笑うミキサー

あ、と思わず口が開いてしまう瞬間がある。


口と言うのは、私の体の外と中を繋ぐ出入り口のようなもので、そこからは私の思ったことや言いたいことや意見や愚痴や奇声や罵倒や汚物や言ってしまえば私の中身のようなものが勝手に外に出て行ってしまうのだけれど
その出て行く内容やタイミングや形や音によっては、あ、これは言うべきでなかった、あ、これは今ではなかった、などとそれらが出て行ってしまった後の風通しの良い喉がかっぱりと開いてしまう。それに伴って口も開いてしまう。息が止まる。


そう、それで、私の喉が開いて伴って口が開いて、息が止まっているの。です。


私は私の目の前で止まった空間を自分でも驚くくらい冷静に眺めて、あ、と口を開けたまま、自分の口から出て行った失敗作を拾い集めることが出来ずにいた。
言葉は気体らしい。
本当は、言葉が個体なら、拾って集めて、粉々になった分は箒と塵取りでキレイに掃いて、ゴミ箱にサラサラと流し込んでしまいたかったのだけど、いつの間にか空気に溶けた私の失敗作は、形は無いのにじわじわと、この空間に居る私や彼女を凍りつかせ苦しめて私は苦しくて、まるで毒ガスのようだな、なんて思ったりして。
じゃあ息をしてはいけない、私も彼女も。だから私は息を止めているの?それは違うんだけど。そうだといいんだけど。

どうしようもなくて、解毒薬はどこ?なんて誰に聞けばいいのなんて。
私の目の前で、彼女は毒ガスが効いてきたようで、眉を顰めて瞳が潤んで、ああなんて表情をしているの、あなた。


「ごめんね」


ああ苦しい。私は自分の首を絞めている妄想をして、自分の首が絞められているような声を出して、やっとそれだけ呟いた。「ごめんね」は、浮いた。水の上に落としたオイルみたいに、混ざらないし沈まないし、浮いた。溶けずに、浮いた。


「何が?どうして謝るの?」


彼女はにっこり笑ってそれを撹拌。でも無茶なの、混ざらないの。水と油は混ざらないのよ。浮いたままなの、溶けないの。
それでも私はその撹拌に甘えた。ううん、何でもないの。一緒に混ぜた。混ざらないものを、混ぜたくて、混ぜた。


私はそっと私の右手と彼女の左手を繋いで、一人で一人と孤独な仲直りをした。そっと握り返してくる彼女の左手は暖かくて柔らかくて、少し湿っぽかったのは、多分、きっと、毒ガスのせいだった。

この湿っぽい左手がシュレッダーのように、私の右手を切り裂いて引き裂いて微塵切りにしてくれればいいのに。彼女の左手の指の一本一本が鋭い刃ならいいのに。そうして彼女が私の右手を握りしめる度に、私の指が掌が手首が腕が柔らかい肉が、ががががががっとシュレッダーの刃に挟まれて抉られて、その奥にある骨たちがごりごりごりと砕ける振動で、私は、

私はきっと解毒される。


私は柔らかい彼女の手を少しだけ強く握り締めてそう願ったけど、彼女の湿っぽい左手は一向に暖かくて柔らかいままなので、黙って口の中にある舌という器官の中程に歯を這わせて、ちぎれない程度に噛み締めて、それで我慢した。

そもそもこの言葉と言う厄介な物を口から送り出すのは何を隠そうこの舌なのだから、こいつを成敗してしまえれば良いのだけれど、それは以前彼女に止められてしまった。舌を噛みきると死んでしまうのだと、そう教えてくれた。
だから千切れる前の、神経がびくりと跳ねる感覚を合図にして、私は顎の力を緩める。


それでも、彼女の左手のシュレッダーに比べれば、何でもなかった。

笑うミキサー

以前サイトとピクシブにて掲載していた物をほんの少しだけ書きかえてみたり。

笑うミキサー

あなたが泣いてすらくれないから

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-24

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