~魔理沙とアリスが夜にすれ違うだけ~

東方Project。魔理沙とアリスを題材にした二次小説です。

 ~魔理沙とアリスが夜にすれ違うだけ~

~魔理沙とアリスが夜にすれ違うだけ~





 雨の降りしきる森の上空を、箒にまたがった少女が飛んでいる。
 華奢な肩幅を覆うほど大きな帽子。
 片方の手で帽子を押さえながら、もう片方の手で箒を握っていた。
 帽子からはみ出た、波打った金色の髪が雨風に靡いている。
 黒いスカートや紫色のストールもまた、はたはたと風を受けて乱れていた。
「ふう……晴れ女だと思っていたんだけどな」
 少女――霧雨魔理沙はやるせない思いで、白い息を吐く。
 上空からみえる視界。
 上には、にび色のくもり空。下には、緑の森の稜線。
 雨は止む気配がないどころか、だんだんと強くなっていた。


「家までは持ちそうにないな。どこか都合のいいところに降りよう」
 視界が効くうちに箒の高度を下げ、森に降りることにした。
「着地! 成功」
 着地の衝撃で少々泥が撥ねたが、靴もソックスも黒を基調にしたものを身につけているので気にならない。
 暗く鬱蒼とした森で道を探りながら歩く。
 木々の枝葉はトンネルを形成するように丸みを帯びていた。
 まるで空を遮っているように……。
 とはいえ、魔理沙の家も森にあるので、鬱蒼とした道も気にならない。
 スカート姿に似合わない軽快な動きで地面に盛り上がる樹の根っこなども、飛び越えながらずんずん進む。


「やけに見覚えがあるな」
 奥に進むごとに、森の闇は深さをましていた。
 混じりけある植物のにおいが鼻につく。
「キノコを取りに来たことがある気がする」
 この森のキノコは光反応を発する性質を持つので、魔理沙はよく調合に使っていた。
 キノコを調合した粉で光魔法を打つのが、魔理沙の趣味のようなものだった。
「こうして雨を吸ってキノコなんかが育っていくんだな。へ、へくちっ」
 この世の摂理に感嘆しながら、くしゃみをひとつ。
 雨をしのぐ魔法があれば凍える心配もないだろうが。
 そんな便利な魔法は使えない。
 火力のある魔法しか使わない主義だったのが、災いした。


「雨なんてのは、下手に縮こまるから余計に濡れるんだ。安全地帯まで全力疾走するのが、健康な対処法ってもんだ。はくちっ」
 とはいえ反省は微塵もない。
 詭弁を自分に言い聞かせ、森を駆け抜ける。
「そういえば思い出した。森は形を変えるからわからなかったが……」
 森の小道が終点に差し掛かると、枝葉のトンネルが開けた。
「ここはアリスの家だったな」
 空間の中心には小さな洋風の家がたたずんでいた。
 家は、枝葉の合間からの幾筋かの光に照らされ、ひっそりとした外観を浮かべていた。
 アリス・マーガトロイド。
 職業・人形師。
 種族・妖怪の、魔法使いの知り合い。その根城であった。
 積もる話をするのもいいかもしれない。折角なので魔理沙は雨宿りに立ち寄らせてもらうことにした。



「邪魔するぜ」
魔理沙はいつもの通り返事を待たずにドアに手を掛けた。
 室内は外観以上に奥行きがあり、声が吸い込まれて消える。
 濡れそぼった金色の髪からは、水滴が木張りの床に落ちる。
 宿主――アリス・マーガトロイド――の返事はなかった。
 規則的に打ち付ける雨の音が、静寂を際立たせているだけ。
「いないのか?」
 玄関を抜け部屋を見渡しても、暗がりにみえるのは、綺麗に整頓された家具や、本棚に納められた魔道書、動かない人形達ばかり。
 存在の気配は感じられない。
魔理沙はいくぶんか拍子抜けしつつ「寝ているのかな」と考える。
アリス・マーガトロイドは妖怪の魔法使いである。
 妖怪とは簡単にいえば、人間をやめた方々の総称。
 人間でありながら魔法を使う魔理沙とは違い、妖怪故に食事や睡眠の必要がない。
 だがアリスは妖怪に成ったばかりなので、人間だったときの習慣から食事も睡眠も行っているようだ。


『眠る必要がないのに目の隈が消えないのは、下手に眠るせいかもしれないわね』
 そう本人が言っていたのを思い出す。
「寝ているなら起こしてやろう」
 寝台を覗いてみたが、もぬけの空。
 シーツが丁寧に整えられていたのが怖かった。
「テーブルの裁縫跡やバスケットの果物などから生活感は感じられるな。住まいを変えたわけでもないみたいだな……」
 外出したのだろうと考えたが、雨が激しさをましているのが気掛かりだった。
「この土砂降りの中出かけたのだとしたら酔狂な話だぜ」
魔理沙は姿のみえない酔狂について思う。
 檸檬色の髪を雨に濡らしているのか。濡れているとしたらあの白い肌は、幽霊のように透き通っているだろう。
 ここに来るまでの道中の寒さを思い出し、同情する。
風邪などの心配ではなく。
雨の冷たさがアリスには似合わない気がしたからだ。


「冷静な奴が、さらに冷静になるのは、やりすぎだものな」
 実際、アリス・マーガトロイドはフザケた奴だった。
 人里では、明るく振る舞って、人形芝居なんかで生計を立てている。
 明るくなろうと思えばできる奴なのだが。
 稀に人形と見まごうほど冷たい眼になる時がある。
 冷たい眼になるのは決まって……。
(人形を造っている時だったな)
 薄い笑みか、影のかかった無表情になるのだ。
 人形遣いなだけあって、人形じみてくるというか……。
 そのときのアリスは、妖怪的だ。
 まず表情がない。
 眼の下の隈を歪めるだけでどう変化したのか判別ができない。
 感情が消えているわけではないようではある。
アリスの代わりに、傍らの人形が揺れ動いてるためだ。
感情の震えが指先を伝って、人形に伝染している、ということなのだろう。
それらの震えはアリスの表情の発露として、糸を伝って人形にまばたきを与え、人形の動きとなって顕れる。
 魔理沙にしてみれば
(いや、普通に笑っていろよ)
 と思わなくもないが。
 人形から離れれば、いつものアリスに戻る。
『あら、どうしたの? ぼうっとして……』
 などと、しっかり者を気取って、人を嗜めてくる。
 自分では徹夜で人形を造って、眼に隈を拵えているくせに……。


 ともあれ、実際アリスは感情豊かな奴なのだと思う。
 人形を作り続けることで、本人が人形に近づいている、という風にみることもできるけれど。
 本質的には、アリスは、おもしろいやつなのだ。
 よくあたふたするし。
 そうしてしばらく付き合ううち、魔理沙にはアリスの隈が【自分が人形になり切らないためのしるし】のように思えてきた。
「まるで【人形人間】だな」
 だからなのか。
 アリスが雨にたたずむのは、打ち捨てられたようで、もの哀しい感じがする。
「あいつは周到だから大丈夫だろうけど」
 心配しすぎるのも野暮なので、帰りを待つことにした。
 勝手知ったる手付きで、暖炉に火をくべる。
 帰ってきたときに誰かが家にいればアリスも安心するだろう。
魔理沙は自分がくつろぎたいという気持ちを『アリスが帰ってきたときのため』という形で合理化した。
「暖炉に火をくべて……火事をしてやったぜ。何かを要求してやろうかな」
 要求どころか、完全な無断侵入なのだが。
 魔理沙にとっては細かいことなので気に留めない。
「はあ……あったかさが染みるぜ」
 冷えた身体を温めるべく暖炉で体を炙る。
指先までほっこりしてくる頃には、目が闇に慣れてくる。
暖炉の炎が部屋の暗がりを溶かすように広がり、暗がりで見えなかったものが姿を現し始めたようだ。
もとよりこの部屋は、明るさとは縁がないようだった。
 眼に映るものは暗澹とした陰影を宿し、ただの机や椅子や裁縫用具でさえも、妖気を醸している。
 とりわけ禍々しい空気を放っていたのは、壁一面の本棚、そのガラスの引き戸の中に、横一列で並ぶ人形達だった。
「うへえ……話には聞いていたけど……こんなに居たのかぁ」
 人形たちは一様にブロンドの髪にスカートを着込んでいた。
 人形の表情は暗がりのせいかよく見えない。
 棚の奥のスペースまで利用していて、縦横に折り重なるように陳列されている。
「こんにちは」
 立ちあがって間近で見ると、それぞれ顔立ちが違うことがわかる。
その表情は『笑っている』とか『泣いている』などの、感情の分類にはあてはまらない。強いて言うなら『人間の無表情』に近いものだった。
人形は通常、アリス・マーガトロイドの傍らで『魔力の糸』によって操作される。
 人形たちは、人間と同等の動きをし、戦闘においては刃物を持ったり、自爆したりする。

