綾波が看病してくれるお話
本作はアズールレーンの二次創作です
なんの捻りもなくタイトルままです
短編なので10分もあれば十分読めるんじゃないかと思います
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窓から吹き込む風がカーテンを静かに揺らし、眼下から響く少女たちの笑い声や、遠くで空気を揺らす砲撃の音を運び込んでいた。
通り抜ける風を通して見上げる景色は、まだ綺麗な白い天井。窓から差し込む日は高く、漂う空気は朝というには強い活気を孕んでいる。
10畳ほどの飾り気のない部屋は静けさに満ち、しかし今は少しだけ淀んだ空気が漂っていた。
オレは薄く目を開いて天井を見つめながら、か細い息を吐き出した。身を沈めているベッドが軋み、静かな部屋に無粋なアクセントを添える。
もう昼は過ぎているだろうか。視線を動かしただけでは時計を確認することは叶わず、正確な時間は分からない。
こんな時間まで呑気に眠っているのは、なにも怠惰が理由ではない。
――情けなくも、風邪を引いてしまった。
身体の中身は強い方だと思っていたが、思った以上に疲労が貯まっていたのかもしれない。
昨日は朝から体が重いとは思っていたが、昼を過ぎた辺りから頭痛と悪寒が発症し、夕方頃には限界を感じ自らダウンを宣言して、そこから今までずっとベッドの上だった。
ベッドの横には小さな机が添えられ、その上にはストローのささったスポーツドリンクと、白い平皿がおかれている。窓際には洗面器が置かれていて、わずかに首を動かした拍子に額に乗せられていたタオルがぽとりと落ちた。
部屋の中には何かを削るような小さな音と、淡い息遣いだけが響く。自分のやや乱れた呼吸と、もうひとつ聞こえるそれの方へと視線を向けるとそこでは、砂浜のような美しい色の髪の毛を背中に下げた少女がベッドのすぐ横に腰かけていた。
その手には小さなナイフとリンゴが握られており、皿の上に赤い皮を落としている。あまり器用ではないせいか、皿の上に乗るぶつ切りの短い皮には薄く果肉が残されている。
目を開いたオレに気づいた少女、綾波はリンゴを剥く手を一旦止めて、果汁濡れていないほうの手を額に添えた。
その手はひんやりとしていて柔らかく、先ほどまで乗せられていた濡れタオルよりもよほど心地いい。出来ることなら、ずっとこうしていて欲しいほどだ。
「おはようございます、指揮官。まだ熱はありそうですね。調子、どうですか?」
「‥‥おはよう、綾波。相変わらずかな。今何時くらい?」
「まだお昼前です。ゆっくり寝てていいですよ」
綾波は置いてあったタオルで首元の汗を拭ってくれる。冷たくて気持ちいい。
タオルを置くと綾波は再びリンゴを手にして、皮を剥く作業を再開した。
「‥‥大したことないし、いてくれなくてもいいよ。仕事に戻りな」
「秘書艦の仕事は三笠さんにお願いして、変わってもらいました。綾波はお休みになったので、今日はずっと一緒にいられますよ」
「‥‥うつったら困るだろ」
素直に嬉しいと言えず、タオルの位置を直しながら忠告で誤魔化すと、綾波は楽しそうに薄い笑みを浮かべた。
「うつってもいいです。そうしたら、今度は指揮官が綾波のこと看てくださいね」
じっと目を見つめられながらそんなことを言われては、返す言葉などあるはずもない。
熱も症状も大したものではなく、よほど無理でもしなければ明日には良くなっているだろう。風邪など引かないに越したことはないが、交代で看病というのも悪くないなどと思ってしまった。
「今日は1日、指揮官をひとりじめです。早く治ってほしいですけど、少しだけ、嬉しいと思ってしまいました」
「‥‥うん」
お互い、考えることは変わらないようだ。微笑む綾波の薬指に一滴の果汁が伝い、そこに嵌められた指輪を鈍く光らせた。
