治癒の神と鬼の子

─そんなバカな─

墨でも流し込んだかのような真っ黒な髪を振り乱し、瞳をこれでもかと見開いて少年は呟いた。腹立たしい事に今少年にできる事と言えばそれしかなく、非力な彼がこれ以上の行動を起こせば被害は拡大するだろう。なんといっても目の前には死屍累々、焼死体やら斬死体が不様に転がっているのだ。背後からは悲鳴が聞こえる、助けてくれと命乞いする声や一方的に殲滅される理不尽さから雄叫びを上げ武器を掲げ勝てもしない敵に突っ込む愚者の声、どれもこれも少年にとっては非日常過ぎて理解するまでに暫しの時が必要だった。

焦げ臭さは母屋や人が焼ける臭いだろう、悪臭と言っても過言ではないこの臭いが充満する最中でさえ少年は逃げも隠れもせずただ呆然と星々が輝く空を見上げていた。

─どうしてこんな事に─


かすれた声で吐き出される言葉に返答する者など何処にも居ない。


─姉上にあいたい─

懇願する彼の願いは誰にも届かない。


─ならばいっそ─

この狂気に身を委ねてしまおうか。見開かれた瞳は充血し、荒い呼吸を繰り返す。足元に転がっていた鍬を拾い上げ今正に振り向こうとした瞬間だった。ドスッ と身体に衝撃が走る。一瞬にして息苦しくなり少年は自分の胸から生えた鈍く輝く刃を見下ろして己の死期を悟った。拾い上げた鍬は虚しくも彼が作った血溜まりの上に落下し、沈む。

─あぁ、終わりだ。"今回"もまた運が悪かった─

脳内を駆け巡る走馬燈、小さな妹たちや優しかった姉、笑顔の絶えない両親との愛おしくも死に際の今となっては無意味な記憶が目の前を掠めていく。呼吸をするのも苦しくなり視界も霞んで行った。胸の刃はいつの間にやら引き抜かれており支えをなくした身体は膝から崩れるなんて事もなく顔面から血溜まりの中に落ちてしまう。少年は最後の力を振り絞り仰向けになって空を見上げた。星空はいつもと変わらず輝いていて、こんなときでもまた変わらぬ明日が来るとは皮肉なものだ。

少年は、手を伸ばせば今なら星が掴めそうな気がした。妹たちに散々せがまれた星。先に逝ってしまった彼女たちの手土産には持ってこいだと手を伸ばそうとした瞬間、彼の意識はブツリと途切れてしまった___


少年が息絶える頃には、村の殆どが焼け落ちており、死体の山が積み重なっていた。助けを乞う声も、怒号すらも無く聞こえるのは下卑た笑い声だけ。あまりにも一方的すぎる虐殺は、後の世に乱戦と云わしめるだけの無慈悲さがあった。

下卑た笑いすらも聞こえなくなり、数日前まで村"だった"場所に一人の青年が現れた。未だ残る悪臭には気にも止めず、青年はふらふらとした足取りで歩き回りある場所で足を止める。

「ふぅむ...腐敗は進んでるが、及第点といったところか...コイツは使えそうだ」

鍬の近くで息絶え放置されたのであろう、まだ年端も行かぬ少年の死体を目の前に"彼"はにやりと嫌らしく嗤う。転がっていた石ころを拾い上げ、少年を中心として円陣を描き内側に複雑怪奇な文字の羅列を書く、最後の仕上げとばかりに彼は己の掌を石で斬りつけ直接死体の上に流れる血を垂らした。するとどうだろう、円陣は瞬く間に燃え盛りまるで意思が宿ったかのように少年を包んでしまった。青年は慌てるでもなく余裕綽々に笑みを浮かべ じっ と炎に目を遣っている。


暫くし炎が収まれば本来黒焦げになっているはずの少年は火傷1つなく、それどころか腐敗していた肉体は再生し生身の人間の様だ。ただ1つ、人間と違うものがあった__少年の額に生えた大小二本の"角"である。二度と開かぬはずの瞼が、開かれた。少年は起き上がり唖然として周囲を見渡し目の前にいる青年を見付けると後ずさる、幼い顔を恐怖にひきつらせて。

