあ、僕のこともノーコメントで」
逍遥は亜里沙や明が日本軍魔法部隊所属の戦士と当たりを付けたらしい。
なぜそこまで考えが飛躍するのか分らないが、実戦を視野に入れて毎日の高校生活を送ってる逍遥にしてみれば、同じような匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。逍遥は将来、魔法部隊の戦士にでもなりたいのだろうか。
亜里沙が俺たちに早く出て行けとばかりに告げる。
「さ、これで一件落着。712にはドアと部屋全体に魔法で封印しておくから、もう夜の幽霊騒ぎにはならないわ。503のこと誰かに聞かれたら適当に流しておいて。7階に上がるときは、従業員用のEVを使ってちょうだい。誰が見てるかわかんないから」
逍遥は俄然、威勢がよくなった。
「了解しました」
逍遥が亜里沙と明に対し丁寧な挨拶したのを見て、俺はなんだかもうこいつらを友人と呼べなくなった気がして、虚ろな返事しかできなかった。
「はい・・・」
リアル世界に戻っていれば、こいつらは昔のままでいてくれたのだろうか。今初めて、こちらの世界に来たことを後悔した。
701から追い出された俺たち。7階の廊下で逍遥と別れ、俺はそのまま712に向かう。
がらんとしたその部屋は、503と配置は変わりないはずなのに、だいぶ広く思えた。
逍遥と譲司、サトルが制服や試合で着る紅薔薇色のユニフォームとシューズを何回かに分けて712に持ってきてくれた。開口一番、逍遥が制服を指さした。
「この洋服類には僕が魔法をかけておいた。どんな魔法でも跳ね返す力がある。誰が犯人なのかは薔薇6以後になるようだけど、たぶん、譲司のことをリークしたのも同じ犯人だと僕は思ってる」
逍遥、以前は国分事件と同一人物だって言ってたじゃないか。俺は、意地悪程度に逍遥を問い詰める。
「五月七日さんじゃなくて?」
「僕も当初はそう思ったんだけど、彼女は頑なに違うと言い張ってた。そして、沢渡会長は真実を告白させる特殊魔法の使い手だ。会長の手に落ちて真実を話さなかった者は、かつていないらしい」
そうか、そういうことなら、国分事件と譲司事件の犯人が別という話もすんなり受け入れられる。
それなら、譲司事件は誰が?
「な、逍遥。なぜ譲司まで攻撃対象にしたんだろう」
サトルは譲司が全日本で大会事務局に呼ばれたことを知らなかった。
「何かあったの?」
俺は譲司の事件をかいつまんでサトルに話した。
「もしかしたら、それも僕が疑われた可能性、あるよね」
話を振られた逍遥は、半ば困り気味の表情を浮かべた。
「確かあの時はもう八雲とかに目がいってたから、八雲犯人説が急浮上したんじゃないかな」
逍遥は、全てに八雲が関わっていると決め付けた経緯もあり、話をずらしたがっているのがわかる。
「今は、ドアノックと冷たい刺す様な視線と、譲司薬物リーク事件の3つかな。これは同一犯だと思うけど」
俺は無意識に天井を仰いだ。
「まったく、犯人のはの字も出てこないよ。何の腹いせなのか、動機すらつかめない」
そのとおりで、俺は長崎に着てまで何で自分が恨まれるのか、その理由が知りたかった。学校でなら、第3Gのことで恨まれるのはわかるんだが、ここに着ても嫌がらせが続くとは夢にも思わなかった。
まったく・・・。
今日はゆっくり眠れるだろうか。
俺の神経質細胞は先程から暴れ気味だった。
薔薇6編 第10章
712のベッドに横たわった俺は、どうにも心が落ち着きを取り戻せず一旦ベッドからゆっくりと起き上がった。
なんとか神経質細胞を黙らせようと室内でストレッチを行い、じんわりと汗をかく程度に身体を動かす。
視線を向ける犯人のことを考えないように考えないようにと、別のことに目を向けるため色々と頭の中を整理しながら考える。
リアル世界の思い出や亜里沙と明の関係性、泉沢学院での壁を乗り越えられなかった自分への罰ゲーム。
ああ、今視線をイタイほど感じるのが、俺にとっての罰ゲームなのかもしれない。
どうしてもドアが気になり見たくなるのだが、また何かあると嫌なので必死にこらえた。
その代り、翌日の薔薇6戦競技のラナウェイとマジックガンショットのことを考えるよう、わざと意識を仕向ける。
これがスタメンとしての試合出場なら、もっと真剣に向き合うのだろうが、如何せん、あしたの対戦校は白薔薇高校で俺はサブ。
黄薔薇高校戦か桃薔薇高校戦あたりで出場の機会はあるかもしれないが、俺の出場種目はマジックガンショットらしいから、それまでにもう一度最終調整しなければ。
イメージ記憶を通して自分がレギュラー魔法陣を消す場面を想像する。目指すは、上限100個を10分台で撃つこと。
何度もイメージを頭に植え付けていくうち、日を跨いだ頃になんとか眠りに就いていた。
翌朝の6時に目を覚ました俺は上下黒のジャージに着替えるとホテルの非常口脇にある従業員用EVを使って1階に降りた。
今日は外に出てウォーキング。歩幅を気にしながら大股で速足で歩く。
あまり遠くまで行くと方向音痴の癖が出るので、周囲の店や鉄塔を目印にしながら2キロほど歩くと、来た道を回れ右して歩いた。
部屋に戻り汗をかいた身体に水シャワーを浴びせ、目を覚ます。でも、いくら夏とはいえ、水シャワーは余りに冷たい。全体に鳥肌が・・・。
タオルで鳥肌をこすり合わせ身体を温めながら、熱いカップに珈琲を淹れて飲み干した。
元々俺は若干猫舌ではあるのだが、冷たくなった皮膚に熱い珈琲は食道を通って胃に流れこむのが感じられ、病み付きになりそうだった。
でも、珈琲は身体を冷やすという説もあるよね。効果なのか?この場合。何が何だかわからないけど、ようやく俺の身体から汗がひいていった。
部屋の時計に目をやると、もう午前7時半を回っていた。
そろそろ逍遥が迎えに来る時間。
いや、逍遥は今日午前に白薔薇高校とのマジックガンショット戦があるから、もう食べ終えたかもしれない。
サトルは今日、出場することはないだろうから、2人でゆっくり食事を摂ることにするか。
そんなことを思いながら部屋を出ようとすると、誰かがドアをノックする。
誰だ。
ここを知っているのは、沢渡元会長と亜里沙に明、逍遥と譲司とサトルしかいないはず。逍遥も譲司は今日も忙しいだろうからもう食事は摂り終えただろう。沢渡元会長や亜里沙や明が俺の様子を見に来るとは考えにくい。だって、ここにくるまでもなく透視すれば済む話だから。
消去法で行くと、サトルがきたとしか思えない。
また幽霊騒ぎじゃないだろうな。
少しビビリながらドアを開ける。
目の前に姿を現したのは、やはりサトルだった。
「おはよう、海斗。驚かせちゃった?」
「いや、消去法で考えたら君しかいなかったから。それに、朝から幽霊は出ないだろうし」
「もう大丈夫だってみんな言ってるじゃない。もうそのことは忘れて、朝ご飯食べに行こうよ」
「そうだな、いくとするか」
俺とサトルは、1階の食堂に向けて従業員用のEVに乗るため、階段とは反対方向に廊下を歩き出した。
もちろん、サトルに見てもらいながら部屋の鍵をしっかりかけて。
だが俺は気が付かなかった。
反対側の階段から、目だけをランランと輝かせて俺たちをじっと見つめる黒い影があったことに。
なぜ俺がその視線に気が付かなかったのも、まったくもって謎だった。
やはり食堂では、その日試合がない人たちがゆっくりと朝食を楽しんでいた。逍遥や生徒会役員の姿は見えない。
サトルはまた和食。
俺はいつもどおりパンと野菜ジュースと、今日はポテトサラダ。
もう少し食べろと毎日のように言われるけど、宿舎では朝食べるだけでも良しとしてくれ。寮に帰ったら朝なんぞ食べないで寝てるんだから。
事実、そう言う生活をしてるとこれでもお腹がいっぱいになるんだ。
一度サトルと一緒に7階に戻り、制服を着用する。持ち物は水分補給のドリンクと秘密のデバイスだけ。
そして今度は5階に降り、サトルの用意を待っていた。
サトルは中々出てこない。
やっと出てきたサトル。ふと気づくと、サトルが大きなリュックを片手にしていた。
なんでそんなに荷物が多い。
俺なんて秘密のデバイスとドリンク1本と部屋の鍵しか持ってない。
「その荷物、何?」
「ドリンク類さ。暑くて応援も大変だからみんなに配ろうかと思って」
俺は目が点になった。
いや、普通の高校生活ならそれはとても気が利いて良いことだと思うが、今の俺たちは魔法スポーツ選手の類いだ。
飲み物は全部自分で管理し、他からもらったものは飲まないように指導もされているし、実際飲まない。
なのに、どうして配る?
また以前の噂を蒸し返されて、結局困るのはサトル本人だ。
俺は、やや厳しい言葉でサトルを制した。
「やめておけ。サトルはとても気が利くけど、今はマイナスに捉えられ兼ねないから」
サトルはじわっと目に涙を溜める。
なるべくなら俺だってこんなこと言いたくない。本当にサトルは皆のことを考えているのがわかるから。
でも、入学早々やらかしたことと、今とでは違うとどうやって証明できる?
サトルはただただ魔法で周りをねじ伏せていくしかないんだ。
皆が認めざるを得ないくらい魔法に磨きをかけなきゃ、周囲の許しは得られない。
俺が真顔で滔々と説明すると、やっと涙を拭き取り、サトルは荷物を部屋の冷蔵庫に置いてきた。
小さなバッグをひとつだけ持ち部屋から出てきたサトル。俺たちは連れ立って1階に降りる。フロントのお姉さんに今日の競技場となる長崎市営競技場までの道のりを聞くと、お姉さんは笑顔満開で地図をくれた。
会場までは歩いて20分くらいかかるらしい。それでも、徒歩圏内にある分だけマシだ。
俺たちは2人であっちだこっちだと地図を見ながら進む。
サトル、お前も方向音痴だったんだな。
逍遥は何事においてもパーフェクトで近寄りがたい雰囲気すら漂わせているけれど、サトルはちょっとおマヌケなところがツッコミどころ満載で、親しみを覚えやすい一面もある。
これで自己肯定感さえ並なら、サトルは怖いものなしなんだけど。
ま、パーフェクトな人間なんてこの世にはいないはず。少なくともリアル世界ではそうだった。
俺が見たリアル世代のミスターパーフェクトは、顔よし頭よし運動神経よし性格よしだったけど、ただひとつ、字がミミズで彼はそのことをすごく気にしていた。でも、これで字まで綺麗だったらアンドロイドみたいじゃないか。
こっちの世界は、魔法が絡むからなんとも断定はできないが、同じようなモノなんじゃないか?
パーフェクトな人間なんて、早々いやしないんだよ。
あの明でさえ、顔よし頭よし運動神経よし性格よしだが、ただひとつ、部屋が汚い。ここに魔法が絡んだとしても、スーパーパーフェクトにはならないんじゃないかと思う。どのくらい魔法が使えるのかわからんが。
「海斗!海斗!!」
声が聞こえる。
「ん?あ?何?」
「あれだよね、競技場」
「お、どれどれ」
地図を覗き込むが、地図の縮尺が合わないのでここがどこかもわかるわけがない。
でも、デカい建物がある。少し歩くと、「長崎市営競技場」という看板が見えた。
昨日の試合は近くにある白薔薇のグラウンドだったからすぐに行けたのだが、今日から2種目のため会場が変更になったのか、昨日は市営競技場を抑えられなかったのかはわからない。
こちらはサブグラウンドもあるし、たぶん、本来ならずっとこちらの競技場を使う予定だったに違いない。
いや、確か市内3カ所で競技が行われるはず。となると、もう1か所、制覇していない競技場があるということか。
ま、些末な話だ。
俺とサトルは競技場の門を潜り、紅薔薇高校のギャラリーが集まっている応援席を探し移動した。
本来はベンチスタートのためサブの俺たちは下に降りるべきなのだろうが、ベンチにいる譲司に声をかけたので大丈夫だろう。昨日だって上にいても大丈夫だったんだし。
俺が考えていたのは、午前に行われるマジックガンショットは紅薔薇の十八番でもあり、あの3人で撃ち漏らすことはほぼ考えづらいという、ちょっと勝手な思い込みだった。
だから自分のショットガンも部屋に置いたまま。
「On your mark.」
紅薔薇高校対白薔薇高校の競技開始時間だ。選手たちは一堂に揃い、挨拶を交わした。
先攻は紅薔薇。上杉先輩、逍遥、南園さんの順に競技を行うはずだ。
いまにも号砲が鳴ろうとしていた。
「Get it – Set」
けたたましい号砲とともに、紅薔薇高校のマジックガンショットが始まった。
上杉先輩は次々にレギュラー魔法陣を撃ち落としていく。
たぶん、10分台前半にのせてくるのではないかと思われた。いつもは9分台くらいだから若干遅いことは遅いのだが、後に控えるのが逍遥と南園さんだから、上々の滑り出しだと思われる。
途中手が止る場面も幾度か見受けられたが、上杉先輩は10分台前半で競技を終えた。
上杉先輩の次に出てきた逍遥は、俺の予想通り、もの凄いスピードでレギュラー魔法陣を粉砕していく。逍遥はいつも適当に撃っているから皆、気が付かなかったかもしれないが、たぶん、今だって本気は出していないはず。
魔法を還元するための演習でこれなのだから、本気を出したらどれくらいいくのやら。次々に魔法陣を仕留めていく様子に周囲がどよめく中、俺はひとり深く頷いていた。
逍遥は9分台後半で競技を終えた。
早々に逍遥が上限100個の魔法陣を撃ち落としたため、南園さんの出番も早まった。
首を回して準備運動している南園さん。
頑張って!!
南園さんがグラウンドに姿を見せると、ひときわ大きな歓声があがり競技場を包む。
どうやら、全日本の勇姿が各校の人目を引き、ファンが急増したらしい。全日本には薔薇6全校も出場していたし。
.
歓声の中、南園さんの射撃が始まった。
場内掲示板に出るスピードは、上限100個に対し10分台前半。
非常に良い滑り出しでファンの声援に応えた格好だ。
競技が終わり、南園さんは温かい声援に向かって手を振り応えていた。
対する白薔薇高校が登場すると、開催校だけあって市民応援団が姿を見せていた。
そして大声援と拍手喝采のなか、白薔薇高校の競技が始まった。
1人目の試技者は10分台前半、2人目は10分台後半、最後の1人は10分台後半というこちらも素晴らしい結果が出た。
だが、白薔薇高校にとっては残念なことに、上杉、四月一日、南園の3勇士を前にして、勝利の糸を手繰り寄せることはできなかった。
マジックガンショット、紅薔薇高校、勝利。
午後から始まるラナウェイまでの間、約2時間半。
俺たち2人は席を立ち、一旦ホテルに戻ることにした。
競技を終えた逍遥もはバスで帰るということで、俺とサトルの帰路が始まる。
始まるという言い方がおかしいのは分かってる。でも、順調に帰れないのもこれまた事実だった。来た道を戻ったつもりが、何か景色が違う。
あ、迷った・・・。
サトルはもじもじして道行く人に道を尋ねられないでいたし俺もどちらかと言えばそうなのだが、この際恥じらいは必要ない。恥らっていたところでホテルが目の前に現れるわけでもない。
俺はコンビニが一番いいと大声を出し、目を皿にしてコンビニを探し出した。
運よくコンビニを見つけ、俺たちの持っていた地図に今何処にいるか印をつけてもらい、道順を教えてもらって機嫌よく外に出る。もちろん、お尋ね料は各々が好きなドリンクを購入。俺たちは声援で渇いた喉を潤しながらホテルまでの道を急いだ。
やっとホテルに辿り着いた俺たちは、1階の食堂で個々好みの食事を摂り、昼の12時半にロビーで待ち合わせることにした。
俺は別に逍遥のように着替える必要もないので、部屋には戻らず直ぐ1階ロビーに向かう。
今日も701と702のプチPV会場では、沢渡元会長や光里会長、亜里沙、明が何カ所かの競技場の様子を見ているのだろう。
沢渡元会長と光里会長は明日のプラチナチェイスに出場するはずだから、明日は亜里沙と明だけになるのだろう、プチPV会場観戦者は。
いいなー。俺もこっちで良かったんだけど。
「あんたは少し運動して方向音痴直しなさい」
なんて、亜里沙の声が聞こえそうだ。いや亜里沙。運動で方向音痴は直らない。
こんなとき、亜里沙は文句を言いながらも助けてくれる。だが明は何も言わず突き放す。明、お前は昔からいざとなると冷たいところがあったよな。
小学校の5年だったか、秋の遠足がそうだった。
学校から3キロほど離れた小さな山に登ったんだが、途中分かれ道がいくつかあって、皆は迷いながらも別々の道を選択していく。俺が迷って泣きそうになると、亜里沙は自分が最初に走っていって道が正しいことを見極めて帰ってきた。
なのに明は、2対1に分れて歩けばどちらかが正解だろうとさっさと歩きだし、俺を置き去りにした。
半分泣いてる俺がウザかったのはわからないでもないが、置いていくか?普通。
俺は不安に心潰されそうになりながらひとりトボトボ歩いたのを忘れない。
まあ、結局分かれ道は途中で合流し、また1本の道になっていたので、不安がる必要もなかったのだが。
明には「また出た」としょっちゅう言われていたが、俺は何かにつけて、遥か昔のことにも関わらずあの遠足を思い出すんだ。
ロビーでぼんやりと考えていると、制服に着替えた逍遥が降りてきた。サトルはまた、にこにこしながら俺たち3人分のドリンクを持ってきたが、逍遥からキツイダメ出しを受けて部屋に戻っていった。
「サトルは優しいけど、今はあれが命取りだよなあ」
俺の独り言にキツイ言葉で反応する逍遥。
「今ドリンクなんて配ったら退学処分になるよ。君、言わなかったろ、そこまで」
逍遥のダメ出しは俺にまで波及してくる。
俺は海岸で台風の荒波をざっぷりと被った気分になった。
薔薇6編 第11章
サトルが戻ってきて、俺と逍遥、3人でホテルを出たのが昼の12時過ぎ。
ゆっくりと地図を見ながら歩く。
逍遥に道を聞いても、「バスで移動したからわからん」の一点張り。
よもや逍遥も方向音痴ではあるまいなと勘繰りを入れたくなる。
でも、さすがは2回目。
どうやらサトルは午前中に歩いたときに方々に目印を付けていたようで、難無く競技場へと近づいていく。
逍遥はさすがに疲れたのか、時々欠伸しながら俺とサトルの後ろを歩いていた。しょっちゅう後ろを気にしているサトルに急かされながら。
飛行魔法で進めばもっと速いだろうなと思いながら、俺ものろのろ歩いている。サトルは飛行魔法飛べるんだろうか。逍遥は今疲れているから仕方ないとしても、帰りは飛行魔法で帰れるかな。
競技場に着くと、ラナウェイは競技場脇の施設を使ったルートを組んでいた。競技場では特大モニターにラナウェイの様子が映し出されることになっている。
この古い施設をルートに組み込むということは、白薔薇にとって大きなアドバンテージを与えることになる。競技場付近の施設でラナウェイの実地練習を行っていただろうから。向こうに見える白薔薇の選手たちは、飛び上がって喜んだりガッツポーズをギャラリーに見せつけていた。
紅薔薇はと言えば、譲司がラナウェイに出場する準備をしている。紅薔薇色のユニフォームに着替え、ストレッチに励んでいた。
特に危ない競技でもないし、俺たちがベンチに降りる程のこともないだろう。今はベンチに絢人がひとりで座っている。絢人に声を掛けてから、俺たちは他のギャラリーに交じって観客席に向かった。
ラナウェイは2種類のデバイスを必要とするからだが、サポーター軍団は誰一人としてギャラリーの中に姿が見えない。PV会場に足を運んでいるのだろうか。それとも、これからくるのか?
それにしたって、2年の選手は出場していないから、広瀬先輩と宮城先輩は時間があると思うのだが。明日のプラチナチェイスに必要な捌きでもしているのだろうか。
号砲とともにラナウェイの競技が始まった。俺たちは3人のランナーに声援を送る。ついつい相手の居場所を教えてしまいがちになるけど、ランナーには届かない。
もどかしくもあり、冷静に見れる部分もあり。
おっと、勅使河原先輩が、隠れる間際の相手を1人倒した。こちらはまだ倒された選手はいない。定禅寺先輩が一度危ない目に遭ったが、どうにか魔法陣を作って相手の追撃を阻んだようだ。
マルチミラーの使用法が、この競技の勝敗に少なからず影響しているのは確かだ。
譲司は、初めてのラナウェイで緊張しているのか、いつもより動きが鈍く感じる。マルチミラーを上手に操れていない。魔法陣を作ることで一杯一杯になっているように見受けられる。
あ!譲司が建物の陰付近で敵の手に落ちた。マルチミラーを巧みに使いこなせなかったのだろう譲司は、悔しさの入り混じった顔で建物から離れ競技場に戻ってきた。
俺のような魔法が使えれば、マルチミラーを魔法陣作製にのみ使用できるのだから、ここは俺が出る方が良かったんだよなあ。
でも、勅使河原先輩は以前怒られてからというもの、九十九先輩同様少し怖い存在としてしか認識できなくなっていたので、俺があの2人の中に入ったとしても中途半端な技しか出せなかったかもしれない。
やっぱ俺、競技としてはマジックガンショットが一番性に合ってるような気がする。先輩方とのチームワークは、どんなに良い先輩だったとしても、ちょっぴり苦手だ。
おお、今度は定禅寺先輩が立て続けに相手を倒した。ここでタイムアップ。
よし!
ラナウェイ白薔薇校戦は、3-1で紅薔薇が無難に勝利した。
3日目のプラチナチェイスを残し、現在白薔薇戦3種目を終了。種目の勝利ごとに勝ち点3ポイントが加算されるので、合計勝ち点は9で紅薔薇が勝利している。
明日4日目もここ、長崎市営競技場で試合が行われるらしい。電光掲示板にその旨が明記されていた。
俺とサトルは気を良くしながら帰路に着いた。
ホテルに着くと、バスは今着いたばかりだったらしい。逍遥がバスから降りてきた。ホテルの中に入ると、珍しくロビーに亜里沙が1人で立っている。
逍遥の顔を見るなり、亜里沙は逍遥の前に出て仁王立ちになる。
「四月一日くん。プラチナチェイスの策戦会議があるから、701に来てちょうだい」
「了解しました」
「丁寧語や敬語は、あたしと明には無用よ」
「そうですか、では、これ以降はフラットに」
「そうね、そうしてもらえると助かるわ」
それだけいうと、亜里沙は俺たちに背を向けEVの方へ消えた。
俺には元気かの一言もなく立ち去った亜里沙。
もう、俺は幼馴染でもなんでもない、仕事上のクライアントだったのだと痛感させられる。
こっちは今日の出来事とか、話したいことがたくさんあるのに。
思い出を共有するだけのクライアントなんて、おかしいよね。
さすがに、これはボディブローのようにじわじわと効いてくる。
俺は深く深く呼吸を整え、泣きたくなる自分を抑え込んだ。
どうやら、競技場までの2往復と日差しのなかでの応援が身体に効いたらしい。
俺は先程の亜里沙を見たショックで食べ物が喉を通らなかった。なのに、廊下を歩いていると猛烈な眠気に襲われた。サトルは食べ過ぎて眠いという。
逍遥や譲司は701に缶詰めで策戦会議とやらが長引いている。
俺とサトルは、他の人には悪いけど、早めに床に入ることにした。
誰にも見つからないようにホテルの奥に位置している従業員用EVに乗って、サトルは5階で降りていった。
「おやすみ、サトル」
「うん、おやすみ、海斗。明日は朝7時半に迎えに来て」
「了解」
そして俺は7階で降り、712の部屋に向かった。鍵を開けてドアを押すと、熱気で部屋が蒸し暑くなっている。ほんと、蒸し風呂のようだ。エアコンをつけながら、部屋の中に何も変化がないことを確認した。ジャージに着替えてベッドに居たいところだが、熱すぎる。
俺は一応持ってきていたTシャツと短パン姿になり、ベッドに転がった。
そのまま、深い眠りに落ちていった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
俺は滅多に夢を見ない。
化け猫のようにクリアな夢をみる機会なんて早々ない。
しかしこの夜はやけにリアルっぽい夢を見ていた。
簡単に言えば、俺が戦場にいて、逍遥や沢渡会長、亜里沙、明と協力しながら敵を倒していたのだ。
VRゲームではない。
正真正銘、夢の中で俺がいたのは本物の戦場だった。
夢の中で俺は、日本軍魔法部隊の一員として敵と戦っていた。
俺が暮らしていたリアル世界では中華人民共和国として厳格に統治されている国が、北京を首都とする北京共和国と、香港を中心とし上海市をその手に治めている香港民主国にと2分割されていた。
敵は、日本のレアアース資源をつけ狙う北京共和国だった。
向こうの魔法部隊も結構な人数の魔法兵士が空母に待機しており、次々と兵士が日本に上陸を試みる。
対する日本は、長崎県、石川県と新潟県、北海道西部の日本海側を中心とした4道県に拠点を置き、敵を迎え撃っていた。
亜里沙や明、沢渡元会長や逍遥と俺の5名は新潟県に派遣され、敵に止めを刺す役目を任じられていた。
亜里沙と明は、日本側の海岸から2kmは離れていると思われる空母に、ショットガンと人さし指で息つく間もなくマジックガンショットのイレギュラー魔法陣のような魔法を撃ちこんでいた。敵船の上で魔法爆発が起こり、その場にいた敵の命はみるみるうちにこと切れていった。
対して敵も、空母上にて俺たちの魔法を撃ち砕かんとして広域防空用の地対空ミサイルシステムを稼働させていた。
逍遥が俺たちを中心とした半径5km以内に迎撃魔法弾を準備し、向こうからのミサイルに対して空中で迎撃を行っている。
沢渡元会長と俺は、ボートで空母から海に降りて上陸しようとする敵兵士を狙い、ショットガンを殺傷OKに改良したような武器で敵の息の根を止めていく。
俺は人の命を奪うということが最初は怖かったはずなのに、いつの間にか慣れた自分がいた。戦争とは、こうまで人の感情を、感覚を鈍らせるものなのかと哀しく思ったが、途中からそんなことすら考える感情をどこかに置き忘れたようにショットガンを敵に向ける。
亜里沙や明は空母に対する魔法だけではない。
逍遥の迎撃魔法をバージョンアップさせ守備半径を広げていく。
俺と沢渡元会長が担っていた最後の砦でも、どんな魔法を使ったのかわからないが一瞬にして周囲の敵を葬り去るという荒業。
亜里沙や明の繰り出す魔法は逍遥や沢渡元会長のそれを遥かに超越していて、俺は目を疑ったほどだ。
逍遥が大佐殿と畏まって言った意味がはっきりとわかった。
結局、敵はすぐに制圧され、生き残ったものは捕虜として日本軍魔法部隊の捕虜収容所に収容された。
俺はすぐそこにいた亜里沙と明に声を掛けようとして、逍遥に止められた。
何で話しかけちゃいけない?
