連載。『芥川繭子と言う理由』」 76
昔から、架空のバンドを創作して妄想するのが好きでした。
自分の理想とするバンド、そのメンバーならこんな事を話すだろう、
こういう風に生きるだろう、そんな思いを会話劇にて表現してみました。
既に完成しており、かなり長いです。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
連載第76回。「芥川繭子」
2017年、3月。
会議室にて。
芥川繭子×時枝可奈。
「っはは、お疲れ様。あはは、もー、顔やばいよ、真っ赤だし、ドロドロだし」
-- うん。全然いい、胸一杯だから、その証みたいなものだよ。
「なるほどねえ。…ちょっとさ、思い出した事があって」
-- うん。
「最後の挨拶をする前に胸のつかえをとっておこうと思うの」
-- よっぽどだね、あなたがそんな風に言うなんて。
「大した話じゃないけどね、言わないままこのスタジオを去るのは嫌だなって、今皆を見てて思ったから」
-- 皆とかスタジオが関係してる話なの?
「全然(笑)。なんて言ったらいいかな。凄く個人的な話だし、だから結局何だよって、思われて終わるような事なんだけどね。今の所この話を知ってるのは、実はURGAさんだけだったりしてさ。どうしても聞いて欲しくて私から打ち明けたんだけど、その後ちょっと二転三転あったもんだから、私の中ではまだ全部を吐き出せていないというかね。だからもう一度気持ちの整理をしたくて」
-- 意外だね。織江さんや誠さんも知らないの?
「織江さんは少し知ってるかな。でも私が今でも一人でふつふつと抱え込んでる事までは知らない(笑)」
-- それを私が今聞けるの? そうか。私もついにここまで登りつめたか。
「っはは、あ、もしかしだいぶ酔ってる?」
-- ううん。ぜんっぜん酔えないの。明日はきっと使い物にならないけどねー。
「そりゃートッキーだって疲れたよねえ。今日、長くなるよねーなんて言ってたけど、私もちょっと想像越えてるもん!」
-- 同じ一日だって思えないよ。でも疲れてるんだけど意識だけはずっと尖りっ放し。だから今すぐ原稿用紙の束をドーンて積まれて、さあ書けって言われても、それがあなた達の事であるなら朝まで書き続けられる自信がある。
「今から!? それは凄いね」
-- (首を横に振る)
「それで、話って言うのがね」
-- うん。
「…いきなりだけどさ、トッキーさ、アニメとか見る?」
-- ううん、見ない。
「今じゃなくて、例えば10年前とかは?」
-- それがきっかり10年前だっていうなら、もうこの仕事始めてるから見てなかったと思う。会社にいる事が多かったし、テレビ自体を見た記憶があまりない。
「そっかそっか。んー」
-- 言い辛そう(笑)。
「ううん。そういうんじゃないけど、どうやったらスムーズに伝わるかなと思ってね。…ずばり聞くけど、NIGHT GARDENER(ナイトガーデナー)っていうバンド知ってる?」
-- へ?ちょっと待ってよ、知ってるに決まってるじゃない(笑)。
「そっか」
-- メジャーバンドだよ、超大手事務所だし。なんでテレビ見てるかが関係あるの? あ、タイアップ? アニメ主題歌多かったもんね。
「そうそう」
-- それが? …でも何年か前に解散してなかった?
「うん、もう今は活動してないと思う。その後のメンバーのソロ活動とかも聞かないし」
-- いや、ギターの人は今でもスタジオミュージシャンとしてやってるって聞いたよ。アレンジャーとしても優れた人らしくて、楽曲提供なんかもやってるって、違ったら申し訳ないけど。あ、ボーカルが綺麗な女性なんだよね。個人的に好きな顔立ちだったけど、話題が最初そっちで盛り上がってたから、触手が伸びるまでに時間かかったんだよ。
「うん(笑)」
-- 何、昔何かあった? あ、揉めた?
「いやいや、ちゃんと喋った事ないもん」
-- じゃあ何よ(笑)。
「やっぱり詳しいんだなと思って」
-- そっち系の話はね。畑違いだけど、私昔から女性ボーカル好きなんだ。全部は持ってないと思うけど、ナイトガーデナーも一時期好きでCDよく聞いてたよ。アニメを見ないからタイアップ関連の話は出来ないけどね。
「じゃあさ、一番好きな曲って言える?」
-- んーと、どうだろう。待ってね。…あー、やっぱり、『ユウメリー』になるのかな?