 アリスと一緒に戦ったり、あるいは本人とも戦ったことがあるので、馴染みのある光景だった。
 笑みを浮かべて溌剌と、目標に向かう人形……。
「おぞましい以外の何物でもないと思っていたけど……」
 しかし今は一切の緊張の抜け落ちたように、本棚の中や鏡台の上で、くたりと寄り添いあって座っている。
 安らかにさえ見える。
 休んでいるためなのか。
 人間に見立てても遜色ないほどに、アリスの人形は生き物に近い臭気も宿していた。
「へえ……人形ねえ。近くで見ると以外と可愛い……」
 まじまじと眺めているうちに魔理沙は人形をあやつるための『魔力の糸』を調べてみたいと思い始めていた。
 あらためて好奇心がもたげたのは、以前アリスに話を聞いても理解できないことがいくつかあったためだ。
――「まず人形は体の一部だから…」――
――「……まて。前提がおかしい」――
いくつかというよりほとんど、と言えなくもないが。
 わからなかったからこそ、この機会に知りたくなった。
 魔理沙は、人から教わるよりは、1を聞いて残りの9を自分で考えたい性分だった。
「本人が居ないなら……ネタバレ放題だな。またとないチャンスじゃないか。遠慮なくすべてを調べさせてもらうぜ」
 まずは机の上に広げられた裁縫用具を手に取った。
 何の変哲もないただの針だ。しばらくにらめっこしたが、何も起こらない。
 目に付くままに別の編みかけの布地をひょいと裏返してみる。
 ぺたぺたと人形をさわり、引出しにあった図面などにも目を通す。
「なにもないな」
とりたてて特筆すべき点は見受けられない。だが変哲のなさ、という断定が気づきを妨げる可能性も魔理沙は心得ている。
魔法の基本は観察による発見と照合だ。
 対象が人形と言えど姿勢は変えない。
「なにもないからこそ、燃える」
 魔理沙は懐から八卦炉(火起こしのようなもの)を取出し、光の屈折作用で布地の観察を始めることにした。
「心身ともにな。いや身体は燃やしちゃダメだな……」
 特徴を『魔導書』と呼んでいるメモ帳に書き入れ、その他の繊維や布地も観察、特徴を分類わけする。気づきのためにはたくさんの観察が大事と、自分の経験がささやいている。
「これは、時間が必要だな。ちょっとだけなら持っていってもバレないな」
 魔理沙はアリスにばれない程度に裁縫用具の一部を懐に入れることにした。
さらに観察による発見をもとに、めぼしい布地を懐に入れていった。
 あるいは、観察による照合を行うために布地を懐にいれた。
めぼしいものを求める眼はほとんど盗人と同等の光を湛えている。


「なんかもう、いいんじゃないかな。バレたらどうにかしてごまかそう」
 霧雨魔理沙は魔法扱う人間である。
 普段は蒐集したマジックアイテムを販売し(たりしなかったり)で日々の糧を得ている。
 自称・泥棒稼業と魔法使いの両立。
 だがそれは上手いこと泥棒を正当化しているに過ぎなかった。
『借りているだけ』と周囲にのたまい、手癖の悪さをばらまく。
 霧雨魔理沙のどうしようもない悪癖で。
 つまるところはとりかえしがつかない出来心だった。
「なんか、アリスが帰ってこないなら、帰ってこないやつが悪い気がしてきたなあ……。荒らしてくれって言ってるようなものだし……」
小腹が空いたという理由で、さも当たり前のようにバスケットのりんごを齧る。
 家の主と既知の間柄、というのが、より彼女の泥棒稼業に拍車をかけていた。
「りんご、酸っぱいな」
本来ならば、魔理沙の泥棒稼業はこうもあからさまなものではなかった。
この部屋で傍若無人に振る舞うのには、親しい間柄という以外にも理由があるのだ。
魔理沙は本当の意味でアリスのものを盗めるとも思っていないのである。
「りんごで確信したぜ……この部屋は、巻戻りがかかっているな。どうりで、ガードが甘いと思った」
アリス・マーガトロイドの部屋は決められた形にまき戻る性質を備えているようだった。部屋の要所に術の構成式があるのか、あるいは家全体が陣なのか。
今こうしている間も、移動させたはずのものが糸に手繰られたように、気づいた時にはあるべき場所に戻っている。
そのため今まで試みた拝借行為はすべて失敗に終わっていた。
「ポケットも空だ。ち……布を盗むこともできやしない。だったら、記憶するまでだ。真剣に魔力の組成とかを、記憶してやるぜ」
部屋そのものに保持性質を加えたことは敬服に値するが、人の観察力までは考慮しなかったのだろう。
「引きこもり故に気が回らなかったな。ふふふ。私は心ではなく、知識の泥棒だぜ」
魔理沙は泥棒稼業の成就に内心で勝ち誇る。
「帰ってくるまでに、この家の魔法に関するものを、すべて分析して……」
ふと、踵のあたりに堅い感触。体がよろけ、腕でバランスをとりながらなんとか持ちこたえる。
「と……なんだ?」
 暗がり故に、足元付近がおろそかになっていたのだろう。
 振り返りみると、人間大ほどの黒い箱が佇んでいた。
 衣類を入れる箱だろうか。魔理沙は目を凝らしてその箱を窺う。
箱は闇との境を曖昧にしながら黒く長く伸びている。
 五角形の立方体を人間が納まるように無理やり引き伸ばしたような形状である。
「ぶつけたのは棺桶?」
それは西洋風の棺桶だった。
 地面から浮き出るように鎮座している。
「闇に溶けてる棺桶だぜ。どうりで見えなかったわけだ」
 棺桶は簡素でありながら、リボンや蓋の淵などには真紅と藍色の意匠が施されていて、アリス本人の手作りであることが窺えた。
 死体を入れる器に可愛らしい装飾というのもおかしな話だが、手の込んだ刺繍からは創り手のこだわりが感じられる。
「でも棺桶て……。とうとう頭がおかしくなったのかな?」
 いよいよアリスが何を思ったのか図りあぐねたが、彼女のことよりは蓋の中身に好奇心をそそられる。
 少し躊躇しながらも、蓋に手を掛ける。
音もなく開いた棺桶には、人間ほどの背の影が闇の中に浮かんでいた。
「……ごく」
 よもや中身が入っているとは思わず、息を呑む。
 粗相のないように、おそるおそるその住人を窺う。
 閉鎖され充満した闇に、眼を慣らしてみつめる。
 棺桶の住人は目許から上唇までを、白い布に覆われていた。
 布の上には鼻梁や頬のくぼみがかすかに浮かび、しなやかに波打った金色の髪が、頬のかたちに沿うように整えられている。
 東洋風の白装束が体を包んでいて、襟からは鎖骨が、袖からは掌の甲が覗いていた。 覗いた肌は陶器のように白く、生き物の熱を放棄しているかのようだった。
「……アリス?」
なんとはなしに名前を、呼ぶ。
返事はなかった。どうして呼びかけたのかは自分でもわからない。声が返ってこないことを確かめるために呼びかけたのかもしれない。
 くたりとしなだれた掌に指先を触れる。冷たい弾力が返り、くにゃりと形がかわる。
 それは限りなく人肌に近い、別の何かの感触。

