蜃気楼
00 幸せの探し方
彼女との出会いは学食で食事をしている時に突然にやってきた。
「赤木さん?」
いつも通り一人で食事をしていたら名を呼ばれた。
顔を見上げるとおぼんを持った紫色のロングヘアーの女性がいた。
「えぇ、そうよ、何の用?」
「あぁ、やっぱりぃ!」
問いに答えると彼女は一気に緩みまくり、初対面にも関わらず馴れ馴れしく話しかけてきた。
彼女と話した内容は桜丘教授の生物生態学、ここの食堂のコーヒーの味など。どうでもいい話の割合が多かったと記憶している。
この時の彼女を何かに例えるなら『マシンガン』がピッタリ似合う。そこから繰り広げられる言葉の弾を捌くのにいっぱいいっぱいな私。途中疲れて適当に返事をしながら『よくこの口から様々な話題が湧き水のように出てくるものだ』と彼女を感心していた。
ノンストップで喋っているせいか彼女が食べているカレーはなくならない。昼休みの半分を過ぎた頃ようやく彼女は話を一段落させ、目の前にあるカレーの消化に本腰を入れた。
会話に切れ目が出た。私は今までできなかった初歩的な質問をする。それはこれから彼女と会話をする上で重要な確認事項。そして今更ながらの質問。
「あぁ、そういえば貴女の名前は?」
「葛城」
「かつらぎ、さん??」
「そ~、葛城ミサト。よろしくね♪」
葛城という名前にどこか心当たりがある気がしたがカレーを食べ終えたミサトはマシンガントークを再開、名前とは関係ない方に話がどんどん進んでいき記憶を辿ることよりミサトの話に付き合う方を優先せずえない状況になった。ふと、ちらりと腕時計を見るともうすぐ1時。『もうすぐ終わる』と思った後そんなに間を置かず休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。チャイムの音と同時に今まで続いていた会話をピタリと止めて手を合わせて元気よく「ごちそう様!」とミサトは食事とお昼休みの終わりの挨拶をした。そういうところはしっかりしてるのねと彼女を観察していると「今日は同居人がお弁当を作り忘れたから今日は仕方なく学食だったの」「そしたら知り合いがいなくてちょっと寂しいなと思って周りを見回したらリツコがいたの」「リツコの名前を知っているのは何かのレポートで顔写真を見て覚えてた」「貴重なお昼休みごめんね」と私に話しかけてきた経緯を簡潔に話して「じゃ、またね」と空になった皿とお盆を持って立ち去った。
彼女は嵐のような人だった。
その嵐の余韻が私の心をいつまでも支配して、次の日辺りになってようやく葛城の名前の心当たりを思い出した。確か99年、南極調査団の唯一の生き残りの少女の苗字。後日、母の仕事場の上司で尊敬している元教授に『葛城』をキーワードにして聞いてみると「その二人は同一人物。彼女は事故後に失語症になっていたが無事に完治し最近ようやく社会復活したのだよ」と教えてくれた。その話を聞いた私はセカンドインパクトで生き残った薄幸の少女と一方的なマシンガントークを繰り広げた元気な彼女がどうしても結びつかないのが本音だった。
次にミサトに会った時、彼女の隣に男の人がいた。並んでいる二人の距離が近かったのでなんとなく二人は恋人同士だと思った。ミサトの話に私は適当に相槌しながら時折、自分の言いたい事を話す。会話の内容はあまり変わらないけど話し方はこの前と違っていた。ミサトはこの前みたく一気に自分の言いたいことだけを喋る……ではなく、相手の反応を見ながら話を進めていく余裕を持ち落ち着いた気持ちで話している。そう感じた。それはきっと、黙ってミサトの隣に立ち聞き役に徹している彼のおかげ。彼女にとって彼は恋人云々以前に精神安定剤なのだ。あの出来事からどんな経緯があったかは分からないけど今彼女が自分を取り戻しここにいるのは彼のおか。彼という存在を認めて初めて彼女が生き残った少女と結びついた。
だって、ミサトの表情が幸せに満ちあふれ――苦しみや悲しみを乗り越えた綺麗な笑顔を彼に向けていたから。
-2005年 N県 第二新東京市 第二東京大学-
「おはよう」
「おはようございます」
中庭のベンチに腰掛けて本を読んでいる彼に声をかけた。珍しく一人でいる彼を不思議に思いいつも一緒に居る相棒の行方を聞いた。
「ミサトは?」
「購買部に。そろそろ来る頃かと」
彼は答えながら今まで読んでいた本に栞を挟んで閉じると自分の隣に置いてある歴史の教科書の上に置いた。本の題名が目に映る。
『幸せの探し方』
最近ベストセラーになったと聞く本だ、作者は地元の人らしいと本屋でのポップで知った。近々ドラマ化するとか風の噂で聞いた。
「じゃ、待たせてもらうわ」
研究レポートに行き詰まり息抜きのつもりで外に出て適当に歩いていたら彼を見つけて声をかけた。彼に一言断りを入れ一緒のベンチに座る。私が座った時彼との間に一人分座れる距離があった。他の誰かが見れば不自然を感じる距離だがこれが私と彼のちょうどよい距離なのである。腰を下ろし落ち着いた私はジャケットの内ポケットに手を伸ばそうとしたけどやめた。タバコはまだいい。どうせ次の講義は空いているしでゆっくり一服しよう。タバコを吸わない彼の前で吸うのはなんだか気が引ける。それよりも聞きたいことがある、私は彼が読んでいた本の話題に触れる。実は『幸せの探し方』は前々から気になっていたのだ。
「その本面白いの?」
「まぁまぁです」
「今度貸してくれる?」
「珍しいですね?こういうのは興味ないと思っていました」
ここだけの話、彼とはミサト以上に波長が合う。それはミサトに振り回される、大げさに言うと被害に合うという共通点で表現できる仲間意識。強いて言えば友情、恋愛感情などはない。
「そうね、基本はそうだけど…それだけに捕らわれると前に進めなくなるわ」
「確かに。偏見なく未知なる分野に興味を持つ事は自分を高める事にも繋がりますからね」
「そんな堅苦しいものじゃないわ、興味あるだけよ」
「じゃあ、はい」
彼は迷いなく自分の脇に置いていた本を再び手にすると私に差し出した。
「いいの?読んでいる最中じゃないの?」
「一回読み終わっていますから大丈夫です」
「なんの話しているの?」
いきなり彼の声ではない、別の声が割り込んできた。声は私より少し高い聞き覚えのある声。私は後ろを振り返るとそこに彼女はいた。私は彼女の名前を呼ぶ。
「ミサト」
手に新しいノートを持ちベンチの後ろからと私達を見下ろしている。ほんのちょっと離れたところでみれば彼と私の間、1人分の座れる空間にミサトは立っている。「おかえりなさい」彼の言葉に「ただいま」とちょっとぶっきらぼうに言葉を返す。ミサトは心なしか少しイライラしている。何よ、二人してラブラブしちゃって妬けるわねって感じの感情が顔に表れている。「本を読みたいというから貸してたんです」彼が私との今までの出来事を分かりやすく簡潔に説明するとミサトの顔が一気に柔らかくなった。全く分かりやすい人ね、ミサトって。
「なーんだ。リツコ、それ面白いからオススメよ」
「そう?じゃあ、じっくり読ませて貰うわ」
彼はミサトに笑ってほしくていつもミサトの側にいる。ミサトもそれを望んでいる。でも彼氏彼女の関係ではない。あくまでも友人。そう言い切る二人。そんな煮え切らない二人の関係。その関係、私が奪ってしまおうかしらと邪な考えが浮かんだ時があった。でも、それは隣のあの子のおもちゃが羨ましいからちょっと貸してって気分に似ている。本気で実行したら彼にやんわり「お断りします」と拒絶されるのが目に見えているし、ミサトは泣き喚き我を忘れて襲い掛かってくるかもしれない。そうなると自分の命の保障は確実にないと思う。分かりきっている負け戦はしないのが私の生き方。それに―――私は自分を救ってくれた彼らを傷つけたくないし泣かせたくないの。
「んじゃ、僕はそろそろ」
「いってらっしゃい」
彼は立ち上がり教科書を持って学校内へと歩いていく。いつもべったりくっついているミサトはベンチに体を預けて彼の行く姿を見ている。私は「ミサトは行かないの?」と不思議に思い聞いてみた。「私は世界史取ってないからね」あら、勿体無い「世界史楽しいのに」と自分の思いを伝える。特に17世紀のヨーロッパは面白い、あの時代の出来事は暇があったら詳しく調べたいくらい。
「日本の歴史だけで十分」
ミサトのその言葉はなんだか言い訳じみていたような気がした。そしたらちょっと遠くから彼の声。「カタカナの人の名前覚えるの苦手だからですよー」今の会話聞こえていたの?と彼の方を見てしまった。十数m歩いた先でこっちを見ながら笑っている。彼の言葉を頭で反芻する『カタカナの人の名前覚えるの苦手ですからですよー』そうかもしれないわねと「納得したわ」と少し大きな声で彼に聞こえるように感想を言う。「そ、そんなことないわよっ!」ミサトは声を荒げて否定する。何かの講義で学んだけど『人間は本当の事を言われると大げさに否定する場合がある』ミサトの今の行動はそれに当てはまっている。そうか、カタカナの人物の名前を覚えるのが苦手なのね、とミサトのかわいい弱点を知って思わず笑ってしまった。
「因みにミサトさん、次は数Ⅰじゃないですか?あの教授、出席厳しいですよ」
「あ」
その言葉で彼女の顔色が一気に変わる。すっかり忘れていたらしい。ミサトらしいといえばミサトらしい間抜けな行動。私は「学生なのだから授業くらいしっかり把握しなさい」と小言注意する。「だってだってー!」とまたいい訳と弁解をしようとするミサト。そんな時間ないでしょという前に「ほら、早く行かないとー」と彼がミサトを呼ぶ。「ちょっち待ってよ~」彼に向かって叫ぶと私に振り向き「じゃ、またね」と別れの挨拶をした。
彼の隣へ追いついたミサトはこっちに向かって手を振ってきた。彼はぺこりとお辞儀する。えぇ、また後でねとミサトと同じく手を振ろうと思った時、1つ言い忘れた事を思い出した。
「シンジ君っ」
ミサトの隣にいた彼――シンジ君は私をまっすぐ見てきた。
「本、ありがとう」
「いえいえ」
「じゃ、またね」
2人は何かの会話をしながら歩いている。最初は普通だったが途中で二人は立ち止まるとジャンケンを始めた。ジャンケンの手は見えない。でもミサトが両手を挙げてガッツポーズをしたのできっとミサトが勝ったのだろう。意気揚々なミサトと遠くからでもがっくり感が伝わるシンジ君。二人は校舎に入る直前に手を繋ぐと中へと消えていった。それを終始見守るような感じて見ていた私。全く、ラブラブ過ぎて独り身の私には痛いわ。ジャケットの内ポケットに入っている煙草を一本取り出す。口に咥え火をつけて吸い込み飲み体内に煙を取り込む。そして一気に吐き出す。吐き出した煙は空高く登っていく。煙を見上げると青空。登っていく煙を眺めながら先程借りた本を見る。
『幸せの探し方』
本を開く。題名、目次と1ページずつゆっくり捲っていく。本編には入る1ページ前、そこにはこんな文字が記されていた。
『桜の花びらに願いを込める。どうか、今の時を幸せに』
…………そうね、今しかないこの刻を大切に過ごしたい。私はもう一度煙草を吸い込んだ。
01 白い部屋
-2002年 南極調査船・第2隔離施設-
白いドア
白い壁
白い部屋
少女は椅子の上で小さく小さくうずくまっていた。
ナニモナイ
イツモノドオリダレカガヘヤニハイッテキテハナシカケテクル
ワタシニハナニモナイ
ヒカリノハシラ
アカイニホンノハシラ
スベテヲムニシタ
オトウサン
オトウサン
オトウサン
オトウサン
鉄格子が嵌められた窓から部屋の中に居る一人の少女を見ながら私達は話している。
「まだ、ダメか」
「えぇ、何分にまだショックが大きいようです」
「怪我の方は既に完治はしているんだな?」
「はい、当の昔に」
「あれから2年だぞ。我々も待ち切れない」
「しかし……」
「上は強行手段も考えているぞ」
「彼女が唯一の生き残りか」
いつの間にか見慣れない人が隣に立っていた。白髪の50代くらいの男性、ネームプレートを見たら簡易のICカードで『冬月』と書かれていた。私は彼が例の精神医だと思った。
「はい、かれこれ2年はあの状態です」
「食事は?」
「点滴で賄ってます、3日に1回は流動食を食べさせてます」
「……それだけの地獄を見て来たんだな」
「これ以上悪化しない為にも」
これ以上、どうでもいい世間話をするつもりは無かった。
「お願いします、先生」
「まぁ、待ってくれ。今彼が来るから」
この人は精神科医ではないのかと意を抜かれた。そしてカツンカツンと歩く音が聞こえる。向こうからまた一人歩いてきたのだ。あぁ、ようやくお医者さんのお出ましかと通路の奥を見た。歩いてくる人を一目確認すると私は自分の目を疑ってしまったのだった。
ドコニイルノ
オトウサン
アノヒカリノナカ?
ドウシテワタシヲワタシヲスクッタノ?
音が無かった部屋に密室の空間を壊す音が生まれた。しかし、同じ音がまた生まれると再び密室が出来上がった。先程と違ったのはこの空間に生命体がもうひとつ増えたことである。もうひとつの生命体―――少女と同じくらいの少年は全体を見回した。ぬいぐるみや遊び道具が椅子の周りに少し散らばっているが基本的に何もない真っ白な部屋に1人の少女。少年はゆっくり歩き、少女の前に立つとしゃがんだ。少女と目を合わせる。少女の目に自分が写るが、それだけである。
瞳には光はなかった。
少年は少女の優しく髪を撫でる。少女は抵抗しない。少年は優しく撫でる。手入れのしていない、ぼさぼさの髪を梳かすように。何度も、何度も。
今、この部屋に入っている少年の名前は碇シンジ。16歳で出身地は日本、分かりやすく言うと人工進化研究所所属・碇ユイ博士のいとこの子供にあたるらしい。経歴等には不審な点はない。身元も保証人がちゃんといる。
しかし、少し不信感がある。なんと言うか限られたパズルのピースの中に混ざりこんだ別のパズルのピースだと、隣の白髪の男性は言った。よく分からない例えだった。私は「それは彼はこの世界の住人ではないと言っている様なものではないか?」と述べたらそれは大げさだと笑った。「彼は…最近生まれたユイ君の子供の名前と一緒なんだよ」白髪の男性は不信感の理由を答えた。名前の一致と言うのは偶然かもしれないがありえないと言い切れない話である。
「彼は医学でもかじっているんですか?医大志望とか?」
「私も詳しく知らない。連れて来ただけだからな」
「子供を救うには子供だけということなんでしょうか」
「かもしれんな」
「何だか歯がゆい気分です」
「同じだ」
初めて少年と向き合った時に感じたのは今時の流行ものに目をキラキラしている少年ではなく瞳にやり遂げたい何らかの意思を持った少年であった。そして少年は力強く言ったのだ。
「ミサトさんを救いたいんです」
私は「君は少女とは彼氏彼女の関係かい?」と聞いた。彼は笑いながら否定する。でも最後に大切な人であると告白してくれた。その少年はこの部屋に入る前に1つお願いした。
「僕が出てくるまでドアを開けないでください」
それは少女を現実に引き戻すまで引き返さない固い決意を秘めた約束だった。
撫で終わると髪には乱れはなくなっていた。少年は少しだけ離れた。椅子にうずくまる少女に見下ろされるように彼は場所を変えるとそこに座り込んだ。
ダレ
ソコニイルノハ
ダレ
オトウサン?
3日後
「大丈夫ですか?」
「長期戦は目に見えてるからな。彼も覚悟している」
「あれじゃ、患者が2人に増えただけじゃないですか」
「今までにあれ程彼女と向き合った人はいるのかい?」
「……それは」
確かに、今まで来た医者は少女に一方的に話をするだけしていつまでたっても反応がないとサジを投げたのである。誰も少女の言葉を待つ者はいなかった。
「彼が最後の希望なのだよ」
私は歯がゆい感情を押し殺して呟いた。
少年は最初に入ってきた時と変わらず少女を見つめた。時には真剣に、時には困ったように、時には眠ったりもしたが少女を優しく眼差しでずっと見つめた。少女の方は動くどころか顔の表情を一瞬でも変えることはなかった。
でも、一度目の転機がついさっきあったのだ。ドアの向こうの大人は気づかない、二人にしか分からない心の変化。
オトウサンハイナイ
デモダレカガイル
ワタシヲミテイル
ズットミテイルノ
ドウシテミテイルノ?
『……救いたいからだよ、貴女を』
少女は初めて少年に質問をしたのだ。声にしていない、心の奥底で思っただけのこと。それに彼は答えてくれた。少女はあの事故以来の初めての会話、怖いと思った。だけど聞きたかった。彼の言葉の意味を知りたい。私の何を、
スクウノ?
それから少年と少女は言葉のキャッチボールを繰り返した。それはとてもとても時間がかかる会話だった。互いの言葉は常に一定のリズムで来るわけではない。すぐに返事が来ると思えば長々と待ち続けてもうすぐ眠りに落ちそうなそんな時にぽつんと言葉が返ってくる。長い時間をかけて紡ぎ出す会話は「何で?何で?」と子供のように聞いてくる少女とそれに優しく答える少年の他愛ないおしゃべり。彼はどんな質問にも一つ一つ丁寧に答えていく、質問に答える事に少女が自分を取り戻すと信じて。
一週間後
ワタシカラ、イナクナラナイ?
『うん』
ウソバッカリダ
『嘘じゃないよ、ちゃんとそばにいるよ』
ドウシテ、ソウイイキレルノ?
『貴女は僕にとって大切な人だから』
ドンナフウニタイセツナノ?
『どんな風な大切って言われてもなぁ…君はどんな風でありたい?』
アリタイ?
少年は初めて質問した。長い時間同じ質問が堂々巡りしていた。その循環を壊す為に少女に問いかける。『この質問の答えがミサトさんの人生の歯車が動く』と確信して。
『うん、僕をどう思っているのかな』
今思えば、一世一代の告白を要求しているものだったよなと改めて恥ずかしくなる。僕は2015年の記憶を所有していたのだからこの答えがいろいろあると思っていた。家族、仲間、上司と部下、友達どんな表現でもよかった。その一言でミサトさんは殻を破れると。でも、ここにいるミサトさんは今を生きる人。
2015年にネルフの作戦部長として使徒を恨み殲滅する事を生きる理由にして戦う女性ではない。
僕をそこらへんのペットを飼うかのように「一緒に住みましょ」と気軽に言ってしまうアバウトな性格な女性でもない。
料理の味覚が恐ろしくて僕がいないといつも部屋が汚い、朝っぱらからビールを飲んで明るく振舞う女性でもない。
それらになる前の思春期を迎えている少女。
そんな事考えず、僕はミサトさんの背中を押す一言を言った。
『どんな関係も僕はミサトさんを受け入れるよ』
「シンジ君」
誰かが呼んだ。長い間動かしていなかった僕の体はすぐに反応できず、目線を少し横に逸らすのがやっだった。真横には白髪の男性、冬月さんが立っていた。
「少し休もう」
「……あと少しなんです」
「気持ちは分かる。だが、これでは君も壊れてしまう」
「………」
僕はミサトさんを再び見た。ミサトさんの目はこの部屋に入った時のまま、光を失ってる。冬月さんの呼びかけで一気に現実の世界に引き戻された僕は今まで感じることが無かった脱力感と空腹感と排尿感とかいろいろなモノが体に押し寄せてきて……僕は人に戻ったんだなぁと思った。
「分かりました、少しだけ」
「あぁ。……もう一度対策を練ろう」
冬月さんはよかったと安堵の溜め息をつくと僕を支えるように立ち上がらせてくれた。歩くこともままならない僕はそのまま支えられながらゆっくりとドアへと向かう。ドアの方には白衣を着た医者と看護婦さんが数人いた。多分僕が出て行ったらミサトさんもベットに運ばれるんだろうな、仕切りなおしにならなきゃいいなと僕は考えながらドアへ向かってゆっくりと歩き出した。
その時だった。声が聞こえた。それは小さな声、聞き覚えある懐かしい声。足が止まる、冬月さんの足も急に止まり僕に声をかける。
「どうした?」
冬月さん、聞こえないんですか?この声が。僕は固くなった体に力を入れて後ろを振り返った。そして全身系を耳に集中させる。
イ……
イナク……
イナクナラナイデ!
ヤクソクシタジャナイ!!!
「…ッ!イ、イァ!!アァアアッ!イァヤァッ!!!」
ミサトさんの叫び声が部屋に響き渡った。声にもならないその叫びは彼女の必死の訴えだった。長い間殻に閉じこもっていた少女が自我を取り戻した、そう感じた。
僕は直ぐさまミサトさんの傍へ歩み寄る。3歩歩いたところでガクンと足の力が抜け肩から床へ転んだ。すぐに顔を上げ立ち上がろうとしたけど足がうまく動いてくれない。僕は腕の力だけで床を這い蹲りミサトさんのそばに近づいていく。
ミサトさんは僕が側に来ると分かったのだろう。泣きながら椅子から降りて僕と同じように這い蹲って近づいてくれた。赤ん坊のような歩み寄りで僕らは触れ合うところまで辿り着くとそのままミサトさんを引き寄せ抱きしめた。ミサトさんは爪を立てしがみつく。必死で僕の名前を何度も何度も呼ぶ。僕は摑まれた痛さを堪え優しく抱き締めた。
「ごめんなさい」
そう耳元で囁くと少女は叫ぶのを止めた。泣きじゃくるが暴れはしない。
「い、碇君」
冬月さんが戸惑いながら声をかける、多分何が起こったか分からなくてただ呆然と立っていたんだろう。遠くのドアの向こうの医者達もそんな感じだった。
「大丈夫です、落ち着きました」
僕は状況を伝えると「でも、もうしばらくこのままでいさせてください。その間にお風呂と食事とベットの準備を…」とお願いした。冬月さんはうなづくと直ぐさまドアの向こうへ走っていった。
おかえり
そして、ここから
歩きだそう
それが
僕らの始まりなんだ
「ミサトさん」
名前を呼ばれると僕の腕の中にいるミサトさんは体を痙攣させた。僕は言葉を続ける。
「よく、頑張ったね」
僕は優しく頭を撫でた。そしたらミサトさんは泣き出した。今まで泣けなかった分を吐き出すかのように。
声おろか音がない空間でどうやって少女と会話したのだと少年と偶然にもトイレで二人っきりになった時に聞いてみた。そしたら『ATフィールドを中和して会話をしていました』と自分の教養範囲を超えた回答がやってきた。
「僕はずっと待ってただけです、ミサトさんから声をかけてくるのを。それが第一条件でした」
「彼女が僕にどうして?って質問をした時、壁が少し崩れたんです。そこから優しく声をかけてゆっくりとフィールドを壊す…というより、うん、やっぱり中和かな。じゃないとミサトさん崩壊しちゃいますからね」
「最後は……ミサトさんが自分からそのフィールドを破って出てきたんです」
少年よ、意味がさっぱり分からない。と感想を述べたら「ですよね」と笑った。そうか、この少年は私がこの答えに理解できないと分かっているからこそ『事実』を話してくれたのだ。少年はこの意味を理解できる人達には違う回答を用意している、『事実』を隠す。なんの為か分からないがそれが一番だと知っていて。でも本音も言いたい。だから研究員でもなんでもない、少女の見張り役を受け持っている私に喋ったのだ。誰かに自分のやった事を知ってほしくて。その心理は子供っぽくて、大人びて見えていた少年が一気に小さく見えた。そうか、この子もやっぱりどこにでもいる普通の子供なんだなと思った。
02 今ここにいる僕
-2005年 長野県 第二新東京市 某ショッピングモール内 ゲームセンター -
「シンジ君、どう?」
「はい、大丈夫です」
チーフの田村さんが僕の状況を聞いて来た。問題なく仕事を進めている僕は手を休め田村さんと会話をする。
「もし大変なら言ってね。まぁ、大丈夫だと思うけど」
「はい」
ここは第三東京市内にあるゲームセンター。そこで僕はバイトをしている。夕方5時から夜中の1時まで、大学の休みや午後の講義が無い日を利用して働いている。仕事内容は簡単で店内の掃除と機械の調整、商品の補充などだ。
「じゃ、トイレ掃除したら日報書いてくるから。15分前には帰ってくるけど遅かったら放送よろしく」
「はい」
僕の返事を聞くと田村さんは奥にある事務所へと歩いて行った。ここに勤めて約半年。大体の仕事を覚えコツを覚えた僕は掃除を要領よく行う。フロア全体をモップかけてゴミを箒で回収。そして機械画面についてる指紋やらタバコの灰などをを雑巾で拭きとる。それを終えると大体の掃除は終わる。大型ゲーム機の定位置に置いてある灰皿を拭きながら周りを見渡すと常連のお客しか目に付かなかった。
僕は掃除しながら探していた。いつもならとっくに現れているあの人を。友達に誘われて近くの居酒屋で飲み会に行くとか言ってたから帰りにここに来るかなと思っていた。だけど閉店間際になっても現れない、今日はおとなしく帰ったのだろうか?一応、仕事が終わったら電話くらいしてみよう。迎えが必要かもしれないし。
電話が繋がらなかったら………多分、きっと、それは。
「兄ちゃんお疲れさん」
「あ、お疲れ様ですっ。ありがとうございました」
常連のおじさんに声をかけられ我に返った。おじさんの後姿を見送っていて気づいた。店内の音楽が蛍の光になっていることに。
もう少しで閉店、もう一踏ん張り頑張るか。気合いを入れ直し綺麗にふき取った灰皿を元の位置に戻したその時、後ろからいきなりの脇腹を誰かに摑まれた。背筋がぞくっと寒気が走り体を硬直させる。笑った声が聞こえる、こんなことするのは僕の知っている中で一人しかいない。
顔だけ後ろを振り向くとそこにはやはり彼女がいた。
「やっほー、シンジ君♪」
「ミ、ミサトさぁん!」
「これ、おみやげ」
ようやくわき腹から手を離してくれたので僕は振り返る。振り返った僕の目の前に差し出したのはお寿司の箱詰め。よく漫画で見るお寿司の箱詰め。……どこのお父さんですか?そうツッコもうかと思ったけどあえてやめた。
「今日は何人?」
「田村さんと2人」
「そっかぁ」
きょろきょろ周りを探す。誰を探しているか検討がついてるのでにカウンターに行ってみようと誘った。
「本日は誠にありがとうございます。お客様にお知らせ申し上げます。」
閉店放送が聞こえた。ミサトさんの探し人はカウンターにいると確信する。辿り着くと田村さんがマイクを持って店内放送をしていた。
「明日も10時からの営業となっております。お客様の御来店を心からお待ちしております。本日は御来店誠にありがとうございます。」
マイクを電源を切り、僕らの方を見た田村さんの第一声。
「いやぁ、ミサトちゃんいらっしゃい!」
「田村さん来ちゃいました♪これおみやげです」
「!こ、これは…お寿司だね…」
「はい♪」
「ミ、ミサトちゃん大好きー!」
と、ミサトさんに抱きついた。そういえば田代さん小腹空いたとか言ってたなぁ。2人が仲良く話しているのを見ていたらお客に声を掛けられた。話を聞いたらどうやら機械エラーらしい。閉店間際に問題起こさないでくれよとしぶしぶカウンターから離れエラー対処に向かった。
エラーは電源を落として入れ直したらすぐ直った。急いでカウンターに戻ると田村さんしかいなかった。
「ミサトさんは?」
「じむしょー」
「いいんですか?通して?」
「本当はいけないけど知った顔だし、酔っ払ってるし、その辺で待たせるのもなんでしょ?」
「他のスタッフがいる時はやっちゃ駄目だからね」と、最後に付け加えた。「ありがとうございます」と僕は感謝した。
「さ、仕事終わらせちゃいますか」
「はい」
僕らは閉店の準備やら掃除やらを再開させた。
最後のお客様が帰り入り口に鍵をかける。照明と機械の電源を落として本日の業務は終了した。二人で事務所に戻るとミサトさんが座敷の方でぐーすか寝ていた。
「ミサトさん……」
「仕方ないわよ、かなり飲んでたみたいだし」
どっと疲れが出た。だけどミサトさんがそこにいるという安心感もあった。
「どうするの?」
「とりあえず連れて帰ります」
「食べるの?」
「食べません」
「ミサトちゃんはきっと美味しいわよ」
「あのですね……」
ロッカーで着替えながら田村さんと会話をする。僕は何回もミサトさんをネタにからかわれているから大体この話の展開も分かりきっている。全く、田代さんって助平親父っぽい話するの好きだよなー。
「すいません、手伝って下さい」
僕は制服を急いで脱いで私服に着替えると座敷に行きミサトさんを起こす。どんなにゆすっても起きなかった。ロッカーから出てきた田村さんに手伝ってもらってミサトさんを無理やり立たせると僕は背中を差し出し寄りかかせた。そして一気に体を背負いミサトさんをおんぶした。
「んじゃ、帰りますかー」
「はい」
田代さんが開けた裏口から外へ出る。少し待機すると電気が消え田代さんも出て来た。玄関を閉め駐車場に向かう。
「あ、田代さんお寿司よかったらどうぞ」
僕はミサトさんのお土産のお寿司を田代さんへ渡そうとする。
「いいわよ、お家帰って食べなさい」
「いや、これはミサトさんが田代さんの為に買って来たものだと思いますから」
「そう?」
申し訳ないわよ、と口では喋っているが目は『欲しい』と訴えている。僕がしつこくどうぞどうぞと言うと眉を八の字にして、だけど口元は緩みっぱなしで寿司の折り詰めを受け取ってくれた。駐車場内の自分の車の近くにくると「じゃあ、お疲れ様」と田代さんと別れた。田代さんも「じゃ、またね」と自分の車に乗り込んだ。車の助手席に近付くとポケットから鍵を取りだしロックを解除する。ミサトさんを落とさないように気をつけながらドアを大きく開ける。助手席にミサトさんを下ろすと静かにドアを閉めて運転席に回り乗り込んだ。ミサトさんはまだ起きない。これは、家に帰ったても起きないな。車の鍵を差し込みエンジンをかけるとブレーキロックを解除、ギアを入れアクセルを踏みゆっくりと車を走らせる。
店の明かりが消え街灯だけが寂しく燈っている街の中、車のスピーカーから流れる音楽は未来では聞いたことがない曲だった。歌詞はない、ピアノのみの音楽。優しい音色で好きだなと思った。音楽の途中でラジオのDJの声が今の時刻を教えてくれた。
2005年9月24日 深夜1時24分
僕が何故ここにいるのか
本来なら4歳の僕がいる世界
20歳のこの僕は存在しない
でも確かに僕はここにいる
もうすぐミサトさんは加持さんと出逢い、求めあうのだろう。それを阻止するために過去にやってきたのだろうか。ミサトさんの幸せを奪いにきたのだろうか。それとももっと重大な事を阻止しに来たのだろうか。
もう少しでアパートに着く。僕はいろいろ自分の存在理由の答えを考えながらアクセルを強く踏み車のスピードを速めた。
2005年 長野県 第二新東京市
某民間住宅アパート 103号室
僕があの結末から時間を越えて過去の世界に来てもう6年にもなる
14歳だった僕はこの世界で時を重ね20歳の大人になっている
このままこうして、この世界で生きていくのだろうか
この世界に存在できる鍵が未だに分からない僕は、いつあの現実の世界に引き戻されるのか不安が尽きない
現実の、あの結末の日は今でも鮮明に思い出せる
目を覚まさないアスカの体を見て自慰をして
そうか、こんなに酷い事しても君は起きないんだね
もう誰も僕を見ていないと心の奥底にに引きこもった
死ねるなら死にたい
自分からではなく他人の手で
今なら分かる
そう思いながら誰かに助けられるのを待っていたと
僕がいた場所は見つかり銃を突きつけられてもうすぐ死ぬんだと思った
ようやく死ねるんだ
その思いを裏切る銃声
僕は頭を抱えた
助かったけど、助かってない
この人は僕をまたあのエヴァに乗せようとするんだ
助かった僕はその時の正直な気持ちを吐いた
「死にたい」
助けた彼女は死ぬことを許さなかった
「しっかり生きて、それから死になさい!!」
その言葉はあの時の僕には届かなかった
結末を迎え、時をさかのぼった僕は長い時間かかって受け取った
そして僕の生きる理由になっている
だから、僕はこの世界に存在するのだと信じてい
「…シンジ君」
僕を呼ぶ声
先程まで寝ていたミサトさんが体を起こしてこちらを見ていた。二日酔いの影響は?頭痛は?吐き気は?右手の動きを止めて鉛筆を置く
「大丈夫ですか」
立ち上がってミサトさんの傍に歩み寄る。隣の部屋に行きミサトさんを見ると頬が紅色に染まっているのが分かった。まだ酒が抜けていないのだろうか
「水欲しいですか?」
ミサトさんは首を振り『いらない」をアピールした
「いらないの」
歩み寄る僕を迎え入れようと両手を前に差し出し広げた。僕は把握した
「シンジ君がいれば、いいの」
彼女は『愛』が欲しいのだ
僕は彼女の胸の中へ体を預けると彼女の広げていた両手は僕を包み込む。僕も逃げないように彼女の腰元へ手を回す
顔を上げて彼女と目が合った、僕らはそのまま口づけをする
唇と唇が触れ合うだけの優しいキス。僕の舌で彼女の唇をノックすると隙間を開けて僕の舌を迎え入れてくれた。そして彼女の舌も僕の口の中へと入ってくる
右手で彼女の左胸をYシャツの上から優しく揉むと彼女の口から吐息は漏れた
唇を離し耳を甘噛みする。たどたどしい吐息の合間に僕の名前を呼ぶ。その声で僕は彼女への愛しい感情が高まる。その高まった感情を抑えながら首元を嘗め回すかのように口づけをし下へと下がっていく。そうして僕の顔が彼女の胸へ近づいた
僕はYシャツのボタン外して一気に脱がせる。恥ずかしがらせる暇なく彼女のブラをはずし上半身だけ裸にさせた
彼女に口づけをしながら押し倒し今度は両手で胸を揉んだ。人差し指で乳首を回しながら好き勝手に揉みまくる。乳首の硬さが触ったときよりコリコリと固くなってきたのが分かる。人差し指で弾くと痛いのか気持ちいいのか分からないひときわ高い声を上げた。多分両方だろう