そこで目が覚めた。
目を覚ました時、どうやら俺は涙を浮かべていたらしい。起き上がった俺の頬を伝う涙がやけにリアルだった。
亜里沙と明は、もう俺の幼馴染ではなくなったのかもしれない。俺に友人ができるまでの繋ぎ、だった可能性はある。俺が泉沢学院に行っても友人を作ろうとしなかったから、仕方なく傍にいただけ。
こちらにきて、友人ができた。
逍遥や、譲司にサトル。他にも俺を心配してくれる人は増えた。
だから亜里沙たちの役割はその比重が減り、関わらなくても良くなったのだろう。
悲しいけど、こちらの世界を選んだ段階で、遅かれ早かれこうなる運命だったんだ。
そうでも思わないと、神経質細胞が脳内で暴れている俺の中では、カラ元気すら出なかった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
涙を手で拭った俺は部屋の時計を見た。
朝5時。
もしかしたら正夢になるのだろうかと少しばかり不安がよぎる。
だって、明け方の夢は正夢ともいうじゃないか。
戦争もそうだけど、亜里沙と明に、遠くに行ってほしくなかった。
危ない真似はして欲しくなかったし、何より、話しかけることすら禁じられる生活を強要されたら途方に暮れてしまう。
俺の中では、どこでもいつまでも幼馴染の2人でいて欲しかった。
夢のことを忘れようと、俺はジャージに着替えて走ることにした。
夏の朝、この時間だけは少しひんやりしていて、走るのには好都合だ。部屋の中で軽くストレッチ運動をしながら夢のことを思い出す。夢とはいえ、戦争という非現実的な設定、シチュエーション。前に逍遥が“この世界は平和ではない”と言った言葉を頭の片隅で記憶していたのだろう。
俺は夢のことを振り切るように、お気に入りのシューズを履いてホテルを出た。
迷子にならないよう、市営競技場を目指し少し息が上がるくらいのスピードで走ってみる。俺にとっては少々キャパを超えているのだが、自分の限界より少し頑張るという名言を残したスポーツ選手がいる。そうだ、今日は限界より少しだけ頑張ってみよう。
いつもなら小走りくらいで疲れも溜まらない程度にしか運動しない俺にとっては、未知の領域とでもいうべきか。
競技場までオーバースペックで走り続けたら、息も絶え絶えになり目眩を起こしそうになった。持っていたドリンクを口から身体に浸透させ、動悸が収まるのを待った。
半分だけドリンクを口に含み、息を整えたところでほんの少し身体を伸ばしてみる。
やっと落ち着いた。あとは来た道をそのまま戻るだけ。
帰り道は途中までいつものとおり小走り程度に歩幅を狭くしてゆっくりと走る。ホテルが近づいてきたあたりから、また歩幅を広くして走った。
ホテルに着いた時は息が苦しくて話すことすらままならない状態だった。
残ったドリンクを一気に飲み干し、なんとか息を整える。
ロビーに飾ってある時計を見ると、まだ朝の6時前だった。シャワーを浴びるため、一度712の部屋に戻ろうと従業員用EVの方に歩いていったのだが、廊下の方から何か嫌な視線を感じたような気がした。
712の部屋は知る人ぞ知る、秘密の宿泊所なはず。
夢のことで嫌な気持ちになったから視線を感じたように錯覚したのかもしれない。
ホテルの従業員さんが同じEVを使おうとして一歩下がった。お客と一緒ではまずいと思ったのだろう。
軽く会釈して一緒にどうぞと話しかけたが、向こうは乗ってこなかった。
申し訳ない気持ちではあったが、早くシャワーを浴びたい気分だった俺はひとりで乗り込み、くるりと向き直ってもう一度従業員さんに頭を下げた後、7階のボタンを押した。
部屋で最後のストレッチを行って身体をクールダウンさせた後、俺はシャワーを浴びて紅薔薇の制服に着替えた。
今日は白薔薇高校との最後の試合、プラチナチェイス。
鉄板のメンバーが集結しているから、もはや勝利は揺るがないだろう。青薔薇のように反則級のタックルしてこない限りは。
そういえば、何日か後には青薔薇との直接対決がある。
俺は、青薔薇にだけは負けたくない。
全日本の時の借りは、今回の薔薇6で返してやりたい。
そんなことを考えながら部屋の時計を見ると、もう朝7時。
あと少ししたら、5階までサトルを迎えに行かなくちゃ。
今日も俺の分のドリンクを持っているかもしれない。サトル。いい加減、ドリンク類を他人に渡すのは止めてくれ。退学になってしまう。
サトルがまたそんな真似をしたら、今度こそ言わなくちゃ。他人に渡したらまた禁止薬物入りだと誤解されて最悪退学だと。
本当にいい奴だからこそ、俺も逍遥も心配するんだよなあ。
俺は自分のドリンクを2本、部屋に備え付けの冷蔵庫から出しリュックに詰め込むと、712のドアを開けて周囲をきょろきょろ見回した。よし、誰もいない。
鍵を掛けて、そのまま従業員EVの方に向かう。少し早い時間だけど、サトルの部屋に上がり込んでしまおう。
EVの前に来て、また周囲をチェックする。よし、いない。
たぶん、夢見が良くなかったからそちらに気を取られて、階段方面をを見ていなかったのだと思う。実際には、今日もあの視線はあったのだ。それと感じないくらい視線が弱かったか、俺が考え事をし過ぎて感じる間もなかったか。
こういうときこそ周囲に気を配っておかなくてはならないというのに。
これは大誤算だった。
サトルの部屋に着いた俺。多分時間は午前7時20分くらいだったと思う。
ドアを3回、立て続けにノックする。
応答がない。
おかしいな。サトルは部屋にいるはずなのに。
もう一回、大きな音がするようにドアをノックする。
「サトル」
やっと出てきたサトルは、昨日の疲れでまだ寝たままだったらしい。
「あ、海斗。早いね、もう着たの」
「もうって、朝の7時半になるぞ」
「えっ」
サトルは部屋の時計を探した。俺の言った通り、部屋の時計は午前7時25分を指していた。
「ぎゃーっ、何てことだ。寝坊しちゃったよ」
「早く着替えろ、廊下で待ってるから」
「ごめん、少し待ってて」
サトルの部屋の前に立ち、俺は周辺の部屋のドアを眺める。逍遥や譲司たちの部屋はサトルの部屋の近くにあったが、2人とももう部屋を出ただろう。逍遥はプラチナチェイスの選手だし、譲司は生徒会の役目で忙しい。
俺はそちらに回ることなく、サトルが部屋から出てくるのを待った。
5分、10分。何をしてるんだ?まさか・・・ドリンク・・・。
俺はまた大きな音をたててサトルの部屋をノックする。
「サトル、開けてくれ」
そして、開いてるはずのドアを少しだけ開けた。マナー違反だけどね。
備え付けの冷蔵庫の前にサトルは座り込んでいた。
「おいサトル、またドリンク類運ぶつもりか」
「え、だってみんな暑いと思って」
「逍遥にも言われたんじゃないのか。ドリンク類運ぶなって」
「言われたけど、周りの人が飲んでないのに僕だけ飲むのが申し訳なくて」
「止めておけ。今度やったら退学処分食らうかもしれないんだぞ」
「どうして?」
「言いたかないけど、どうしてサブ落ちしたのかわかってんだろ。それなりの理由あったはずだよな」
「うん・・・」
「今度やったら、また始まったと思われかねない。絶対にやめろ。自分でドリンク準備しないギャラリーが悪いんだ」
サトルは黙りこんでしまった。
ちょっと言い過ぎたかもしれない。
「ごめん、言い過ぎたよ。でもサトルが周囲に気を遣う必要はないよ。魔法で自己アピールすれば済むことだから」
「うん・・・」
「沢渡元会長と約束しただろ、魔法で頑張るって。それだけでサトルの価値は上がるんだから、周囲に気を遣わないでいいんだ」
サトルは少し納得がいかないようだったが、俺の言葉を理解はしてくれたのだと思う。ほとんどのドリンク類を冷蔵庫に戻し、自分の分だけ小さ目のリュックに入れて立ち上がった。
「自分の分だけ持ったよ。じゃ、1階の食堂に行こうか」
俺たち2人は、やっとサトルの部屋を出た。時計の針は午前7時45分を指していた。
食堂のバイキングで食したのは、2人ともコッペパンと牛乳に野菜サラダ。
なぜサトルも軽食にしたかと言えば、時間がなかったからだ。
もう、午前8時になる。
試合開始は午前8時30分。
長崎市営競技場まで早くとも15分はかかる。
食べたばかりで動くと俺は腹痛を起こすので、ゆっくりと歩かねばならない。
ゆえに、ちょっとしたものしか口にできない。
俺たちは5分で食事を平らげると、ロビーに向かい、そこに置かれた椅子に座って胃に優しい行動をとる。いうなれば、ぐーたらとロビーの椅子に座っていただけだったが。
午前8時15分。
サトルと俺は同時に立ち上がり、ホテルを出て長崎市営競技場を目指した。
競技場までのルートはもう、俺の頭の中にインプットされている。3次元を映像と捉える脳ミソが、やっと働き出した。
なぜ、こんな特技があるのに俺は迷子になるんだろう。
インプットされたものがアウトプットされるまでに時間がかかるのかもしれない。
大事な時に役に立たないものだとがっかりするのも確かだ。
競技場に着くと、もうギャラリーが集まっていて、応援席は一杯になっていた。
ほとんどが白薔薇高校の応援に来た人らしい。俺たち紅薔薇は完全アウェーで戦うことになる。まあ、完全アウェーだとしてもあの5人が試合中抜けを生じさせるとは考えにくいが。ミスのあった方の負け、と言われているこの組み合わせ。
午前8時半、時間通りに試合は始まった。
全日本と同じルールで試合は続く。W杯では5分ルールがあったが、薔薇6では5分ルールを適用していない。
だが、ちょうど5分後、沢渡元会長と光里会長が一旦離れ新たに陣形を組み直したところで、紅薔薇の陣形にボールが入ってきた。
ボールを追う逍遥。もう試合は決まったようなものだ。
俺の考えていた通り、1分もしないうちに逍遥がラケットを上下に振りボールはラケットの中に吸い込まれていく。
「よし!」
俺とサトルは飛び上がらんばかりに喜びを爆発させた。
白薔薇高校戦、全勝で勝ち点12。
幸先の良いスタートを切った。
薔薇6編 第12章
明日からは黄薔薇戦が待っている。
サトルはアシストボールに出場が決まっている。確か、DF。
黄薔薇戦は楽勝だろうという勝手な思い込みではあるのだが、サトルにとって初の試合出場。
これは是非とも応援せねば。
その日の夕方のことだ、生徒会から通達が回ってきた。
白薔薇戦全勝を祝し20階のセレモニーホールで紅薔薇高校のプチ祝勝会が行われることになった。
午後6時。
普段なら食堂で夕飯を食べる時間。
俺とサトル、逍遥は制服に着替えてEVで20階に向かう。
逍遥は10分もしないうちに勝利を決めたので、今日は特段疲れている様子もない。
かえって俺やサトルの方が、10分とはいえ応援で声を枯らした分、疲れ切っていた。
ホールに入ると、広々とした空間の中心に何台かテーブルが置かれ、椅子は端に寄せてある。テーブルには軽食も置いてあり、立食式のパーティーだ。
俺はまた壁際にて人物観察をしたかったのだが、逍遥やサトルが色々食べたがるのでテーブルと椅子を行ったり来たりしていた。俺たちは行儀悪くつまみ食いばかりしている。
そのうち逍遥は3年の先輩方に呼ばれ姿を消した。
俺とサトルが2人でいると、これまた皿にたんまりとサンドイッチを並べた譲司がやってきた。
「海斗、サトル、久しぶり」
サトルはまだ俺や逍遥以外の人間には緊張していて、譲司の顔を見ると俺の影に身を寄せた。譲司は何も気にしていないようだったが。
俺は久しぶりに会った譲司に、生徒会が忙しいのか聞いてみたかった。忙しいのはわかりきったことなんだけど、譲司は真面目だからサボるということを知らないだろう。
「譲司、ご無沙汰だったなあ。忙しいのか、生徒会」
「生徒会の仕事がこんなにハードだとは思わなかったよ」
「でも、楽しそうだ」
「うん、麻田先輩がとても気を遣ってくれるんだ」
「そりゃよかった。生徒会の集まりに顔を出さなくていいのか」
「今日くらい好きにさせてもらうさ、と言いたいところなんだけど」
「勿体ぶった言い方だな」
「今も生徒会の仕事中だよ。海斗、唐突なお願いだけど、黄薔薇戦と次の桃薔薇戦でマジックガンショットに出てくれないか」
「上杉先輩がいるじゃないか。俺はあんなに速く撃てないぞ」
「上杉先輩、なんか身体の調子が今ひとつなんだ」
「そうなのか」
「白薔薇戦では10分台まで落ち込んで本人もがっかりしててさ」
「それにしたって、俺より早い先輩方はたくさんいるだろう」
「W杯のGリーグ予選では上杉先輩が引っ張って競技を進めたけど、何せ八雲だろう?あとは八月十五日先輩が調子悪かったから、上杉先輩はひとりで試合を作っていかなければなくなって、どうやらオーバースペックで戦ったらしくて。薔薇6になってから疲れがどっと出た感じなんだ」
「それにしたってなあ」
「光里会長と沢渡元副会長からの親書もあるよ、見る?」
「みたら絶対出場になりそうな気がする」
「いいじゃない。黄薔薇と桃薔薇は絶対に反則しないチームだから」
「わかったよ。じゃあ、上杉先輩のピンチヒッターで出る。先輩の体調が良くなったら引っ込むことでOK?」
「ありがたい。早速会長たちに報告しなくちゃ」
そう言いながらも、譲司はサンドイッチを大きな口を開けて頬張っていた。
やがて譲司の皿は空となり、一息ついたように、ふぅと息を吐き出した譲司は、俺とサトルに手を振って生徒会の連中がいるテーブルに向かい軽やかな足取りで消えた。俺が出場を即答したからだろう。
明日は午前にアシストボールの試合が白薔薇高校近くにある薔薇大学魔法技術学部のグラウンドで、午後はラナウェイの試合が大学構内で行われる。明後日はマジックガンショットとプラチナチェイスが薔薇大学魔法技術学部のグラウンドで予定されている。
しばらくして、3年生から解放された逍遥が俺とサトルの座っている椅子に向かってルンルンと言わんばかりにスキップしながら近づいてきた。何かハッピーな出来事でもあったのだろうか。
逍遥はクールなのか子供じみているのか分らない時がある。
俺とサトルを目の前にした逍遥は、徐に右手を差し出し俺たちに握手を求めた。
「逍遥、どうした。楽しそうじゃないか」
「君たちが試合に出るからだよ」
「サトルは明日アシストボールに出るからな」
「海斗も明後日マジックガンショットに出るでしょ」
「ああ、さっき譲司に口説かれた」
ほう、という表情。逍遥は俺に掛ける言葉を選んでいるようだった。
「君のマジックガンショットは姿勢がとても綺麗だから」
「姿勢が得点に反映されるとは思えないけど」
逍遥はチッチッと右手の人さし指を振ると、熱心に語りだす。
「姿勢が良いと、射撃の際にスピードが増す可能性があるんだよ。相対的に撃ち落とす時間は短くなる。こればかりは、デバイスで何とかなる物じゃないからね」
「そういうものなのか。でもこっちに来てから練習してないよ。練習場もないんだろ?」
「夜間練習場は学部のグラウンドにあるらしいよ。ナイター形式だから昼間とは若干感覚が違うけど。これから動けるようなら、生徒会に申し込んでおいでよ」
サトルは譲司がいなくなってから俺の隣に移動していた。
「練習、僕も見ていい?」
「サトルはアシストボールの走り込み、しないの?」
「あ、しなくちゃ。今晩中にしておかないと。外は嫌だから、僕もグラウンドが良いな」
「なら、一緒に701に行こう」
逍遥はパーティー中にも関わらず、中座して無理矢理俺とサトルを誘いだした。701の部屋にいくために廊下を歩いていく俺たち3人。
俺にとっては初めての経験だったから、勿論のこと、何も知らない。サトルだってそうだろう。サトルの顔を見ると、すっかり緊張している。無理もない。サトルは昔沢渡元会長に嫌われていたし、生徒会というだけで顔から脂汗がにじみ出ている。
「逍遥。施設の使用許可は生徒会を通さないといけないのか?」
「そうだよ、海斗。サトルのアシストボールも、練習は今晩しかないから。アシストボールの出場者はみな今晩練習場を確保してるはずだ」
サトルは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「知らなかったよ。今まで全然練習していない。走り込みよりそっちの練習が先かな」
逍遥は歩みを止めずに笑った。
「サトルの技量なら走り込みだけして体力をつけていればOK。走り込みはしてるんだろう?」
「うん、それくらいなら」
「それなら大丈夫。すぐに勘を取り戻せるから」
逍遥はいつも速足だ。
背の高いサトルは歩幅を逍遥に合わせていたが、俺は合わせられず小走りに近い状態でついていく。
EVで7階のボタンを押す逍遥。
もちろん従業員用ではなく客室用EV。
他校の薔薇校生徒も一緒に乗ってくる。制服を見ると、薄ラベンダー色の上衣にディープロイヤルパープルの刺繍。紫薔薇高校の生徒だ。
紫薔薇高校は明日から青薔薇高校との対戦らしく、青薔薇高選手の行き過ぎた行動に少し不満があるようだった。
紫薔薇高校の連中は、俺たちに聞えるのを嫌がっている。小声が増々小さく聞こえる。俺たちが後から乗ったので話を聞きとり易かったのもあるが。
青薔薇はラフプレーが多すぎる。そして高校生にも関わらずタトゥーを腕に彫っている生徒がいるらしい。青薔薇ってそんなに自由なんだと思ったが、人は見かけに寄らぬもの。タトゥーがあろうがなかろうが、流れに乗ると爆発的に力を発揮する、と紫薔薇高校の生徒たちは話していた。
逍遥は気にもしていないのだろう。一度ちらりとみたはずだが、その後は目元ひとつ動かさないで黙ったまま。
サトルは目の前の生徒がタトゥーを彫っていないにも関わらず目さえ合わせようとせず、明後日の方向を向いている。俺もどちらかと言えばサトルに近い。タトゥーという言葉だけでも拒絶反応がある。2人とも、本当にビビリだ。
20階の会場から7階に着いた。
逍遥は大きな顔をして、ゆっくりとした態度で降りていく。
俺とサトルは、小さくなってダダダーッとEV外に出た。紫薔薇の連中も、おかしな二人だなと思ったことだろう。
またもや廊下を歩き、やっと701の前に着いた。
俺とサトルは先程のタトゥー騒ぎでかなり消耗していた。
逍遥が俺の背中をバンバン叩いて猫背気味だから直せと言う。言われて初めて気が付いた。
俺もサトルと一緒に、深呼吸をしながら背筋を伸ばした。
俺たちが落ち着いたところで、逍遥はドアを3回ノックし誰かが出てくるまで待った。ドアを開けたのは南園さんだった。
そういえば、南園さんはパーティー会場に居なかったような気がする。亜里沙や明も。亜里沙たちは万年1年?だから面倒なのかもしれない。
「どういったご用件ですか」
南園さんの言葉で、俺は我に返った。逍遥が隣で俺に代わって来訪事情を説明する。
「本日これから薔薇大魔法技術学部のグラウンドをお借りして練習したいのですが」
「どなたが練習されるのですか」
「八朔選手と岩泉選手、そして僕です」
「わかりました。少しだけお待ちください。練習場の予約を確認しますから」
そういって部屋の中に2台ある机のうち、片方に設置されているパソコンの電源を入れた。
俺たちは部屋の中に備え付けられていた椅子に座らされ、待つこととなった。
702とぶち抜きの部屋だったはずだが、今は仕切板で702が見えないようになっている。亜里沙たちはそちらにいるのだろう。通常701は生徒会役員以外の生徒用に開放していると見た。
3分も経たないうちに南園さんはパソコンを閉じ、俺たちの方に足を向けた。
「夜9時からならグラウンドが開いています。使用時間は1時間。午後10時になるとグラウンドは自動閉鎖され真っ暗になりますので、それまでには上がるようにしてください。研究棟の方に行けば灯りが見えてきます。出口は研究棟の南側ですのでお間違えの無いよう」
逍遥が礼をしながら俺たちにも強要する。
「ありがとうございます。グラウンドの鍵などはあるのでしょうか」
「いえ、大学の研究棟が24時間体制で動いていますので鍵は必要ありません」
「はい、わかりました」
「使用後にまたここに着てください。使用した記録が必要ですから」
「はい」
俺たち3人は一旦パーティー会場に戻った。譲司はまだテーブル付近でパクパクと食べていたが、急に食べるのを止めて皿を片付け口に戻した。701に居た南園さんと仕事を替わる時刻が迫ったのだろう。
俺は廊下に出ていく譲司に後ろから近づき声を掛けた。
「ご苦労さん、譲司。今から701か」
「そう。食べるだけ食べようと思って上がってきたんだ」
「今日も遅いのか。無理するなよ」
「ありがとう、海斗」
譲司は客室用EVのある方に向かって速足で歩いていく。
会場の時計を見ると、もう夜の8時半近くになっていた。そろそろお開きになる時間かもしれない。
俺たちはもう一度テーブルに置いてあるサンドイッチやおにぎりなどの軽食に手を出し、野菜ジュースとお茶を飲み干した。
俺が思っていたとおり、午後8時半を過ぎたあたりで光里会長から短い挨拶があり、白薔薇高校との決戦を一旦忘れ、明日からの黄薔薇高校戦にバイタリティを注入しようとのことだった。
セレモニーの最後を締めたのは沢渡元会長だった。
「白薔薇高校との対決を制した諸君、心からおめでとうと言いたい。明日からの黄薔薇高校戦でも気勢を揚げ、このまま薔薇6優勝に向けて頑張ろう、乾杯!」
「乾杯!!!」
俺とサトル、逍遥は皆で祝杯を挙げたあと、そっと会場を抜け出し薔薇大学魔法技術学部に向かっていた。昼間とは全然違う景色がそこにはあった。数カ所にライトを設置しており、俺たちはライトの光る中グラウンドに立っていた。
夏だけれど、外は昼間の暑さよりはいくらかひんやりしたように思われる。
俺は明日使う通常のデバイスを部屋に置きっぱなしで持っていなかったのだが、亜里沙たちがチューンナップした秘密のデバイスで足りるだろうと思い、部屋には戻らなかった。
というのも、秘密のデバイスで練習したことが今までなかったのだ。人前では見せるなといわれていたから。
今晩は俺とサトルと逍遥しかいないので、そのデバイスを使っても差し支えないはず。
本当は、亜里沙たちが作り上げたデバイスがどんなものか知りたかった感も否めない。
サトルと逍遥は実際のFWやDFの動きを確認するのが目的だったらしく、2人でボールを奪い合いしている。それが練習になるのだそうだ。
逍遥はゴールを狙うポスト、サトルはそれを阻止するポストに就いているのだから、この二人の練習は理に適っている。
1時間、他の薔薇高校の選手はおらず、まるっきり俺らの使いたい放題で、グラウンドを縦横無尽に走る逍遥とサトル。
やはりサトルは逍遥には及ばないものの、学年第2位の力は伊達ではない。逍遥ですらボールを奪われる時がある。逍遥が全ての力を出し切っていないのはどの種目でも同じだが、サトルの読みの深さやポジショニングには、だただひれ伏すばかりだ。
俺は2人の練習を横目に、ショットガンのスイッチを入れた。
マジックガンショットの競技ソフトは701で借りた。新しいデバイスで、上限100個をどのくらいのスピードで撃ち崩すことができるか。
「On your mark.」
「Get it – Set」
その言葉とともに、俺は前後左右を気にしながら、レギュラー魔法陣が現れるのを待つ。
立て続けに魔法陣が現れる。素人には、どちらがどの魔法陣だか見分けはつかないだろう。だが俺はイレギュラー魔法陣とレギュラー魔法陣の違いは、もう見切ってある。
レギュラー魔法陣に向かってこっちも立て続けにショットガンを放つ。そしてレギュラー魔法陣も一旦消えるが直ぐに現れる。消えては現れる魔法陣。
レギュラー魔法陣を見つけショットガンで撃ちこみながら、俺は気付いたことがあった。
今使用しているデバイスは、俺の目に特化してあるのでないかと。元々動体視力が良い俺なのだが、今までのデバイスはその動体視力についてこれず、魔法陣を撃ち損じてしまうことが度々あった。今使用しているデバイスは、俺の動体視力にしっかりとついて来ている。なんで動体視力が良いのに運動神経マイナスなのだ?という議論は、また今度にしてくれ。
とにかく、この新しいデバイスを使えば、上限100個10分台も夢ではないと自画自賛する。こんなに使いやすいデバイスを、どうして人前で使ってはいけないのか不思議なのだが、亜里沙に念押しされたものは仕方がない。
俺はいつも腰に2丁、手に持つ分と、計3丁のデバイスを持っている。そのうち手にする分と腰に下げる1丁分は、先輩たちがプログラミングした物らしい。
絶対値として先輩たちの技量が低いのではなく、亜里沙や明、絢人の技量が相対的に高い位置にあるのだろう。
少なくとも今日のデバイスはとても動作が安定しており、使用していて楽に撃てたのは事実だ。
そう言えば、前に逍遥に姿勢のことを言われた。
デバイスを握りながら、なるべく背を伸ばしてもう一度上限に挑戦する。
逍遥の言葉は嘘では無かった。猫背や反り返った姿勢では撃ちづらい。やはり、姿勢が大切なのだと勉強した気分になる。
俺は同じ練習を5回行って1時間に近い時間で全て撃ち終えた。
逍遥とサトルは、俺の練習が終わるまでランニングで走り込みをしながら待っていてくれた。
周りが1度真っ暗になったため、1時間が終了したのだと俺はやっとのことで認識した。
「ごめん、逍遥、サトル」
「いや、いいんだ。でももうここは暗いからホテルに戻ろう」
サトルが目を丸くする。
「海斗のマジックガンショットは上杉先輩に劣るどころか勝ってるともいえるんじゃない?」
「今日は調子が良かっただけだよ」
俺はデバイスのことは皆に話さない方がいいのだろうと思い、敢えて別の答えを用意していた。逍遥は気付いていたんだろうが、何も語らない。
逍遥はその話題には触れたくないと言った風情で、俺たちを急かす。
「さ、そろそろ帰ろう。701に報告に行かないと」
逍遥の言葉に気付き、サトルはそれ以上突っこむのを止め、俺も話はしない。
歩いて10分の道のりではあったが、夜は周囲の様相も変化する。
速く歩く逍遥の後を追いながら、俺たちはホテルに到着した。
ホテルに戻りロビーを抜けEVの前に立った時、別のEVから亜里沙が降りてきた。
「練習終わったのね、3人とも早く701に行って」
「了解です」
「亜里沙、この頃怖い」
「海斗、あんたあとでぶっ殺す」
「EV着たから行くよ。あとでな」
「そうね」
この会話から導き出すに、亜里沙自体が変わったわけでは無いようなんだが、なぜこんなにも心配になるのだろう。
ああ、この薔薇6戦は次代をけん引する選手たちのお披露目の場でもあるのだろう。
その2年以下の選手たちに対する戦術を考案し、実際には亜里沙や明がメインになってデバイス調整を行っているに違いない。
3年はほとんどがGPSや世界選手権に出場する生徒しか残っていない。だから3年の分は先輩方に任せているものと思われる。
とはいえ、3年分のデバイスチェックを2人のサポーターが請け負うのはリスクを伴う。紅薔薇は他の薔薇高校に比べ、3年の数が多い。
もしかしたら、亜里沙と明はそちらの面倒まですべて見ているのかも。それであれば、時間も足りないだろうし、どうしたって真面目な顔つきにもなる。
でも、これは俺の一方的な考えだ。
昔だったらまだしも、今の亜里沙たちの心の中までは、俺にはそのシンパシーすら正しく抱いているのか疑問だ。
亜里沙と別れ701に速足で向かった俺と逍遥とサトル。
701の前に着くと、逍遥は乱暴気味に部屋を3回、ノックする。
10秒ほどで南園さんが顔を見せた。
もう10時も過ぎ、ホテル内の紅薔薇高生は一応消灯時間となっている。守っている生徒は殆どいないが。
「南園副会長、薔薇大魔法技術科のグラウンド使用、終了しました」
「お疲れ様でした。これから明日の策戦会議を行うのですが、四月一日さんと岩泉さん、中にお入りになりますか?」
サトルは目を輝かせた。策戦会議とはいかなるものなのか、見たこともなければ想像したこともないサトル。だから興味が湧き出ているのだろう。
それなのに、逍遥は間髪入れず断ってしまった。
「ありがとうございます。本来ご指導いただくべき立場なのですが、明日に備えて今晩はゆっくり休みたいと思います」
「岩泉さんは?」
サトルが知らない人の中でまともに意見を述べることができるか?いや、無理だろう。
俺の思った通り、サトルも丁寧に誘いを断った。
「申し訳ありません、折角お誘いいただいたのに。僕も今日は休んで明日に備えたいと思います」
「承知しました。では、お休みなさい」
サトルが断りをいれたところで、逍遥が少し低く大きな声で挨拶をした。
「お疲れ様です。では、皆さんによろしくお伝えください」
何を怒っているんだ?逍遥。
逍遥やサトルはドア越しに南園さんと話をしただけで部屋の中には入らなかった。
たぶん、生徒会役員と亜里沙、明が中に居るはずだが、俺に見せまいとしているのかもしれない。
俺が亜里沙たちに感じている思いをなんとなく掴んでいるのか、逍遥は。まるで、そんな動きだった。
701から離れた俺たち。あとの2人も南園さんに告げたように直ぐ寝るのかとばかり思っていたら、逍遥は712で少し話をしようという。
逍遥なりの明日の策戦をサトルに授けるのだろう。
もちろん、俺は快諾した。
俺たちは周囲を見回すと、何事も無かったかのように712の鍵を開け、我先にと部屋に滑り込んだ。
逍遥が先にベッドを占領した。
俺はサトルに椅子を明け渡し、自分はクッションの上に胡坐をかいて床に座り込んだ。
思った通り、逍遥はサトルに明日の注意事項を伝えた。
「サトル、明日の黄薔薇戦はとにかく正確さを重点事項として、沢渡元会長が守るゴールに敵を近づけないようにしてくれ」
「抜かれないようにしないとね」
「正確なドリブルや個人技は黄薔薇高校には無いから、身構えなくて充分だ。あとは体力。30分は余裕で試合できるくらい、走り込みした?」
「体力は任せてよ、自信あるから」
「ならいい。サトルは八雲のような真似しないのはわかってる。ただし、先輩たちからボールがこなくてもしょげることはない。敵の持ってるボールにだけ集中して。自分の仕事を完璧に熟しさえすれば、サトル本来の力を皆が認めてくれる」
「なんだか今から緊張してきたよ」
俺はそういうサトルの背中をバンバンと叩いた。前に明が俺にしてくれたように。
「明日、俺はベンチに入らないと思うけど、逍遥が一緒だから大丈夫だ。サトル、皆にサトルの力を見せつけてやれ!」
「手荒い応援だなあ、海斗」
「そうか?俺はこれで緊張無くなったぞ。明日またしてやろうか?」
サトルはくすっと笑う。
「もし緊張するようだったら海斗のところに行くよ」
俺たちは静かにくすくす笑う。
夜も更けかかり、逍遥とサトルは部屋を出て5階の自室に向かった。
部屋に1人残った俺は、逍遥が座った後のベッドメイキングをさらりと直してからシャワーを浴びる。今日の1時間は結構有意義だった。
問題は、明後日も同じような魔法陣の出現の仕方で、俺の通常デバイスがどこまで反応できるか、だ。
亜里沙に聞いておけば良かった。
調子がいいからあの最後の砦みたいなデバイスを使用してもいいかどうか。亜里沙は渋い顔をするだろうけど。
まあ、俺の場合、薔薇6対抗戦の黄薔薇高校と桃薔薇高校に出るだけだから、使用しても良いと思うんだよね。これがGPSとか世界選手権新人戦まで出場するなら秘密兵器として残しておくのも分かる気はするんだが。
しかし、だ。間違ってもそんなことは有り得ない。
シャワーを浴びた後、熱い身体を冷ますようにベッドに腰掛ける。
俺の薔薇6での出番は明後日。
明日もう一度701に赴き亜里沙か明に、デバイス使用の許可をもらうとしよう。反対されたら他の2機で対応するほかない。
新規のデバイスについては、やはり使用を反対されるような気もするけど。
中々寝付けない。
仕方ないのでもう一度寝る前のストレッチで身体を伸ばし、俺はベッドに転がった。
もう、寝てもリアル世界に戻ることはなくなった。
父さんや母さんはどうしているのだろう。
心配にならないと言えば嘘になる。
でも、あの両親にとっても、厄介払いができたはず。
これでよかったんだと心に言い聞かせ、冷房を点けっぱなしにして俺は布団にくるまった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
朝が来るのが妙に早かったような気がする。
でも、時間はもう午前7時。
目覚ましを掛けて寝たにも関わらず、どうやら寝過ごしてしまったらしい。
今日はアシストボールに逍遥とサトルが出場するので、俺は午前中、ひとりで紅薔薇のギャラリーとして応援することになる。午後はラナウェイだから皆で応援できるのだが。
ちょうど俺が出場するマジックガンショットとプラチナチェイスは明日試合が催される。明日はきちんと目覚ましを掛けて早起きしないといけない。
急いで顔を洗い、頭上にハネた髪にミストを振りスタイリング剤を使って直す。
午前7時15分に準備が整い、急いで1階に降りていく。
逍遥とサトルの2人は、もう朝食を平らげたところだったのだろう。並んで食堂から出てきた。
サトルが俺を上から見下ろして驚いたように言葉を発した。
「海斗、これから朝食?」
「寝坊だ、寝坊」
「じゃ、僕たちはもう行くよ」
「ああ、俺は応援席で大声あげてるから」
「祈ってて」
逍遥は何も語らず、目だけで俺に合図する。
何より、サトルを応援してやってくれ、と。
俺も呼応して握り拳を突きだした。
アシストボールの試合は午前8時試合開始。
薔薇大学までの道のりを15分と考えても、朝ご飯を食べる時間が見つからない。
俺は誰も知り合いがいないのをいいことに、野菜ジュース2杯分だけをごくんと飲み干し急いでホテルを出た。
できるだけ速足で薔薇大学のグラウンドを目指す。
俺一人で歩いてるものだから、色々な考えが頭の中を駆け巡る。
薔薇大学の魔法技術科は長崎にある。
譲司や絢人は、紅薔薇高校を卒業したら長崎に移るのだろうか。魔法技術を極めていくなら、やはり長崎だよな。
遠くなるなあ。
でも、飛行機使えば会いにこれるか。もう、20時間以上もかかるバスはまっぴら・・・。
その前に、俺がその頃どこにいるかわからない。高校生ってのはある程度早い段階から自分の進路を考え、それに沿った勉強をするのが王道だと思ってる。高校生活の3年間を有意義に過ごすかどうかなんて、その後の目的を持てるかどうかにかかっているのだ。大学への進学、就職、どちらにせよ、大事なのは目的。
俺は泉沢学院に入学早々嫌なことがあって、自分の進路を考えられなかった。目的を見誤った。
そこが分岐点なのだと今、気付いた。
長々とそのことばかり考えながら歩いていると、薔薇大学のグラウンドは目と鼻の先にあった。
俺のことはまたいずれ考えよう。
今はこっちの世界に居て、魔法を上達させるより他、俺の目的はない。
つまるところ、現在の俺に課された目的はと言えば・・・薔薇6戦で勝利することだ。
昼は練習場が取れないことと応援に充てられるので時間を取れないが、試合終了後夕方から夜にかけて、長崎市内にある主たる高校の体育館やグラウンドは薔薇6に出場する県内外のチームに解放されているという。結構みんな練習を重ねているらしく、昨夜の俺たちのように突発的に練習をしにグラウンドに潜り込むめるのは極めて珍しいらしい。
ま、何はともあれ、昨夜はラッキーだった。
逍遥がいてくれると、かなり心強い。
冷たいし、いつでもクールだけど、頼りになるのは確かだから。
グラウンドに入り、紅薔薇高校応援席の方に歩いていくとベンチにいる紅薔薇の生徒達が見えた。
サトルと逍遥を探す。
逍遥はいつもの如く飄々とした顔つきで、足を組んでベンチに座っていたが、サトルは緊張した面持ちでベンチの端っこに佇んでいた。
なんか、今にも消え入りそうな表情だ。
どれ、少しだけならいいか。
俺は離話を試みた。
「サトル、サトル」
サトルは緊張の余り、俺の声が届いていないらしい。
「おい、サトル!」
今度は俺の声が聞こえたようだが、先輩に呼ばれたと思ったらしく周りをきょろきょろしている。
何をもたもたしている!と怒りたいところだが、今のサトルの気持ちは十分すぎる程に分かっているから、下手な言葉を不用意に投げたのでは本末転倒になってしまう。
「俺だよ、サトル。海斗だよ」
ようやくサトルは事の本質を理解したらしい。
「驚いた、先輩に呼ばれたかと思った」
「緊張するなというほうが無理だけど、今は自分に出来ることをイメージしろよ。昨日逍遥と練習したろ?」
「うん、わかってはいるんだけど」
「じっと目を瞑って、いい場面をイメージするんだ」
「やってみる」
サトルは俺の言うとおり、目を瞑った。
相手のシュートを防ぐ自分を想像して、画像としてイメージして。残像の中に、ガッツポーズする自分がいて。
そうすれば緊張もいくらかは解れるだろう。あとは身体機能を十分に発揮し、走り負けないよう、体当たりされてもその場に踏みとどまれるよう、自分自身を極限までコントロールしていくだけだ。
サトルは最後に目を瞑ったまま大きく息を吸い込み深呼吸したあと、ゆっくりと目を開けた。
その姿は、自信に満ち溢れるまではいかずとも、正のエネルギーが身体に充足していくさまが見て取れた。
「行ってくるよ、海斗」
その言葉を最後に、離話の通信は切れた。
俺はそのあと、紅薔薇の応援席で一番前の列に空きを見つけ、まんまと収まった。
ラッキー。
ちらちらと、今日こそは亜里沙や明、絢人が来ていないか後ろを確認した。
パッと見た限りでは、居ない。
午前8時。
アシストボール、開始時間。
号砲の音とともに、試合が始まった。
黄薔薇高校は戦術的に、やはり紅薔薇よりも劣っているように見える。先日の白薔薇高校との試合を観てからこちらをみると、実力の開きがよくわかる。
だからといって、レギュレーション違反を行うわけでもなく、ルールには忠実な黄薔薇高校の選手たち。
亜里沙たちを探しているとき、近くで話していた紅薔薇高校の先輩たち、九十九先輩と勅使河原先輩なんだが、ルールに忠実で、なおかつ毎年のように全日本に行けるということは、相当の実力があると同義だと話しているのが耳に入った。
実は俺、耳を掴まれプチ説教されて以来、この2人の先輩がどうも苦手なんだが、相手が俺をどう思っているのかは分からない。
でも、上意下達を地でいってる先輩に代わりないはずだから、近くにいるときは自分から近づき、直立不動で深々と礼をしながら「お疲れ様です」と大声を出すことにしている。
その挨拶を相手がどう思っているかって?
そんなの俺の知ったことじゃない。文句があれば、また捕まるだけの話だ。
捕まらないということは、俺のやり方が少なくとも間違ってはいないことを指しているのだと思うことにしている。
変に逃げたり顔を背けたりする方が、この手の人間には捕まえる格好のエサができたと言わしめているようなものだから。
俺は2人の先輩が今日は近くに座っていたから仕方なく(相手にはそれと気づかせないように)笑顔を作り「お疲れ様です!」と元気いっぱいに挨拶した。
俺が上意下達を遵守していると見たのだろうか、それとも、俺なら赤子の手を捻るようなものだと心の中で思っている・・・そんなこと知るか。
とにかく、2人は前の列に席が空いているのを見つけ、俺の隣に座った。
今日は下手なことを言ってはいけない日になってしまった。あの時後ろさえ振り向かなければ・・・。
たらればを言ってみてもしゃーない、これもまた、流れの一環なのだろう。
こんな日もあるさ。
でも勅使河原先輩は午後のラナウェイに出場するし、試合が終われば一旦ホテルに戻るはずだから、日がな一日一緒にいる訳じゃない。
午後のラナウェイでは、近くに九十九先輩の居ないところを選ぼう。逍遥が何を言い出すか分らないから。
逍遥は、逞しい反面、いつ暴発するかわからない不発弾のようなものだ。不器用だけど不発弾。なんか俺の逍遥談、おかしくない??
試合が始まり逍遥が何度かシュートを放つと、2人の先輩は感嘆の溜息を洩らしている。
逍遥は力で相手をねじ伏せる。小手先の技など逍遥には通用しない。
黄薔薇高校ではどうやら逍遥のシュートを要警戒としマークし始めたようだった。おいおい、白薔薇戦の逍遥を見ていなかったのか?