――死者があらかじめ棺桶に入るわけもないので、あたりまえのことではあるが――。

「人形、か」
 印象としては人工物というよりは、幽霊に近かった。
 違和感に思いをめぐらせていると、幽霊じみている原因に思い至る。
 白装束が着物の左側を上にして、着付けられていたのである。
 本来着物は右が上。それが反転されている。
 着付けの反転は、死に装束の意匠だ。
「??? えーと、ということは……」
棺桶の中に人形が入っていた。
 だから人形は死体人形として、死者の着物を着ていた。
つまりこの人形は。死んだ誰かを演じている。
「あいつは人形を殺したいのかな」
 弔うために生まれた人形というのもおかしな話だ、と魔理沙はつぶやく。
そもそも人形が死んでいる、なんて。
 言葉遊びでも、過ぎた冗談だ。
 人形とは大概、何かの役目を果たすために生み出されるからだ。
その役目は形だけでは済まされない。
 時には話し相手や遊び相手など行為をともなう器として存在させられる。
「さすがに人形は、殺しちゃダメだろ」
 持ち主は心の中の何かを人形に投影して、自分以外の独立した存在として仕立て上げる。その誰にも邪魔されない投影の中では、人形は姉妹にも友人にも恋人にすらなりえる。つまり人形は生きている何かのために、造られる。
「人形が、代わりでしか無いとしてもさあ」
 器である人形は自我を要求されない。いつだって演じるための器だ。
 したがって人形は代わり以上の存在にはなれない。
(では人形の死体とは、どういう意味になる?)
 死体の役割を与えられた故に、人の代わりに死んでいる?
代わりにさえなれなかった故に、人形として死んでいる?
(複雑になってきたし、考えても詮無いことだgq)
 いずれにせよ魔理沙は失うための存在が創られるのは、どこかかわいそうだと思った。
「まあ、私の知ったことじゃないけど」


 見たところ、死に装束の人形は魔力を込められた様子はない。
それに先ほどからの観察で、動く人形には『神経の糸』が組み込まれていることを魔理沙は発見していた。
「私は優秀だからな。さっきの観察で、あいつの魔術を見抜いた予感がある」
『神経の糸』とは人形が動くための、術者との連絡線のようなものだ。
だが、死に装束の人形にはその『糸』が組み込まれた様子はない。
「つまり、あれは魔力を込められていない失敗作の人形。私は失敗作を変に、死だの何だのと勘違いしていたということだ」
 魔理沙はひとまず怖いことを考えるのをやめたかったので、無理やり自分を納得させた。どうしてこのようなものを作ったかは、アリス本人に聞けばわかることだし、動力がこめられてない以上は、彼女の純粋な『作品』である可能性も高い。
何より『作品』として『存在している』以上の理由がないのだとしたら、追求しても野暮というものだ。
 例えば、絵に対して、存在理由を問うのは、ナンセンスだろう。
人形だって、存在するだけでその理由を充足している。
 人間と一緒だ。存在理由? 理由がなくちゃいけないのか?
 存在しているなら、それでいいじゃないか。
 棺桶に入っているから死体なのか?
 そんなことはない。もしかしたら、ドラキュラかもしれないじゃないか。あるいはフランケンシュタイン……。つまり、可能性は数多。
 だから魔理沙は死体人形については考えないことにして、ぱたんと棺桶を閉じた。
 白い布を被せられたまま、人形は闇に包まれて隔絶された。
 顔は気になったけど、布はとらない。
「アリスなら起こすが、人形は安らかにしといた方がいいだろう」
 魔理沙は不思議なものや興味あるものに対しては突き詰める人間であったが、触れてはいけないものの前で留まることも心得ていた。
人形のことがアリスの内奥と関係しているなら気にはなる。だが埒があかないことに対しては呑気に時間を置くのが良い。
 むしろせっかくアリスがいないのだから、人形だけでなく魔道書も見てみたい。
 がんばって拝借しようとも考えたが、この部屋はまき戻りの魔法が働いている。仮に持ち帰えれたとしてもこれほど雨が降っていては本もただでは済まない。
 雨をしのげる魔法でも使えれば便利なのだろうが、無理をして濡れるよりは部屋に居座って、家主がくるまでに読みまくるのがベターだろう。
「しかし遅いな。帰ってこないなら、泊まるまでだけどな。ちょっと家を借りてたと言えばいい」
 魔理沙はぼんやりと言い訳を考えながら本を物色し、アリスのいない部屋に居座ることに決めた。



 ランプを灯して、本棚からめぼしい書物を手に取る。本を開くと古い紙の匂いが鼻につくも、読み始めれば文字の軌跡は、瞼の内側へと流れていく。
 物語は遠い異国の情景を。
 専門書は現象がかたちづくられるよう。
 そして魔導書は文字通り魔法を発現する。
 魔理沙は夢遊病のように床に腰を下ろし、本棚に背を預けながら本の虫になっていた。 ひとときの間、時間を忘れ、我を忘れ、自分の家でないことを忘れた。
「りんごチップスうめえな……」
 戸棚にあったものを、自分の家のように食べていた。
 何か食べながらのほうが読書は進むので致し方ない。
(遅いな……)
 夜の帳が降りてからも雨は鳴り止むことなく屋根を打ち続けた。
 規則的に打ち付ける雨のリズムは、文字の一粒一粒と眼の関係に似ていて心地よい。
もともと暗かった部屋が湿気と冷え込みも相まって、いっそう闇の有り様を際立たせた頃、体の疲れが魔理沙を現実に呼び戻した。
「はっ……どっと疲れたな……。あいつが帰ってくるまで本を読むことにしてみたが……一向に帰ってきやしない。おかげで疲れてしまった」
 一息つこうと立ちあがり、暖炉に薪をくべたり果物を拝借したりしながら、読書のスペースを寝台の上に移した。
 林檎を盛った盆を傍らに置き、読みかけの本を盆の脇に重ねた。
壁を背にしながらふかふかの寝台に腰を下ろし、膝を胸のあたりによせて体育座りの姿勢で、肩から毛布を着込む。
 腿の間に本の背表紙がぴったりと当て嵌まり心地良い。
 本を置いたままりんごを齧り、何をするでもなくぼんやりとする。
「マイナスイオンでもだすか」
 懐から八卦炉(熱を放出するアイテム)を取出し鏡台におく。『とりあえず作動してるとよさげ』という理由でマイナスイオンを照射する。我が家もかくやというほどの気ままさである。
「ってかここは自分ちじゃないんだな」
 本を読むのにも飽きてくると、魔理沙はここが自分の家でないことを思い出した。
この家に来るたびに居心地が良くて、誰の家だとか持ち物だとかそういうことがとりとめのないものになってしまうことが何度かあった。
 以前そのことをアリスに話したら「迷惑極まりないわね」とたしなめられた。
その家主が帰ってこない。
魔理沙は待っている間中、アリスが帰ってきたら何を話そうかと、幾度も夢想した。 何度かそうしているうちに、自分が妙にアリスを待ちわびていることに気づき、赤面した。
「いや違うだろ。そういうつもりじゃ、ないんだから……」
 恥ずかしい気持ちになったので、あんまりに帰ってくるのが遅すぎるせいだと心の中でアリスを責める。
「もう寝てしまおう。遠慮なくベッドでな。私がくしゃくしゃにして、あいつが明日ベッドメイクをすればいいんだ」
考えるのにも億劫になりだした頃、ふと鏡台に座った人形が眼にとまった。


「ん? こいつは……」
水色のスカートをはいていて、ゆたかな金髪に紅いリボンを結わえている。おもわず吸い寄せられるように人形の髪を指で梳いてしまう。
本物の髪を撫でているようで、魔理沙は自分が孤独ではないような、錯覚をした。
「お前の主人はどこ行っちゃったんだろうな」
 もちろん返事が返ってくるわけもない。人形は俯いたまま視線さえ動かさない。
 いつもは魔力を与えられて、気だるげな表情で、ふわふわとアリスの周囲をただよっているのだが、今は虚空を見つめているだけである。
「いいなあ。人形遣いってのも」
自分も人形を操れれば、暇を弄ぶこともないのかもしれない、と柄にもないことを考える。
話相手にさえ代わりを求めるのはいささか寂しいことだろうが。
 けれど代わりでもいいと思う気持ちが、今なら少しだけ理解できる。
誰かの記憶を、分かち合いたいのだ。話し相手が人形であっても。
 気持ちの行き場を求めている。
(アリスが人形をつくるのは、こんな気持ちの延長なのかもな)
 さきほどの白装束の棺桶の人形が脳裏を掠める。
 人間と見まごうほど精巧にできていた、少女の、等身大の死体人形。
人形が誰かを模した話し相手として、創られるものだとしたら。
(もしかして、あの人形は『一緒に過ごすための死体』として創られた?)
 あるいはアリスは、誰かの死体と話したかったのだろうか。
(なおさら創りだす理由がわからないな)
 魔理沙は今になって白い布に覆われた表情を見たいと思った。
 アリスが何を考えて人形を創ったのか。
 誰の死体を造りたかったのか……。
(あの布はなあ。さすがにあの布はなあ・いくら泥棒の私であってもなあ)
 顔を隠していた布を剥ぎ取ることは、死体ばかりでなくアリスの感情までも冒涜してしまうことも自覚していた。
 幾度か煩悶する。布団の上で左右に悶え、何をするでもなく部屋を歩き回り、終いにこめかみを押さえてうずくまる。
「――もう一度、あの人形を、みたい」
 冒涜でも良い。罪悪感があっても良い。それほどまでに好奇心が勝りつつあった。
「知らないままに回避するよりは、知ることのほうが何かの役に立つ」
アリスに関する、何の役に立つのかはわからないが。
彼女は何事も諦めすぎている節がある。
欲しがっているものを伝えきれない子供のようなところがある。
 だから人形など創って、代わりのもので心を満たしている。
魔理沙は欲しいものは欲しがってしまう性質なので、アリスの在り様をみてもどかしいと思うのだ。
「自分と相反するものに近づくのは、お節介だとわかってはいるが」
彼女のことを知りたいのは、真逆の存在へのもどかしさによるものなのだろう。
魔理沙はもう一度人形を見ようと決心し、棺桶の前に向かった。