「うん、だと思った」
-- え?そうなの?どうして?
「なんとなく」
-- あはは!え、どういうカラクリ?
「カラクリなんてないよ。ただね」
-- …。
「あの歌ね、作曲したのって実は翔太郎さんなの」
-- …え?どういう意味?
「(笑)」
-- 笑ってないで教えてよ。
「やっぱりいい歌だし、良い曲だって思うよね」
-- え、思うよ。思うけど、私は知らなかったよ?
「うん、うん、分かってるよ。事情が少し複雑でさ。…さっき二人で最後のインタビュー撮ってる時にもちらっと話したし、他のメンバーも言ってる事だからあれだけど、やっぱり何度も言うけどあの人モテるのよね」
-- あはは、あー、うん、そういう流れなのか。
「うん。複雑なのは本音とか本心はお互いの胸の内だし、外野で見てて当人が隠してる気持ちなんて見抜けるわけないじゃん。だから分からない部分もあるけど、向こうの、何さん?」
-- え、ボーカルの事?ボーカルは黒井さん。黒井七永さん。
「その黒井さんがさ、どこまで翔太郎さんに本気だったのか知らないし、そこをどうこう私も言わないけどね」
-- うん。あの、話の腰を折るようで悪いんだけど、私が勘違いしてないならナイトガーデナーってボーカルの黒井さんが全曲書いてなかった?
「作曲でしょ?そうみたいだね。だけど私『ユウメリー』が発売されてテレビから流れて来る前からあの曲知ってるんだよ。もちろんそんな名前じゃなかったし、テンポも違うんだけど、翔太郎さんってフレーズから曲作る人だからさ、一度耳にした印象的なメロディは私忘れない自信あるんだ」
-- うん、繭子がそう言うんならそうだと思う。あなたを信じる。
「ありがとう」
-- デビュー曲だよね。
「え?」
-- あっちの。
「うん、多分、そうだった気がする」
-- アニメのタイアップで、デビュー曲で、大手事務所から鳴り物入りでスタートしたグループの一発目が、実は翔太郎さんが作った曲だっていうの? それって、結構大事だよね。どこかで誰かが、誰かにウソをついて騙しているって、そういう話にもなりかねないよ?
「複雑なのはそこもそうでさ。それを知った時に私翔太郎さんに聞いたんだよ。もしかしたら、同じ時期に似たような曲を二人が思いついていて、片一方が先に完成させて世に出したっていう、それだけなのかもしれないから」
-- 無い事はないよね。
「その時私はナイトガーデナーをよく知らないし、ボーカルの人と翔太郎さんが知り合いなのも分かってなくて。単純に、似すぎじゃないですか?って聞いたらあの人苦笑いで首を捻るだけでさ。腑に落ちなくて織江さんに聞いたら、向こうもインディーズから活動してるグループで、以前からバンド同志で付き合いがあるんだよって聞いて。付き合いって言っても向こうのメンバーがクロウバー時代からの皆のファンで、楽屋で話す程度で共演した事はないんだけどね」
-- ジャンルが違うもんね。へー、でも意外。そういうバンド同志の交流とかしないと思ってた。特に10年前なんて今よりずっと怖かった時代でしょ。
「まあ、向こうの目線はファンだったからね。わざわざ事務所通して挨拶がしたいって来る人達を邪険に扱ったりはしないよ。怖いって言っても向こうから因縁付けてこないかぎりはこちらから何かを仕掛けるわけじゃないもん。喧嘩売られたりもしないし(笑)」
-- それはそうか。じゃあ、取った取られたじゃなくて、翔太郎さんが作曲した曲をあげたのかもしれないんだね?
「今も、それは分かんない」
-- お互い知らない間柄じゃなかったわけだし。
「どの程度の交流なのかとか、他のバンドと何が違ったんだって言われても私は分からないよ。私が入る前からの付き合いなんだし、当時は私子供みたいなもんだったし。だけどそうやって、挨拶とかで何度か顔合わせてるうちにボーカルの人が翔太郎さんに思いを寄せ始めたんだって。でもその頃にはあっちもメジャーデビューが決まってたから、スキャンダルなニュースを避けたいのかなんなのか、周りが注目するような積極性とか具体的な出来事もなくって」
-- 繭子が気付かないぐらいだもんね。
「(苦笑)」
-- 気付いてた?
「(右手の人差し指と親指を限りなく近づけて、片目をつむる)」
-- あはは!本当鋭いな!