紅薔薇高校では、生徒会役員から委託を受けたサポーターが各薔薇高校の様子を徹底的に記録して戦術会議に掛けているはずだ。
あれ?先日の白薔薇戦アシストボールでは、4人の先輩サポーターが一緒にアシストボールを見学していた。
確かサポーターが全てを記録すると思ったんだが。
ってことは、亜里沙と明と絢人が各試合会場をバタバタと飛び回っているのだろうか。
あり得るかもしれない・・・。
亜里沙と明はまだしも、絢人はまるっとごろっと入学したての1年だ。
そんなことを考えながらも、俺は沢渡元会長の近くで敵を迎え撃つサトルの方が心配だった。ただでさえ初戦は緊張するのに、近くでGKとして最後の砦を守っているのは沢渡元会長。
サトルの緊張に拍車がかからないわけがない。
紅薔薇はしばらく自陣でボールを動かしていたが、やっと黄薔薇高校にボールが渡り、黄薔薇高校ではカウンターを仕掛けてきた。
素早い縦パス回しで迫りくる黄薔薇高校の選手たち。
すると、どこからともなくサトルが姿を現し相手選手にタックルを決めた。
相手の隙をついた絶妙なタックルで、ボールをGKの沢渡会長に戻して紅薔薇の自陣にロングキックを出し、再び紅薔薇高校の攻撃が始まる。
カウンターを仕掛けた黄薔薇高校の選手たちはほとんどが紅薔薇ゴール前に集まっていたため、自陣のゴール前はがら空き状態で、余裕で逍遥がシュートを決める。
その後も、サトルはよくゴール前を守った。
試合に出られる喜びが、体中に溢れていた。
先輩たちはサトルの必死の守備に唸り声を上げていた。
30分、サトルはゴール前を守りきり、1点たりとも黄薔薇高校のシュートを許さなかった。
反対に逍遥は7回シュートして、そのうち3回成功。
3-0で紅薔薇高校は黄薔薇高校に勝利した。
これで勝ち点3。合計の勝ち点は15に伸びた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
サトルに期待していなかったと思われる紅薔薇高校の応援席では、勝利の瞬間サトルに対し歓喜の拍手が送られた。
個別に声を掛ける人もいた。
サトルは恥ずかしそうに、応援席に一礼するとベンチの影に隠れてしまった。
応援席から笑いが巻き起こる。
沢渡元会長に声を掛けられ、もう一度応援席の前に立ったサトル。
でもやはり、深々と3度お辞儀すると恥ずかしがってベンチに引っ込んでしまう。
沢渡元会長が応援席に向かって手を振りながら大声で叫ぶ。
「今日の立役者だ。1年、岩泉聡。彼に拍手を!」
応援席から惜しみない大きな拍手が送られる。
ベンチの端から顔を出したサトルの目に、大粒の涙が浮かんだ。
消え入りそうな小声でサトルは応援席に挨拶する。
「応援、ありがとうございました」
先輩方の中には、サトルを奮い立たせようとしているのか、もっと大きく声をあげろと叫ぶ者もいたが、沢渡元会長のもう終いにしろという手を大きく上下に振る仕草でその声は消えた。
沢渡元会長はサトルの肩をポン!と一回叩き、今日のヒーローを労った。
午後からのラナウェイに向け、一旦紅薔薇の選手及び応援者たちは薔薇大学を出てホテルに向かう。
俺は午後のラナウェイは応援してもしなくてもどちらでも構わなかったので、速足で歩きながらホテルに戻り、今日夕方の練習ができるかどうか確認するため701に向かった。
701のドアをノックすると、そこから出てきたのは絢人だった。
「亜里沙と明は?」
「隣の部屋で策戦会議さ」
明日の黄薔薇戦について、絢人に俺の希望を伝える。
「俺さ、明日のマジックガンショットで君たちがプログラム組んでくれたショットガン使いたいんだけど、ダメかな」
絢人は何気に驚いたような顔をしたが、良いともダメとも返事をしなかった。
「じゃ、ちょっとだけ向こうに行こう」
絢人は俺の背中を押し702の方に連れて行く。
初めて702の方を見た気がする、たぶん。
ここには仕切があって応接セットが並び、モニターが3台備え付けられ、701とは全く別の部屋になっていた。
亜里沙と明はその中央に座っていた。
「すげっ、お前たち中心人物なの」
亜里沙のパンチが飛んでくる。
「違うわよ、今日の午前は皆試合だったでしょ。だからここに座ってただけ」
「なんでモニター3台もあんの」
「他校の動き見ないといけないからね。ドローン飛ばしてんの」
「上空をドローンが飛ぶにしたって、人の顔まで確認できないだろ」
「こっちの世界じゃ結構開発が進んでてね、リアル世界のカメラワークもどきまで発達してんのよ」
「そうなのか」
明が俺の背中を突く。
「先輩方が来る前に何か聞きたいことあったんじゃないのか」
「そうだそうだ。明日のマジックガンショット、お前たちがチューニングしてくれたショットガンを初めから使ってもいいか?」
2人の顔色が変わる。
「競技の初めから?」
「うん、とっても手に馴染んで撃ちやすいんだ」
また亜里沙が答える側に代わる。
「黄薔薇高校でしょ、相手」
「そうだけど」
「明日は使わないでほしいな」
「なんで」
「あんたを狙った事件が起きやしないか心配してんのよ」
「残り2つだけ使えって?明日は」
「先輩たちのチューニングでも十分勝てるし」
「なんかひっかかるんだよなあ」
「何が」
「どうしてそこまで隠すの?」
「別に隠してるわけじゃないけど。必要になったら使う約束であって。明日は使わなくても勝てる相手よ」
明も亜里沙に同調し、俺の引き留めに加わった。こいつらに言われると、ついつい反論したくなるんだよな。
「そしたら使う暇ないじゃん」
「そのうち嫌でも使う日が来るよ」
「嫌でも使う?なんだそれ」
「なんでもない。今はとにかく支給されたものを使ってくれ。何か不都合があってどうしようも無くなった場合のみ、それを使ってほしい」
やはり、このショットガンを使用することには反対された。
でも、それ以上に使いたい理由をこいつらに示すことはできなかった。
「わかったよ。予備を1丁支給されてるから、ほとんどこれで撃つこと無いと思うけど」
「それが一番平和な状況さ」
ドローンにモニター。
今どきの学校はやることが派手だね。でも、ドローンなら空飛んであっという間に別の会場にも行けるし、上手い方法を考えたものだ。
結局第一の目的は達成できないまま、第2の目的を南園さんに尋ねることにした。
「明日のマジックガンショットまでの間、何処かで練習したいんだけど、空いてるかな」
「すみません、今日の午後から夜までどこも満杯なんです」
「え!そうなの?」
「はい。でも、私が一応押さえている場所があるので、四月一日さんと3人で練習しますか?」
「逍遥は知ってるの」
「はい、ご存じのはずです」
「もしよかったら、その場所、俺にも使わせてください」
「了解です、八朔さん」
「何時からです?」
「午後4時から1時間です。場所は長崎第一高校のグラウンドになります」
「普通高校のグラウンド?」
「はい、この時期魔法競技大会が開催されることは去年から周知済ですし、各校でも応援とかに来てくれるんですよ」
「どこにあるの」
「私と四月一日さんがご案内しますのでご心配なく」
「はあ・・・」
逍遥のことだ、また飛行魔法で移動するのだろう。
歩きや電車よりよほど楽なので、俺としてはありがたい。
「了解です、南園さん、午後3時半、ロビーに集合でいいですか」
「はい、わかりました」
逍遥とサトルは、今頃バスでホテルに到着しているかもしれない。彼らは午後、出場競技は無い。
俺はまずロビーからエントランスに出て、駐車場にある紅薔薇高校用のバスを探した。
バスが見つかったが、誰も乗っていない。
もう2人とも到着しているようだ。
俺は新しいショットガンを使えないもどかしさと、夕方の練習でのパフォーマンスをイメージしながら5階の逍遥の部屋を訪ねた。
ドアを3回ノックする。
シャワーでも浴びているのか、はたまた寝ているのか、応答はなかった。
そのまま廊下を歩き、次にサトルの部屋を訪ねた。
ドアを静かに3回、ノックする。
サトルは今日頑張ったから寝ているかもしれないし。
しかし、こちらの予想に反して、ゆっくりとドアが開いた。そして眠そうな顔のサトルが出てきた。
「悪い、寝てたのか」
「ううん、逍遥も部屋にいるから」
「こいつは好都合だ、俺も入れてくれ」
「どうぞ」
部屋に入ると、逍遥がベッドに横たわりサトルが椅子に座っている。逍遥、ここはお前の部屋じゃ無いだろう。
喉元まで出かかった言葉をごくりと飲み込み、逍遥に声を掛ける。
「南園さんに聞いた。夕方長崎第一高校のグラウンドでマジックガンショットの練習するんだって?」
逍遥は寝ているのか、しばらく返事が返ってこない。
おいおい、寝たいのはサトルだろうが。
眠いなら自室に行けよ。
「逍遥、眠いなら自室に戻ったら」
と、ピョンと飛び起きる逍遥。
「いやごめん、考え事をしていてさ。で、なに」
「サトルが眠そうだから、ベッド譲ったら」
サトルはぶんぶん手を振る。
「僕なら大丈夫。試合で一番動いたのは逍遥だから、疲れもMAXだよ」
「だからこそ、自室で二人とも仮眠とったら」
目を瞬かせて逍遥が俺に迫ってきた。
「で、何」
俺は自分がなぜ逍遥を探していたかもう少しで忘れるところだった。
「ああ、南園さんに聞いたんだ、長崎第一高校での練習の話。午後3時半、下のロビーで待ち合わせ。行くんだろ」
「行くよ。黄薔薇戦前、最後の練習だしね」
「まさか、飛行魔法で行くのか」
「よくわかったね」
「そう思ったよ。サトルはどうする?休んでる?」
「僕も行きたい。向こうで走り込みの練習するから」
「で、サトルは飛行魔法使えるのか」
「高度10000mは無理だけど、10mくらいなら上がれるよ」
「なんで10000mが例えに入るんだよ・・・」
サトルの例えがあまりに極端だったので、俺は思わず吹いてしまった。
「飛行機のとこまで昇るって、ないだろ、普通」
「逍遥なら飛べると思うんだけど」
「はあ?」
逍遥は特に自慢する様子もなく、立ち上がりサトルの冷蔵庫にしまっておいたらしい「逍遥」と書いたドリンクを取ってごくごくと飲みだした。
一気にドリンクを飲み干した逍遥が、俺の前に座り直す。
「非常時には飛ぶよ。今は平時だから100mくらいまでしか飛ばないようにセーフティロックかけてるけど」
目は点々、口はあんぐりという、何とも間抜けな俺の顔。
上には上がいる。
サトルだって技術では俺より何倍も秀でていると思う。
俺はこいつらを見習って猪突猛進とはいわずとも、技を覚え成長しなければ。もう総てに優遇された第3Gの時代は終わったのだから。
昼飯を食べていないという2人と一緒に、俺は1階の食堂へ降りた。
今日はトマトと胡瓜の野菜サンドイッチにスクランブルエッグ、野菜ジュースとスパゲティサラダを取ってゆっくりと食すことにした。
午後1時開始のラナウェイまで、あと3時間以上あるからのんびりできる。
俺が野菜ジュースを飲もうとグラスを手にしたときだった。
久しぶりに、あの視線が俺を襲った。
食い入るような目つきをしているであろう、不気味な視線。
でも、もう慣れたというか、いちいち反応していられないというか。
騒ぐだけ馬鹿らしく感じてたのも正直な気持ちだった。
幽霊騒ぎだけ止めてくれれば、もう睨まれても何でもいい。
睨む理由はじっくりと聞きたいけど。
どうせ、第3Gが気に入らないとかいうんだろう。それにしてみても俺が望んだことではないし、怒るなら俺を引っ張ったとされる沢渡元会長たちに目を向けて欲しい。
無視を決め込んだところ、5分くらいで視線は止んだ。
逍遥は俺の顔つきを見て何かを感じていたようだが、何も語らないでくれた。サトルはそちら方面には疎いらしい。サトルは元々が性善説で生きていると思う。逍遥は、性悪説に基づいて生きていると断言できる。
事実、俺も性悪説で生きているから。幼い頃は人を信じてばかりだったが、高校に入学しこちらに来る過程で、それはまやかしだと心の底から気付いた。
まやかしの話は後でたっぷりと聞かせてあげたいけど、たぶん、一晩眠ったらまやかしが何だったのかさえ忘れてると思う。
ごめん。
とにかく、視線は無視すると決めサンドイッチにかぶりつく俺。
食事にも集中したいのだが、5分も睨まれていたのでそれは叶わなかった。最後にやっと視線を外され、スパゲティサラダだけはとてもいい気分になり、サラダも美味しく感じた。
食事は楽しんだ方がいい。集中して食べれば、栄養になる。
さて。
午前11時までゆっくりと昼食を楽しんだ俺たち3人だったが、逍遥とサトルが着替えるため5階に上がり、俺はロビーに向かった。逍遥は前回の白薔薇戦同様、炎症を起こさないよう肩を冷やしていたから制服に着替えていなかった。サトルも肩こそ冷やしていなかったものの、体中の傷に対し、自己修復魔法をかけて傷を治してから制服を着るのだと自室に上がっていく。
へえ、サトルは自己修復魔法を熟せるらしい。
教えてもらおうっと。
実は・・・逍遥の教え方は具体性に欠けるという欠点がある。
サトルはとても丁寧に教えてくれる。俺以外の2人ができる魔法なら、逍遥には申し訳ないがサトルに教えて欲しいと願うのだ。
午前11時半。ロビーに逍遥とサトルが連れだって現れた。
「やあ、海斗。お待たせ」
「身体の調子はどう?疲れてない?」
と言っては見たものの、2人とも自己修復魔法をかけているのだろうから、疲れもとれているだろう。
そう考えている俺の表情を読みとったかのように逍遥が口を挟む。
「自己修復魔法は、傷には効くけど疲れそのものをとってくれるわけじゃないんだ。だから僕もサトルもある程度の疲れは残っているよ、ね?サトル」
「うん、30分無我夢中で走り通したから、足にはキテる」
少なからず驚いた。亜里沙じゃあるまいに、逍遥も読心術が使えるのか?
「僕は読心術までは無理だよ。キミが何をどう考えているか論理立てて、言葉を選んでるだけ。でも、当たらずとも遠からず、だろ?」
「いやあ、読心術まで使えるのかと思ってびっくりしたよ」
「そこまでいけたら本物なんだけどなあ」
本物、か。亜里沙と明は本物というわけだ。亜里沙に出来て明にできないわけがない。
俺たち3人は薔薇大学グラウンドを目指し歩き始めた。
黄薔薇高校の生徒達と一緒になった。
黄薔薇高校の生徒たちはとても礼儀正しく、譲り合いの精神を弁えていた。
サトルは礼儀正しい所作を知っており、向こうとのやりとりも堂に入るものだ。
逍遥はと言えば、相変わらず飄々としたもので、一連の所作をさらっと熟して一番前を歩いていた。
俺なんぞ、サトルを真似るのだがどうも何かが違う。顔が真っ赤になってしまった。
黄薔薇の連中を追い越して歩く道すがら、サトルに所作を教わるのだが、どうも脳に蓄積されない。地図や人の顔なら3D状態で脳に蓄積されていくんだが。
どうも、俺の苦手分野らしい。
俺もサトルも、お互いの顔を見てふふふと笑い、諦めた。所作はサトルを見て覚えることにした。
そんなことがあったので、薔薇大学のグラウンドまではあっという間だった。
ベンチには、勅使河原先輩と定禅寺先輩、そして譲司がスタンバイしている。グラウンドの両端から選手が大学の構内に出て、そこをテリトリーとしてラナウェイの競技が行われる。
ドローンを飛ばして大型モニターに映った選手を声の限り応援する俺たち。
譲司は2戦目なので、緊張も解れてきたことだろう。
両者がグラウンド端に着いたらしい。
号砲がグラウンド中に鳴り響く。
俺たちは、応援席をモニター寄りに変えながら、大型モニターを凝視した。
今回の黄薔薇戦は、紅薔薇高の策戦勝ちというところか。
勅使河原先輩と定禅寺先輩が囮になり、建物の陰に隠れながら中央に寄っていく。一番外側にいた譲司が次々と背中を見せている相手を倒し、号砲が鳴り響いた。
30分もかからない短時間3-0で、紅薔薇高校は完全勝利をものにした。
勝ち点3、合計勝ち点18。ダントツで突っ走っている紅薔薇高校。
明日のマジックガンショットやプラチナチェイスについても、紅薔薇の優位は動かないとみてよさそうだ。
その日、一旦ホテルに戻った俺は、部屋で一回シャワーを浴びるとジャージに着替えた。今は午後2時。ロビーに降りるにはまだ早い。今日はもう黄薔薇戦への出番はないから、サトルの部屋は空いているはず。
いつものように軽くノックしてサトルが出てくるのを待つ。
「はーい」
よし、サトルの声だ。
「俺、海斗。下に降りるのまだ早いからさ」
「いいよ、1人でいるより愉しいし」
「助かったー。3時前まで置いてくれ」
俺はアシストボールで先輩たちが唸っていたことを知らせようと思った部分もある。
「サトル、アシストボールの守備、完璧だったな」
「いやー、出し抜かれた部分も何度かあって、悔しくてさ」
「それでも先輩方、唸ってたぞ」
「海斗、犬やオオカミじゃないんだから」
「いや、あれは唸ってるとしか形容できない表現だ。ところで逍遥は来てないの」
「逍遥は701に呼ばれたみたい」
「明日の策戦か」
俺は時計の針が午後3時を示す頃、サトルに礼を言って1階のロビーに降りた。
俺のジャージ姿は決してカッコいい方ではないが、紅薔薇高のユニフォームは、なにより、目立つ。
その恰好のまま練習するなんて俺には無理。
「紅薔薇でーす、よろしくねー」
なんて言っていそうで。
だから普通のジャージを着ている。
俺が椅子を探していると、青薔薇高校とすぐ分かるユニフォームを着た男子が3名ほど踏ん反り返って椅子に座り、テーブルの上に脚を載せていた。
こ。怖い。
でもロビーの椅子はそこにしかない。
仕方なく、俺は青薔薇の連中が見えない位置まで移動し、待ち合わせ時間まで立つことにした。
午後3時30分になるかと言う頃、南園さんが走ってきた。ああ、胸を見るとときめくのがばれるので、歩いて下さい。それと前後して逍遥がゆっくりとした足取りでこちらに向かって歩いてくる。
ところがその時、走ってきた南園さんの足を引っ掛け、転ばそうとした不遜な輩がいた。さきほどの青薔薇高校の生徒だ。
前のめりになって体制を崩す南園さん。
さすがに彼女も怒りを覚えたのだろう。
言って分る人間たちではなさそうだ。どうする?
南園さんは、すっと右手を青薔薇高校の奴等に向けた。
口は閉じられ、頭と足下から冷気が噴き出てやつら個々を覆っていく。
これでもう、減らず口も叩けまい。
魔法を使うのは、決して良い解決方法とは言えまい。が、しかし。たとえそうだとしても、悪いのは向こうだ。
思い出した。
俺の部屋が寮といわれたあの日。
いや、次の日だったかな。
亜里沙が迎えに来て、紅薔薇に行かないと駄々をこねたら、冷気が俺を包んだことがあった。てっきり沢渡元会長かと思っていたのだが、あれはたぶん、南園さんの仕業。
あんな事もあったよな、遥か昔に感じる。まだ3ケ月しか経っていないのに。
と、青薔薇高校の生徒は逆切れして、高校生が使ってはいけないとされる魔法で妖獣を召喚した。
南園さん、ピンチ!!
そこに横から躍り出たのが逍遥だった。
「キミたちは練習場に行ってて」
南園さんが俺の腕を引っ張る。
「ここにいても邪魔になるだけです。行きましょう」
俺としては、逍遥がどんな風に戦うのか見たかったんだけど・・・。
それもまた、悪趣味なのだろうか。
俺は後ろを振り向くこともなく、南園さんに引っ張られてそこから逃げ出した。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
南園さんは長崎第一高校に行く前に、701に走った。
光里会長や沢渡元会長に現状を報告するためだろう。
青薔薇高校の妖獣召喚魔法を聞いた生徒会役員。
その名を聞いた瞬間、役員室から飛び出したのは亜里沙と明だった。その後を南園さんが追う。
「海斗!あんたも行くわよ!」
え、亜里沙。そんなこと言ったって俺、防御魔法知らないんだけど。
しかし、逍遥ひとりにあの連中を任せておくこともできない。
EVに乗った亜里沙が宿泊階ボタンに右手を翳すと、EVは瞬時に1階についていた。たぶん、これも魔法の一種なのだろう。亜里沙にモノを尋ねても応えてくれそうなシチュエーションではない。個人的には魔法を教えてもらえなくて残念だが、致し方あるまい。・・・あ、これが移動魔法か。国分くんの得意魔法。
と、現状を直視しろ。俺。
EVから飛び出した俺たちはロビー周辺に急いだ。
逍遥は、妖獣と相対するものの微動だにせず、青薔薇の生徒たちはへらへらと笑いながら召喚した妖獣と逍遥の対峙を遠巻きに見ている。
そこに走っていったのが亜里沙だった。
いつにも増して表情が硬い亜里沙は、妖獣と逍遥の間に制服のまま足から滑り込んだ。
「四月一日くん、海斗たちと練習会場に行きなさい」
「先輩、大丈夫ですか」
「先輩は余計」
なぜか、正体がわかってからの亜里沙は声が低い。
明も同じようなモノだったが。
亜里沙が青薔薇高校の生徒に向け、最後通牒とも取れる言葉を発した。
「貴方たちもこれを仕舞って部屋に戻りなさい」
「えー、紅薔薇さんならこんな貧相な妖獣くらいささっと片付けるんじゃないの」
亜里沙は呆れ果てて、ふぅ、と小さく息を吐きだした。
「あたしらがそれ倒せば、貴方たちの肉体にも害が及ぶわよ、それでもいいの?」
「お前のような下っ端が来たところでこの妖獣は倒せない。生徒会長でも呼んで来いよ」
明は大きく溜息を吐く。
「亜里沙、ここは俺が」
「そうね、明。久々にあんたに任せるとするか」
明が両手を組んで2本の人さしと中指を揃えた。
すると妖獣は砂の城のごとく徐々にその姿は見えなくなっていく。代わりに、青薔薇高校の生徒たちは息苦しさを訴えてその場に倒れ込んだ。
「だから貴方たちの肉体にも害が及ぶわよ、って注意したのに」
亜里沙は、ほら見たことかといった表情で、フロントのお姉さん方を探しに行く。
明はといえば、俺たち3人(逍遥、俺、南園さん)の前に立ち、念を押した。
「今見たことはスルーしてくれ。誰にも話さないように。特に海斗」
一番初めに名指しされた俺。
「俺ってそんなに口軽いかな」
「こっちに来てから口軽くなったのは確か。さ、このまま長崎一高で練習してほしい。くれぐれも、俺の発した魔法を真似しないように」
「簡単そうだったけどな」
俺の独り言。どうも明が話すと一々反応しないと気が済まない事に気が付いたが、もう遅い。
逍遥は俺の頭に拳骨を落すと明に深く頭を下げ、俺の腕を引っ張る。
「承知しました。これから長崎一高に行ってまいります」
南園さんと逍遥と一緒にホテル玄関を出た俺たちは、角を一本曲がった場所で立ち止まった。
逍遥が何も言わず飛行魔法の体勢に入った。
南園さんも同時にバングルを付けた。
時間が相当押してしまったから、1回15分と仮定しても、2本しか練習できそうにない。
俺も飛行魔法の体勢に入り、3人で宙に舞いあがった。
「2人とも10mくらい上がって、足下に四角を書いて。そして×印を加えて書くんだ」
南園さんはすぐに10m浮き上がった。運動神経、いいよなあ。
俺も負けじと同じくらい浮き上がるのだが、今日は何故か身体が重い。
「2人とも最初に行ってて」
しかし、俺は長崎一高の場所を知らない。なんかいい方法がないものか。
「現地まで道標残してくれるか?一高の上で花火でもしてもらえれば、それを頼りに行くよ。今日は身体が重いんだ」
逍遥が急に顔を強張らせた。
「何か変な物食べなかった?誰かからもらったドリンク飲まなかった?」
「いや、まったく身に覚えがない」
「魔法力が落ちてるんだよ、君の」
「理由になりそうな行動もしてないつもりだけど」
「じゃあ、なんだろう。どこかで式神にでもつけられたかな」
俺の目の前が暗くなる。逍遥が段々と迫ってくるのだ。
すると南園さんが逍遥を押しのけて俺の前に立った。
「八朔さんは今日練習しなくていいと思います。明日に備えて体調を管理しないと」
逍遥も、何度となく頷いている。
「今日の練習で成績悪かったら明日まで負の感情が持ちこされてしまうからね」
南園さんは、空中浮遊しながら俺の手を強く握った。
「そうです。こういった試合の場合、負の感情が一番始末に負えません」
逍遥は南園さんを見て豪快に笑う。
「海斗は僕と南園さんの射撃を自分の射撃としてイメージして。そうすれば間違いなく、10分前後でフィニッシュ可能だから」
そんなにすんなり行くものか?
でも、俺に合わせて浮遊していたのでは練習時間が過ぎてしまう。
「わかったよ、自分のペースで長崎一高まで行くから、2人は最初に行って練習してて」
逍遥と南園さんは、猛スピードで去っていった。
一高までの道のりがわからず俺は途方に暮れていたが、遠くで何度か花火のような閃光が走るのを目撃した。
ああ、あそこに違いない。
逍遥が居場所を教えてくれている。
少し遠くではあったが、重い身体を騙し騙し閃光が走った場所目掛けて浮遊する。
俺は腕時計をしない主義なので、今が何時なのかもわからない。でも、少しぐらいは2人の練習を見て良いイメージを蓄えなければ。
それにしても、どうして今日に限って身体が重いのだろう。
逍遥に話した通り、体調が変化するようなことは一切していない、つもりだ。朝ご飯を食べなかっただけで、こんなに体力が落ちるか?
いや、寮にいるときはいつも食べてないけどこんなに体調が悪くなったことはない。
15分後、やっと俺は長崎一高のグラウンドの真上に着いた。
ちょっとふらつきながら地面に降りる。
逍遥と南園さんは立て続けに出てくるレギュラー魔法陣をこれでもか、という勢いで撃ち落としていた。
それを見ながら、明日の俺の射撃シーンをイメージする。
逍遥の姿勢と南園さんの射撃角度。
今に始まったことではないが、あらためて見ていくとどちらも凄く参考になる。
俺はグラウンドの端から2人の射撃を見落とすまいとしていた。
上限100個の射撃時間が二人とも10分台。
俺が自分の目標としてイメージしていた速さだ。
たぶん、明日のマジックガンショットでは俺が足を引っ張る分、2人の射撃スピードはもっと上がるだろう。
負けることをイメージしてはいけない。
「やあ、着たね」
逍遥がグラウンドの端まで歩いてきた。
「あと1回やりたかったけど、青薔薇高校のバカに時間盗られちゃったな」
南園さんも逍遥の隣に立つ。
「仕方ありません。光里会長と沢渡元会長が青薔薇高校の生徒会に厳重に抗議しているはずです。私たちは試合に出るのみですから」
「まったく・・・。ここにきて海斗の調子までおかしくなるし」
「八朔さんの様子は、山桜さんに見せてはどうでしょう」
「そうだね、それが一番早いかも」
2人の会話についていけず鼻の下を指で何度もこすっていると、急に逍遥が俺の方に顔を向ける。
「帰ろうか、海斗。南園さんには先に生徒会役員室に行って事の次第を報告してもらう。僕たちはゆっくり帰ればいい」
「そうですね、私が最初に戻って報告します。飛行魔法の調子が悪いことも話しておきますので」
「サンキュー、気を付けて」
俺とまともに話もしないまま、南園さんは飛行魔法でホテルに戻っていった。
「僕らも帰ろう」
逍遥はゆらりと宙に浮き、俺にも浮くように指示する。
やはり、身体は重かった。飛行魔法だけか?果たして、他の魔法に影響はないのだろうか。
これなら、上杉先輩が出場した方がいいのではないか、という素朴な疑問が俺の中に渦巻く。
「なあ、逍遥・・・」
「ストップ」
逍遥は俺の口に手を当てる。
「上杉先輩は、メンタルが原因で今大会には出られない。僕たちが出場するしか方法はないんだ」
そうだったのか。では、方法は限られてくる。
「今日2人の射撃を見てたから、イメージとしては最強だよ。あとは、どうして飛行魔法が上手くいかないか、それだけ」
「海斗の他の魔法が使えるどうか試したいね」
「うん、部屋ん中なら透視や離話があるね、あとは、ラナウェイの時に使った魔法」
「海斗の場合、建物の陰にいる人間が見通せるんだっけ」
「そう。今大会はラナウェイでないからあまり関係ないけど」
「ホントは長崎一高で撃たせたかったけど、万が一あったら君のことだ、直ぐに落ち込むからねえ」
「そんなに自己肯定感低いかな」
「低い。自己愛は普通かなって思うけど」
「逍遥は?」
「自己肯定感も自己愛も高いよ。スーパー高校生だ」
「自分で言うか?」
「誰も言ってくれないからね」
笑いながら俺と逍遥はゆっくりと空に飛びだした。
逍遥が、この辺の街並みに手を翳してみろと言う。言われるままに、俺は口笛を吹いて右手を街の街路樹に向かって当てた。
街路樹が、風に揺られながらキラキラと輝く。
輝く木々を見ながら、逍遥は機嫌が良いといった顔つきで微笑む。
「へえ、こんな使い方もあるんだ」
俺はちょっと鼻を高くした。この魔法はどうやら人々が満足になる程度までは使えるようだ。
あとは、透視と離話。
サトルの部屋に右手を向けて、サトルを呼び出す。
「サトル、いるか?サトル」
もしかしたら、離話も使えなくなっているのかもしれない。ただ、サトルの部屋の中だけはハッキリと見えた。たぶん、ホテルからは4~5キロ離れていると思う。
「部屋の中だけは見えるけど、離話ができないようだ」
「そうか、じゃ、僕もサトルを呼び出してみるとするか」
逍遥が透視しながらサトルに呼びかけていた。
やはり、返事はないらしい。
「シャワーでも浴びてるんじゃないか。2人ともつながらないなんて、有り得ない」
逍遥のこの自信はどこからくるんだろう。
俺は少し可笑しくて、ケラケラと笑ってしまった。
顔を赤らめながら逍遥が言い訳チックに両腕をぶるんぶるんと振っている。
「何がおかしいもんか。2人もサトルに連絡がつかないなんて、異常事態に匹敵するよ」
「そうか?でもまあ、君でも呼び出せないのなら、俺の離話が使えないかどうか今は判断できないわけだ」
「海斗、俺は先に行くよ。君が帰ったら、2人でサトルの部屋に直行しよう」
逍遥は飛行魔法の速度を上げる。
俺もそうしたかったが、やはり身体が重く感じられ前に進めない。
別に頭が痛いとか腹が痛いとか、病気の兆候もないのにどうして飛行魔法だけ使えないのか。バングルをしないとやはりダメか。
バングルはホテル自室のリュックの中に無造作に仕舞ってあるはずだ。今日の夜にでも、ホテル近くで実験してみよう。
時に下に落ちてしまいそうになる身体を重力に逆らいながら上向かせ、俺はホテルを目指した。ここで降りる訳にはいかない。降りたらその時点で迷子になってしまう。
前進したり立ち止まったりを繰り返しながら、ホテルまであと少し。この「あと少し」という距離感が非常にもどかしい。
その時、男性の声で離話が入った。
「海斗、大丈夫か」
明の声が鮮明に聞こえる。
「おお、明。あと少しでホテル前に着くよ」
「着いたらすぐに701に来てくれ。こちらで診たいことがあるから」
「了解」
俺はもどかしさを募らせつつ、ホテルへと飛行していった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
やっとホテル前に着いた。
ゆっくりと時間を掛けて地面に降りる。
飛行時間、通常なら10分のところ、帰りは30分。
だいぶ飛行能力が落ちている。
ロビーに入ると、いつも以上に人影はまばらだった。
俺は来客用EVを使い701の部屋に急ぐ。なんだか、空中から降りたにも関わらず、身体そのものも重く感じる。
明の声が結構遠くまでとおるから亜里沙が離話しなかったのかもしれないが、いつもうるさい亜里沙が連絡を寄越さないのはちょっぴり驚きで、不安だった。
「失礼します」
俺はいつもより丁寧にドアをノックした。
しばらくすると南園さんの声がして、ドアが開いた。
「どうぞ」
今日は702まで開け放し、広い間取りとなっている。ああ、ドローンの大型モニターで試合を観ていたのか。
応接椅子に座っていたのは、沢渡元会長、光里会長、麻田部長、譲司、南園さん、そして亜里沙に明。
沢渡元会長が立ち上がって俺の名を呼んだ。
「八朔、こちらへ来い」
「はい」
少なからず緊張しながらも応接セットの方に足を進める。まだ、身体は重かった。
「ちょっと身体を見させてくれ」
沢渡元会長の言葉が早かったか、亜里沙や明が立ち上がったのが早かったか。
俺の隣に立ち、ジャージの上を脱げと言う亜里沙。
こんな場所で?と恥ずかしく思う俺に話す時間すら与えず、俺は上衣を脱がされTシャツ姿になった。
亜里沙は上衣を丁寧に観察し始めた。
「やっぱりね」
亜里沙の前だとどうしても言葉が汚くなる。
「なんかあったのか」
「式神よ」
「式神?逍遥が言ってたな」
明も俺の身体を前にして、身体検査でもするように色々と見回し叩いた。
「四月一日くんも気付いてたのか」
「なんのことだ?」
「呪詛だよ」
「なんだ、それ」
「平たくいえば、呪いさ」
室内は騒然となった。
明日黄薔薇戦に先発する生徒が呪詛を受けた。
それだけでも十分抗議に値する。抗議する相手が見つからないというお粗末さはあるものの、事態は急を要するものだ。
騒然とした空気がなお漂う中、亜里沙が俺の肩に手を掛けた。
「まず、この呪詛を祓わないとね」
亜里沙は部屋の片隅にあった箱から大きな数珠を取り出すと、静かに手を合わせた。
何秒ほど手を合わせていただろうか。
次に、俺の前に立ち、呪文のように九つの字を呟き始めた。そして人さし指と中指を合わせて手刀をつくり、呟く度、空中に縦横に四縦五横の格子を描いた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
見事なモノだった。どうしてかわからないけど、俺の身体からみるみる重さが消えていく。
まったくもって、すっかり元気になった俺は、亜里沙に聞いた。
「何をしたんだ?」
「『破邪の法』って呼ばれる九字を切ったの」
「呪文?」
「みたいなものね」
亜里沙は真面目な顔を崩さず俺に指示する。
「明日、デバイスには注意して撃ってよ」
「普通のデバイスは2丁あるよ。でも取り替えるとなると、その分時間かかるな」
そう、時間にロスが生じるのだ。
亜里沙はあっけらかんとした表情で平然と言ってのける。
「初めから両手撃ちしたらいいじゃない」
「無理だよ、今まで練習したことないし」
「そうなの?今からじゃ無理か。これからは次の試合に向けて両手撃ちの練習しないと」
「明日しか出ないんじゃないの、俺」
「上杉くんの調子次第ではこれからのマジックガンショット出ずっぱりよ」
そうだった、逍遥も言っていた。
上杉先輩がメンタルやられてるって。
でも、調子が良くなったら俺の出番はないはずだし、上杉先輩のほかのメンバーは逍遥と南園さんなんだから、メンタルも何も心配ないと思うんだが。
俺は、呪詛とあの視線が同一人物なのかについても考えていた。
読心術で俺の考えを知ったのか、逍遥のように論理立てて推察した結果、言葉を選ぶ余裕ができたのか。明は俺の考えを全否定する。
「海斗、お前は今後もすべて出場するつもりでいてほしい。それから、呪詛を働いた犯人を探すことのないように」
亜里沙も同意したように、再び俺の肩に右手を乗せ一度だけ小さく頷いた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
その夜は1人でパンと野菜ジュースだけという少なめの夕食を摂り、ショットガンの手入れと長めの睡眠を心掛けた。
身体はもう軽く感じていたし、部屋に置きっぱなしだったデバイスは見ただけではどこも故障しているようには見えない。701にデバイスを持ち込み亜里沙と明に見せたが、今のところは大丈夫だろうという心許無い返事しか返ってこない。
今のところ?
