老いない老婆
ある街の郊外に、意地っぱりの老婆がいた。その街のたてものはほとんどが白く、外観は似たり寄ったりで、街の道路はレンガ造り、海岸沿いには木々が生い茂り、潮風を遮る。海辺の街だった。その海辺の場所で老婆はほとんど村八分のような扱いを受けていたが、老婆の邸宅は大きく、財産もたくさんあったので苦労はしなかった。老婆がなぜ、嫌われているかというと、彼女は年老いた姿で、何年何十年とそのままで、それ以上年をとらなかったのだ。それには、街の人々が、祖父や祖母から聞いたある魔術師の伝説とのかかわりがあって、老婆自身もそのことを常日頃から口にしていたものだった。それはこういう話だった。
随分昔のこと、街で得たいが知れない噂のされるある魔術師がいた。彼はつねに頭から顔を覆う布によってその姿を隠し、派手な紫の装束を身にまとい、街をわが物顔で闊歩していた。それもこれもどうやら、この国の王の親族らしいからこそできる事だという。彼は老婆の住むこの街がきにいったらしく、自分は呪術によって、街に平和をもたらすと、自ら自分の事を“高名な魔術師”と名乗っていた。彼もまた老いをしらず、初めこそ、村の人々は彼を疑いもしたが、しかし彼がひとたびその顔を見せると、街の女たちは彼の魅力にひかれていった。しわ一つない顔、自身に満ちた表情。妖艶で甘いマスク。彼もまた女が好きで、そしてこの町には彼好みの女が多かったという。しかし、彼は唯一、この町で一番美人の女には手を出さなかった。それは花屋の女、若いころの例の老婆だった。甘いマスクの魔術師は、女というと若いものから、老いたものまで、分け隔てなく接して、そして彼女たちに夫や交際しているものがあろうと、自分の手の者にしては、また別の女を求めるのだった。なので彼は村八分のようにこの街の男すべてから疎まれ憎まれた、しかし、彼に歯向かおうものなら、奇妙な魔術で、絶世の美女の幻惑を見せられ、男たちは皆だめになってしまう。そこでひっそりとこの魔術師に歯向かおうとおもってたのが、花屋の女だった。
なかなか行動には移せなかったのだが、彼女はある日、その魔術師のあとを追い、いつものごとく女を両脇にかかえたぶらかし街をいくその背後からにじりよった。男は魔術師の仕事もあったが、女から金銭を与えてもらう事もあったそうだ。花屋の女は、男に一切の魅力を感じなかったので、彼を日ごろからうっとおしく思っていたし、彼女と同じ女性が騙され、痛い目を見るのが見ていられず、正義感から、ほかの男たちと同じように、その街の邪魔ものとして、魔術師の男をおいだそうとしていたのだ。そして街の中心、噴水のある広場で、男に尾行を見破られ、女は男にこう語りかけた。
「いっつもこの街をぶらぶらして、街の女をたぶらかして、私の友達や母さんまで、あなたみたいな狂った男はみたことがない、あなたは、その強すぎる欲望とともにその生涯を終えるべきだわ」
「ははは、長く生きる事の苦労も知らずに、だから口の利き方もわからない、だが、いや、お前は若く純粋な心をもっているからこそ、私の魔術が効かなかったのかもしれぬな」
花屋の女はパット意識をうしなった、脳裏によぎるのは最後に魔法をかけられた瞬間の男の顔、その顔は老いた男のもので、彼の左掌から妙な光が自分めがけて、一瞬走ったかと思うと、自分は意識をうしなっていたのだった、そして次に目を覚ましたときには……女は老婆の姿になっていたのだった。
「あの魔術師に歯向かうのはやめろといったのに、あの婆さんは歯向かった、それ以来、この街の女性は、顔に妙な傷やあざができてしまい、
あざ村とか、傷村とか噂されるようになった」
街の町長ですら、このように子供たちに話てきかせるので、彼等にとって悪い人間という判断は、あの花屋の、老いたままの姿でいつまでも死ぬことができない老婆へと向けられるのだった。
しかし花屋の美しい女は、伝説とは違い、歯向かいはしたものの、説得をこころみ、魔術師としばしの間対話をしたのだといった。街の者がきくと
「あなたには本当の美しさがわからない、私はとても美しいといわれているが、私もいつしか老いるのだ」
その言葉に、魔術師は一瞬たじろいたのだと老婆はいう。女曰くそれが本当の昔話。やがて傷とあざの呪いは、長い月日の中で、この街から消えた、それは街の女たちの老いとともに、肌から消え失せるようなものだったらしい。若いものは徐々に年老いて、老婆を非難する事ができないほど、顔や体のしわがふえた。老婆と街の人は、村八分のような関係で、老婆が、魔術師に逆らった事を責め立て、いつまでも仲たがいをしたままだったが、しかし、老いたものは死んでいくし、花屋の老婆だけは、深いしわや顔かたちは同じまま、老いたままいつまでも死ぬことがなかったので、退屈しのぎに、この街に、自分の伝説をいつまでも、いつまでも覚えてもらおうと思い、初めは嫌がらせのつもりで、はなを植え育て、敷地から徐々にはみ出すよう、花壇をふやしていった。そしていつしか、自分の敷地を中心に、街を覆うほどにまで花壇を大きくしようと考えたのだ。それは、そのころになると、もはや老婆を嫌う理由もないものたちが、老婆を嫌っていたからである。
老婆が広げていく花壇、それは敷地をはみだし、村八分として許された敷居を軽々とこえた。それには、ご近所さんも文句をいうものの、花の美しさに見とれているようだった。やがて、あざや傷のある人々が、完全に世代をかえ、その子や孫の世代になると、まだ老婆は同じ姿のまま、花壇の手入れをし、おおきくなっていく花壇を見守った、そして花壇は、当初の目的通りいつのまにか町を覆うほどの大きさになる。老婆はある日、通りかかりの、顔を布で隠し、風に大きくゆられて、かろうじて表情が見える、苦い顔をした、どこかの国の装束らしきものを羽織った老人から、こんなことをいわれた。
「お前は、少しも変わっていない、素晴らしい」
それから町の村八分は止まった。やがて、全ての女性から傷やあざが消えた事、魔術師の伝説は単なる伝説となり、誰も村八分だった老婆の、だれも魔術師との口論をせめず、老いない老婆の深く刻まれたシワを非難する事もなく、それどころか毎日の熱心な仕事に感謝して、誕生日をいわうようになる。丁度花壇が街を覆いつくした前後。いつしか老婆は街から姿を消したが、隣町でやけにこの昔の過去の事を知る若く美しい女がいると噂がたつ、やがて噂は、その女が隣国の王子と結婚したという知らせになるが、時がたつと、その街では何事もなかったように、花屋のその女のことも、老婆の事も、魔術師のことも、まるで遠い世界の事で自分たちに全く関係がない事のように、忘れ去られたのだった。
老いない老婆