「今にして思えば、綺麗な言い方をすれば叶わぬ恋だったわけじゃない、黒井さんにとっては。メジャーデビューが足枷になったし、翔太郎さんにはそもそも誠さんがいるから」
-- それってでも、確信があって話をしてるんだよね?
「(頷く)」
-- どうやって向こうの気持ちを確認出来たの?
「(マイクを握って歌う真似)」
-- どっち?
「こっち」
-- …わざわざ教えてくれたの?
「わざわざっていうわけでもないけどね(笑)」
-- へえ。だけど翔太郎さんも優しい人だから、ぼーんと突き離すような距離の取り方はしなかったんだろうね。
「当時はそういう余裕みたいなものも感じなかったかな。こっちはこっちで色々と大変だったし。お前が言うなって話だけど」
-- そっか、そうだよね。
「だから、うん、今思えばね、今思えば、あの曲は翔太郎さんから黒井さんへの贈り物だったのかなあって。そういう見方も出来るじゃない?」
-- うん、そうだと良いし、それなら素敵だと思うよ。
「ね。そう思えば納得もできよう(笑)。…ただそれでも色々腑に落ちない部分は残るけどね」
-- でもそれって向こうのバンド内ではどういう認識だったんだろうね。だってデビュー曲だよ? インディーズ時代から全曲を黒井さんが担って来てさ、世界観とか音像とか歌詞とか、皆で作り上げて来た実績と道のりを経てのメジャーデビューだよ。何も伝えずに自分の作曲っていう事にして、メンバーには隠したのかな。隠せたのかな。
「ね? 疑問が残るでしょ。クレジット確認したらやっぱり黒井さんの名前になってた。いや名前は正直覚えてないけど、翔太郎さんじゃなかった事だけは確かだから」
-- なるほどね。うーん、スキャンダラス(笑)。
「翔太郎さん自身が、『あー、書いたげたんだー』とか言わないし、やんわりと明言を避ける時点でお察しじゃない(笑)」
-- 言い方(笑)。でも想像だけど、盗作ではなさそうだね。
「それもだから、可能性の一つとしては消えないけど、私もさすがにそれは違うと思う。だけどもしそうだとしても翔太郎さんは言わないだろうね。先に作って世に出したのは向こうだからって、言うと思うし」
-- えーっと、でも、待ってね。それって10年近く前の話だよね。それ、確認しようと思えば出来るよね?
「え?」
-- だって、もし、だよ。もし翔太郎さん作曲のナンバーを正式に提供したならクレジットもそうだし印税が発生するから、きちんとした契約を結ぶはずなの。あるいは単に、「あげます」って言って権利を放棄してるんだとしたら誰にも何も言えないし、それを知ってるから織江さんも黙ってるんだと思う。
「うん」
-- その逆で、翔太郎さんは承諾していないしあげてもいない。となったら絶対に織江さんは黙ってないよ。
「うん(笑)」
-- もし翔太郎さんがお茶を濁すような返事で躱したとしても、繭子が『変じゃないですか?』って聞いた段階で彼女なりに調査はすると思う。だけど実際は、スルーなわけじゃない。そしたら、やっぱりさ。
「うん、そう思うよ。そう思うから、私もこれまで何もしてこなかったんだよ」
-- ああ、そうかそうか。そこの事実関係でもやもやしてるわけじゃないのか(笑)。
「違う。…まあ、はっきりしない分、あるにはあるけど(笑)」
-- でも、ナイトガーデナー自体は解散しちゃったけど、向こうは向こうで今でも固定ファンがいるからね。この事知ったら黙ってられない人多そう。
「私はこの話を公に出して欲しいわけじゃないよ。ただ…、『ユウメリー』ってカタカナのタイトルだけど、歌詞読めばわかるけど『you made it』なんだよ。直訳したら『あなたが作った』だけど織江さんに聞いたら、どちらかと言うと『やったー!』とか喜びのニュアンスなんだって。それが私には当時『やってやったぜえ!』みたいな印象に聞こえて許せなかったの」
-- あああー、うん。なるほど、そっかそっか。上手い事やって騙し獲ったみたいに思えたんだね。
「相手の事知らなかったしね。でも、それを翔太郎さんに言ったらちょっと怒られちゃって」
-- へえ、何でだろ。
「お前には関係ない、みたいな事だと思うけどね。…なんで、あげちゃったんですか。どうして、うちのバンドでやらなかったんですかって、そういう言い方をしたから」