奇妙だ。少なくとも亜里沙は白黒はっきりさせたがる性格なのに。
念押しすると、一定の時間が経過すると現在の状態を変化させる魔法があるというのだが、そこまでは発見できないという。
といって、その魔法が掛けられていないとは限らない、という言い分だ。
亜里沙たちをもってしても見つけることの出来ない高等魔法。
もし、もしそんな魔法を使える人間がいたとしたら、よほどの手練れに違いない。
その上に、魔法が関係していると仮定しての話ではあるものの、俺のデバイスに魔法を行使している者がいたとして、それが紅薔薇生とは限らない。
何らかの方法で712に入れさえすれば済む話だ。
亜里沙が俺の顔を見てデコピンの準備をしてる。
「海斗、もう何も考えないで今晩は休みなさい」
701を離れ自分の部屋に戻った俺は、今晩も中々寝付けなかった。
今の時間、逍遥なら起きているだろうか、明日の午後はプラチナチェイスの試合があるが。
サトルはもう試合がないけど、今頃疲れ果てて寝ていることだろう。
俺はどちらかが起きていれば7階から5階に降りてみようかと、透視を始めた。
まず、逍遥の部屋。
机に向かって何か考えながらデバイスを磨いている。
というのも、しばし手が止る時があるので考え事をしていると分る。
「逍遥、逍遥」
逍遥はすぐに俺だと気が付いたようだった。
「海斗、まだ寝てなかったのかい」
「うん、逍遥と別れてから701に行って、色々わかったんだ」
「そう。やっぱり呪詛だったか。祓ってもらった?」
「ああ、身体も軽くなった。デバイスも持ち込んで見てもらったけど今一つ色よい返事じゃなくて。でもデバイスは通常の物使えって」
俺は、亜里沙たちでも見つけられない高等魔法が隠れている可能性はあるかもしれないが、最初から秘密兵器デバイスを使うのは禁止されたことを話した。
ついでに、最初から両手撃ちするようアドバイスを受けたことも。
逍遥は笑った、いや、作った笑顔なのがよく解る。
何かヤバイこと言っただろうか。
逍遥はたまにすごく冷たくなる時がある。たぶん、今もそう。
早々に切り上げるか。
俺は就寝の挨拶をして離話を止めた。
時間は9時。もう少し起きていたい気はするが、デバイスやシューズも手入れをしたし、何もすることはない。
ああ、ストレッチしよう。いくらか身体に負荷をかけて少しずつ身体を伸ばす。
そしてまた、エアコンを掛けながら布団にくるまった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
明朝は午前5時に目が覚めた。
腹持ちということを考えても、今日は午前6時半までに朝ご飯を済ましておかなければ。
ジョギングにでも行こうかと思ったが、時間が足りない。
仕方ないので、部屋でストレッチをして身体を解すしか手はない。
ストレッチのあと、時間をかけてシャワーを浴びユニフォームに着替えて、逍遥に離話する。
「おはよう、逍遥」
「やあ、海斗。やっと起きたね」
「失礼な。朝の5時には起きてたよ。もう1階に降りる準備もできてる」
「そうかい。僕も今準備が整ったところだから、5階に降りておいでよ」
「サトルは一緒のバスに乗れないから、今日は別行動か」
そのときサトルが離話に交じってきた。
「おはよう、逍遥、海斗。僕も食堂には一緒に行けるよ、その後は別行動でどう?」
こういうとき、逍遥の判断力はとてもスピーディーだ。
「じゃ、2人とも507まで来てくれ。サトル、自分の分だけドリンク持ってくれよ」
ブラックジョークか本気なのか、逍遥の考えが読めない。
俺は黙って離話を切り、リュックにデバイス3丁とドリンク類を入れて部屋を出る。
もちろん、部屋を出る前にドリンク類を開けた跡があるかどうか念入りに調べた。
712に誰かが入っている可能性は皆無とは言えないから。
507の逍遥の部屋に行きドアをノックすると、サトルがドアを開けてくれた。
「おはよう、海斗」
「おはよう。皆揃ったな、1階に行くか」
逍遥の部屋の時計を見ると、時間はもう午前6時30分。
俺たちは部屋を出て逍遥が厳重に鍵を掛け、3人で食堂に急ぐ。
食堂はマジックガンショットに出場する各校の選手でごった返していた。
俺たちもてんでんに分れ、トレイに好きな料理を皿に盛っていく。
えっ?てんでんの意味が分からないって?
てんでんにとは、別々に、という方言らしい。仙台や京都でもそういった方言があると聞いた。岩手にも似た言葉があるはずなんだが。
いやいや。今はそういうことより、試合に備えた話をしよう。
俺は今日、野菜ジュースとポテトサラダだけ。食べるのも面倒だし、何より胃腸の調子を整えたい。
逍遥やサトルはしっかりと和食をチョイスしている。
2人に比べたら、俺の皿がいかに貧相に見えることか。
それでも、俺の胃腸はこれしか要求していない。
「相変わらず海斗のトレイは軽いなあ」
逍遥が何と言おうが、試合の日だけは胃腸を壊したくないからこれでいい。
午前7時までに、3人とも食事を摂り終えた。
バスがホテルから出発するのは午前7時20分。午前7時30分からは、会場で少し練習ができることになっている。
バスも出発の準備ができているようだ。ドライバーさんが運転席に座っている。
サトルとロビーで別れて、俺と逍遥はドライバーさんに朝の挨拶をしながらバスに乗り込んだ。
南園さんがバスに向かって歩いてくるのが見えた。食堂では見なかったが、もう食事を摂ったんだろうか。女子は色々とめかしこむから、早めに朝食を摂ったかもしれない。
俺たちの席の前で立ち止まり椅子に腰かける南園さん。
「おはよう、南園さん」
「おはようございます」
「モノは相談なんだけど」
「どうしました?」
「今日の先手、海斗にしない?」
「昨夜の策戦会議では最後と決めていたのですが」
「海斗の出来を見てから自分の射撃スピードを決めたいんだ」
「そうですか、では、生徒会役員の先輩方に聞いてみます」
南園さんは目を瞑ってホテルの方に右手を翳した。
しばらくの間、俺と逍遥は何も話さず南園さんを見つめていた。
3分くらい、そうしていただろうか。
俺には結構長く感じたのだが。
ふっと目を開けた南園さんが逍遥に目をロックして、告げる。
「了承されました。私、八朔さん、四月一日さんの順でいかがでしょう」
「それは一番有難い順番だ。あとで生徒会の皆さんによろしく伝えてください」
「思い切り、撃ってこいとの指示がありました。八朔さん、よろしくお願いします」
俺が緊張してしまわないようにとの逍遥の心配り。
もし俺が練習通りの結果を残せなかった場合、自分が射撃スピードを上げる算段なのだ。
デバイスのこともあるし、俺は爆弾を抱えて試合に臨むようなものだったから。
俺たちが話し終えた頃バスが出発し、10分ほどで薔薇大学のグラウンドに着いた。
「さ、行きましょう」
南園さんがくるりと後ろを振り向いて、にこやかに微笑む。
俺の薔薇6戦、開始。
練習では秘密のデバイスは使わなかった。手持ちの2台を両手に持ち、残りの秘密兵器は腰にぶら下げてある。
万が一デバイスの片方がダメでも、すぐ左手から右手にデバイスを持ちかえられるように。
全日本の試合から2か月。少々試合勘が鈍っていたので最初は緊張してしまったが、すぐにその緊張は解けた。
手持ちのデバイスでも、練習で上限100個を10分台後半でマークできたからだ。
昨日のイメージトレーニングが効いたらしい。
姿勢を真っ直ぐに保ち指先に力を込める。たったそれだけなのだが、射撃スピードはものの見事に上がっていた。
相手は黄薔薇高校。
今までの試合を観る限り、黄薔薇高校は恐れるに足らず。
自らの記録を伸ばすことだけを考えさえすれば、自然と結果はついてくる。
競技開始の午前8時が近づいた。
南園さんがグラウンド中央に歩いていく。
俺と逍遥はベンチに座っていた。ベンチには絢人も座っている。デバイスの関係で俺に指示を与える為だと気付いた。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲が辺り一帯に轟き、試合が始まった。
先攻は紅薔薇高校。
南園さんの射撃は以前よりも正確さを増し、上限100個を10分台ジャストくらいのスピードで撃ち終えた。
汗さえも掻いていないような余裕。クールな横顔で息を整えながらベンチに戻ってくる南園さん。
グラウンド内の大型モニターに表示された数字。
上限100個を撃ち落とすのにかかった時間は10分ジャスト。
紅薔薇高校の応援席から、外野の南園ファンから、拍手が巻き起こる。
少しだけ気が楽になった。
俺に何かアクシデントがあっても、次には逍遥が控えている。
よし。心の準備は整った。
南園さんとハイタッチをして、デバイスを両手に持ちグラウンド中央に進む。
「On your mark.」
「Get it – Set」
またも鳴り響く号砲。
俺の心臓の音もドクン、ドクンと波打っているのが聞こえるような気がした。
マズイ、心臓の鼓動に気を取られ、一歩出遅れた。
レギュラー魔法陣を見切って右手で撃ち続ける。
撃っても撃っても、なお出続ける魔法陣。
もう100回は出ているのではないかと錯覚さえ起こる。
しかし、これらが全部消えるまで俺は撃ち続けなければいけない。
と。
右手に持ったショットガンが異変を起こし、狙いが定まらなくなった。レギュラー魔法陣に狙いをつけているはずなのに、レギュラー魔法陣を素通りして宙に消える。
やはり何か細工がされてあったのか、それともたまたま調子が悪くなっただけなのか。
いや、そんなことを考えている暇は無い。
俺はすぐさま左手に持っていたデバイスを右手に持ち替え、魔法陣を探し出した。
時間のロスは最小限にと思ってはいたが、魔法陣から目を離し両手を見たことで、ロスがどれくらいだったのか自分では把握しきれない。とにかくレギュラー魔法陣を撃ち続けるしかない。
今、開始してから何分経ったのだろうか。
魔法陣を見切る術は心得ていたし、姿勢も逍遥をイメージし発射スピードですら南園さんを真似していたから、上限100個はもうすぐ出尽くすと思われた。
必死にレギュラー魔法陣を探していると、急に辺りが明るくなり、魔法陣そのものが全て消え去った。
ああ、終わった。
時間だけが気になった。
上限100個、何分で撃ち落としたのだろう。
グラウンドにある大型モニターを見ると、11分後半と出た。上限100個、11分後半で撃ち落とすことができた。
これまでの俺のパーソナル・ベスト。
途中でアクシデントが起こったわりにはスピードが追いついていた。
一安心といったところか。
ふと気が付くと、俺は全身汗びっしょりだった。
汗を右手で拭いながらベンチに向かう。
ギャラリーから、拍手や罵倒する声などが入り混じって聞こえてくる。
仕方がない。
アクシデントが何によるものかわからない以上、俺にも責任はある。上杉先輩のように9分台で立ち回れないから罵倒も何もかも受け入れなくてはならない。
ベンチでは逍遥が最終射撃者として準備を始めていた。グラウンドへ向かっていく逍遥。入れ違いに「お疲れ」とひと言だけが俺の耳に届く。怒っているわけではないのは知っているが、もっとこう、もうひと言でいいから何かプラスの言葉が聞きたかったぞ。
南園さんがハイタッチを求めてきて、俺はそれに応じた。
「おめでとうございます、なかなかいいタイムでしたね」
「途中でデバイスがおかしくなったから焦っちゃって」
すると南園さんは突然黙り込んで絢人の方に助けを求めるような目で訴えかける。
すぐに絢人がベンチを移動して俺の前に立った。
「どうしたの」
「途中で狙いが定まらなくなって。魔法陣に合わせられなくなった」
「見せて、デバイス」
「こっちがダメになったやつ」
異変を起こしたショットガンを見せると、絢人は右手を翳していたが、ショットガンそのものが赤くパチパチと光を帯びた。
「やっぱり」
「デバイスそのものが悪かったのか?」
「そうだね、君、このデバイス部屋に置きっぱなしだったろ」
「実はそうなんだ」
「誰かが部屋に入って直接魔法をかけたか、間接的に呪詛をかけるかしたんだね」
「また呪詛か」
「まったく、嫌われたものだねえ」
「相手が分らないから困るんだよ。わかっていれば止めさせてるさ」
「そうだね、このデバイスは預かっていくよ」
「おう、お願いするわ」
逍遥の試合を応援することなく、絢人はグラウンドを去った。
「On your mark.」
「Get it – Set」
再び鳴り響く号砲。
逍遥の射撃スピードは、いつものそれとは違っていた。
まっすぐに背を伸ばし魔法陣も確認せずに右手だけで撃っているように見えた。
なのに、総てがレギュラー魔法陣に当たっている。
たぶん、8分台くらいで撃っていると思われた。
俺のミスを庇うような逍遥の動きで、どんどん魔法陣は消えていく。
上限100個を軽々と打破し、逍遥の射撃はすぐに終わった。
息も上がらず平静を保ったままベンチに戻ってくる逍遥。
8分台ですら、逍遥の本気ではないということか。
逍遥が上限100個を撃ち落とすまでに一体何分かかったのか。
大型モニターに映し出される速さ。
なんと、観客は7分台後半という驚異的な数字を見ることになった。
黄薔薇高校の応援団からは悔しさの混じったため息が漏れるとともに、紅薔薇の応援席や魔法大学の学生、純粋に試合を観戦に来た人からは、弾け飛ぶような歓声が上がった。
後攻としてグラウンドに出たのは黄薔薇高校。
全員が上限100個を11分台後半で撃ち抜くという凄い成績を残したが、紅薔薇の驚異的な数字を破ることは叶わなかった。
紅薔薇高校勝利。
勝ち点3。累積勝ち点21となった。
午後からは、プラチナチェイスが行われる。
逍遥は今日も丸一日の出場となる。
バスでホテルに着いてからもすぐに701に駆り出され、策戦会議があると言って姿を消した。
その代りサトルが俺のところに来て、労いの言葉をかけてくれた。
「すごいじゃない、海斗。全日本の時よりタイム良くなってるって周りの人たちが言ってたよ」
「たまたま。イメージ通りには撃てたけど、途中で時間のロスもあって万全じゃなかったし」
「時間のロス?何かあったの?」
「デバイスが故障したんだ」
「えっ」
「だろ?大事な試合でデバイス壊れるなんて縁起でもない」
「だから両手にデバイス持ってたのか。両手撃ちするのかと思ってたけどしなかったから、変だなとは思ってたんだ」
「そのデバイスは没収された。これで出場機会が無くなればそれはそれだけど、なんか不穏な空気流れてるし」
「僕、アシストボールで桃薔薇戦も出場してって譲司くんからさっき依頼されたよ」
「サトル、おめでとう。君の頑張りを周囲が認めてくれた結果じゃないか」
「ありがとう。こっちはデバイスというより自己修復魔法をかければいいだけの話だから」
「その前に怪我しないような魔法ってなかったっけ」
「今のところはないかな。自己修復魔法で行くしかないみたい」
「結構つらいな」
「でも、試合に出られるだけで嬉しいから」
「サトル、これからも魔法でアピールしていけよ。君には才能がある」
「海斗のマジックガンショットも凄いよ。上杉先輩がダメージ受けてるっていう噂が広がっててさ。誰が出るんだろうってみんな興味津々だったみたい」
「で、俺が上杉先輩より出遅れたからブーイング飛んだんだろ、聞こえてたよ」
「ううん、それよりも応援の声の方がすごかった」
「そんな風に慰めてくれるのはサトルだけさ」
俺たちは笑いながら1階食堂に入った。俺はユニフォームのまま。1回シャワーを浴びればいいのだろうが、その気も失せるくらい、正直、納得のいかない結果ではあった。あのまま撃っていれば10分台に乗ったかもしれないから。
昼ごはんは、逍遥がいないのを良いことに、クリームスープのスバゲティと乳酸菌のジュース。
サトルも同じ物を食べると言って一緒にバイキング料理のスパゲティコーナーを回る。
「紅薔薇のスナイパーじゃない?」
周囲からそんな声が聞こえる。
やはり、一旦部屋に帰って着替えるべきだったか、失敗した。
でもまあ、料理まで取ってしまったものは食べないと。
俺とサトルは、急いで乳酸菌のジュースを飲み干すと、早々に食堂を出た。
「サトルは明日の桃薔薇戦もアシストボールに出るんだよな」
「うん」
「自己アピールだけは忘れるなよ」
「アピールは苦手なんだ」
「わかるー。俺も苦手」
「海斗はそういうの苦手じゃないと思ってた」
「俺、運動神経マイナスの男として向こうの世界じゃ有名だったからさ。こっちに来てようやく身体動かすようになったし」
「でも、今は選手として大会に出られるくらい上達したじゃない」
「特訓だ、特訓の成果」
EVで5階に着いた。
今は午前11時。サトルは、部屋の中で読書しているので昼の12時半に迎えに来てくれという。
了解、と声を掛けた俺はそのまま7階に上がった。712の部屋まで歩いて鍵穴に鍵を差し込み右へと回す。
特に今まで部屋の鍵を掛け忘れたこともないし、大体においてこの部屋は5階にカムフラージュ部屋があっての隠れ部屋だ。そこにショットガンなりのデバイスを置いているというのに、どうやって呪詛をかけたんだろう。
俺の行動を調べている人間がいるということか。何かで俺が隙を見せたのかもしれない。
部屋に着いて一旦ベッドに寝転がっていると、ドアをノックする人がいた。
不審には思ったが、もう幽霊騒ぎは終息したはず、と自分に言い聞かせドアを引いてみると、そこには絢人が立っていた。
「やあ、海斗。お疲れさん」
「ありがとう」
「早速だけど、デバイスの件。やはり呪詛だったみたい」
「呪詛でデバイスまで壊せるのか」
「それなりの使い手であれば、現物を見なくても式神を飛ばして部屋に入ることができるから」
式神ったって、じゃあ鍵なんて何の役にも立たないということじゃないか。反則だ。
俺が辟易したような顔をしたのを、絢人は見逃さなかった。
「で、結局、君のデバイスはすべて702で預かることにしたみたい。練習で必要なときは702に取りに行く。秘密のだけはずっと自分で持ってて。置き去りとかダメだから気を付けてね」
「いちいち702に行くの?ひとつくらい、自分で管理するよ。2丁あるし」
「うーん。今回最後に使った奴は大丈夫そうだから持っててもいいんじゃないかな」
「お願い、702には君が伝えてくれ」
「わかったよ。今日の午後はプラチナチェイス見に行くんだろ」
「そのつもり」
「デバイスの保管方法、ちゃんと考えてね」
絢人との会話が終わり712に入ったのは昼の12時前。もうすぐサトルを迎えにいかなければならない。
俺は部屋の中を一通り観察して人の出入りがあったかどうか調べてみた。でも全然そんな様子はない。
やはり、部屋に入ったのではなく外から式神なりを使ったに違いない。部屋番号さえわかれば、式神を使うのも簡単にできるということか。
最大級の反則だ。
こっちは何もできないじゃないか。
ただ手を拱いて見ていろという犯人の小賢しい顔が思い浮かぶようで、腹だたしさが募る。
そんなことを考えながら、部屋の中をさらっと整理しているといい物を見つけた。スマホだ。電話の代わりはできないが、写真や動画が撮れる。これを使えば、今日の午後プラチナチェイスを応援している間に部屋の様子を動画に残せる。
早速俺は使い慣れない動画のボタンを押し、周りを本で囲んだ。揺れてスマホが転がらないように、最新の注意を払った。
ちょうど昼の12時25分。
712の部屋で撮影準備を調えた俺は、静かに部屋を出る。
ちょっとワクワク気分。
犯人が直接俺の部屋に入るとは思えないが、何かしらの動きが撮れるかもしれない。
俺は従業員用EVに乗り、鼻歌を歌いながら5階で降りた。
510、サトルの部屋まで廊下を歩く。
昼、12時半。
サトルの部屋のドアをノックした。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
サトルは元気にドアを開け俺を迎え入れた。
「もう準備終わったの?僕も終わったところだから出掛けよう」
「おう」
「なんか機嫌良さそうに見える」
「実はさ」
俺はサトルを心の底から信じていたので、歩きながら小声で712での策戦をサトルに話してしまった。
サトルは面白そうと言って笑っている。
「じゃあ、戻ってくる夕方には何かあるかもしれないんだね」
「そ、何かあれば生徒会役員部屋に証拠として持っていく」
「何か、探偵みたいで面白そう」
「そこまで本格的ならいいんだけどさ。部屋の中に呪詛かけられてるなんて縁起でもないよな」
「犯人は君が712にいること知ってるんだろう?また部屋を交換したら?」
「お、サトル、冴えてる。そうだ、部屋を変えればいいんだ」
「うん、5階に戻ってもいいだろうし、7階で新しいとこ見つけてもいいし」
サトルの案を採用し、戻ったら生徒会役員部屋に部屋交換の依頼に行くことにした俺は、ちょっとだけ心が晴れた気分で薔薇大学のグラウンドを目指すことができた。
プラチナチェイスの黄薔薇戦も、会場は薔薇大学のグラウンド。徐々に俺たちは歩幅を大きくし、歩くスピードを上げた。
薔薇大学に着くと、紅薔薇の応援席はもうほとんどが埋まっていた。
プラチナチェイスは各競技の中でも学校の威信をかけたワンランク上の競技だから自ずと応援する側もハイテンションになる。
その上、薔薇大学の魔法技術学部も長崎市内にある。後輩の勇士を応援しようという紅薔薇の卒業生が多数押し寄せる。
その他、全日本優勝校という触れ込みもあって、長崎界隈から応援に来る人々も多い。
俺とサトルはやっとのことで後ろの方に席を見つけて並んで座った。
いや、プラチナチェイスに限らず、どの競技でも紅薔薇高生以外の応援団が多かったのだと今にして気が付いた俺。
そうだよ、紅薔薇高生は30人前後しか長崎に来ていないのだから。
ちょっとマヌケな感じがして、自分で自分を笑い飛ばしたい衝動に駆られたが、そのまま笑ったら周囲から変な目で見られること請け合いなので、今は止めておこうと自分の気持ちを抑え込んだ。
プラチナチェイスの試合が始まった。
思いのほか黄薔薇高校は善戦し、陣形の中にボールを入れ込む策も巧みだった。
しかし紅薔薇は光里会長と沢渡元会長が相手の隙を突きボールを押し出したり、黄薔薇の選手が間違えて自陣のボールを見失ったりと徐々にこちらに有利な状況になり、やっと紅薔薇の陣形が安定したのが開始後約15分。
陣形ができあがれば、あとは逍遥がボールを捕まえるだけだ。
今回も逍遥は応援団の期待を裏切ることなく、ものの2分ほどでボールをラケットの中に収めた。
紅薔薇高、勝利。
勝ち点3、総合勝ち点を24に伸ばした。
選手に送られる惜しみない拍手の中、光里会長が大きな身振りでガッツポーズした。
薔薇6編 第13章
黄薔薇校戦も全勝し、生徒会役員部屋では残された皆が気を良くしていたと思う。
俺とサトルは、そっと応援席を抜け出し、ホテルへの帰路を急いでいた。
712のスマホの撮影部分を見ることと、部屋の交換を申し出ることだった。
2人とも、無駄話もしないで黙々と歩く。ただ、ひたすらに歩く。
思った以上に早くホテル前に着いた。
俺はひとりでスマホを見るのが怖くて、サトルの背中にしがみついた。
「なあ、一緒に712に入ってくれよ」
「僕、呪詛とか怖いからイヤだ」
「そんなこと言わないで。俺だって1人じゃ怖くて」
「しかたないなあ、海斗。じゃ、一緒に入ろう」
「スマホ持ったら直ぐに部屋出るから」
712の部屋の鍵を開け、そっとドアを押す。中は別に変わりなく、禍々しい空気も感じられない。俺は机に置いた本を退けてスマホを手にした。そしてもう一度だけ部屋の様子を見ながら、部屋の鍵を閉めて廊下に出た。
サトルはと言えば、俺の左腕に掴まって部屋に入りはしたものの、何も言わず俺の腕を握りしめるだけ。
俺たちは、本物のビビリだ。
サトルが自分の部屋で観るのは怖いと言い出したので、俺たちは一緒にロビーに降りて映像を見ることにした。
ロビーにEVで降りていくと、幸い、他校の生徒はいない。
片隅の椅子に向かい合って腰かけ、俺とサトルは頭をくっつける。
映像を再生する方法が分らなくて2人とも段々こめかみに筋が立ちそうになったが、やっとのことで画面を操作して、再生映像が流れた。誰もいないロビーだったので音量のことは考えていなかった。
すると、「ドン!!」「ドン!!」「ドン!!」と3回大きな音がして、俺たちは互いに仰け反ってしまった。俺なんぞ、スマホを床に落とすくらい驚いた。
スマホを拾い上げて、もう一度再生する。
音の他は何も変わりが無いかのように見えたのだが、不思議なことに窓のカーテンが揺れていた。窓は閉め切っていたのだから、カーテンが揺れるはずがない。
いつ録画されたのか、またスマホの操作方法が分らず気が立ってくる俺。
ようやく録画時間を確かめると、昼の12時35分。
俺が部屋を後にした時間だ。
あの時選手やサポーターとしてバスに乗っていた人を除けば、全員にアリバイが無いとも言える。いや、バスに乗った人だけにアリバイがあると言った方が正しいだろう。
また幽霊騒ぎかよ・・・。
俺、お化けとか幽霊大嫌いなのに・・・。
「海斗、これ、変だよ」
サトルの声で我に返った。
「また幽霊騒ぎだよ。俺、幽霊とか大嫌いなのに」
「これって人間がやったことじゃないかな」
「式神ってか」
「違う、透明人間っていったらいいのかな」
「ドンドンいうのはドアを開けてる音で、姿は隠れてるように見えるけどカーテンの揺らぎまでは計算できなかった、って感じ」
「で、式神を放ってまた何かするつもりだったとか?」
「うん、たぶんドンドンとノックしてたんだと思う。7階ではほとんどの人が応援に行ってた。応援に行ってないのは生徒会役員だけだよ、海斗」
「701にさえ見つからなきゃいいってことか。さて、どうするかな、この映像」
「僕には誰がやったか見分けられないけど、先輩方なら見分けがつくかも。701に持っていこうよ」
言うが早いか、サトルはすっくと椅子から立ち上がった。
右手を俺に差し出して。
どうやら、つかまれという意味合いらしい。
俺は右手を差し出して、引っ張り上げてもらった。
予てからの流れどおり、701に行くとするか。
EVに乗り7階のボタンを押す。
俺は亜里沙のようにEVまで変えてしまうような魔法は知らない。
だからオーソドックスな方法で7階まであがった。
701のドアを叩く俺。
今日は光里先輩や沢渡元会長こそ試合でいないはずだけれど、譲司や南園さん、麻田部長、亜里沙や明もいるはずだ。
絢人がサポーターの役割を1人で果たしている分、亜里沙たちは何もしないで701に篭っている。
「はい、どなた」
中から亜里沙の声がする。701にいるとは珍しい。いつもは702の応接セットに座っているのに。
俺は半ば安心して、勢いよくドアを開けた。
「亜里沙!大変なんだよ、聞いてく・・・」
701の方では生徒会役員総出で机を並べていた。
亜里沙は旗振り役をしていただけだった。
「で、何が大変だっての」
「今、いいのか?」
「いいわよ、あたしは何もしてなかったし。向こうで聞こうか」
702の応接椅子を指さす亜里沙。
俺とサトルは顔を赤くしながら皆の前を通り過ぎる。
譲司、たまには生徒会にも力仕事があるんだな。初めて知ったよ。
応接室の椅子に(初めて)腰かけた俺とサトル。
サトルは生徒会ということで緊張しながらも、リラックスを心掛けようともがいているのがわかる。
俺は、通い慣れているような気がする。緊張はするけど。
ああ、そんなことより。
「聴いてくれよ、亜里沙」
「うん、話してみ」
「俺の部屋、712の方な、なんかおかしいんだよ」
「どんな風におかしいっての」
「これ、見てくれ」
俺はスマホをポケットから取り出し、映像の再生処理を行う。
激しい音とカーテンの揺らぎだけが映像として残されている。
俺の気が付かないうちに、明も傍らに来ていた。
「この動画、撮影時間は何時?」
「今日昼の12時35分、俺がプラチナチェイスの応援で部屋を出てから10分後だ」
「なるほど、犯人が何かを仕掛けてからでも余裕で応援に行ける時間帯だ」
亜里沙も明に負けじと大きな口を出す。
「712、どうする?あんたのことだからそこじゃ眠れないでしょ」
「お見込みのとおりさ。どっか部屋余ってないかな」
「うーん、結構満杯なんだよね、昔のとこに戻る?」
「あそこはもっと嫌」
さすがの亜里沙も、閉口したようだった。
「あんた、ホントに我儘ね」
「我儘上等。なー、どっかないの?」
「じゃ、701に泊まればいいじゃん」
「えっ」
ちらと701を見ると、南園さんがハラハラした表情でこちらを見ている。
もうすぐ会長たちが戻るからか?
「俺、シングルの部屋で一人でしか眠れないの知ってるだろ」
「あんたってば、相変わらず・・・めんどくさい」
「今回ばかりは助けると思って。桃薔薇も俺が出るんだろ?」
「しっかたないわねえ。あたしの部屋と取り換えようか」
「お前の部屋6階だろ。女子の間で眠れっかよ」
「従業員EVに近くて北側に向いてる部屋なら女子とも会わないじゃない」
「7階にそう言う部屋ないの?」
「ないことはないけど」
「口が重いな。なんかあるのか」
「事故物件」
「っていうと、その・・・あれか」
「そう。泊まれる?」
「いや、無理」
両手のひらを亜里沙に向けて、事故物件は丁重に遠慮させてもらった。
「じゃあ、707にしてくれる?」
「なんだ、空いてんじゃん」
「沢渡くんと光里くんの間だからね。そこなら犯人も来ないでしょ」
「えっ、2人の間?」
「そうよ。文句ある?あそこしか空いてないのよ。弥皇くんが来るものとして去年から予約してたからね、キャンセルで浮いたってわけ」
「弥皇先輩が泊まる予定だったのか」
「そう。うちは5階から7階まで全て借り切ってるから。個別の予約とは違うの。この時期のホテルって、どこが薔薇6戦取るかで凌ぎ削ってんのよ」
会長と元会長の間なら、不埒な幽霊でもお化けでも現れまい。
「有難い。712から貴重品だけ持ち出すわ」
明が701のドアに立って俺たちを通そうとしない。
「712で式神混入してたら、どの部屋いったって変わりないぞ」
俺もハタと気付く。
「そうだな、どうすりゃいいんだ?」
亜里沙が深いため息をつく。
「あたしが行って712を祓うしかないでしょ」
明も一緒に行くという。
「2人ならなおさら心強いな、サトル?」
サトルがいない。どうやら緊張の連続だったらしく、生徒会役員の亜里沙たちにため口を利いている俺を見て、目眩を起こし譲司が自室に連れ帰ったという。
譲司が5階から701に戻った。その表情は決して硬くは無かった。
「サトル、どうだった?」
「少し緊張しただけだって。大丈夫、明日のアシストボールには出れそうだ」
亜里沙が701を出て、712に向かう。明も一緒に。
俺はつかの間の3人体制を満喫している気分だった。
2人は俺の部屋に入るなり、「うっ」と低い声を洩らしドア付近まで後退した。
「海斗、よくこんなとこで寝てたわね」
「俺でも無理だ」
俺はきょとんとして二人を交互に見る。
「だって5階の部屋のように札貼ってるわけじゃなし」
「ここ、生霊いるよ。前に来た時はいなかったけど。なんにせよ、早めに気付いてよかった」
まず明が、人さし指と中指を並べて空中に四縦五横の格子を描く破邪の法を試す。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
亜里沙が、不服そうな顔をしている。
両手で手印を結ぶ『剣印の法』を試すと言って、九字を唱え出した。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!!」
亜里沙たちは、部屋の中の隅々まで右手を翳す。
部屋全体がチカチカと赤く光り出した。
「海斗。この部屋から生霊はいなくなったけど、式神がうるさいわ。あとで式神もがっつり消しておくから、今日から707に行って」
「向こうに持ち込むものは?俺が全部式神を消してやるよ。それから707に入れろよ」
「わかった」
俺は制服とユニフォーム、デバイスやシューズ、ドリンク類など5階から持ってきたもの全てを部屋の真ん中に広げた。
「一旦、701に避難して」
亜里沙は俺の身体から式神を消し、712から追い出した。
712で亜里沙たちが式神退治している間、俺は701の模様替えを手伝っていた。もう、光里会長や沢渡元会長も戻っていて、俺は707に移る理由説明に追われた。
2時間ほど経っただろうか、時計は夕方の5時を回った頃、やっと2人が712の部屋を後にして701に戻ってきた。
会長たちがいるところで亜里沙たちへのタメ口は許されないだろうから、少しだけ畏まった口調に変える。
「お騒がせしました。色々とありがとうございます」
明がくすくすと小声で笑い出す。
「海斗がそう言う話し方すると地球がひっくり返るから。これまでと同じでいいよ」
「いや、でもなあ」
光里会長が俺を茶化す。
「ほら、その調子」
そこにいた全員が小声で笑い出したかと思うと、皆、声が大きくなり大爆笑の中、俺だけが笑えない状態となっている。
俺は段々と顔が引き攣ってきた。
「まあ、なんだ、すまん。口が悪くて」
亜里沙はモノともしない。
「昔から一緒だったんだから口は悪くなるわよ、あたしだってそうだし」
「お前って敬語話せるのか?」
「海斗、あんたってばほんっとに失礼なやつね。ま、いいわ。そうだ、スマホ貸してちょうだい。こっちで預かるけどいい?」
「うん、いいよ」
亜里沙にスマホを渡すと、亜里沙はまた右手を翳す。
何も光ることはなかった。式神に利用されなかったとみていいのか。
「これだけじゃ犯人の目星もつかないよな」
「犯人云々より、明後日の試合。練習しないの?」
そこに南園さんが申し訳なさそうに頭を下げながら近づいてきた。
「すみません、今日は練習場がどこも空いてなくて」
「そっか、しょうがないわね。でもみんな、イメージだけは押さえといて。とても大事だから」
そこで俺は気が付いた。明が青薔薇妖獣に使ったのは破邪の法だったのか。
確か右手と左手の人さし指と中指をくっつけていた。指の動きは別バージョンなのかもしれないけれど。
妖獣を手刀だけでやっつけてしまうなんて、常人にできることではない。だから真似するなと言ったんだ。
こうして俺は707に移ったわけだが、サトルから逍遥に連絡がいっただろうか。サトルは少し調子を崩したみたいだし、大丈夫かな。
荷物は亜里沙と明が全部運んでくれた。
譲司曰く、
「あの二人をあごで使うのは、海斗、きみだけだよ」
だそうだ。
いや、使いたくて使ったわけじゃなく、やんごとなき事情というものがあったんだ。
でなけりゃ、さすがの俺だって、年を誤魔化してる亜里沙先輩の顔を立てて引き下がるってもんだ。
久々の試合で緊張したからか、夕飯前にも関わらず、俺は眠くなってしまった。
712の騒ぎが一段落したのもあるんだろう。
ああ、もう夕飯なんかいらないから、このまま寝てしまいたい・・・。
そんな時に限って、周囲は眠らせてくれない。
逍遥とサトル、絢人や譲司が揃って俺の部屋目掛けて廊下を歩いてくるのが見える。
・・・なんで見えるんだ?
