普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう。

「今頃、ヨーコちゃんは発表してるのかな」
「何事もなく終わればいいですね」
「大丈夫だろう、沖田ちゃんも付き添ってる事だし」
「そうですね」

二人一緒だから、何かが起こる事もあるがな。と思ったがその点については言葉にしなかった。
今日はヨーコちゃんと沖田ちゃんが学校にいない。県の教育委員会が行う研修でヨーコちゃんが我が校を代表して出張しているのだ。本来なら無難な先生を送る予定だったが他校の教師達が「噂のヨーコ先生を一目見たい」と訴えたそうだ。

「本当なら送り出したくなかったんですがね……」

ため息をつきながらつぶやいた校長は初の出張にウキウキのヨーコちゃんに沖田ちゃんをつけて見送った。
目の前の席に座るアズマは何度も窓を眺めている。今日は仕事が手につかないようだ。
今年の春、ヨーコちゃんは職員室に席が戻った。その後、私は校長にお願いされ司書室に移動となる。

「いや、今の司書室は一人でも整理できるでしょう」
「まぁ、そうなんですが……今年入る新しい先生とヨーコ先生の席を作るとなると舞先生の席を一つ動かすだけで二人分空くんですよ」
「……」

振り返り後ろに積まれた荷物を見つめた。そうか、これは約一人分になるのか、と。
そういうわけで私とアズマは司書室で向かい合わせで一緒に仕事している。恋に破れたばかりの私に、こともあろうか片思いの相手の前で仕事する事になるとは何の拷問かと最初は思っていたが目の前の相手は毎日「ヨーコ先生!ヨーコ先生!」と熱血的に言うものなので少しずつ気持ちが落ち着き冷静になってきた。と言ってもアズマの事を完全に諦めた、というわけでもない。一喜一憂する感情が落ち着いたくらいだ。

「ほら、仕事が終わったら後ろの資料を整理せんか」
「舞先生は少し私物を整理した方が……」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」

アズマは立ち上がり本棚を整理し始めた。しかし心はここに非ず。ファイルを落とし資料を床にばらまいてしまった。私は資料を拾うのを助けてやる。

「ははは、すいません。舞先生」
「いつもの事だろう」

まったく、しょうがない奴だ。まぁ、いい。ヨーコ先生が帰ってくれば元気になるだろう。
私はちくりと痛んだ胸に気づかないふりをして、また一枚と資料を拾った。


(普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう。)


「と、言うわけです……」

研修から帰ってきた沖田ちゃんは研修で起きた事を全て語り終えた。
ヨーコちゃんの姿は見えない。

「そんなバカな……」

校長が真っ青な顔になっている。勢いよく職員室のドアが開いだ。後ろを振り向けば開けた本人は既に出て行ったらしく涙の叫び声を上げている。私は急いでアイツを追いかけた。声がする方を追いかけ階段を登り、辿り着いたのは屋上だった。フェンス越しに立つアイツ。背中が震えている。私は隣に立つ。何も言えず、泣いているアズマの隣に立つ。それしかできなかった。


ヨーコちゃんは


研修先で出逢った教員男性に恋に落ち、両想いだったらしく相手と目が合った五秒後に告白され、受け入れ、一時間後に婚姻届を出したそうだ。
明日明後日が土日で休みなので、すべてを沖田ちゃんに託してプチ新婚旅行に行ってしまった。

「……ヨーコ先生はアズマ先生が好きなのではないのでしたか?」
「そうだったんですか?気づいてなかったです」
「柳沢先生……」



(普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう。)


好きになりかけていた、だから一目惚れには敵わなかったのだろうか。

夜になってもその場から動こうとしないアズマにとうとうしびれを切らした私はアズマを引きずり校舎を出た。赴任当初にアズマに教えてもらった居酒屋に入り席に着かせるとビールを飲ませた。最初はちびちびにしか飲まなかったが「もっと豪快に行け」と私が無理やり飲ませるとペースが上がり泥酔した。絡んだり、泣いたり、怒ったり、様々な顔をした。それを全て受け止めた。

「ヨーコせんせぃ……」
「そんなに結婚したかったか」
「結婚、結婚……」

呟きながらまた泣いた。酒を飲んだ。自ら店員に頼んでアルコールが高いのを頼んで、一気に飲み干した。今のアズマなら沖田ちゃんと酒対決すれば勝てるかもしれない。真っ赤だった顔が更に赤くなりへべろけになったアズマに私は聞いてみる。

「なら結婚するか」

私と、言葉をわざとつけ忘れた。アズマはきょとんとした顔で私と目を合わせた。そして笑った。

「いぃれすぇ」

舌足らずの言葉で返事をした。赤い顔が少しずつ青くなっていく。限界は当に越えていた。今まで何度もアズマと飲んできた。だから知っている、アズマの摂取量。本当は今まで飲んでいた量がおかしいくらいだったんだ。