唇と唇が離れたので今度は胸へとしゃぶりついた。強く吸い上げると飴を舐めるように、舐めたら次は今度は弱く吸い上げてと様々な刺激を与えていく
彼女に安らぎを与えない、与えるのは快楽
彼女からは喘ぎ声と吐息と僕の名前が聞こえる。ずっと声を出し続けている彼女、このまま快楽に狂って壊れてしまうのではないかと思う。
でもそれでいい
僕は貴女を狂わせることしかできない
だから、溺れてください
彼女の秘所へ手を伸ばす。スカートの下から手をいれパンツの上から割れ目を撫でるとそこはしっとりと濡れていた
「気持ちいいんですね」
「ばかぁ…」
悪趣味な言葉を耳元で囁き、集中的に何度も何度もパンツ越しに割れ目をこする
「もっともっと濡らしてください」
「や、やぁっ!」
「イっていいから」
彼女の目が潤んでいた。愛しさに満ちた目、彼女は嫌がってない
「あぁぁ!あっん!!」
上下にびくんと体が跳ね上がった。声が聞こえなくなり小刻みな深呼吸をする彼女。僕は力が抜けた彼女の下半身からスカートとパンツを脱がせる。そして自分の着ている服も上下とも一気に脱いだ
身に着けるものは何もない、本能の固まりになった僕は彼女を強く強く抱きしめた。肌と肌がふれあい一つになったような錯覚に陥る。そこから何もするわけでもなくただ、抱きしめあった
「ねぇ、」
「なんですか」
「好き?」
長い沈黙を破ったのは意識が回復した彼女からだった
僕はキスをする
その返事だけは声に出せないから
言葉にしたら堕ちる所まで堕ちると知っているから
「やだ」
口づけを拒む。言葉が聞きたいの、好きなの嫌いなのはっきりしてよ
こういう時、彼女は酔っ払って寝ぼけているふりをしているって知っている
だから僕は絶対に言わない、言葉を彼女に残したくないから
ごめんなさい
そう思いながら彼女から離れると股間へを顔を埋めようと
「答え、きいてない」
彼女は足を必死で閉じて埋めさせないようにする。でも力は僕の方が上。十数秒の格闘の末、わずかな隙間をこじ開けた僕は顔を突っ込み秘所を舐める
快楽の声とともに足の力が一気に抜ける。割れ目の突起を舌でもてあそぶと、彼女は僕の髪を強くつかんだ。引き離したいのか近づけたいのか分からない。ただ強く強くつかんだ
舐める度にどんどん愛液があふれ出てくる。一滴もこぼさないように嘗め尽くそうと吸い上げる。彼女の声がどんどん高まって僕自身歯止めが利かなくなってきていた。僕はその声を僕の体に響かせて欲しくて体を乗り上げキスをする
そして、一気に彼女の体内に僕の欲望を突き入れた
「あぁぁんっ!」
彼女は一瞬の出来事に今までにない大きさの声を上げた
腰をゆっくりと動かしながら下半身を繋ぎ合わせた状態で左手は乳房を、右手は彼女の左手を、そして唇を唇で捕らえて逃がさないように快楽を与え続けた。舌で彼女の口内を嘗め回していたら、舌を彼女の歯で固定された
目を合わせたら涙目で「言わなきゃ噛み切ってあげる」そう訴えていた
今日はしぶとい。いつもなら僕に抱きつき溺れているのに今日はたった一つの言葉の為にしつこく抵抗する
うん、いいよ、噛み切っても
腰の動きを徐々に早くして噛み切るのが先か、イクのが先か不毛なゲームを始めた。彼女の目がゆがむ。そして歯に力を込め更に僕を脅していく
このまま果てながら彼女に噛み切られ死んでいく、その想像に僕は隠しきれない高揚感が生まれた
貴女の腕で死ねるなら本望だ
更に腰を早く早くと動かす。さぁ、どっちが先だ。快楽か、殺戮か
快楽か
殺戮か
どっち
どっちだっ
先に来たのは快楽だった
「あぁぁあぁあ!!」
叫び声と共に僕の舌を解放する。声が収まると同時に彼女は動かなくなった
息を切らしながら僕は彼女の体内に埋まっていた肉棒を引き抜く。溜まりに溜まった中の液を発射させることなく終えた。いつもどおり後でトイレで抜こうと下着とズボンを穿いた
僕達は今まで何度もこの行為を繰り返してきた。初めはいつだっただろう。これは恋人同士の甘いひとときから始まったものではない
確か、養護施設から出てこのアパートに二人で暮らすようになってから
そう、ミサトさんのお母さんがなくなった1年後くらいだったかもしれない
この部屋でいつものようにご飯を食べていた時、何かを思い出したミサトさんは泣き出した
「おかあさん、ごめんなさい、ごめんなさい」
そう言いながら僕にしがみついてきた。最初はどうすればいいのか分からなくて必死で慰めた。今までの会話の中で何かお母さんを思い出すキーワードが出てきたのだろう。どの言葉かさっぱり分からないけどそれがスイッチになってこの世にいない母親に向かって謝罪し続けた。その姿が今にも脆く壊れそうで、ふとした弾みにこの世界から消えてしまいそうで、
それを繋ぎとめたくてキスをした
そこからもう、止まらなかった。欲しかった、ミサトさんが欲しかった。ずっとずっと欲しかった
昔から、僕が小さくて弱くて世界を守るためにエヴァに乗っていたあの時から
本能のままに彼女を抱いた
何度も愛の言葉をささやいた
彼女の弱さにつけこんだ卑怯な抱き方
僕は母親じゃなく一匹の狼だと教えたかった
それ以来、ミサトさんが僕を求めたときだけ抱いている。今日みたいな酔っ払った日とか彼女が壊れそうな時に必要なだけ抱きしめる
ただ、あの時と違うのはこれ以上自分の痕跡を彼女に残さないようどんな時でもイかない、生殺しに近い行為をずっとしていること。彼女も分かってるかもしれない
愛の言葉を囁かず自分をイカせて後でこっそり自慰をしている僕に厭きれているかもしれない
寝ている彼女に一滴の涙が落ちた
「ごめんなさい」
僕は僕のやるべき事がある、この場所はそこに至るべきの通過点。僕はいつの日か未来へと旅立っていく。それは定められた事
事実を言えない自分、未来におびえる自分、僕の消えた後の空白の時間に何が起こるのか分からない不安
「中途半端で、ごめんなさい」
彼女の耳に届かないから今、口にする懺悔の言葉
僕は彼女に抱いている感情を胸に押し込めてトイレへと歩いていった
目が覚めた時、布団の中だった。昨日の夜のことがなかったかのように私は合コンに行った服を着ていた。周りを見回すとシンジ君がいない。言い表せない不安が襲ってきた。とうとう彼は私の元を去ってしまったと思った。だけどその不安はすぐに消えた。台所から物音が聞こえたから。そのままの格好ですぐに台所へ駆け寄った。台所にシンジ君が立っていた。
「おはよう」
「おはようじゃなくて、こんにちはの時間ですよ」
「いいじゃない、今日は休みなんだから」
変わってない、いつもと同じだ。ほっとした、そして胸にチクっと痛みが走った。でもその痛みには気づかないふりをする。
「何作ってるの?」
「肉じゃがとほうれん草の和え物」
「シンジ君の肉じゃが好き、早く食べたい♪」
「なら、着替えてください。昨日と同じ格好ですよ」
「はいはい。見ないでよ、えっち」
「みませんよ」
いつもの会話、日常に嬉しさを感じた。だから、私は『さっき感じた胸の痛みは気のせいだ』と言い聞かせながらシャワーを浴びるためにお風呂場に向かったのだった。
◇
「いっただきまぁす!」
ぶかぶかのTシャツとハーフパンツに着替え、シンジ君と朝御飯兼昼御飯の準備を一緒にする。ちゃぶ台に食事が並び、二人一緒に手を合わせて食事の挨拶をすると一目散に出来立てわかめのお味噌汁を口に含んだ。
「あれ、ビールは?」
「私の体はビールより味噌汁が欲しいと訴えてるの」
「…まぁ、あれだけ酔っ払えば僕なら二日酔いですね」
「でも体調良好。自分って本当、肝臓強いわよねぇ。うん美味しい」
「そうそう、今日何か予定ありますか?」
「特にないかな?シンジ君はバイト?」
「今日は休みです、だから買い物に行こうかなと」
「じゃあ、私が運転するっ!」
ご飯をほおばりながら彼を見ると複雑な顔をしていた。喜びとか楽しいの感情は読み取れない『やだ』っていう顔。
「何、その嫌そうな顔」
「………安全運転でお願いします」
「まっかせなさい!」
「はい、味噌汁のおかわりは?」
「うん、お願い」
私は笑顔で空になったお椀を差し出す。さっきの嫌な顔は消えていて私の笑顔に答えるかのように彼も笑顔でお椀を受け取った。シンジ君が味噌汁をそそいでる時、私は声をかけた。
「ねぇ」
「なんですか?」
本当はね、シンジ君にいっぱい言いたいことあるの。
今日の晩御飯はハンバーグがいいとか、今日の味噌汁の味付け薄味だねとか、敬語やめてよ、さん付けやめてとか、昨日合コンでいい男がいたのよとか、でもシンジ君の方がカッコイイんだよねとか、そういえば科学のレポートやった?とか、この肉じゃがおいしいとか、いつまで続くのかなこの関係とか、将来はシンジ君が言ってた学校の先生目指して見ようかなとか、来週も飲み会だからとか、好きとか、リツコとご飯食べに行こうとか、やっぱカレーが好きとかとか本当いろいろ。
「なんでもない」
「はいはい」
そんな思いを知ってますよ的な返事しないで、何も言えなくなるから、甘えるから。
私は味噌汁のお椀を受け取ると自分の気持ちを胸の奥へ流し込むかのようにずずっと飲み込んだ。
◇
「で、働きに来たのか少年」
「違います」
「デートしにきました」
「一人身の女の前でイチャコラかっ!……後で店長に減給対象に入れてと報告しないと」
「しないでください、ミサトさんも適当なこ…」
「ミサトちゃん、メダルゲームする?」
「はーい、したいです」
シンジ君の言い訳を遮った田代さんはカウンターの下に置いてあるメダルボックスへ手を伸ばす。中には数千枚くらいのメダルが入っていておもちゃのスコップで救い上げると黒いカップに入れた。枚数的に500枚くらい?それをドンとカウンターに置く。
「もってけどろぼー」
「もらってくどろぼー」
店に来る度、田代さんは無償でメダルを貸してくれる。本当は無償の貸し借りは違法。この店に来た当初は1000円100枚で購入して遊んでいたんだけど、いつしか田代さんがメダルをこっそりくれるようになった。
「本当にいいんですか?」
「シンジ君の給料から引いてるから大丈夫」
「え?」
「そうなんですか」
「そうそう、だから遊んでらっしゃい」
「ありがとうございます!」
「き、給料から……」
顔が明らかに青くなってるシンジ君。このメダルを自販機で購入するなら5000円くらい?シンジ君の1日の給料が飛んでく計算になる。学生なので出勤日数が少ない彼にとって1日分の給料が差っぴかれるのは痛い。まぁ、給料から引くって話は田代さんの冗談なのだろうけど。いや、田代さんだからこそ本当に引いてる可能性もある。フィフティ:フィフティ、どっちが本当かは今度の給料明細見るまで分からない。
この気さくで陽気なゲーセンのお姉さん、田代さんと初めて出逢った場所はこの場所ではない。もうちょっと昔。そう、失語症から立ち直り2年ぶりに南極から帰った時だった。
父を失い、母と親戚は行方不明。引き取り手がいなかった私はシンジ君と一緒に児童養護施設に入った。そこで大学に入るまでの2年間暮らした。児童養護施設は決して居心地が良い場所ではなかった。私が思うにあの施設は軍か政府の支配下にあった場所。南極で唯一生き残った私を観察する都合が良い施設だったんだと思う。
私を監視する為に存在した場所、そこへ田代さんは私の精神面の看護婦としてやってきたのだった。最初、一緒にいた頼りない医師の質問に受け答えせず目をそらしていると
「だから、先生が頼りないからミサトちゃんが信用できないって言ってますよ」
「ちょ、先生。自分の力量足りないからって患者に当たらないでください」
「ほら、ミサトちゃん。言いたい事は言いなさい。先生、鼻毛が気になりますって」
私の意見を推測して堂々と代弁する姿に質素で可憐なナースのイメージは崩れ落ちた。けど、カッコよかった。自分がこれからどう生きていけば良いか分からないあの頃、私はカッコイイ田代さんの姿を見て決めた。
「田代さんみたいにかっこよくなりたい」
田代さんは照れて、シンジ君はなんか納得って顔してた。私は田代さんの良いとこ悪いとこ全部吸収して自分の物にしていった。
あの施設にいた時、お医者さんは頻繁に変わった。頼りなかったり怖かったり陰気だったり。でも田代さんだけはいつも週1回、水曜日に来てくれた。お医者さんは変わって田代さんは毎週来る。嬉しかったけどその分火曜日が怖かった。明日、田代さんは来ないんじゃないんだろうか。そう不安だった。「田代さんが来ないと寂しい」と自分の気持ちを打ち明けると「嬉しい事言うねぇ」と抱きしめられた。
田代さんは心のケアの他に外の世界をたくさん教えてくれた。大学生の友人は一生ものだ力説された。その力説に心動かされた訳じゃないけど私達が大学に興味を持つと「今から高校だと単位がねぇ…大検で高校卒業資格取ったら?そしたら大学受験できる!受かれば花の大学生!」と教えてくれて参考書を沢山くれた。秋に大検を無事合格し、次は大学受験。どうせ目指すなら1番のところに行こうといっぱい勉強して難関な第二東京大学受験したら本当に受かってしまった。
「努力はどんな形であれ必ずむくわれるもんだからね」
3月、私達は施設を卒業し週に1回の田代さんとの交流に別れをつげた。
「あぁ、ミサトちゃん」
「はい?」
「覚えてる?『私が来ないと寂しい』って言った事」
「あ、はい」
「あの言葉あったから、私は今日までミサトちゃんの看護婦を続けられました」
聞けば、私の意志を尊重して施設の偉い人達は田代さんを私の看護婦から外さないでいてくれたそうだ。今の今まで田代さんとの繋がりを保てたのは私の願いを言葉にしたから。その典型的な例だと田代さんは言った。
「今まで、本当にありがとうございました!」
私は田代さんから卒業しシンジ君と大学近くのアパートを借りて2人暮らしをしながら大学に通い今に至る。
が、縁とは奇妙なものでこうして田代さんと再び出会った。今度看護婦じゃなく、ゲーセンのお姉さんとして。
「か、看護婦は?」
「辞めた、やりたいことできたから」
大学入ってから合コンやら飲み会が続き疲れたシンジ君はその誘いを断る言い訳にバイトを選択した。夜のバイトで比較的時間の都合がよいのを探していたけど都合いいのはない。見つからないと気が滅入ってるシンジ君を気分転換にと遊びに連れ出し偶然入ったゲーセンで田代さんとばったりと出逢った。ピンクのナース姿からオレンジ色の制服に黒のミニスカート。一転したその姿に驚きを隠せなかった。
互いの近況を報告しあい今シンジ君がバイトを探してるとポロリと言ったら「はいこれ」とまっしろな履歴書とボールペンを差し出さた。
「30分後に店長来るから」
お客の邪魔にならないカウンターの隅の方で急いで書き上げた履歴書を見た店長は「田代の推薦なら」と採用を決めた。そうしてシンジ君はこのゲーセンに勤める事になったのだった。
「何してるの?」
「ブラックジャックです」
私はトランプのカードを何枚か引き21の数字に近づけるビデオゲームを黙々とやっていた。メダルの枚数はもらった時より増えている。
「強運よね、本当」
ほうきとちりとりを持って掃除してます、と仕事するふりをする田代さん。シンジ君は私の隣に座りながら田代さんと私、そしてゲームの行方を見守ってる。手札が揃い「よし、勝てる」とボタンを押す。画面のディーラーが提示したトランプの数字の合計は19。私のトランプの数字の合計は20。「よしっ!」と手を握ると「あ、勝った」と田代さんが笑った。
「まぐれですよ」
「遠慮しなくて良いわよ。ミサトちゃんは本当、運がいいから」
「ミサトさんって常に一定じゃないですけど運が良い時は良いですからね」
「ミサトちゃんの強運がそのうち世界を救う!」
「田代さん、それはないですよ」
「………はは」
シンジ君は何か言いたそうだったけど言葉を紡がなかった。シンジ君、田代さんの言う通り私はこの運で世界を救う事ができるっていうのかしら?私の視線に気づいたシンジ君は目線を泳がせながら困っていたけど何かを思い出したかのように田代さんに話しかけた。
「そういえば、田代さんの新作はいつできるんですか?」
「構想ねってまーす。書き上げたらいの一番に見せるね」
「楽しみに待ってます」
田代さんは今、作家として活動している。先日リツコに貸した『幸せの探し方』の作者。あの本はゲームで言えばバッドエンドから始まる。自分以外の人類を失うという最悪の結末を迎えた主人公が自分の望んだ世界を再建する話。主人公は人生をやり直しハッピーエンドを迎えた。死んでいった友達や仲間がちゃんと生きていて主人公はそこで幸せに暮らす……はずなんだけど所詮やり直した世界。生きてる人間を『自分が造った生き物』と思ってしまった主人公はどんどん病んでいく。愛を失い、夢が消え、ぬくもりが無くした主人公は望んだ世界を壊したいと願ってしまう。「助けて」と絶望の淵にいる主人公を救ったのはバッドエンドを迎える時に仲間と交わした約束だった、部分部分つまんで分かりやすく説明するとこんなお話だったと思う。
私達の『目標に向かって頑張る姿』に刺激をうけて本当になりたい事をやりたくてと看護士を辞めた田代さんは一ヶ月引きこもりを続けながら飲まず食わずでパソコンに文字を打ち続けこの話を書き上げた。
出版社に持っていったら、あれよあれよと作家デビューしてベストセラーの仲間入り。世間では近々ドラマ化とかの話を耳にした。一番分かってると思う本人に「事実は?!」と聞くと「お任せしてるからわかんないやー」と適当な返事だった。田代さんにとって書き上げた作品が自分の手を離れて育ってる、我が子の成長を見ているような感じらしい。
田代さんは「そろそろ真面目に仕事しなきゃ」と会話の区切り良いところでカウンターに戻っていった。シンジ君はトイレに何回か席を離れたけど私の隣に座ってずっと私が遊ぶテレビゲームを見ているた。メダルゲームは大抵2人くらい座れる長いすが設置されてる。家族や恋人とか友人と和気藹々で楽しめるように。そんな意図が込められた長いすに私達は寄り添うように座ってゲームを楽しんでいた。
「今、何時?」
「7時になりますね」
左手の腕時計を見て、もうこんな時間かと驚いた。時が経つのは早い、特に面白いことに関しては。
「帰らないとご飯の時間遅くなっちゃう」
「これから作りますからね」
「じゃ、帰りますか」
シンジ君が慣れた手つきでメダルを片付ける。私も手伝う。メダルがカップに入りきらなかったので近くのメダル販売機からカップを持ってくると入りきらなかった残りのメダルを入れた。重い方をシンジ君が、軽い方を私が持ってカウンターへと並んで歩いていく。
「はい、毎度ありがとー」
カウンターにいた田代さんに人目につかないようにメダルを返す。本当はこういう店員とお客のメダルのやりとりはいけないことだからその辺は慎重だった。
「またいらっしゃいね」
「はい、今度はUFOキャッチャーしに」
「その時は景品動かしてあげる」
「約束ですよ」
カウンターで手を振りながら田代さんは見送ってくれた。
◇
私が運転する車で急いで家に帰る。部屋に入るとシンジ君は台所へ行き、買ってきた冷凍のハンバーグをフライパンで暖め始めた。
「あ、ミサトさん、数学の課題は?」
「やってない。シンジ君は?」
「半分くらいしかやってないかなぁ」
「じゃ、半分移させて!後の半分自力でやるから!」
「その半分やったら見せてくれませんか?」
「うん!ぱぱっとやっちゃうね」
学校の課題は大抵こんな感じ私達はこなしていく。レポートになると内容を丸写しする訳にいかないけど数学とかの問題集の課題は共同作業。私が問題を解いている間にシンジ君は夕御飯の準備をする。
「…よし!書き写し終わりっ!」
ちょうど私の作業が終わると同時にシンジ君がやってきた。お盆にハンバーグを乗せた皿を持って。
「おいしそー♪」
机に並べていたノートとか鉛筆を片付け食べる準備を手伝う。台所と茶の間を何回か往復してご飯と玉子スープとハンバーグがちゃぶ台に並ぶ。夕ご飯の支度が完了すると私達は席に着き
「いただきまーす」
声を揃えて食事の挨拶をしてご飯にありついた。
「そういえば、進路の紙出した?」
「まだです、ミサトさんは?」
「出しちゃったわよ、決まったし」
「早っ!珍しっ!」
ハンバーグを箸で一口サイズに切り分け、ご飯と一緒に口に運ぶ。ハンバーグにトマトとデミグラスの味がうまく染み込んで美味しい。ただの冷凍食品だったものを短時間で手を加えてこんなも美味しく作ってしまうシンジ君は本当に凄い、天才だと思う。
「シンジ君がまだ提出してない方が珍しいと思うけどなー」
「なんて書いたんですか?」
「学校の先生」
「本気で目指すんですね」
「うん。子供好きだし、公務員は安定してるしいいかなって」
「ミサトさんならなれますよ」
「そういうシンジ君の将来は?」
玉子スープをすすりながらシンジ君は考えてる。お椀をちゃぶ台に置き頬をポリポリと掻く。まだ決まってないみたい。
「ま、まだ時間あるしゆっくり決めれば良いんじゃない?」
「……そうですね」
「可能性は無限に広がってるんだし」
「やっぱりミサトさん、先生向いてますね」
「そう?」
ご飯を食べ終え、一緒に食器洗いをしてシンジ君の宿題を手伝う。全てが片付いた時はもうすぐ日付が変わるところだった。先に私がお風呂に入り、上がったら入れ替わりにシンジ君が入る。自分の長い髪を乾かし終えた頃、シンジ君がお風呂から上がってきた。宿題済んだ、明日の準備した。うん、後は寝るだけの状態。布団を2組敷いて布団に足を突っ込んだら電気を消す。暗闇の中、私達は自分の布団から片手を出して繋ぎ合う。昨日の営みはない、相手の存在を感じながら深い眠りにつく。明日も同じ日が来ますようにと願いながら。
願わくば、明後日、明々後日、いや来年、十年、死ぬまでシンジ君と共に過ごしたい。それが今の私の願い。手をぎゅっと握ると握り返してくれた。彼はそこにいる。繋がっていないと不安になる。今は私の傍にいるけど、もし彼が私じゃない人を選んでしまったら?そして彼がその人の元へ飛んでいってしまったら?
「ミサトちゃんの願い、言葉にしたら叶った」
田代さんの言葉を思い出した。自分の気持ちを言葉にしたらシンジ君は私の傍にいてくれるのだろうか?シンジ君の名前を声にしようとした。でも、止めた。彼の方から寝息が聞こえてきたから。手を弱く握ると握りかえってこなかった。彼は一足先に夢の中に堕ちたようだ。
「私の事、好き?」
答えは返ってこない。私の事好きなの?嫌いなの?いつもそう問うとシンジ君が答えをはぐらかす。その度に私の中に不安が募っていく。
この不安、自分からシンジ君を手放せば開放される?私、そんな事できる?シンジ君と一緒にいる未来を捨てれば本当の幸せ、見つかる?
シンジ君の右手を離そうとした。振りほどけばすぐに離れる。いや、ちょっと手を上げれば簡単に離れる、そのちょっと、10cmくらいのちょっとができない。右手から伝わる彼の体温、ぬくもりが惜しくて。
「私の事、嫌い?」
彼の耳に入らないこの質問。何度も繰り返す。いつかきっと本当の答えが見つかると信じながら。その答えが私にとってハッピーエンドでありますようにと願いながら。
03 紡がれる物語
-2005年 第二東京大学 第3視聴覚室-
「元気だった?」
僕が教室に入るとほんのりと茶色い色をしたショートの髪にピンクのスーツが似合っている女性が教卓に立っていた。僕の記憶の中に存在するその人はエプロン姿とか襟がついたTシャツなどラフなイメージだったので一瞬ドキっとした。
「はい」
「学生生活は満喫してる?」
「えぇ。十分に」
「それならよかったわ」
その人の微笑みを見ただけで僕は懐かしくて涙が出そうになる。
「もう、貴方がここに来て6年たつのね」
「早いですね」
「なんか、思い出すわ。私を見て突然泣いて言葉にならない声で、聞き取るの大変だったわ」
「……忘れて欲しいです」
1999年9月13日、セカンドインパクトが起きた日。この日、僕は未来から時間を越えてこの世界にやってきた。自分が存在しない過去、これからどうすればいいのか、どう生きればよいか分からなくて僕はこの世界に存在するこの人に一か八か助けを求めて逢いに行った。この人の姿を見た時、僕は助けを求める前に我を忘れて大泣きしてしまった。もう二度と逢えない、そう決意して「さよなら」と別れた人が再び目の前に現れた、理性とか平常心とか全部吹き飛んで泣き崩れる。そんな僕を戸惑いながら優しく抱きしめ受け止めてくれた。それに甘えて思いっきり泣くだけ泣いて落ち着きを取り戻した僕は経験してきた未来の出来事を一つ一つゆっくりと話した。最初は信じられないような顔をしていたけど、僕が知る限りのネルフ関係者しか知らない情報を3つ4つ話したら「信じないといけないようね」と僕の話を聞き入れてくれた。
「14歳の少年も成人する時期になったのね」
「…どう思いますか?」
「とても面白かったわ、立派に育ったし」
「立派、ですか」
「えぇ」
「もう一人の」
『もう一人の僕の成長は見届けないのですか?』と言おうとした。でも僕は途中で言うのをやめた。何を言ってもこの人は自分の道を進む。僕達と同じ時間を歩む事を捨てて永遠の時を選択すると知っているから。
「私が『人類と共に生きる』という事を選択すれば同じ固体である2人が一緒の世界で生きるというパラレルワールドが生まれるかもしれない」
「ありえるんでしょうか?」
「ないとはいえない、今がそうだから。でも遠くない未来、貴方は消えるかもしれないわね」
「消える、ですか」
「貴方が経験した未来は消えるという意味ね。きっと貴方はエヴァに乗らなくてもいい未来を歩むことになる」
「…それって、僕にとっては理想の世界なんですけど」
「貴方が経験した世界は面白い世界なのよ」
「……苦痛しかない世界でした」
「そんな世界でも貴方は喜怒哀楽の感情を表現して生きた。それだけで世界は面白いのよ」
「……怒と哀はもう経験したくないです」
「その感情こそ人間の成長剤なのよ、乗り越えて喜が生まれる。それだけじゃ人間は壊れるから楽も存在する」
「……その世界を見たいんですね」
「えぇ、永遠にね」
「いつ乗るんですか?」
「2ヵ月後の15日、今日はその報告」
「僕の運命の日ですね」
いつもより回りくどい話をして本題に入らないから何かある、と思っていた。ある程度覚悟していたけど、この時間から僕が再び何処かの世界に飛ばされるかもしれない運命の日が決まったかと思うと体が震えた。
「私が貴方の存在理由の鍵なら私がこの世界から存在を消して魂だけの存在になった時、貴方は元の世界に戻るはず」
「戻りたくないのが本音ですけどね」
「ま、実際その日を迎えないと分からないけどね。まだ半信半疑だし」
教卓から離れ近くにあったパイプ椅子に座る。今日の話は長期戦になるんだろうか?僕も立ちっぱなしは辛いので近くの机に寄りかかった。
「何事も理論と研究と実験の繰り返し。これもそのひとつ」
お腹元で自分の手を繋ぎ足を伸ばした。パイプ椅子に座ってのリラックスモード。だけど顔はさっきより真剣さが増していた。
「本当は1年前にこの計画はめどたってたの」
「ですよね」
写真とか全て捨てられて、当時の僕が知るこの人の情報は幼い時に記憶に焼き付けた今の姿と墓標にも刻まれたこの人が生きていた年代だけ。だから覚えている、この人がこの世界から旅立った年を。
「どうして1年遅れたか聞きたい?」
これは選択式の質問ではなく、聞いて欲しいからの質問。今まで科学者として隠してきた事を僕に教えたいのだ。答えは『はい』しかない。
「どうしてですか?」
「話はセカンドインパクトからになるの」
エヴァンゲリオンと言う固体は試作を何度も何度も繰り返してできた。
セカンドインパクトが起こる十数年前、ゼーレは『アダム』を見つけた。私達は『アダム』から新しい生命体を生み出した。その名は『イブ』
『イブ』は今のエヴァより人の形をしていた。装甲とかそんなのなかったわ。『イブ』は鍵。最後の『使徒』を目覚めさせる鍵。そう、全ては人類補完計画の為に生まれた仕組まれた生命体。
2000年、ゼーレは計画の一部を実行にうつそうとした。『イブ』で『アダム』を目覚めさせ、『使徒』を生み出す。『アダム』は生まれた使徒を取り込み神へと生まれ変わる。それが聖書に書かれていた序章。
この時点で生贄は誰でもよかった。14歳と言う子供なら誰でも。
「ここまで、話して予想ついた?」
「………えぇ」
「『イブ』を動かすのに選ばれた人間は『葛城ミサト』当時14歳の少女よ」
何故、14歳じゃないといけないのだろうか。それは分からない。ただ、聖書には『イブを動かすには大人と子供の境目をさまよう者』を書かれていた。この文から考えるに私は思春期を迎える微妙な年頃が必要だったのだろうと考えてる。大人でもない子供でもないこの精神が神に触れられる事のできる唯一の条件なのだろうと。
このプロジェクトは極秘に進められたから事実を知っているのはごくわずかな人間。そのわずかな人間の計画の為に南極にいた作業員等はお偉いさんがでっち上げた希望ある理論を信じて働いていたわ。この実験がノーベル化学賞ものだとか世紀末の偉大なる功績に自分がかかわれると疑わなかった。
だけど、その事実に一番知ってはいけない人物が知ってしまった、実験稼動前日にね。
彼は葛藤した。この実験を起動させるかさせないか。一人の少女の命を救うか、犠牲にして皆がやってきたこの成果を無駄にするか悩みに悩んだ。
研究者としてなら1人の命くらいどうでもよかったと思う。でもできなかった。何故なら彼はその少女の父親だったのだから。彼は研究者として生きるより親として死ぬことを選んだの。
次の日南極にいた組織の人間が『アダム』を目覚めさせるために『イブ』を稼動させた。『アダム』は『イブ』に反応して目覚めた。『アダム』は本能のままに仲間を生み出していく。ここまでは聖書の通りよ。
そうして『アダム』はこの世界の神へとなるべく自らが生み出した使徒と融合しようとした。そこでイレギュラーが起きた。
使徒との融合を『イブ』が阻止したの。
『イブ』には少女は乗っていなかったみたい。研究者は娘の代わりにあるプログラムを乗せていたの。魔法に例えるならそれは退化の呪文。使徒と融合される前に『イブ』という退化の魔法と融合してしまった『アダム』は卵へと戻っていった。セカンドインパクトはその影響だと思ってる。
「当時の記録は本当に残っていない。あの時全て消えてしまったから。運良く持ち出したデータも想像を確証に至るまでの証拠がない。残されたのは爆心地という名の未知なる領域と一人の少女だけ……ここまで話して聞きたい事は?」
「……誰でもよかったなら、どうしてミサトさんなんですか?」
やっぱりその質問なのねと小さく笑って答えてくれた。
「リスト候補の中にいたから、しか言えないわね。彼女の父親は調査隊の一員だった。上としては家族を一人呼ぶことくらい何とでも言い訳できるから扱いやすかった。彼も家族の絆を深めたかったからそれに承諾した、そんな感じじゃないかしら」
「偶然の中の必然というわけですか」
「えぇ、そして彼女に纏わる話はそれだけじゃないのよ」
ゼーレは『アダム』を失い痛手を負った。その弱みに付け込んで今までの研究を公表しゼーレの代行者という今の地位を確立したのが『人工進化研究所』えぇ、私が今いる場所ね。私達はE計画と言うプロジェクトを進めてきた。大変だったわよ。必要な資料はセカンドインパクトで消えるから数えられないくらいの失敗を繰り返してきた。
そんな状況に2年前、希望の光が生まれた。セカンドインパクトで失った『イヴ』のコアを回収できたの。奇跡に近い出来事だった。でも、これで飛躍的に研究が進んだ。寝る暇を惜しんで研究に没頭したわ。それから1年後、『イヴ』のコアを埋め込んだプロトタイプの零号機。そして魂のない初号機が生まれたの。
稼動実験の予定を立てながら研究を進めていくと『イブ』のコアには葛城ミサトのデータが残されていた。
このコアを使った零号機の操縦者はこの子しかいないと言う感じに。古いデータだから上書き不可能でそのまま実行か消去か2つに1つ。
「削除キーを押した時は研究者としてとてつもない後悔が生まれたわよ、そのおかげで実験起動まで1年延長したんだから」
「削除って」
「被験者は14歳から成長していたし、乗せたら乗せたでインパクトうんぬんの可能性を捨てきれないから」
「ううん、違うの」彼女は首を振った。
「それは建前の話。本音を言うと情が移ったわけね」
そして今まで合わせなかった僕の目を見つめてきた。自分の中の真実を伝えるかのように。
「葛城ミサトには興味も何もなかった、研究対象のモルモットくらいにしか考えてなかった。情が移ったのは貴方の方」
僕の方?そう聞き返そうとした。でも聞き返す前に彼女は話を続けていく。視線をそらさず。僕も彼女からそらすことができない。
「自分の息子にそっくりで、何かの為に一生懸命で、必死に守ろうとしてる。その守ろうとしているのが零号機の操縦者になりえるかもしれない子」
立ち上がって僕の方へ歩いてきた。その顔は女としてではなく、研究者としてではなく昔見たことのある優しい笑顔。僕は彼女の言葉で、捨てたはずの思いが胸に蘇ってきた。
「どっちをとるかで悩んで初めて、セカンドインパクトを引き起こした親の気持ちが分かった」
僕の前に立った彼女は懐かしさと暖かさに満ち溢れていた。思っていいんですか、貴女を母と思っていいんですか?