俺、透視なんてしてないぞ。
寝入りばなの夢か?
しかし、その光景はどうやら夢ではなかったらしい。
トントン、と静かにノックする音がした。
今の見えたのは一体何だったんだと驚きながらもドアを開けると、そこには今さっき見た通り、通常一緒に行動しない4人が俺の部屋の前に並んでいた。
ドアが開くと雪崩をうったように部屋に飛び込んできて、狭い部屋の中で思い思いにベッドの淵に腰かけたり床に座り込んだりと好き好きにしている。
「や、海斗」
逍遥が久しぶりに俺の顔を見るような顔をして明るく言い放つ。午前中に一緒だっただろうが。忘れたのか。
「1年がこうしてみんな揃うなんて珍しいな」
譲司がネタバレしてくれた。
「701ではちょっとした騒ぎになっているんだ。あんなことがあって1人じゃ心細いだろうから、みんなで夕食でも食べておいで、って麻田部長が」
「疲れちゃってさ、もう数分遅かったら爆睡してた」
「生徒会の部屋に行ったのもあるのかも。僕、疲れたもん」
サトルはかなり緊張していたらしいから、仕方あるまい。
「譲司はよくあの部屋にずっといて疲れないな」
「いくらかまだ緊張はあるけど、ほぼほぼ慣れたよ」
逍遥は笑いながら悪魔の如く口を大きく開いて悪態をつく。
「生徒会なんて入るもんじゃない」
「お前がそれいうか?譲司を光里会長に推薦したのお前だろ」
「そうだっけ」
「忘れたとは言わせない。な?譲司」
「そうだねえ、今の台詞は拳骨モノだ」
逍遥は当時を思い出したのか、1人で口元を緩めている。
「なんだよ逍遥、何笑ってんの」
「いや、入学してからまだ半年も経ってないのに、色々あったなあって」
絢人も何故か不敵な笑みを満面に湛えている。
「一番ジェットコースターなのは、勿論海斗だよね、次が譲司かな」
俺は首を竦めて頭を左右に振った。
「そ、ジェットコースター人生だよ、俺は。でも譲司もだよな」
「うん、僕は魔法技術科に入学したはずなのに、いつの間にか魔法大会の選手になって今じゃ生徒会にいるからね。わかんないもんだよ、先のことなんて」
「そうだなあ、俺だって不登校生になってこっちに来て、みんなと一緒に大会に出てるなんて思いもしなかった話だ」
俺たちは個々に頷き、両脇の部屋に遠慮しながら小声で笑った。
「さ、1階に降りようか」
絢人が皆を纏める。
俺たち5人は無言で立ち上がり、EVまで歩く間も無言。
譲司が、途中701に寄って明に声を掛けてくるという。理由は、707に式神が紛れ込んでいないか確認するからとのこと。
明、有難き。
EVで1階に降り5人で食堂に入ると、サポーターの宮城聖人先輩と広瀬
翔英先輩が並んで食堂に入るところに出くわした。
絢人がまず深々と頭を下げる。俺たちもそれに倣って頭を下げた。2人とも笑顔で手を振っている。サトルは先輩方も苦手なので、一番後ろに下がってもじもじしていた。
宮城聖人先輩はいつにも増して機嫌が良いようだ。
「よう、揃い踏みだな」
譲司が一歩前に出て代弁する。
「麻田部長から自由時間のお許しがでたものですから」
「そうか、明日以降もよろしく頼むよ」
「承知しました。では、失礼します」
そうか、2年や3年は2人ずつサポーターがついているけど、1年は実質絢人だけ。サポーターの先輩方がどこまで内情を知っているのかは分からない。
でも、誰もその話題に触れないということは、話しちゃいけないことなんだろう。
俺も特に言葉を発することなく先輩方の背中を右に見ながら別れた。
5人座れるテーブルを探し、まず逍遥と絢人、譲司がバイキング料理を選びに行った。
俺とサトルはテーブルに肘を付き3人の帰りを待つ。
サトルは食欲がないようだし、俺はめんどくさがりで、自分で選ぶとなるとろくなチョイスもしないので、後からでもいいんだ。
テーブルに戻ってきた逍遥は、牛肉とエリンギのガーリックソテーにトマトサラダ、南瓜のスープにイギリスパンという珍しい洋食メニューだった。
譲司と絢人も焼肉メニュー。2人とも豚肉の生姜焼き。違ったものと言えば、ご飯の量とサラダの種類くらい。譲司はご飯もキャベツの千切りも、皿に山と盛っていた。
俺も肉類は好きだけど、選ぶのは面倒。食べられる量も自分ではわからないので取りすぎて残すのも嫌だし。
戻ってきた3人は、両手にトレイを持っているため俺とサトルに料理を取ってくるよう目で合図する。
やだなあ。
またパンに野菜サラダじゃだめかなあ。
俺とサトルは力無く立ち上がった。
食欲がないというサトルは、明日出番がある。少し食べて元気をつけないと。体力回復しなくちゃいけないだろう?
肉類が脂ぎって食べられないなら、魚もある。
「サトル、魚食べられるんだろ?マグロのソテーとかどう?」
「魚なら肉よりお腹に入るかも。うん、そうする」
「俺は何食べようかなあ」
「パンにサラダだけは無しだよ」
「やっぱ、ダメ?」
ダメ出しをされた俺は、仕方なく肉類が並ぶコーナーに足を運んだ。
うーん、どうしよう。
明日は出番もないし、今晩は軽く済ませたい。
牛肉カルビ焼きが目につき、皿に取る。量は、皿半分くらい。次はご飯を茶碗そこそこ一杯。豆腐の味噌汁と三色野菜のナムル。全部少量ではあるけれど、これなら周りも許してくれるだろう。これ以上は、俺には無理だ。
案の定、逍遥から横やりが入る。
「海斗、食欲のないサトルより量が少ないってどういうことさ」
見ると、サトルはそれなりに皿に盛って戻っていたようだ。
「食べたくなったらまた取りに行くよ、苦手なんだよ、バイキングは」
「君がめんどくさがりなのは充分知ってるつもりだけど、自分の体調管理は自分しかできないんだから。しっかりしなよ」
「これでも考えたほうだから。勘弁してくれよ」
「チョイスは悪くない、量の問題だ」
逍遥はまるで口うるさい舅のようだ。
「何、僕は舅じゃないからね」
「逍遥、君、やっぱり読心術できるんじゃないの」
「違うよ、口うるさく言うのは舅か姑に限られるからね」
「君の言葉のチョイスは正確だよ・・・」
周りがケタケタ笑う中、俺は味噌汁を飲む。あの母親から、ご飯の時は必ず初めに味噌汁を飲めと毎日のように言われ、もう癖になっている。
食事のマナー?それはわからない。どういうつもりで言ってるのか教えてくれたことは無かったから。
ぐちぐち言われながら食べるくらい、不味い飯は無い。
ああ、また、リアル世界のことを思い出した。
このところ、実は夢をみるんだよね。
こっちの世界に父さんや母さんがいて、俺は紅薔薇不登校生で。
それからどうなるかの前に、いつも目が覚める。
「ところで、予備のデバイス持ってきたかい」
絢人がショットガンを撃つ真似をしながら俺の方に指を向ける。
「持ってきたさ。これ以上何かされたらたまったもんじゃない」
「そう。ならよかった」
俺たち5人は普段話さない分、ゆっくりと食事をしながら情報を交換する。すると譲司が忘れていたように小声で呟いた。
「あ、サトル」
「何?」
「君、桃薔薇とのラナウェイ出てくれないかな」
「えっ、明日?」
「突然で悪いんだけど」
「譲司の代わりでしょ、何かあったの」
「いや、特には。先輩方が君の魔法が見たいって」
その言葉を聞き、サトルは下を向き、しゃくりあげて泣き出した。
魔法でのアピール、順調に進んでいるようだな、サトル。
俺までもらい泣きしそうになって、思わずサトルの背中を叩く。
「ほら、顔あげろよ」
サトルは涙と鼻水が一緒くたになっている。
逍遥がテーブル上に置いてあったティッシュペーパーの箱を渡した。
「箱ごと使え」
どっと笑う俺たち。
周りに注意しなければならないけど、つい。
サトルはようやく顔を上げ、もうペーパーで顔が見えなくなっている。
その時、俺の背中にまたあの不気味な視線が突き刺さった。
急いで振り返ったが、俺の知った顔はいなかった。俺たちがゆっくりしていたのもあって、宮城聖人先輩も広瀬翔英先輩も食堂から出ていったようだ。俺たちは食堂入口が見えない場所に座っていたので他の先輩たちが出入りしたのかどうかまではわからない。
俺の異変を感知したのは逍遥だった。
「どうした、海斗」
「またアレさ」
「視線、か」
「一体全体、なんだってんだろう」
絢人も心配する。
「誰かが君を睨んでるって話?」
「そう」
「でも今日はデバイス持ってきたんだろ?」
「うん」
俺はまるっきり無口になってしまった。
せっかくサトルのオファーの話で盛り上がろうと思ってた矢先だってのに。
みんな俺に気を遣って、口数も減った。
譲司がトレイを持ち上げて皆に声掛けする。
「もう行こうか」
逍遥も絢人も、まだ肩を震わせているサトルも立ち上がりトレイを片付けた。
俺は非常に申し訳ない気持ちになったが、ここで場を盛り上げることはできそうにない。皆と一緒に返却口にトレイを下げ、さっさと食堂を出た。
譲司が、前に立って俺たちに声を掛けた。
「僕は701に行くから。山桜さんや長谷部さんに君のことも報告しておく」
「悪いな、俺が行くべきなのに」
「いや、そんなことない。君はゆっくり寝て明後日に備えて」
「ありがとな」
「ううん、おやすみ」
譲司は先に走りながらEVへと去っていく。
俺たちは他校の生徒達とは違い、廊下ではほとんど話もしないでEVの方までゆっくりと歩き続けた。
EVに到着するまで間、俺の肩を叩いた逍遥は、真っ直ぐ前を向きながら呟いた。
「大丈夫、全部うまくいくから」
俺は皮肉交じりに逍遥の方を見ながら呟き返す。
「こりゃまた安請け合いだな」
「今まで僕が嘘を言ったことがあるかい?僕は嘘が大嫌いなんだよ」
そう言えばそうだった。
逍遥は国分事件のときから同じ言葉を繰り返していた。
そうだな、心配してくれる友人ができただけでも、俺にとってこの世界は充分に明るい材料に包まれている。
俺はふふっと、ぎこちないながらも口元に笑みを湛えた。
俺が最初にEVに乗り、絢人や逍遥、サトルも乗った後に5階と7階のボタンを押す。
5階に着いて、3人はEVを降りた。
「よく眠れよ」
逍遥の一言が優しくさえ感じられる。
「みんな、お休み」
EVのドアが閉まる。
701に寄ろうかどうか迷ったが、俺が行った方がいいのなら譲司辺りが呼びにくるはずだ。
ご指名もないとあらば、俺は部屋でのんびりするのみ。
Tシャツと短パンになり、エアコンの温度を1℃上げて回しながらベッドに転がった。
夕方はあんなに眠かったのに、夕食を食べたら眠さが消え果てている。さて、どうやって時間を潰そうか。
まだ時間は午後8時。
デバイスの調子でも見ておくか。
先程まで腰に下げていたデバイス2丁を手に取り、右手を翳して見る。
何も起こらない。
自分の魔力が足りないのか、2つとも状態がいいのかは判断がつかなかった。
それにしても、どうして夕食前、4人が俺の部屋に向かっている姿が見えたのだろう。
先輩方にしても、右手を翳すなりして現状を把握しているのは目にするが、何もせずに現状を把握している姿は見たことがないと思うんだが。
いや待てよ、俺の考え違いか?
亜里沙あたり、そんな場面があったような無かったような。
よく思い出せない。
亜里沙や明の場合、他人が覚えていないよう、忘却の魔法とでもいうべき何かを仕込んでいそうだ。あいつらのことだ、絶対そうしてるに違いない。
俺は必死に視線のことを忘れようとして、別の何かを考えようと必死だった。必死が必死を呼んで、もう訳が分からなくなっている。
明日は桃薔薇高校とアシストボールとラナウェイの試合が長崎市営競技場である。
メンバーは、アシストボール・ラナウェイともにサトルが出場する。
サトル、よかったなあ。
こんなに早く実を結ぶとは思っても見なかった。
逍遥が身を挺して八雲事件を起こしたからこそ、今のサトルがあるのは確かだ。
あとは、人に気を遣い過ぎて誤解を招く行動を改めることだろうな。ほんとにサトルは笑ってしまうくらい人に気を遣い過ぎる。
そして、俺と同じビビリだ。
明後日のマジックガンショットとプラチナチェイスも会場は長崎市営競技場と聞いた。
桃薔薇高校との試合は全部長崎市営競技場か。
紫薔薇とはどこで試合だっけ。
青薔薇とは、確か薔薇大学だと記憶している。ならば紫薔薇との試合は白薔薇高校のグラウンドかもしれない。
明日は逍遥とサトルがバスで会場入りするから、俺は自分のペースで動ける。
朝早く起きて走ってもいいし、試合ぎりぎりまで部屋にいてもいい。
ただ、光里会長と沢渡元会長に挟まれた部屋であまり朝寝坊するとカッコ付かないので、一応目覚ましは・・・あ、目覚ましにしてたスマホ、亜里沙に預けたままだ。
結局あの映像から何かわかったのだろうか。
生霊という、幽霊よりも怖いものが712にいたらしい。
別に俺は勘が鋭いわけじゃないし霊感なんてこれっぽちもないけど、昨夜まであの部屋に嫌な気配は感じなかった。
映像に映ったものが、生霊だったんではないかな。
俺はこれまでの視線や式神、昨日のデバイス故障など一連の事件は、1人の犯人が行ったものだと考えている。
犯人像は全く謎。相当の手練れだということは分かっている。こう予測するのはいけないのだが、たぶん、紅薔薇高生だと思う。
それでも、この薔薇6戦が終われば何らかの決着がつくと軽く考えていた。俺はこの薔薇6が終われば、普通の魔法科生に戻るからだ。もう、こういった大会に出ることもなくなるだろうから。
なんか、考えることさえ拒否したくなってきた。
まだ夜の9時だけど、もう寝よう。
明日寝坊しないように。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
翌朝。
目を覚ますと午前6時だった。
途中目を覚ますことなく爆睡していたようだ。
マジックガンショットで疲れたからか、はたまた712で生霊事件があり707に引っ越したからか、その辺はよくわからない。
外に出て走る時間ではないので、部屋の中でストレッチに励む。
昔は開脚で45度にもいかなかったのに、今は90度近くまで開くようになった。身体を倒し親指を掴む。そ、昔なら掴むどころか身体を倒せなかったよ。
人間て、成長するんだなあ。
心も成長したかな、今ならあの両親と話し合うことができるだろうか。
いや、俺にはまだ無理だと思う。
こっちに来てからは色んな人に助けてもらって生きている。自分ひとりで生きてるわけじゃないから。
もしかしたら、父さんはそういうことが言いたかったのかな。そこでお金の話を出しちゃったから、俺が意固地になっただけなのかもしれない。
言わなきゃいいのに。父さんも口下手だ。
今は、俺自身、心も成長する必要があると思ってる。
ぼーっとして色々考えていたら、時間は午前7時を回っていた。焦った俺はすぐにシャワーを浴び、制服に着替え1階食堂へ急ぐ。皆の指示どおり、明日使うデバイスは腰に付けてある。
もう時間は午前7時半を過ぎていて、食堂の中に紅薔薇選手らしき人の姿は見えなかった。もちろん、逍遥やサトルの顔もない。
うーん。ここは・・・野菜ジュース2杯。
長崎市営競技場までは、普通に歩いても20分程かかったような気がする。
試合開始は8時だから、もう出ないと。
食堂をダッシュで出て、ひとりエントランスを後にし、競技場まで歩き出した。
今は歩くのさえ面倒に感じる。
・・・やるか。
周囲に誰もいないのを見ながら、俺は飛行魔法を使って浮き上がった。
身体に重みも感じない。式神やら生霊やらは、今は俺の身体を覆っていないのだろう。
地上10mほどまで上がり、ビルなどの遮蔽物を避けながら競技場を目指した。無論、下から見えては少々マズイことになるので逍遥がやっていたとおり、足下に四角を右手人さし指で描いてから×マークを描く。これで下からは見えないはず、だ。
飛行魔法で競技場まで7~8分。
人がいない壁際を見つけ、音を立てないように降り立つ。
歩くよりもだいぶ早く着いた。良かった。
俺は急いで競技場に入り、ギャラリーをかき分け紅薔薇の応援席まで走った。もう前の方はたくさんの人が溢れ、俺は仕方なく一番後ろの席を見つけた。ちょっとばかり溜息を吐きながら、俺は一番奥に席を取りドン!と座った。こんなことなら、オペラグラス持って来ればよかった。俺のリュックには、ドリンク類と予備のデバイスしか入ってない。
ベンチにいる逍遥やサトルを見つけて手を振りたかったんだが、今日はベンチ近くの応援席がほとんど空いてなくて2人の様子を見ることができなかった。
でも、アシストボールで動き回る選手たちは人数が少ないし紅薔薇は紅色のユニフォームを着ているんですぐに分る。
サトルや逍遥の動きは、今日もキレッキレだった。
特にサトルの相手選手からボールを奪う術は、皆が真似したくなるものだ。魔法を絡めなくても十分に貢献しているように感じられる。
このシーンを見ていればこそ、ラナウェイへのオファーも可能となったのだろう。
逍遥は逍遥で、相変わらず切れの良いシュートを放ち相手ゴールを脅かしている。
結局試合は2-1紅薔薇勝利。
勝ち点3をもぎ取り、総合勝ち点を27に伸ばした。
午後のラナウェイまで俺は暇だったので、1人で競技場から歩いてホテルへと向かっていた。
「八朔!」
後ろからの声に驚いて振り向くと、そこには光流弦慈先輩と羽生翔真先輩、宮城聖人先輩に広瀬翔英先輩が立っていた。
宮城聖人先輩が俺の傍に寄ってきた。
「お前は今日休みか、明日は出るんだろ、マジックガンショット」
「今のところそうなんですが、上杉先輩の調子が良くなるまでのピンチ・スナイパーですから」
「上杉先輩か、どうなるかな」
他の先輩方も集まってきて上杉先輩の噂話が始まった。
「メンタルっていっても、かなりやられてんの?それとも軽度?」
「重度になる前に治療しようってんで休んでるんだろ、横浜に帰ったんじゃないのか」
「いや、まだ横浜には帰ってないみたいだよ、昨日食堂で見かけた」
「するってえと八朔は出場の有無に関わらず、ずっとここでアップとってなくちゃいけないのか。疲れるな」
俺はこのフリにどう対応していいかわからず、地蔵様のように立ちっぱなしで先輩方の話を聞いていた。
「こないだの黄薔薇戦、八朔出たんだろ」
「全日本よりタイム上がったんじゃねえか」
「でも、後ろの方から罵声聞こえた」
「仕方ないよ、まだ1年なんだし」
「上杉先輩にはまだまだ追いつかないよ」
「そーいや、今年のマジックガンショットはみんな1年だ」
「最後のやつ、なんだっけ、四月一日か。あいつの7分台にはシビれたなあ」
「あいつはバケモノか」
「俺だったら絶対無理。いいとこ13分台」
「1年より遅いってのは拙くないか?」
上杉先輩の噂から、話題はすっかり逍遥に遷移している。
歩きながら大声で話すものだから、周りにまるっとごろっと聞こえてるような気がするんだが。俺は仕方なく2年様ご一行の後ろについて、とぼとぼと歩いていた。
俺たちの横をバスが通り過ぎていく。
紅薔薇高のバスだ。
逍遥とサトルは並んで座っていたらしい。通り過ぎていくその時、逍遥はこともあろうに「あっかんべー」をしていた。
おいっ、先輩方に見つかったら大変だぞっ。
サトルは、はにかみながら手を振っていた。そう、それくらいにしてくれ。
25分程歩き、俺たちはホテルに到着。俺は先輩方に挨拶をして別れ、ひとり食堂へ向かった。
食堂内をぐるりと見渡す。すると、南側のテーブルで逍遥とサトル、絢人が3人で昼食を摂っていた。もう食べ終えたのか、ひと息ついている逍遥が俺を指差していた。
俺もそのテーブルに交じろうと近づいた。
「俺も一緒にいいか」
「どうぞー、僕はもう食べ終えたけど」
逍遥も絢人もスパゲティにサラダ、果物ジュースを運んできたようだ。サトルの皿にもスパゲティが乗っている。うん、消化の良いものが一番だよな。俺もそれを見て、ペペロンチーノ?とかいうスパゲティと野菜ジュースをトレイに置いてテーブルに戻る。
逍遥が笑いながら俺をからかう。
「海斗、また迷子になったの?」
「違うよ、1人で歩いてたら、後ろから呼ばれたの」
サトルがちょっとだけ眉を顰めた。
「緊張しちゃうよね、ひとりで歩いてた方が楽でしょ」
「うん、そうだね、話したこともそんなにないし、緊張した」
逍遥は大袈裟に首を竦めながら俺とサトル、2人を馬鹿にしたような発言をした。
「サトル、海斗。どうして君たちは先輩如きで緊張するかな」
すると絢人が逍遥を嗜めた。逍遥とのプチバトル劇場が始まった。
「またまた。君の言い分は分るけど、先輩には逆らわない方がいい。大会中に揉めるのは御免だよ」
「上意下達ってやつ?今でも活きてるのかい?紅薔薇では」
「光里会長になっていくらか和らいだけど、まだまだ3年生の中には上意下達を忘れられない生徒が多いのも確かなんだ。もう骨の髄まで染み込んでるから治すとかそう言う問題じゃなくなってる」
「今の2年は?」
「光里会長ほか、革新的な生徒を中心に上意下達のロジックは浸透が止りつつある。でも未だその論理で生きてる生徒も少なくない。特に魔法科はね」
逍遥が呆れたという顔をして、皿にフォークを置いた。
「1年ではまだ浸透してないよね」
「たぶん。一番下だから、そんなロジック消えてもらった方が有難いし。ただ・・・」
「ただ?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ。ロジックの話に戻るけど、僕らがそういう考えを改めていけば、自ずとその考え方は消えていくんじゃないかな」
俺にはちょっと難しい話だった。
要約すれば、今の2年や3年には、「上級生が偉いから下級生は言うことを聞きなさい」みたいな風潮があるけれど、俺たちが上意下達の考えを止めれば、俺たちが上級生になるに従い上意下達を強いることが無くなる、ということなのだと思う。
俺は本当に小さな声でサトルに要らぬアドバイスをする。
「勅使河原先輩は上意下達大好きだから、態度には気をつけて」
誰にも聞かれてないだろうな。
以前のように耳を引っ張られるのは御免被る。
「そうなの?」
サトルが小声で聞き返してきた。
「間違いないよ。気を付けて、ってサトルなら大丈夫か」
「そんなことない。聞いておいてよかったよ。これから試合だし。もうバスが出るから行かなくちゃ。絢人、行こう」
「じゃ、この辺で僕も失礼して会場入りするよ」
サトルと絢人は食堂を出て、バスの方に向かって歩いて行った。
逍遥が皿にスパゲティを残したまま、両手を振っている。
「僕らもそろそろ行こうか。君、お腹大丈夫?」
「少し時間経ってから。ギリギリ間に合う時間で行こう」
「了解。君のことだから、朝も飛行魔法使っただろ」
なぜわかる。
「誰にも見つかってないはずなんだけど」
逍遥はくっくっくと笑う。
なんとなく、嫌味な感じ。
「どうしてわかったのかって?そりゃ君、飛行魔法を使ったか使わないかは2分の1だろう?確率が。で、君は今もギリギリの時間で行こうとしてる。このまま歩いたらお腹にくるかもしれないのに。となれば、君が飛行魔法で行き来しているのは明白な事実と言えるじゃないか」
俺は拍子抜けした。
逍遥はただカマをかけたんじゃなくて、角度を変えて物事を見ることのできる、いわゆる有能な人間なのか。俺はいつもそんな逍遥に本質を見抜かれてるわけだ。
逍遥の許可も下りたことだし、俺たちはまたホテルを出ると人通りのない場所を見つけて、飛行魔法を使い競技場へと急ぐ。もちろん、下から見えないように気を付けて。
俺たち2人は飛行魔法でビルの間を避けながら長崎市営競技場を探す。
初めに競技場を見つけたのは逍遥だった。
「あった、あれだね」
ちょっとだけスピードを上げながら競技場の近辺に降り、何食わぬ顔で歩き出す。
本来、飛行魔法で移動することは禁止とまではいかなくとも、推奨はしていないらしい。初めて聞いた。
教えてもらわなかったから、という言い訳も聴いてもらえないそうだ。
でも、今回だけだから許して欲しい。
競技場では大型モニターでラナウェイが始まる様子を伝えている。
あ、サトルが映った。
よかった、特に疲れている様子もない。
先輩方に色々と教わってるようだ。
戦法はどうするのだろう。黄薔薇戦の時のように相手を1カ所に追い詰めて連続で倒すのか?それとも3人バラバラで自分だけをガードするのか。
サトルは先輩方との練習時間がほとんどないから、自分だけをガードするようになるかもしれないな。
試合開始のブザーが鳴り、大型モニターが紅薔薇と桃薔薇の生徒達をドローンで追っていく。ドローンって見えないようにしてあるんだろうな、もし見えたら敵のいる位置が予想できるから、どちらかに有利になってしまう危険性だって孕んでる。
戦局は、他の先輩方が敵チームを追いかけているものの、サトルは防戦一方に見えたが途中から胆が据わった表情になり、敵をビル近くまでおびき寄せ、その足元をショットガンで狙い撃ちする戦法に変えたようだった。
結果、サトルは1人、勅使河原先輩が2人倒し、試合は25分で決着を見た。
サトルが競技場の方に近づいてきた。
応援席に感謝の挨拶するために。
勅使河原先輩や定禅寺先輩が大きく手を振る中、サトルはまたしても一度だけぺこりと頭を下げベンチに隠れる。
サポーターの若林先輩に腕を掴まれ再び登場したサトルは、まるでライブでアンコールを受けるアーティストのようにも見えた。
紅薔薇高校勝利。
勝ち点3をゲット。総合勝ち点はダントツで30点を超す勢いとなった。
試合が終わり、俺と逍遥は飛行魔法を使わず自力でホテルを目指す。
前回白薔薇戦のときは迷子になりかけたから、本当なら飛行魔法を使いたいのだが、逍遥からOKが出ない。
少々ブツクサいいながらも、俺は逍遥に従った。
「そういえば、部屋の方はどう?もうお化け出ない?」
逍遥の何の気ない話に、何も考えずただ歩いていた俺は飛び退いてしまった。
「あ、ああ。お化けは出ない。快適だよ」
「譲司から聞いたんだけど、君、7階の従業員EV前にある部屋を断ったんだってね」
「事故物件、って亜里沙が言ってたからな、俺はそういうのは苦手なんだ」
「僕なら全然気にしないから、宿泊させてくれないかなあ」
「じゃあ、大会終わったら1人で泊まりに来れば」
「それじゃ面白くないよ、お化け嫌いの君がいないと」
「俺を仲間に入れないでくれ」
ニヤッと笑った逍遥は、途端に歩幅を大きくし俺を置き去りにするようになのか、足早にホテルへと向かう。俺は小走りになりついていくのが精一杯。会話にもならずに、そのままホテルへと到着した。
ホテルに入ると逍遥は椅子のあるロビーへと向かった。俺にも来いと指でチョイチョイロビーを指す。
俺が椅子に座るとすぐ、逍遥のマジックガンショットレクチャーが始まった。
「明日のマジックガンショット、選手構成と順番は黄薔薇戦と同じ。スピード気にし過ぎると、どうしても姿勢が前傾になったり後傾になって反ったりするから気をつけて。以上」
「俺のスピードで君のスピード調整決めるんだろ?どうしたって気になるさ」
「何とでもなるよ、海斗が先手として出るなら、南園さんと僕とでスピード調整できるけど、先手は嫌だろ?」
「緊張するからなー」
「黄薔薇戦のときのようなアクシデントがなければもっと速く撃てるだろ」
「うん、アクシデントが起こらないことを願うよ」
「今回も練習はできないようだから、各自部屋でイメージトレーニングだね」
「ってさ、こんなところでレクチャーしてたらまた先輩方に叱られるぞ」
「式神入れられて部屋の中を盗聴される危険だってあるじゃないか」
「それもそうだな、どんな魔法使ってくるかなんてわかんないし」
「昔から薔薇6戦は何でもアリなんだ」
「あの視線とか考えると、それも有り得なくないって思うよ」
「だろ?こういうところで話す方が安全かもしれないと僕は思ってる」
「ただし、先輩方のいるところでは止めてくれよ」
「本当に君はビビリだねえ」
周囲を見回しても、ぞろぞろと戻ってくるのは他校の生徒達だけで、紅薔薇の制服を着た生徒はいない。俺はほっと胸を撫で下ろし、逍遥とともに席を立った。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
「疲れたよー」
夕食を終え、707に入ってきたサトルがくたくたになって発したひと言だ。
俺はサトルの肩を揉みながら今日の活躍を労った。
「お疲れさん。今日も大活躍だったな」
「ラナウェイって、心理戦だからすごく疲れる。海斗は全日本でラナウェイ出てたよね、疲れなかった?」
あの時は最後で究極の魔法を使ったから疲れやしないよ、とは言えず、申し訳ないけどスルーする。
「デバイス2つを組み合わせて使うから、慣れなくて苦労した」
「そうそう、それそれ」
「やっぱり?でもそんな風には見えなかったよ」
「必死でくらいついていったもん」
「そうか、1人倒した時は応援席からも声上がってたぞ」
「そうなの?良かった・・・」
またサトルは下を向く。
「もう下を向いて泣くのはお終いだろ。今後嬉しい時は上を向いて泣こうや」
「うん、うん」
なおも顔を上げないサトル。
俺は部屋の中にあったティッシュボックスの箱をサトルに渡した。
サトルは何度も目頭を押さえ鼻をかんではゴミ入れに捨てる。
箱の中も、もう中身が無くなるのでは?と思うくらい、サトルは涙を溜めていた。
よほど感激したのだろう。
これでいい。魔法で自己アピールできたのだから、もう人と自分を比べなくて済む。ここにサトルは完全復活を果たした。
サトルは泣き止むと、目を真っ赤にしながら俺の方を向いた。
「今晩は練習ないの?」
「うん、場所が取れないからイメージトレーニングだけ」
「ごめん、そんな時に押しかけて」
「寝る前と明日起きてからが一番有効だと思うから大丈夫。今すぐ寝ろって言われてもね、まだ夜の7時半だし」
俺は時間が有り余っていることもそうなんだが、皆が俺の知らない魔法を使っているのを見て、常々真似したいと思っていた。今ならサトルが目の前にいる。
チャンス到来。
「そういえばさ」
「そういえば?」
「自己修復魔法ってあるだろ、あれ、どうやるんだ?」
「海斗はまだ使えなかったの?」
「うん、使い方知らない。教えてよ」
「いいよ」
サトルは立ち上がると、「ホーリー」と呟いて右掌を自分に向け肩からおへその辺りまで降ろした。
「今は怪我してないから状態変わらないけど、こうすると自己修復魔法が自分にかかるよ。反対に人に向けて修復魔法かける技もあるけど」
「なるほど、俺も怪我したら使ってみる。ここんとこ怪我するような試合してないからだけど。他人への修復魔法もあるのか」
「うん、例えば意識失うくらいの怪我に使ったりするよ。使い方は同じ。普段は皆、自身に修復魔法かけるから使わないけどね」
これでまたひとつ賢くなった。
他人への修復魔法を使う機会なんて無い方がいいけど、万が一、万が一何か緊急を要することがあれば、この魔法を使えるに越したことはない。
10時の消灯時間までサトルと魔法談義を重ね、だいぶ俺は賢くなったような気がしている。俺の使いたい魔法はその中には無かったけれど、サトルはとても勉強家で色々な魔法を研究していた。
ただし、俺がラナウェイで使ったような透視魔法をサトルは使えないらしい。サトルでも使えない魔法をなぜ俺が使えるのかは不思議なんだが、たまにはそういうこともあるか。
あとは、妖獣退治に明が使った魔法。ただの魔法というよりは、陰陽道系の何かを参考にし生み出した古典魔法なのかもしれない。
使ってみたいけど、実際目の前に妖獣がでたら、ビビリの俺は腰を抜かしてしまうかもしれない。明から「真似するな」とも言われているし、あの魔法はたぶん、一般生徒には解禁にならないだろう。
あとは、何かあったかなあ。
この頃ジェットコースター人生だから、すぐに以前の事忘れちゃうんだよね。
そうそう、こないだの魔法?
