渋滞する魂
鉄格子の中から、一つの魂が何者かに語り掛けている。その何者かも、鉄格子の前で彼と向かい合っている。その背後には、白く小さな固まりが宙にういたまま右から左へ、あるいは左から右へ、一本道を交差しながら、大量に行きかっている、ただ縦横無尽に何の規則もなく行きかうので、ぶつかったり、よどんで混沌としている場所もある、まるであちこちへぶつかって居場所を探す水流のようだ。牢屋の前の魂が、鉄格子の中をよく見ると、それは老人の姿をした魂だった。形がはっきりとしている。
「迷うもの、生きるもの、死後の世界へと渡るもの、渋滞だ、魂が渋滞している、お前さんは知らないのか?」
「僕は誰でしょうか」
格子の中の老人へ、格子の前に立ち尽くすものが尋ねる。
「お前は立ち止まっている」
「はい」
「本来ならば、ここに立ち止まるものはいないはずなのだ、お前はだれだろう、お前は……少し考えさせてくれ」
老人は、しばらく黙り込んでいたが、ふいに声をあげた。
「おお!!お前は、ダン!!私の飼い犬だ、しまった半分連れてきてしまったのか!!」
ダンと呼ばれた鉄格子の前の魂は、左右を行きかう魂とは別に、その場でフッと姿をけし、大きな箱の前で目をさました。そこは応接間らしいが、フローリングの床から、いつもの絨毯がとりはらわれ、なんだか悲しげな雰囲気がある。それは棺桶だ、一度見たことがある。そして彼は……夢に見た老人は、その中にいるのだ。
「くぅーん」
犬は悲しげな声をあげた。ガラス越しに中を覗くのは怖い。遺体は棺桶の中に入っていて老人は横たわっている。ちょうど顔のあたりがガラスになっていて、ガラス越しに、さっきと同じ老人の姿が見える。ダンという犬は、老人の姿を見て、懐かしく思い、ガラス越しに老人をなめ回した。ガラスを見ると、自分の顔がよく見える、グレートデーンという大型の犬種だ、老人と同じく、自分も歳をとった。
「ダン」
と優しく呼びかけられ、そちらをみると、老人の息子がやさしく語り掛けていた。それは客間の椅子のあたりで頭をかかえた、30代ほどの男性だった。かっぷくがよく、肩幅が広い、しかしまゆをひそめ、悲しそうな顔をしている
「ワン!!」
と答えて飛びついた。すると、男性は笑って言った。
「デン、眠りこけていたのか、ここにお座り、ここで眠るといいさ」
老人の方はどうなっただろう。老人は老人に説明をうけていた。
「たまにいるのだよ」
「そうだ、ごくたまに」
二人の老人は、格子の中で行きかう魂と同じく、左右にわかれて対話をしていた。
「つれてきてはだめだ」
「そうだ、つれてきては、渋滞にかこつけて、彼まで不要な生と死の運命に巻き込むところだった」
「思えばあれは優しい犬だった」
「優しすぎる犬だ」
老人は檻をすすすっと抜け出した。その途端、一つの魂に戻り、周りの魂と同じく、白く小さな固まりにかわった。
「よかった。これで元通りだ」
老人は記憶の中で、ダンが走り回っていた家の庭の事を想いだす。息子と一緒に育った、長生きな犬の姿をみて、その幸福を願った。
渋滞する魂