「あぁ、私も人の親なんだなぁと」
僕の手を握りしめた。涙腺が緩み、目に涙が溢れた。あの時流しきった、空っぽになったと思った涙は涙腺と言う蛇口をきつく閉めただけで捨ててはいなかったようだ。彼女の手から伝わるぬくもりできつく閉めた蛇口の栓はいとも簡単に開けられたのだ。
「遠回りしたけど、辿り着いた場所だから止めるとかあきらめるとかは考えられない。だから、これが私ができる最後の親心だと思って削除したわ。同じ研究している仲間に殴られたけどね」
いつか見たその微笑。いつ見たんだっけと思い出す。涙で視界がぼやける前にようやく思い出した。僕がエヴァに取り込まれた時『自分の進む道は自分で決めるのよ』そう言って僕をエヴァの中ではなく海の向こうの本来の世界へ優しく導いてくれた時に見た微笑だ。
「頑張りなさい、シンジ」
僕は抱きついて泣いた。今まで我慢していた思いを嗚咽にして吐き出した。母が僕を認めてくれた、息子として僕を認めてくれたのだ。
「ほら、泣くの止めなさい。一生の別れじゃないんだから」
「なんて言えばいいか分からないけど、」
「何も言わなくていいわよ。強いて言うならありがとうかしら」
「ありがとう」
「………まぁ、これからいろいろな修羅場を経験すると思う。だから、頑張っておきなさい。ここまでお膳立てしたんだから未来に希望がないと言わないで幸せになりなさい」
「うん」
「彼女、大切な人なんでしょ?」
「うん」
「じゃ、離さない様にね」
母は僕のおでこに優しくキスをしてくれた。それが20歳の僕に対しての母としての最後の仕事だった
ぬくもりをしっかり受け取った僕は今の正直な気持ちを伝えた。
「母さん、ありがとう」
04 避けられない出逢い
-2005年 某居酒屋街カラオケボックス店内-
「あれ、珍しいな」
「加持さん」
だよね、この人の名前。この人とは何度か飲み会で顔を合わせた事がある。何となく憎めない顔しててほっとけない雰囲気を出してて覚えていた。名前はうろ覚えだったけど。
「さんは要らないよ、今日は旦那のところにいかないのか?」
間違えてたらごめんと謝ろうとしたけどツッコミがなかったから苗字は当たっていたようだ。下の名前だけは未だに思い出せない。
前から誘われていた飲み会に参加して22時過ぎに一度お開きになった。
「葛城さん、今日も彼氏のとこ?」
今日の飲み会に誘ってくれたユキにシンジ君は元から彼氏じゃないんだけどなーと説明するのがめんどくさくて敢えて弁解せず。
「今日はとことん飲みたい気分なの」
と、珍しく2次会の誘いを断らず参加してみた。カラオケ店に行き部屋に入ると男女合わせて10人。女の子はみな友達だったけど男性は知ってるような知らないような顔の人ばかり。みんな酔っているので好き勝手やり放題。騒がしく食べ物を食べたりお酒を追加したり女の子にアプローチかけたり。マイクは友人のサチエと見知らぬ男性が『麦畑』を熱唱し独占していた。
ビールをチビチビと飲みながら体験したことのないこの空間をじっくり観察して様子を伺っていた所に加持さ…じゃなく加持君が割り込むように隣に座ってきて話しかけてきたのだ。
「旦那って誰よ?」
「いつも一緒の彼、確かゲーセンでバイトしてるっていう」
胸がズキンとした。あぁ、彼のことか。ユキと言い加持君といい周りでは私達の事を「彼氏」とか「夫婦」と称していたのね。毎回毎回飲み会のたびに思っていたけどそう言われていたら近寄ってくる男がいないわけだ。
「旦那じゃないわよ、ただの友人」
「別れたのか?」
あー、なんだろこの人。例えるなら土足で人のプライベートに踏み込んでくる感じ。私はムキになって質問に答える。答えたらこの場を離れよう。ビールを一気に飲み干し、立ち上がってトイレに一度逃げようと思った。
「別れる以前に付き合ってもいないし」
「なら、俺と付き合わないか」
答えて一気に飲み込んだビールを危なく噴出しそうになった。そしてなんとも間抜けた声で聞き返した。
「はぁ?」
「誰とも付き合ってないんだろ?」
「か、簡単に言うわねぇ」
「そうか?」
「うん」
「葛城にしか言わないよ」
その言葉に一瞬クラっと来た。私にしか言わないって、本当なの?弱った自分を認めたくなくていつもより大目のビールを飲んでいた私は彼の言葉に酔いそうになった。
「本気にするわよ?」
「いいよ」
彼の目が優しすぎて身を任せたくなった。いや、もう任せたい。そう、酔いに任せていいよね。もう忘れたいから、彼のこと。そのつもりで今日は新しい出会いを求めて参加した飲み会だし。そんな自分の内なる本音が脳内を駆け巡った。私は加持君の襟元を掴んで自分に引き寄せると唇に軽くキスをした。
「行こ」
「あ、あぁ」
目を大きく見開いた加持君を引っ張って私はこっそりと熱気に溢れるこの部屋から抜け出した。
ホテル代は高くつくと言ったら加持君のアパートがカラオケ店から近いと言うので店の前にいたタクシー拾って向かった。タクシーの中、私達は手だけ繋いでいたけど一言も話さなかった。
部屋に辿り着くと私は身に着けているものを全て脱ぎ、加持君を待ち構えた。私の迷いない行動に彼は少々気後れしていたけど肌と肌を重ね抱き合ったら立場は逆転した。初めての相手なのに私の全てを知り尽くしたかのような抱き方。私は初体験から1人の『男』しか知らない。加持君が上手いのか、それとも彼が下手であったのか。
「いや、そんな事聞かれても」
「不謹慎だった?」
「普通はな」
「ごめん」
「ま、あれだ。下手かは分からないが経験が少ないだけかもしれないし」
「という事は加持君は経験豊富なのね」
「こんにゃろ」
「あっ」
抱かれながら自分の思ったことを口にしてみた。他の男に抱かれながら彼を思い出す、なんて私は最低な女なのだろう。そう自覚しながら思った事をそのまま加持君に質問すると答えが返ってきた。返ってこない、厭きられると思っていたので意外だった。喘ぎながら加持君に「ごめん」と言うとキスで口を塞がれた。
こんな私を許してくれるの?
加持君の舌を自分の舌で絡みとる。唾液が流れ込んできた。アルコール、それと少し苦味の利いた味だった。きっとこの苦味は……煙草?。唾液を飲み込みながら唇を離す。
「煙草吸ってるの?」
「ん、あぁ」
そう言って彼は布団の上に手を伸ばし白と黒のラインが入った煙草の箱を見せてくれた。自販機でよく見かけるものだった。
「1本頂戴」
「いいけど、強いぜ?」
「うん、大丈夫」
加持君から貰った1本の煙草。加持君がジッポのライターを手に取り火をつけてくれた。私は煙草の先を火に近づけながら息を吸い込んだ。煙草に火がつくと口の中が煙でいっぱいになる。それを飲み込み肺を煙で満たし
「ゲフッ!ゴフッ!」
むせてしまった。こんな筈じゃなかったのに。隣の加持君は声に出してないけど笑っている。目に涙を貯めて必死で堪えてる。
「そんなに面白い?」
「いや、ごめん。……もしかして、吸ったことない?」
「………悪い?」
「なら、そう言えよ。ちょっと待ってろ」
加持君は布団から出ると扇風機のそばにある黒い旅行カバンの中から何かを取り出した。「ほらよ」と投げてきたものをキャッチし投げてきた物を見るとピンク色した可愛らしい箱だった。
「それなら弱いから吸えると思う」
こんなパッケージの煙草もあるんだとまじまじ見ると横の方に煙草の注意書きみたいなのが書いてあった。うん、確かに煙草ね。何故彼がこんな可愛い煙草を持っているのかと、少々似合わないんじゃないと疑問に思ったけどずぐに予想ついた。きっと前の彼女の忘れ物なんだろう。中を見ると煙草が半分くらい残っていた。1本抜き取りジッポのライターを借りて火をつけようとした。
カチャン、カチャン
景気の良い音は出るが火が一向につかない。何度も銀色の歯車っぽい所を回すけど音が出るだけ。もしかしてと加持君を見ると彼はやっぱり笑っていた。口元を手で押さえ声を押し殺しているけど目は笑っている。
「笑いたきゃ思いっきり笑うといいわよ」
「ま、怒るな。これはちょっとコツがいるんだよ」
私の手からジッポをひょいと奪うといとも簡単に火をつけた。なんか、ちょっとムカついた。彼が「ほらよ」って言うから「ふぁい」と煙草を咥えて差し出す。火がついたらさっきと同じように息を吸い込んで煙を飲み込んだ。今度は咳しなかった。
「葛城って、見て飽きないな」
「どういう意味よ」
私が断念した吸いかけの煙草は彼の口に咥えられた。二人で煙草を吸いながら天井を見上げた。寝煙草って危ないらしいけど目さえてるし1人じゃないし大丈夫かなと思った。
「なぁ、ひとつ聞いていいか?」
「なぁに?」
「ここの傷は?」
彼が指差したのは私の胸の傷。そうよね、裸になれば嫌でも目に付くわよね。胸の下だし、胸を揉んだり吸ったり抱く度に加持君の目はこの傷が写る。この部屋に入る前、この傷について少なからずとも聞かれると覚悟していた。聞かれたその時は適当にいい訳作ってごまかそうと考えたけど聞かれた今、口から出た答えは真実の言葉だった。
「ん、セカンドインパクトの時に、ね」
「そっか」
「醜いでしょ?」
「そんな事ない」
「いいの、気を使わなくても」
「あの時は生き残れただけ運が良かった。その時の傷なら勲章もんだよ」
「生き残ったら生き残ったで、それこそ地獄だったけどね」
「葛城はどこらへんで事故に遭遇したんだ?」
「東京よ」
事実は言わなかった。言うとあの時の事全て話す事になる。それだけは避けたかった。自分なりにあの日の出来事を乗り越えたと思ってたけどのセカンドインパクトの時の話ができないのはまだ自分自身トラウマを乗り越えてない証なのかもしれない。
「一番被害が大きかった場所だな」
南極から一番近い沖縄は沈没。南極から一番遠い北海道は水没・建物等の災害は日本の中で1番軽傷だったがその年の作物は全滅、1部の土地では二度と作物が育たなくなった。一番被害が大きかったのは日本の真ん中に位置する東京。大きい建物の大半が倒れ、道路が崩れ、人々は大パニック。都庁は壊滅状態になり死者は万、被害総額は兆を超えた。数年後、人々は日本の中心部を放棄し新しい都市を作った。東京を作り直すにはとんでもない予算と時間がかかる、新しい都市を作った方が早いと判断して『第二新東京市』を建設………と、ここまでが教科書に載っているセカンドインパクトの事実。
「うん、東京タワーとかあった場所。今は無いけど」
「建物が壊れるくらいならまだ良いほうさ」
まだ少し残っている煙草の先を指で握りつぶし加持君は言った。
「あの時、一番怖かったのは生き残った人達だろ?」
「………もしかして、誰か亡くした?」
『生き残った人達』と喋っている時の彼の顔は怖かった。私は復興されかけた日本に帰ってきたので災害当時どんな状況か全く知らない。逆を言えば襲い掛かる人がいない一番安全な場所に自分はいたという事になる。ただ、安全と引き換えに失語症になって情報を一切得られない状況だった訳だったけど。
加持君の怖い顔に秘められた思いを自分なりに考えてみた。加持君は自分が言う生き残った人達と一緒の立場じゃなかった?彼自身何をされたのか?自分に何かされた?いや、自分の大切な人達が生き残った人達に何かされた?
「………両親をな。生き残ったのは弟と俺」
何通りか考えた回答の1つを聞いてみたら正解だった。あまり嬉しくない当たりだった。私はこの話題に対しての会話、これ以上はやめようと口を閉ざした。でも、加持君の方が喋るのを止めなかった。
「浮浪孤児だった時、軍の倉庫で食料泥棒した時見つかって……弟は銃殺された」
災害じゃなく人の手で身内が殺された。生き残るためとはいえ泥棒という犯罪を犯した少年は同じ人間、生き残った人の手で処罰された。どんな状況だったか分からないけど少年が犯した罪に対して適切な罰じゃないと思う。加持君は自分の手で守れなった弟を心に一生抱えて生きていくんだ。私と同じように。
「……そっか。加持君も身内いないんだね」
「葛城も、か」
「お父さんは帰らぬ人。お母さんは」
父の事を語るのはまだ怖いけど、母の事なら語れるかもしれない。誰にも話した事のない母について、聞いてくれる?
私が母の死を知ったのは1年前のことだった。
私が中学生になって数ヵ月後のある日の朝、母は「いってらっしゃい」と私を見送ってくれた。なんの変哲も無いいつも通りの朝だった。
夕方、学校から帰ってきて「ただいま」と言うと返事は無かった。「お母さん?」と言いながら茶の間に行くとテーブルに書き置きがあって『今日は用事で遅くなります、夕食にコロッケ冷蔵庫にあります』と書いてあった。冷蔵庫を開けるとちゃんとコロッケがあった。
母の書き置き通りにコロッケをおかずにして夕御飯を食べて宿題をしながらテレビを見てそろそろお風呂に入ろうとお湯を沸かしていた時、玄関が開いた音がした。母だと思って玄関へ向かうとそこには父がいた。母より父が先に帰ってくるなんて珍しいと驚いた。父は私の姿を見ると「ミサト」と呼んだ。「どうしたの?」と父に近寄ると抱きしめた。背骨の骨が折れるかと思うくらい強く抱きしめた。「痛い、痛いよ!」と泣きが入った声で訴えたが父は離さなかった。
次の日になっても母は帰ってこなかった。次の日も、その次の日も。1週間後、ようやく父は『母さんは出て行った』と話してくれた。あぁ、そうか。私は母に捨てられたのだ。そう思った。
母が出て行った理由について父に何度か聞いたけど「大人の理由で」と帰ってこない理由について最後まで教えてくれなかった。
私は何となく分かっていた。母は研究に没頭し家庭を顧みない父に愛想をつかしたんだろうと。母は機嫌が悪いといつも父の愚痴を話していた。「いつも家にいない」「自分の好きなことばかりして」「いいわよね、男って」毎回、同じ事を言っていた。愚痴だけでは飽き足らない時は私に「宿題しなさい」「ゴミはゴミ箱に入れなさい」「何で言うこと聞かないの」と私に当たってきた。手を出してきた時もある。母は機嫌が悪いときだけ自分の不満を言葉や行動にしてストレスを発散していた。
普通の時の母は元気で調子が良くて抜けてるところがある普通の人だった。テストの点数が良ければ自分の大好物を作ってくれて、運動会で一等取ったら父に代わって高い高いしてくれて、縁日の時はピンクの浴衣を必死で着付けしてくれる優しい母だった。
きっと母は機嫌が悪くなり、自分の不満を聞いてくれる人がいないので家から出て行ったのだ。機嫌が良くなればひょっこりと帰ってくる。絶対に母は戻ってくる、と信じた。
だけど、母は二度と私の前に姿を現すことはなかった。
父は母がいなくなる前と変わらず仕事が忙しくて毎日は帰ってこなかったが。でも、母がいる時は1週間に1度の帰宅ペースだったけど4日、いや3日に1度は家に帰ってきて私の顔を見て喜んでいた。私も父が定期的に帰ってくれて嬉しかった。けど次第に憎くなっていった。母がいる時に同じ事をしてくれれば母は出て行かなかったかもしれないのに。父が不甲斐ないせいで母はいなくなったのだ。何を今更謝罪するかのように私との交流を求めるの?母が帰ってこない日数が経てば経つほど一方的に父が悪いと思い込むようになり父の事を嫌いになっていった。
「反抗期」
「ん?」
「子供の反抗期みたいな」
「……そうだったかも」
父の優しさに素直に甘えれなかった。甘えれず反発して憎んだ。加持君の言うとおりその時の私は『反抗期』だったかもしれない。そうして、セカンドインパクトを体験して父を亡くし、何とか立ち直って大学受験して晴れて東大生となったのだ。
「東大生なのか」
「うん」
「てっきり長大かと」
「何、加持君はどこよ」
「関院大」
同じ大学じゃなかったんだ。通りで学内で見たことないと思ったわけだ。関院大もそういえば東大と同じく移転して長野に建ったと聞いた。関東、主に東京の大学は山梨や長野などに分散しているから東京にあった大学が今何処にあるかあまり詳しく知らない、そうか関院大は長野にあるんだ。そういえば今度静岡の方に第3東京都市ができるとか聞いたような気がする。
「頭良いんだな」
「それしか取り得なかったし」
加持君が私の頭を優しく叩いた。「ちょっと、頭が悪くなるからやめてよ」と言うと「それくらいが可愛いよ」と返ってきた。加持君ってほんと、女のツボを抑えた言葉上手いわよね。叩いた手で頭を撫で、笑ってる彼を見て誰かを思い出しそうになった。
シンジ君?いや、違う。
「加持君」
「ん?」
「もう一回しよ」
「好きだな」
「いいでしょ?」
私はまた、彼の腕の中で溺れた。私が好きと言うと彼も同じように好きと返してくれる。一方通行じゃないと教えてくれる。
母が死んだのを知ったのは1年前のことだった。
授業が終わった後、講義に来ていた別大学の教授に呼び出された。父の知り合いだったそうで私の名字で「もしかしたら」と声をかけてきたのだった。全く知らない人から父の事を聞かされた。家では寡黙な人だったが仕事の時はとても頼りになる人だったらしく「お世話になりました」と何度も言って来た。そんなお礼は父に言って欲しかったが父はこの世にいない人。大学教授の言葉を受け止めながら自分の知らなかった父の姿を想像した。
「でも、大変だね。お母さんもお父さんも亡くして」
「………母が死んでるっってどういう事ですか?」
「え?」
母は家を出て行ったものだと聞かされた。何処かで生きているのだろうと思っていた。
「いえ、すいません。母は家を出て行き離婚したと聞かされていたので」
「あぁ、ごめんよ。かなり前に亡くなったと聞いたんだよ。」
母はもうこの世にいない。あの日の「いってらっしゃい」が母の最期の言葉だったのだ。
「離婚した後に亡くなったのか、セカンドインパ……」
そこから、大学教授の言葉は頭に入ってない。記憶が途切れている。
気づいたら保健室にいた。シンジ君が心配そうに私を見ていた。どうやら倒れたらしい。私はシンジ君に支えられながら家に帰った。何もする事無くぼーっとしていた。何も考えたなかった。考えれば考えただけ辛くなるって知ってるから、だから何もしない。自然に癒えるのを待つ。
「そういえば、今日来ていた大学教授と何を話していたの」
シンジ君は私を心配して聞いたのだと思う。その話をしていた時に私は倒れたのだから。でも、その質問が私を崩壊させるスイッチになった。教授との会話を思いだし「世界に一人ぼっちになった」と嘆いた。「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」何度も謝罪した。隣にいたシンジ君にしがみつき自分がどれだけ悪い子だったのか白状する。
お母さんがいなくなって、ちょっとほっとしたんだ。もう怒られる事ないって。
自分の事で精一杯でお母さんの事忘れてた時あったんだ。
お母さんを亡くした事に悲しいんじゃないの、自分が寂しいから泣くの。
そんな自暴自棄になった私をシンジ君は慰め、あの時の私に欠けていたぬくもりを与えてくれた。何度も私の名前を呼び、私も彼の名を呼んだ。「愛してる」の言葉はを数え切れないくらい言われた。言われるたびに悲しみと虚無感が薄れ、幸せ色が濃くなっていった。
起きた時、私はまた、言おうと思った。好きだって。でも、その言葉は打ち消された。先に起きていた彼がすごく辛そうな顔をしていたから。
あれだけ、愛してると言い合ったのに、抱きしめてくれたのに……どうして、そんな顔をするの?
でも、聞けない。いや、聞けなかった。聞いたら、彼がいなくなってしまいそうで。
だから、
「おはよ」
何も無かった事にしたのだ。
「どうしたの?シンジ君、目が真っ赤よ?」
それから、何度も彼に甘えては肌を重ねた。けど、あれから「愛してる」の言葉を聞いた事はない。一度も。あの時の判断は間違えていたのだろうか。一夜限りの夢の幻想だったのだろうか。それを確認したくて抱きついて同じ事を繰り返す無限のループにはまる。
◇
そんな永遠に続くかと思われた無限のループが崩れ落ちる日がやってきた。予想しない時に。
その日、講義が潰れたので私はシンジ君に逢いに行った。彼は教室にいなかった。この時間なら彼も講義入ってない、待ち合わせの時間までシンジ君もこの大学の何処かで時間をつぶしている筈だと探した。最初は図書館。いつもここで待ち合わせする、けどいなかった。こういう時、発信機か連絡手段あるものがあれば便利なのになと思いながら次は食堂、次は中庭、エントランスとどんどん範囲を広げて探した。
思いあたる場所は全部探したけどいなかったので今度は教室を探した。使われて無い教室で静かに勉強してるかもしれないと。廊下を歩きながら使われて無い教室に近づき窓から教室を覗く。誰もいないと確認して次へ進む。かくれんぼの相手を探すのに似ていた。ここまでして彼を探すこと無いけど、暇つぶしだからと今歩いているこの棟の教室を探して見つからなかったら食堂で待ってよう。そう思ってまた、教室を覗いた。
誰かと誰かが抱き合ってた。
あちゃ、密会に遭遇した。と、すぐに窓から離れた。離れて「あれっ?」とさっきの場面を思い出した。誰かと誰かが抱き合ってた。私はその1人知ってる気がする。
恐る恐るまた窓を覗いた。
まだ、2人は抱き合ってた。女の人に男の人がしがみつくように抱きついていた。男の人の着ている服、見たことある。髪の長さや色、見覚えある。
男の人が顔を上げた。
嘘、
知ってる、
い
や、そん、なっ………
彼は泣いていた。見たことの無い彼の姿。泣きながら何かを2人は話している。そして彼は笑った。私じゃない、抱きついた女性に向かって。窓越しに見た彼の笑顔、今まで見たこと無かった。泣いた顔、笑った顔、どれも初めて見るものだった。
私は絶望的な敗北感を感じた。彼にとっての私の価値観の答え。昨日、眠りに着く前に願った思いは叶わない。本当の答えは見つけてしまった。私は何処かでルートを間違えてバッドエンドにたどり着いたのだ。小説の主人公は願えば自分の世界を造れたがリアルの世界ではそんなこと無理。進んでしまった時間は巻き戻せない。
シンジ君が私のたった1つの質問に答えてくれなかったのは彼の心の中に今目の前にいる女性がいたから?私は二股かけられてた?そして選んだのは私じゃなくその女性?考えれば考えるだけ自分がむなしくなっていく。私は事実を確かめる事無くその場から逃げるように走り去った。負け犬のように。
それからアパートには一度も帰ってない。友達の部屋を転々巡り今は加持君の部屋にずっと滞在している。学校にも行かず、ずっと布団の上で加持君を求めた。私の傍にいて、としがみ付き甘えた。
「なぁ」
「なに?」
「下の名前で呼んでいいか?」
「………………」
「ダメか?」
「ごめん、今は名字じゃダメ?」
「…あぁ、いいよ」
「…加持君って優しいわよね」
「そうか?」
「うん、優しい」
彼とは違った優しさ。等身大、いやそれよりも一回り大きい安らぎを感じる。なんでも見透かしたような眼差しで私を見る。全て見透かされてると思ったら、たまに見当外れな時もあって憎めない。「もういいんだよ」そう言われると今まで頑張ってきた自分が認められたような気がした。
煙草を覚え、短い期間で数え切れないくらい体を重ねた。シンジ君と一緒にいた時に感じていた不安はない。求めていた『愛』というぬくもりは手に入った。
でも、何かが足りないのだ。加持君に対して?それとも自分に対して?何が足りないか分からず彷徨う欲張りな私。求めていたものが手に入ったらそれに満足せず次を求める。人間という生き物は本当に欲が強いものだと自分を通して実感した。
◇
勉強しない、御飯はジャンクフードで。扇風機に当たりながら丸裸で1日の大半を寝るに費やす。原始時代の人類に近い生活スタイル。いや、原始人より性質が悪い。何故なら彼らは自分の生活を賭けて獲物と戦い生きていたのだ。私達、ううん、私は欲望に身を任せ堕ちるとこまで堕ちようとしている。私は暗闇へ堕ちていきながら不思議な夢を体験した。
足元に広がる水場に立つ自分。足元に何かが光った。しゃがむと小さな断片を見つけた。綺麗なので両手で掬おうとしたけど指と指の間からするりと滑り落ちる。足元に落ちている断片を何度も掬う、けど後ちょっとのところで落としてしまう。そんな行動を何度も繰り返す。求めるモノはすぐ傍にある、だけど拾えない。気付けばちょっと離れたところに加持君がいた。彼は黙って私を見守ってる。「大丈夫、お前ならできるよ」そんな目で私を見守ってる。うん、分かった。頑張る。この断片を拾い上げて組み合わせる。だから、そこにいてね。傍にいてね。
シンジ君から逃げて、現実から逃げて今の私には加持君しかいないの。逃げて逃げてたどり着いたこの場所が私の居場所。私にはもう、どこにも行く場所ない。
目が覚めてやけにはっきりと覚えている夢を頭の中で再生していく。ゆっくりと再生している時、隣で寝ていた加持君が起きた。寝ぼけた目だったけど私を見ると夢の中と同じように優しい目になった。
「――ねぇ。しよ」
「またかぁ、今日は学校で友達と会うんじゃなかったっけ?」
「ん、ああ、リツコね。いいわよ、まだ時間あるし」
「もう一週間だぞ。ここでゴロゴロし始めて」
「だんだんね、コツがつかめてきたのよ。だから、ね。」
集まった断片をジグソーパズルのピースにして組み合わせる。ピースが組み合わさり徐々にできていく自分と同じくらいの大きさのモノ。まだピースは全て埋まっていないけど、分かった。そう、これは鏡。自分の姿を映し出す鏡になるのだ。どおりで断片がきらきらと綺麗に光ってるわけだ。
「多分ね、自分がここにいる事を確認する為にこういう事するの」
何1つ欠ける事無くこの『鏡』ができた時、私は本当の自分と対峙できるだろう。鏡に映る本当の自分、どのくらい汚れて醜いのだろう。それを見た私はどんな未来を想像するのだろうか。私は私自身と向き合う為にまた1つ断片を拾い上げ組み合わせていくのであった。
05 さよなら恋心
「母さん」
「リッちゃん」
土曜日のお昼過ぎ、私は母に逢いに行った。母は筋金入りの科学者で家庭を顧みず研究所に入り浸る人。幼少期は母の帰宅を何日も待ち続けて喋りたかった内容を忘れてしまう事が何度もあった。だから母と会話する時はこちらから職場に逢いに行った方が早い。
一週間ぶりに逢った母と子の会話は互いを心配する内容だった。御飯はしっかり食べているか、ちゃんと寝ているか、煙草は吸い過ぎてないか?母が一つ言えば「大丈夫、そっちこそ大丈夫なの?」と聞き返す。私の逆質問に言葉を濁らせるので母は昔と変わらず不規則なリズムで仕事をしているようだった。
「そういえば、進路はどうするの?」
「そう、その話をしにきたの」
母からその話題を出してくれて助かったと思った。自分の口から進路について語るのは勇気がいる。母の思っていた進路と私の目指す進路が違うと分かっているから尚更言えなかった。女手ひとつで私を育て大学まで行かせてくれた母。その思いを裏切るのが心苦しかった。私の進路は大学卒業しても就職せず、もう数年追加して今の母から養われる関係を続けるという事になるのだから。寄生虫みたいなものである。どのタイミングで言おうか機を計っていたがいつもの親子の会話に甘えて流されて言い出せず。まだそんな事思うのは早いから言わなくてもいいと自分に言い訳して今日も言えず終いになるかもしれないと思っていた。
多分、この機会を逃せば永遠に自分の思いを言えなくて母の思い描いている人生設計図の通りの道を歩む事になるだろう。それだけは嫌だ。だから、やってきたこのタイミング、失いたくない。私は意を決して自分の思いを伝えた。
「大学院に行きたいの」
「……ゲルヒンに就職してお母さんの後を就いてくれるかと思ったのに」
「就くって、まだ世代交代じゃないでしょ?」
「今、開発しているシステムのプログラムが難しくてね。リッちゃんが協力してくれたらいくらか楽になると思ってたんだけど」
私と目を合わせてにっこり微笑む。私は母からの視線から目を背けたくなった。でも、逃げない。逃げたら私は一生後悔すると思うから。一流の大学に入って研究所に入り母の背中を追う人生ではなく、自分が選んだ道を歩む人生を送りたい。私は母の微笑みに負けないように自分も微笑んだ。「ごめんね」と言う意味を込めた微笑だった。
「母さん」
「・・・…ん、冗談よ。自分の進みたい道進んでみなさい」
「ありがと」
「己の道を究めなさい」
「うん」
冗談と言った母の言葉は嘘だろう。いつも人手が足りないと愚痴をこぼしていた。母が作っているのは3つの思考を論議させ正しい解答を導きさせるシステムらしい。複雑な回路パターンを1つずつ組み立て不具合が無いかを確認。1つでも不具合を見つければ全てやり直し。見つけた時のシステムに関わってるチームメンバー全員の絶望した表情、仕事場では気丈に振舞っているが家では行き場の無い失望感を酒にぶつける堕落した母の姿を何度か見てきた。自分がどれほど役に立つか分からないけどそんな母を支えたいという気持ちに嘘は無い。でも、その理由で自分のやりたい事を諦めるいう事とが違うのだ。母の思いを叶える為に自分の夢を犠牲にするのは未来の自分が私を許さないだろう。
未来で今の私を後悔させない為にも本当の意味で母の手助けになれる人間になれるよう、もう少し私は「子供」として学ぶ道を選択する。前の私だったら早く「大人」になって社会に旅立ちたいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけで人間というものは考え方が180度変わるものね。
「ナオコ君」
「碇さん、冬月先生」
「研究は捗ってるかい?」
振り向けば2人の男性が立っていた。白髪の男性と黒髪の男性。二人とも白衣を着ている。私はすぐに誰だか分かった。白髪の男性は冬月さん、黒髪の男性は碇さん。碇さんはこの研究所の所長で冬月さんは副所長。歳を考えれば冬月さんの方が上司な筈なのだがここではそれより10歳くらい若い碇さんが上に立っている。体育会系は実力主義、能力が認められればレギュラーになれる。真逆にインテリ系は能力が認められればすぐに先輩に喰われる。先輩の出世の肥やしになり、自分が先輩という立場になった時後輩に同じ事をして出世していく。この考えは母の研究者としての人生を参考にしている。
余談だが母が自分の研究人生を振り返って語った時最後にこう言った。
『研究が喰われたと言う事は自分の考えは間違ってなかった。認められた事。だから訴えることせず諦めず研究に打ち込んだ。いつか自分の光が差し込む日を信じて』
私が母と同じ道を歩みたいと思ったきっかけはこの言葉からだったと思う。
「ぼちぼちです」
「リツコ君来てたのか」
「こんにちは」
碇さんが私に声をかけてくれたので挨拶をした。そう、冬月さんはすぐに私の名前を覚えてくれなかったけど碇さんは次に逢った時から名前で呼びかけてくれた。それが少し嬉しかった。ここの研究所にいると「赤木リツコ」と言う名前より「赤木ナオコの娘」の肩書きが強くて皆なかなか覚えてくれなかったから。
それから碇さんの事を目で追うようになった。母にさりげなく聞いたりして少しずつ碇さんを知っていった
年齢が20歳離れている
綺麗な奥さんがいて子供もいる
母とは冬月さん経由で知り合った
口元を隠す癖がある
実は老眼である
毛根が気になっていて冬月さんに言われると拗ねる
あまり家庭の事は話さない
母は碇さんに恋をしている
いや、愛人である
この事実に気づいたのは母が碇さんを見ている目が私と同じだったから。知りたいという事は良い点も悪い点も見えてしまうということ。目で追わなければこの事実に知ったとしても憎しみとか苦しみは生まれなかっただろう。
人を観察して自分の気持ちに気づいた。そしてこの思いは最悪な結果を招かない限り報われない。母と同じ人を好きなり、母と同じ道を歩む事に嫌悪感を抱き、でも諦める事が出来ない。悪循環がぐるぐると回る自分の考え。ぐるぐる回るたびにどす黒いものが自分の中で大きく育っていった。月日が流れ成長した黒いものは醜いものへと変貌し自分では抑えきれなくなっていた。何かの弾みで吐き出してしまう。でもそれは駄目、吐いたら自分の手で最悪な結果を引き起こしてしまう。
誰かを殺めてしまう。傷つけてしまう。
わずかに残った理性で自分をコントロールして生きていた。
そんなある日、とうとう吐き出してしまった。
吐き出した場所は母の前でもなく碇さんの前でもなく、2人の友人の前。
◇
自分の闇の部分を曝してしまう醜態を彼らに見せてた。
どうあがいてもあの人を自分のモノにできない苛立ちと信頼と絆で結ばれた二人の関係を妬んだのだ。
怒鳴るだけ怒鳴って後は野となれ山となれ、嫌われたっていいと自分の思いをぶちまけた。
彼女は驚いた顔をしていた。無理もない、それが普通の表現である。
しかし、彼は違った。
彼は彼女がいる前で優しく抱きしめてくれたのだ。
『何故私に抱きつくの?優しくするの?』
突然の事で何がなんだか分からず混乱していたら今度は後ろから彼女に抱きしめられた。
私は二人に包み込まれるように抱きしめられたのだ。
自分の思いは報われないと思っていた。だけど二人に抱きしめられ認められ、私は今まで抱えていた醜い感情を切り離し二人の中で思いっきり泣いた。何かのスイッチが入ったかのように。
あの時を振り返る度に人の痛みを理解して包み込んでくれた彼の懐の大きさには感服する。
彼の優しさに異議を唱えず、同じように包み込んでくれた彼女の愛の暖かさを思い出す。
◇
「それにしてもリツコ君は見かけるたびに綺麗になっていくね」
「そんな事ないです」
「お母さんそっくりだよ」
「そうですか?」
「いや、ナオコ君より綺麗かもしれない」
「碇所長、そんなに娘を褒めないでくださいよ」
冬月さんのお世辞は聞き流したけど碇さんのお世辞に反応しちょっとした異議を唱えた母。その母の言葉が微妙に棘っぽく聞こえたのは気のせいじゃないかもしれない。母も気づいていたのだろう、私の恋に。同じ遺伝子が組み込まれている私と母。気づかない方が無理な話。内心、私が大学院に行くと聞いてほっとしたのではないだろうか。これ以上ライバルを彼の傍に置きたくない、同じ状況だったら私はそう思うから母も同じこと思ったはず。
でもね、大丈夫よ母さん。
もう、胸は苦しくない。胸はときめきを奏でない。
さよなら、私の初恋。私はどす黒いあの感情を完全に捨て去る事ができたのだから。
◇
研究所から出て時計を見ると待ち合わせの時間まであと30分だった。遅刻すると急いでタクシーを捕まえて大学へと向かう。タクシーに乗れば大学まで15分でつく。自分から待ち合わせに遅れる心配はなくなったと安心して、別の心配をした。
あれだけしつこく待ち合わせしたけど、本当にミサト来るかしら。
1週間前から大学に来なくなったミサト。シンジ君を捕まえて事情を聞くと「知り合いの家で何かしてるみたいです」としか答えてくれなかった。何かしてるって学校の単位とか犠牲にしてもやり遂げなきゃならないこと?シンジ君はそれでいいの?と聞くと「仕方ないんじゃないですかね」と明確な答えを出さず逃げるように去っていった。なんなの一体、二人に何があったのだろうか。
私はシンジ君を追及するより口が軽いミサトから全ての事情を聞きだそうと考えた。きっと悪いのは9割彼女の方だから説得して仲直りさせよう。これに関しては私の個人的な事情が含まれている。自己中心的な考えだけど二人がワンセットでいないとなんだか落ち着かないのだ。シンジ君一人だと今にも消えそうで、ミサト一人だととんでもないことをしそう。二人が一緒で互いのバランスが成り立つ。そんな二人だと思っていた。だから二人が喧嘩して仲違いになっているのなら修復してあげたい。きっとそれが私を救ってくれた二人への恩返しになるのだ。
大学に辿りつき代金を払ってタクシーから降りると待ち合わせ場所の校門前には誰もいなかった。ミサトが遅刻するのは予想内。私はカバンから眼鏡ケースと一冊の本を取り出して読みかけのページを開き、眼鏡をかけてミサトが来るまで続きを読む事にした。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
赤い海を僕らは眺めていた。変わり果てた世界を眺めていた。耳を澄ませばアスカの息がか細く聞こえる。生きているだけで精一杯な彼女。僕はそれを見ているだけ。サードインパクトを起き、この世界が生まれた。目の前に広がる赤い世界。アスカはどんな手を施しても死ぬだろう。ただ死を待つのみの人、僕はこのままどうすれば良いのか。アスカを救うにはどうすればいいのだろう。
そんなの決まっている。
世界を望めばいいんだ。
母さんが言った。「あなたが望めばそれはどんな世界にでもなりゆる」と。だから望むんだ。
絶望した世界か
希望溢れる世界か
ありえなかった世界か
僕が1番望んでいる未来を選ぶ時。
アスカをその場において僕は赤い海へ歩いていく。アスカは微動だにしない。元から動けないからその場にいるの?