目を閉じているだけなのに、707に来る4人が見えた。あれも魔法の一種なのか?
サトルに話してみたが、今のところそう言う魔法は発見されていないという。
そうだよなあ、透視もしてないのに周囲の状況が事細かく見えちゃう魔法があったとしたら、反則級の魔法になる。
午後10時を知らせる館内放送が聞こえる。
サトルも名残惜しそうだったが、俺様、ここは就寝といかねば。
明日サトルはフリーなので、応援席の一番前に陣取ると闘志?を燃やしている。
俺も明日の朝は6時起きしてイメージトレーニングを重ねよう。
俺にとって、薔薇6最後の戦いになるのだろうから。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
目覚ましがないので結構緊張しながら眠っていたらしく、朝起きた時はなんか寝た気がしなかった。でも部屋の時計は間違いなく午前6時を指している。
出発が午前7時10分だから、午前の6時半には朝食を食べ終わりたいところだ。食堂は午前6時から開いているので、予備のデバイスと秘密のデバイスを腰に下げ、逍遥を誘おうと思い507の部屋を訪れた。
が、ドアを何回叩いても応答はなかった。
もしかしたらジョギングをしてるのかもしれないし、701に呼び出されたのかもしれないし。
俺は絢人の部屋にいったが、これまた応答がない。
もう2人とも食堂に降りているのかも。
俺は速足で食堂に向かうと、中を隅々まで見回した。
いない。2人とも。
ま、いっか。
2人がいないのをいいことに、俺はまたジュース2杯で朝食を済ませようと目論んでいた。
トレイを持ち、ジュースコーナーに行き野菜ジュース2本をトレイに並べ、そのままテーブルに行こうとした。
「ちょっとまった」
脇から伸びてきた手に半端なく驚いた俺は、トレイをひっくり返しそうになった。
誰だよ、こんなに驚かすの。
手から身体、顔まで順々に見る。
相手はやはり、逍遥だった。
「やっぱり君か」
「おや、その言われかたは本意じゃないな。海斗は栄養バランスが悪いから何か足した方がいい。パンが食べられないならお菓子を食べればいいのに」
「俺はマリー・アントワネットか」
「ルイ16世だっけ」
「たぶん」
ここに着て歴史の勉強をしてどうする。
そういえば、歴史の勉強など魔法科では行っていない。普通科ならあるんだろうけど。みんなどうやって知識を蓄えるんだろう。魔法しか勉強しなかったらアホになる。
「それこそ、寮に帰ってから独学で勉強したり、自宅組は家庭教師つけていたりするよ」
「やっぱ君、読心術できるだろ。変だよ、今の会話でカテキョーの話が出るなんて」
「カテキョーって何」
「家庭教師」
「なるほど」
「なるほどって、話を逸らすんじゃありません。君、絶対に読心術使ってるよね」
「だから違うって。歴史の話がでれば、君のようなリアル世界に生きてきた人は歴史勉強しないとダメじゃん、って思うだろう?だからこっちで皆がどうしてるか教えてあげただけだよ」
「本当に?」
「もちろん。僕、嘘は吐かないから」
これが読心術なのかどうかは定かでないし、嘘をついてるかどうかなんてわからない。本人が違うというのだからこれ以上疑っても仕方ないべ。
せせこましいことで一喜一憂するのも面倒になってきたし。
とにかく、これからマジックガンショットの試合があるのだから、俺としてはそちらに神経を注力したかった。
「今日のマジックガンショット、よろしくな」
「OK、海斗もご存分に」
見合って笑う俺と逍遥。
まさかの事態が待ち受けているなんて、この時は思いもよらなかった。
ジュース2本にケチをつけられた俺は仕方なくトマトと鶏肉のサラダを追加し、少しだけでもタンパク質が摂れるような食事にした。
逍遥は相変わらずたんまりと和食をチョイスして頬張っている。いつも少し残すのが俺としては許せないんだが、まあ、言っても無駄なのが分かっているから何も言わない。
絢人はバスではなく別途交通機関で会場入りすると逍遥が言うので、食事のトレイを返却口に下げて食堂を出ると、俺たちは絢人を待つことなくバスに乗り込んだ。
会場までは10分とかからない。
バスは予定通り午前7時10分に出発し、10分後に会場へ到着した。
今日はまるで花曇りのような曇天。
俺としては、余りに快晴だと太陽と魔法陣とのギャップで目が痛むから、今日ぐらいの天気が丁度いい。
そこに、あとから南園さんと一緒に着いた絢人が顔を出した。
「おはよう、海斗。昨日眠れた?なんか冴えない顔だね」
冴えないときたか。絢人は逍遥に似て結構ずけずけモノを言う。俺はベンチに今日使用する予備のデバイスを置いた。
「おはよう、絢人。実は眠った気がしなくてさ」
「やっぱり?さ、これで目を覚ますといいよ」
手渡されたのはガム。でも、俺は人からもらった食物やドリンク類は一切口にしない。
「悪い、俺、自分で用意した物しか摂らないことにしてるから。気持ちだけもらうよ」
「おお、さすが優等生。君のようにしっかりした人ばかりなら僕たちサポーターも苦労しないんだけどねえ」
「もらって食うやついるのか」
「もう、いるなんてもんじゃない。で、腹が痛いと言ってはトラブルになるんだ。嫌になっちゃうよ、まったく」
「サポーターの仕事も大変だな。でも今年の1年はみんな大丈夫だろ?」
「まあね。だからサトルが生き残れたわけで」
「そうだな」
万が一誰かがサトルからもらったドリンク類を飲んでいたら、今、サトルはここにいなかったかもしれない。
サトルは有能なやつにばかりドリンク類を配っていたという。有能なやつ=優等生。だから皆、もらったものは飲まなかった。それが今になってこういう結果を齎したに過ぎない。
逍遥が南園さんと何か話していて、俺にも来いとばかりに招き猫のような手つきでチョイチョイと指を折り曲げている。
「じゃ、絢人、またあとで。どうやら逍遥に呼ばれてるらしい」
「あれじゃ招き猫だよね」
絢人も同じことを思ったらしい。笑える。
時間が刻一刻と迫りつつある。
桃薔薇高校とのマジックガンショットは午前8時から開始。
メンバーと順番は逍遥の言った通り黄薔薇戦と同じ。
マジックガンショット用のユニフォームに身を包んだ南園さんがグラウンド中央に向け静かに歩き出した。
午前8時。
紅薔薇の先攻。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲が辺りに轟き渡る。
南園さんの射撃は威力を増し、上限100個をなんと9分台前半で撃ち落とした。
俺はとてもじゃないがそこまで追いつかない。せめて10分台に載せられれば観客席のブーイングも減るだろう。
逍遥にいわれたとおり、姿勢の確認をする。
前傾でもなく、仰け反るでもなく。
そして絢人と話す時にベンチに置いたデバイスを取ろうと、俺はベンチの方を向いた。
ところが。
デバイスはベンチにはなかった。
驚いて俺の後ろにいた逍遥に聞く。
「逍遥、俺、ベンチにデバイス置いたはずなんだけど見なかった?」
「いや、見てないな」
ベンチの端にいた絢人にも声を掛けた。
「絢人、俺、君と話すときにベンチにデバイス置いたはずなんだけど」
「置いたのは見たよ。でも、僕も席を移動したからその後はわからない」
逍遥が思いっきり俺を睨んでる。
「ないのか?デバイスが」
「ああ、絶対、ここに置いたはずなんだ」
俺はデバイスを置いたはずの場所を指差す。
逍遥は顔を顰めた。
「デバイスが消えたってことか」
グラウンドから戻ってきた南園さんが、何か異様さを感じ取ったのだろう。すぐに俺たちの方に近づいて来た。
「どうしました?」
焦っている俺を見て、逍遥が代弁してくれた。
「海斗のデバイスが見つからないんだ」
「え・・・」
何も言葉が出ない南園さん。南園さんは立ったまま目を閉じた。
あ、これだ。おれがこないだ707で見えたやつ。目を閉じるとかは別として、手で何かしなくても見える。ま、南園さんは離話をしてるのだが。
そんなことを思い出しても何の役にも立たない。
秘密のデバイスは使うなと厳命が下されているし、どうすりゃいいんだ!
しばらく南園さんは目を閉じていたが、ようやく開けたかと思うと、俺の手を握りしめた。
「秘密のデバイス、今持ってますね?」
俺は腰に手を回した。
亜里沙たちがプログラミングしたこっちのデバイスはある。でも、平常時は使うなと、亜里沙からも明からも言われている。
「でも使うな、って言われてるよ!」
「非常時です、そちらを使っても大丈夫だそうです。あと、707に予備のデバイスを忘れていないか、今生徒会役員がお部屋を見に行っています」
「部屋には忘れてない。絢人がさっき見てたもん。こんなことなら702に預かってもらってるデバイスを持ってくりゃよかった。なんで突然無くなるかな」
逍遥が顔を顰めたまま、冷静になれとばかりに俺の肩を叩く。
「今は試合をどのように進めるかを考えよう。大丈夫、君が一番自分を曝け出せるデバイスのはずだから。予備のデバイスのことは試合が終わってから動こう」
予備のデバイスが消え、ちょっとパニックになりかかった俺。
南園さんは俺の右手を自身の両手でがっちりと握ってくれた。
「四月一日さんのいうとおりです。今は魔法陣に目を向けてください」
俺は腰から秘密のデバイスを出すと、発射する真似をしてみる。
これは凄く使い易かった。
先日のまま動作して欲しいと心から願いながら発射姿勢を確認する。
紅薔薇ベンチがバタバタしていたため、白薔薇の大会役員から選手はグラウンドに向かうようにと指示が来た。
俺はベンチで一度大きく深呼吸して、それからグラウンド中央に向かった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲とともに、俺の薔薇6戦2戦目が始まった。
後傾の姿勢に気をつけながら的を探す。
あった、魔法陣が見えなくなるくらいまではパニックになっていない。パニックになりかけていた俺だが、なんとかメンタルは持ちこたえたと思った。
続けざまに魔法陣に向けショットガンを発射する。
黄薔薇戦よりも、時間は長く感じた。
それも、いい意味で。
魔法陣は見切っていたし、ショットガンとの相性はこの上なく良い。
上限100個のレギュラー魔法陣も巧い具合に消し去っている。
消した数をおぼろげに覚えていたくらいだ。
ちょうど自分の中で100個撃ち終えた時にブザーが鳴り、俺の勝負は終わった。
あとは、速さ。
大型モニターが注し示した速さは・・・10分台ジャスト。
やった!
良かった・・・。結果が出せた。
あのパニックの中でも、俺は充分に仕事をしたと思う。
「あとは任せろ」
俺がベンチに戻っていくと、逍遥は軽く俺の右手を握り、手を振った。
南園さんが心配顔で俺のところに寄ってくる。
「大丈夫でしたね、何よりです」
「南園さんがすぐに701に連絡してくれたから秘密のデバイスの使用許可がおりたんだ。ありがとう、南園さん」
「いいえ、私の役目ですから」
「いや、それでなくとも俺がパニックから抜けられたのは南園さんのお蔭です」
「私は何も」
「手を握ってくれたでしょ、あれで目が覚めた」
南園さんが、顔を赤らめつつ、ほんとに爽やかに笑った。
俺、嘘つかない。あれで正気に戻ったんだから。
それにしても、俺はとんだ3流喜劇に巻き込まれているような気がする。
俺を待ち受けてるものとは、一体何だ?
考えていると逍遥の応援を忘れそうだ。
逍遥は相変わらず、というか、いつにも増したスピードで、魔法陣を撃ち砕いている。あれは魔法陣を認識せずに撃っているとしか思えない。
またもや汗ひとつかかずに戻ってきた逍遥。
大型モニターには、上限100個を6分台前半で撃ったことが表示された。
応援席からは大きな歓声とどよめき、拍手が聞こえてくる。
なんとクレバーな!!
100個の魔法陣を、約6分で撃ち落とすんだよ?信じられる?
汗もかかず6分台。
逍遥の本気は何分なんだ?
いくら薔薇6戦とはいえ、このタイムは凄い。凄すぎる。
沢渡元会長も、普通科にやらなくて良かった・・・と、今頃反省してると思うわ。
戻った逍遥が俺のところに寄ってきた。
「海斗の仇はとったよ」
「仇って、君、本気出すと何分なのさ」
「さあねえ、撃ったことがないからわからないね」
「まだまだ記録が伸びそうだね」
「少なくとも、海斗の邪魔をするやつらに、海斗には僕がついてるから、ってアピールできた。それだけでいいじゃない」
「頼もしいな。俺もお荷物になりたくないんだけど」
「10分ジャストだって他の選手はなかなか出せないよ。横浜に帰ったら、本気で君を邪魔する犯人捜すつもりだから」
「ありがとう、逍遥」
後攻の桃薔薇高校がスタンバイしている。
3人とも12分台というまずまずの結果。
しかし、我が紅薔薇の速さに届く選手は現れなかった。
紅薔薇高校、勝利。
勝ち点3、総合勝ち点は33。紅薔薇は薔薇6高校中、1位を突っ走っていた。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
午前の部が終了し、一旦バスでホテルに戻った紅薔薇軍団。
先日のことがあったので、俺は簡単にシャワーを浴びて制服に着替えていた。午後のプラチナチェイスは応援組だから。
逍遥は午後も試合。それも結構体力を使うプラチナチェイス。逍遥にとってマジックガンショットは疲れのうちに入らないみたいだから、そんなに体力を心配することもないらしい。
サトルと俺はまず701に行き挨拶を済ませると、702に置いてあるデバイスを受け取った。
南園さんも生徒会役員室に戻っていて、702の箱から俺のショットガンを出してくれた。
ちょうど亜里沙が701の中央にいて、無表情で俺を呼ぶ。何を怒っているんだ?
俺はおっかなびっくり亜里沙に近づいた。
「プラチナチェイスの試合が終わってホテルに戻ったら、ここに来てちょうだい。今日の流れをじっくり聞きたいから」
「わかった」
サトルと一緒にホテルを出て歩く。701に寄った分、時間が押していた。
「海斗、早く早く」
「そんなに急かさないでくれよ」
「もうすぐ試合始まっちゃう」
「走るか?」
「うん」
試合途中で応援席に入るのはマナー違反であり禁止されているため、俺とサトルはジョギングよろしく会場まで走る。
通常歩いて20分ほどかかる道を、10分強で会場入りすることができた。
俺はすっかり息が上がっている。
サトルはいつも走り込んでいるようで、疲れた様子さえ見せない。
「席、サトルが探して。俺、もうダメ」
「近頃走り込みしてないんでしょ。もう、海斗ったら」
「悪い悪い、ほら席探してくれよ」
サトルは応援団の中をタタタッと走り抜け、一番奥の後ろの方に行ったようだった。
俺は力なくそちらへ行く。
そちらの方面には先輩方がいなかったことだけが救いだ。
ホントにプラチナチェイスは観客が多い。
午後1時。
号砲とともに試合が始まった。
桃薔薇高校の陣形は少し乱れていて、簡単に紅薔薇が陣形を崩しボールを陣形内に入れる。もうこうなったら紅薔薇勝利の方程式だ。
逍遥がボールを逃すはずがない。
結局2分とたたないうちに逍遥のラケットにボールは押し込まれ、紅薔薇高校は勝利した。
勝ち点3。総合勝ち点36。
薔薇6編 第14章
プラチナチェイスの勝利後、俺とサトルはいち早く応援席を抜けて帰路についた。ホテルに戻り701に行くためだ。
亜里沙のあの顔は、相当怒っている。
でも、俺が悪いわけじゃないし。俺はいつでも予備のデバイスを持ち歩いていたのだから。701に寄ってデバイスを受け取らなかったのは俺のミスだが、怒られるくらい悪い事か?
何はともあれ、701に行かないことには夕食さえ食べさせてもらえない事態になりかねない。
速足で歩く俺とサトル。
帰りは約15分でついた。坂道が微妙に下っているせいかもしれないが、早く着いた。
「俺、701に呼び出しくってるから行くわ。サトルはどうする?」
「僕はあそこ苦手だから部屋にいる。終わったら一緒に夕食食べようよ」
「了解。じゃ、終わったら迎えに行くから」
俺はサトルとEVの5階で別れ、俺はそのまま7階に上がった。
701に入ると、机と椅子がきちんと並べられ、亜里沙と明が座っていた。光里会長たちはプラチナチェイスに出場していたため、まだホテルには着いていなかった。
亜里沙はまだ怒った顔をしている。
なんだよ、お説教じゃあるまいな。
「海斗、こっちに来て」
目の前にある椅子に座れといわんばかりに、俺に手招きをする亜里沙。
「お疲れ。今日も頑張ったね」
「ここで観てたのか?」
「そうね、外には出ないから」
「で、何?」
「それはこっちが聞きたいくらい。今日の朝からの流れ、教えてくれない?」
「今日は朝の6時に目を覚まして、予備のデバイスとお前たちからもらったやつ持って食堂に行って・・・」
「ちょっと待って。近頃はずっと予備のデバイス持ち歩いてたの?」
亜里沙は少し強めの言い方で俺に迫る。
「ああ、そうだよ。前のように置きっぱなしじゃ何があるかわかんないし」
「そう。続けて」
「で、5階に降りて逍遥と絢人の部屋に行ったけどいなかったから食堂に降りた」
「そこで知った顔はいた?」
「いや、今朝はいなかったな。途中で逍遥が顔を出して一緒にバイキング料理食べて会場行きの紅薔薇専用バスに乗った」
「それだけ?誰かにデバイス見せたりしなかった?」
「前の試合以来、見せてない」
「そうかー。どういう魔法使ったか、何となく読めたわね」
「魔法?盗まれたんじゃなくて?」
「そ、魔法よ。覚えてない?明が妖獣退治に使った魔法」
「覚えてるよ、口外するな真似するなって注文だった」
「あんとき、妖獣はどうやって消えた?」
「砂がさらさらと崩れ落ちるように無くなった。って、まさか」
「そのまさか、が我々の結論なの」
俺は驚きを隠せず、亜里沙の目を凝視した。
「どうやって魔法をかけたんだ、俺はずっと持ち歩いてた。それに、秘密のデバイスだって一緒に魔法をかけることは可能だよな?なぜ片方だけ消えた?ベンチに置きっぱなしだったからか?」
「秘密のデバイスの方は存在を隠す魔法を仕込んであるからね。見つけられなかったんでしょう」
「どこで魔法をかけた」
「ベンチかしらね。それか、すれ違いざま」
「どっちにしても、誰でも魔法をかけることができた、ってことだよな。犯人捕まえられんのか」
「今は無理。紫薔薇と青薔薇の試合残ってるからね。青薔薇は厄介な学校だから」
「うん、それは分かる気がする」
「策戦立てるのが難しいの」
「大変だよな、サポーターも」
「まあね、だから海斗。見世物としてのデバイスと隠しておくデバイスを準備しないと。これからは秘密のデバイスを使うしかないわね」
「いいんか、使っても」
「そのためのデバイスだから。ただ、あまり人目に触れないように扱ってちょうだい。見せてといわれても見せないこと。見せてと言ってきた人を覚えてて。犯人につながるかもしれないから」
「ところで、この部屋式神とかいないのか。盗聴される危険だってあるだろ」
「ここは大丈夫よ。3重に防壁魔法かけてるし、式神がいたら明が見逃すはずないから」
「他の部屋は?」
「残念ながら防壁魔法はかけてない。個人でかけてる人はいるでしょうけど」
「俺にも教えて」
「あんたにはまだ無理よ。あれって気力体力使うから。この大会が終わったら教えてあげる」
その時急に701のドアが突然開き、俺は心臓が飛び出るくらい驚いた。恐る恐る後ろを振り向くと、光里会長と沢渡元会長がプラチナチェイスの試合から戻ったのだった。
俺は即座に亜里沙の前から壁際に移動した。
「お疲れ様でした!」
俺の言葉に呼応するかのように、沢渡元会長が亜里沙に尋ねる。
「八朔に経緯を聞いたのですか?」
「ええ、聞いたわ。たぶん、消去魔法だと思う。それも、時間差の消去魔法かもしれない」
「時間差?うちの生徒でそんな高等魔法を使える人材が?」
「今のところは確認されてないわね。光里くんもそんな使い手知らないでしょ?」
「はい、俺も知りませんね、そういった魔法の使い手は」
皆、もう俺のことは忘れて、消去魔法とやらに関心が移ったようだった。
もうここで話すことは全て話した。もう帰ってもいいかどうか聞きたいのだが、3人とも考え込んだ表情なので中々言い出せない。
それでも、いつまでもいるつもりはこれっぽちもない。
俺は壁際から一歩前に出た。
「あの。俺、いや、僕。自室に戻ってもよろしいでしょうか」
亜里沙が忘れていたという顔をして俺の方を向く。
「ああ、海斗もお疲れ様。もう戻っていいわよ。次の試合までデバイスはこちらで預かるわ。秘密の方のデバイスもこちらに渡してちょうだい」
沢渡元会長が頷きながら俺の顔を見る。
「そうだな、俺たちも本気でキツネを捕まえなければなるまい。次の試合まで練習するもあるだろう、その時はこちらからデバイスを調達してくれ」
は?次の試合?
もう俺、お役御免じゃないの?
上杉先輩、出られないの?
俺の考えを読み取ったのか、まるっと顔に出ていたのかは知らない。
光里会長が俺の後ろに回り込み、肩を揉むような仕草を見せる。
「上杉先輩、今も調子が上がらないんだ。最悪、お前にはマジックガンショット、紫薔薇と青薔薇の2試合に出てもらうことになるかもしれないなあ」
「え・・・あ・・・はい・・・」
何も言い返すことができずに、俺は701を半ば強制的に追い出された。
なんだってえ、あと2試合もやんのかよ。それも、紫薔薇に青薔薇だと?
毎回毎回、緊張度MAXで臨んでんだぞっ。
素人上がりの俺を少しは労わるって気持ちは無いのか。
でもな、南園さんと逍遥とでチーム組んでるから負けるはずはないんだけど。
これも流れか。
あの視線、試合中にこないだろうな。
やだよ、緊張感の中にああいう不気味な視線もらったら試合に影響しそうだ。
腑抜けてよろよろ歩いている俺は、すっかりサトルとの約束を忘れていた。
707の部屋前に着くと、サトルがプンプン怒っている。
「僕との約束、忘れてるでしょ」
「あ、悪い。なんだっけ」
「一緒に夕食しに1階に行こうよ」
「ん、そうだな」
「すっかり腑抜けてどうしたのさ、海斗らしくもない」
「ん。またマジックガンショットに出ろってさ」
「上杉先輩、まだ調子が戻らないんだね。みんな噂してる」
「ん。そうなんだろうな」
「もう!海斗ったら、しっかりしなよ!!」
サトルに強制連行され、気が付くと俺は1階の食堂の前にいた。
明日からは紫薔薇高校との試合。
会場は、えーと、思い出せない。
サトルは話すらままならない俺をどうしたものかと案じたらしい。そこに、サトル的には運よく逍遥が1人で現れた。もちろん、サトルが逍遥を仲間に入れたことは間違いない。
逍遥も前に言っていた通り上杉先輩の噂を聞いていたようだ。
だから、俺があと2試合、マジックガンショットに出るであろうことは予想していたらしい。
「海斗、海斗」
「ん?」
「まったく、君はビビリの上に状況把握が皆無ときてるな」
この言葉でなぜか俺は覚醒した。
「何、状況把握皆無って」
「上杉先輩のことは前に話しただろう。メンタルは急に回復するモノじゃない。ある程度の時間を必要とするんだよ。まだ横浜には帰ってないらしいから状況判断の段階だとは思うけど」
「で、あと2試合?こないだや今日みたいにデバイス攻撃されながら出るの?俺」
「デバイスは701で預かってもらったんだろう」
「そりゃまあそうだけど」
「なら心配は要らない」
「どうして。ベンチに置いたデバイス無くなったんだぞ」
サトル的には、これ以上会話がエスカレートすることを避けたかったらしい。
「まあまあ2人とも。食べるもの食べて、誰かの部屋に行って話そうよ」
逍遥はサトルの言葉をあっさりOKした。
俺としては言いたいことがまだまだあったが、廊下で会話することは紅薔薇では禁じられているに近いので受け入れるしかない。
俺たち3人は食堂内に入って各自がトレイを持った。
さっきの光里会長の言葉にがっくりしている俺が、まともな飯をチョイスできるわけがない。サトルは自分の和食分をまずとってテーブルに置いてから、俺の後をついてくる。
普段から量を食べない俺だったが、サトルは俺を引っ張り回しながらトマトと鶏肉のサラダと鶏のから揚げ、野菜ジュースにイギリスパンという俺的に満足なメニューをチョイスし少量ずつトレイに並べてくれる。
そして俺の背中を押し逍遥が座っているテーブルへと導いてくれた。とは言っても、背中を後ろからぐいぐい押されただけだったが。
俺は味を感じないまま口だけモグモグ動かして、食物を食道、ひいては胃の方へと流しこんでいく。
こんなに食べ物の味が分らないなんて初めてだ。
俺はかなり動揺しているらしい。
なぜ?
なぜだか自分でもわからない。表現の仕様がないのだ。
強いて言えば、楽なところで(黄薔薇さん、桃薔薇さん、ごめんなさい)2回だけ試合に出ればお役御免と思っていたし、だからこそデバイスに不具合があったとしても集中を切らさないで続けられたんだと思う。
紫薔薇も青薔薇も、強いと言うか、周囲の応援団は怖いし、選手も眉を剃っている連中ばかりなので、ビビリの俺としてはあまりお目にかかりたくないわけで。
どうやら俺は、サトルと逍遥の前でぶつくさ文句を言っていたらしい。
「見た目と力が比例するとは限らないじゃない、海斗ったら心配し過ぎ」
「そうだよ、落ち着きさえすれば、あの両校なら・・・ここでは止めておくか」
逍遥は最初に席を立ち、サトルに目くばせしていた。
サトルが頷き、俺の食事をコントロールしている。
「これだけ食べれば、まあいいか。ほら、トレイ下げて逍遥の部屋に行こう」
俺はサトルの言葉に盲目的に従い、トレイを返却口に戻す。
サトルは俺の背中をなおの事押しながらEVまでたどり着く。
「5階」
サトルが言葉を発すると、勝手にEVは動きだした。
俺は驚いた、亜里沙がやっていたのと同じ魔法。サトルは使えたのか。
「サトル、今の魔法は?」
「やっと正気に戻ったね。今の魔法は瞬間移動の魔法だよ」
「あとで俺に教えて、知らないんだ、その魔法」
「いいよ。でもこのまま生ける屍のようだったら教えない」
「いやいや、生き返るから」
俺は背を伸ばして深呼吸する。
息を吐くと猫背気味になるのだが、なんとか我慢して直立不動に挑んだ。
やっとサトルは許してくれたようで、いつもの優しいサトルに戻った。EVを5階で降りたサトルは、EV前で動きを止めた。
「逍遥が、自分の部屋に来いって言ってた」
サトルが前に立ち、俺たち2人は507の逍遥の部屋を訪ねる。
「やあ、2人ともようやく食べ終わったか。サトルは明日の朝早いから、夜更かしは厳禁だよ」
「わかってる」
「僕の部屋、さっき見たら別に魔法とか盗聴とかなかったからここで話そう。何、海斗。嫌なのは2試合出ることなの?相手があの2校だから?それとも・・・」
俺は逍遥の言葉を遮った。
「あの視線の人物が俺のデバイスにちょっかい出してるんだと思うと、次は何が起こるんだよ、って感じなのが嫌なんだ」
逍遥はしばし黙り込んだが、あくまで自分の仮説として意見を述べた。
「僕はね、海斗。この問題は視線の事件もデバイス事件も裏で繋がっていると思う。ただ、今の魔法科、2、3年も含めてなんだけど、彼ら彼女らにこんな高等魔法を使える手練れなどいやしない」
「じゃあ、誰が」
「そこまで言うと薔薇6戦終わる前に701巻き込むことになって大騒ぎだよ。701でも、ある程度は犯人をピックアップしてるはずだ」
「あっそ。一般人には教えないだけか」
「まあ、そう怒らないで。彼らはキツネを狩ると言ったんだろう??」
「言った」
「この大会が終わったらすぐに動くんじゃないかな。僕だって動くつもりだし」
ところで紅薔薇2,3年に消去魔法の使い手がいないとすれば、他校の生徒が魔法をかけているということなんだろうか。
全日本の時は、睨みこそすれ、デバイスまでは手を出してこなかったと思う。全日本は一度不正が白日の下に晒されると3年の出場停止処分があると聞いたことがある。向こうは全国規模の戦いだから、薬物使用などの不正には厳しい上にも厳しいルールを強いているのだろう。
ま、その前にほとんどの学校では退学処分とも言える厳しい対処をしているので、不正を働いた者は出場停止どころか学校にいられるかどうかも微妙なのだが・・・。
でも青薔薇の選手なら、薬物不正まではできないだろうが、隠れて部屋の中やデバイスにちょっかい出してる、なんてことも十分あり得るような気がする。あそこはガラが悪い。
式神使いと時間差消去魔法。
最初のデバイス故障事件は、自身の部屋、503や712にデバイスを置きっぱなしだったから、透視のあと式神を入れることだってできる。実際に生霊も入ったわけだから。
予備デバイスが消えた事件は、怪しいのは食堂だったとしたらどうだろう。朝昼晩の食事の際、食堂ですれ違った際などに俺のデバイス目掛けて時間差の消去魔法をかけることだって十分に考えられる。
でもそうなると、紅薔薇校内で視線を感じたことと繋がらない。
或いは、両者は別人なのか?
何がなんだかわからなくなってきた。
逍遥は、この連なる事件の犯人は紅薔薇高生で1人だけだと決めつけている。
どうしてそんなに胸を張れるのか俺にはわからないんだが、自分の論理展開は間違っていないと譲らない。俺が他校生案を出しても鼻で笑うだけだ。
サトルは、自分の行いを心の底から後悔しつつも、逍遥の案が現実的だと言う。なぜかって?どうせ紅薔薇高生を狙うとすれば、沢渡元会長や逍遥の方が狙われる確率は高いと言う。
なるほど、それもそうだ。俺を狙っても何のメリットもない。
とすると、俺にはますます犯人像が見えなくなる。
はて、俺はなんでこんなに悩まなければいけないのだろう。
今のところは、誰にも迷惑かけてないよね?
だ、だめだ。なぜなぜ時間が始まりそうだ。今夜は眠れそうにない。
翌日の朝。
やはり俺は寝坊した。
部屋の時計は午前8時近くを指している。今日は応援止めておこうかな。試合開始後に行ってもつまみ出されるだけだし。競技場遠いし。と、この時俺は競技が市営競技場ではなく白薔薇高校グラウンドに代わったことを失念していた。
走れば間に合う距離だったのに・・・。
もう一度布団に潜ろうとしていると、ドンドンと部屋をノックする音が聞こえた。
誰だよ、こんな時に。居留守使おうかな、と思った瞬間、無駄なことに気が付いた。この世界では透視魔法を使うだけで部屋の中が見えてしまう。
あー、もう。なんだってんだ。
俺はよろよろと起き上がり、ドアに近づき返事をする。
「はーい・・・」
「あたしよ、亜里沙。あんた今日応援行かないの」
「今起きたんだ、今から行っても間に合わない」
「そんなら701に来なさいよ、今は光里くんや沢渡くんいないから」
「・・・譲司は?」
「栗花落くんはラナウェイだから午後から行くけど」
「・・・行く」
「はあ、聞こえない」
「行く!」
逍遥とサトルもアシストボールに出るので朝からいないはずだ。
俺はジャージを着ようとも思ったが、南園さんが701にいると思い、制服に着替えドアを開けた。
亜里沙はいつもどおりの亜里沙に戻っている。
やっぱり、みんながいるとお友達人事のようで態度を変えないといけないんだろうな。
「あたしちょっと1階に降りるから、あんた最初に701に行ってて」
「わかった」
あふーっと大きな口を開けて欠伸をする。
ヨタヨタと身体を揺らしながら701を目指すのだが、なかなか前に進まない。
なんでだ?
まさか、また式神でも服にくっついたのか?
とにかく701まで行かなければ。
あとは皆が何とかしてくれるだろうという浅はかな思いつき。
1分で着くところなのに、3分もかかってしまった。
701の前に着き、トントンと優しくノックする。亜里沙はガサツだから、すぐドンドン鳴らすんだよね。もう少し女子らしくすればいいのに。
「あたしがガサツなのはあんたのせいでしょうが」
後ろから亜里沙の声が聞こえた。
読心術ってやつだ。
俺にも教えてくれないかな。
「あんたがもう少し魔法が上達したらね」
ダメとは言わなかった。これって、信じていいんだよね?