綾波はリンゴを剥き終えると、サクサクと食べやすい大きさに切り分けてくれる。
と、綾波は不意に動きを止めて皿の上に落ちた皮をじっと見つめた。
「‥‥リンゴ、ウサギさんにしようと思ってたのに全部剥いちゃいました」
悲しそうな瞳を浮かべる綾波にいとおしさを募らせながら、オレはゆっくりと上半身を起こさせる。重力のかかる方向が変わり、くらりと視界が揺れた。
「無理、しないでください。食べたいときに食べたらいいです」
「いや、今食べたい。何か口にしておいたほうがいいし」
スポーツドリンクに口をつけて一息つけば、すぐに目眩は治まってくる。元々、大した症状ではないのだ。
リンゴに手を伸ばそうとすると、綾波がスッと皿を引いて自分の手の平にそれを乗せる。フォークを携えて嬉しそうに見つめてくる様子に、オレはあっという間に観念して綾波に身を委ねた。
「はい、あーん‥‥です」
リンゴをひとつ刺して差し出す綾波は、あまり手を伸ばさず身体を寄せてくる。かじりつくためにこちらも身を寄せると、前髪と肩がわずかに触れ合った。
しゃりっと半分ほどを口の中に収めて、しゃりしゃりと咀嚼してから喉の奥へと流し込む。胃の底から栄養が染み渡るような感覚と共に、にわかに体調が快方に向かうような錯覚を得た。
「美味い。最高。綾波の味が染み込んでる」
冗談めかしてそう言うと、綾波は果汁に濡れた自らの指を見下ろし、そっとそれを目の前に差し出した。
「‥‥綾波の果汁100%、です」
大した迷いをみせることなく、オレはその指をちゅぱりと咥えこんだ。リンゴの甘みと綾波の繊細な肌の味が交わり合い、控え目にいって最高だった。
口を離して、さすがにというべきか軽く苦笑を交わしてから、二口めのリンゴを頂いた。
「どうです? 食欲、ありますか?」
「うん、リンゴくらいなら全然食べれる」
「お腹空いたら、お粥、作ってきますか?」
体調は酷くはないものの、体のダルさは軽いとは言い難い。空腹感がなくはないが、普通に食事という気分でもない。
となると、お粥という選択肢は今の状況にはひどく妥当だ。正直なところあまりお粥は好きではないのだが、他に食べられそうなものも思い付かないし、ここは綾波の好意に甘えさせてもらうべきだろう。
「よろしくお願いします」
「はい、じゃあちょっとだけ待っててください」
綾波はリンゴの皿を置いて静かに部屋を出ていこうとして、くるりと振り返って引き返してくると、頬に唇を添えて、ぱたぱたと小走りでその場を後にした。
リンゴをかじり、その冷たく瑞々しい食感で、頬に残された温かく柔らかな感触に意識を寄せる。どんな薬よりも効果がありそうなおまじないだ。
リンゴをしゃりしゃりしながら待ち、ちょうど最後のひと切れに口をつけた時、小さなお盆を片手に持った綾波が、こぼさないようゆっくりゆっくりと部屋へ戻ってきた。
お粥を台の上に置くと、ぼんやりと綾波を眺めているのに気付いて小さく微笑み、手に持ったままだったリンゴの最後のひと欠片を食べられてしまった。満足そうにしゃりしゃりしながら、フォークとお皿が片付けられる。
リンゴの代わりに置かれたお粥を、綾波は椅子に腰かけて木のスプーンにひと口よそった。そしてそれを自らの口の前に持ってゆき、何度も息を吹きかける。
「そんなにしてくれなくてもいいのに」
気遣いよりは気恥ずかしさに苦笑を漏らすと、綾波は動きを止めて不思議そうに見つめ返された。
「でも、熱いです。冷まさないと、火傷します」
綾波としては特別ではなく当然のことだったのだろう。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、そっとスプーンを口元に差し出してくれた。
「タマゴ粥です。薄味にしてるので、食べやすいと思います」
あーんと口を開けて、ぱくりとひと口。綾波のおかげで、適度な熱量が口内に満ちた。