いや、違う。
彼女は僕と共に生きる事をこの世界では拒んだから動きたくないんだ。彼女が僕と共に行きたいのなら指一本でも動かせばいい。でも、彼女は動かない。
それは拒絶
さよなら、アスカ。そう、この世界のアスカに心の中で別れを告げた。
立ち止まる事無く僕はずぶずぶと水の中へ進んでいく。陸が続く限り歩みを止めない。僕の体が胸まで水に浸かった時、いきなり陸が消えた。ドブンと水の中に潜る。赤い水を一気に飲み込むいつまでたっても慣れない血の味を肺に浸透するように飲み込むと息が出来た。この赤い水はL.C.L。エヴァに乗る際いつもエントリープラグに注ぎ込まれる命の水。エヴァと僕の神経を繋ぐ為に必要な液体。
そして今は人類補完計画にて進化を遂げた、人でもある。
『やはり、ココに来たのね』
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「リツコー!」
物語の良いところで私の名前が呼ばれた。本当タイミングが良い人ね、と皮肉った意味で思った。眼鏡を外しケースにしまう。眼鏡ケースと共に本をカバンにしまい左腕の時計を見た。待ち合わせから15分の遅刻。ミサトにしては早い到着だったわね。急ぐこともなくゆっくりとやってきたミサトに声をかける。
「ミサト、遅いわよ」
「ごみーん」
「まったく、貴女はいつ……」
顔を上げて文句の一つ、いや五つ、それ以上を言ってやろうと思った。が、言葉が詰まった。手を合わせ謝っている彼女の顔を見てびっくりしたのではない。彼女の隣にいる男性の顔を見てびっくりして言葉が詰まったのだ。
「あ、紹介するね」
そこにいる男性はシンジ君ではなかった。長髪の髪をひとつに縛り、無精ひげを残し、ミサトの肩に手をけへらっとした顔で私を見て笑いかけた。ミサトは隣にいる男性を自慢するように紹介してくれた。
「加持君、今付き合ってるんだ」
06 捕らわれの未来
田代という名前と平仮名にすると『白』と言う音が入っている。そういう理由でこの名前が好きである。真っ白な自分、純粋になれたような気がするから。まぁ、実際は悪どい人間社会にたっぷり染み込んでいるので純粋ではないのだけど、それでも自分はまだ淀んだ道を歩んでないと信じたかった。この名前で呼ばれている限りは。
◇
私、田代が今いる場所は駅地下にある居酒屋チェーン店。ゲーセンでの仕事が終わった後、シンジ君と2人に飲みに来た。今日で彼はゲーセンの店員を辞める。いや正確に言うとつい30分前、仕事を終え店長の机に書類を置き裏口を出た時点で彼はゲーセンの店員と言う肩書きを失った。
半月前に私と店長の前で『仕事を辞めたいです』と言った彼。店長が理由を聞くと『大学を辞めて実家に帰るので』と事情を述べた。それは仕方ないなと店長はそれ以上詮索しなかった。私もその事情は嘘だろうと知りながら本当の辞める事情について詳しく聞くということはその場ではしなかった。
それから1週間後、他のメンバーや店長に声をかけて送別会やろうと企画した。彼は『大げさにしなくていいです』と送別会を拒んだ。それは寂しいじゃないかと言ったら『他の人とまともに話した事無いですし…』ともっともな理由を述べた。
「なら、私と飲みに行こう」
縁があって今日まで続いた私達の仲。「まともに話した事無いから断るなんて言い訳は通用しないぜよ」と言ったら「ぜよって何処の言葉ですか」とツッコミながら観念したようにうなずいた。
私は入店して即生2つを注文。今日はとことんシンジ君と飲むつもりである。ウーロン茶なんか頼んだら承知しないんだぞ、と脅迫っぽく言ったら「大丈夫ですよ」と笑った。
「それでは、シンジ君の門出を祝ってぇー」
「門出って」
「いいからいいから。ところでシンジ君が働いたのどのくらいだっけ?」
「3ヶ月ですね」
「短いけど、社会勉強にはなったでしょ?」
「はい」
「……あぁ、惜しい人を失うなぁ」
「まだ、死んでませんから」
「ま、ま、とりあえず乾杯!」
「乾杯」
私達は店員が持ってきたビールジョッキを持ちカチンと合わせて乾杯した。
それから私達は仕事の話を中心に会話を繰り広げた。常連の客の面白エピソードとか閉店ギリギリまでいる人はいつも一緒で参るとかの愚痴を言い合う。「店長の机はオタクグッズで溢れててどうにかして欲しい」と言ったら「1つくらい無くなっても分からないかもしれないから売りましょう」と冗談なんだろうが熱く語るシンジ君。私達はつまみに頼んだ軟骨のから揚げや焼き鳥とか食べながら少し速いペースでビールを頼んでは飲んでいく。私はたまに熱燗1本を頼んだりシンジ君は途中からビールを止めて酎ハイやカクテルを頼んでいく。
飲みを初めて1時間半、そろそろ私は本題に入ろうかとある人物について聞いてみた。
「そうそう、ミサトちゃん元気?最近見てないけど」
「多分、元気ですよ」
「多分?」
「……田代さんなら全部知ってるんじゃないんですか?」
「いやいや、プライベートはよっぽどの事が無い限り踏み入れない主義ですよ」
「じゃ、今、この場はその『よっぽどの事』なんですね」
一区切り置いた後、シンジ君は言った。
「岩木さん」
田代ではなく岩木と呼ばれ、自分の心の1番目の鍵が外れたような音がした。ジョッキに入ってる残りわずかのビールを飲み干し、呼び出しボタンを押す。赤いジャケットのポケットから煙草を取り出し「シンジ君」と名前を呼ぶと「どうぞ」と返事が来た。私は1本取り出し口に咥え火をつけた。
「はい、ご注文伺います」
女の店員がやってきたので注文を言う。とりあえず適当につまみも頼もうとメニュー表を見ながら自分が食べたい物を片っ端から頼んだ。
「生1つ。後、たこわさびときゅうりの1本漬けと玉子焼き1つ」
「僕はカルーアミルクで」
「以上で」
「はい」
店員が去っていき煙草の煙を吸い飲み込んだ。そしてため息をつく。
「……久しぶりね、その名前。3年ぶり?」
「僕が南極に行く前ですからそれくらいですね」
「…名前変えた時、全てを捨てたつもりだったけどなぁ」
「そんなこと、言わないでください」
ごっくりごっくり、残っているカクテルを一気に飲み干したシンジ君は悲痛を訴えている表情を浮かべ自分の気持ちを吐き出すかの様に喋った。
「岩木さんとの2年間がなかったら僕は死んでいたかもしれません」
◇
ミサトちゃんと私の出逢いは2年前の児童擁護施設である。
が、シンジ君との出逢いはそれよりも前である。
あれはセカンドインパクトが起きて1ヵ月後の事だった。昔からの友人が1人の少年を連れて訪ねて来た。あれ、私の住んでる場所教えたっけ?と言う質問に答えることなく友人は「この子をよろしく」と私の部屋に置いていった。
因みにその友人というのは中学からの友人で『とても頑固な性格』な人である。それ以上語ると長くなるので割愛する。
一人の少年――シンジ君が自分の事を話してくれるまで長い時間がかかった。一緒に生活して少しずつ彼の事を知っていき、私の事を話して心の扉を開き彼自身の事を語ってもらう。それは一種のカウンセリングみたいなものだったのだろう。医学の知識を齧った位しか知らなかったのでマニュアル通りのカウンセリングじゃなかったと思うが。
その時シンジ君が話した体験談は空想に満ち溢れたアニメのような内容だった。エヴァと言う機械に乗って未知の生き物と戦う話。しかも物語はハッピーエンドじゃなかった。その話をこれから起こる事実として信じろと言うのは難しい事である。
しかし私は彼の話を信じた。信じなければ彼がが今ここにいる事を否定することになるのだから。
友人が私にシンジ君を預けたのは彼と向き合える人物だと判断したからだろう。私は友人に良い様に利用されているなぁと思った。今更の話じゃないけど。
◇
「死ぬなんて大げさすぎじゃない?」
「大げさじゃないですよ。僕がやり直したかった日は第三東京市に来た日だったのに15年も前の世界に飛ばされたんですから」
「15年前に飛ばされたのは君にしか出来ない事があるからじゃない?」
「その言葉に半分救われました」
「半分か」
彼はこの世界に飛ばされて悩んだのだろう。何故自分が存在しないこの世界に飛ばされたのか。悩み、苦しみ、考えて彼は2つの答えを導いた。
1つは自分の母親から真実を聞きだし向き合うこと。
「残りの半分は、岩木さんがミサトさんに似ていたから。似ていたから気づいたんです」
もう1つは『葛城ミサト』を救うこと。
生ビール2杯とカクテルと酎ハイのアルコールはシンジ君の口をいとも簡単に軽くしてしまった。酔いに任せて自分の内なる思いを次々と喋っていく。お酒で口が軽くなるならシンジ君に出会った頃にこの手が使えればすごく楽だっただろうなと思った。
「そんなに私とミサトちゃん似てる?」
「えぇ。似てるというより、ミサトさんの元が岩木さんなんだなと最近思います」
店員が運んできた飲み物が目の前に置かれた。私は一口飲む。今まで飲んだ中で一番苦味を感じた。シンジ君はグラスに入ったカクテルを一気に飲み干す。見ている私は「大丈夫?」と心配する。シンジ君は大丈夫と答える代わりに私の質問に1つ答えてくれた。
「ミサトさんはある男性の元にいます」
「断定なのね」
「知ってますから」
「……で、シンジ君はこれでいいんだ」
「僕はもうじきこの時代から消える人間です。ミサトさんを幸せにする資格なんてないんです」
『ヘタレ』
その一言が喉まで出たがぐっと堪えた。
『僕はこの時代の人間じゃないから』
彼の精神的状況を例えて言うなら『メビウスの輪』
彼は未来に向かって歩いてると言っている。
だけど実際はぐるぐると同じところを歩いてるだけ。
メビウスの輪の上で前に進んでいるような気がしてるだけ。
彼を救うには誰かが輪の途中ではさみを入れて切り離し新たな道に繋いで上げなきゃならない。
それの役目は私ではない。彼を救うのは私ではないと知っているから私は何も言わない。
救いたい気持ちを生ビールと共に胃の奥、胸の奥へ流し込んだ。
シンジ君は「すいません」と立ち上がり廊下へ歩いていった。多分、トイレだろう。このまま逃げ出されたらちょっと困ると思ったけど彼の所有物がテーブルに残っているから大丈夫かなと思った。
煙草を灰皿に押し付け火を消し、一人になった空間で色々考えた。
彼を救うにはどうすればいいか。
私が導いた答えは今のところ1つ。
その為に私は全てを賭けれるのだろうか。
それだけの価値が彼にあるのだろうか。
そもそも、それで本当に良いのだろうか。
考えれば考えるほど決断に迷いが出る。こんなんじゃいかん、そう自分の考えを振り払うかのように頭を振った。煙草はもういいやと赤いジャケットにしまう。
そういえばシンジ君が『私』と『ミサトちゃん』が似ていると気づいたのはこの赤いジャケットを見た時だったなと思い出した。このジャケットが未来のミサトちゃんと今の私を繋いでいると言うことなのだろうか。ジャケットの袖をじっと見つめていたらシンジ君が帰ってきた。
「帰ってきて早々だけど時間も時間なのでそろそろお開きにしないかい?」
「分かりました」
シンジ君はテーブルの食器を片付け始めた。その動きを黙って見ながら私は残りのビールを胃の中に収めた。
「シンジ君は帰ったら何をするの?」
彼がバイトを辞めるという事は未来に帰る手段を見つけたということだろう。その帰る日まで彼は出来るだけ『今』に痕跡を残さずその時を静かに待つつもり。だから私はシンジ君が帰った『未来』でどうするつもりなのかを知りたかった。
「やるべき事をやる。そのつもりです」
「カッコイー」
「そんなもんじゃないです」
「その為に残りの日々、未来に帰る日までをただ待ってるの?」
「そうですね」
「この世界にやり残した事は?」
「ないです」
「そっか」
シンジ君と一緒に暮らして一年、彼はある決意をして南極へ旅立っていった。私は大学院を卒業しある仕事に就職する。仕事の忙しさで1日1日があっという間に過ぎていった。新しい環境で大人としてがむしゃらに頑張っていた時、再び友人が現れ命令された。
『失語症から回復した少女の経過をレポートせよ』
本当困った。友人の命令を素直に聞くと私は今の仕事を続けられなくなる。そもそも何故、私にその役目を押し付けるのだと聞いたら「あなたしかできないからよ」と返って来た。
私は仕事を辞め、友人の言うとおり軍管理養護施設に赴き看護婦と偽り『少女』を観察し続けた。
彼女に関するレポートは主に南極の記憶について。唯一生き残った彼女はどこまで真実を知っているか、その真実に価値あるか。2年近くかけて少女から体験談を聞きだした私はレポートを書いた。そのレポートを見た組織は「利用価値無し」と判断し解放することにした。
彼女が解放された時、同時に役目を終えた私は無職になった。それでいい、余計な足は残したくなかった。
自由になった私は気ままに小説書いてゲーセンの店員になりドス黒い陰謀が渦巻いている組織から足を洗った。
そして今に至るわけなのだが。
「ねぇ、シンジ君。もう一つ質問していい?」
「なんですか?」
「シンジ君が経験した未来に私はいた?」
「……僕は出逢ってません」
「そうですか」
「でも、ネルフの人は沢山……」
「いいの。ありがと」
私が未来でシンジ君に逢わない確率0%、これが正真正銘、最期のお別れになる。
お別れ、何度経験しても寂しいものだ。
しかも、もう二度と逢えないを分かっているから、尚寂しい。シンジ君と出逢った頃が懐かしい。
シンジ君が私との会話の中で一番興味持ったのは私と頑固者の友人との馴れ合いだった。他の事には俯き加減の彼もその話題になると目を輝かせながら私を見てきた。
あの時のシンジ君、可愛かった。
願うならもう一度見たい表情。
「もう一回乾杯しようか」
今日の飲み会のラストを〆る為に空になったジョッキを持った。「シンジ君が無事に未来に帰れる様に」そんな願掛けも兼ねて。シンジ君も笑ってカクテルのグラスを持ちあげた。その笑い顔は何処か寂しそうだった。私が見たいのはそんな笑顔じゃない。
あぁ、そうか。
結局、決断するきっかけというのは単純なのかもしれない。
神様、私はシンジ君にもう一度心からの笑顔を宿らせたいのです
その笑顔で新しい未来を歩む彼の姿を望むのです
その為に私は――――――――のです
ジョッキとグラスが重なり、ガラスが重なる音が聞こえた。その音は神へ誓う聖音に聞こえた。
◇
シンジ君と別れた私は一人酒でもするかと駅から飲み屋街に向かって歩いていた。確かこの先に渋み溢れる素敵なおっちゃんがやってる居酒屋があった筈。4、5年前の話だから今も開いてるか分からないけど、まずはそこに行ってみるかと昔の記憶を辿りながら歩いていた。
10分ぐらい歩いて赤いちょうちんが見えてきた。ちょうちんには黒い文字で「寅屋」と書いていた。そうそうこの店、大学時代お世話になったんだよね、まだやってた、懐かしい。と思いながら暖簾を捲り古びた引き戸を引いた。
「いらっしゃい」
「久しぶり」
引き戸をの向こうにはおっちゃんと若い女性がいた。どっちも見覚えがある。おっちゃんは昔と変わらぬ姿でおでんを煮ていた。うん、カッコイイ、懐かしい。そして向かい側に座ってる女性の姿を見て私はさっきまでのほろ酔い気分が一気に覚めた。
…………なんで、お前が、ここにいる、んだ。
目をこすって視界をクリアにして再び確認。やっぱり彼女はいる。見間違いじゃない。カウンターに座っている彼女に「何でいるの?」と嫌々しい感情を込めて聞いた。彼女はコップに入った透明な飲み物を飲みながら空いている隣の椅子をポンポンと叩いた。座れという意味らしい。
なんか素直に言う事を聞くのは嫌だったけど今更飲み場所を変えるのも何か癪だし、逃げてもどうせ最後には捕まるだろう。私は観念して彼女の隣に座った。
「お疲れ様」
お疲れ様って、何に対してのお疲れ様ですか?もしかしてさっきまでの飲み会に対してのお疲れ様?あの飲み会は貴女の為に開いたわけじゃないんですけど……でも結果的にそうなってしまったということなのか。
彼女がここにいる理由を考える。
あの飲み屋に盗聴器が仕掛け私達の会話を全て聞きいていた。そして私の行動を推測しここで待ち伏せしてた。うん、それなら全てのつじつまがあう。
私は深いため息をつきながらおっちゃんに「北神川ある?」と聞いた。1本の焼酎瓶を無言で見せ付けてきたおっちゃん。ラベルには「北神川」と確かに書いてる。うんうんと頷くとコップと差し出してくれた。受け取ったコップをに酒をついでもらい、ぐいっと呑んだ。うむ、辛い。
「子供は?」
「旦那が見てる。今日は外でいっぱい遊んだからぐっすり寝てると思うわ」
「そう」
「それで、明日からなんだけど」
はい、来た。しかも今回はもう決定してる。私の選択権は無視されている。私の運命は決められている。
さっきまで「どうしようか」とうんうん悩んで一大決心して茨の道を歩むと決めたばかりなのに。なんかどっちを選択しても道は決まっていたの、残念でしたって感じでなんかやるせない。
焼酎を飲み干しコップを空にする。無言でコップをおっちゃんに再び差し出した。おっちゃんは何も言わずさっきの「北神川」を注ぐ。
彼女はいつの間にか取り出した書類を読みながら話を進めていた。地名とか人物とかアパートの名前、外国の名前とか次々言っていく。いくつか聞き覚えある単語があったような気がしたが今の私は聞く耳持たず。それら全てさらりと聞き流し『今日帰ったら何をしよう、そうだ、部屋にいる猫の引き取り手を捜さないとな』と考えながら北神川をゆっくり呑んでいった。
07 裸足で駆けていく
「ミサト」
「リツコ?」
ミサトは私を見て珍しいという顔をした。そうね、貴女に逢いに足を運ぶって珍しいかもしれない。いつもならミサトの方から私に逢いに来たから。彼氏ができると女って友情より恋人を選ぶって本当ね。ま、今はそんな事はおいといて私は本題に入る。
「加持君に伝えてきたわよ」
「あ、ありがと」
「で、伝言貰ってきたけど聞く?」
「うん」
「帰り遅くなる、だって」
「そうなんだ、ありがと」
「あ、あと私からの報告」
「何?」
「シンジ君、大学辞めて実家に帰るって退学届出したって」
「……………」
長い沈黙の後、ミサトは「そうなんだ」と力なく答えた。
◇
部屋に入ったとき異臭がした。思わず鼻をつまみそうになった。玄関に入りドアを閉め靴を脱がずに部屋に上がりこむ。曇りガラスの引き戸を静かに開けるとまず目に入ったのはゴミの山だった。ゴミの山の正体はスーパーの袋。一つの袋に食いかけの弁当や飲み物が入っている。中にはカビやきのこが生えていた。異臭の原因はこれかと分かった。
何かが動いた。すっぱい匂いや腐った匂い、吐き気を起こしそうな匂いが充満する部屋の中で誰かがいる。
「あなたが新しいゲルヒンの諜報員?」
「……はい。名前は」
「あ、言わなくていいわよ。短い付き合いだし」
声から女性だと分かった。その女性は立ち上がると電気をつけた。
明るさで部屋の内部が把握する。部屋の中心部に沢山の本と書類が置いてあった。本のタイトルはどれも英語でなんと書かれてるか分からない。その周りをゴミの山が囲んでいる。足の踏み場がないくらいのゴミの山。俺はその山を踏み潰し女性へと近づいた。
女性の目の前に立った。彼女は意外と身長が高く自分とそんなに目線が変わらなかった。眼鏡の奥には大きなクマが出来ている。髪を一つに結び黒のジャージを着てそこから異臭がした。何日お風呂に入ってないのだろう?
……思いたくないがやはりこの人が自分の上司に当たる人なのか?