「やったー」
「とにかく制服目立つから早く入って」
中には南園さんと譲司がいて、メダルやリボンなどを用意している。
「まさか」
「そのまさかよ。こっち人手足りないの、手伝って」
「げーっ」
「何が“げーっ”よ。失礼なやつね」
「いや、応援行った方がよかったかな、って」
「遅刻したら入れてもらえないんだから、諦めてこっち手伝いなさい」
南園さんと譲司の作業風景をまじまじと見る。
ふと気づいたんだが、これ、紅薔薇高校のものではないらしい。紅薔薇の紋章がついていない。俺の視線を見て忖度したんだろう。南園さんが、閉会式で優勝者に掛けるものだと教えてくれた。
「なんで自分のもの自分で用意すんの」
俺の素朴な疑問に、亜里沙が溜息をつきながら答えてくれた。
「白薔薇の生徒会役員が忙しいのもあるけど、ここ何年かは紅薔薇一強体制だからね。事務局の高校としては、“どうせまた紅薔薇なんだから、自分の物くらい自分で用意してよ”って風向きがこっちに吹いちゃって。それからこんなふうになったらしいの」
「なるほどね」
「だから手伝いなさい」
「わかったよ」
金銀メダルが各20名分、リボンも同じ本数。深さの無い箱に丁寧に並べて行く。箱の表には「金」「銀」の文字が躍り、はっきり言って、見てるだけでも楽しくなる。
といいつつ、思い出してしまった。
「亜里沙、俺、また身体重いんだけど。なんか憑いてない?」
「身体が重い?」
あれ、確か前身体が重かった時は亜里沙に祓ってもらった記憶がある。
「前は祓ってくれただろ」
「そうだっけ」
俺の記憶に間違いはない。前は702の片隅にある箱から大きな数珠出して祓ってくれた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
手刀で空中に四縦五横の格子を描きながらの図を、俺は忘れていない。
「お前、コピー人間なのか?なんであんなスゲー事知ってたのに忘れる訳?」
南園さんと譲司が飛んできた。
どうやら俺は地雷を踏んでしまったらしい。
「山桜さんは重要なお仕事に就かれていますので、記憶が曖昧な時があるんです」
「そうだよ海斗。山桜さん、忙しかったからお疲れなんだよ」
「そうなの?いつもこの部屋でモニター観てるだけじゃないの?」
「そんなことありません」
俺は不意に亜里沙の顔を見たが、ヤバイ、本当に怒った。目は三白眼、口元はへの字に歪み、眉をつり上げている。
「忘れてたわよ、あんたに式神がついてたことなんて。で、今回はどーすんのさ、破邪すんの?しないの?」
ここまで怒った顔の亜里沙は久々に見た。
もう手が付けられない状態になっている。
ああ、馬鹿なことをした。
ここは平身低頭、俺たちの間で境界となっていた、いわゆるところの土下座しかない。
俺は重くて動かし難い身体を引きずり、正座をしたところで頭を床に付けて謝る。
「悪い、俺が悪かったよ。本当に反省してる。だから元の亜里沙に戻ってくれ、頼む」
そのまま5分間。
リアル世界で亜里沙が怒ると、いつもこの方法で機嫌をとっていたものだ。
なんだか、懐かしい思い出が蘇ったような感覚が俺を包む。
こっちの世界の亜里沙も同じで、俺が5分間土下座すると機嫌を直し表情も普通に戻った。
「で、海斗。また身体が重くなったのね、今見てあげるから―」
まったく。気楽なもんだ。
しかしそこでまた亜里沙が反応した。
「なんだって?」
「いや、何でもないよ。特に肩が重くてさ」
俺に対して右手を翳し、状況を見極める亜里沙。俺の体中が赤くチカチカと光る。肩は真っ赤だった。
「あらー、あんたってばまた呪詛受けてるよ。一体何なんだろうね」
「またか。これ、破邪できる?」
「任せなさーい」
亜里沙は先日のように手刀を使い九字を切ってくれた。
「これでしばらくは大丈夫。自分でもできるから、覚えときなさい」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
空中に手刀で四縦五横の格子を描きながら行うとのこと、覚えきれない俺は、紙に書いてもらい部屋に持ち帰れというので、文句のひとつも言わず、亜里沙に従った。
南園さんや譲司は、ことが大きくならなくて済んだとほっとした表情を浮かべていた。この2人は、昼間、亜里沙や明が何をしているか知っているんだろうか。もし知っていたなら、陰でこっそりと教えてもらいたいもんだ。
まったく。こう易々と呪詛を受けるこの身体で、マジックガンショットに出場できると思うか?俺は「NO」といいたいね。
九字を切れば身体の不調は直るというから、覚えるしかないか。
あああ、でも。上杉先輩、良くならないかなあ。
俺、絶対ヤバイって。出場そのものが危ぶまれるって。リアル世界との波動がおかしくなって以来だって、こんな危機は。
部屋に戻って時計を見ると、ちょうど午前10時を回っていた。アシストボールの連中も戻って来た頃だろうか。
サトル、逍遥、応援に行かなくてごめん。でも、身体の調子が今一つだったので応援を遠慮したことにするよ。呪詛を受けていたのは確かだから。
明の姿は見えなかったからだが、光里会長と沢渡元会長が701に戻ったのなら、俺の呪詛も報告されているはずだ。
それを踏まえて、生徒会役員たちはどんな反応を示すのだろう。
俺としては、是非メンバーチェンジをお願いしたかった。助っ人スナイパーの出番を終えて欲しかった。
そうそう、アシストボールの結果。
1-0で紫薔薇高校に勝利し、勝ち点3を挙げた。総合勝ち点39。総合優勝へまっしぐらだ。
今日のサトルも逍遥も、かなり活躍したらしい。
午後からのラナウェイは、すったもんだの末、譲司が出場した。
なおもサトルに出場を請う3年と、スタメンは譲司で良いとする生徒会側が激突した。生徒会側としては、サトルを大事に育てていきたいという思惑が絡んでのことに違いは無かったはずだが、ここでまた生徒会VS選手サポーター軍団という図式を避けたいのも事実。
生徒会役員は、2,3年の生徒を説得して回ったという話も聞こえてきた。
ラナウェイの試合結果は、もちろん、勝利。紅薔薇最強軍団は、決して期待を裏切らない。
生徒会の中からもサトル押しの声があったようだが、その力は本物と証明されたのだから、後はプレッシャーをかけないようにとの沢渡元会長の配慮でもあった。
サトル的にはどう受け取ったのかわからない。
でも、少なくとも生徒会役員の間ではサトルの力は証明されたし、次のGPSや3月にある新人戦での活躍は見込める。
学年2番手のサトルの評判は、今や押しも押されもせぬものとなっていた。
その夜、俺は701に呼び出され光里会長以下生徒会役員の方々に出場をしたくない旨直訴した。理由は、いつまた呪詛をかけられるか不安だから、というもの。
皆、その理由そのものについては、否定はしなかった。だが、上杉先輩のメンタルは思った以上に下降の一途を辿っており、近日中に横浜に帰るということだった。
その場合、誰をマジックガンショットに出場させるか。仮に俺が出場しないとすると、1年で残っているのは譲司とサトル。
譲司はマジックガンショットが苦手だった。無理もない。譲司は魔法科の生徒ではなく授業でもマジックガンショットの練習はしたことがない。
一方のサトルだったが、どちらかと言えばマジックガンショットは苦手。100個上限15分台というスピードしか出せない。
今までアシストボールなど折角いいイメージを全体に植え付けたばかりだったので、ここで学年2番手のサトルの評判を貶めたくない、というのが生徒会の本音。よってサトルの不出場は決定事項だった。
俺としても譲司やサトルに出場を押し付ける気は毛頭なく、上杉先輩に出場してほしいというのが本音だったが、それも叶わない。
となれば、俺が出場するよりほかない。
ただし、試合中に万が一呪詛を受けるかもしれないという不安は常に心を縛ることになる。そうなれば集中力を欠き、タイムが悪くなる可能性がある。
そこをどうするかが、701の中で集中的に話し合われた。
破邪のブレスレットを手首に巻く方法、俺自身九字を切る方法、亜里沙か明がベンチ入りし万が一のときはベンチから破邪の魔法をかける方法等々。
しかし意識消失など重い症状以外は、他人への修復魔法関係は大会規定で御法度だった。
俺自身が破邪の魔法を自分にかける分には、大会規定で認められている。
しかたない。
俺は続けて紫薔薇高校と青薔薇高校との試合に出場することを了承し、破邪の魔法を習得することになった。
701で、明が俺に魔法のレクチャーをしてくれた。
「まず、姿勢を良くして十字を切るように、最初は上から下に、次に右から左に手のひらを翳すだけでいい」
「試合中に呪詛を受けたりしないかな」
「だからこその破邪の魔法さ。そういった邪気を寄せ付けない」
「じゃあ、いつこの魔法をかければ効果的なんだ?」
「ベンチにいる時一度九字を切って、グラウンドに行く直前にこの魔法をかければ呪詛は受けない」
自己修復魔法ぷらす左右の動きと覚えれば簡単か。
あと2試合。デバイスに不良細工ができなくなった犯人は、絶対に俺自身を狙ってくる。それは火を見るよりも明らかだった。
午後のラナウェイ。
逍遥とサトルと俺は、昼飯を早めに食べて白薔薇高校のグラウンドに向かう。
俺の食べる量を心配しているのは逍遥だ。
「海斗、もう少し食べたら」
「うん、今日のところはこれくらいで。そういえば、午前に701に行ったとき、今日は夕方から練習場空いてるって南園さんが言ってた」
「じゃ、マジックガンショットとアシストボールの練習に行こうか」
「わかった。南園さんに伝えておくから」
俺は離話を使い、南園さんとのコンタクトを計る。
南園さんは副会長が1人という超忙しさの中、離話に出てくれた。今日の練習に、俺たち3人まとめて入りたいと告げると、すぐにOKが出て、離話は切れた。
また亜里沙や明は、どこかに出掛けているのだろうか。
譲司の出るラナウェイは午後1時開始。
早めにホテルを出たこともあり、応援席も良い位置をキープできた。
デバイスは全部701に保管をお願いしてある。あとは、自分自身に破邪魔法をかけるだけ。
俺は明に教わったとおり、上から下にかけて右手を翳し、次に右から左に同じように手のひらを翳す。
呪詛を受ける前に寄せ付けないのが破邪魔法であり、受けてしまった時には九字を切って呪詛を取り祓う、俺としてはそんなイメージなのだが、もしかしたら考え方が間違っているかもしれない。
でもま、いいじゃない。俺、陰陽師になるわけじゃないから。
先輩方の中には、陰陽道と魔法をミックスさせた新しい分野に挑戦している人が少なからず存在する。俺としてはその新しい分野の魔法を知りたい気がするが、こればかりは、秘密にしておきたい人が多いのだそうだ。
確か千代先輩がそのタイプだったと記憶しているが、俺はそんなに仲が良いわけでもないから陰陽道とミックスされた古典魔法を教えて欲しいと軽々しく話しかけることもできなさそうだ。
魔法にも色々種類があるよね。
701に保管してある俺のデバイスには、その存在を隠す魔法がかけられるらしい。
ただ、犯人への目くらましとして、3丁のうち1丁だけは何も魔法をかけないで置いておくそうだ。消去魔法への対抗策として。
次第になりふり構わず俺への攻撃が増してきた犯人。一体、どんなやつなんだろう、そしてその理由は。
生徒会ではもう犯人を絞り込んでいそうだが、この時期に捕まえることはできないのだろうか。
でも紅薔薇校関係者に犯人がいると揣摩臆測するならば、27名(亜里沙と明はちがうだろうから実質25名)の誰かを拿捕するとなると、大会出場そのものがタイトな運営となり、万が一大会事務局に知れたら、本人だけではなく高校として失格になる可能性だってありえるのだろう。
だから皆、慎重なほどに犯人と対峙している。
そして犯人もその状況を知りすぎる程に知っているはずだ。だから大会中にこれでもかと俺に狙いを定めている。
まったく。迷惑な話だ。
正々堂々と目の前で罵倒された方がよほど精神的ダメージは少ないように思う。いや、ビビリな俺のことだから、どっちに転んでも神経質細胞がパヤパヤと動き始めるのはわかっているんだが。
って、何度かこの話をしてるような気がする。
高校1年なのに、健忘症でも入ったか。
ある種の情けなさを胸に、今、俺はこの世界にいる。
ラナウェイは30分ギリギリまで勝負がつかず、30分を終えたところでようやく紅薔薇が2-1で勝利した。
こちらでは譲司が倒され、向こうの2人を誰かが倒した。
色々考え込んでいるうちに、俺は応援を忘れてしまっていたらしい。
サトルに一々ハイライトを聞きながら選手たちに拍手を送った。
「行こうか、今日の僕たちの練習は何時から?」
逍遥は相変わらず切り替えが早い。俺もこのくらい鉄の心臓持ってたら良かったのに。
「701に聞いてないから、グラウンド出てから聞く。待ってて」
一旦グラウンドを出て、701の南園さんに離話する。
「南園さん、俺たちの練習時間て何時からですか」
「今日は夜8時からです。食事をしてからになりますね」
「了解、場所は?」
「白薔薇高校のグラウンドです」
「白薔薇のグラウンドで、夜8時から」
逍遥に伝えたが返事はなく、サトルがこちらを見て頷く。逍遥、自分から聞いといて無視は無いだろう。これが四月一日逍遥という男子だから、もう慣れたけど。
逍遥は何を考え込んでいるのか、ホテルまでの帰路、何も話さなかった。サトルが無理して俺に話しかけてくる。サトル、あまり人に気を遣うなよ、疲れるぞ。
歩いて10分ほどでホテルのエントランスに着いた。
「じゃあ、夕食の時に誰かの部屋で合流しよう」
俺の提案にサトルが乗った。
「夕方5時半に僕の部屋はどう?」
「了解、逍遥、聞いてるか」
逍遥は初めて俺たちがいることに気付いたかのような顔をする。
「あ、うん。510ね、了解」
「夕方5時半だ、遅れるなよ」
たぶん、耳には入ってないだろう。なにをそんなに考え込んでいるのやら。逍遥にしてはちょっと珍しい行動だった。結構独りよがりな面もあるんだ、逍遥は。
「じゃ、夕方5時半にサトルの部屋で」
俺はもう一度念押しする。
サトルは笑って逍遥を引きずり、EVの5階で降りた。
707の部屋に戻った俺は息を調えると、亜里沙の見よう見真似で部屋の中に右手を翳してみた。
特に光る物は見つけられず、魔法が効いているのかどうかさえわからなかった。
発展途上なんだよな、俺の魔法は。
今まで人さし指で行ってきた簡単な魔法ならだいぶ身についたと自画自賛してるけど、高等魔法は何も知らない。
いますぐにとは言わないまでも、この大会が終わったら是非とも高等魔法とやらを覚えてみたい。
俺は誰もいない部屋でくすくす笑っていた。
リアル世界では考えられなかったことだ。自分から何かを学びたいと思うなんて。
これがリアル世界で学問と名の付く勉強だったらどうだ?たぶん、俺は背を向けて逃げ出しているだろう。
こちらで生活するようになってから、明らかに俺は変わったような気がする。どこが何がと言われても即答はできないが。
何が俺をどこに導いているのか、道は始まったばかりだったが、自分は自分であって、個の確立というか、ませた言い方すれば大人への階段というか。俺自身、今は両親がいない身の上だからそう感じるのかもしれないが。
あの本を買わなかったら、読まなかったら、今俺はここにいないと思う。
いや、亜里沙と明がリアル世界にいたということは、俺はここに来るべき人間だったのか?
いやいや、リアル世界では、亜里沙たちも普通の人間だった可能性だってある。
それとも、今こうしていることすら、夢の断片なのかもしれない。
今の俺には、何が本当かはわからない。ただ、ショットガンを使った時、ズシンと肩にくるあの重みっていえばいいのかな、それだけは確か感覚だった。
部屋の中で本を読みながら、考えを巡らせながら、ベッドに寝そべる俺。
ちょっとだけ、時間が経つのが遅く感じられた。
また何か呪詛なんぞうけてねーよな、と破邪魔法をかけてみたり、九字を切ってみたり。
身体が重いということもなく、頗る快調。
このままいけば、明日のマジックガンショットは楽勝だろう。いや、残り2試合とも、俺が少々調子を崩しても南園さんと逍遥がいるから何とかなる。
気楽に、気楽に構えていこう。
色々考え込んでいるうちに、俺は眠ってしまったようだった。
若き日の父さんと母さんが、仲良く散歩していた。
遠くから両親を見ている俺。
父さんたちのところに、子どもが走って寄っていく。ああ、写真で見た小さな頃の俺だ。
そうだ、俺が小さなときは親子3人で散歩するのが休日の過ごし方だった。
それがどうして休日出勤や休日ゴルフに代わってしまったのだろう。
大人の事情はまだ俺にはわからなかった。
なぜ・・・。
そこで俺は目が覚めた。
両親の夢を見るなんて。向こうは俺のことなんて忘れているというのに。
俺の目から、雫が落ちた。
いつ以来、俺は泣いてなかっただろう。いや、こちらに来てから両親の夢を見るといつも泣いていたような気がする。
戻れるなら戻りたいかと聞かれれば「NO」と答えを出すだろうけど、即座に「NO」と言えるかどうかは、わからなかった。
起きた俺は部屋の時計を見た。
午後5時20分。
起き上がり、ジャージに着替えて練習用のシューズを履き、部屋を見回して何も異常がないのを確認し、戸締りを厳重にしてから部屋を出た。
EVで5階に降り、510の方に歩いていく。
サトルの部屋の前には逍遥が立っていた。
「サトルは?」
「寝ぼけてた」
「は?」
「ドア開けるなり、きゃーって言ってドアを閉められちゃったよ」
どうしたというんだ。
俺も逍遥と一緒にドアをノックする。
3分程応答はなかった。
もう一度、大きな音をたてようかと思っていた矢先、サトルは紅い顔をしてドアを開けた。
逍遥は高校生特有の恥じらいというものを知らない。よって、言葉はいつもストレート。
「どうしたの、紅い顔して」
「夢見てて」
「どんな」
「僕がみんなに迷惑かける夢。・・・ドリンクを飲んだ人が次々薬物中毒になって学校を辞めていくんだ」
「そうならなくてよかったじゃない。神様がサトルを応援してくれているんだ」
逍遥の口から神様なんて非現実的表現が飛び出すことの方が俺としては恐ろしい。
「ごめん、今日の練習・・・」
俺は笑ってサトルを往なした。いや、悪口のつもりで言ったんじゃない。
「その顔じゃしょうがねーな。練習はしなくてもいいから、顔だけ見せとけ。で、俺に呪詛かかったら祓ってくれよ」
「祓い方知らない」
「大丈夫。教えてもらったから。新しい魔法覚えられるぞ」
「海斗、ありがとう。先に行ってて、後から食堂に行くから」
逍遥はサトルに対し、また現実的なことを言う。
「3人で行った方が顔紅いのは目立たないね。1人で行ったら絶対に目立つ」
「そうかな」
俺もそう思う。サトルはふとした言葉に傷つく繊細なハートの持ち主だから、1人でなんて食堂に行けるわけがない。いくら明日試合が無いとはいえ、1食、それも夕飯を抜くのは黄色信号が赤信号に代わるようなものだ。
「顔を洗ってこいよ、そして3人で食堂に行こう」
しばらく考えていたようだったが、サトルは頷いた。
「わかった。少し待ってて」
廊下で待つ俺と逍遥。逍遥は俺の顔もまじまじと見ている。
「なんだ、君も夢見て泣いた口か」
「なんでそこまではっきりいうんだ」
「事実だから。で、君の夢はなんだったの」
「両親が出てきたんだよ。で、小さい頃の俺がいて、3人で散歩してた」
「その頃は毒親じゃなかったんだ」
「まあね、俺が小学校3年かそれくらいからだよ、毒親になったの。亜里沙たちも知ってると思う」
逍遥は少しだけ左の眉尻をあげた。
「海斗、山桜さんたちのことなんだけど」
「亜里沙たちがどうかした?」
「あの2人は・・・」
逍遥が言いかけたところでサトルが部屋から出てきた。大き目のキャップを被って目の辺りを隠している。
俺はそれが気になって、キャップの位置を何度か変えたりして目立たないようにしていた。
「逍遥、さっき何言いかけたの」
「いや、何でもない」
逍遥が言いかけて止めるなんて珍しいんだが、サトルのことで頭がいっぱいだった俺は、結局逍遥の言葉を聞き洩らしてしまった。
「じゃ、1階に降りようか」
3人で1階まで降り食堂に向かう。
と、また宮城聖人先輩と広瀬翔英先輩が目の前にいた。
仲良いんだな。同じ魔法技術科なんだろうし。
そういえば、魔法技術科ってデバイスとかを専門にチューンナップする科だと思ってたけど、譲司を見てるとある程度の魔法力がないと自分が設計したデバイスを動作確認できないよなとの思いに至る。八雲のような奴は稀なんだろうと思う。あいつは魔法もろくにできないんだから、普通科に入るべきだったんだ。
俺たちの会話に気付いたのか、宮城先輩と広瀬先輩は同時に振り向いた。
「やあ、早いな。これから練習でもするのか?」
俺が口を出さないように、なんだろうか。逍遥が早口で捲し立てた。
「お疲れ様です。今日の疲れを早くとりたいことと、明日も早いので早めの就寝を心掛けろとの通達がありまして」
「早く寝過ぎたって夜中に起きるだけだよな、大変だなあ」
広瀬先輩がじっとこちらを見つめている。
なんだろう。
理由を聞きたいけど、墓穴を掘るような気がしてスルーしていた。
「明日は?」
俺は我に返った。宮城先輩の声だった。
「明日は八朔もマジックガンショットに出るのか」
「あ、は・・・」
すると逍遥がまたも口を挟む。
「明日にならないと分らないんです。1年は5人しか来ていないので。一種目1年を必ず入れるこというのは、ちょっと無理がありますよね」
「上杉先輩の件もあるからなあ、まだ協議中なのか」
「はい。良い形で勝ちに繋げられればと思っています」
「頑張れよ、1年坊主」
「ありがとうございます」
逍遥は意識するように先輩たちから離れた場所のテーブルを選んだ。さて、そんなに聞かれてマズイ話はしないと思うんだが。
何か逍遥なりの意図があるのかもしれない。俺は黙って逍遥の選択を受け入れた。逍遥は料理選びですら、先輩方と時間差になるよう仕向けている。特に重要でもない話を延々と俺とサトルに聞かせて、自分は悦に入っているようにも見受けられた。
先輩たちの動向を遠くのテーブルから注視する逍遥。
「いったいどうしたんだ、逍遥。さっきからおかしいぞ」
俺の言うこともほとんど聞こえていないようだ。
先輩たちが席を立ち、食堂を出るのを見計らって徐に俺たちに料理を取ってくるよう半ば命令している。
「逍遥、何か君、おかしくない?」
「海斗、もうここまでくると犯人になり得そうな人は全て上手くやり過ごすことが得策だと思わないか?」
「先輩たちを疑ってんの?」
「1年以外の人たちは全員疑ってかからないと」
「2年か3年。前にも誰か言ってたっけ。君が言ったのか」
「忘れた。だけど、1年にいない以上、2,3年しか有り得ない」
逍遥の言うことも一理ある。
俺もへらへらしている場合ではない。
でも、誰?って考えてると段々落ち込んでくるんだよなあ。まさかここまでされるとは思っても見なかったから。
とにかく、練習してて誰かに会ったら生徒会のせいにしろと逍遥も亜里沙も言っている。
嘘をつくのは苦手だけど、逍遥に言わせれば嘘では無く陽動作戦なのだそうだ。
・・・モノは言いようだよ・・・。
練習は午後8時から白薔薇高校のグラウンドで。
午後6時半まで食堂にいた俺たちだったが、白薔薇高校グラウンドまでは歩いても10分だから時間が余る。
よって、サトルの部屋で時間を潰すことになった。
俺の部屋はまた式神の餌食になってるかもしれないし、考えてみれば、逍遥は好んで他人を部屋に入れる方ではない。
逍遥なりに俺に気を遣ったのか、式神や呪詛などが話題に上ることはなく、ひたすら今大会の競技種目や10月から年末にかけて行われるGPS、GPF、世界選手権、新人戦について自分の知っていることを話していた。
逍遥よりも詳しいのがサトルだが、サトルは学校としての評価の他、人物に対する詳細や評価などの情報を集める能力に長けている。
もう、2人とも世界を見ている。
凄い視野というか、目標というか。
俺なんてそこまで全然考えてないし、薔薇6で俺の選手生活は終わりだと思う。第3Gだからこそ選手になれた部分は非常に大きい。
だから俺は進んで会話に交じることは無かった。
午後7時30分。南園さんから俺宛てに離話が来た。
「皆さんお揃いですか」
「はい、揃ってます。俺のデバイス持ってきてください」
「了解です。2丁持っていきますね。ではこれから私もロビーに降りますので、よろしくお願いします」
俺たちも急いで行く準備を整える。
サトル、ショットガン持たないの?
「僕がこれ以上ラナウェイに出ることは考え難いし。置いていくつもり」
「危ないぞ、持って歩けよ」
俺の言葉に従ったのか、サトルは自分のショットガンを腰にぶら下げ、部屋を出る。
逍遥は何もいってなかったが、準備は万端なはずだ。確認するのも烏滸がましい。
EVで1階に降りロビーを見ると、もう南園さんは準備して俺たちを待っていた。
「では、出発しましょう」
俺はデバイスを2丁受け取り、腰にぶら下げた。
サトルは恥ずかしがり屋なので俺の陰に隠れようとする。仕方ないので南園さんの相手は逍遥に任せることにした。
逍遥、あまり爆弾発言はしないでくれよ。
目指した白薔薇高校グラウンドについた。土は綺麗に整備されていた。練習の終わった学校が皆整備していくのだと思う。
青薔薇ならそのまま帰るかもしれないけど。
俺の中で、青薔薇高校は非常に評価が低い。
サトルはジャージのままグラウンド周囲を走り込んでいた。俺と逍遥、南園さんは本番さながらにマジックガンショットの練習を開始する。
魔法陣が勝手に出てくるソフトを魔法技術科でバージョンアップしたと言うので、そのテストも兼ねている。本番ではここにイレギュラー魔法陣が出るためややこしくなるのだが、ソフトの出来は上々だった。
「中々よくできてるね」
俺は危なげない感想を漏らした。
逍遥は、はっきりと自分の意見を告げている。
「欲をいうなら、イレギュラー魔法陣も何かの形で入れて欲しかったな。実際の試合では2つ同時に出たりするからねえ」
「ではその辺も魔法技術科に伝えることとします」
「南園さんが何か思ったことは?」
「細かい話なんですが、魔法陣が出てくる速さが微妙に違うの、わかりました?試合慣れした選手だと、イライラするかもしれませんね」
なるほど、俺はそこまで目と耳を効果的に使ってテストをしなかった。
俺は初めから亜里沙たちが俺専用に作ったショットガンを使用していた。すっかり俺の手に、指に、呼吸に馴染んでいる。明日もこれでいくつもりだ。
南園さんも使い慣れたデバイスがあるらしい。明日も記録が期待される。
逍遥はほとんど練習をしていない。やはり逍遥は的を見て撃っていないに違いない。俺の結果次第で撃ち方は変わってくるはずなんだが、もう、明日に向けて体力温存といった空気を醸し出している。
逍遥の場合、午後のプラチナチェイスにも出場するから、マジックガンショットにだけ時間を費やしていられないのだろうと推察した。
1時間の練習を少しだけ早く切り上げ、グラウンド整備を行う。サトルが手伝ってくれたので思ったより早く終わった。逍遥、後片付けも大切なんだから少しは協力してくれ・・・。
俺は帰り道、またゾクゾクするようなあの視線に出くわした。場所は、白薔薇のグラウンドを出てすぐのところ。今は身体も重くないので呪詛をかけられたわけではないようだ。俺以外に、視線に気づいた人はいなかった。
今日ここに来るのを知っていたのか、式神を使って俺たちを監視でもしていたのか。
はあ・・・またかよ。
いつまで睨んでいれば気が済むんだ。
とにかく、式神と呪詛だけは関わらないようにしないと、って、向こうから来るから関わってしまうんだけどね。
ホテルにはいる間、南園さんと逍遥に、式神がいないか、また呪詛をかけられていないか最後の確認をしてもらった。どちらも見受けられないという。
ただ、時間差でくる場合は亜里沙が言っていたように防ぎようがない。
デバイスは701にお願いすることにして、俺と南園さんは、5階で逍遥やサトルと別れ、7階に着くと南園さんが俺の部屋を確認したいと言い出した。呪詛がかけられていないかを見たいのだという。
部屋に着いて鍵を開ける。部屋の中は若干蒸し暑く感じられた。南園さんがしかめっ面をしながら目を閉じる。亜里沙たちに何か連絡しているのだろう。
目を開けるか、701のドアが開くのが早かったか。
701からは沢渡元会長と明が出てきた。
2人とも、俺の部屋に入るなりこれまた顔を顰める。
明は両手で手印を結ぶ『剣印の法』を再度試すと言って、九字を唱え出した。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!!」
沢渡元会長は手刀で九字を切る。空中に四縦五横の格子を描く破邪の法だ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
明は最後に、
「六根清浄急急如律令!」
と唱えて、手持ちの数珠を振った。
要は、身体を直ぐに清めたまえ、という意味らしい。そう聞いた気がするが、俺の記憶は別なところにぶっ飛んでいたもので、はっきりそうだとは言えない・・・。
俺は何が起こったのかわからないままだった。もしかして、また呪詛か生霊?
「こちらが前に出れない状況を逆手にとってやり放題だ。長谷部さん、どうしますか」
「海斗にはもう少しだけ我慢を。あと3泊です。魔法自体は高度ですが、従属部分は幼稚なところもある」
「しかし嫌がらせにも程があります」
「さすがにここまでくると犯罪レベルものですね」
「警察を入れますか?」
「こちらにも警察を入れたくない事情がありますし、困ったものだ」
「別の宿泊所に泊めてはいかがでしょう」
「誰かを護衛に付ければ可能ですね」
「ここでは護衛役すら調達できない。すべて計算の上か」
南園さんは701に戻っていたので、そこにぼんやりしながら佇んでいたのは俺だけだった。でも、沢渡元会長が明に向けて丁寧語を話している声だけが耳に残った。
何か話したいのに、明と話したいのに、言葉が出てこない。
口だけを魚のようにパクパクさせる俺を見て沢渡元会長は何かを察したような目をしたが、俺の動きそのものはスルーされた。
明は忙しいのだろう、沢渡元会長と話し終えると踵を返し701に戻った。
沢渡元会長は俺を廊下に1人置いたまま隣にある自分の部屋に入ると、5分ほどで出てきた。
「八朔。もう少しの我慢だ。今晩は俺の部屋を使え。結界を施してある部屋だ。安心して眠れる」
「しかしそれでは会長にご迷惑が掛かります。破邪魔法を教えて頂ければ、自分で何とかしますので」
「もう、それも難しいようだ。相手は暴走している」
「暴走、ですか?」
「ああ、ここまで来ると嫌がらせのレベルが違う」
「生霊とか呪詛とか?」
「もう少し上のレベルだな。今度は悪霊まで来たようだ」
「・・・そうですか。色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません。それでは、お部屋をお借りします」
もう、どうなってんだ。今度は悪霊だって?
洋服類は明が夜中に来て破邪したものを置いていってくれたが、実のところ、滅入る。とんでもなく滅入る。
それでも明は「打ち勝て」という。こんな子供みたいな考えを持つ犯人にだけは絶対に負けるな、と。
マジックガンショット、大丈夫だろうか。
いや、大丈夫かと心配するんではなく、犯人が地団駄踏んで悔しがるような成績を残そう。真っ向勝負してやる。
沢渡元会長の私物の目覚まし時計を借りたので、久々に朝までぐっすりと眠れたような気がする。
そろそろスマホ返してもらおうっと。
朝6時に起きれるようセットし、俺は思いっきり寝た。
朝は時間どおりにアラームが鳴り、俺は目を覚ました。
ベッドから出るのは5分後。洗面や歯磨きにかかる時間は10分。髪が少しハネていて、学校に行く時なら直すんだが、今日は遅刻厳禁なので直さないまま放置する。競技のあとは汗で髪型が変わるから、気にしないことにした。他校も含めて女子は少ないから。え、女子の数で行動決めるのはキショイって?