 棺桶は相変わらず、闇に滲みながら鎮座している。
 蓋に手をかけると心なしか先ほどよりも重く感じた。
「開ける、ぞ……」
 ぎぃと軋みを立てて開く。
 白装束の人形は変わらず袖口から白い肌を覗かせている。頬の輪郭に沿って金色の髪が波打っている。
 掌を握ると、冷たい、人工的な肉感が柔らかくはねかえる。
「流行りの壁ドン、とは違うけど……」
魔理沙は覆いかぶさるようにして人形を見据える。頬に触れ、顔にかぶせられた布に指先を掛ける。
申し訳ないと思いつつ。布の端を掴んだまま、創り手のことを思い浮かべる。
「どうせ創るならもっと幸福な意味を持たせればよかったのに……」
 例えば自分に足りないものを埋め合わせるような。
 自分の欲しいものを埋め合わせるような。
景色が見たいなら筆と絵の具。物語なら文字。当たり前の凹凸。
人間が欲しいなら生きた人形を、選びとるように。
埋め合わせるのはいつだって【ここにないもの】であるはずなんだ。
けれど死体に対して死体人形を欲するのは、望みですらない。
「死体なんかつくるやつの気が知れない」
 それはかつて存在していた者なのか。
 これから死にゆく者なのか。
死体、だけではわからない。だから知りたい。
指先にかけた布地を剥ぎ取る。
「あは」
布の擦れる音が夜に震えた。現れたのは……。
「おはよう、私」
 霧雨魔理沙、自分自身の人形の姿だった。
死化粧が闇に溶けきらないままに、闇の中で白く光っていた。


「罪な奴」
魔理沙はあきれたようにその人形にむけてつぶやく。
棺桶の中に眠っているのは、鏡写しのように自分と寸分違わない造詣の少女。
「眠りの邪魔をして、すまなかったな」
人形と、ここにいないアリスに向かって謝罪する。
 アリスよりも華奢な肩。控えめな胸のふくらみ。積極的に波打った金色の髪。
「だが、まさかのまさかなあ」
確信はなかったが予感がなかったわけではない。
 無意識で『もしかして』はあった。
「わからないままの方が良かったかなあ」
 自分で暴いたことには変わりない。
 せめてもの敬意として、魔理沙は見開いた人形の瞳を閉じようと瞼に手を掛ける。
けれどその瞳は固まったまま閉じずに。
 底のない瞳を魔理沙に向けている。
「人形だから閉じないのは道理だけどさ」
 みつめられると、いろんなことがわかってしまう。
 死体というより『あらかじめ生きていない』。
 そんな空虚が向けられている。
何物も映さない玻璃の瞳に見つめられ、背筋が凍る。
「やめろよ」
 今まで見た、どの人形よりも感情が抜け落ちていたからだ。
「私は、こんなんじゃない……」
姿形が同じでも、これは自分ではない、と魔理沙は思う。
もとより人形は物なのだから何も映すわけはない。
 わかっていても瞳を向けられることに抵抗を覚える。
自分と同じ姿のものが空虚な眼を向けている。
 自分の【心の抜け落ちた姿】を見ているような、そんな気持ちにさせられる。
 例えばこの少女にも生前があって。
活発であったとしても。じめじめしたものが好きだったとしても。狭いところを好んでいても。
禍々しいものや、本を好んでいても。
死体人形という造詣のもとでは、様々な生前の面影が、人形としての造詣にかき消されてしまう。
「何も映さない死に顔というのも、愉快な話だけどな……」
 死体に心はない。死体人形ならなおさら。
だとすればこの人形の空虚はあたりまえのことだった。
 この人形は死体を模している。つまり空虚を模している。
 だから、たとえ自分の死体だとしても、感情を読み取ろうとする行為がそもそも間違っている。


「死体としては成功だけどね。少し、寂しいな」
創り手のアリス・マーガトロイドの真意はわからない。
わかりえないことは噤まなければならない。
 噤むことでしか真意に触れることができないのだろうとも思う。
魔理沙は人形の瞼を閉じるのをあきらめ、布を掛けることで『眠っている』ということにした。
アリスが何を思ったのかは推測さえできなかったが、これ以上一人で人形を見つめていても致し方ない。
「ふああ……。あーあ。ビビったら、眠くなってきたな」
 わざとおどけて棺桶に蓋をする。
 人形を照らしていた薄明かりが遮ぎられ、外界と隔てられる。
「おやすみなさい!」
 大声でひとり叫んで、眠ることにした。
 暖炉の火を消すと部屋の明かりも途切れた。
 暗がりに包まれる様が、棺桶の中と似ているような気がした。
(私は死体じゃない。私は死体なんかじゃないからな……)
本を脇に寄せ、ベットに潜り込む。
 どことなくアリスの匂いが染み付いているような気がする。
(なんでいないんだよ。あいつは。匂いを嗅いだだけで安心しちまうなんて……)
 思えばこの家に一人で泊まるのは初めてのことだった。
(なんだ、あれ?)
あおむけになると、暗がりの天井に光の粒のようなものが見える。
気になって起き上がりみると、光の粒は揺れ椅子やテーブルに腰掛ける人形の瞳が月明かりを反射したものだった。いったいどういう角度で光を取り込んでいるのかも皆目わからないが、狙いすましたように、不気味だ。
(目?! 目!)
人形に見つめられているような気がして、魔理沙はふとんを頭まで被りうつぶせる。
 怖いというわけではなかった。怖くなんかあるものか。
 ただ水の中にいるように背筋が冷たいだけ。
 先ほどの雨の感触を思い出し、震えた。
どこか手が寂しい。
 布団の中で両手をかき抱いても、肌の冷たさは変わらない。
「肉体の寒さじゃない」
 この寒さは、大人に近づく過程で忘れていたはずの、寂しさに似た感情だと魔理沙は自覚する。
 寂しいとか悲しいとか。感傷は自分には似合わないはずなのに。人形に話しかけたことでセンチになってしまったのかもしれない。
「くぅ~~~」
 声にならない声を布団に染み込ませる。なるべくなら早く眠りに落ちたい。魔理沙は丸くなって布団を抱こうとする。
ふと、かき抱いた胸のあたりに柔らかいものが触れた。綿のような感触に驚いたが、温かいせいか安心して、腕を、ぎゅむ、と押し当てる。
すぐに自分の子供らしい仕草が恥ずかしくなって、魔理沙は綿の塊を離す。
 綿は自立しているのか、すぐに魔理沙から離れてふとんの外に出た。
「なんだろう。小動物?」
 探そうとふとんを起こし手を伸ばすと、小さな手のような感触が握り返してきた。


