異形と面影
一瞬で世界が変わることもあるという、それはすべて忍耐を試されているのだろう。青年は秘密を隠し続けた。自分が異形を見て、触れる能力を持つことを。青年とは僕の事だ。名前は、イラ、21歳、大学生、美術系大学に通う。仕送りは少なくバイトでは正社員並みの労働と労働時間をこなす。異形は日常の人々の感情の動きにあわせて、残像のように顔をだす。僕はキッチンにたったときにそれが現れたとしても、師のいう“呪術”で対処する。キッチンに立つ者は僕の中の異形ではない、しかし時としてそれは異形を生成する。異形―—ときにそれは伝説上の怪物であり、偉人であり、見たこともない姿をしていることさえある。しかし彼の能力の師は彼にこう言い聞かせて来た。
「世界は常に形をかえつづけているものだ」
異形の正体が一体何なのか、僕には分からない、下手をすれば師でさえそれをしぬのかもしれない。しかしあるときから、ひとつの過去の……悲しい異形と親しくなり、触れる事もでき、共に過ごすことになってから異形についての理解を改めて考えるようになった。師は異形を倒すすべはおしえたが、異形を生かすすべは教えなかった。目の前の異形は、僕の住んでいる狭いぼろぼろの、蜘蛛の巣でたたみの床、窓ガラスには傷やひび割れの入った寮の一室で、入口のすぐそばにあるキッチンに立ち、料理をしている。それは三年前になくなった、当時大学生だった姉にそっくりなのだ。ただひとつ違うことは、妙に優しくなっていることと、ほくろの位置、腕の傷、えくぼの位置、それがまるで鏡に映ったときのように、真逆になっていることなのだ。
師には街で遭遇する、奇抜な、ぼろきれをまとったような格好をしている美しい背の低い女だ、時に自販機のそば、時に映画館の入口、時にファミレスの奥の座席に彼女を見つける。僕は師を尊敬している、しかし格好は奇抜だから一緒にすごすときに少しためらいもある、だが誰も彼女を見ないというより、気にしない。師いわくそれは恐れによるものだという、この街の人々は、師のことをよく知っているのだという。姉と生活し始めてから、師は私にやさしく微笑むようになった。しかし決して話さない、彼女の背後にたつ、二人の男女がいったい何なのか、なぜ“異形を倒せ”と命じた師が、そうしているのか、そしてなぜ今さらにになってそれが、うすぼんやりと、僕の目に映るようになったのか。日頃の鍛錬により、僕は師のすべを受け継いだ。呪術の方法とはこうだ。まずスマホであるサイトにアクセスして、彼女から教わったパスワードを入力して、そのあとその日決められた暗号のようなものを打ち込む、暗号はメールで彼女から毎日送られてきていて、どうやらそれ自体に呪術が宿るらしい。
異形とは何か、パラレル世界の住人か、あるいは幽霊か、あるいはもっと幻想世界のものだろうか。彼等は皆青色のオーラをまとう、オーラ自体、人には見えないが、異形自体も見えない。異形は感情に反応する、それは二人目の姉もかわらない。異形とはうまれたときからそれぞれが、外部から受ける感情に反応するように、それに適応するような行動と形の変化をとる。師匠はそれを害といった、そのはずだった。姉は時たま、手のひらから異形を生成する、それは特別決まった形はしていないが、まるでウニのようなボールの形状つくっている。僕は昨日、暗号をチェックしわすれていて、姉から放たれる異形を倒すことができなかった、しかし異形は僕の目の前で、姉との思いで形にかわり、消えた。その瞬間、とめどもなく流れる涙、姉は、もともと優しい人間だった、しかし僕にたいしては、義理の弟であるという理由でなかなかうまく接する事ができなかったらしい、それは、姉の友達から、姉の死後きかされたことだ。姉はバイクにのっていて交通事故を起こした。ときおり姉の姿にふと思うことがある。
「姉も、異形がみえたのではないか」
と。その想像もあいまって涙が止まらなくなった、それはある意味病気的な異常な精神状態、健康状態におもえた、それはいつまでも止める事ができず、スマートフォンに伸ばすては、いつまでもまるで金縛りにあったかのように動かなくなり、そして、“死にたい”という想いが全身を駆け巡る。そのとき、ふとスマフォから着信があった、その音に、師匠のあるメッセージを感じ取った。そうだ、いつか勝手に師匠がスマートフォンをとりあげて、それは確か二人で駅前の、赤いテーブルと赤いソファがシンボルのカラオケ屋個室に入ったときのことだったが、師匠は、僕にこういった。
「世界は常に形を変えている。お前は私がすきか?だったら次の瞬間には、嫌いかもしれないな」
その瞬間、意識は収縮し、まるで自分の意識がまるでミニチュアの箱庭に置かれた人形の一人になったようなそんな気がした。屋根の上から自分を見下げて、僕は気づき、さとり、自分にといかけた。
「お前は師匠を女性としてみた事がある」
もう一人の僕は大きな僕を見上げていた、それはミニチュアの家の屋根をとりだして見下すようにこちらをみる自分の顔面だった。
「??」
「いいやそんなことではない、お前は聞いていたはずだ。俺の呼吸より、俺の目線より、俺の表情よりも大事なことだよ」
迫力のあるその顔は、確かにその表情やしぐさひとつで、人に何かを伝えるような身に迫る気迫をもっていた。それもそのはず、何よりも巨大な、巨人ようなのだ。自分の顔だというのに。
「白と黒、好きと嫌い、正しいと間違い、全てが正反対だってこともある」
ふと意識を現実に引き戻すと、キッチンに立っていた、姉のふりをした異形は、その薄く青いオーラをまとった異形は、それまでそこから動く事はなかったのに、キッチンの背後にある、居間の背の低いテーブルの前に腰かけ、僕の前で、泣いていた。僕はスマートフォンに伸ばしかけた手をとめて、おもった。僕もまた、姉との付き合い方がわからなかったのかもしれない、姉がなくなってから、両親は再び離婚した。
異形と面影