-- 良い曲だもんね。
「翔太郎さんの手から生まれ出た素敵なメロディが、知らない誰かの手に渡って、全然別の音に生まれ変わって、名前まで消された事がどうしても整理出来なくて。もっともっと格好良い曲に出来たんじゃないのかって、失礼だけど、そういう聞こえ方しか出来なかった。だけど竜二さんや大成さんからも、注意じゃないんだけど、わざわざ関係ない所に首突っ込んで、あいつの才能や色んな可能性を潰すような真似は、誰であろうとするべきじゃないし、お前自身の為にもならないって。そうやって言われて」
-- …んー、辛くなってきたぁ(笑)。
「あはは。だからその時に教えてもらったの。向こうがどうやら翔太郎さんに対してそういう感じだったらしいよって」
-- あー、そっか。なるほど、納得。
「うん。だけどそれからね、あの人(伊澄)誰にも曲を書かなくなって。尋常じゃない程の曲を書いてるのに、全部バンドの為にストックされてるの。それがちょっと私の中では十字架のようになってた」
-- ああ、背負っちゃったんだ。
「ちょっとだけね。うん、そういう引っ掻き傷みたいな思いがずーっと消えずに残ってて。それをさ、私出会って間もない頃のURGAさんに打ち明けたの」
-- …うあ、このタイミングでそのお名前を聞くとは。今何故か救世主のように天使が降臨したのを想像した。
「あははは!」
-- 空から舞い降りて来た。泣きそう(笑)。
「なんで!? URGAさんに話したってさっき言わなかった?」
-- 聞いたけど、分かんない。
「その話を彼女にしてね。何か腹立ちませんか、勝手に『ユウメリー』なんて名前付けてって、言って」
-- 愚痴ったわけだ。
「うん。でもびっくりしたのがさ。URGAさん首振ってさ、『オリーなら分かってると思うんだけど、you made itは悪い意味じゃないよ』って言われて。『もし今私が繭ちゃんにそれを言ったとしたら、それはきっと、良かったねとか、あなたのおかげだよとか、そういう使い方になると思うよ』って」
-- ほええー。
「『それに』って。『私は歌詞を読んだわけじゃないから推測でしか言えないけど、もしタイトルのユウメリーがyou made itじゃなくてyou,merryなら。そういう言い回しはないけれど、言葉の意味だけ考えたら、とても素敵な気持ちがこもってるよ』って」
-- うううー。
「あはは。『you made itを流暢に発音してカタカナに直すとしたら、ユウメリーとは書かないなって思って、思い付きで言ってみました。間違ってるかもしれないけど、もしそうなら素敵じゃない?』って。もう私何も言えなくなってさ。そしたらURGAさん、もの凄く考えて考えて、物凄く遠慮がちにね、『えっとー。だから繭ちゃんのそれはー、嫉妬じゃないかなあ?』って」
-- あははは!
「私びっくりしちゃってさ。そんなつもり全然なかったんだけど、そう聞こえるのかって自分で恥ずかしくなっちゃって。だけど所謂ジェラシーじゃないと自分では思ってたから。そしたらURGAさん真剣な顔でね。『私は、音楽的な才能っていうのは、収まるべき場所に、望まれた形で収まるものだと思うよ。だから、きっとその時伊澄さんの書いた曲は導かれるようにして君達の手をすり抜けたんだよ。だけどそれは黒井さんが悪いんじゃなくて、黒井さんがとっても素敵なボーカリストだったからだと思うよ。だからね、もし、伊澄さんの書いた曲や大成くんの書いた曲を全て自分のものにしたいと思うなら、誰よりもあなた自身が頑張らないといけないんだよ』って」
-- …。
「私、大号泣して(笑)」
-- うん。
「うん、そんな顔してたと思うよー。縋り付きたいようなね」
-- うん。
「面白いのがね。そうやって最初は伊澄さんって呼んでた彼女がすぐに『翔太郎くん』って呼ぶようになって、『私に曲を書け』って言い出して。結果あんなに素敵な曲を自分のものにしたでしょ」
-- うん(笑)。
「本音言うね。…またとられた!って思って」
-- (爆笑)
「負けてらんないよねー。大成さんがいてさ、世界一の歌うたいがいてさ、こんな贅沢なバンド他にないもん。もう一曲だって他に渡してなるもんか!って思う(笑)」
-- いいね、それでこそだ!それでこそ我らが芥川繭子だ!