「~~~~~~!!!!!!!!」


 絶叫とともに、心臓が跳ねる。
 がばっ……と布団から飛び出し、臨戦態勢をとる。
「な、ななななな……相手にな、なってやるぜぜ」
 布団から現れたのは、自分よりはるかに小さな、小動物ほどの少女人形だった。
 だが姿は見えない。
「どこだ?」
 一歩踏み出すと、裾が掴まれる感触。
 振り返ると小さな少女人形が、 魔理沙のスカートの裾を握り締めて、どこかツンとした表情で見上げていた。
「うわあああああああああああああああ!!!!!!」
 魔理沙はビビってしまって、部屋の隅っ子にカサカサと小刻みなステップで退避する。
 人形の棚にぶつかり、陳列された人形が魔理沙の頭に落ちてくる。
 冷たい感触が頬ふれ、ふたたび背筋が凍る。
「ぎゃああああああああああああああああ!!!!!!」
 ひとしきり叫ぶと、冷静になってきた。
「やんのか! や、やる気なら、マスタースパークで……」
 と八卦炉を構えると、やけに少女人形の様子がおかしいことに気づいた。
 どこか悲しそうな表情をしているのだ。
「様子をみてみるか……。好きにやれよ」
 語りかけると、人形は嬉しそうにぴょんと跳ねた。
その少女人形は掌に乗る程度の大きさで、本来ならば人形遣いであるアリスの『魔力の糸』を介さなければ動かないはずだった。
(アリスのいたずらか?)
アリスが操っているものと思い、辺りを見回した。だが物音一つなく帰ってくる様子も見られない。
 当惑していると少女人形はどこからか寝巻き帽を取り出し魔理沙の頭にのせた。
「私に?」
 帽子を取り付けていると畳まれた寝巻きが目の前に置かれる。
「着替えれば良いのか? しょうがないな」
 魔理沙が寝巻きに着替えると、少女人形もシルク色の小さな寝巻きに着替えようとする。
 だが器用な動作ができないらしく、戸惑っていたので、魔理沙は人形を壊してしまわないように着付けを手伝った。
「着替えろっていった癖に、自分では着替えられないのかよ……」
 人形は唇を引き結ぶばかりであったが、それは普段感情を表に出さないときのアリスの表情に似ていた。
「あん?」
 少女人形の着付けを終える頃、魔理沙は何かの『糸』が自分の小指から伸びて、少女人形とつながっていることに気づく。
「もしかして、私が呼び寄せたのか」
少女人形は魔理沙の傍らに寄り添うように横たわる。
 暗闇の中でも、甘えたそうな視線を感じることができた。
「生きてるみたいだな」
くいくいと裾根を掴まれた。「寝ろ」と急かされているようでもある。


「子供かよ。ったく……」
魔理沙は知らぬ間に自分の指に縫合された『糸』を見やる。
「やっぱり『糸』は私の指先からでている」
 細く、実体があるのかないのがわからない素材だが、闇の中でも良く見える。
 部屋を漁っている間に指に縫合されたか。
 あるいはこれも、アリスの部屋の魔力の一部なのか。
 操るという実感はなく、体の延長のような感覚だった。
 少しだけアリスの気持ちがわかるとともに、どこか彼女の妖怪としての性質に引き込まれているようにも思えた。
(私はとりこまれないけどな)
魔理沙は考える。
 少女人形が動いたのは、アリスが人形と魔力を繋げる過程で定義した、魔力概念。
 つまり、この部屋の魔法システム。
「人形師の家の、魔法システムだから。いうなれば、人形を……つまり何かの代わりを求めるシステム。つまり人形は、誰かの代わりを求める心に反応する」
 魔理沙は推理した。
 認めたくはなかったが。
 要するに自分は、寂しくなっちゃってたのだ、と。
「人形の魔法は、欠落に反応する魔法。そういうシステム。私の寂しくなっちゃった心に反応したから動いたってところか」
少女人形はアリスの定義した魔法の作動儀礼にそって、魔理沙の何らかの『感情の欠落』に反応した。
「種がわかれば簡単だが」
棚や部屋の中にいる人形の装飾を思い出す。
寝巻きをきた人形。エプロンをつけた人形。
眼鏡をかけた人形。プレゼントのような箱を持った人形。
それらはアリスが欲しがっていた誰かしらの代わりなのだろう。
 人形の数だけ、欠落があるのだとしたら、魔理沙は彼女の欠落の裡にいる。
「寂しい奴だぜ」
 部屋そのものがアリスの持つ欠落の感情に満たされている。
だとすれば、一人暮らしに慣れているはずの自分が寂しさを覚えるということも納得がいく。
少女人形が欠落した感情を察知し、作動儀礼にもとって、魔理沙の心の隙間に接続した。
「だいたいの推測なので確証はないが。欠落を埋めてばかりなんて、私はごめんだ」
それでもぎこちない寝顔の少女人形を責めることはできない。
(……居心地がいいのは悪いことじゃない)
 魔理沙は主のいない人形を抱きながら、ゆるやかなまどろみに身を委ねた。


 眠りに落ちてから少女人形は、暗闇の中で魔理沙にささやく。


「た す け て」



 魔理沙は眠っていて、人形の声には気づかない。



 目覚めると雨はやんでいた。
部屋の空気はひんやりと水気を帯びている。
 窓にはしずく。
 木陰に遮られた朝の光が、ぼんやりと部屋にさしこむ。
 雨は止んでから間もないようであった。
「ん……」
 起きかけの頭には昨夜の記憶がまばらに蘇っていた。
 棺桶に入っていた白装束の人形。
 アリスの魔法で作動した少女人形。
 傍らに眠る小さな人形の手を確認し、魔理沙はここがアリスの家だということを思い出す。
 食欲をそそられる匂いが鼻先をくすぐる。どこからか、布のこすれる生活音が聞こえて、安心した。
 アリスが帰ってきているのだ。
「お目覚め?」
「ん。邪魔してるぜ」
 声の方を向くとランプの明かりを一つ、アリス・マーガトロイドが揺れ椅子に腰掛けて、裁縫をしていた。
 膝元にブラウンの毛布をかけ、湯気のたゆたうカップを手元においている。
 ほんのりと紅茶の香り。
 おしゃれな奴である。
「断りもなしに人の家で眠るなんて。だらしないわね」
「ちょっと夢をみていたんだ。この家が食堂になっているような」
「夢のなかで食べ物のことを考えるのは、幸せなことだわ」
 そういってアリスは仏蘭西パンのかけらと、かぼちゃのスープを差し出す。
 魔理沙は和食派なので、アリスの家に泊まった回数がそのまま、いままで食べたパンの数になるような気がした。
「ところで、聞きたいことがたくさんあるのだが、あの白い服の人形は何なんだ」
 眠い頭がはっきりする間もなく魔理沙は疑問に思っていたことを尋ねた。
「昨日は水葬をしてたわ」
アリスは質問には答えない。
 噛み合わない会話はいつものことなので魔理沙もとくに気に留めないでいる。
「人形の水葬? ってことは供養?」
「うん」
「失敗作か?」
「私は失敗なんかしないわ」
「じゃあ……うっかり壊してみたかったとか」
「それじゃあ、まるで私が人形にひどいことをしたいみたいじゃない」
 アリスは不服そうにむくれて、眉をひそめる。
「じゃあ【流し雛】?」
 そんな彼女に魔理沙はもともと抱いていた疑念を差し出す。
流し雛というのは人形に【《厄》(目に見えない災いの結晶)】をいれて、河に流すことで穢れをはらうというものである。
「察しが、いいわね」
アリスの瞳がすうと細められる。
 嫌悪というよりは感情を読み取られまいと殻を閉じるしぐさだった。
「どちらにせよ【歪なこと】をしていたと、自分で言っているようなものだな」 
「【歪なこと】ほど楽しいことは、あんまりないわ」
「それもそうだ」
魔理沙は落ち着いたそぶりで一息つき、紅茶をくいと飲んだ。
 アリスの裁縫を眺めながらちびちびと口に含む。分量がやけに減らないと思っていたら、傍らで昨夜の人形が注いでいた。
「なあ。人形が懐くってありえるのかな」
「懐くといえば懐くわね。自立しているように見えても『糸』で繋がっている限りは操者の深層意識(しんそーいしき)が動かしているから」
 アリスは「しんそーいしき」とどこかおっとりした口調である。
「あなたの中の人形の部分、つまり代わりを求める心が、あなたの心の中で心を開いてくれさえすれば、それは懐いていると呼べなくもない」
「やたらややこしいんだが、だいたいわかったよ」


