へのへのもへの
「あなたが見た顔覚えていますか?」
そう言って似顔絵捜査官は開いたスケッチブックを左腕に抱き込んだのだった。
「鳴子さん大丈夫ですよ、落ち着いてゆっくり深呼吸して」
鉛筆を構えた向かいに鳴子が椅子に座っている。
「一瞬だったから」
コーヒーカップを持つ手は震えている。ふーふーと何回も息を吹きかけても口をつけようとはしない。似顔絵捜査官は鉛筆で頭を掻きながら、
「もう冷めてませんか?今熱いコーヒー持ってきてもらいましょう」
誰か頼める人がいないか辺りを見回した。
「お構い無く」
鳴子はコーヒーを持ったままうつ向いている。咳払いをした似顔絵捜査官が、
「誰だって悲惨な犯行現場に出くわして犯人を目撃したら動揺しますよ」
と切り出してから、
「嫌だと思いますが、もう一度鳴子さんが逃げるとき見た人物教えてください」
とうつ向いたままの鳴子の肩辺りに語りかけた。
しばらく沈黙があって、そうですねと鳴子が呟いて顔を上げた。
「眉が“へ“のような変わった形だったかな」
言葉を選ぶように慎重にしゃべる鳴子。
「あっ、目は“の“のように脇見をしている様子で。それで鼻は皺がある団子鼻で、そう、“も“のような形でした」
だんだん熱を帯びる話しぶりに、なるほどと頷きながら鉛筆を滑らす似顔絵捜査官だった。
「口は難しそうに結んだ形で“へ“」
そう言って喉が渇いたのか、冷たいコーヒーを一口すする鳴子。
「顔の輪郭は?」
似顔絵捜査官が鉛筆を持つ手を止めて聞いてきた。
「丸いけど顎の辺りに髭かな?ちょっとだけ生やした感じ。“の“を崩した感じかな」
再び、なるほどと頷きながら、しきりに細かい筆づかいで描くと、
「できた」
と鳴子にスケッチブックを向ける。
「こんな感じだけどどうかな?」
「そっくりだ!すごい」
興奮する鳴子に似顔絵捜査官が言った。
「鳴子さんが目撃したの、案山子だね」
二人は固まったまま動かない。
へのへのもへの