心のバグともの静かな歌い手。

　あの美しく若い記憶の中、私は霧に包まれていた。私は私を轢いたくるまのボンネットを宙に浮かびながら眺めていて、世界は四回転はしたことだろう。瞬間痛みは感じられず、ただただ時間がいつもよりかゆっくりと流れていくのと感じていた。よくある感想、それは。
「ああ、死ぬんだ」
現在21歳、事故の時は１８歳、そんな前のこと、いつまで気にしてるんだという人もいるだろう、そうじゃない、私が一番そう感じているのだ、だからだからこの話の原点を、記憶の本棚、蔵書の中から取り戻したいと思っている。
　当時女子高生私はその時、バドミントン部の部活へ向かう休日の朝事故にあった。彼氏かれのスマホの着信、続いて兄貴、親、それどころじゃない、私はボンネットを眺めながら、その車が去っていく前に確かにナンバーを記録した、スマホの機能に書き込んだ。だけど、その先の記憶は天国へとつながっている、あの三途の川へつながっていた。まるで家のベッドの上みたい、転がり落ちても私はごろごろしている、だから地面に寝ていても不思議ではなかった、願わくば、誰かこんな横着な私を救助して……。薄れていく景色の中……もやのかかった冬の早朝、私はコンクリートの上の残雪を見つめた。

　目がさめたのは、明らかに違う季節の、紅葉の葉っぱがおりた、砂利道の傍ら、土の上。
―—その事故直後に祖父は私にこういった。——
「もう歌わないの」
私は祖父をみあげた、砂利道のわきに寝転び、山道らしき風景をさかさまに見渡して、ここがさっきと違う場所であることに気づく。だけど私はその人物が、傍らで呼びかけた人物が、死んだ祖父であることに気が付いて、どこか安心感を覚えたんだ。
「じいちゃん、何で知っているの？」
「昔から好きだったじゃないか、昔からおてんばさんで」
祖父はなぜかないていた、私の右腕の手首をみた。私もつられてそっちを見る。
「あっ」
祖父は手首の傷の事をじっとみつめて、手のこうで顔をおおった。
「白装束」
いつのまにか私の背は縮んていた。私は黒装束を着ていた。私は、私は、人の気持ちが分からない。だから何度も傷ついた、いいや、傷ついてなんていない。友達をなくすそのたびに、その友達の気持ちがわからなくて、手首に傷を……つけていない。つけてなんていない、小さくなった私の腕に傷はないし、そもそも大人になってからも一度もしていない。ならなぜ祖父は私の傷を見つけて、泣いたのだろう。
「お前は、これから何度も何度も、人の傷を見つけてしまう、お前は人の気持ちが分からないから、傷つけたあとに、知ってしまうのだ」
祖父はないていた、私はあれから何度も友達を失った、そのたびにこのことを思い出している。大学生になった今も、友人の気持ちがわからない、人の感情がわからない。闇が深いとか、苦しいとか、誰かが嫌いとか好きとか、そんな事は本当に感じることはない、それが私の痛みだ。本当には人の気持ちを理解することができない、その時、祖父の言葉を想いだす。
「もう歌わないの」

　私は毎日、再生回数が少ない動画をアップロードしている、事故にあった当初から、ずっとやりたかったことだ。そのころ丁度バーチャルキャラクターに歌を歌わせる動画投稿が流行っていて、だから私はＳＮＳや動画共有サイトで、いつかもっと多くの人に歌を聴いてもらえるように、歌を歌う。
私が唯一人の気持ちが分かったとき、それは、自分の歌がうまいだなんて思わなかったけど、小さいころ祖父がたくさんほめてくれて、民謡のコンテストでいい順位をとったこともあってから。だから私は、歌を歌う、それを録画する、ありていにいうのなら、そうすることで私は私であることの安心感を得ているのだ、人から見聞きすべての話、誰かと別れたとか誰かと喧嘩したとか何かを失ったとかもう生きられないとか、いまでも本当のところは感情も表情も動かない。
　私が心を震わせた出来事は遠い日の……私が歌を歌い、祖父が笑ってくれた、その時の、あの幸せな思いでだけだ。私はあの時、人の表情や、体の小さな反応から“ひとの喜び”の感情を導き出し、私の心の中にフィードバックさせた。そして私は機械的な幸福を手にする事ができていた。だから私は、もう一度あの時間を、あの瞬間を復元することを望んでる。あれが私の傷なら、私は私で傷口を開き続けているだけだ。