空へ旅立つ母はわたしに微笑んだ

昨夜日本時間午前八時に母は月へ向けて旅立った。僕は宇宙飛行機が発射した北海道の地でその様子を肉眼で観察した。遠く上空を飛翔するロケットはまるで打ち上げ花火のように高く高く、登っていった。父はその様子に憧憬にも似た表情を浮かべて僕の肩に手を置いて、大きく息を吸い込んでから笑った。そんな表情は見せたことはなかった。それで父もきっと母さんが一年以上月の基地で生活することに心配しているんだろうと思った。
「父さん、お母さんがいなくなって寂しいんでしょう?」僕は当たり前のことを聞いた。
「ああ、これからも一年間お父さんの不味い手料理をおまえに食べさせなければいけないなんてな、我慢できるか?」
「大丈夫だよ、僕も手伝うし。それにお父さんが作る豚汁、最高に美味しいじゃん。毎日でも飽きないよ」
「そっか、それじゃあ今日の献立は豚汁に決まりだな」

僕は昨夜の情景を思い浮かべて微かに寂しさを知った。ベッドに寝そべって目をつぶり、月の形を思い浮かべた。まん丸な月が形作られた。母さんは今頃何をしているんだろう。仲間の宇宙飛行士たちと仲良くしているんだろうか。母が最後に僕に残した言葉がその時脳裏に浮かんだ。
「行ってくるね。留守番よろしく」
たったそれだけだった。でも、その言葉の奥深い、真意はきっとこんなものだ。
「打ち上げに失敗してわたしが死んでも悲しまないでね」多分僕はそう捉えたのだ。でもそんなことにはならずに母は月に滞在している。僕は窓ガラスを開けて、月が見えないかと探した。でも雲が一面を覆っていて見えなかった。
「そっか、母さんは今月にいるのか、なんか信じられないなあ。母さんは月からこの地球を眺めているんだろうなあ。きっと綺麗に見えるんだろうなあ。地上では憎しみや、悲しみで溢れているのに、月から見える地球は青く輝いて生命力に満ちている。そんな風に見えているんだろう。この小さな天体に様々な生き物がいて生活を営んでいる。母さんはそんな感じでこの地球を見ているにちがいない」
明日は学校だ。きっと、母のことが話題にのぼるにちがいない。母のことを思うと誇らしく、一年間いなくても、きっと気丈に振舞うことができるのではないかと思った。
ベッドに入り、電気を消して目を瞑ったけど、なかなか寝付けなかった。母は今頃何をしているのだろう。月面基地では夜があるんだろうか?そんなことすら分からなかった。でも、きっと母さんは成功する。母さんはやり遂げることができる。そう、熱烈に思った。自然に笑顔が溢れて、喜びで満たされた。僕も頑張ろう。いっぱい勉強して、いっぱい遊んで友達を喜ばせよう。そうだ、大好きな吉崎智子に母のことを話そう。きっと喜んでくれるにちがいない。僕は月に向かって祈りにも似た気持ちを抱いて眠りに入った。

翌朝、六時半に目覚めると、僕は二階から降りて、冷蔵庫からパンと牛乳、それから卵とベーコンを取り出して、フライパンでベーコンエッグを作った。父さんが寝室から起きてきて、
「おはよう」と言って挨拶を交わした。
食事を終えてインターネットで月面基地での情報を検索していると、母が書いているブログを見つけた。
「何もかもが新鮮でいい気持ち、フリーズドライの食事も美味しくて最高!旦那と息子は今何をしているんだろうか?月からは地球がよく見える。とっても綺麗!とても貴重な存在なんだと思う。そこからは経済戦争とか、テロとかは見えない。本当に神々しいまでに美しい。ほんとうに何処かの誰かが言っていたけど、この唯一の天体、地球を見れば、人は革新できるというのは事実だと思える。みんなに見てもらいたい。この地球がとてつもなく素晴らしく、美しい天体だってことを!何時間見ても飽きない。正直に言って、その地球に暮らしているみんながとても貴重な生き物なんだってことが分かってくる。どんな悩みや苦しみもこの地球を見ていると全て解決できるんじゃないかと悟ってしまう感じがするの。みんなに見てもらえればいいのに」
母の言葉は真実だ。そう、思った。僕もいつの日か、地球を旅立って月に行く日が来るのかもしれない。なんせ、一千万円で旅行できるんだから。お金を貯めて月へ行こう。月から地球を眺めて、感動するのだ。母と同じく‥‥。

空へ旅立つ母はわたしに微笑んだ

空へ旅立つ母はわたしに微笑んだ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-17

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