「だろ」

元々笑ったような顔な私だが、更に目を細め笑い返した。笑顔なのにどんどん顔が青白くなっていくアズマ。赤みが消えた時、彼は立ち上がりトイレへと駆けこんで行った。私は店員を呼び、会計を済ませる。店員が片づける量を見ていつもより飲んでいないし食べていない自分に気づいた。気を使っているから?いや違う。少なからずも私もヨーコちゃんに対してダメージが大きいのだ。目の前のアイツが壊れすぎて冷静になっているだけだ。一緒に泣いたり壊れたりできないのは年の功か、と自分の年齢に苦笑した。

「そういえば昔から自分に有利すぎる試合には自然と燃えなかったな」

基本勝負に対して勝つ事は諦める事はなかったが、どちらかと言えば勝つか負けるか分からない勝負の試合の方が好きだった。ライバルがいなくなり、相手は傷心。恋の勝負なら勝てる試合なのかもしれない。だから、私は勝負を仕掛けたのか?
座席から降りて靴を履く。アズマの先程の言葉が耳に残っている。

『いぃれすぇ』

弱っている心につけいる告白なんてらしくないな、私。
………………まぁいいさ、こんなきっかけ。こうでもしなければ恋愛奥手の私はいつまでたっても前に進めないだろうから。

明日になれば(お互いに違う方向で)後悔するかもしれないけど
遠い未来には後悔したことを忘れるくらいお前の事を幸せにしてやるよ

白くなった顔で帰ってきたアズマにジャンバーを投げる。足取りはよろよろしている。腕をつかみ「大丈夫か?」と聞くと「すいません」と返ってきた。大丈夫ではないみたいだ。
店を出ると冷たい風が通り過ぎた。雪が降ってもおかしくない寒さだった。おぼつかない歩きのアズマをしっかり支えてアパートまで送っていく。店内で話した事には私もアズマも一切触れなかった。



(普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう)



月曜日、朝一番の登校は私だった。アズマは来なかった。グラウンドでランニングし終え、着替えたところでヨーコちゃんに出逢った。私はびっくりして職員室へ駆けこんだ。朝の会議までは余裕あった。追いかけてきたヨーコちゃんに聞くとプチ新婚旅行先から直接来たらしい。道理で早いわけだ。アズマは会議の五分前に登校した。ヨーコちゃんはびっくりしていた。作りの笑顔でヨーコちゃんに接するアズマの顔が私には痛く見えた。

「あー、すいません。少し寝坊したんです」
「珍しいですね」

彼の目は赤かった。会議で改めてヨーコちゃんが入籍した事が発表された。苗字が変わったヨーコちゃんに教員はみな「本当かよ……」と目を白くしていた。
特に独身男性陣は泣いていた。校長は白髪が増えてしまったと言っていたが一見分からない。ヨーコちゃんの左手の薬指にはシルバーリングが輝いている。その輝きを見て、あぁ本当なんだと思った。会議が終わり、私とアズマは一度司書室へ戻る。廊下では会話はなかった。司書室へ入り、クラスの名簿を抱え自分のクラスへ戻ろうとした。

「アズマ」
「はい」
「お前を見ているとついこの間の自分を思い出すよ」
「え?」

私は渾身の力を込めて右手を振った。甲高い音が教室に響いた。アズマの左頬に私の右手の痕がくっきり残った。

「なっ!何ですか舞先生っ!!」
「人生はな、いくつになっても思い通りにいかない!予想しない事ばかりなんだ!確かに彼女が結婚し悲しくて悔しいのは分かるっ!!だが、負けたような面を生徒の前でするな!!お前は……お前は教師だろっ!!」

アズマの顔はあっけにとられていた。私は言うだけ言うと司書室から出た。廊下を歩き、アズマを叩いた右手を握りしめた。ヒリヒリと痛く熱い。握った手を緩める。一滴落ちた。私は泣いていた。

「あれだけ大きく言って……なさけないな」

右手の甲で目をこする。涙はもう出ない。私は思いっきり自分の顔をひっぱたいた。

「……しっかりしろ、自分!」

後ろから駆け足の音が聞こえた。振り向かなくても誰だか分かる。駆けていると言う事は元気になったのだろうか。私の喝はアイツの心に届いたのだろうか。それならばいいが。私は追いつかれない様急いで廊下を曲がると教頭の桐野がいた。

「菅野先生、少し遅くないですか?」
「すいません。今行きます」

私は一礼してすれ違った。桐野は曲がる。怒鳴り声が聞こえた。怒鳴り声と一緒に笑い声が聞こえた。アイツの声だ。よかった。それでいいんだ、お前は。明るくないお前なんてお前らしくないからな。私も久しぶりに自然と頬が緩んだような気がした。

普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう。

普通だったら何事もない一日になるはずだっただろう。

■ Good Morning ティーチャー 東進太郎と菅野舞の御話。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-05

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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