「おっ、お前誰だよ...!俺はしんだはずじゃ!?...村の、ほかのやつらは?!!姉さんは?おっかぁは...!!」

「そんだけ口が回るなら成功したみたいだな。流石俺、天才だわー」

「成功?なんの話だよ...!!!」

得体の知れぬ青年を睨み付け早口で捲し立てた。彼の質問に何一つ答えぬまま青年は満足そうに独り頷き、しゃがみこみ視線を合わせる。

「ひ...ばっ、ばけもの...」

青年の瞳を見た少年はひきつった声で悲鳴を上げる。無理もないだろう、彼の瞳はまるで星が散りばめられた夜空のようにキラキラと輝き、瞬きする度に揺らめいて、先程の言いぐさと合わせれば到底普通の人間とは思えぬ雰囲気であった。


「ぷ...っハハハハッ!化け物、ねえ?俺を怖がるのも結構だが、お前も生憎"ばけもの"になったんだわ。額、触ってみろ」

「え...?ぁ、角...なんで......?」

"化け物"と罵られた青年は怒るでもなく不機嫌になる訳でもなく上機嫌に己の額を人差し指で指す。言われるがままに触れた額には凹凸が生えており、その凹凸に沿ってするりと上へ手を滑らせば先は尖りまるで角の様だ。様だ、ではなく角なのだが。少年からは見えないが左寄りの額に大小二本、乳白色の立派な角が生えている、墨を流したような黒髪も今は化け物じみた"色"をしていた。

「キミが化け物...もとい"鬼"になったからだ。鬼といえば角だろ」

「お、鬼って...どうして俺が」

「新しく作った術を試したくてなー。丁度良さげな死体を探してフラフラしてたらキミに出会したってワケ、んでキミなら術をかけても大丈夫って俺の直感が煩くてぇ?やってみたらご存じのとーり大成功。キミは晴れてこちら側の住人だ、おめでとう」

「...はやく殺してくれ。あのまま死ぬはずだったんだろ、なら」

「殺すもなにもキミは一度死んでるじゃないか。死人を殺すのはムリな話だわ。ましてや鬼になったんだぞ?おーに、並大抵の攻撃じゃ死なねえよ」

拳を握り俯く少年を見下ろし、青年は嗤う。戸惑い困惑する少年よりもこの元凶たる青年の方が余程鬼に見えるだろう、残酷さを孕む笑顔は中々に質の悪い物だった。だがしかし足元で項垂れる様に呆れ顔を隠さぬまま、青年は腕組みをし首を捻って駄々っ子に言い聞かせるようにゆったりとした口調で話す。

「なぁ、折角生まれ変わったんだし楽しまね?損だぞ。ウジウジしてっと」

「...殺してくれ、おっかぁも妹たちもいない。身寄りのない俺が一人でいきてくなんてむりだ」

「ムリと決めつけるからムリなんだよ。キミはもう人間じゃない、七日飲まず食わずでも余裕で生きてけるぞ」

「ひっく...うそだ、うそだ...俺は人間だ!うそだうそだうそだうそだうそだうそだ...」

「だーっ うっせえな男のクセにウジウジしてんじゃねえ!!人間に角なんざ生えてるか?その髪の色は、どう説明すんだよ!」

元凶であるはずの青年は俯き鼻を啜る少年の髪を理不尽にもひっつかみ上を向かせ、顔を近づけては大声で怒鳴り散らす。痛みに顔を歪ませ目尻から涙がボロボロと零れ落ち、乾いた泥と血のついた頬を伝い、どす黒く荒れ果てた地面に吸い込まれて行った。度重なる理不尽な状況に少年は今にも気絶してしまいたかったが、青年の気配が、瞳が、感じる痛みが、それを許さなかったのだ。

─もう良いや、どうにでもなれ─

今、青年に歯向かって無事でいられる確信は何処にもない。だがしかしそれでも良かった、兎に角この理不尽な男をぎゃふんと言わせたい。

ぐっと歯を噛み締め拳を青年の顔面目掛け奮う。頭に血が登り、ましてや少年が遣り返して来るとは予想していない彼は驚くほど無防備で何の防御も出来ず顔面に拳が捩じ込んだ...までは良かった。所詮は子供の力、受けてもよろめく程度だろうと、両者とも考えていた。