『人形の部分』とは『人形に投影』する自分の心ということだろう。
 誰しもがもつ『代わりを求める心』ってことだろう。
しかし魔理沙は、自分が少女人形を誰に見立てているのか、図りあぐねる。
指先と繋がった少女人形を見つめていると、手の甲に熱がおちる。
「熱っ!」
 反射的に手を跳ね除ける。
 横では傍らの少女人形が紅茶を注いだまま動きを止めていた。
 カップから、熱いままの紅茶が溢れたのだ。
 やがて人形は力が抜けたように給湯機を支えられず、半ばつぶされるように倒れた。
「危ねえ!」
 飛沫が人形にかからない様に給湯機を押しのけると、熱い紅茶が魔理沙の服に撥ねた。
「撥ねてない?」
「大丈夫じゃないぜ。火傷しそうだ」
「違うわよ。人形に」
アリスは魔理沙に対しては心配するそぶりを見せず、人形を気にかけていた。
 アリスの代わりに、どこからか現れた看護服の人形が、冷水の器と薬箱を魔理沙の傍らに置いた。 
「撥ねてるわね。可愛そうに」
 アリスは魔理沙と繋がっていた人形を、怪訝な表情でみやる。
魔理沙と繋がっていた人形は、頭から頬にかけて紅色の液体に濡れていた。
 水気を帯びた様は斑のようでどこか毒々しかった。
「避けたつもりだったんだが……なあ、人形に色がつくっていうのは」
「汚れれば不完全になる。不完全な人形は、役目を失うわね」
アリスは机から布地を探しながら言った。
 同時に看護服の人形が魔理沙の手に氷嚢をあてがう。
「そぐわない色は、二度と落ちない穢れのようなものでね。汚れた人形は代わりが効くなら、いくらでも忘れられる」
「だから水葬なのか。捨てられた人形の穢れを流すって」
「ちょいとばかし違うけどね。けれど色がついたくらいで穢れなんていってたら、この世は魔物だらけです。人形に怨念が宿るのは、本当の意味で捨てられたとき」
「持ち主が蔑ろにしたとか……そういうものが怨念を宿らせるのか」
「そういうこと。順序が逆なのね」
紅茶にまみれた少女人形が机の上に横たえられた。血に染まったようなその様相は、くたりとしなだれるばかりで、先ほどまでのささやかな生物らしさは微塵も無い。
「だから、創るときも、壊すときも、しっかり見取ってあげなきゃ」
アリスは待ち針を、濡れそぼった人形の肌に差し込んだ。
 紅茶にぬれた生地を剥ぎ取ると綿があふれでた。
「うええ……」
 人形とはいえ頬から抉られる様は背筋が凍る。
「でもね。これくらいの染みなら……緊急手術でちょちょいのちょいです」
抉られた部分に新しい生地を貼り付け縫合がされた。
 丁寧でかつあまりにも早い手術の腕前だった。
「あ、ありがとう」
縫合した部分は周囲よりも肌の色が白かったが、紅くそまった部分が消えていて、魔理沙は不思議と安心した。汚れがとれたことへの安心、というよりは、人形が人間らしく扱われていることが嬉しかった。
「私の人形だし、礼を言われるいわれはないわ」
「もう動かしても平気か」
「うん」
「動け動け」
「それは自分の手に動けと念じているようなものよ。超能力じゃないんだから」
言われてから、指先に意識を流し込むと、人形はむくりと起き上がり魔理沙の頭の上に飛び乗った。


「手足のようにっていうけど、本当に手足のようだ」
いつだったか、アリスが完全に自立した人形を作りたいと言ったのを思い出した。
「聞きたいんだが」
「どうぞ」
「穢れが理由でないとしたらさ。人形を流すのは、死んだからか?」
魔理沙は『水葬』についてそれとなく問う。
「それとも、自分の中で殺したから、か?」
「自分で殺した、はあてはまらないわ。この子たちに魂は宿ってないから。強いて言うなら、私の魂と繋がっている」
「じゃあ、この人形も私の魂と繋がっている?」
「ささやかなりに、ね」
アリスは魔理沙の指先に繋がった人形を髪を梳くように撫でる。
「じゃあ心が穢れてたら、人形も穢れる?」
「ひどい言い草ね。ま、私は十分穢れてますけど」
「私は綺麗だぜ」
「でも私が流した人形は別の理由」
「教えろよ」
「人形に入れるのは何も自分の魂だけでない。創られた魂でもいいのよ」
「……魂を創った、ね。で、造ったんだな」
魔理沙はあきれたように肩をすくめる。
 以前、アリスが『自立した人形を創りたい』といったことは着々と進行しているようである。
「……まあ、失敗したけどね。だから水に、ね。限りなく自立した器があればつくれるかもしれないけど」
「おかしくないか。魂がなければ器はうごかないのだろう」
「そうね。だから、ほとんど不可能なのよ。命が生まれる瞬間さえも、この手で創り出すしかない」
「あのさあ。それはもはや人形じゃないだろう」
魔理沙はどこか不安げに尋ねる。
「作られれば、それはね」
アリスは紅茶を啜りながら
「人形なのよ」
ぽつりと言った。


 アリスはそれきり特に何も話したがらず、黙々と裁縫に取りかかる。
 魔理沙はしばらくアリスの言うことが気がかりだったが、うまく飲み込んで、深くは関わらないことにした。
それよりは昨夜見た白装束の人形のほうが気になったので、それとなく訪ねた。
 しかしアリスは硬い表情のまま、話すことに疲れたように
「そんなものは、知らないわ」
 と、はぐらかすばかりだった。
(絶対に白装束の人形はいたんだが。私がこの家を漁ったことがバレるのも癪だし。いや、)
 ちょっかいをだしても「何?」とあしらわれる。
 けれど、この少女ははぐらかしているのだと、魔理沙の直感がささやいた。
 もともと人形のような少女から感情を読み取れるなどつゆほども考えてはいない。それにアリスは賢く、本当に知られたくないものは、むきになって隠さない程度には隠蔽が上手だ。
いくら鎌をかけても「無いものについては話すことはできないし?」と言葉少なに対応されるばかりだ。無口な様や愛想のない対応はよくあることだが、皮肉を言い合うくらいの仲だと魔理沙は思っているので、あまりにそっけない対応は『何かを隠しているのでは?』としか見えない。
(だからといってあんまりうざくするのもダメだよな)。
 魔理沙はさしあたって納得したふりをして、紅茶を飲んだり、くつろぐことにした。


 それから二人はそれぞれ寝台で本を読んだり、揺れ椅子で編み物をしたり、思い出したように軽口をたたいてすごした。
 魔理沙は時折、クローゼットを開けたり、秘密の地下室を探そうとして、アリスにたしなめられた。地下室に至る点線のような隙間が、ぎぎぎ軋みをあげて開いたときは本当に胸が高鳴ったが「勝手にあけないでよ」というアリスを尻目に地下室を探索してみても、地下の菌床で育まれた得体の知れない茸以外は、これといってめぼしいものも見あたらなかった。
「何もないか……」
「呆れたわ。勝手にしなさいな」
 やがてアリスは脈絡なく部屋をいじる魔理沙に動じることをやめた。
「ほしいならあげるわよ。人形」
そう言って編み物に集中している。
 かくして魔理沙は悔しがりながらも、埒があかないと判断し、日が沈み始めるころになって帰宅する支度を整える。
「まだいればいいのに」
「もともと雨宿りついでに立ち寄っただけだからな」
 とても良く晴れた、月の見える夜だった。
 戸口を出ると樹々の枝葉に遮られ、まばらになった月明かりが差し込んだ。
「そういえば。昨日は濡れなかったのか?」
魔理沙は月の方角に向き直り、箒に浮かせながら尋ねる。
「心配にはおよばないわ。あなたと違って雨をしのぐ魔法くらい持っているもの」
「人形ってのは河に流すと、どうなるんだ」
「水を吸って、浮かぶわ」
「楽しそうな光景だな」
「どちらかというと、切ない光景じゃない?」
「それだけじゃないだろう」
「それだけじゃないわね」
 魔理沙は帽子を頭で整えながら、世間話をするように言葉を繋げる。
「魔力の気を帯びた歪な存在が、現世の法にしたがって、ただぷかぷか浮いてたら。それこそ常世は魔のものだらけだろう」
考えていたことをアリスに差し出す。
 月の弦のように細められた瞳には、ひねくれ者特有のぎらついた光が宿っている。
「流し雛なんて悠長なものじゃない。お前がやっていたのは、もっとおぞましいものだった。だからこんなにも……口をつぐむ」
「めずらしく、察しがいいわね」
「まあ干渉はしないよ。私が知ったところで何がどうなるわけでもないし。推測かどうか、確かめたかっただけさ。【こいつが何かやってきたかどうか】。秘密があるかどうかさえわからないのは癪だが【どうやらおぞましい秘密があるらしい】。それさえ知れればひとまずは大満足だ」
アリスは歯がゆく思ったが表情には出さない。
 傍らの人形が服の裾をぎゅっと握る。
「おぞましいことほど、楽しいものはないでしょう?」
「それもそうだな」
魔理沙は微笑んだのかにやりと口元をゆがめた。
「じゃあ」
箒に跨ると、漆黒のローブが風を受けて膨らむ。
「待って」
「ん?」
「雨が降りそうだから……」
「雨合羽でもくれるのか」
魔理沙の言葉に、アリスはふいを突かれたように眼を見開く。魔理沙は『めずらしい表情をしているな』と、惚けたように首をかしげた。
「なんでもない。帰ればいいわよ」
「……そうか」
また来るぜ、と、そう言うや魔理沙は箒を宙に浮かべ、ゆったりと飛び立つ。
振り返ることなく真っ直ぐ、飛び去ってゆく。
魔女の陰影が月に小さく浮かぶ。風にはためきながら小さく遠く離れてゆく。
 夜空の向こうに消えるまで、アリスは月に浮かぶ影を見つめていた。