「部屋の状況と私の身なりで疑っているようだけど、残念ながら私は貴方の上司よ」
彼女は私の思っている事を瞬時に当てた。
「この異臭の大半の原因は精神的なストレスによる吐き気の残骸。私も含めてね。おかげで5kgのダイエットに成功したわ。前の助手がいなくなってから一人で仕事してるから掃除おろかお風呂入る暇すらなくてね」
彼女は笑いながら言った。そして私に命令を下す。
「この部屋にいる覚悟ができたら足元の資料に目を通して3日分の食料買出しお願い。それから詳しい指示を出すわ」
「すいません、まずやりたい事があります」
「命令遂行の条件?何かしら?」
「命令の項目に部屋掃除を追加してください」
自分の仕事内容は『ある部屋』に住む人物の監視だ。大学生2人が住んでいるという。
1枚目の資料に目を通した。監視している部屋の主『加持リョウジ』というらしい。経歴を見たらセカンドインパクトで両親を亡くし、その後弟を不幸な事故で亡くす。その後運良く遠い親戚に引き取られ高校を卒業、名が知られている大学に入学。
「そして日本政府内務省に内定、ですか」
「エリートコースよね、ひょうひょうした顔の下は切れ者って事かしら」
「…………内務省でスパイを雇ったと聞いてますが」
「話早いわね。彼はそのスパイ。経験は浅いけど知識は完璧みたい」
「知識だけですか」
「プロ並のね。どこでそんな知識を覚えたのか」
「やっかいな相手ですね」
ゴミの山を片付け綺麗になった部屋で俺と彼女は弁当を食べていた。サンドイッチを頬張る彼女、幕の内弁当の鮭をほぐし御飯と共に口に運ぶ俺。食事を進めながら仕事の教えてもらう。
「この子を味方とみたら使える?」
「味方なんですか?」
「違うけど」
「……たとえ話ですか。まぁ、味方として考えるなら彼の経験次第だと。まだ日が浅い。ぶっちゃけ諜報ってのは情報とそれに見合う経験が必要です」
「と、言うことは付け入る隙はある」
「資料見た限りでは」
「参考にする。因みにこの監視は彼は120%気づいてる。本当の監視はその次の人物だから頭に入れといて」
「了解しました」
1枚目の資料を再び見直す。下の方に何か文字が書かれていたようだが黒いマジックペンで線が引かれ読めなくなっていた。
「すいません、黒く消された所には何が書いてたんですか?」
「彼の家族構成」
それは消す必要があったのだろうか?消された家族の名前、そこにどんな秘密が隠されているのだろうか。聞いてみたかったが一度削除されてる情報、まともな答えは返ってこないだろう。
続けて重要と言われた2枚目の資料を見ようとした時、彼女は耳のイヤホンを外し話しかけてきた。
「そういえば喘ぎ声って聞き慣れてる方?」
「喘ぎ?」
「うん、男と女があっはんうっふん言ってる」
「聞き慣れてるって表現は良く分かりませんが……多少なら」
「私が部屋から離れる時か寝ている時はこのイヤホン聞いてもらうけど、彼らが部屋にいる9割はそんな声しか聞こえないから覚悟しといてね」
「9割って」
「感情に溺れ、慰めあってる行為だから少なくても純粋な愛ではない」
「そういう意味じゃなく」
「大学生って若いから。猿みたく」
そうしてもう一度耳にイヤホンをした。今は聞かせる気はないらしい。今、どんな音が聞こえるのか分からなかったが御飯を食べている最中にそういう音は聞きたくなかったので正直助かったと思った。
今、その真っ最中で喘ぎ声が流れているとしたら彼女はよく、平然と御飯を…………そこまで考えて俺は気付いた。先程片付けたゴミ袋。確かに吐いた残骸が多かった。聞き慣れるまで彼女は苦しみ吐いて病んだ、ということなのだろう。
最近上層部のコネでゲルヒンに入りいきなり三佐に昇進、どんなエリートかと思ってこの部屋に来て見れば汚部屋に住むうす汚い女。少々見下していたが実は根性がある奴なのかもしれない。
俺はそう思いながら次の資料を開いた。
「……この子」
「ん?知り合い?」
「知り合いではないですが。セカンドインパクト時の南極調査隊唯一の生き残りの子ですよね」
「そうそう」
「この子が幽閉されてた船に乗り合わせていました」
「貴重な体験したのね」
「貴重……」
貴重というより寒くて不便で日本が何度も恋しくなった最低の職場だったが。
「まぁ、そこで彼女が声を取り戻す時居合わせたんですよ。確か同じ歳の少年が心の扉を開いて」
そこまで言ったらいきなり彼女に胸をわしづかみされた。彼女の目は真剣そのものだった。
「その話、詳しく聞かせてくれる?」
幽閉されていた女の子の症状、医師が来ると思っていたら中学生の男の子がやってきた事。白い部屋で二人はただ見つめ合っていた事。何日もその場から動かない二人を心配して男の子を休ませようとした時、女の子が声を取り戻した時の事。そしてトイレでの男の子との会話。あの船での出来事を一部始終話した後、女性は黙り込んでしまった。俺の事は無視して手元のノートに沢山の文字を書いていく。日本語ではない。英語、いやドイツ語?とにかく読めない言葉だった。「これからどうしますか?」と聞いても答えてくれない。
俺は彼女から離れ窓に近づき腰を下ろす。外を見ると日が暮れて辺りはオレンジ色に染まっていた。手元の資料で目標の部屋を確認する。向かいのアパート、2階の右から3番目左から4番目の部屋。はっきりと見えた、ここからなら双眼鏡がなくても肉眼で確認できる。木製のドアの隣の窓に人影が映っていた。誰かが居る。男か女か、そこまでは分からないがターゲットが中にいる以上監視、それが俺の仕事。俺は睡魔と闘いながら任務を遂行した。
次の日の朝、男と女揃って部屋から出てきた。男の方がぺこりとこっちに向かって顔を下げたような気がした。確かに男の方は監視に気づいている。女の方は男の腕を掴み早く早くと急かしている。こっちの監視に気付いてるから急いでる、ではない。早く一緒に出かけたいという感じの急かし方だった。
「すいません、二人が出てきたんですがどうしますか?追いかけますか?」
聞こえているか分からないが彼女に現状を報告した。声が返ってきた。
「いらない。今のうちに寝といて」
「三佐は?」
「あと2日は起きれるから大丈夫」
「いや、それ死にませんか?」
「死ぬ。だから早く寝て。最低6時間。起きたら指示して寝るから」
自分が起きてたら彼女の寝る時間がどんどん遅くなっていく。大げさに言えば彼女の寿命も縮まっていくという事だ。俺は用意していたタオルを持って綺麗に掃除したばかりの浴室に向かった。シャワーを浴びながら寝て起きたら今度はイヤホンつけてあの二人の喘ぎ声を聞かねばならない、と覚悟した。
◇
「おはようございます」
自分の体内時計というのは凄いと思う。シャワーを浴びて布団に潜り込んで眠りについて6時間、目が開いた。目覚まし時計もかけず時間通りに、しかも目覚めが良い。なんか遠足とか旅行の当日の起き方に似ていた。
俺が起きた事に気づいた彼女は「おはよう」と声をかけながら眠い目をこすった。
「6時間ぴったりで起きてきたけど大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「そう、じゃ色々指示するわ」
「はい」
布団から出て彼女の傍へ近寄り座る。彼女は何枚かの書類を足元に置き一つ一つ説明していく。
「まず、私が監視していない時の対応ね。向かいのアパートの205号室の監視は昨日の夜やっていたようにすればOK。イヤホンつけてね。気持ち悪くなったら外していいから」
「やっぱり気持ち悪くなるんですか」
「個人差だけどね。前の助手は最初は興奮してたけど1日でギブアップしたわ」
「ひとつ聞きますが、その、彼らはアブノーマルなんですか?」
「ノーマルよ。普通のSEXしてるだけ。ただ繋がってる時間が長い。」
彼女はあくびをした。目に涙を溜めて鼻をすすった。そして説明に戻る。
「で、この女の子が単体で部屋を飛び出したらすぐに私を起こすか連絡して」
指差した写真はセカンドインパクトの生き残りの少女『葛城ミサト』
「飛び出したら、ですか?」
「えぇ、買い物とかで外出って時はいいから。何かに逃げるかのように部屋を飛び出したら」
「それは何が何でもやばい状況なんですね」
「イエス。で、私はそっちの対応をするから貴方は監視してる部屋に走っていって男を1発殴ってきて」
「え」
「気絶させない程度に。足止め任せる」
足止め?三佐は愛し合ってる二人が喧嘩でもして女が逃げ出すと未来予想している?飛び出した彼女を捕捉するのか?何の目的の為に?何故その状況じゃないと彼女を捕らえることができない?
三佐の説明には色々疑問があったが質問しても答えてくれないかはぐらかされるだろう。自分は言われたとおりの事をすればいい、それが俺の仕事。そう言い聞かせて俺は「分かりました」と返事をした。
「以上が一番の緊急時であり重要な任務なので心してかかるように」
「了解しました」
「イヤホンでの会話は気になるのがあったらメモしておいて。どうでもいいのは書かなくていいから。では、寝ます。おやすみ」
三佐は目を閉じるとその場で寝転んだ。どこかのアニメのキャラじゃないが寝転んで3秒後、彼女から寝息が聞こえた。全身の力が抜けた、安らかな眠り。疲れていたんだろう、このままそっと寝かせてやろうと…………いや駄目だ。
「ここで寝ないで布団で寝てください!その前に風呂入ってくださいっ!匂いますから!」
俺がそう言って何度も揺さぶって起こしたが彼女はそれから半日、一度も目を覚ますことがなかった。何をしても起きない彼女、緊急時の対応の時どう起こせばいいか頭を悩ませた。
それから6日後、三佐の予言は的中し資料に載っている彼女は叫びながら部屋から飛び出してきた。
生まれたままの姿、真っ裸で。
予想外の出来事に俺は手も足も声も出なくて、ただ呆然と見てるだけしかできなかった。
集まった欠片――――ジグソーパズルはほぼ形を成した。
私の姿が等身大に映る。
後ろに加持君の姿が写る。
だけど、1ピース埋まらないために加持君の顔だけがまだ見えない。
あと、1ピース。
彼のひんやりとした手が火照った体に気持ちよい。
乳房を柔らかく、そして激しく揉まれ声が出る。乳首を転がしながら舐め、弾いた。その衝撃に耐え切れず彼の背中に爪跡を残す。
私の秘部は既に濡れていて、甘えた声で「欲しい」と囁いたら彼は私にキスをした。舌と舌を絡ませたディープキス。
口づけを止めて彼は私の濡れたそこに指を絡ませた。ねっとりとしたその指を私の口に入れる。悪趣味だと思いながらもその指を舐める。
そうして、彼はそそり立った肉棒を私の中へ挿入した。
何度目の挿入だろう、何度も繰り返した行為。
私だけが嬌声を上げ息を荒げる。冷静な彼に少し不満を感じ何度も名前を呼ぶ。下の名前ではなく名字で。その呼び名に反応したのか彼の動きが激しくなってきた。私の喘ぎ声と肌と肌がぶつかる音とかき乱される液の音。そんな音が部屋に響く中、彼は私の名前を呼んだ。
「ミサト」
名字ではない、私の名前。初めて呼ばれた名前に、何故か愛しさが起こらなかった。
代わりに私の手元に最後の1ピースが舞い降りた。
掴み取る前にその欠片はゆらりゆらりと飛んで行き、埋まるべき場所へ降りた。
形ができた。鏡ができた。
写った私、そして浮かび上がった後ろの男性の姿。
加持君
違う、あの人は
――――――――お父さん
お父さんに抱かれ、行為を成してる自分の姿が写った。
光悦に、淫らに、卑猥に。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
叫びながらお父さんを突き放した。お父さんの体と私の体が結合していた部分を急いで引き剥がす。今まで体に宿していた快感が一気に冷め、ドロッとした何かが自分の身体に落ちた。落ちたのは液ではない、黒く汚れた自分の感情。
嘘だ、嘘だ、嘘だっ!こんな自分、認めないっ!!
――――私は、こんなの、求めていないっ!!
私はそこにいるお父さんから逃げるようにそのままの姿で外へ飛び出した。
◇
部屋を飛び出した時、音が一切聞こえなかった。鉄板の階段を下りて砂利が均された道を走る。凸凹した感触がすぐに堅く冷たいものに変わった。アスファルトの道路を私は今、走っている。
どこへ進めばいい?どこへ行けば私は救われる?
迷子になった子供のように泣けば誰か助けてくれる?
目に映る風景が色褪せて見えてきた。前に進む度にどんどん鮮やかな色が消えていき白と黒だけで表された世界になる。冷たさが分からない。痛さが分からない。私は今悲しいの?楽しいの?それすらも分からなくなった。
何も聞こえず、何も分からず、何も考えず、無の世界、いや闇の世界に落ちていく。
何処へ行く?
どこへいく?
ドコヘイく?
「ミサトちゃん!!!」
引き寄せられた。肩を捕まれ誰かの体に引き寄せられた。
そのまま私は誰かの体をクッションにし地面へと崩れ落ちる。
クッションになったその人は地面に接触した時、即座に私を逃がさぬよう抱きしめた。
抱きしめられる事が怖くて、直ぐに離れよう、逃げようとした。
けど、抱きしめ方が『違う』事に気付いた。
この人は、お父さんじゃない。お父さんはこんな風に私を抱きしめなかった。
私の体を優しく抱きしめ、何度も同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫、大丈夫だから、ね?」
耳元で「大丈夫」と囁く女性の声。あぁ、音が聞こえた。
私の素肌に触れたその人の手から何かを感じた。これは――暖かさ。
温度を感じ、認識できた事で足の裏から何かが込み上げてきた――鋭い、痛み。私は怪我をしている事に気付いた。
自分の目の前のものを凝視する。その人の服が見えた。赤いジャンバーに黄色いTシャツ。色が見えた。
「ミサトちゃん」
私の名を呼んだ声に聞き覚えがある。恐る恐る顔を上げた。その人と目が合った。
やっぱりあの人だ。
私を現実に引き戻してくれたその人の名前をたどたどしく声にする。
「た、しろさぁ」
私の言葉にニッコリ笑った田代さん。
「うん、大丈夫だから休みなさい」
そう言って私を強く抱きしめた。
田代さんの言葉と伝わってくるぬくもりに安心した私は眠るように意識を失った。
◇
預けられた体が一気に重くなった。
ミサトちゃんは何とか自分を取り戻し落ち着いたらしい。うん、一段階目はクリアした。
しかし、彼女にとって次が試練だろう。
9月15日まであと2日。2日間という短い時間で彼女は試練を乗り越え、再びシンジ君と対面できるだろうか?
……だろうか、じゃなく導かせなくてはいけない。私しかできない事なのだから。
ゆっくりと彼女の体と一緒に自分の体を起こす。
一人の人間を動かすという事はとても大変である。相手は女性だけど私も女性。しかも彼女は意識を失ってる。意識ある時とない時とでは重さが違う。本当、安易ではない。
私はこの前読んだ本に書いてあった人体の間接ポイントを思い出す。て彼女の体の腕、足、腰、その他の体の一部分を少し曲げたり伸ばしたりして体勢を整えて……彼女を抱きかかえながら一気に立ち上がった。
「よっこらっしょぉい!」
勢いよく声を上げて抱きかかえた感想:思ったより軽かった。
体重……40kgないんじゃないかな?身長から考えるにこの重さは彼女の平均体重以下だろう。女の子はちょっとふっくらしてる方が可愛いってもんなのに。
まぁ、それはともかく早くこの場を離れなければ。人目に付いたらそれこそ彼女の人生の汚点になる。
今はちょうど太陽が顔を出した朝方。今は人はいないけど、あと数十分すれば辺りは犬の散歩や新聞配達などで少しずつ辺りが賑やかになっていく。
これが真ッ昼間だったら…………体がブルっと震えた。本当、こう言っちゃ変だけどパニック起こしたのが朝方で助かった、うん。
そんな事を考えながら、私は何とか誰にも見つからずに監視していた部屋へ辿り着いた。
ドアは開けっ放しだった。無用心だけどラッキーと思い、そのまま部屋に入る。土足で上がりこみ寝床の前に辿り着くと足で布団を捲った。
敷き布団の上に彼女を静かに下ろすと捲った布団を被せた。
これでよし。この時点で私の任務は一時終了。ほっとひと段落である。
窓の傍に行き無線機を手にしながら外を眺めた。あの部屋の前に男が立っている。
「へい、生きてますか?」
無線機に向かって声をかけると部屋の前の男がぴくりと動いた。
その動きで私は部屋の前に立っている男は部下であると把握する。
「あ、はい」
……え、それだけ?もうちょっとノリよく答えて欲しかった。ちょっと残念。
「そっちはどう?」
「言うとおり実行しました」
「死なせた?」
「生きてます。意識もあります」
「なら、今からそっちに行く」
ドタバタと出口へ走って行き布団で寝ている彼女を置いて部屋を出た。今度は鍵をかけて。
◇
自分がいた部屋の向かいのアパートまで徒歩3分。無断で敷地内に入り、カンカンカンと階段をテンポよく登る。階段を登り終え1つ目のドア・2つ目のドアと部屋を数えていく。
「3つ目のドーアっ!」
そう言いながら3つ目のドアの前に立つ部下を指差した。彼は動じない。
「ぐっもーにん」
「……中に居ます」
「少し砕けないと女にもてないわよ」
私は心の中で「つまらん奴め」と呟きながら部下を置いて部屋に入る。靴を脱ぐのがめんどくさいので土足で「おじゃましまーす」と言いながら部屋に入った。
この部屋の主は布団の上に裸で座っていた。男性の大切なところは薄い毛布で隠されている。彼の口元から血を流れていた。多分、吐いたではなく口の中を切ったのだけだろう。部下は忠実に任務を遂行している。
私が喋りかけようと口を開く前に彼から言葉がやってきた。
「……ボスは女だったのか」
「諜報の仕事は男しかできないものですか?」
「いや、女が一番向いてる」
薄ら笑いをした。自分を見下すように、笑った。
「こうなると、分かっていたのか」
「まぁ、それなりに」
「未来を予測できるなんて卑怯だな」
ぎゅっと右手の拳を握った。この子を一発殴ろう。顔とか腹とか甘い場所ではなく、股間目掛けて拳を振り落とそう。再起不能にさせるつもりで。
と、そこまで思って手を離した。実際にやりません、そんな酷い事。責任取れないし、取りたくないし。
ミサトちゃんが裸で飛び出す事を予測できたのは『考えた』から。
16日間、二人を監視して私は『これから起こるかもしれないイベント』を考えた。
その数42。ちょっと多すぎるのでその数を13に絞り込む為にある「仕掛け」を施してる。
そしてイベントが起きた際に生じるアクシデントに対して56の適切な対応を考え、いつでも実行できるようシュミレーションし待ち構えていた。
そして、つい数分前、そのイベントは起きた。
13番目の中で3番目に最低なアクシデント。私は4つの適切な対応を実行し最善を尽くした。
だから彼女は自分を取り戻し、生きている。
本当は『未来を予測できるなんて神様ずるいよな』的に軽々しく言葉にして欲しくない。
一歩間違えれば誰かが死んでいたのかもしれないのだから。
私がそれを回避する為にどれだけ時間をかけて犠牲にしてきたのかこの子は分かっていない。
それを一から説明する気もない。説明しない代わりに、怒りもぶつけない。
「加持リョウジ。2000年、東京都内に在住中セカンドインパクトの災害に遭遇。父と母を亡くす。生き残った身内と養護施設に収納されるが4ヵ月後、他の仲間と脱走する」
「そこまで調べて暗記してるとは凄いね」
私は彼の言葉に反応せず資料に載っていた『加持リョウジ』の経歴を語っていく。
「2ヵ月後、軍の倉庫内にて食料を盗もうとしたある少年を発見。少年は軍人の説得により心を入れ替え二度と悪事をしないと約束したので解放した。少年から他の仲間がいるアジトの場所を教えて貰った軍人達は説得と保護を試みるが抵抗にあい失敗」
資料を読んだ時、ここに書かれている説得とか保護とかの言葉は嘘だろうとは思った。ま、それは今は関係ない。彼の顔を覗き込む。ここまで語ると彼から顔から余裕がなくなっていた。目を大きく開き、暑くもないのに汗をかいている。
「長男で『リョウジ』って名前、珍しいわね」
にっこり笑って彼に聞いた。
実際はそんなに珍しくない。シンジと名づけられた長男坊が知り合いにいるし。
が、彼の顔は蒼白になっていく。震えている。
この質問に何のことだと誤魔化したりはぐらかしたりできるのに彼はしない。いや、できないのだ。彼は私の口から真実を語られる事に恐怖している。
口元をニヤリとさせ、笑いながら彼を見下す。
「貴方の本当の名前は――――」
「止めてくれっ!!」
彼の本当の名前を言おうとした時、叫ばれた。彼は体勢を変え――土下座で私にお願いをした。
「……弟を、殺さないでくれ……」
――――彼は自分の本当の名前を殺し、弟の名前で生きている。
その真意は私には計りかねない。同時に知ったからといって私にはどうしようもできない。
私にできるのは彼の本当の名前を言葉にするか否か。
「わかった、殺さない」
私はしない事を選択した。
これで私と彼の立場は明確に表現された。
先程まで対等に渡り合おうと頑張っていた彼は打ちのめされ、対抗する術をなくした。
「一つ、貴方の未来を予測してあげる」
彼は顔を上げた。私は少し離れ彼と同じ目線になれるよう座り込んだ。
カップラーメンの容器が邪魔だったので適度に避ける。
扇風機の風が顔に当たった。髪がなびき、うっとうしいので扇風機のスイッチを止めた。
「貴方は、自分の知りたがっている真実を手にする直前に死ぬ」
彼の目が大きく開いた。そんなの嘘だと目で訴えている。
「私の予測能力はさっきのでお墨付きよね?」
そう笑って答えたら彼は小さな声で「そうだな」と呟き歯軋りした。悔しいらしい。
予測能力、という事にしたがこれは『予測』ではない。これから起きる本当の未来の話。
私は、シンジ君から聞きだした未来の情報をそのまま口にしただけ。
「なんで真実を知りたがるの?」
「……どうせ死ぬなら、真実を知ってからじゃなきゃアイツ等に合わせる顔がない。それだけだ」
「自分の為、というより死んだ者達への鎮魂歌として贈りたいって事かしら」
「そういう意味合いもあるな」
赤いジャケットのポケットから1枚の名刺を取り出し彼に差し出した。
この名刺に書かれている名前は私じゃない。
国連直轄の人口進化研究所、そこの関係者の名前が書かれている。この名刺は魔法のアイテムで使う者次第で効果が変わる。近所の居酒屋のツケガチャラになったり、自衛隊の陸軍を動かしたり。自衛隊を動かすとかそれなりに大きい事をするには名刺を使う本人にコネやそれなりの身分・地位が必要。残念ながら彼には地位もコネもないのでこの名刺の効力を最大限に引き出して使う事はできない。せいぜい、この研究所と繋がりが持てるくらい。
「もし、貴方がこの世界の『真実』を知りたいというならここに来なさい」
彼は震えながら、名刺を掴んだ。私が名刺を離すと直ぐに手元に引き寄せてそこに書かれている名前を凝視し、私を見た。
「この場所にしか貴方の求める真実は存在しない」
私は立ち上がり、土下座したままの彼を置いて部屋を出た。彼は「ちょっと待ってくれっ!」と私を呼んだが振り向かなかった。外に出て部下に目で合図した。部下は頷きその部屋のドアを閉めた。
後ろを振り返らず、前を歩く。階段を下りる最中、後ろからついてきた部下が声をかけた。
「どうして助けたんですが」
「さぁね」
助けた理由は1つ。シンジ君とミサトちゃんの未来に彼が存在するから。それだけ。
存在しなければ、とっくに始末してた。それが私の仕事上、一番合理的な手段だから。
階段を下りて道路へ出た。この道路を200m歩けばミサトちゃんが寝ている部屋に辿り着く。
先ほど出てきた部屋のドアを見上げる。私は生き残る希望を差し出した。後は彼次第。
『頑張れよ』
彼への言葉を心で呟き、視線を下げて再び前を歩き始めた。
「これからが本番だからね」
「はい」
08 絶望に差し込む光
目を開けたら、見知らぬ天井だった。
白いベニヤ板。見慣れたあの部屋より真っ白い。
布団を見た。いつもそのままの姿で寝るのに、今日はきちんと覆い被さっている。しかも、これも、見知らぬ布団。起き上がる事はせず、顔だけを光が差す方へ向けた。書物がたくさんあった。漫画とか雑誌ではない。分厚くてカバーが硬そうな本ばっかり。タイトルは……英語、ドイツ語、中国語様々だった。
たくさんある書物……その向こうに、窓辺に人が座っている。目を凝らした。
その人は、長いフランスパンを食べていた。
パンを加えたまま、動かない。顔が凄い形相している。どうやらパンを噛み切れないでいるらしい。
少しの間、頑張っていたがやがて諦めてフランスパンから口を離してため息をついた。
「お、ミサトちゃん」
「た、しろさん?」
フランスパンを加えていたその人は私に気付き声をかけてくれた。その人の名前を恐る恐る言うと私に向かってにっこり笑った。さっきのフランスパンを加えている顔が地獄の閻魔なら、この顔は天使の顔、と言うのだろう。
「目覚めは絶好調?」
「は、はい」
私は聞こうと思った。何故、私はここにいるのか。田代さんが私の目の前にいるのか。そう思いながら体を起こした時、自分の違和感に気付いた。
「服、着てない……」
「そうねぇ」
田代さんはフランスパンを紙袋に入れて、私に近づいてきた。私の横にやってきてしゃがむと枕の上へ手を伸ばした。
「これ着なさい」
差し出してくれたのは下着類と白い長袖シャツとベルト部分がゴムのジーンズだった。下着の方は少し子供っぽい感じがした。パンツなんか子供用でイチゴのアップリケが可愛い。
「ごめんね。買って来たのが男の人だから男っぽい服になっちゃって」
「……下着もその、男の人が買ってきたんですか?」
「ん?そうなる……」
そこまで言うと田代さんは何か重大な事に気付いたらしい。「しまった」と声に出し頭を抱えながら顔を下げた。
「あぁ、どうしよう……」
「?」
不思議な顔をした私を見て田代さんは言葉を続けた。
「いや、男らしい服を買ってきて馬鹿野郎と追い出しちゃったんだわ。そうだった……下着買うだけでも凄く勇気いるだろうに……」
少しの間の後、深いため息を一つ吐いたら「ま、仕方ない」と顔を上げた。私の胸元に下着をぐいっと押し付けた。
「まず、着替えなさいな」
◇
下着は少し小さめで、Tシャツはぶかぶか。ジーパンの丈が合っている。
田代さんは栄養ドリンクをくれた。さっきのフランスパンと言い、なんか食生活に偏りがあるような気がする。
「さて、落ちつたところで本題に入ろうかな」
「本題、ですか?」
「なんで裸で寝ていたか、よ」
「裸で寝ていたのは……」
そういえば、寝る前の記憶がない。ここは加持君の家ではないし、どうやって私は田代さんの部屋へやってきたのだろうか?
「短直突入に言うと、裸で走ってたのを保護したなんだよね」
「は、走って?」
「そうそう、今日の朝方にね。多分裸だったから……誰かと情でも交わしてたんじゃない?」
そう言われ、少しずつ記憶が蘇ってきた。裸で走っていた記憶ではなく、加持君に抱かれている記憶。いつも通り抱かれて、気持ちよくなっていた。
「なんで、裸、だったんだろうね」
田代さんは私の目を見つめた。茶色い瞳、その奥に映る私の姿。私は引き込まれるように瞳に映る私の姿を見た。
「確か、呼ばれた……?」
「呼ばれた、誰に?彼氏に?」
「……違う、あれは」
そこまで言葉にして、脳裏に映像が流れ出した。
お父さんに抱かれている自分の姿。
手が振るえ、持っていた栄養ドリンクを布団の上に落とした。震えた手で口を押さえる。汗が流れていた。寒い?暑い?自分の体なのによく分からない。体の温度調整が壊れた?
「お父、さんにぃ……」
そこまで口にしたら気持ち悪くなって吐きそうになった。胃の中には何も入ってないみたいで固形物が込み上げてこない。それでも何かを吐きたくて奥にある液を逆上させようとした。
「お父さんがどうしたの?」
頭をぶんぶん振る。それ以上言葉にしたくなかった。思い出したくなかった。
「ダメよ、現実から目を逸らしちゃ。それこそ甘い道を選択」
甘い選択なんて、してない。酷い、私の何を知るの?そう、言いたかった。でも、脳内では吐き気の方が優先らしく声ではなく変な咳しかでなかった。
「昔、言ったわよね?ミサトちゃんの言葉で、私はミサトちゃんの看護士続けられたって」
そんな記憶あったかなと咳を抑えながら考えた。あぁ、あった。「願いを言葉にしたから、現実になった」って言ってた。涙目で私は田代さんを見上げた。
「話してごらん。怒らないから。何かが変わる、言わなきゃそのままよ」
「本当に、怒りませんか?」
「えぇ、だから思っている事全部吐き出しなさい」
田代さんは私の両手をやさしく握り締めた。その優しさに、私は委ねて良いのだろうか。
その手をじっと見て、しばらく黙った。その間も田代さんは手を振り払おうとせず、私の言葉を待ってくれた。
◇
どれくらいの時が経ったのだろうか。部屋は辺りが暗くなっていた。田代さんの手も暗闇ではっきりと見えない。でも、握ってくれてる。吐き出しなさい、って言った時から変わらず手を握っている。掌から暖かさが伝わる、田代さんがそこにいるって分かる。
田代さんはずっと私は待っている。私の言葉を。
長い時間をかけて思っている事を言葉にまとめた私は、勇気を出して沈黙を破る言葉を口にした。
「……私、酷い人間なんです」
私が声を出した時、田代さんの手がぴくりと動いた。そして握り締めてくれた。
今まで辛抱強く待って私の言葉を待ってくれた田代さん。私は手を返し掌を合わせた。握手をするように。私が強く握ると田代さんも握ってくれた。しっかりと手に感じる強さで。
田代さんの掌から勇気を貰った私はぽつりぽつりと今までの自分を、酷い人間である理由を告白した。
「お父さんに助けられた命を粗末にしようとしました」
脱出カプセルの中でセカンドインパクトを見て、気を失った。やってきた救助に私は死のうと暴れた。生きるのが怖くて、お父さんがいない世界に絶望して。
けど、大人が許してくれませんでした。だから、私は心を封印したんです。
「お母さんの死に涙がでなかったんです」
母の死を知らなかった。それを訳すれば母にとって私は所詮その程度の子であり、事実を知っていただろう父も教えなかった事実は所詮その程度だったのかもしれません。
死を知ったあの時、私は母を失った事に嘆いたのではなく一人ぼっちになってしまった自分を悲しんだ。自分の事しか考えない「悪い子」な私。
もっと、母に対して「良い子」でいられたら母は死ななかったでしょうか?私という存在を認めてくれたでしょうか?
「親友の言う事を聞きませんでした」
セカンドインパクト後、初めての女友達でした。性格も考え方もまったく違うんだけど彼女のクールなところに惹かれてた自分がいました。
私の事を認めてくれて、話していてとても楽しかった。でも、何故か加持君の事を認めてもらえなくて、それに反発して彼女と距離を置きました。
今思えば、彼女の言うことは正しかったのかもしれません。彼女の言い分を聞かなかった私は親友、いや友を名乗る資格はないのかもしれません。
「加持君を、利用しました」
あの日、近寄ってきたのが加持君だから私は彼に身を委ねました。それだけだったのです。
それからの彼の依存は本音を言えば自分でも信じられませんでした。
私が求めていたものを知っているかのように彼は私に色々なものを与えてくれました。それに私は甘えきって、現実から逃げていました。
嫌な事から目を逸らすのに彼のぬくもりは最適だったのです。
愛ですか?あります。ただ、それが彼と同質であるかと言えば違う、としか言えないです。私は加持君を利用していたのはそう言う点です。
「そして、裏切りました」
いや、違う。先に裏切ったのは彼の方。彼が他の女に告白してたから。
だから、私は身を引いた。
私は悪くない、そう、悪くないの…………。
でも、涙が止まらなかった。自分が悪くないなら泣かなくてもいいのに、泣いている自分。
認めるのが怖かった。彼に必要とされない自分が怖かった。
逃げたのは、真実を知りたくなかったから。知って絶望したくなかったから。
「シンジ君……私……」
涙に濡れた声で私は助けを求めた。今まで一緒にいた彼でもなく、友でもなく母でもなく父でもない。忘れたくても忘れれなかった、シンジ君に。
その言葉の答えは、目の前にいる人が出してくれた。それはとっても現実的で厳しい答え。
「自分で考え行動するのみよ、他人を頼っちゃダメ」
「そんなの、無理です」
その答えを否定した。否定する理由があったから。
「みんな、みんな傷つけて……」
私は、自分勝手な思いでみんなを傷つけた。嫌われるようなことばかりした。今更、どの顔で皆に接しればいいの?
「いいんじゃない?それで」
「それでって」
とても現実的な厳しい答えを出した人の次の答えはあっけない答えだった。
「傷つき、傷つける。そうやって人は生きていくの。奇麗事で生きてける世の中じゃない」
田代さんの目はまっすぐ私を見ていた。曇りのない瞳。茶色い目は何かの宝石のように見えた。その目に吸い込まれるようにじっと田代さんを見つめて、言葉を待った。
「そうやって、人と人との繋がりの大切さを知るの。後悔して大切さを知った貴女はこれからどうすればいいか分かっているはずよ」
「繋がり?」
「そう、貴女はまだ繋がりを失ってない。失ってると思ってるだけ」
本当にそうなのだろうか?
シンジ君に、リツコや加持君、そしてお父さんやお母さん…………私をまだ見捨てていない?その言葉を信じていいの?
「思ってるだけですか?」
「えぇ。もし、もう一度手を繋ぎたいのなら今一歩踏み出しなさい」
「踏み、出す」
「気づいてるはずよ、今までを振り返って自分が何かしてない事があるって」
自分がしていない事、考えた。
セカンドインパクトが起きて、声を失った。シンジ君が来なかったらずっと私は白い世界に捕らわれたままだったかもしれない。
シンジ君と一緒に時を過ごした。何も話さなくても、シンジ君は私の傍にいてくれた。
大学に入って、リツコに出逢った。私の他愛ないトークを聞いてくれた。学校の事とか面白い出来事を。
ここまで思って、気付いた。
「私、みんなに何一つ自分の事話してません」
話さなくても分かってる、そんな雰囲気に甘えていた。
本当の自分を知られるのが怖くて、違う話題で誤魔化してた。
自分の今までの事、自分の思いを話していない。話してないから、すれ違いが起きたんだ。
「私、自分の事話します。話して仲直りします」
真実を話す事はもしかしたらまた誰かを傷つけるかもしれない。謝っても許してくれないかもしれない。
でも、何もしないで大切なものを失ったままなんてイヤ。99%無理でも、1%の可能性があるなら私はその可能性を信じて行動する。そして、みんなと笑いあいたい。笑って未来に進みたい。
自分の覚悟を込めた言葉を聞いた田代さんは私を抱きしめてくれた。ゴールテープを切ったランナーにタオルをかけた、そんな感じに。
言葉にしなかったけど思いが通じた。『やっとここまで辿り着いたわね、おめでとう』
抱きしめられて、また泣いた。悲劇に酔う自分の為の涙ではなく、今までの自分を変える為の涙を。
私は田代さんに1つ聞いた。覚悟したけど、本当は怖かった。もう関係を修正するには手遅れなのかもしれない、可能性は潰えているかもしれない。だから、勇気が欲しかった。
「まだ、間に合うでしょうか?」
「間に合うでしょ?諦めたら間に合わないけどやる気あればなんとかなるもんよ」
田代さんは私に見合う勇気の言葉をくれた。本当に、こんな私を見捨てないでいてくれてありがとうございます。
「絶望の淵にいて、光がないと嘆くなら自分で光を作りなさい。奇跡は自分で起こせるんだから。起こして初めて価値が見出せるんだからね」
本当に欲しかったものは何?
本当に得たかったものは何?