「っはは。うん、そうなの。だけどその、更に本音を言うとね。そういう個人的にあった胸のつかえとか、URGAさんとの出会いとかで今に至る私が思うのはね…。私はやっぱり、皆の事大好きだから。私は私のやり方で、世界を獲りたいんだ」
-- 繭子。
「私が思う、世界を獲るっていうのはね。もしかしたら皆とは違う意味なのかもしれない。私はレコード会社の人間じゃないから、世界一のセールスを目指すとか知名度を上げるとか、そういう方向でバンドを捉えられないんだ。私が思うのは、例えどこに行ったって、近所を散歩するのと変わらない気負いのなさで、当たり前のように、誰にも邪魔されず、何も制限を受けずに、やりたい音楽をやれる事が、世界を獲る事だと思うんだよ」
-- (頷く)
「URGAさんはそういう意味でも世界を獲った人だと思う。そういう人だから、翔太郎さんが曲を書いても仕方のない人だと思う。だけどもうダメ。全部私がもらう。バンドがもらう。私が叩く。もちろん大成さんの曲も、竜二さんの歌声も、全部私がもらう」
-- 繭子。凄いねえ、興奮してきた。
「私がここにいるのはあの頃の皆のおかげだと思う。だけどこれからの私は、私のやりたいようにやるよ。その方がきっと…」
-- …うん。
「うん。だからトッキー」
-- うん。
「ちゃんと見ててね。私、絶対に世界獲るからね」
長過ぎた一日の終わりは、今日の始まりと同じく、うっすらと涙を浮かべた繭子の笑顔と共に訪れた。
私は立ち上がって両手を差しだした。
繭子も立ち上がり、太腿で自分の手をゴシゴシと擦ってから私の手を掴んだ。
ありがとうございました。今後のご健闘を、楽しみにしています。
上手く今の感情を伝えきれずにいた私の口をついて出たのは、そんな他人行儀な挨拶だった。
彼女は困ったように微笑んで、私の二の腕をポンポンと叩いた。
一瞬だけ我々は抱き合い、そして会議室を後にした。
練習スタジオへ戻ると、宴の終わりを感じさせるメンバー達と関係者各位の温かい眼差しに迎えられた。
改めて深くお辞儀をすると、人柄が滲み出た丸みのある拍手の音に包まれた。
私はまだこの時点では雑誌編集者であり、バンドの密着取材の為に訪れていた。
私が何かを成し遂げたわけでは決してなく、彼らの生き様を追いかけていた記録係であり、拍手を持って迎えられるに相応しい存在ではなかった。
日本最高峰の音楽家集団であり、間違いなく国内最強のデスメタルバンド。
そんな彼らの手から鳴る暖かな拍手の、なんと優しかった事か。
私はこの日のこの音を、一生涯忘れる事はないだろう。
「一発最後にお見舞いしようと思ったんだけどな、さすがに疲れた」
「大分飲んだしな、もう手が震えておぼつかないよ」
「それはお前、別の原因があるんじゃないか?」
一同、笑。
「だから、明日もまた来いよ」
私は顔を上げられないまま泣き崩れ、あくまでも見慣れた光景によく似た装いで、私の一年をかけた密着取材は幕を閉じた。
だが私のなすべき事が終わったわけではない。
彼らの音が明日も明後日も、10年後も100年後もこの世界で鳴り響くのと同じように、
私のこの今日という時間も、夜明けへと繋がっている。
この夜の全てに感謝を。
この夜を迎えられたこれまでの道のりに感謝を。
ここまでお付き合い頂いた読者諸兄に最大限の感謝を。
決してその足を止める事のない彼らに全身全霊の愛を。
命を絡めとる時間という名の限りある全てに。
-- ありがとうございました。
もしも一つの終わりを迎えた事が事実であるならば、今はどうだ?
