半透明少女

N村Kタロウ 作

 登竜門での自然発生的イベント「少女祭り」に参加した掌編小説です。いままで「門の掌編集」としてひとまとめにして掲載していましたが、分かりにくいので別々の作品として掲載し直すことにしました。

 ダイニングキッチンのテーブルの上に、それはあった。
 日曜の明け方、まだ薄暗いうちに不意に目覚めて、水でも飲もうと寝室を出てきたときにみつけた。
 少女だった。身長はビール瓶ぐらいで、テーブルの上に仰向けに横たわっていた。
 いや、横たわっていた、というのは正確ではない。べったり貼りついていた、とでも言おうか。
 白濁した半透明の、ゼリー状のぷるぷるした材質でできているらしい。裸体の少女の形をしたその物体には、体の前側の半分しか無いように見えた。もともとそういう形状なのか、それともそれ自体の重さと弾力のためか、後頭部や、背中や、臀部や踵は、平面となってテーブルに密着していた。
 息を殺してそっと近づき、のぞきこむ。プロポーションこそ本物の少女そのものと見まがうほどリアルではあるが、細部の造形はまるでプラスチック製の型から抜いた菓子のように不鮮明だった。
「ハンダン、来ナカッタ」
 唇を動かさずに少女が言った。人の声、というより、びりびりと震えるブザーの音に似ていた。
「深イ。深イ。全テノ蹉跌ハ、ウミヲ生ミダス」
 私は、テーブルの反対側の椅子を引いて、腰を下ろした。
「縁側ノ薄暮、薄暮ノ縁側」少女は言う。「回ス、回ル、回サレル」
 じっと横たわったまま。唇は動かなかったが、小さくとがった乳房だけが発声に合わせて震動した。
「君だったのか」と私は言う。
「処置、措置、イズレ。利スル、違ウウミタイ?」
「びっくりしたよ。でも、いつかは会って話さなきゃいけないと思っていた」
「銑鉄ヲ飲用セズトモ、今ハ知ル人ノ傍ラ」
 半透明の少女の身体は、ぼんやりと光っている。蛍光灯の明かりのせいかと思ったが、体の内部に弱い光源があるようにも見える。
「そうじゃない。忘れていたわけじゃないんだ」
「ジャナキャ、滞留スル。ヤワラカサ、イツモクネクネ、紙ナプキンノ前モ」
「七年になるのかな。会わなくなって。でも、僕は君を否定したわけじゃない」
 少女は目を開いた。
 ゼリー状の物質の上に油絵具を乗せたような、不透明な白目の上に、さらに黒々と重ね塗りされた瞳。内面の表れというものを、一切感じさせない。彼女はここにはいない。
「……地下通路ノ僧侶ニ、ソコハカトナク、ソウジャナイ。アノ戸惑イモ?」
「そうだよ。どこかでつながっていると、ずっと感じていたんだ。君もそうだったんじゃない?」
 少女は、動かない。しかし、身体とテーブルの接するところ、輪郭に沿って、光沢があらわれてきたようだった。
「無為ト野菜ト広告灯カ。ドコカラドコ。ココカラココ」
「ああ。本当は嬉しいんだ。でも会えないよ。二人とも人間としてこの世界に生きている限りは」
「ココロヨク。ココロヨク。植林植林植林植林植林植林、ヤサシイトモ植林トモ思ワナイ」
 水が滲み出してきていた。肩口から、テーブルの中央に向かって、とろりと流れた。
 身体の形状は、いつしか曖昧さを増し始めている。胸の先端の部分は、ほとんど融け消えて乳房の曲面に同化しようとしていた。消えてしまう前に触れたい。強い衝動が、私をほとんど椅子から立ち上がらせようとした。しかし触れれば潰れるだろう。頼りなく柔らかい身体の全体が崩れ去るかもしれない。
 私は椅子に体重を戻す。触れたところで、あの時の感覚が戻ってくるわけではない。
「……あの時間は消えない。覚えていてほしい」
「ジット寮……ザケド、湿度ノ遊ビ、ジツケトサワラビ……」
 白目と黒目の色は、絵の具が水に溶け出すようににじみ、目尻から耳に向かって流れて二筋の線を描いた。声はさらに不明瞭になり、ボツボツというクリック音に似始めていた。
「……ジズズギ、デホ……」
「僕は、本当は君と一生をともに過ごすべきだった。今でも、それは分かっている」
 ある瞬間から、融解は一気に進み始める。最初に流れ始めた液体の一筋が、テーブルの端から床へ長い垂線を引いてたろたろと流れ落ちた。もう、顔を判別することも難しかった。広がった輪郭は、死亡事故現場にチョークで描かれる人の形と同じだった。
「でも、僕はそれには耐えられなかっただろう。本当にあるべき状態が、この世界で実現するとは限らない。そうだろう?」
「……セス……」
「今でも、君の身体を抱くことを、よく思い浮かべるんだ。彼女とは、何かが違う。本当なものがあった」
 たろたろたろたろ、と液体は落ちた。
「そうだね。どこかに、本当の世界があるならね」
 私は腕を伸ばし、テーブルの上に楕円形に広がる白濁した液に、人差し指の先をつけた。
 温かく、ねばりつく。指の関節のしわから、身体にしみこんできそうな気がした。
 空気に触れて急速に粘度と温度を失ってゆく液を、私は人差し指と親指の間でいとおしく撫でた。
「愛しているよ」


(おわり)

半透明少女

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半透明少女

ダイニングキッチンのテーブルの上に、それはあった。 日曜の明け方、まだ薄暗いうちに不意に目覚めて、水でも飲もうと寝室を出てきたときにみつけた。 少女だった。身長はビール瓶ぐらいで、テーブルの上に仰向けに横たわっていた。 (登竜門での自然発生的イベント「少女祭り」に参加した作品です)

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-08-20

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