「気づいて、ないのかな」
 魔理沙が帰ったのを確認してから、アリス・マーガトロイドは、装っていた疲れと寂しいような気持ちが相まって、脱力した。
「あの人形はなんだ、としか聞いてなかった」
 自分の高ぶった気持ちを静めるためにかみしめるように呟く。
 両腕で自分をかき抱かなければ寒くて壊れてしまいそうだった。
「暢気にもほどがある」
 アリスは気だるげに嘆息する。
少女人形が紅茶を入れてくれる。
 一口啜り、心を平静に保とうとするがうまくいかない。
「棺桶の人形を見たなら、自分だということに気づいていたはずなのに。何故、直接尋ねてこなかったの?」
アリスは気持ちを落ち着かせるために席を立ち、壁際に向かった。
 部屋のとある位置に貼り付けていた透明な布地を取り払う。
 その布地は主に雨を払うためのマジックアイテムだったが、様々なものを透化させながら覆い隠す性質を備えている。
 布地の向こう側の壁には、ドアの形の切れ込みが刻み込まれていた。
 魔理沙に気づかれないようにするための、位相を別次元にずらすための仕組みだった。
アリスが切れ込みに手を触れると、先ほど魔理沙があけた地下室と同じ仕組みで、音を立てて別の空間へと繋がる。
「……」
その部屋は深海の底を思わせる濃密な空気で満ちている。
 一階に位置するが、他の部屋と構造が違い窓一つないため、あらゆる光を拒絶する。 時間から隔絶されたように異様な静けさをたたえた部屋だった。
 アリスはこの部屋を『安置室』と呼んでいた。
 部屋の中心に置いてある棺桶に近づく。
 魔理沙が寝ている間に居間から運ばせてもらったものだ。
 あの口ぶりから察するに、おそらく中を見られたのだろうが。
 いずれにせよ悠長に置いておくわけにもいかない。
(埋め合わせなければ……心を……)
 棺桶をそっと開けるとウェーブのかかった金髪の少女が、安らかな寝顔を露わにする。
 冷たくやわらかい唇を指先でそっとなでる。
その顔立ちはまぎれもなく先ほどまで一緒にすごしていた霧雨魔理沙と同一のものだ。
「見られちゃったね」
 そしてアリスはいつもそうしているように、人形の頬を撫で髪を梳りながら、語りかける。


「人間なんてすぐに死んじゃうのにね」
やがて死体人形の入っていた棺桶から手を離し、アリスは安置室の奥へ。
 暗がりで見渡せないが、安置室は広い。
 棺桶より、数歩分奥には、小さな人形用の寝台が置かれている。
「死んじゃうくらいなら……永遠さえも作り出せればいいのに……」
 寝台のとなりには別の寝台。
 その隣には別の寝台。
 夜の底を覆うように寝台はどこまでも隣り合わせで続いている。
 いくつもの寝台が『安置室』の中で、何かの文様のように等間隔に置かれていた。
さらに寝台には、一つ一つ異なる意匠が施されている。
それらの意匠は年齢ごとの印象を表現したものである。
ベビーベットに眠る赤ん坊の人形があった。
 波打った金髪の、生意気そうな赤ん坊である。
「――ねんねんこ……♪♪」
 赤ん坊にはあやすような口調で語りかけた。
隣の隣、隣の隣、と年齢を重ねていき、やがて大きめのベットに眠る、物心ついた頃合いの幼児になった。
 こちらも金髪。お転婆な表情をしている。
「――あんまり、危ない所へいっちゃダメよ……。ああ、それは鋏よ」
 アリスは想像の中に没入している。
 幼児には言葉を覚えさせるために、明確な発音で話した。
幼児の隣には幼女の人形があった。
 やはり、金髪の。
 幼女の隣には幼女。その隣には少女。
 少女の隣に少し大人びた少女。
 皆、活発そうな、金色の髪。
年齢が一つあがるごとに少女人形は増えていく。
「【バカと鋏は使いよう】でも傷が帰ってくることは、そうね」
 少女人形には、賢くなってほしいから、多彩な語句を交えて接する。
「因果応報っていうのよ」
 一つの寝台に一体。
 霧雨魔理沙の人形が、年齢ごとに分けられ眠っていた。


(こんなものが永遠なんかじゃないことはわかっている)
 それぞれ寝顔には、一日を終えて眠りにつくときの安らかさが表現されている。その歳ごとの寝顔のなかに、少女のお転婆さや気難しさや無邪気さや、少しばかりの少女の苦悩がにじみ出ている。
 人間としか思えない、寝顔だった。
アリスにとって肉眼で見たことのあるものの造形表現などは、たやすいことだったからだ。
だからこうして外気の影響を受けない部屋に安置すれば、いつでも霧雨魔理沙の姿に触れることができる。
ただひとつだけ。
 死体人形だけが閉じた棺桶で眠っている。
 棺桶を閉じているのは、姿をみたくないからだ。
 本当の死者なら棺桶は開く。
 開かないのは、失敗作だったからだ。
 だから、蓋をする。
 アリスはその造詣を見て、人形ですらない、と思う。
(生きた跡がにじみ出ていないから)
アリスは人形の造詣において、寝顔から覚醒の予兆などの細やかな造作まで表すことができた。
 あるいは苦悶から幸福の表情や、痛みと快楽が共存した表情まで、生きることに関係する表情のすべてを造りだせる。
 それでも本当の意味の彼女の死体だけはどうしても表現できない。
 彼女の死をみたことがないからだ。
(この表情は、死ではなく、物質)
空蝉のような抜け殻は、幾度となく創った。
しかしアリスの求めているものは、生きていた名残を持つ死体だった。
 生の名残があるから死体なのであって、はじめから生きていないものは死体ではない。
 本当の死のためには、生きている必要があるのだ。
「あなたはまた【物】にしか、ならなかったね」
 名残こそが死体そのものと言ってもいい。
 したがって本当の意味での死体人形は、アリスにとってまだ、遠い。