もごもごと口を動かして、喉に通す。言葉通り薄味のお粥を舌先で味わい、その中に卵と塩以外の味が混じっていることに気が付いた。
「‥‥生姜?」
「あ、分かりました? 元気になれるかと思って、少しだけ入れてみました」
じんわりとした熱が喉から胃を通って全身に広がってゆくのを感じる。
お粥というと粘りけのある水を流し込んでいるようであまり良いイメージはなかったが、このお粥はそんなイメージをあっという間に払拭し、すぐにでも二口目が欲しくなる。
「‥‥すごく美味い。ありがと、綾波。素敵なお嫁さんを持てて指揮官は幸せです」
「優しい旦那さんがいてこそ、です。今後の綾波が優しいかどうかは、指揮官次第ですよ?」
「頑張ります」
「頑張ってください」
なにかを励まされながら、二口目を食べさせてくれる。
あっという間にお粥を食べ終えると、水分補給をしてから再び横になる。綾波が額に濡れタオルを乗せてくれて、優しく頭を撫でてくれた。
「早く治すために、しっかり寝てください。寝てる間もずっと綾波がそばにいますから、安心していいですよ」
いつもなら甘えて欲しいと思う性分なのだが、たまにはこうして甘やかされるのも悪くないかもしれない、なんて思ってしまう。
瞳を閉じると綾波の吐息がすぐ側まで近づき、包み込まれるようにして頬に柔らかな感触を添えられた。
その心地良さと安心感に、意識はすぐに眠りの底へと落ちていくのだった。
××× ×××
綾波の看病のおかげで翌日には風邪菌さんとオサラバして、元気いっぱいな指揮官へと戻ることが出来ていた。安心したような、甘える口実がなくなってしまって残念なような。
それにしても、今朝は綾波が顔を出すのが遅い。いつもならもうとっくにやって来ていて、朝の挨拶(オブラート)くらい済ませている頃なのだが。
と、ちょうどそんなこと考えていた時、執務室の扉がひっそりと開かれ、綾波が半分だけ顔を覗かせた。何事かとじっと見ていると、なぜか綾波はその場を動かない。立ち上がって迎えに行ってみると、ようやく部屋の中に踏み込んで上目遣いにこちらを見つめた。
「‥‥あの、指揮官。念のため先に言っておきますけど、本当に、わざとじゃない、です」
急によく分からない言い訳を始めた綾波が、なにやら細長い棒を見せつけるように掲げ、指差して見せた。
えっ、まさかデキちゃった‥‥? などと思ったのも束の間、綾波が取り出したそれは検査薬などではなく、体温計。そして真ん中に表示されているのは陽性を示すマークなどではなく、平熱とは言い難い綾波の体温だった。
「指揮官の風邪、うつったみたい、です‥‥」
ごほ。と咳を漏らした綾波を抱きかかえておでこに手を当てると、ぽかぽかとした熱を感じた。頬にも朱が指し、瞳も少しだけ虚ろになっている。口にはしないが、正直ちょっと可愛い。
「わざわざ来なくても、誰かに言伝すれば迎えに行ったのに。病人は大人しくしてなさい」
「でも、指揮官に言って、指揮官に看てほしかったですから‥‥」
そんなことを言われて、可愛い以外のどんな感想を抱けばいいというのか。腕の中の綾波をよりいっそうの愛しさをもってぎゅっと抱きしめ、頭を撫でる。
「それじゃ、今日も仲良く一緒にお休みさせてもらおっか」
「‥‥はい。今日は、綾波がいっぱい我がまま言う番、です」
果たしてオレはそんなに我がままを言っただろうかと思いつつも、今日一日綾波を独占できることを、少しだけ嬉しく思ってしまうのだった。
綾波が看病してくれるお話
先日久しぶりに風邪を引いてしまいまして、綾波が看病してくれたのでその時の様子を忠実に再現してみました。起きている時は絶対に姿を見せてくれないけど、目を閉じるとお世話してくれる恥ずかしがりな可愛いお嫁さんです
気が向いたら続きの攻守逆転ver.も書いてみたいです
読了ありがとうございました