雨の図書館。
車で昼飯に蕎麦屋に行った帰り、図書館で降ろしてもらった。夕方近くではあったが雨で暗い。
入り口の階段まで歩くあいだに雨で濡れた。肌寒い日だった。外の喫煙所がなくなっていた。また濡れながら自転車置き場まで歩き、そこのトタン屋根の下でタバコを吸った。細かい雨が絶え間なく噴水に注いでいるのがそこから見えた。携帯灰皿なんか持っていない。雨で火を消し、タバコの箱にねじ込んだ。図書館の中に入り一階にある文庫のコーナーで谷崎潤一郎の『刺青』を見つける。窓際の椅子でしばらくななめに読む。
外に出て、傘をさしてみると、カバンを持たないことに不都合を感じた。文庫が3冊。ポケットに何とか収まった。雨は強さを増していた。人は誰もいない。首に巻いたマフラーが暖かいのが助かった。噴水の前を過ぎ、広い芝生の前にたたずむ。もし、この光景のなかにだれか俳優を立たせたら雑誌の表紙みたいだな。俯瞰でずっと遠くから、木々の前に立つ男を撮ったならひとつの芸術にならないだろうか?フロストのあの詩を思う。思い出せるところだけでも微かに声に出して読んでみる。弱強四歩格。
――――To watch his woods
fill up with snow.
そのまま湿原のようにぬかるんだ芝生を歩いた。少し盛り上がった丘をこえ、気がつくと濡れたベンチの前に辿りつく。
その古ぼけたベンチはあきらかに美しい。雨に濡れたベンチには座りようがないが、晴れた日であればここに寝そべってビールを飲むことも出来ただろう。仕方がないので携帯で何枚かシャッターをきってみる。待ち受けで使うかもしれない。それほどにそのベンチはおれを惹きつけた。
歩き出す。雨音が傘をたたく。ようやくこれくらいが潮だと思い、遊具があるほうに向かい進み、すぐに思い直す。まだここにいてもいいだろう。こんなようなこころの揺れを小説にはできないものかな。映像になら取れるのだろうか?
最初来たほうに引き返し、芝生のきれた高い杉があるほうへとゆっくりと歩く。
高い木々の下にはいると雨粒が大きくなる。その分、量は少ない。仕事で疲弊した足にぬかるんだ土が気持ちがいいことを思う。木々の間にはフィトンチッドが出ているらしい。たしかに。心がやすらぐようだ。肺がすうっとし、脳がいくぶん弛緩する。
赤褐色のレンガで舗装されたところまで戻り、低い階段を上がる。正面には四角い大きな茶色の建物がある。コンサートなどのイベント用ホールがはいっていた建物だった。あらためて見ると造詣がいい。有名なひとが作ったものだっただろうか?次回はここを冒険しよう。勝手にいろいろな部屋に入ろう。係りの人に見つからないように。ピアノの発表会があれば猶更しめたものだ。サリンジャーの「エズミに捧ぐ」が意識に浮かび上がる。
「おじさま。わたしは汚辱の話がききたいわ」
帰り道。下る坂の手前でもう一度雨に濡れた森のような公園を見つめる。それをとても惜しいもののように感じる。それはかわいらしく、暗く、深い。
二段になった坂を下る途中、幼いときのことを思い出す。母親の自転車の後部座席に座ってその坂を駆け上がった。初夏の日差しのなか登る坂の手前で母は必ず助走をつけた。「いくよう!」
坂を下りたところでコンクリートにかわった道を右に折れる。右手には先ほどの公園の芝生。一番高いところで目線の高さになっている。歩いて行くとあのベンチがうらから見えた。なんだか声を掛けたくなった。雨に洗われたベンチ。湿気でけぶって、ぼんやりと霞む。公園の精のようだな、と思う。そう感じる。
雨の図書館。