そうだ。この今はもう、すでに始まっているのだ。
池脇竜二(Vo.gu)『DAWNHAMMER』
伊澄翔太郎(Gu.vo)『DAWNHAMMER』
神波大成(Ba.vo)『DAWNHAMMER』
芥川繭子(Dr.vo)『DAWNHAMMER』
善明アキラ(Dr.vo)『DAWNHAMMER』
伊藤織江(バイラル4スタジオ、代表取締役兼チーフマネージャー)
真壁才二(バイラル4スタジオ、サウンドエンジニア)
渡辺京(バイラル4スタジオ、音響)
上山鉄臣(バイラル4スタジオ、アシスタントマネージャー、広報)
関誠(バイラル4スタジオ専属スタイリスト兼広報、元ファッションモデル)
時枝可奈(取材、編集、記事)
(暗転)
(再開)
「…カメラ、電源、お、これで…うん、オッケ。えーっと、時枝可奈さん。トッキー。…えーと、うん、ありがとうございました。ずっと、ため口で話していたことを気にしてましたね。私の方こそ、年下のくせに偉ぶった話し方をしてしまって、すみませんでした。もう少し、上品に話をした方が良かったのかなーって、今ちょっと後悔してます。ただ、やっぱり、あなたと話していると昔の自分を取り戻すような感覚があったのは本当で、後半、メンバーからそれを指摘される事もあったけど、ずっと、自分でも分かってました。その事が、私にとっては幸せで、久しぶりで、懐かしくて、ドキドキしていました。私は、誠さんがいなければきっと、誰とも気軽に話をする事ができないまま大人になっていたと思います。そういう自分の、大切な何かを思い出すきっかけにもなったし、あの頃を思い出す事が出来て、その続きをコンティニューしているような感覚が、とても不思議で…青春でした、あはは、何言ってんだろ。
えー…。この一年の、トッキーの事を思い出すと何故だか涙が出て来ます。ずーっとこの人私の横にいたなーって思うと、ただそれだけで胸が一杯になります。こういう気持ちになるのは、本当、織江さんとか、誠さんとか、そういう私を支えてくれた人達以来の事で、今この年になってこんなにも素敵な友達に恵まれた事は、私の誇りです。以前インタビューでもお話させて頂きましたが、高校生活の、あの頃の自分を思うと、今でも、自分で自分を応援したくなる事があります。頑張れ、ここまで来い、そしたら誰にも負けない素敵な風景が見れるよ。だから負けるな、歯を食いしばれ。…今改めてその素敵な風景を見渡してみた時、そこには、トッキーがぐしゃぐしゃに泣きながら拳を突き上げて応援してくれた姿が、…そこにはあります。
色々聞いてくれてありがとう。大した答えは、出来なかったけど。…好きな食べ物はなんですか。好きな飲み物は何ですか。好きな本は何ですか。好きなバンドは何ですか。好きな場所はどこですか。休みがとれたらどこに行きたいですか。プライベートで訪れたい国はどこですか。好きな男性のタイプはどういう人ですか。何一つ、まともに答えられなくてごめんなさい。だけど。…それ以上の事を、あなたとは話せた気がします。
ドーンハンマーは私の全てです。竜二さん、翔太郎さん、大成さん、アキラさんは私の全てです。彼らを支える皆が私の家族です。トッキー。彼らを愛してくれてありがとう。彼らを選んでくれてありがとう。…ありがとう、この一年の事は私、一生忘れません。
…そうだ、忘れないうちに、皆からの伝言を伝えておきます。時枝可奈さん。そして、私達を応援して下さるファンの皆様。これから私達を知って下さるであろう皆様に、心から感謝します。これまで10枚ものアルバムをリリースする事が出来たのは、皆様のおかげです。この世界一うるさくて世界一無意味な私達の音楽を楽しんでくださる皆様の存在が、自分勝手な私達に自信と勇気を与えてくれているのだと、バイラル4一同、ちゃんと分かっています。だから私達はこれからもやり続けます。日本を離れてしまいますが、これからも変わらない応援よろしくお願いします。…それから、最後に一つだけ。
『ドーンハンマーの全てがここにある!』
時枝さん、胸を張って宣言してください。あなたは、それを成し遂げました!
お疲れさまでした!本当に、ありがとうございました!
それじゃあ!
またね、トッキー。…バイバイ」
(おわり)
連載。『芥川繭子と言う理由』」 76
お付き合い下さり、本当にありがとうございました。
書き終えた今でも、この作品が大好きです。
色々な見方、意見があると思いますが、まずは私自身が一番のファンです。
彼らの涙と笑いを形に出来ただけで良かった。
次回作は小説然とした読み物を書いておりますので、そこでまた再会できると嬉しいです。
伊澄翔太郎達の親世代を主人公に据えた、バイオレンスな物語を現在執筆中。
それが完結した後は、関誠を主人公にした『たとえばなし』という作品を書きます。
今後ともよろしくお願いいたします。 時枝可奈