白い 白い 世界
私を白い世界から救い出してくれた天使
その天使を 自分のものにしたくて
何処にもいかないよう ずっと手を繋ぎ 捕らえていた
『あなたがいないとなにもできないの』
そう 呪いの言葉を吐き 天使を束縛した
どんな手を使ってでも私は天使の傍にいたかった
彼がいつの日か 私から離れていく存在だと知っていたから
大人達の手により 私達は 繋いだ手を引き離された
私の意思関係なく 自由になった天使
本来の自分の地へ還る 天使のアイデンティティ
『行かないで』と嘆く事ができなかった
遠かれ 遅かれ こうなるのは覚悟していたから
彼は天使 この世の人じゃないから 本当の居場所に戻るだけ
覚悟して 笑って 彼を見送ろうとした
笑ったはずなのに彼は「泣かないでよ」と私の手を握り締めた
泣いてないと言っても信じてくれなくて そのうち本当の涙が溢れた
彼の目にも涙が溢れていた
私の傍に寄り添ってくれる彼 寄りかかる私
いつまでも いつまでも 続くと思った この絆
数年後 その絆を打ち砕いたのは 私自身だった
◇
私は彼に逢う前に今までの事を清算しようと思った。そうしなければ彼に合わせる顔が無い。
「その方がいいわねぇ」
田代さんはカーテンを開きちょいちょいと私を手招きした。田代さんの傍に寄り窓を見る。空には綺麗な満月が浮かんでて辺りは暗かった。
田代さんはある場所を指差した。差した先を目を凝らして見る。月の光でおぼろげにしか見えないけど二階建ての木造の建物が見えた。あの形に見覚えがある。そう、加持君のアパートだ。私がいる場所は加持君のアパートから徒歩5分くらいの近場だったらしい。加持君の部屋だと思う場所からうっすら光が灯っていた。
加持君が、いる。
「田代さん」
「サンダル、ご自由に。あと、これ」
あの場所へ行かなくちゃ。そう思って田代さんの名前を呼んだ。田代さんは全てお見通しだったらしく履物が無い私にサンダルを提供、壁にかけていた赤いジャンパーを取り外し私の肩にかけてくれた。
「気をつけていってらー」
「いってきますっ」
肩をぽんっと押され、前に進む勇気を貰った私は玄関に小走り。その場にあった赤いサンダルを履いて外に飛び出した。辺りはすっかり暗かったけど建物のシルエットとかなんとなく見覚えがある。ここはやはり加持君のアパートの付近なんだと思った。
薄明かりの月光を頼りにアパートの階段を下りる。足に痛みが走った。擦り傷ようなものが足の裏にある。私の記憶にはないこの怪我は裸で走った時のものなのだろう。
傷口が深いか浅いか――――確認しなかった。
確認するよりもやる事がある。痛みを堪えて階段を降り、一般道へ出た。
月光の他に街頭の光が道を照らしてくれる。この道をまっすぐ歩けば、加持君のアパート。
あたしは唾をごくりと飲み込み、目に気合を入れて一歩踏み出した。
通いなれた道を歩き、アパートに到着。再び階段を登る。カン、カンと聞きなれた金属音。階段を登り終えドアを1つ、2つと通り過ぎる。
辿り着いた目的地――――加持君の部屋の前に立つ。ドアをじっと眺め息をひとつ大きく吐きドアノブにと手を差し出そうとした。
その時気付いた。震えている。手だけ、じゃない。体全体が震えてる。
加持君にどう声をかければいいのだろうか?加持君が声をかけてくれるまで待つ?いや、それはダメ。それじゃ、何も変わらない。
「私は、変わりたいの」
私は心の中の決意を口にしドアノブを握った。震えを押さえ、手首に力を入れて、ノブを回す。鍵はかかってなかった。ゆっくりと、そして静かにドアを開けた。
◇
「加持君」
加持君は真新しいTシャツとジーンズを着てうな垂れていた。寝ているのかしら?と私が加持君の名前を呼ぶと、彼の体が動いた。下を向いていた顔を上げた。部屋の明かりで加持君の顔がはっきり見えた。右の頬が少し腫れているような気がする。
「……よう、遅かったじゃないか」
君が来るのは分かっていた、そんな挨拶。このまま加持君の傍に行き、熱いキスの一つですれば彼はまたあたしを無条件に受け入れてくれるかもしれない。そう、思った。
私は中に入りドアを閉めた。そこから加持君に向き合い、動かなかった。喉はいつの間にか潤いが消えてカラカラで痛かった。口の中にある唾ではない何かをごくりと飲み込み、ドアの向こうで考えた最初の一言を吐き出した。
「ごめんね」
「何がだい?」
加持君の言葉は予想通りだった。さっき『受け入れてくれるかもしれない』と思った時、この答えが来ると思っていた。
そうやって加持君は私の過ちをなかった事にするんだね。軽く許してくれるんだね。
そうじゃないの、あたしは向き合って欲しかった。白い部屋で手を差し伸べてくれた彼のように。
「利用して」
彼から目を逸らさず、自分の罪を告白した。文句や罵声を覚悟して。少しの沈黙の後、加持君は口を開いた。
「俺は、葛城の心の触れちゃいけない場所に手を伸ばしてしまった。謝るのは俺の方だ」
「……加持君が私の真実に触れたから、やっと本当の自分と向き合えたの」
「戻るのかい?」
加持君もあたしの行動全てお見通しなんだね。田代さんも、そう。あたしってそんなに行動分かりやすいのかな。
「うん。許してもらえないかもしれないけど自分のできる事精一杯やる」
「振られたら、慰めてやるよ」
「本当、加持君って調子いいわよね」
「そうかもな」
最初に笑ったのは加持君の方だった。私の方は笑う余裕すらなかった。顔が固まったかのようにずっと同じ表情をしている。顔だけじゃない、足も手も石のように動かない。
でも、加持君が笑ってくれた事で指先から緊張が解けじわりと体温、感覚が戻ってきた。感覚が戻った右手をグッと握り締める。
「葛城が俺に求めていたもの、俺も葛城に求めていた」
「うん」
「辛くなるかもしれないのにそれでも前に進むのか?」
今のままなら、茨の道を歩かずにすむ。ここなら、いつでも俺がいる。加持君なりの引き止め方。
でも、それじゃダメなの。あたし、前に進めない。
自分の思いを言葉に換えて少しずつ口にしていく。順番に答えていく。
「あたしね、本当は自分が嫌いなの」
自分が嫌い 世界で一番嫌い
明るく笑わないと 皆あたしを見捨てる
それが嫌で ずっと笑っていた
「自分が嫌いで、必死で違う自分になりたかった。そうしてできた今の自分」
皆に好かれる為の作った笑顔 嫌い
でも その笑顔がなければ 嫌われる
頑張って 好きになったの
嫌いな自分を好きになって 本当の自分を隠して
「その自分が、今、息苦しいの」
正直になりたいと 叫んでる
絆を取り戻したいと 願ってる
「作った笑顔じゃなく、本当の笑顔でみんなと笑って前に進みたい」
加持君と
リツコと
今まで出逢ってきたみんなと
これから出逢うみんなと
その隣に彼がいる 私達は笑ってる
「皆と向き合って、そして自分と向き合って自分を好きになりたい」
自分を好きになりたいなら
他人を愛しなさい
他人を愛せれば 自分も愛せる
「俺は、好きだ。今の葛城が好きだ」
加持君の顔は真剣だった。でも、それは悲しみにも見えた。見棄てないで、そう聞こえた。
そっか、ようやく加持君の言ってる意味が分かった。
あたしが加持君に、加持君があたしに求めていたもの
あたし達は、子供だったんだ。子供で、愛に飢えていたんだ。あたしが加持君の中でお父さんを見つけたように、加持君はあたしの中にお母さんを求めていたのかもしれない。
私が子供だから、大人の田代さん、そしてお父さんな加持君には全てお見通しだったんだ。
「あたしも加持君好きよ。だからこうやって謝りにきた。大切な友人で仲間だから」
あたしは加持君の母親になれない、でも友人。かけがえのない友人。そう思ってるし、そうなりたい。
「友人で、仲間か」
「Dear、が最初につくね」
「そうか」
あたしは加持君と一緒に手を繋いで歩く事はできない。
加持君が本当のあたしと向き合ってくれないよう、あたしも本当の加持君に向き合えない。
きっと、あたし達は互いの悪い所を見なかった事にして関係を築いていく。
他人だから踏み入れられなくて、でも親よりも甘い愛情で互いを包み込む。自分達のトラウマ部分に触れないように。今は良いかも知れない。でも、その小さな誤魔化しは時を重ねるごとに大きな亀裂になりきっと壊れる。
ここまで思って、息をついた。
分かってる。これは、彼を選んだ理由で言い訳。
あたしは『加持リョウジ』ではなく、『碇シンジ』を選んだ。
加持リョウジより碇シンジが好き。シンプルに結論を言うとそれだけの事。
でも、それが自分の本当の気持ち。
「ありがとう」
加持君に出逢えた事に、今まで私を愛してくれた事に、ありがとう。そうして、もう一度言わせて。
「そして、」
「葛城」
加持君は座ったままの体勢から何かを投げた。黒くて長方の形をしてる厚くない物。投げてきたものに体が反応してキャッチできた。動けないと思っていた体はいつの間にか適度にほぐれていたようだった。
手の中にあるものを見たらそれは私の財布だった。
「忘れ物」
「あは、ごめんね」
私は笑った。ようやく笑えた。加持君も私につられて笑った。
「行って来い」
「うん」
加持君の言葉に素直に甘えた。後ろを振り向きドアを開けた。ここで立ち止まったりしたらそれこそ彼の気持ちを踏みにじることになる。
ドアを開けたら冷たい風が頬に当たった。ひんやりと気持ち良い。最初の一歩を踏み出し、加持君の視線を感じながらドアを閉めた。
◇
彼女は決意した
どんなに傷ついても前に進むと
俺も再び決意を改めよう
どんな真実が待ち構えていたとしても
それを受け入れると
俺はポケットに入れていた名刺を取り出した。そこに書かれている文字を見る。
国連直轄 人工進化研究所 碇 ユイ
あの女の言う事が正しければこの場所に、もしかしたらこの女性が、俺の家族を奪ったセカンドインパクトの秘密を握っている。
名刺を再び握り、あの時失った弟と仲間達を思い出す。
必ず、真実を手にしてやる
手にしてお前らの元へ届けてやる
俺の中に生き続ける仲間達
名前を己に宿し現世を生きる弟
すまんな、あの時救えなくて
俺はまだそっちに行けそうにもない
もう少しだけ、生きさせてくれ
◇
来た道を戻り田代さんのアパートに戻った。玄関は鍵がかかってなくて直ぐに開いた。部屋を覗くと暗かった。寝ているのかなと思ってサンダルを脱いで静かに上がった。電気はどこだろう、部屋の脇にスイッチあったかなと入り口辺りで手探りした。その時、気付けばよかった。足に障害物が何もぶつからなかった事に。
「あった」
小さな声を上げてスイッチをパチンと入れる。電気がついた時、私は目を丸くした。
田代さんはいなかった。田代さんだけではない。布団も、大量にあった本も、テーブルも、何もなかった。部屋は空っぽ。いや、空っぽではない。部屋の真ん中に手紙と1本の小瓶が置いてあった。
小瓶は未開封の栄養ドリンクだった。さっき飲めなかったやつだろう。持ち上げると瓶がちょっと冷たかった。小瓶と一緒に手紙も拾ってそこに書かれている文字を読んだ。
「用事ができたので帰ります。衣服類等はプレゼントフォーミー!後は頑張れ! Byミサトちゃんの田代より」
…………帰るって、ここ田代さんの家じゃないのぉーーー!!!
手紙を持ちながら心の中で叫んだ。
たった20分たらずで跡形も無く消えちゃうくらいの急用!?
プレゼントフォーミーって、このジャンバーも?ちょっと、これ高そうなんですけど太っ腹すぎませんか?
後は頑張れ、って田代さぁん…………
別れの挨拶も言えず消えてしまった田代さん。連絡先も知らない。ゲーセンに行けばもう一度会えるだろうか?だからといって今日行っても流石にいないだろう。それよりもやらなきゃならない事がある。田代さんに逢いに行くのはそれからでも遅くないだろう。
手紙を折りたたみ赤いジャンバーの内ポケットにしまう。一緒に置いてあった栄養ドリンクを手に取りキャップを勢いよく回す。蓋がはずれた栄養ドリンクを私はそのまま一気飲みした。
ごっくん、ごっくん、ごっくん、ごっくん。
「うっしっ!」
栄養ドリンク100mlで気合を満タンにした。空き瓶を手にしたまま部屋の電気を消す。
もう、後戻りはできない。
加持君への気持ちをはっきりさせたとはいえ、私は加持君の気持ちを踏みにじったのは事実。
この出来事を聞いた人は私の事を『男の好意を利用した最低女』と評価するだろう。
私のしてきた事をまとめれば『好きな人から逃げて新しい男を作って、自分やり直したいからと別れた』になる。
ふっ、と苦い笑いが込み上げた。冷静になれてなかったとはいえ、本当にバカな事したなぁと思う。物事には順序と言うものがある。それを無視して自分にとって楽な展開を選んだ。人間として、女として最低、それは自分も認めてる。
これで友人を失っても仕方ない。仕方ないと言ってもそれ程親しい友人は数いない。ちょっとむなしくなった。
――私は、その酷評から逃げない。
受け入れて終わりにしない。ここから、あたしと加持君は新しく踏み出してみせる。それが、私の加持君へ対する本当の償いなんだと思う。
誰もいない部屋を振り向いて、お辞儀した。ここにはいない田代さんに向かって。一礼して、私は何もないこの部屋を後にした。
09 奇跡の起こし方
白い猫が私の膝で「にゃん」と鳴いた。あぁ、可愛い。ぴんと立ったお耳に赤い目、すらっとしたボディを撫でると再び「にゃぁん」と鳴いた。あぁ、本当に可愛い。
この猫は先日、母の仕事場の方が海外へ行くというのでこの仔の引き取り手を捜していた。私は生き物を飼いたいと思ってはいなかったが母が猫を飼う事を薦めてくれたので引き取る事にした。きっと母は自分が傍にいないからせめてペットくらいと軽い気持ちだったのだろう。私も預かる感覚でその話を受け入れた。
が、引き取って数日。この仔がいない生活が考えられなくなってしまった。
大学の授業はそれ程でもないが『研究』になるとそうも言ってられない。御飯を食べる余裕なく目の前のレポートに全力投球。だから毎日疲れきって帰宅、寝るにしても服を脱ぐのも面倒で座って時間が過ぎるのを待つ。30分、いや1時間以上呆然と座って過ごし、そろそろ寝ないと明日の生活に支障が起きるそんなギリギリの時間になってようやく動き、シャワーを浴びて布団に潜り込む。毎日がそんな感じたった。そんな癒しも潤いもない生活していた。
その生活を変えたのはこの仔。この仔は私の傍にやってきて隣にちょこんと座り「お疲れ様」と優しく鳴く。この仔は私を待っていてくれる、お帰りと言ってくれる。私はこの時、この仔を通じて少しだけ家族のぬくもりを感じた。そして涙した。
「にゃん」
あぁ、猫というものは何故にこんなに愛らしいものなのだろうか。白い毛並みを撫でながらうっとりとため息をつく。
ありがとう、神様。この仔と出逢わせてくれて。あ、神様じゃなく今は遠くの国へ行ったあの人。
この仔を引き取る時、その人と少し会話をしたのだが、その会話の中で少々びっくりする事があった。世間というものは狭いと思った。
「……あのう」
遠慮がちに私へ声をかけるミサト。あぁ、今は過去を懐かしむ状況ではなかったわね。
「何の用かしら」
「だからですねぇ……」
私は白いソファに座りながらミサトを見下す。膝には白い猫。これで片手に赤いワインが注がれているグラスを持っていたら何かが完璧な様な気がする。
小さなガラス板のテーブルを挟んだ向こう側にミサトが正座している。ソファはない。座布団もない。オレンジ色のカーペットの上で縮こまって座っている。
ミサトはさらに小さくなるかのように、頭を床に近づけた。正座が土下座になった。
「ごめんなさい」
「あなたって本当、馬鹿よね」
「はい、馬鹿です。アホです。まぬけです。何とでも言ってください」
「何、自棄になってるのよ」
「だって」
そこまで言ってようやく顔を上げた。涙目である。ここで私がもう2、3個彼女を責める言葉を言えば目に溜まった涙は外へと流れ出すだろう。
ミサトは土下座に至るまでに自分の過去含め今までの経由を全て話してくれた。セカンドインパクトで失語症になっていた事も話してくれた。知っていた事実だが、ミサトの口から改めて話を聞くと何とも言えない気持ちになってしまった。
シンジ君から離れたのは他の女の存在を知ったからと言った。加持君とは別れた、もう一度シンジ君とやり直したいと願っていると洗いざらい喋った。いつものマシンガントークとは違った自分の気持ちを搾り出すような喋り方だった。
しかし、ミサトは大きな勘違いをしたものだ。シンジ君が浮気?そんなの絶対に間違っている。二人の会話、やりとり、視線交わしを間近で見た私は断言する。二人の絆は他人が安易に入れるものではない、と。
…………今回の件は、互いが近すぎた故に見えなくなってしまった悲劇、と言い当てるべきだろうか?それにしては少し納得しない部分がある。それはミサトではない。そう、シンジ君に。
「呆れはしたけど女が恋愛に嵌れば周りが見えなくなるのは仕方ないこと、って分かってるつもりよ。私はね」
「うぅ……」
「それより、私よりも先に謝罪しなければいけない人がいるんじゃない?」
「その事なんですが」
「何?」
ミサトは再び頭を床に近づけ、土下座した。さっきよりも深々と。私は猫ちゃんを撫でながらミサトの言葉を待った。
「シンジ君の様子聞いてくれないかな、と……」
「自分でしなさい」
「いや、しようとしたんだけど……今一歩勇気がなくて」
「仲裁しろ、って事よね?」
「いや、あの、シンジ君が明日暇か聞いてくれれば。黙って何も言わず去ったから、本当に話しかけにくくて……そしたら、頑張って、逢いに……」
「だから、それを仲裁っていうの。今回の件は貴女の自業自得って本当に理解してる?」
「はい、理解してます。反省してます、本当に反省してます」
顔が床に伏しているから表情が全然分からないけど、きっとミサトの顔は眉間に皺を寄せて目をつぶり唇を噛み締めているのだろう。床に添えられた両手が震えている。
私は膝の上の猫ちゃんに「ごめんね」と心の中で呟きながらそっと持ち上げて私の脇に、ソファの空いてる場所に置いた。そして立ち上がり電話台に近づく。置いてある白い電話機、繋がってる電話線の長さを確認して持ち上げた。線を引っ張りながら電話機を運び小さなガラス板のテーブルに置き直した。
私はソファに座らず、カーペットの上に直接座る。ミサトが顔を上げれば視線の高さが一緒の場所。
「電話番号」
私の一言でようやくミサトは顔を上げた。彼女の表情はどういう意味?のあっけに取られた顔だった。名詞だけ述べてもミサトには意味が通じなかったらしい。私は主語と述語を付け加え再び話しかけた。
「貴女のアパートの電話番号、教えなさい」
「リーツーコー」
ミサトの目から涙、鼻から鼻水、口から涎。顔の水分の元栓が壊れたようだった。私は傍にあったティッシュ箱をそのまま渡した。
◇
x、3、x、x、3、x、1、x、0、x
ミサトから聞き出した電話番号、10の数字を順番通りに押し終えた。少しの沈黙の後、受話器からコール音が聞こえた。
コール音を聞きながら、シンジ君が出るのを待つ。その間、私は壁にかかる時計に目を向けた。もうすぐ日付が変わる時刻。ついでに隣にあるカレンダーにも目を向ける。明日は9月15日木曜日。私は学校に行く以外、特に予定は入ってなかったと思う。
コール音は、まだ鳴っている。やはりこんな時間だから寝ているのだろうか?ミサトを見た。さっきよりだいぶマシになったとはいえ、目元は腫れていて鼻のてっぺんは赤く、何度も鼻をすすっている。
人間というものは、こうやって泣いたり後悔しなければ成長しない。今のミサトもそうだし、少し前の私もそうだった。辛い事を乗り越えて、人は強くなれる。と、言うけど一番大事なのは強くなれると気付く事。
そう思っていたらコール音がぷつりと切れた。回線が切れた?と思ったが、受話器の向こうからかすかに音が聞こえる。
繋がった、シンジ君に繋がった。
「もしもし、シンジ君かしら?私、リツコ」
『……今晩は』
「お久しぶりね。元気?」
『はい』
彼の懐かしい声を聞いて、ほっとした。
私はこれからシンジ君に今まで借りていた本を返したいから明日逢いたいと約束を取り付ける予定である。シンジ君には黙っているけど、本を返すのは私ではなくミサト。私と思っていたシンジ君は騙されたと思う。けど、こうでもしなければシンジ君はミサトと向き合わないと思うの。
ミサトも話を聞いてもらう前に拒絶されるのが怖くて、私に仲裁を求めたのだから。
私はシンジ君とミサトの出会うきっかけを作る。後はミサトの行動次第。これが私の即興で考えてた2人の為の仲直りプラン。
「そう、こんな時間に電話してごめんね。あのね、この前借りた本返したいんだけど明日逢えるかしら?前みたく中々逢えないし」
『……いや、多分ないのでそのまま貰って下さい』
「それは悪いわ。バイトが忙しいの?」
『いや、バイトは関係なくて………………はい、遠くへ行くんです』
長い沈黙の後、彼はそう言った。私がこの前聞いたシンジ君の状況は『大学を辞めて実家へ帰る』
それは、シンジ君から直接聞いたわけではない。でも、大学に問い合わせたら確かに退学届けが処理されていた。彼は大学を辞めて遠くへ行こうとしている。でも、おかしい。実家に帰るなら実家に帰るとはっきり言えばいいのに、何故事実を濁すのだろうか?
事実を隠したいから?……いえ、それよりも前に疑問があった。
何故、ミサトに何も言わず遠くへ行こうとするの?
「遠く?」
『はい、遠くです』
「ねぇ、それ、ミサトに喋った?」
『……いえ、ミサトさんとは逢ってないですから』
「ミサトも同じこと言ってたわね、最近新しいボーイフレンドできたからそっちにお熱みたいだし」
『ですよね、加持さんとくっついたみたいですし。今のミサトさんには僕なんかいらないんですよ』
「加持君って言うんだ、名前まで知らなかったな」
私はわざと加持君の部分を強調して言った。それを聞いたミサトの顔が引きつった。口を少し開けて顔が青くなっていった。
バレバレよ、貴女の行動は。
ぶざまなミサトから目を逸らし私は会話を続けた。
「まぁ、事情あると思うし仕方ないわね。いつ戻ってくるのかしら?」
『…………』
戻ってくる日を聞いただけなのに何で会話が続かないの?
沈黙の間に私の頭に嫌なイメージが浮かんだ。
シンジ君が富士の樹海に足を踏み入れて、奥へ奥へと歩いて行く。シンジ君は振り返らない。そして、樹海の中へ消えていく。その後、彼を見るものはいなかった…………。
「まさか死ぬとか言わないわよね」
『そ、それは……』
「女に振られたからってそんな生きる希望ないって馬鹿らしい事はやらないでよ」
『僕は』
的中したと思いたくなかった。でも、電話越しに伝わる彼の声が明らかに動揺している。私の言葉だけを聞いていたミサトも駄々ごとではないと察したらしく身を乗り出してきた。
電話、変わってと目で訴えてる。私は左手の人差し指を口元に持っていきミサトの訴えを却下する。
ここで貴女が出たら彼は壊れる事でしょう。
だけど、彼を引き止めるには貴女は必要で不可欠。
私が貴女と彼を繋ぐまで耐えなさい。
私はシンジ君に、そしてミサトにも言いたい事を口にした。
「ねぇ、私思うんだけどシンジ君、ミサトに本音を伝えた事ないでしょ?一度腹を割って話してみたら?」
二人のすれ違いが『互いが近すぎた故に見えなくなってしまった悲劇』と称するなら、解決策はこれしかない。2人の思いは繋がってるなら尚更に。
ミサトも、シンジ君も何1つ本音を伝え合っていないのだから。
『……もう、遅いんです』
「遅いって」
『お世話になりました』
「ちょっと、」
『とう……碇ゲンドウには気をつけてください』
「待ってっ!」
遅いって諦めるの?
お世話になりましたって、もう私達は逢えないの?
彼が何故このタイミングで『碇さん』の事を口にしたの?
色々聞きたかった。けどそれよりも聞かなきゃならないことがある。
「これが、最後の電話になるのよね、シンジ君」
『……はい』
「1つだけお願いがあるの。貴方の本音を聞かせて」
『本音ですか?』
「えぇ」
シンジ君とミサトの仲裁予定は狂った。そして私は彼と言う人格を誤解していた事に気付いた。
優しくて親切、繊細で物腰が柔らかい。線の細さが男性としては頼りないかもしれない。でも、それは彼の内面が外面を表しているからであり、彼の長所であると思っていた。
だから、勘違いしていた。
彼は優しさの裏に、深い闇を抱えている。それを吐き出せずに苦しんで最悪な道を歩もうとしている。
ミサトが頼ってきてくれて嬉しかった。2人の仲裁なんて簡単だと思っていた。また、いつものように3人で笑いあえる日がくると思っていた。
でも、事態は悪化していた。2人が逢わなかった数ヶ月の間に、彼は闇に飲まれていた。
もう、私では彼は救えない。もしかしたら、ミサトでも救えないかもしれない。もう手遅れだと思った。
でも、ここで諦めたらダメ。
シンジ君は闇に捕らわれていた私を救ってくれた。
そんな彼が私と同じく闇に捕らわれたというなら助けたい。
本当の事を言えば、シンジ君を助ける為に時間が欲しかった。冷静になって親身になってシンジ君と話したかった。しかし事は一刻を争う。今を逃したら2度と彼を救えないかもしれない。
私の導き出した対処方法は間違っていないだろうかと悩む暇はない。この方法を信じるしかない。息を飲み覚悟を決めてシンジ君に言葉を返した。
それは、彼と彼女の未来を決めるたった1つの質問。
「ミサトの事、好き?」
私は受話器をすぐにミサトに突きつけた。ミサトは驚いた顔をしたが、恐る恐る受話器を手にし耳に当てる。
私は左手の指を先程と同じように口元に添え警告する。ミサトもうなずき言葉を待っている。その目は涙で潤んでいた。
「けじめをつけなさい」
ミサトさんに言われ、僕はエヴァに再び乗った。無残に引きちぎられ、原型を留めない弐号機を助ける事ができず僕は逆らえない儀式にただ絶望した。
巨大な綾波が現れ、綾波の顔が崩れありえない事実に逃げ出したくなった。助けて、と願った時カヲル君が現れた。生きていたんだ、よかったと思っら、記憶がすとんと抜けた。
小さい頃の記憶。幼稚園をこっそり抜け出して小さな公園に遊びに来た。砂浜で女の子達がお城を作っていた。ブランコの後ろで徐々に高くなっていく砂山を見ていたら誘われた。
一緒に遊ぼうって誘ってくれた。お城を完成させようって言った。
砂をかき集めて高く高く山を作った。ぽんぽんと叩いて崩れないように固めた。
「もうちょっとで、できるね」「そうだね」そう言いながら僕らは砂山と言うお城を作っていった。
「○○ちゃーん、△△ちゃーん」
「あ、ママだ」
「帰らなきゃ」
「じゃあねぇ」
「ママ――」
女の子達が帰った後、僕は泣きたい気持ちを堪えて作りかけのお城を築いていった。
日が暮れて、街頭が点いた。周りには誰もいない。誰も来ない。僕は砂をかき集めて積み上げて、ぽんぽんと叩いて崩れないように固めて――――お城の砂の山ができた。高い高い大きな山。
僕は、完成した砂山を見て――――踏み潰した。
何度も、何度も、何度も、何度も
踏み潰され、土台しか残っていない山。僕は泣きたい気持ちを堪えて、もう一度作り直した。
さっきより大きい山を作ろう
作っている間にお母さんが迎えに来てくれる
作っている間にお父さんが迎えに来てくれる
そう信じて
「あんたを見ていると苛々すんのよ!」
僕に抱かれているアスカが叫んだ。
僕にキスをしようとアスカが向かってきた。
座っている僕を見下すアスカがいる。
「自分みたいで?」
アスカの顔が酷く歪んだ。答えは当たっていた。アスカは僕の目をまっすぐに見て、向き合った。
「私の何を分かってるの?分かってるふりをしてるだけでしょ!」
「じゃ、アスカは僕を分かってるの?」
「知ってるわよ。あんたが私をオカズにした事とかぜーんぶ」
「分かってるのに何で僕に優しくしてくれないの?僕はこんなに望んでるのに!」
「他人を、私を好きにならない奴にどうして優しくしなきゃならないの?」
アスカが迫ってくる。僕は後ずさりし、逃げる。狭い空間の中、必死に逃げる。すぐに壁にぶつかった。壁伝いに僕はカニ歩きで逃げる。アスカは「逃がさない」と気迫で僕を捕らえ追い詰める。
「アンタは自分も好きになれていないんだから、他人が好きになれるわけないわ!」
アスカの目には憎しみが籠もっていなかった。籠もっていたらどんなに楽だっただろうか。
逃げる僕を追い詰めて、アスカは胸を押した。力強く、突き放した。
体勢が崩れ、右ひじにコーヒーメーカーがぶつかった。僕の体が床に崩れ落ちる前に、ガラス容器の中に入っていたコーヒーが床に撒かれた。ガシャンとコーヒーメーカーも落ちた。コーヒーの海に僕の体が落ちる。ばしゃんと僕の体がコーヒーに染まった。
熱かった、でもその熱さよりも僕の心を支配する痛み。
例えるならナイフで全身を切り刻まれる痛み。傷は残るが死へ繋がらない。傷口に熱さが沁みる。死と隣り合わせの痛さ。
「……僕は、アスカの気持ちが分からない。だから好きになれない」
「分からない、救えないとなったら拒絶?良い身分ね」
「違う。アスカは自分の気持ちを云わなかった。僕に本音を話さなかった。だから、怖かった」
「私のせいにする気?」
「アスカだけじゃない。ミサトさんも、綾波も、父さんも――皆、怖かった。でも、それよりも怖かったのは自分が要らない人間だと知ってしまう事」
いつの間にか、アスカの姿が消えていた。
コーヒーの熱さが消えていた。フローリングの冷たさも消えていた。テーブルが消えていた。
何もないこの場所、僕は知っている。
これは、海の中。僕はLCLの中の海を泳ぐ。自分自身の願いを知るために。
「僕を見て欲しい。誰かの役に立ちたい。だから、エヴァに乗った」
自分がいない世界を眺めた。
自分がいない世界は動いている。僕という存在がなかったかのように。
日が登り、人々は目を覚まし『日常』を始める。学校に行く人、会社に行く人、家を守る人、あくびをする猫、仕事を終え寝る人。
仕事のミスに嘆き、締め切りに追われ、他愛無い会話に笑い、部活動に汗を流し、犬の散歩をし、ゲームをクリアして、御飯を食べて、お風呂に入り、夜の仕事に出かけ――――人々は一日を終える。
その中に僕はいない。
いなくても世界は回る。
僕は要らない人間。
いや、違う。
誰かと話したり、誰かの話を聞いたり、一緒に笑ったり、彼を心配したり、彼女を愛したり
僕じゃない誰かの存在を感じなければ、誰かが僕の存在を認めてくれなければ、僕はこの世界に存在しない人間なのだ。
「……逃げちゃいけないと唱えたのは僕という存在を失わないようになのかもしれない」
僕は一人で生きていけない、一人だと僕は存在しない。
それは僕だけでなく、全ての人間に言えること。
◇it is not you that laughed vaguely.
やり直したいと思った。
最初からじゃなくていい。
僕の人生が大きく変わったキーポイントから。
僕の運命が大きく変わったのはどこだろう?
きっと、あの日だ。
あの日、僕が逃げなければこんなエンディングを迎えなかっただろう。
やり直したい。今度こそ、救いたい。
「みんなにもう一度逢いたい」
逢いたい気持ち、この気持ちは本当。
全てが終わった時、みんなと笑いたい。
僕は赤い海の中へ歩いていく。陸が続く限り歩みを止めない。僕の体が胸まで赤い海に浸かった時、いきなり陸が消えた。ドブンと水の中に潜る。赤い水を一気に飲み込む。いつまでたっても慣れない血の味を肺に浸透するように飲み込むと息が出来た。
僕は彼女の名前を呼んだ。
『綾波』
『時を遡るの?それが、碇君が望む未来?』
綾波の声が聞こえた。綾波には僕の考えている事が全てお見通しだった。それを踏まえて最後の忠告をする。
『やり直したい、未来を変えてみんなが幸せに生きる世界を造る。それが僕の願い』
『後悔しない?』
『綾波。今の僕に迷いはない』
『碇君の望み、皆が幸せに生きる世界。わかった』
綾波はそう答えながら姿を現した。赤い海の中に白い体。綺麗だった。
綾波は一歩、また一歩と僕に近づいてきた。迷いなく歩いてくる。歩きを止めない、避けなきゃぶつかる、体を横へ一歩動かさなきゃと思ったのに足が凍りついたように動かない。何で動かないんだと思った時、彼女の体が僕の体を通り抜けた。
僕は、実感した。
綾波は、人間じゃないと。僕の思いを形にした、希望なのだ。
『碇君の想い、感じた』
感じた?僕の体を通り過ぎた事で僕を感じたというのか?