「ふごっ......??!!!」


吹っ飛んだのだ、約五メートル程。綺麗に弧を描き顔面から地面に着地した青年の顔は察するに酷い有り様になっている事だろう。しかし少年は気にすることなく青年を射殺さんばかりに睨み付け、何かを吐き出すように、声の限り叫ぶ。

「しらない...しらない!しらないっ!!!じゃあなんでお前は俺を選んだんだよ!なんでおっかぁたちのところに行かせてくれないんだよっ!?じっけん?ふざけるな、俺はお前の道具じゃない!」


地団駄を踏み全身で怒りを露にする様は年相応の姿であるが、少年が地団駄を踏んだ場所は軽く凹んでおり明らかに普通の子供が出せる力ではなかった。力なく倒れていた青年はよろよろと立ち上れば無惨にも血塗れな己の顔を片手で覆い、次の瞬間手を離せば傷やへし折れた鼻は何事も無かったかのように治っていた、まるで手品のように。大口をあけ笑い、歌うような口振りでまたもや少年に話し掛ける。

「...っくくく...っあっははははっ!ひぃっ...おもしれぇー...ただ喚くだけのガキかと思ったら!この俺をぶん殴りやがった!!はぁ...笑った笑った。なぁ、俺はなか...ぁー...仲津ノ大神ってーんだけど」

「なかつの、おおかみ...おおかみって神さまのこ...神さま?お前みたいなのが?!」

「なのがってナンだよ、徳の高い神だぞ俺は...あとひとの話を最後まで聞けよ...ったく、まぁイイわ。んでキミの名前は?」

「えっと...や」

「はいダメー、真名...自分の名前ってのはキミみたいな"造られた"化け物にとっちゃ命と同等の価値だあるんだわ。うかつに教えたら死ぬより酷なコトが待ってるぞ」

「じゃあどうするかって?んなの俺が名付け親になるんだよ!喜べクソガキ」

何かと偉そうに振る舞い穴が開く程少年を見詰め、そして人差し指を立てた。異論は許さないとでも言うかのように早口で捲し立て大股で歩み寄る。

「キミの髪は紫っての?珍しいんだよなー...紫...ゆかり...違うな、紫よりも薄い。藍色?...藍染...ウーム...」

顎を擦りぶつくさと呟き出した青年に無視を決め込み、少年は己の名が決まるまでぼぅっと空を見上げた。こんなにも自分は異質になってしまったのに空は変わらず晴天で、何事も無ければ今頃村の大人と一緒に畑を耕していた頃だろう。泥と汗にまみれ気持ち悪かったものの皆で笑ったり騒いだり楽しかったと、今となっては遠い昔のように感じ溜め息が洩れた。

「決まった、おい。キミはたった今から"藤"だ。ふーじ、どうだ?イイ名前だろ」

「...ふじ?」

「あぁ、藤の花ってあるだろ?あの花の色にそっくりなんだよ」

「...どうでも、いい」

倦怠感が少年を襲う、どこか上の空で話が入ってこないのは何故だろう。眠たくて眠たく仕方が無い、立っているのもやっとで脚が小刻みに震える。その様子を観察していた青年は軽々と少年を肩に担ぐと何処かに向かうのだろう、森の中へと足を進めた。

「よしよし、んじゃあ藤。しばらくの間俺んところで実験体としてガンバってくれ...って、寝ちまったか。おーい」

既に青年の声は届いておらず、少年は静かに寝息をたて始めていた。無理もないだろう、いくら鬼になり体力が底上げされたとはいえまだ子供である少年の体力は高が知れている。この状況で眠れる神経の図太さに呆れながら、青年は我が家に帰るため来た道を戻る、...まだ見ぬ未来少年...藤に手を焼くだなんて知らずに。



__これが、後に神としての称号を剥奪され下界へと堕とされる治癒の神、仲津ノ大神と、数百年後、都を恐怖に貶めた末とある一族の策略により封印された悪鬼、藤との出会いだった__

治癒の神と鬼の子

治癒の神と鬼の子

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-08-08

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