知るか、そんなこと。
で、ユニフォームに着替え6時半前に食堂へ行き、今日はホットケーキ2枚と野菜ジュースを選んでみた。
食のエキスパートの女性から見たら「あらまっ」と叱られそうなメニューだが、これがまた俺の好みに合っていることに気が付いた。
あと3日しか泊まらないのに・・・。残念なことをした。もっと早く挑戦してみるべきだった。
そうして午前7時前に余裕を持って食堂を出て、トイレに寄ってからバスに乗る。バスに近づいた時、デバイスを持っていないことに気が付いた。
701でデバイスもらわなきゃ。
701に走って戻り、ドアをノックする行動すら面倒でそのまま開けようとしたとき、ちょうど南園さんが出てきた。
「デバイスはこちらで厳重に保管しておりましたので」
亜里沙が言っていた「存在を隠す魔法=隠匿魔法」とやらで式神も寄せつけない保管をしているらしい。
隠匿魔法があれば、ベンチに置こうが部屋に置こうがその存在はないことになるわけだから、これほど便利な物はないんだが、本当に効いているのかどうか。
俺は結構懐疑的な目で隠匿魔法とやらを見ていた。
こればかりは、使ってみなければわからない。
また消えたりして・・・。
バスに乗った俺は、逍遥と顔をあわせることなく会場入りした。ベンチに座ってからだ、逍遥を見つけたのは。逍遥は相変わらずの飄々っぷりで観客たちの声など聞こえてはいない。
観客の応援を背に頑張る、という言葉は逍遥の中には無い。
午前8時。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲とともにマジックガンショットの試合が始まった。
今日は紫薔薇高校が先攻。
うっわ、手数が多い。
でも、よく見ると的に当たってない。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、でもないが、よくイレギュラー魔法陣の餌食にならないものだと感心する。
結果、上限100個を11分台、12分台、13分台で撃ち落とし、3人の平均は12分台ということになったようだ。まずまずの滑り出しといったところか。
後攻に紅薔薇が登場すると、全体の応援席は異様な空気に包まれた。
全回6分台で衝撃の結果を齎した逍遥が、今度は何分で上限を撃ち落とすのか、皆が注目している。
紅薔薇の先手は変わらず南園さん、次に俺、最後に逍遥。
南園さんは珍しく髪を結んでいる。
それだけでも撃ちこみの速さが変わるという。
ということは、彼女も本気を出してきているという心情の現れなのかもしれない。
「On your mark.」
「Get it – Set」
南園さんの挑戦が始まった。いつもに比べ髪が風に靡かない分、目標に向かい身体を捻りやすそうだ。それでも姿勢の良さは変わらない。次々と魔法陣を撃ち落としていく。
これまで南園さんを見たうちで、今回が一番速いかもしれない。
早々に上限を撃ち落とし、汗をかくこともなくグラウンドからベンチに戻ってくる。
大型モニターに速さが表示された。
なんと、1年女子では一番速い、上限100個8分台後半で撃ち落とすという快挙を成し遂げた。
「南園さん、ナイス!」
俺の言葉に気付き、応援席にも手をふる南園さん。ファンは一気に増えたように思う。
次は俺の番。
何があっても10分台はキープしたい。ひとケタ台は夢の数字だけど10分なら全部撃ち落せるはずだ。
グラウンド中央までゆっくりとした動きで歩くと、亜里沙たちからもらったデバイスを腰から取りだし右手に持ち、万が一のために予備のデバイスを左手に持った。
「On your mark.」
「Get it – Set」
号砲が辺りに鳴り響く。
デバイスの調子は絶好調で、次々と魔法陣が出てくるのを全部1発で撃ち落とすことができている。
自分でもこれは記録の予感が出てきた。
これなら10分をゆうに切るのではないかと思われたその瞬間だった。
俺の左手に異変が生じた。
力が入らなくなったのだ。左脚も同様に力が入らない。
お蔭で俺は左手のデバイスを土の上に落としてしまった。
脳の病気で力が入らなくなると聞いたことがあったから最初は脳がつまったのかと勘違いしたが、ろれつは回る。脳の病気はろれつさえ回らなくなるというから、どうやら病気では無さそうだ。
視線の犯人が、ここまで魔法をかけてきたか。
でもそれは今、どうでもいいことだった。
右手だけで撃つにしても姿勢が前屈みになり当たらない魔法陣が増えた。
あと何個出てくる?
まだ終わらないのか?
俺は少しどころではなくパニック状態になりかけていた。
その時、応援席から、なんとサトルの声が聞こえた。
「海斗!もう少しだから頑張れ!」
人目を嫌うサトルが大声を出すなんて。
そうだ、まだ勝負は終わらない。
麻痺したように重く感じる身体を伸ばし、右手で撃ち続ける。
それから何分が経ったのだろう。周囲が明るくなってきた。ようやく100個が出きった。最後のレギュラー魔法陣を撃ち落とす。
そうして、俺はよろよろとその場に崩れ落ちた。
右手はデバイスを握っていたため、自己修復魔法は使えなかった。
絢人がグラウンドまで俺を迎えに来た。絢人に支えられ、ベンチまでゆっくりと歩くが、左側はまだマヒしている。病気なのか?だが、話すことはきちんと滑舌よく話せるし、脳にきている気配は見受けられない。
「自分の名前は?」
「八朔海斗」
「ここはどこ?」
「白薔薇高校のグラウンド」
「君はどうしてここにいる?」
「マジックガンショットの試合」
俺はすぐに大会事務局の医療班に引き渡され、そのまま救急車に乗せられた。
だから逍遥のマジックガンショットを見て応援することはできなかった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
救急車で搬送された俺だったが、検査の結果はどこも異状なし。
病気でもないわけで、様子を見ましょうということで病院からは解放された。
絢人が俺に付き添っていたのだが、帰りは2人でタクシーに乗りホテルへ向かった。俺のデバイスは南園さんが責任を持って701に運んだとのことで、俺は安心し、706の沢渡元会長の部屋でしばしの間、眠りについた。
何時間寝たんだろう。
外はもう暗かった。部屋も暗くしていたので、時計は見えなかった。ベッドから起き上がると、左手や左脚は麻痺しておらず、自由に歩けたし姿勢よく立つこともできた。
良かった、やはり身体の異状ではない。
しかし次に考えられるのは、魔法、あるいは呪詛を身体に受けてしまった可能性があるという、なんとも衝撃的な事実だった。
誰が放ったのかもわからない。たぶん、これは高等魔法の類い。
ああ。試合前に破邪の魔法を自分にかけることを忘れていた。今更感があるが、なぜそこまで気にしなかったんだろう。
マジックガンショットの試合はどうなったんだろう。
まさか俺のせいで負けてしまったのでは、と考えると胸が痛む。
とにかく、一度701に行って報告しなければ。
麻痺から解放され、自由に歩くことができる。
誰が俺に魔法をかけた。卑怯なヤツ。
701のドアを優しくノックする。
すると南園さんが姿を現して、俺の前で涙ぐんだ。
「ごめんね、心配かけて」
「いいえ、ご無事で何よりです」
702の方から亜里沙の声が聞こえた。
「左半身マヒしたって?」
「おう、検査の結果は異状なし。様子見るらしいけど。もうすっかり元の身体だよ」
「あんた破邪の魔法かけなかったでしょ」
「う・・・実はそうなんだ。試合前そこまで頭回んなくて」
「なんのためにレクチャーしたか考えなさいよね」
「悪い、明もそっちにいるのか」
「出かけてる」
「そうか、心配してるだろうから大丈夫だ、って話してて」
「わかった。あんた、明後日の青薔薇戦は何あるか本当にわかんないから、破邪の魔法かけときなさいよ」
「了解、今度は気を付ける」
南園さんがちょっとハラハラしているので、亜里沙との会話はここでOFF。
「誰か、今日のマジックガンショットの結果教えてくれないかな」
南園さんが手を上げる。
「結果としては勝利しました。私が8分台、八朔さんが20分台、四月一日さんが4分台でした」
「4分台?」
思わず聞き返した俺。そこで譲司が話に交じってきた。
「考えられない数字だよね」
「天文学的数字だな」
「君の分は仕方ない。明後日にすべてぶつけるんだね」
「もうひと試合か。今度は何をお見舞いされるのやら」
亜里沙がこちらの701に移動してきた。
「今日はどんな感じだったの」
「こう、突然左側に力入んなくなって、姿勢も悪くなって的に当たんなくなった」
「典型的な病変攻撃魔法ね」
「次は破邪魔法かけるから」
「うーん、必要無くなるかも。青薔薇戦、上杉くんが出てもいいって言ってるの。あんたを会場で観てて危なっかしいと思ったのかは知らないけど」
「ホント?」
「でも青薔薇って応援も最低でさ、スナイパーが集中できないように大音量で音楽や拍手や大声をあげたりして邪魔するのよ、だから|上杉《かみすぎ|》くんじゃ心配で」
「そうか。|上杉《かみすぎ|》先輩は1年に負けられないと思うだろうけど、逍遥のあれは反則級だし、青薔薇の応援がそれじゃ、また精神病むって」
「そこが心配の種なわけよ。あんたは魔法攻撃くらうし、あー、もう。痛し痒しよね」
「いいよ、俺、出るから」
亜里沙は小首を傾げながら俺の肩を2回、3回と叩く。
「あんたのその言葉を待ってたの。大人になったじゃない。今日の午後は休んで明後日に備えて」
あとで譲司に聞いたところによると、午後のプラチナチェイスは、時間こそ30分かかったようだが内容的には紅薔薇が押していたという。ただ、紫薔薇も大掛りなタックルをかける相手なのでだいぶ先輩方や逍遥は消耗したようだ。
皆、自己修復魔法がなかったらと思うと寒気がする俺だった。
薔薇6編 第15章
翌日朝。
今日から最後の対戦が始まる。
相手は青薔薇高校。会場は薔薇大学グラウンド。青薔薇高校は薔薇6校中、一番厄介な学校だ。なんつっても、態度が悪い。他校の薔薇高校はほとんど礼儀を弁えているというのに、青薔薇は不良の集まりかと思わせるような生徒多数。学校全体の品位も地に落ちるというものだ。
青薔薇の場合、応援も品位が無いと聞く。
俺は昨日の事もあり、試合の応援はキャンセルし、身体に異変が起こらないかどうか自己検査していた。
こうして部屋にいる分には何も起こらない。結界が張ってある部屋だということもあるんだろう。
問題は、明日午前俺の身体に異変が見受けられるかどうか、だ。
犯人は応援席から術を放ったのか、それとも時間差で俺の試合が始まってから魔法の効果が発揮されるのか。
それすらわからない。
皆はどう思っているのかわからないが、俺は元々神経質で、今も神経質細胞が身体中を蝕んでいる。
「ちくしょう」
独り言を言いながら、俺は一旦部屋を出た。食堂に降りて遅めの朝食を摂るためだ。
食堂の中はガラガラで料理の匂いが僅かに漂ってるだけだった。
混んでいる時の熱気はほとんど感じられない。皆、応援に行ったのだろう。
俺も毎日のように応援に行ってたから、この時間帯の食堂を覗くのは初めて。とはいえ、 何も食べる気にはなれず、野菜ジュースを2本トレイに載せた。直後に後ろから声が聞こえ、そちらの方を振り向いた。
後ろに立っていたのは宮城聖人先輩と広瀬翔英先輩。いつもはもっと早い時間帯に会っていたような気がするが。
「俺が寝坊しちゃって、こいつを巻き込み今日はエスケープ」
宮城先輩の言葉に広瀬先輩が頷きながら、2人とも俺のトレイを見ている。
やばっ、誰もいない時にしかやらない究極の食事法だってのに、よりによって、選手のサポート役であるこの2人に見られてしまった。
「なんだー?ダイエットする体型でもないだろ。もっと食えよ」
宮城先輩が笑いながら俺の首元を見たような気がした。
ハエでも止っていたか?
今、やっと気づいたのだが、俺は広瀬先輩の声をほとんど聞いたことが無かった。俺の前で話さないだけなのか、それとも元々無口なのか。俺には見分けがつかない。
サポーターとして帯同するからには、選手との意思疎通は必須だろう。たぶん、俺を前にして特段話すことがないだけか。
その割には、目が物を語っているというか。早く消えろと言ってるようにも感じられる。
俺は2人に丁寧に頭を下げた。
「僕、今日は午後から応援の予定ですので、失礼します」
「おう、じゃ、またな」
なんて言ったが、俺は今日応援の予定はない。
薔薇大学グラウンドでの青薔薇高校との試合だったから本当は観戦に行きたかったんだが、亜里沙以下諸々に外に出ないようお達しを受けてしまった。理由は、ホテル内での異変なら亜里沙がキャッチできるからだという。
こいつならやりかねない。どういう魔法使えるのか知らないけど、座ったままで俺を助けてくれそうな予感がする。
相変わらず、こっちの世界ではすげえやつだなと思う。
いつもは昼間いないらしいが、「今日は明共々、特別あんたのためにいてあげる」との走り書きメモが部屋の前に落ちていた。
701に顔でも出してみるか。トレイを片付けながら、俺はそんなことを考えていた。
客用EVに乗り7階で降りる。
701は客用EVの方が近い。
ドアの前に立ちゆっくりと2回、ドアをノックした。
「はい、どなたですか」
言いながらドアを半開きにする南園さんが俺の真ん前に顔を出し、南園さんは恥ずかしそうに下を向いた。
「八朔さんでしたか、いかがですか、体調の方は」
「至って元気。ほら」
俺は万歳をしながら身体を伸ばした。
その様子をみた南園さんの態度がガラッと変わった。
「待ってください。山桜さん!長谷部さん!」
南園さんは、部屋の中にある机にぶつかりながらも、わき目もふらず702の部屋に飛び込んだ。
「どしたのお」
脳天気お姉さん、亜里沙の声が響く。
「なんですってえ」
702から、これまた机にガンガンぶつかりながら亜里沙と明が出てきて俺の真ん前にくる。
「あんた、今日ちゃんと鏡見た?」
「見たよ、髪のハネ直したもん」
「これ、そんときあった?」
南園さんが震える手で俺に鏡を手渡した。みんな、何をそんなに驚いているのだろう。
俺は鏡を受け取り、顔を映す。
「もっと下!」
下?首?言われるままに角度を変えて鏡の中を覗きこむ。
瞬間、ゾクッとして体中に鳥肌が立った。
首に絞められたような跡というか、チョーカーを巻いたような跡というか、幅1cmくらいの赤アザが出来ていたのだ。
さっき宮城先輩や広瀬先輩に会った時はなかったはず。だって、こんなに目立ったら何か言われるはず。いや、宮城先輩はちらっと首に視線を外した。
でも、こんなに目立ってはいなかったんだろう。
最後の最後で、こうきたか。
これはなんのサインだ?
いつ、何をやらかすつもりなんだ?
亜里沙と明が代わる代わる破邪魔法をかけてみるが、アザが消える気配は一向になかった。寧ろ、色が濃くなっているようにすら感じた。
でも、息が苦しくなるような気配もない。色だけのお飾りなんだろうか。
2人の表情は段々険しくなり、洩らす溜息の大きさは増した。
「ダメ、あたしでも解けない。明は?」
「俺でも無理だ。こんな高等魔法、学生の身分でかけられるはずがない」
「ほんとにね、出来るとしたら・・・」
亜里沙の言葉に反応した俺。
「出来るとしたら、誰なんだ?」
亜里沙は俺の首を見続けながら愛想笑いを浮かべた。
「魔法の神様?ってところね」
「茶化すなよ、知ってんだろ、どういう人間がこんな魔法使えるか」
「怒んないでよ、海斗。今はそのことより、これがいつどういう状況でどうなるか見極めなくちゃいけないの」
「今は取り敢えず息してるけど、首が締まるって意味じゃないのか、これ」
「かもしれない」
「おいおい、他人のことだと思って随分悠長だな」
亜里沙が段々三白眼になっていく。まずい、また余計なこと言った。
でも俺だって生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められてんだ。座して死を待つ、なんてやってられないんだよ!
「俺がやる」
さんざん亜里沙たちが試した方法だが、何もしないよりは何かをやる方がよほど生産的だ。
両手で手印を結ぶ方法を教わり、『剣印の法』の九字を唱える。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!!」
そして四縦五横の格子を描く破邪の法にも挑戦した。手刀で空中に九字を切る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
俺は最後に、
「六根清浄急急如律令!」
と唱えて、手持ちの数珠を振った。
その間、亜里沙は何やら考えていたが俺の破邪が終わると長い呪文のようなものを唱え出した。
『元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る』
見た目は何も変わらなかったが、何か神聖な風が吹いてきたように感じた。
何をしたのか亜里沙に聞くと、呪符を唱えたのだそうだ。
東洋の呪詛に対しては、西洋魔法は効き目がない。東洋に対しては東洋の呪符で応じる。
呪符とは、言霊のお守り・守護してくれるもの、として有名なのだそうだ。魔法とは一線を画するようでいて、どこかで交差しているように思われる数々の呪文。
「でもこれで犯人がどの方面に詳しい人物か、判断材料になったわね」
「俺はこれがいつ暴走するかと思うと気が気でない」
そういいながら、首の紅いリング状のアザを指す。
「明日はあたしも明もベンチに入るわ。最後くらい顔出さないとね」
「俺は今晩怖くて眠れそうにない」
「あんたのビビリが始まったか。そんならここにいれば?」
「今回だけは人の傍がいい」
亜里沙は俺の首元をじっと見ていたが、そのうち702に戻っていった。と思ったら、またすぐに俺のところに戻ってくる。
「はい、これ。冬バージョンのユニフォームなんだけど、首まで隠れるの。今日はこっち着てなさい」
取り敢えず、部屋の片隅で着替えた。
それにしても、どこでこんなデッドリング拾ってきたんだろう、俺は。
午前中に宮城先輩たちと会った時に何も言われないということは、こんなに色が濃くなかったに違いないから、あのあとだ。
でもあのあとは視線を感じていないし、誰とも会っていない。
その時後ろで急にドアが開いたので、俺は飛び上がるくらいに驚いてしまった。
恐る恐る後ろを見ると、光里会長と沢渡元会長だった。
ああ、アシストボールが終わったのか。皆、昼食に戻ってきたんだ。
2人とも怪我こそしていないように見えるものの、特に光里会長は明らかに疲れが残っているといった様だった。MFだからだいぶタックルなどを仕掛けられたのだろう。
俺は亜里沙にしか聞こえないような声で囁いた。
「逍遥やサトルに会いたいんだけど、食堂行ってもいいかな」
亜里沙は暫し考え込んでいたが、OKを出してくれた。明が一緒にいることを条件に。
俺としては願ってもないことだ。明があいつら2人と仲良くなってくれるならこんなに嬉しいことはない。
5階に向かうEVの中で、明は何も話さなかった。嫌だったのかな、普通人と食事をすることが。
最初に逍遥の部屋に行く。
「はーい」
ノックの音に気が付いて逍遥が出てきた。明を見るなり、背がピーンと伸びる逍遥。
こりゃ、仲良くはできないわな。無理だ。
逍遥は俺たちが食堂に行くと聞くと不可思議といった顔をして、それから俺のユニフォームに気が付いた。
「どうして冬物なの?」
俺は首のところをめくり、逍遥に見せる。逍遥の顔色が見る見るうちに顔面蒼白と化していく。
「なんて卑怯な」
それだけいうと、黙り込んだ。制服に着替えている明と、バタバタと着替えを済ませた逍遥と3人でサトルの部屋を訪ねたユニフォーム姿の俺。
「ハーイ」
嬉しそうな声が聞こえる。誰かに迎えに来てもらうこと、部屋を訪ねてもらうことが嬉しいサトルは、すぐにドアを開けてくれた。
「食堂に行かないか」
「いいよー」
制服に着替えたサトルはすぐに廊下に出た。
「海斗、どうして冬物のユニフォームなの?」
俺はさっきと同じように首元をめくって見せる。サトルは見た途端、驚いて泣き出してしまった。泣きたいのはこっちも同じだ。サトル、泣くな。
「で、今日は明がSP役。4人で行こう」
一度頷くと、サトルは泣くのを止め、一緒に歩き出す。4人でちょっと混んでいるEVに乗り食堂に行くと、珍しく青薔薇の生徒が多かった。
めんどくさいことにならないよう、食堂の片隅に陣取る俺たち。
食事中もほとんど話さず、各自早々に終わらせてトレイを片付ける。本当はアシストボールの結果とか試合の中身聞きたかったのに。
ま、それは今晩でもできる。
薔薇大学に応援に行くという逍遥とサトルをその場で見送って、俺と明は701に戻った。
701の中が珍しく空気が重い。
俺のアザのことを光里会長と沢渡元会長が知ったのだろう。
一時はサトルや譲司を出場させる案も出たようだが、譲司が射撃得意じゃないの知っていたし、サトルは折角の評判を落としたくない。それは俺も同意見だった。
ただ、明日、最悪俺は30分で競技を終了できないかもしれない。その場合どうするか、であろう。
あ!明か絢人を代役にできないの?と嬉しそうに聞く俺に、南園さんは首を左右に振る。サポーターは試合に出場できないのだそうだ。
案が見つからない俺に対し、それでもいいから競技に出てくれと、半ば土下座する沢渡元会長。元会長に土下座させるわけにはいかない。
俺は、出来るだけのことはします、と出場を約束した。
絢人は何をしているのだろうと心配していたのだが、どうやら俺の手に特化したショットガンにあらゆる機能を組み込み、そのうえでオーバースペックにはならないように、と徹夜で仕事をしていたらしい。絢人、心から感謝するよ。
午前のアシストボールは、どうやら引き分けたらしい。青薔薇の反則があったからなのだが、審判はイエローカードすら出さなかったそうだ。この分では、午後のラナウェイも同じような展開になるだろう、是非、負けないでほしいと願う。
午後4時。全ての生徒がホテルに戻ったようで、ロビーやエントランスはバラバラの制服でごった返していた。
俺は逍遥たちを探すために一旦下に降りたのだが、余りの人の多さに、いつ首元の呪術が発動するのか恐怖を感じて701に引き返した。
夜になっても、譲司たちの仕事が終わる気配はなく、俺も一緒に手伝うことになった。といっても、コピーを取ることだけだったが。
光里先輩はこういうところに、いやに厳しい。
曲がったコピーと、ジョイントで閉じた書類が一ミリでもはみ出しているのが大嫌いなんだそうだ。
俺もすごく気を遣ってしまった。
それを200部。
コピーをとって、ジョイントで閉じるだけのカンタン作業であるはずが、目を皿のようにしてというよりも目を血走らせて行っているのだから、疲れないわけがない。
で、時間を食うという負の原理が働いている。
光里先輩が寝た後、ようやく血走った眼は通常にもどる・・・わけないだろ。目薬指してもまだ血走ってるよ。
3人でその作業を続け、全部終わり寝たのは午前2時だった。
南園さんは7階ではなく6階に部屋を訪っていたので自室に向かった。譲司は7階にある自分の部屋に。
702では亜里沙と明が雑魚寝していたので、俺も混じろうとしたら譲司に止められた。
この世界では、亜里沙や明と俺とを隔てる壁が、途轍もなく高い壁が存在しているようだ。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
朝陽が眩しい。
俺は701にいたので中々寝付けず、結局目が覚めたのは朝の6時半。
外を走るのも亜里沙たちから禁じられていたので、起きて机をどかしスペースを作り、ストレッチを始めた。
泣いても笑っても薔薇6戦は今日が最後。
今日はマジックガンショットとプラチナチェイスの試合が行われる。
ユニフォームに着替えて下に降りる前に、俺は教わった破邪の法や呪符を唱えたり、九字を切った。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!!」
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
「六根清浄急急如律令!」
それでもまだ首の赤みは取れないままだったが、今のところ何かが発動する兆候もない。発動するとしたらマジックガンショットの試合中だということはわかりきっている。犯人は俺の体調を試合内に崩させることでひいては俺を笑いものにしたいはずだ。
いや、不慮の事故ということで命を取りたいのかもしれないが。
いつもなら自分のペースで射撃時間をある程度調整するのだが、今日は体調の変わり目を意識して、最初から飛ばすつもりだった。デバイスも最高のモノを絢人に準備してもらったから。
5階に降りて逍遥の部屋を訪ねる。
逍遥も気合が入っているようだ。昨夜も力説していた。犯人を絶対に許さない、と。
次にサトルの部屋に行き、3人で食堂に降りて一緒に朝食を摂る。
ホットケーキと野菜ジュースという意味不明なチョイスだが、俺は結構この組み合わせが気に入っている。
逍遥は腹8分目くらいに洋食を取り、サトルは、今日は応援だけなので和食をたらふく食べていた。
サトルと別れ、俺は逍遥と一緒に、バスに乗り込んだ。
南園さんも俺のデバイスを2丁持ってきてバスに乗り込む。最後に来たのは絢人だった。
午前8時、マジックガンショット、開始。
紅薔薇は後攻だった。
「On your mark.」
「Get it – Set」
青薔薇高校の先手が射撃を始める。
ほどほどに良いペースで、上限100個を13分台前半で全て撃ち落とした。
後続の選手も、皆、13分台前半。
後攻に回った紅薔薇。
もうすぐ射撃開始。
ところが、青薔薇高校サイドの応援席では、大音量で音楽を流したり拍手や吹奏楽に合わせ足をドンドン踏み鳴らすなど、あからさまな妨害をしてきた。
「On your mark.」の声が聞こえない。
大会事務局では青薔薇高校側に禁止を求めたが、一向に音楽は鳴りやまない。
「Get it – Set」
号砲が鳴るとともに、大会事務局で用意した50cm四方ほどの赤い旗がたなびいた。
先手である南園さんの射撃が始まった。
流れるような姿勢と正確なショット。
今までで一番魔法陣の撃ち落としが早いような気がする。
たぶん、次の俺を意識してるに違いない。
だから速く、ただひたすら速く正確に。
南園さんの出番は終わった。
グラウンドの大型モニターは、なんと7分台ジャストという表示が出た。どちらかと言えばアウェー状態の中で、南園さんはきっちりと自分の仕事をやってのけた。
次は俺。
グラウンドの応援席では判官びいきの客層も多く、先程にも増して完全アウェーとなっている。音楽や吹奏楽もうるさい。これで集中しろという方が無理だ。
「On your mark.」の声は俺にも届かなかった。
「Get it – Set」
微かに聞こえる号砲と、大会事務局で用意した50cm四方ほどの赤い旗を頼りに、俺も最初から飛ばしていく。デバイスは絶好調だ。
100個出るはずの魔法陣は、あらかた出たように思う。
もうすぐ、終了。
ところが、やはり犯人は一番盛り上がる所で、時間差の魔法をかけていた。
突然、赤アザの部分が締まってきたのだ。
いや、今現在かけ続けているのかもしれない。でもそれなら、亜里沙か明が気付くはず。
俺の射撃は終了間際ではあったが、首が締まって息ができない。無論射撃も無理だった。
右手にショットガンを、左手には予備を持っていたが左の予備は捨てざるを得なかった。
左手で首のところに指を押し付け、首を絞めているのが何か材質を調べようとしたが見つからない。
徐々に徐々に首輪が締まっていくような状況になり、どうしていいかわからなくなった。
イレギュラー魔法陣が爆発しだし、レギュラー魔法陣を隠してしまう。
俺は左手で俺の首を絞めている糸のようなものを探すと同時に、右手でレギュラー魔法陣を探しはじめた。これだけは、これだけは何としても終わらせたい。
しかし、俺の努力の甲斐も無く、30分は瞬く間に過ぎた。全てを撃ち落とすことはできなかった。不思議なことに、30分を経過すると同時に首を絞められる感触はすっかり消えた。
命を狙ったものではなく、俺の選手生命を脅かすだけの手段。
悔しかったが、それだけ俺に技術も知識もなかったということだ。
青薔薇に負けるのも釈然としないが、逍遥が3分台でも出してくれない限り、俺たちの勝ちは無い。
俺が苦しんでいたのが逍遥にはわかったんだろう。
ポン、と1回肩を叩いて「いってくる」と告げた逍遥は、飄々とした足取りでショットガンをくるくる回しながらグラウンド中央に位置した。
今日一番に青薔薇高校がうるさい。逍遥の4分台を気にしての策戦か。
「On your mark.」
「Get it – Set」
微かに聞こえる号砲と、大会事務局で用意した50cm四方ほどの赤い旗。
逍遥はまるですべてがはっきり聞こえていたかのように射撃を始め、次々とレギュラー魔法陣を撃ち落としていく。この分だと、6分は堅いような気がする。
逍遥は元々レギュラー魔法陣を見ずに撃ち落としていると思われ、今回もそれは同じだったが、何か迫力が違う。もしかしたら5分台に乗るかもしれない。
でも、5分台に乗ったとしても、俺が結局30分という有り得ない数字を出してしまったので今日の勝ちは無い。
人生初めての「負け」を経験させてしまうと思うと、なんだか逍遥や南園さんに、そして紅薔薇のみんなに申し訳なかった。
ベンチには亜里沙や明もいて、俺に慰めの言葉をかけてくれた。
あと少しだけ速く撃ち落としていれば、それなりの記録を出せたかもしれないし、逍遥にこんな大変な思いをさせずに済んだはず。
俺は項垂れ、すっかりしょげた。
でも亜里沙が「首元のアザが消えただけでも良しとしろ」という。そうかもしれない。
俺の反省と心配を余所に、逍遥の射撃が終わった。
今日見に来ている人たちは、逍遥が何分台を出すかとても楽しみにしているのだろう。射撃が終わった段階で、逍遥への拍手が鳴りやまない。
大型モニターが、時間を知らせる。
3分台前半、なんという数字だ!
これは、もしかしたら、もしかしたら青薔薇高校に勝てる可能性が出てきたかもしれない!
俺の数字で自分も変えるとは常々言っていたが、ここまでしてくれるとは思ってもみなかった!
大会事務局が審査に入り、俺たちは少しの間、ベンチで待たされた。
主審が出てきた。
中央に立ち、俺たちの方を指さすのか、それとも青薔薇を指さすのか。
「勝者・・・紅薔薇!」
俺はひとりでジャンプして喜んだ。
周りから見れば「自分の体調見ないで突っ込み過ぎて最後まで持たなかった人」なんだろうが、そんなことはどうでもいい。
逍遥と南園さんを巻き込み、絢人を巻き込み、躍り上がって喜んだ。
・・・もちろん、青薔薇に勝ったから嬉しいのもある。
だけど、一番には、一連の事件の犯人に勝てたような気がして嬉しかった。
◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇
勝利の余韻に浸ったまま、俺たちはバスに乗り込んだ。
8月に冬物のユニフォームを着ている俺は相当暑かったはずなんだが、それも忘れる程劇的な勝利だった。
なのに、逍遥はつれない。
「君の数字を見て逆算しただけさ」
「それで3分?でも逆算したところで普通は撃てやしないぞ、絶対無理だって」
「言っただろう?君の仇をとるんだ、って」
「ありがとう、逍遥」
「ところで君、射撃の最後、首絞まったの?随分苦しそうに見えたけど」
「ああ、でも終わったらほらこのとおり、アザまで消えた」
「いったいどんな魔法で・・・」
「亜里沙たちは魔法じゃなくて呪詛だ、って言ってる」
「そうか、それも大いにあり得るか」
「みんなに迷惑かけてごめん」
「個人競技なら未だしも、団体競技だから。いいんだよ、仲間を信じれば」
亜里沙や明は、俺が受けた呪詛の正体を掴もうとしていたらしいが、突然アザが消えてしまい呆気にとられていた。犯人は高等魔法の使い手であるとともに、仏教や陰陽道など様々な教えを取捨選択し呪詛を行っている、というのが亜里沙たちの見解だった。
しかし、犯人の足取りはそこでぱたりと途絶えてしまった。
その日の午後から、ピタリと嫌がらせは止んだ。
嫌がらせをしていたのは、八朔海斗そのものに対してではなく、どうやら競技会に出場する八朔海斗だったのかもしれない。
別に俺は自分から挙手して好きで代表選手になったわけではないので、この後は学校でも寮でも普通に生活ができるのかと思ったら急に力が抜けた。
ホテルの部屋も転々としていたわけだが、明が707でも大丈夫だとお墨付きをくれた。式神から悪霊まで一挙に出くわしたので半信半疑ではあったが、隣には光里会長や沢渡元会長などもいる。安心して泊まっていられる。
といっても、泊まるのは今晩だけだが。
今日は午前のマジックガンショットのあと様子をみるため俺はホテルに引き揚げたが、午後からは薔薇大学のグラウンドでプラチナチェイスがあった。
因縁の青薔薇戦。
1年の全日本新人戦で俺たちが受けた仕打ちをどうしてくれようか。
今回もまた青薔薇高校は危険なタックルや意識的な陣形への干渉など、前にも増して危険行為を繰り返したようだが、光里会長と沢渡元会長がそんなことで崩れるわけもなく、ましてや逍遥は審判から見えないよう自分も意図的に反則を行っていたと試合後ホテルに戻ってから笑って話していた。
逍遥、君はやっぱり強い。
結果は勿論紅薔薇勝利。
速攻で勝負を決めたらしく、疲れている様子さえ見せなかった。
さっきの意図的反則の件は、先輩に知れるとお小言を食らうので507の逍遥の部屋で、サトルや絢人も一緒に。譲司は明日の閉会式に向けて最後のひと仕事があるらしく、507に来ることはできなかった。
ホント、こき使われてる。可哀想な譲司。あのとき逍遥が推薦さえしなければ・・・でも本人は至って楽しそうなので、これでハッピーなのだと思う。
明日は閉会式の後、各校それぞれが祝勝会や反省会などの名目で近隣のホテルなどでパーティーを行うのだという。そして、自由解散となる。
紅薔薇では夕方、バスに乗り横浜へ帰郷する予定だ。
また20時間以上かかるのかと思うと閉口してしまうが、今回はダントツの優勝なのだから嫌な顔もできない。
全ての競技が終わり、安心したのだろう。皆一様に顔から白い歯がのぞいている。
俺も夜は久々に何も考えることなく、何かが起きることなくベッドに向かいスマホ片手にTシャツと短パンで寝相悪くしても、イビキかいても歯ぎしりしても気にせず寝ることができた。
なんという幸せ。
普通に寝ることがこんなに幸せだなんて、俺は15年生きてて初めて知ったよ。
翌朝7時。
何も考えずに眠った結果、俺は少々寝坊した。
閉会式は午前10時から長崎市営競技場で。この日は皆が一堂にバスに乗り競技場へ向かった。
事務的なことをしていた譲司と南園さんもようやくその任からはなれることができたようで、2人ともバスの中ですやすやと寝息を立てていた。今朝までなんやかやと働いていたらしい。
事務局は白薔薇高校なんだけどね・・・。
長崎市営競技場には、競技を終えた120人からの選手とそのサポーターたちが集結した。開会式とは雰囲気が全然違い、笑顔の学校もあれば、伏し目がちに悔しさを滲ませる学校もあった。
紅薔薇は常勝校としていつも凛とした行動が求められている。その旨、閉会式前、バスの中で譲司から簡単なレクチャーがあった。
午前10時。
閉会式が始まった。
今年の優勝校は紅薔薇高校、勝ち点58。
準優勝は白薔薇高校、勝ち点32。
3位紫薔薇高校、勝ち点29。
4位桃薔薇高校、勝ち点25。
5位青薔薇高校、勝ち点21。
6位黄薔薇高校、勝ち点13。
しかし黄薔薇高校は礼儀正しさや所作の美しさではダントツの1位ともいえる学校で、紅薔薇は到底足元にも及ばない。勝つことだけが価値ではないと強烈な印象を残した学校でもある。
優勝校のメンバーには、大会事務局から金メダルが授与された。準優勝校には銀メダル。3位以下はメダルなし。え、銅メダルはないの?と首を捻る俺だったが、こちらの世界は優勝か準優勝に価値があるらしい。
そうすると、地の利で今年は白薔薇高校に有利だった可能性もあるよなあと考えてしまった。ま、次期開催は黄薔薇高校というし、来年の薔薇6は、また違った景色を見せてくれるのだろう。
俺にとっての薔薇6戦が終わった。
すごく色んな経験したけど、結果オーライということで。
9月からは、紅薔薇での高校生活が俺を待っている。
異世界にて、我、最強を目指す。ー薔薇6編ー