「【物】でも。棺桶に入れてあげるくらいは、ねえ。だって。人形は本来は物なんだから。どんなに失敗作でも……人形は、人形だから」
 それでも人の形をしている限りは、弔ってやらなければならない。
弔う際には、捨てられる人形が穢れるので、水に流さなければならなくなる。
 人形に宿った穢れ。
 それは自分から生まれた負の感情。
 にもかかわらず、傲慢にも葬送なんかしている。
何度死体人形を犠牲にしても、自分の感情は洗われることなく膿んでいくというのに。
(いつになったら、私は……)
死者をみつめれば、死を表現できるだろうか。
 誰かの死体にめぐり合えるなら、雨の日の川沿いでも歩いてみようか。
それでも他人の死に顔では、魔理沙の死体は造れないだろう。
 想像でさえも、うまくできないだろう。
 死体人形を作りたいと思いながら、死者の表情を魔理沙に照らし合わせることをしたくない。
 すべてを欲しっている癖に、笑顔でいてほしい。
だからいつまでたっても死体人形は真実味を帯びない。
大切な人間と離れたくないという感情が、大切な人間が命を終える瞬間のイメージを、曖昧なものに貶めている。
(あるいは魔理沙の死体を創りたいという願望そのものが破綻している?)
アリスは妖怪で長命である自分が、彼女と生きる時間が異なることを何度も噛み締めていた。
彼女の消失を畏れたがために、肉体を作ろうと思ったのに。
霧雨魔理沙は人間で、アリス・マーガトロイドは妖怪だ。
 種族が違い、時間の感じ方が違う。人間から妖怪には慣れるがその逆にはなりえない。 そして霧雨魔理沙は自分の意志で妖怪にはならない。
(あいつが私を同じ種族を選べば……いや。それも詮無い……。時間を先延ばしにさせるのは堕落だ。他人に不確定な要素を求めるのは甘えだ)
二人が同じ時を歩んでいられるのは、今だけだ。


(私が生きた他愛ない一瞬が、彼女にとってはかけがえのない時間なんだ。 だから、自分の記憶から彼女が消えないように、生まれてから消えるまでの軌跡を残したかった。忘れたくないが故に、死体さえ残したかった)
 けれど、彼女の死を考えるたびに胸の奥が穿たれていく。


「私は全部、ほしいのか?」
 妖怪・魔法使いという種族になっても、自分が嫌になる。
彼女の面影を残したい。
 活発な姿やひねくれたところ。狭いところが好きなこと。はにかんだ表情。
 自分の知る霧雨魔理沙の内面が、決して蘇ることない、永遠に、開かない瞼の奥に閉じ込められている、そんな死体人形がほしい。
 そしてそれは将来的に『完全に自立した人形』を創るときの礎にもなる。
 アリス・マーガトロイドは霧雨魔理沙のすべてを弄びたかった。
生きる月日を共に過ごし、消える刹那まで手を繋いでいられる、完全に自分だけの霧雨魔理沙の人形を創り出したかった。
死体人形はそのための礎。
死体人形がなければ、自立した人形を創ったとしても、命には程遠い。死なないものは命と呼べない。
望むのは、自立ばかりでなく死に向かう人形。
人形と生命の境を取りはらうことが矛盾した行為だとしても。
作り出した人形は決して彼女そのものにはなれないとしても。
霧雨魔理沙の代替に過ぎないとしても。共に生きて、今際の際まで手を繋いでいたいと思う。


 だから死体こそが生者の最終証明。
アリスは棺桶の中の死体人形を胸元に引き寄せる。死体人形は冷たく、なんの表情もたたえない。
抱きながら、棺桶の中にそっと潜り込み、内側から棺桶の蓋を閉める。
狭い空間の中で、人形の冷たい感触が全身に吸い付いている。
アリスは今日も死体になれなかった人形を抱いて、棺桶の中で瞼を閉じる。
(……いつか彼女の本当の死体を抱いて眠りたい)
 その情景を思い描きながらも、身体が温まってくる。自分の体温なのか人形のものなのか判別できないまま、まどろみに包まれる。
 寂しいとは思わなかった。
(まだ、やれることはあるものね)
埋めるための欠落があることは、幸福なことだとアリスは知っていた。


(おやすみなさい……)
 棺桶の中で、アリスは出来損ないの死体人形を抱いて眠る。
 次の人形をつくるために。
 次の次の人形をつくるために。
 アリスはどこまでも、想像へと潜っていく。


 棺桶の外では、造られた人形が集まり、囲むようにして見つめている。
 人形はアリスに反映された無意識から、聞こえるか聞こえないかの声で囁いている。


「た す け て」

       「た す け て」

  「た す け て」      「た す け て」

      「た す け て」

                    「た す け て」

    「た す け て」…………。


 人形を操る糸は、すべてアリスの指先へつながっている。
 アリスは眠っていて、人形の声は届かない。


 月明かりの下を箒に跨った少女が飛んでいる。
 紫色のケープを風に靡かせ、ふわりと箒を浮かべていた。
「腐れ縁だからといって、同じ理を生きねばならぬというわけでもないだろうけどな」
魔理沙のひとりごとに、懐の少女人形がうなづいた。
 盗めないと思っていたが、案外うまくいったようだ。
(持っていっていいよ、と言っていたが本当に盗めるとはな)
 深層意識だとか無意識がどうとか、などの判断がつかなかったが、深いことはよくわからないので考えない。ペットのようなものだと判断する。
「しかし気づかれないものだな。こちらは、バレやしないかとひやひやしたが」
 魔理沙は勝ち誇ったように、人形以外にもう一つ【透明な布地のかけら】を掌で弄んでいた。
 この【布地】は、人形以外に、盗んだアイテムのひとるだ。
アリスが視線を向けない方向に何か秘密があると踏んでいたのだ。
 彼女の反応から逆算して、ちょうど結界のおかしな壁面を見つけたので、それと気づかれずに少女人形に小さく切り取らせて拝借したのだった。
(部屋の『巻き戻りの作用』が働くかもしれないと心配もしたが……)
 その懸念は、手元にある少女人形の存在によって払拭された。
 おそらく『巻き戻り』の作用は、人形使いに依存している。
 つまり人形の内の一体と接続した今の魔理沙はいわば、部屋の巻き戻りシステムを掌握していることになる。
 拝借したものを気づかれることは、これからも、おそらくない。
(システムを変えられなければ、だがな)
 盗んだ【布地のかけら】はひらひらと指の間ではためいている。水をはじくことから高性能の雨合羽のようなものなのだろう。
「次に来るときは、あの壁の向こう側も見てやるぜ」
 布地の貼られた結界の向こう側に、部屋があるのはなんとなく気づいていた。
向こう側に何があるのかはまだわからない。
 きっと愉快なものが待ち受けているだろう。
 人様には見られたくないようなものが……。


「それにしてもこの布地を渡したらあいつはどんな顔するかな。何せ見られたくない部屋の壁のかけらだ。この布を分析することは、すなはちあいつの弱みを握ることとイコールだからな。ふふふ……どうなることやら」
 何もしらないそぶりをして、肩をこわばらせるのだろうか。
 それとも開き直ったように、冷たい、射抜くような瞳をじぃと向けてくるのだろうか。
(びびってほしいなあ)
 あわよくば泣き顔を見たいという気持ちは、期待にとどめておく。
「まあ死体人形とか。死んでからも思われ続けるのは、ちょっと息苦しいけどな」
 ふと、透明な布地が指先でたわむ。
 突風が吹いたのだ。
「ああ!!」
布地の断片が、風にあおられ、飛ばされてしまう。
 何らかの魔力をやどした透明な布地は、空にあおられて遠くへ消えた。
「ちゃんと持ってたのに!」
 部屋を隠す魔法は、当分はわからないままだろう。
 みやると、懐に小さな感触。
懐いた人形が魔理沙の腕をぎゅうと掴んでいた。
 力が入らなかったわけである。
「お前が、私の袖を掴むから、落としちゃったじゃないか」
 人形は応えない。つんと済ましたように、そっぽを向くだけだった。
(とはいえ、こいつを操っているのも私の深層意識だってか?)
  だとすれば……。
(あの布地の向こう側の部屋を私が知りたくない?)
「そんなわけあるか。絶対、暴いてやるぜ。あいつが私に隠し事をするなら……。暴いてやるのが礼儀ってもんだからな」
 だいたいアリスは、何かやっちゃいけないことがある風に思いすぎなのだ。
「何が来たってビビらずにおちょくってやるんだからな。ふふ……ふふふ」
 拝借した人形と共に、アリスの家の攻略に意気込むと、わけもなく涙がでてきた。
「なんだよ……私としたことが……」
 泣きながら空を飛んでいると、涙の雫がぽろぽろと空に流れていった。
「なんの無意識だか、知らないけどよう」
(あの家の空気に当てられたんなら、私も相当な酔狂ってやつだな……)
 傍らでは、拝借した人形が、涙を拭ってくれていた。


 魔法の森の上空を、わけもなく泣きはらした少女が、飛んでいる。
 懐に抱え込まれた人形だけが、涙の意味をしっている。

~魔理沙とアリスが夜にすれ違うだけ~

~魔理沙とアリスが夜にすれ違うだけ~

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-09

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