『碇君の想いと、ATフィールドを失い自分の形を失ったこの世界のみんなの気持ちを融合させて、碇君を過去へと飛ばすわ』
『みんなの気持ちと融合して、僕は時を遡れるの?』
『そう。碇君は自分の気持ちだけじゃなくみんなの気持ち、みんなの希望を背負わなくてはならない。それでも大丈夫?』
『みんなの願いも叶えるということ?』
『そうなるわね』
『そんな大役できるかな』
『みんなを救いたいと思ってる碇君ならできる』
綾波は僕に手を差し伸べた。
きっと、この手を握ったら僕は過去へ戻れるだろう。
綾波の言う『みんなの希望』
誰がどういう願いを持っているのか分からない。叶えられない願いもあるかもしれない。
でも、惨劇は繰り返さない。繰り返させない。それが僕の願いでみんなの願いに繋がるなら――――
僕は迷いを捨てて手を握った。僕の願いが誰かの希望に繋がると信じて。
『頑張ってね、シンジ』
綾波よりも落ち着いた、優しい声音。この声は――――母さん?
母さんなの?と問い返す前に、僕の体は手を握った綾波の体と共に光に包まれた。白くて、眩しくて、暖かい、優しい光だった。
そうして僕は自分が存在しない時代へと辿り着いた
誰かの希望を叶える為に
誰の願いなのかは、この時僕は分からなかった。
◇He held hope and started on a journey.
2000年、僕が時を遡り1年が過ぎた。
僕が望んだ世界は2015年のあの日。それよりも15年前にやってきたという事はあの時綾波が言っていた『誰かの希望』を叶える為だと思う。
でも、未だに誰の希望なのかが分からずにいた。
母さんに紹介された岩木さんの部屋に居候。学校には行かず、8畳1間の部屋を定期的に掃除、溜まった洗濯物を干し、御飯を作る。世界の情報を知る為に新聞やテレビの報道番組や討論番組を欠かさずに見た。たまに母さんから連絡来た。その度に僕は母さんと逢って、僕は未来の情報を、母さんは今の情報を交換した。この前逢った時は母さんのお腹がふっくらと大きくなっていた。あの中に僕がいる。そう考えたら複雑で変な気持ちになった。
とある日、討論番組があると知りテレビをつけた。討論のテーマは「日本は復興するのか?」5人の男女が去年起こった隕石の災害を引き合いにしてあーでもない、こーでもないと話をしていた。
こういう番組やニュースを見て1つ分かったのは今の時代ではセカンドインパクトは使徒が起こした、ではなく隕石での災害となっている。確実に情報操作されているのが分かった。使徒と言う存在を隠されている。何故、隠されているのか母さんに聞いたら「今はまだ真実を明かす時じゃないの」と言われた。世界に対しての答えでもあり、同時に僕に対しての答え。この後、世界が真実を知る前に、僕は先に真実を知ることになる。
「この現状を打破するには救世主という存在が必要である」
テレビの言葉を適度に聞き流し、明日は何のおかずを作ろうかと考えていた時、この言葉が聞こえた。テレビを見る。サングラスをかけた白髪のおじさんが写っていた。目がサングラスで見えないから本音なのか冗談なのか分からなかった。
「人々の心を1つにまとめ、新しい世界を造る。その為の救世主が今の日本に不可欠」
僕はこういう人の願いを叶える為に過去へ来たのだろうか?
…………本当に救世主が必要なのは15年後の話。だから、違う。違うと思いたい。
もし、僕がこの人が言う「救世主」だというなら、テレビに映る関わる事のない人の願いを叶える為ではなく今まで関わった僕の知る人の救世主になりたい。
これ以上見ても意味がないと思ったのでテレビのスイッチを切った。後ろを振り向くと2Lのペットボトルに入ったお茶を一気飲みしてる岩木さんがいた。
足元にはパソコン。さっきまで点いていた電源は落ちていた。左手にはフロッピーディスクを持っていた。どうやら書いていた小説が出来上がったらしい。
「ちょっくら、出かけてくる」
「今からですか?」
「うん。知り合いのコピー機借りて印刷してくる」
岩木さんの部屋にはパソコンはあるけど、パソコンに繋ぐコピー機がない。故に小説が出来ても原稿が作れない。パソコンを買うので精一杯だったらしいのが岩木さんの話。この小説で賞金GETしてでコピー機を買って回転してない寿司をお腹一杯に食べるのが夢だそうだ。
カーテンを少し開ける。パラパラと雨が降っていた。
「岩木さん。雨降ってますよ」
「ありゃ、参ったな。ならジャケットでも着てくか」
雨だからと出かける事を諦めない岩木さんは押入れを開けて季節物の衣類が入った衣類ケースから羽織るものを探した。
「あった♪」
衣類ケースから引っ張り出した赤いジャケット。
それに見覚えがあった。
未来で、僕がいた世界でミサトさんがネルフにいた時にいつも来ていた赤いジャケット。
「…………シンジ君?」
そうだ、ミサトさんはこの世界に存在している。
使徒が空から落下してくるあの戦闘前に、高台で聞いたミサトさんの言葉を思い出した。
『私の父は、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。家族にかまってくれなかった。そんな父に呆れて母は私を置いて出て行ったわ。家族を壊した父を許せなった。憎んでさえいたわ。…………でも、父は私の身代わりで死んだの。セカンド・インパクトの時にね。私は分からなくなったわ。父を憎んでいたのか、好きだったのか。ただ一つはっきりしているのは、セカンド・インパクトを起こした使徒を倒す。その為にネルフに入ったわ。結局、私はただ、父への復讐をしたいだけなのかもしれない。父の呪縛から逃れるために』
セカンドインパクトが起きた今、ミサトさんは使徒へ復讐を誓っているのだろうか
自分の身代わりに死んだ父親に涙を流しているのだろうか
父さんに見てもらえない僕
お父さんに見てもらえないミサトさん
憎んでいたのか、好きだったのか彼女は分からないと言った
僕も分からない。今となっては父さんへの思いが漠然としか分からない
でも、好かれたかったんだと思う。ミサトさんもそうだと思う
だから、ネルフへ入り使徒を倒して認められようとしたんだ
この世にいない、お父さんに
人は逃げちゃいけない。立ち向かう事で未来をつかめる
でも、自由に生きる為に違う道を選んでもいいはず
復讐に身を染める生き方ではなく、人として普通の幸せを願う
僕はもうこの運命から逃げない。だから一緒に背負う。彼女の呪縛を
幸せに生きて欲しいから
僕が、この世界に飛ばされたのは彼女を救いたかったかもしれない
「シンジ君、男なら泣くなぁ!」
岩木さんは僕を心配していた。突然ぽろぽろと泣き出した僕を見てオロオロしたらしい。僕は涙を拭って岩木さんに質問した。
「ミサトさん、葛城ミサトさんは何処にいるか分かりますか?」
◇To save her, he sacrificed oneself.
それから5年後
僕は母さんの力を借りて南極へ行きミサトさんを失語症から救った。長い間、軍の施設で隔離されたけど岩木さん(この時は名前を変えて田代さんになっていた)のおかげで大学受験に合格し、それを機に軍の拘束が解け、自由のみになった。
2人で暮らしていろいろあった。ミサトさんがお母さんの死でセカンド・インパクト前のトラウマを思い出し、パニックを起こした。それを抑える為に体の関係を持った。
それから、何度も体を重ねた。その度に僕はミサトさんにある感情を抱いた。その感情の正体を知ると僕はのめり込む。だから、その感情の名を口にすることはしなかった。
自分の気持ちに気付かないようにしてミサトさんを慰める度に、未来へ戻りたい気持ちがぐらついてる自分。
このまま、ずっと
その先の願いも、感情と共に自分の中で削除した。削除して、自分の本来の目的を忘れないように何度も心の中で呟いた。
母さんと最後に逢ってから、ミサトさんを見かけなかった。授業を終えて探しても見つけれなかった。珍しい、と思いつつもアルバイトの時間が押していたので探すのを止めてアルバイト先へと向かった。今日は週末、きっと合コンか飲み会の予定が入ってるだろう。その帰りにふらっとやってくるだろう。
でも、ミサトさんは閉店になっても来なかった。
アパートに戻ると電気がついてなかった。部屋には誰もいなかった。
留守電にもメッセージが入ってなかった。
あぁ、そうか。ミサトさんは本来いるべきの場所へ戻ったんだ。
気が抜けた。今まで自分が抱えていたものが一気に堕ちたように。畳の上に大の字になって寝っころがり、電気をつけない部屋で天井を眺めた。
僕は呪縛を取り除いた。だから、ミサトさんはネルフや復讐に捕らわれず幸せになればいい。
本当に結ばれるべき人と結ばれて暮らす
それがミサトさんの幸せ
その相手は僕じゃない
僕はATフィールドを失った自分、そして全人類が自分の形を失った曖昧な世界にいた時、ミサトさんと加持さんが抱き合ってるところを見ている。
この部屋じゃない、何処かのアパートで窓の物干し竿に一杯の洗濯物が干されていた。扇風機が動いていた。その周りにティッシュやら雑誌やらカップラーメンのゴミが散らかっていた。少し衛生さが欠けた部屋でミサトさんと加持さんが体を重ねていた。
そこには、僕の知らないミサトさんがいた。
今の僕では与えられない、ミサトさんの幸せ。
その幸せから、僕は目を逸らせなかった。
加持さんが体を起こした。加持さんの大きな背中。
その背中を見て、凄く悔しかった。
この悔しさはあの時と同じ悔しさだった。
◇He was aware that he was still a child
ミサトさんの泣く声が聞こえた。キッチンと僕の部屋は離れているのにその泣き声ははっきり聞こえた。声を抑える事無く、吐き出すかのように泣く。
きっと、留守番電話のメッセージを聞いたのだろう。
僕とアスカが学校から帰った時、電話が鳴っていた。電話を取ろうとした時、ちょうど留守番メッセージに切り替わった。どうしよう、取った方がいいかな?と迷っていたらメッセージが入った。
メッセージの人は加持さんだった。
「葛城、オレだ。多分この話を聞いているときは、君に多大な迷惑をかけた後だと思う。すまない。リッちゃんにも、すまなかったと謝っといてくれ。あと、迷惑ついでにオレの育てていた花がある。オレの代わりに水をやってくれると嬉しい。場所はシンジ君が知っている。葛城、真実は君と共にある。迷わず進んでくれ。もう一度逢える事があったら、8年前に云えなかった言葉を口にするよ。じゃ」
メッセージが終えるまで、僕とアスカは動かなかった。ピーと音が鳴った後もしばらく動けずにいた。
「……告白なんて留守番電話に残さないでよっ!」
静かな部屋にいきなり怒鳴り声が響いた。叫んだのはアスカ。アスカは部屋に戻り数分後に大きなバックを持って委員長のところに泊まるって言い残してマンションを出た。
僕はアスカを見送る事無く、電話を見つめてそこに立ち尽くしていた。
あれから、2日。電話は一度も鳴っていない。僕は電話には触れていない。ずっと留守電の用件再生のランプは点滅したまま。
今日、帰ってきたミサトさんはそれに気付き、メッセージを聞いた。
ミサトさんの、彼女の泣き声を聞きたくなくて、僕は耳を塞いだ。
塞いでも聞こえる、泣き声。
うつ伏せになり、頭から枕を被った。枕の端を引っ張り、耳を覆うようにして聞かないようにした。
それでも、聞こえる。彼女の泣き声。
聞きたくない、彼女の泣き声なんて聞きたくない。
「そのとき、僕はミサトさんから逃げることしかできなかった……。他には何もできない、何も云えない……子供なんだと……僕はわかった」
泣いている彼女に胸を貸す事もできない。肩を抱く事もできない、気の利いた一言もかける事もできない。
僕は彼女を支える事ができない、子供だと知った。
早く、大人になりたい。
彼女を支えれる大人になりたい。
大人になりたいと願った僕は、気付いた。
母でもなく、上司としてでもなく、姉としてでもなくいつの間にかミサトさんを一人の女性として愛していたことに。
でも、気付くのが遅かった。
彼女は手を離れた。本来の居場所へと戻っていった。幸せを求めて飛び立った。
早く気付いても、どうにもできなかった。
僕はこの世界の人間ではないから。
結ばれてもいつかは引き離される。
再び出逢っても歳が離れすぎている、相手にしてもらえない。
僕が望んだ未来は、彼女が復讐に生きない、幸せな未来を歩む事。
だから、再び同じ場所で出逢えたら望んだ未来じゃない。だから、出逢っちゃいけない。
明日、母さんは初号機の起動実験で初号機に乗り込む。
母が初号機に取り込まれたら、僕は未来へと帰れるだろう。
エヴァに取り込まれた母さんは、ATフィールドを失い自分の形を失う。その時、母さんは願うと言った。
僕が2015年の未来へ戻れますように。
14歳の少年として、エヴァに乗る為に時を再び越えれるようにと。
実例がないから絶対に戻れるという保障はない。
母さんが取り込まれても僕は時を越えられずこの世界にいるかもしれない。
でも、僕は戻れると自信がある。
母さんならやってくれるって。
僕がこの時代に時を遡る前に聞いた言葉、母さんだって信じてる。
母さんの力、エヴァの力で僕は時を越えたと思ってる。
だから僕がこの世界でみんなの、いや誰かの願いを叶え終えていたら、エヴァと一緒になった母さんの力で再び時を越えて次のステージへ行けるはず。
僕はミサトさんやリツコさんを救ったりとその努力はした。したはずだ。
したはずなのに、何故だろう。僕の心に後味悪い、すっきりとしない気持ちが胸に残ってる。
◇I love you.
1枚のメモを残そうと思う。
僕が消える事で筆跡が消えるかもしれない。でも、この言葉だけは残したい。
それは、今まで隠したり、削除したり、押し殺したりした僕の気持ち。
「復讐に捕らわれず、幸せに生きてください」
そして、
電話が鳴った。誰からだろう、母さんから?それとも、もしかして
期待と不安が胸でいっぱいになり受話器を取るのが遅れた。電話はリツコさんからだった。
リツコさんは以前貸した本を返したいと言ってきた。できれば、明日。
明日は無理です。だって、僕、明日、消えちゃうんですから。多分ですけど。
真実を語らないように、でもなるべく嘘じゃない言葉を選んで断った。
リツコさんはその答えに満足しなかったらしく、違う話題を入れながらどうしても僕に逢いたいと言ってきた。その質問を誤魔化す答えが上手く見つからず言葉を詰まらせた。
その沈黙で、リツコさんは最悪な事態をイメージしたようだった。
「まさか死ぬとか言わないわよね」
死ぬ、わけじゃない。でも、今まで生きた僕はこの世界から消えるのであって、それは死ではないだろうか?そうなると、リツコさんの言葉は意を得ているかもしれない。
「女に振られたからってそんな生きる希望ないって馬鹿らしい事はやらないでよ」
違います、生きる希望がないから死ぬんじゃないんです。生きるために、希望を叶える為に僕は時を越える、死する。
リツコさんの誤解を解く為に全てを話すべき?無理だ、説得するにしても時間がなさ過ぎる。第一、信じてもらえるはずがない。
「ねぇ、私思うんだけどシンジ君、ミサトに本音を伝えた事ないでしょ?一度腹を割って話してみたら?」
確かに、伝えてないです。もしかしたら、本当の気持ちを言っていたらまた違った未来があったかもしれない。今よりも幸せになれるかもしれない未来。でも、同時に悲劇にもなりえるかもしれない未来。運命とか呪縛とか投げ捨てて、自分だけの幸せを追求すればそれが本当の幸せだったかもしれない。
でも、もう
「遅いんです」
『遅いって』
「お世話になりました」
『ちょっと、』
「とう……碇ゲンドウには気をつけてください」
僕は知っているから。父さんのせいで、リツコさんが泣く事を。
綾波のダミープラグを壊して「あの人の為にっ!」と叫んだその姿に僕は悲しみを覚えた。そして、恨んだ。リツコさんが叫んだあの人、僕の父である碇ゲンドウを。
現にこの時代でも、リツコさんは泣き叫んだ。それは利用された故に裏切られたからの叫びではなく、思いが実らない乙女の叫び。
この時からリツコさんは父さんを愛していた。愛していたから、受け入れる事ができたんだ。利用されても、体だけが目的だとしても我慢できたんだ。
ごめんなさい、父さんのせいで。こんなに苦しませて。
自分の罪じゃないのに、謝って抱きしめた。僕がもっと大人なら救えただろうかと思いながら。
リツコさんは父さんに関わっちゃいけない。関わらなければ幸せになれると思う。
だから、僕は忠告した。気をつけてくださいと。
「待ってっ!」
これ以上話したら危ないかもしれない。本音を言うかもしれない。怖かった。僕は電話を切ろうとした。それを拒むリツコさん。
『これが、最後の電話になるのよね、シンジ君』
「……はい」
『1つだけお願いがあるの。貴方の本音を聞かせて』
「本音ですか?」
『えぇ』
一呼吸置いた後、リツコさんは問うた。
『ミサトの事、好き?』
言葉に詰まった。言うべきか、誤魔化すべきか。誤魔化した時点で『好きではない』になるだろう。電話を切れば嫌いと思われるだろう。
明日には消える身、それでいいんじゃないか?適当にはぐらかしてもいいんじゃないか?
でも、リツコさんが言った。お願いした。本音を聞かせてと。
電話の横に置いたメモを見た。さっきの文の下に書きかけの言葉がある。
「僕は貴女の事が」
この先に僕の本音がある。本当は過去形で書くつもりだった。今の自分の想いを過去形にして残し自分の気持ちを清算させるつもりだった。
でも、もう無理だ。
今まで押さえ込んできた本音がリツコさんの会話で喉元まで押し寄せてきた。
最後の電話、一つのお願い。文字にするだけでは押し戻せない。過去の想いとして処理できない。
吐き出すしか、ない。
僕はミサトさんへの偽りのない想い、メモに書こうとした言葉を口にした。
「僕は、ミサトさんを、愛して、いますっ」
◇I need you.
その言葉が聞きたかった。
ずっとずっと聞きたかった言葉。
「待ってて」
『え?』
「逃げないで、待ってて」
『ミ、ミサトさん?ミサトさんなのっ?』
「うん。だから、待ってて。逢いたいから。逃げたら承知しない」
彼の答えを聞く前に、私は電話を切った。彼は逃げない。彼の言葉が真実なら彼は逃げないで待っててくれる。そう信じているから。
「両思いみたいだったの?」
「うん」
「はい、これ」
渡されたのは猫のアクセサリーがついた鍵だった。形と大きさから言って部屋の鍵、または車の鍵らしいもの。
「これ」
「ぶつけたら許さないからね。あと、赤信号はちゃんと止まりなさい」
リツコは自分の愛車を貸してくれた。「ミサトの運転は荒いから貸したくない」といつも言っていた。私だけじゃない、他の誰にも貸したことのない愛車。それを貸してくれる。リツコは優しく微笑んでいた。「私がここまでお膳立てしたんだから仲直りしなきゃ、ダメよ」という気持ちが伝わった。
「了解っ!」
「ありったけの想い、ぶつけてきなさい」
「うんっ!ありがと、リツコ!」
私はお礼を言って、一目散に部屋を後にした。リツコの車は88年式のパオ。国産の車だが丸みをおびた可愛らしいデザイン。BE-1の第二段として発売されたバブル期に生まれたと聞いている。運転席に乗り込み座席を調節する。バックミラーも調整し、鍵を差し込みアクセルとブレーキを踏み込みながら鍵を回す。
かかった。
メーターを確認する。レトロ調のメーターはちゃんと動いていた。車のライトをつけてブレーキから足を話し、エンジンをふかす。
アクセルとエンジンの踏み込みを操りながらギアの段階を上げていき、シンジ君がいるあの部屋へ早く早くと逸る気持ちを運転に影響させないように走らせた。
◇ The name of the cat is shiro.
「にゃぁん」
「行ったわね」
猫ちゃんがソファから降り、私の膝へちょこんと座った。白い毛並みを撫でる。ゆっくりと、優しく。
「後は、結果報告を待つだけね」
風の様に去っていった友人。彼を救えるのは彼女しかいない。
彼女は彼が居るアパートに着いた。
彼と彼女の部屋は1階の103号室。車を置いた駐車場の真後ろにドアがある。彼女は急いで車から出て鍵をかけた。ドアの前へ近づく。所々汚れがある白いドア。ドアノブに手をかける。鍵は掛かっていた。呼び鈴を鳴らす事無く小さな水晶玉のキーホルダーがついた鍵でドアを開ける。
ドアを開けて直ぐに部屋に入ると消臭剤の甘い香りがした。あの頃と変わらない空気が部屋を包んでいた。
靴を脱ぎ、彼がいるはずの畳の部屋へ歩き出した。フローリングの台所を素足で歩く。目の前のガラス張りの引き戸を開く。
彼はいた。
部屋の隅で、小さくなってしゃがんでいた。
彼女は駆けた。狭い部屋を。3歩で辿り着くだろうと思うその場所まで、駆けた。
早く逢いたい、謝りたい、声が聞きたい、色々な感情が胸で交錯しながら彼に手を延ばそうとしたその時、
「ダメです」
拒絶の言葉が聞こえた。
「ここは、ミサトさんのいる場所じゃないです」
「私の居場所はここよ」
彼の拒絶を、彼女は拒絶した。
「……僕なんかほっといて下さい!」
徐々に怒りにみちた暴力的な声になり、無理やり言葉を切った。俯いたまま、彼女を見ようとはしない。
彼は甘えている。「ほっといて」の言葉の向こうに「助けて」の意がある。彼女はその意を理解してるか分からない。小さくなっておびえている彼を抱きしめる事をせず、敢えて突き放す。
「何、卑屈になってるのよ」
「なってませんよ」
「なってる」
「なってない」
「なってる」
「なってない!」
否定と肯定の繰り返し、ストップをかけたのは彼の自棄になった言い方だった。ほら、卑屈になってる。と彼女は笑っていった。そして、再び私は挑発を繰り返す。
「都合悪くなったらむきになって否定して、最低よ」
「ほっといてください、もう、本当ほっといてください……」
何度もほっといてくれと唱える彼。嗚咽が聞こえた。膝を抱えて、小さくなって、寂しさを身に溜め込み、震えている。
「僕なんかほっといて、加持さんの元へ行って下さい……」
「どうして自分と向き合わないの?今のシンジ君は逃げてるだけよ」
「逃げてない、僕は逃げてないっ!」
逃げてる。現実から目をそらし、何かにおびえている。
私では彼を助けれないの?彼女の頭にあの日の「あの人」の姿が浮かんだ。それは、数ヶ月前に彼を探していた時に見かけた人。あの人はドアから覗いていた私に気付いて、にっこり笑った。その笑い顔に寒気を覚え、目を逸らし一目散に逃げたあの苦い日。
「私じゃ、ダメなの?あの人がいいの?」
『どんなに望んでも得られない、だってこの子は私のなの』
あの笑顔に、込められた思い。認めたくないけど、現に彼はあの人に抱きついていた。
望んでも得られない、心の隅でその事実を認めていた彼女は――――悔しかったのだ。
「あの人の胸では泣けるの?自分を曝け出せるのはあの人だけなの?」
「泣く?誰が?誰に?」
「学校で、泣いてたじゃない。忘れたの?」
「あれはっ……」
「『大好きです』って告白して……」
彼女は目に見えた出来事を語った。聞こえてきた言葉を口にした。今まで向き合いたくなかった出来事を彼に話し、真実を求めた。自分の都合良い答えであると信じて。その言葉には自分の冷静さは欠けていた。
「何でアタシを本気で抱いてくれなかったのよ……!」
「本気で抱いたら溺れるだけ溺れて後先考えず二人だけの世界に堕ちる、覚えないですか?」
彼女には覚えはあった。それをつい昨日まで体験していたのだから。愛の告白をしなくても都合よく自分を抱いてくれた友人に身を任せ現実を忘れた日。彼の言葉で自分の今までを思い出し、頭が冷えていくのを感じ今の自分は攻める立場ではなく、謝る立場なのだという事を思い出した。
「そこに堕ちるのが怖かったんです。溺れて浮き上がれなくて何もかもどうでもよくなる」
彼は立ち上がった。顔を彼女に向けず背を向いた。カーテンを開けて闇夜に目を向ける。星空は一面の曇り空で見えなかった。
「あの人は、僕の母さんです」
彼の答えは彼女の求めていた都合よい答えだった。でも、現実味がなかった。あの人の年齢は彼より上だとしてもせいぜい5歳程度。歳が近すぎるのだ。
「……若すぎる」
「信じてもらえないと思う。でも、本当なんです」
彼は必死で弁解しなかった。淡々と語る。それが逆に説得性を生んでいた。
彼女は考えた。彼とあの人の母子である可能性を。義理の母であるのか、母親代わりの身内であるのか…………彼の言葉がこの場を乗り切る為の嘘である可能性は捨て切れなかった。
でも、彼女は言葉を信じた。信じて、謝罪した。信じる事が償いなのだと彼女は思った。
「ごめん、勝手に勘違いしてた」
「もう、いいです」
彼女は、彼とあの人が抱き合っていた時を再び思い出した。あの笑い顔は私への挑発ではなかったのだろうか?あの時に感じた独占力は子を思う母の愛だったのだろうか?思い出しても、今となってはうろ覚えな記憶になっていたので確証は得られない。
ただ、一つ言えるのは、
「あの時、負けたって感じがした。勝負とかじゃないのにね」
「事情を言えなかった僕も悪いんです」
彼は振り向いて、彼女と向き合った。
「もう、終わりにしましょう。明日、僕という人間は消えます。記憶だけの人となる。でも、その記憶も時と共に薄れ消え逝くんです」
そうして、彼は一つの物語を語った。
◇
時に、西暦2015年
14歳の僕は離れて暮らしていた父に呼び出されました。待ち合わせた場所に敵は襲来し、危ないところをミサトさんが助けてくれました。
父のところへ辿り着いた僕はエヴァと言うロボットに乗り使徒という巨大な敵を倒す運命を背負わされます。
怖かった。でも、ロボットに乗れば父が僕を見てくれる。
パイロットになり敵と戦う為にこの街で暮らすこと、ミサトさんと一緒に暮らすことを選択しました。ミサトさんと暮らす事になったのは監視の為だったかもしれない。最初はぎこちない僕達でしたが、少しずつ互いが求めていた「家族」の関係を育みました。
戦いと日常を繰り返し、色々な人に出逢い少しずつ世界が広がっていく。だけど、戦況は重苦しくなっていき僕とミサトさん、そして人々の心のバランスが崩れたのです。
碇シンジは友を傷つけました。
葛城ミサトは恋人を失いました。
碇シンジから友が消えていきました。
葛城ミサトは親友を助けられませんでした。
碇シンジは自分より純粋な存在を壊しました。
人々は未知なる生物に恐怖しました。
そして、幸せを願いました。
ミサトさんは僕を守るために呪いとも言える約束を残して死んだ。
僕は決着をつけて、全てが終結した世界で必死で生きようとしました。でも、世界のみんなは夢に溺れ戻ってこなかった。唯一の仲間も、僕を拒絶しました。
こんな世界は違う、もう一度やり直したいと願ったら――――
「ここにいたんです」
彼女は知った。彼の過去、いや未来を。
「僕はこの世界の住人じゃない。未来を変えるためにやってきたイレギュラーな存在」
彼女は理解した。彼が怖がってる理由を。
「明日、母さんはある実験でこの世界から消える。消える事で僕は未来へ戻る」
彼女は涙を流した。彼の今までの出来事と、彼の浅はかな考えに。
「本来いるべき場所に戻る。正しい関係に戻る。そして、今度こそみんなが幸せな世界を……」
未来を救うとか皆を助けるとか言っているけど、自分の事しか考えてない。
「あのさ、結局シンジ君は同じ事を繰り返そうとしてるだけなんでしょ?」
「……違います」
「未来を変えるつもりで来たのならとことん変えればいいじゃない……そんな中途半端な考えじゃ同じことの繰り返しになるわよ!」
彼女は、彼の襟元を掴んだ。掴んで訴えた。
「そんなの、本当の幸せじゃないっ!シンジ君の犠牲に成り立った幸せなんて、本当の幸せじゃないっ!!」
「……ミサト、さん」
彼女の訴えか、それとも彼女の涙か、または同時か。彼女の姿を見た彼は本来の我に返った。彼女の光が彼の心に差し込む。少しずつ、彼の世界に光が広がっていく。
いつから僕は壊れたのだろうか。捻くれたのだろうか。自分の考えに固執したのだろうか。
それはきっと、彼女が消えた時に。
その彼女は、今、目の前にいる。手を伸ばせば触れる事ができる。抱きしめられる。
彼は戸惑った。もう一度、彼女を抱いていいものかと。
「私ね、初めて出会ったシンジ君、天使だと思った」
「……南極の時ですか」
「うん。翼が見えてた。天使だって」
人間と天使が結ばれるなんておとぎ話のよう。
でも、その時から彼女は常識外れな恋をしてた自覚あった。
「私が好きなら天使として飛び立つのを止めて人間になりなさいよ」
彼女はむちゃくちゃなことを言う。それは昔、いや未来でも同じだった。
相変わらずだよ、と思いながら彼は久しぶりの感覚を懐かしんでいた。
「シンジ君が人になれるなら私、何にでもなる。シンジ君を繋ぎとめる存在になる」
それは、彼の幸せの為なら何でもするという彼女の決意、彼の幸せを望んだ彼女の願いでもあった。
「愛してる。今もこれからも、ずっとシンジ君を愛し続ける」
約束するわと、彼女は彼の頬を掌で包んだ。そして、キスをした。
雲に隠れていた月が顔を出し、光が地上を照らす。窓を介して2人を照らす。
「僕は加持さんみたいに、幸せにできない」
「でも、愛してくれるんでしょ?」
「ミサトさん……」
「シンジ君がいるだけで、アタシは幸せなの」
この気持ち、楽にして欲しい。
貴方ならできるの。
アタシを一瞬で楽にできる魔法の言葉。勇気の言葉。
さっき、受話器の向こうで唱えたじゃない?
聞きたい、あの言葉。拒絶じゃない、あの言葉
「さっきの言葉、嘘なの?」
「嘘じゃない」
「なら、もう一度聞かせて」
彼らの「他人」という境界線は、とっくに越えていた。
様々な形で表現された二人は死という別れを経験し、時を越えて再び繋がった。
彼女は決意した。
彼女は彼から泣く事を知った。
彼女は彼から笑う事を知った。
彼女は彼から愛しさを知った。
彼女は彼から「感情」を教わった。
彼が今みたいに自分の殻に閉じこもり道を踏み外しそうになった時、この教わった感情を彼に与えよう。彼しか未来を救えないなら、その彼を救うのは誰?
誰でもないなら、アタシがその存在になる。
彼の過去も現在も未来も、全てを受け止め、愛する事を決意した。
彼は決意した。
自分の人生は悔いが残るものばかりだった。
そんな人生をやり直す為に自分は時を越えたが、彼の頭は「ああすれば助けられた」「こうすれば泣かずにすんだ」と過去の失敗を嘆くことばかり。
未来に捕らわれ、今という現実から目をそむけた彼。再び重圧に押しつぶされそうになった。
それを救ってくれたのは、彼女。
後悔は決して癒える事はない。しかし、それを乗り越える思いは必ず存在する。
新しい罪を犯す前に自分の目を覚まさせてくれた彼女に幸せな未来を与えたい。
その為に僕はエヴァに乗る。そして自分が望む未来をこの手に掴む、と決意した。
彼の頬にかざした彼女の掌に触れた。伝わるぬくもり。彼は彼女と一緒に泣いて、抱いた。
彼女の体は歪んだ。歪んだまま、彼に身を預けた。
彼は彼女の耳元で愛の言葉を囁いた。そして、2人は部屋の隅でキスをした。
◇
コール音が鳴る。
規則正しく聞こえたコール音が切れ女性の声が聞こえた。女性の問いに「yes」「yes」答える。女性が「OK」と言うと再びコール音が聞こえた。そして、電話は繋がった。
「もしもし」
「もしもし、シンジ?」
「母さん」
「元気かしら」
「うん」
「これからね、搭乗するの」
「うん」
「大丈夫?」
「僕は、もう大丈夫」
「そう」
「どんな形であれ、僕は一人じゃないって分かったから」
「ふふ、本当に大丈夫みたいね。じゃ、未来で逢いましょう」
「あ、ちょっとまって」
「?」
向こうの受話器から声が離れた。耳を澄まして聞くと電話を譲り合っている声がする。「ちょ、いきなり…………」「いいから、いいから」そんなやり取りを黙って聞いていた。
「は、始めまして。葛城ミサトと申します」
「始めまして、ミサトちゃん」
「……シンジ君に色々聞きました」
電話の声は女性に代わった。葛城ミサトと名乗った女性は凛とした声で言葉を述べた。
「私、例え今の記憶が失っても、絶対にシンジ君と再会します。守って、助けて、一緒に新しい未来を作ります」
「期待してるわ」
「はい」
「息子をよろしくね」
「はい!」
電話を切ろうとした時、葛城ミサトは再び言葉を述べた。
「ユイさん、ありがとうございます」
それは迷いのない、綺麗な声だった。
◇
「うん、ここね。このボタンを押すの」
「うん」
プシュッと音がなり、シンジ君のプラグスーツが一気に縮まり体にフィットした。
私の膝に座っているシンジ君は4歳である。白いプラグスーツを着てキャッキャッと笑っている。どうやらプラグスーツの縮まり方が気に入ったようだ。
「よくできました」
「えへへー」
小っちゃいシンジ君の頭をわしゃわしゃと撫でていたその時、この部屋の唯一の扉が開いた。私は手の動きを止めず扉へと目を向ける。そこには彼女が立っていた。水色のプラグスーツを身に纏い、心なしか気が抜けた顔。これから長年望んだエヴァ初号機の起動実験に向かうにしては似合わない顔だった。
「何、放心してるの?」
「……予想外の会話をしたからちょっとびっくりして」
水色のプラグスーツを着た碇ユイは先程の電話の会話の一部始終の話をしてくれた。19歳の息子との別れ、葛城ミサトの決意、そして謝礼。
「本当の意味でシンジ君もミサトちゃんも一人立ちしたのですなー」
「そうね」
私は安心した。二人は私の願い通りの結末を迎えたのだから。その結果を見届けられなかったのが少々残念だったが。
小っちゃいシンジ君の頭を撫でる事を止め、膝から下ろした。シンジ君はお母さんの下へ走り寄った。足元に抱きつくシンジ君。ユイは目を向けない。代わりに私の名前を呼んだ。
「岩ちゃん」
「何ぃ?」
「なんで、葛城ミサトは私に礼を言ったのかしら」
「さぁ?」
「知りたいの」
「私なら知ってると言うのぉ?」
「えぇ」
ユイはしゃがみ込み、小っちゃいシンジ君を抱きかかえた。母に抱きかかえられたシンジ君は嬉しそうだった。抱いているユイは嬉しそうな顔をしていない、深刻な顔。似たような顔をしている二人だが対照的、と思った。
「シンジ君がミサトちゃんを救った影での功労。彼女を監視という名の保護をし守ったから」
私は考えられる理由をひとつ、またひとつと語った。どれがお礼の理由なのかはミサトちゃんのみ知る。いや、もしかしたら全てを知った上でのお礼なのかもしれない。
「ミサトちゃんのトラウマであるエヴァに乗れない様にコアを破壊したから……と、色々言いましたが結局のところ」
一呼吸置いて話を続ける。
「シンジ君に逢わせてくれてありがとう、がしっくりくるんじゃない?」
と、考えられる理由を全て出した。私は椅子に置いてあったファイルを手に取り中を開くと書き込みを始めた。
被験者の健康状態、聞かぬともオールOK。言語能力、さっき話せたからOK。精神状態、まともじゃないのは昔から、と。
ユイは「ありがとう」とお礼を言った。私の考えた理由に彼女の納得する理由があったらしい。なんか、最後の別れとはいえ素直な彼女にちょっと寒気がした。
「やっぱ、岩ちゃん一緒に行かない?」
「まっぴらごめん」
一緒にって意味は初号機の中にドボンと泳がない?と言う意味だろう。死を感じない世界でずっとユイと世界を眺める……と想像したらブルッと寒気がした。あんたと永遠に時を過ごすなんて勘弁だねと気持ちをそのまま口にする。そして私は安心した。
この命令、自分の為に身を尽くしなさい的な発言。これこそ私が知る本当のユイ。ユイって字は唯我独尊の唯から出来ていると私は勝手に思っている。それくらい彼女は傲慢である。普段は旦那の前でも猫を被っているが、気を置いた友人と自分の野望の為ならどんな我侭でも貫き通す頑固な性格。そんな彼女の命令をさらりと交わす事ができるのは、広い世界とはいえ私だけ。それは出逢った当時から変わらない。
「これ以上楽しい、飽きない、便利の感覚で私を振り回すな」
「そんな感覚はないわ」
そうなの?と適当に聞き流しながらファイルに書き込む。第二の被験者の健康状態は問題なし。言語能力は幼稚。精神状態、可愛い。と、こんなもんだろうか?
「あるのは、懺悔」
最後に自分のサインを入れようと思った時、ユイの口から出てこないだろうと思われた言葉が飛び出た。
今から自分の野望を叶える為に全てを捨てる女性とは思えない言葉。もしかして、辞めたくなってる?この世界に留まりたくなってるの?
「ユイでも罪を悔やむ事あるんだ~」
私はわざと大げさ調に質問した。ユイは即答で「あるわよ」と答えた。ファイルから目を離し、前を向く。ユイの深刻な顔が消えていた。その顔は、笑顔。
私はその笑顔を見て苦笑した。全く、生粋の天邪鬼ね。昔からだけど。
ユイは笑いながら、過去の出来事を語った。
「私ね、葛城ミサトの母親を殺してるの」
10 まごころを、君に
「私は葛城ミサトの母親を殺したの」
目を静かに閉じた。そしてゆっくりと開いた。息子を抱える母親の姿をあった。息子はきょとんとした顔で母親と私を交互に見ている。
今の貴女は自分しか見えていない。自分の事になると回りが目に入らないのは昔からねと、苦い笑いをした。ファイルを閉じてベンチに腰掛ける。
碇ユイの一世一代の告白、視聴者は私とその息子。良い舞台じゃない。さぁ、話してごらん。
友として貴女を救ってあげるから。
◇
199×年×月×日 ゼーレ施設内地下開発第一研究所
エヴァンゲリオン『イブ』搭乗実験当日
「葛城博士」
「おぉ、ユイちゃんか」
「今日の搭乗実験で見学しに来ました」
「興味あるのかい?」
「はい。ロボットが動くところを見る機会なんてめったにないですから」
「……まぁ、そうだろうね。どうだい、搭乗者と会ってみては」
「いいんですか?」
「あぁ。周りが男ばかりだからアイツも喜ぶだろう」
そうして、私はある部屋に通された。
その部屋には一人の女性がいた。白いプラグスーツに身を包みベンチに座って女性は私に気付くと微笑んだ。私は自己紹介と挨拶をした。
「始めまして、ユイちゃん」
「頭良いんだってね?ヒデユキさんが言っていた天才少女は貴女のことかしら?」
「この実験が終わったら早く帰ってミサト、って私の娘なんだけどその子に御飯を作らないと。早く始まらないかしら。待たされる分だけ帰りが遅くなっちゃう。一応遅くなった時を考えておかず一品は置いてあるけど……それじゃ寂しいじゃない?ね?」
紫色の長い髪が綺麗な女性だった。落ち着いた雰囲気から繰り広げる会話。切れ目が無く私が声をかける隙はなかった。
「今度の日曜は動物園にでも行きたいわ。もちろん三人で、と言いたいけどヒデユキさんは仕事で無理そうだから……ユイちゃんも行かない?娘もきっと喜ぶわ!」
緊張とは無縁だった。女性はこの実験後の未来を描き語った。私は曖昧な返事をした。それが彼女にとっては肯定の意になった。
「約束よ」
プラグスーツ越しの指切りをしたその約束は叶えられなかった。幸せな未来を語っていた女性は『イブ』の起動実験中、不幸な事故に巻き込まれ帰らぬ人となったのだ。
2000年9月12日 南極 第二四部支部
「葛城博士」
「これは、六文儀さん」
「申し遅れました。先日『碇』になりました」
「っ!これはおめでとうございますっ!」
「ありがとうございます」
「あちらが、娘さんですか?」
「はい。ちょっと思春期になったようで……扱いづらいです」
「そうですか」
「ひとつお聞きして良いでしょうか」
「なんでしょうか?」
「本当に行うのですか?」
「…………貴方はどこまで知ってるんですか?」
「ある程度は。貴方が起こそうとしてる事はゼーレにとって都合良い展開です。だから邪魔はしません」
「そうですか」
「私は今日の夜にこの場を離れます。ので、誰も止める者はいません」
「助かります」
「何故、貴方は迷いなくこの場に立ってられるのですか?」
「復讐です。妻を失った。……貴方もその内、分かりますよ」
◇
「南極調査には、『イブ』に関わった研究員が全員派遣されてたわ」
セカンドインパクトで生き残ったのは葛城ミサトただ一人。
「『イブ』の起動実験に関わった人はみんないなくなった、というわけね」
「そう」と彼女は笑った。彼女は抱きかかえていた息子を降ろした。息子は母の元から私の方へやってきた。それが懸命だとおもうよ、シンジ君。今の彼女は母親ではない。舞台役者なのだ。初号機搭乗という舞台に上がるまでの人生の葛藤を『演技』している。それは彼女にしかできない役。
シンジ君を両手で招きいれ、膝元に置いた。そして頭を撫でる。さっきみたく乱暴にではなく、優しくゆっくりと撫でる。
「あの災害は葛城博士が仕組んだ復讐。妻を失った嫉妬の炎が引き起こした災害」
「小説みたいな話ね」
「でも、事実なのよ」
事実は小説より奇々怪々だと誰かが言っていた。この世の中は欲にまみれた娑婆であるとも言っていた。
葛城博士は何故復讐を誓ったのだろうか?彼の真意はセカンドインパクトと共に消えてしまった。
……これから碇ユイは葛城博士の妻と同じ道を歩む。妻を失った碇ゲンドウは葛城博士と同じ道を歩むのだろうか?碇ゲンドウの真意は葛城博士の真意と同じだろうか?
悲劇を悲しむより目の前で起きる出来事の未来の方が興味ある自分に気付き、少し絶望した。何だかんだ言っても私は『研究者』である。感傷を研究対象にしてしまう……これでは人の親など夢のまた夢である。
「そうして2年前、ある出来事が起きたの」
舞台の語り部は話を続けた。
「セカンドインパクトで失った『イヴ』のコアを回収できた。飛躍的に研究が進んだ。寝る暇を惜しんで研究に没頭した。1年後、『イヴ』のコアを埋め込んだプロトタイプの零号機。そして」
ほんの少しの間を置き、私とシンジ君じゃない明後日の方向を眺めながら
「魂のない初号機が生まれた」
手をグッと握り締めて、自分に言い聞かせるように語った。
「稼動実験の予定を立てながら研究を進めていくと『イブ』のコアには葛城ミサトのデータが残されていた。ここまでがシンジに語った真実。その中で私はひとつの嘘をついた。」
自分の名前に反応したシンジ君。嘘という言葉に泣きそうになった。彼女の言うシンジは君ではないから安心してとシンジ君を抱きかかえた。シンジ君は親指を立ててしゃぶった。プラグスーツってゴムっぽくない?苦くない?と思ったがしゃぶってると安心するらしく表情は和らいでいた。ふむ、どうやらプラグスーツの素材は口に含んでも害はないらしい。
「『イブ』のコアに残っていたのは葛城ミサトのデータではない。その母親の魂だった。」
シンジ君に構わず、彼女は語り続けた。これじゃどっちが母親か分かったもんじゃない。
最後まで語った彼女の肩の力が一気に抜けた。第一幕は終えたらしい。
「それでユイはぽちっと押したわけね」
「そう、ぽちっと」
ユイがコアの破壊ボタンをポチっと押した事件は有名である。手にかけてきた研究は必ず結果を出してきた彼女。その彼女が自らの手で研究対象を台無しにした。ユイを信頼していた上層部では「碇ユイがご乱心を起こした」と言って対処に困っていた。そんな彼女は事件を起こした当時、押した理由を絶対に言わなかった。
「研究を台無しにしたと同僚に殴られ、一時的に研究から引き離され散々な一年だったわよ」
『イブ』の起動実験の結末と奇跡的に戻ってきた『イブ』のコアの解析で知った真実。皮肉にも、この二つの出来事を経験した彼女は未来の道を決めた。
初号機の魂になると。魂になり、永遠に地上の変化を眺め見守る。それは彼女が望んでいた将来の夢に一番近い道でもあった。
「誰も知らない殺人者の称号を得た罪かしら」
「いや、今までの我侭な振る舞いのツケじゃない?」
その言葉には私はにっこりと笑って反論した。そこまで自分を悲劇の主人公に盛り立てなくていいと思うから。身から出た錆だと私は言いたい。
私の反論にちょっと納得いかない顔をしたが、すぐに気持ちを入れ替えたのか本題に入った。舞台は第二幕に入った。今度の役者は彼女と私。私は彼女の心を救う騎士となり舞台へと上がる。
「この事実を彼女に言っても「ありがとう」の言葉が言えるの?」
「言えるでしょう。今のミサトちゃんなら」
シンジ君と共に歩くと決めた彼女なら、ユイを許すだろう。
「お母さんを救ってくれてありがとう」
貴女はコアという狭い空間に閉じ込められた母親を解放したのだから。母親は感謝してるはずだ。今では天国で愛しい旦那と暮らしてるのだから。……母親はともかく、父親は天国に行けただろうか?……ま、それはさておきミサトちゃんは事実を知れば葛藤するだろう。でも、長い時間をかけて気付くはず。もしかしたら隣で支えてくれる彼が気付かせてくれるかもしれない。
「ユイはその事実を胸に秘めたまま、この世界から去るつもり?」
「それが一番だと思っていた」
「今は違うの?」
「…………分からない」
「迷うなんてユイらしくない。自分の決めた事はとことん貫き通すのが貴女の信念じゃないの?」
「ねぇ、岩ちゃん。私は何故生きてるの?セカンドインパクトでなんで私は死ななかったの?」
「貴女は『イブ』起動実験の研究者でなかった。それが大きな理由でしょうね」
「もし、もし関わっていたら私は南極にいた?」
「その可能性は低い、が私の答え。貴女という頭脳を失う事はゼーレにとって大きな痛手」
ユイは初号機のプロジェクトで重要な役割を果たした。S2機関や他の理論等の大きい部分は赤木ナオコ博士の功績が大きい。しかしユイがいなければ神経接続等の細かい点がいつまで経っても解決せずエヴァンゲリオンという機体の完成はあと5年は遅れた事だろう。
「私は生きてていいの?」
「何で私に全てを聞くの?」
「岩ちゃんは、昔から私が求めていた答えを出してくれるから」
「情報屋か」
ユイとは高校からの付き合いになるが最初からこんな関係ではなかった。私は「成績も先生の評価も同級生の信頼も計算のうちです」というユイの作られた性格が嫌いだった。ユイはユイで私の何でもお見通しですと言う目が嫌いだったらしい。その後、とある事件でユイの性格を受け入れる事ができた私、全てを見定める私の目を受け入れる事ができたユイは友という関係を築いたのだが…………ユイ本来の性格が我侭で傲慢な為に力関係が平均ではない。私は良い様に使われてる。友となって損してる率が高いのは私の方だと思ってる。
「大人は自分の問いの答えだけを求めて、私の問いに答えてくれなかった」
ユイの目は捨てられて箱の中で拾ってくれる人を待つ子猫の目になっていた。この目は私を誘導させる為の演技だろうか?それとも、この目が彼女の本質?
「岩ちゃんだけなの」
「旦那は?」
「あの人も最初は私ではなくココを求めていた」
ユイは自分の頭をトントンと指で指した。頭脳、または才能を目的に近寄った男、その妻になるユイ。そこに愛はあったのだろうか?
「彼の思いは後に愛に変わるのだけど……彼の思いを受け止める前に私は今日に向けて歩き出していた」
愛はあった。だからこその、2人の結晶。私の腕に抱かれているシンジ君がいる。ただ、残念な事に二人の思いはすれ違っていた。もし、すれ違いが起きず重なり合ったら……今とは違った未来があったかもしれない。
「遅すぎたのよ」
それはユイの本音、後悔の叫びだった。
私の腕の中のシンジ君が飽きてきたらしく、もぞもぞと動き出した。目には涙を溜めている。起動実験までの時間も近づいている。
私は舞台のラストにと用意していた台詞を言う。それは彼女が求めていた答えでもある。
「生きていいの?って聞きながらユイのやろうとしてる事は誰よりも生きることなのよ?」
「そうね」
「今の自分が正しいのかは誰も分からない。知りたいのなら生きて…………生きて未来を知りなさい。未来にある真実が貴女の答えになるのだから」
残念ながら私は答えを持ち合わせていない。ユイが知りたい答えはシンジ君が持っている。シンジ君が作り出す未来の中に彼女の答えはある。シンジ君が幸せならユイの選んだ道は間違っていないと証明されるだろう。その幸せを永遠に見守れば良い。逆ならばエヴァの中で一生懺悔すればいい。
「ありがとう」
ユイの「ありがとう」がもう一度聞けた。今日は空から隕石が落ちてくるかもしれない。鋼鉄の傘を用意して帰らないと、と本気で思った。
「もう一つだけ、質問していい?」
「何ですか」
「私の事、好き?」
この際だから何でも聞けやー!な心構えで質問待機したら…………コノタイミングデ告白シロト言ウノデスカ、ユイサン。
今日何度目だろう、このスマイル。笑顔はタダだと言っても作るのは疲れる。全く、もう少しまともな質問をしろと愚痴りたい。
「大嫌いよ」
「よね」
ニッコリと笑って言った、出逢った頃から変わらない答え。彼女もその答えを求めていた。これで良い。だからこそ、私達は友を続けてこれたのだ。
「あなたって、冬月先生みたいね」
「だれ、それ?」
「旦那に必要な人」
それは愛人ですか?と聞き返そうとした時、
「Es ist Zeit.Bereite dich bittevor」
天井のスピーカーから言葉が聞こえた。何と言ってるか分からないが、意味は分かる。
エヴァ初号機起動実験の開始時刻を告げているのだ。
「呼んでますよ、奥さん」
「そうね。シンジ、行くわよ」
「うん!」
私はシンジ君を抱きしめる腕を緩めた。さぁ、お行きなさいと解放しシンジ君は飛び去っていく、前に私の体を登り、私の耳にひそひそ話をしてきた。
「母さんね、おばさんのこと好きだから、好きになってあげて」
おばさんは失礼よ、私は永遠の18歳と言うキャッチフレーズで生きてるんだから。お姉さんと言いなさい。
私はシンジ君にひそひそと耳打ちした。もちろんユイには聞こえない小さな声で。
「ははっ。そうなの?嫌われてると思ってた」
「だって、母さん。おばさんと話してる時凄く楽しそうだもん!」
子供の目と言うのは、外面ではなく内面を見ている。終始表情が強張っていたユイの顔も子供の目から見たら「楽しい」になるのか。どこをどう見たらそう見えるのか教えて欲しい。私には生意気なヤツにしか見えなかったのだから。
「次に逢う時は好きになってるね」
「うん!」
ごめんね、シンジ君。その出逢いは永遠に来ないけど、次にユイを思う時は「好き」と思う事を約束するよ。
私とシンジ君の内緒の話は終わった。シンジ君は今度こそ母親の元へ行った。ユイはさっきの内緒話を聞きだそうとしている。シンジ君は「ないしょ!」の一点張りで口を割らない。2人は仲良く扉を開けて外へ向かった。
私もファイルを持って後に続き、無機質なロッカールームを後にした。
◇
「ミサト、シンジ君のこと覚えてる?」
「えぇ、もちろん」
「周りが忘れて行っているのに、どうして貴女は覚えていられるの?一番物忘れが酷い貴女が」「ちょっち、それ酷いわよ」
「事実でしょ」
「ぶーぶー…………………シンジ君はね、常に傍にいるの」
「幽霊?」
「私は霊感ないわよ」
「シンジ君はある世界の中でじっと来るべき日を待ってるの。本来はその世界を感じる事ができないけど……彼の存在を強く思えば、彼を感じられる」
「ミサトにしては頑張って答えたんでしょうね」
「意味、通じない?」
「ようするに貴女は幽霊のシンジ君の存在を感じられるってことでしょ?」
「幽霊じゃなーい!」
「どっちも同じよ。魂だけの存在なら」
「そう言うけど……死んでないし」
「ねぇ、ミサト」
「何よ」
「たまにでいいから、私にシンジ君の事を語ってね。私も彼を忘れたくないから」
「うん!」
◇
僕は目が覚めた。母の膝を枕にして僕は寝ていたようだった。優しくて暖かい感触。ずっと求めていた母のぬくもり。
時がきたわね
僕が戻る世界?
そう
あっという間だった
ずっと、彼女の傍にいたからじゃない?
そうかもしれない
母の膝枕から頭を離し、体を起こす。僕の体は19歳ではなく14歳の体になっていた。体が小さくなった違和感。でも懐かしい感覚。
あぁ、呼んでいる
そうね
次に逢う時は話せないね
でも、感じられるでしょ?
うん
僕の体は浮く。流れに身を任せる。ゆらりゆらりと不規則に動く。とある一つの流れを捕まえた。この流れの向こうで誰かが僕を呼んでる。流れに向かって一緒に泳いでいけばその場所に辿り着くだろう。
行ってきます
いってらっしゃい
僕は泳ぎだした。海の中を一直線に。足をゆっくりとバタつかせ、ぐん、ぐんと前に進む。
『シンジ君』
僕を呼ぶ声がはっきり聞こえた時、水が大きく揺らいだ。揺らいだ先に大きな光。僕は光に飲み込まれた。
◇
管制室のモニターにエヴァンゲリオン初号機が写っていた。
モニターとコンソールに光が灯っていく。自動的に神経プラグがロックされた。私達の管理を受け付けず、エヴァ初号機は自動で起動準備に入っている。
「Es ist unglaubluch!!」
オペレータの子の手が震えていた。無理もない、今まで何をしても動かなかったエヴァ初号機が自らの意思で動いているなんて彼女には信じられない光景なのだろう。
モニターを再度見る。エヴァ関係のメーターグラフは0、またはマイナス値を表している。
「Welche Rose?」
「Ich verstehe es nicht!」
他のオペレーターも司令官も戸惑っている。目の前に起きている出来事に目を疑っている。
私は自力でモニターのグラフを読み取る。A神経は異常なし、初期コンタクトも問題ない。シンクロ率は30%、34%、37%と数値を上げている。
「帰ってくる……」
私はオペレーターの一人に指示を出した。エヴァ内部のモニターに切り替えてと。
「misato?」
「Er kommt zurack!」
慣れないこの国の母語で私は状況を報告した。
ようやく逢える、彼に逢えるっ……彼が帰ってくるのだっ!!
瞼から光の感触が消えた。僕は静かに目をあける。そこは金属の円柱の中だった。ゾル状の赤い水の中なのに息苦しくない。そうか、LCLの中かと思ったら落ち着いた。周りを囲む金属板をじっと眺めた。確かこの金属は僕が使徒の影に引き込まれた時に飽きるくらい眺め続けていたものと同じ。と、言う事はここは電源が入っていないエントリープラグの中。スイッチを入れれば電源が着くだろうか?と思った時、自動的に電源が入った。
ヴォンと音を上げ、金属の円柱は消えキューブ型の各種ディスプレイやコンソールが映し出される。突然の変化に目をパチパチとさせた。目が慣れると見慣れたモニターやレーダーに懐かしさを覚えた。
ジジッと音がエントリープラグに響いた。何が起きるのだろうかと身構えると大きなモニターが僕の目の前に現れた。電波が悪いようで砂嵐が写っている。徐々に何かの映像が見えてきた。大勢の人が見える。写っているのはネルフの作戦管制室だろうか?それにしては机の配置が違いすぎてる。映し出された映像がはっきりと映し出されない。ちょっとした苛つきが生まれた。
砂嵐がたまに起こるモニターを凝視して、僕は気付いた。赤い服の人がいることに。
もっとはっきり映し出して欲しいと願った。あの場所にいるのは、もしかした、ミサトさん?
「もーっ!!このポンコツ!はっきり映し出しなさいよ!!」
日本語が通じない事は分かっているので、私は日本語で言いたい事を大きな声で吐き出した。周りの人間は驚き睨んでいる。もしかして、ニュアンスで通じてないわよねと自分の言葉にビクビクした。この国の設備って日本の設備のお古。数年前のシステムで日本製だから言語や配線の関係上まともに整備されてないらしい。だからポンコツと言い当てても間違ってはいないと思うんだけど……この国の人は変なところでプライド高いから……日本語とは言え、言葉には気をつけようと思った。
気を取り直し叩けば直るかしらと握りこぶしを作りディスプレイを殴る準備をする。古いテレビが叩けば直る要領、あれを思い出して――――。
再びヴォンと音が鳴り機械が止まった。もう少しでモニターがはっきり映し出されると思ったのに……何があったのだろうか?こうなると僕はこのエントリープラグから出る事ができるのだろうか?外へ出る心配も当然あったけど、それよりもモニターに写っていた赤い服の人がミサトさんなのだろうか?それについて早く知りたかった。
ため息をつき、再び電源が着くのを待った。直ぐに着くだろうと思われた内部電源は10分、20分立っても着く目処がなく不安で涙が流れ落ち、目が泣きはらした45分後ようやく電源が着いた。
先ほどのモニターが映し出された。今度は綺麗に管制室が映し出された。
モニターに写っている人全員がこっちを見ていた。赤い服の人もこっちをみていた。操縦席のスイッチを操作して画面を拡大する。
紫色の長い髪に、赤いジャケットの下にチャイナの服。昔から変わらない、優しい微笑み。
あぁミサトさんだ。ミサトさんが僕を待っててくれた。約束どおりに僕を待っててくれたんだ!
僕の目に再び涙が込み上げてきた。
モニター越しで僕らは目を合わせた。ミサトさんが何かを言おうとしてる。声は入ってこないようだったので口の動きに注意して読み取ろうとした。
ミサトさんが言った言葉は、期待を裏切らないあの言葉だった。
『おかえりなさい』
僕は、その言葉に合うたった一つの言葉をモニターの向こうのミサトさんへ返した。
「ただいま」
bonustruck01 人間失格
Yの事を語りましょう。
Yは自分の一番の理解者で、不具戴天の敵で、親友で、半身で、相容れぬ者でありました。
Yはその恐るべし聡明さにより、全てを見抜いていました。
全てを見抜いてるからこそ、Yは道化を演じ自分を隠していました。
世の中の完璧にあざむきせしめていたYの道化に気づく者はいませんでした。
ただ一人、自分だけを除いて。
Yとは中学で知り合った。名字の頭文字が『い』で始まる私達は席順で前後になった。Yが前で私が後ろ。
「よろしく」
「こちらこそ」
Yという人間については3日でどんな人間かすぐに分かった。学級委員長に選ばれ、先生の言う事を聞く。宿題を聞かれれば優しく教えてあげる。少し抜けているところがあって男子はそんなところがほっとけなくて、かといって男子に媚売らず。女の子のグループで常に1歩後ろを歩く『策士』だった。
その『策士」っぷりが気に入らなかったので彼女が話しかける事はあっても自分から彼女に話しかけることはしなかった。たまに彼女の『綺麗な正論』に鼻で笑いそうになったりした事に気づかれないだろうかとドキドキしていた。
◇
火曜日の放課後、今日も私は図書室に行き1冊の本を読む。
今日の本は『富岳百景』教科書に載っていた太宰作品の1つである。教科書には話の1部分しか載っていなかったので続きがとても気になった。今日も下校までの1時間半、この作品を読みながら太宰の世界に酔いしれようとした時だった。
「――さん」
名前を呼ばれたが、興味ないので顔をあげなかった。ページを捲り文を斜め読みしていく。さて、昨日はどこまで読んだっけ?確か茶屋の娘が出てきて……
「――さん」
そうそう、富士の山に雪が積もった。富士の山に積もった雪を見てようやく俗の見方を捨てた『私』は月見草の種を蒔いたのだ。富士の山には月見草が似合うと。
「ちょっと」
しかし、月見草とはどういう花なのだろうか。気になる。帰り際に図鑑で調べてみるか。富士の山に似合う花とは力強い花だろうか、それとも可憐で小さ……
「岩木っ!」
「聞こえてるわよ」
「……返事くらいしなさいよ」
「図書室は静かに、な場所だから」
「それは言い訳よ」
「眉間に皺寄せない。少しくらい息抜きしたら?」
私の名前を呼んだ彼女は左頬を痙攣させ右手を握り締めた。骨が鳴る音がした。怖い。
「イレギュラーが起きなければ24分後に3年の後藤先輩が来る。貴女が息抜きできるのは1440秒よ」
「私は疲れてなんかいない」
「そう?それなら何故私を怒鳴ったのかしら?」
「貴女が返事をしないからよ?」
「いえ、違う。貴女は私に元から苛ついてるのよ。貴女の本性を知っている私に」
「私の何を知っているというの?」
「模範的な道化、ね」
自分でも「道化である」と思っていた節があるのだろう。彼女は反論しなかった。握り締めていた右手を更にぎゅっと握り攻撃の手を考えている。私はこの本をゆっくり読みたいのであって対戦したいわけじゃないのだが。
「岩木さん」
「はい、なんですか」
「貴女って本当、憎いわ」
「そりゃどうも、碇さん」
(何故彼女と知り合いになったのか、思い返してみると奇妙でした。はじめ彼女は自分の事を嫌っていて、自分を睨んだり、きつい言葉をかけたりしました。しかし自分が道化を装ってみんなと仲良くしているとき、彼女だけはは哀れむ目で自分を見ているのです。
全部見抜いている。
その考えは自分を芯からぞっとさせ、犬のように地面を這いずりまわりたいほど狼狽させました。
なので私は彼女に近づき、
本性を曝け出したのです)
◇
中学、高校、学部は違うが大学までずっと一緒だった。背も同じくらい、体重は友人が軽い(ちょっとムカつく)成績も同じくらいで似たような性格だった私達は一緒にいることが多かった。体育とかでペアになりなさいと言われればいつも組んでいた。昼休みの御飯も約束したわけじゃないけど喧嘩する事無く毎日2人で食べていた。休日は予定がなければどちらかの家で本を読みながら他愛無い話をしていた。学校生活の9割はこの友人と共に過ごしていたと言っても過言じゃないと思う。そんな長い付き合いだからこの友人の性格から思考、行動までなんでも私は読める。と思っていたが今回の出来事は何がどうなってこうなって私にその少年が預けられる事になったのかさっぱり分からなかった。そういえば友人は最近婚約したよな、旦那に見つかったらやばい子を私に預けたのか。てか、でかい隠し子だなぁ。と適当な推理をしながら見知らぬ少年と共同生活をすることになったのだ。
少年は炊事洗濯掃除なんでもできる子だった。「やれ」と命令した事はない。勝手にやってくれたのだ。「お世話になりますので」と彼なりのお礼みたいだった。「どこでそんな技術を覚えたの?」と聞くと「前に暮らしていた人が何にもできない人だったので」と答えた。両親と言わない、孤児が?14歳が生きる為に覚えたスキルは私の部屋でも役立っていた。
この部屋で一緒に暮らす以上少年について少しでも知りたいのが人間の本能。こっちが「君は何者だい?」と質問すると適当にはぐらかされる。ので、自分の事を話しながら彼の警戒心を解こうとした。少年が一番興味持ったのは私と友人との出来事だった。話している時は俯き加減の少年も目を輝かせながら私を見てくる。少年を見ながらその時気づいた。少年と友人はなんとなく似ているという事に。髪の色、目とか口元、全体的に見ればそんなでもないけど部分的に見れば似てるなぁと。特に、そう、笑った顔とか。少年と友人は何かの形で繋がっていると思いながら学生の頃の思い出話を聞かせた。
そんなある日、箪笥の肥やしになりかけた洋服を整理していた時少年は過剰な反応を見せたのだった。自分の事を話してくれたのだ。
『僕は未来からやってきたんです』
蜃気楼