アラーム
@弥生
「ウソ…」
弥生は息を切らしながら起き上がり汗で湿った顔を両手で覆った。
外ではスズメが鳴き、開けっ放しだった窓から涼しい風がカーテンを押し上げ部屋の中に光が入り込む。
朝…。
弥生は身体を震わせながらベッドの上でひざを抱え何度も何度も「何で…」と繰り返し呟いた。
弥生には高らかに鳴くスズメの鳴き声なんて物は聞こえていなかった。
聞こえるのは恐怖に脅える自分の声だけ。
何かの前触れのように弥生は一週間前から同じ夢を見続けていた。
@睦月
携帯電話のアラームに起こされ、大きくあくびをしながら睦月は目を覚ました。
制服に着替え「おはよう」と言う母に愛想なく「おはよう」と返し朝食を食べ、学校へ登校し、知りたくも無い勉強をして、家に帰り、夕飯を食べ、寝て、また携帯のアラームに起こされる。
それが睦月の毎日繰り返す事だった。
@高校内
チャイムが鳴り講師はそそくさと教室を出て行った。
休み時間になったが睦月はメガネをかけたまま図書室から借りて来た小説を読んでいると突然前の席に座わる小柄でセミロングの弥生が振り返り言う。
「今度は何借りて来たの?」
睦月は弥生を一瞥し背表紙を見せた。
「『アンドロイド』…SF?」
「たぶん…」
「そういうの好きだよね。睦月って」
「まぁな」
睦月は弥生から本に目を移すとすかさず弥生は言う。
「何年の?」
「え? うん…」
睦月は後ろのページを数枚めくり言う。
「昭和54年だって」
「それはまた古い物を…」
「そうでもないよ…」
言いながら睦月は再び本に目を移すと弥生は邪魔をするように言う。
「ねぇ…」
睦月は軽く嘆息し弥生を見ながら言った。
「何かよう?」
「バレた?」 とえくぼを作りながら言う。
「あぁ」
「うん。ちょっと…」
「何だよ」
「今日花火しない?」
「は?」
「小さい頃よく遊んだ公園あるじゃない。そこでしない? 花火」
「…別にいいけど…」
「今日掃除?」
「あぁ」
「じゃ玄関で待ってるから、一緒に買いに行こう」
「あぁ」
弥生は前を向いてしまい、それから何も言わなくなった。
二人は家が隣通しの幼なじみで仲が良く、でも付き合ってる分けでもなく、…微妙な関係だった。
@放課後
掃除が終わり玄関に行くと靴箱に背を付け待つ弥生は「やっと来た…」と呟いた。
睦月は、バス通いの弥生に合わせ自転車を押しながら高校から近いコンビニへ向かった。
時季的な事から入口の棚に花火が並んでいた。
「適当に選んどいて」
と睦月は雑誌の並ぶコーナーへ行き立ち読みし始めた。数分が過ぎ突然Yシャツを引っ張られ振り向くと困った顔をした弥生と目が合った。
「ねぇセットとバラどっちがいい?」
「適当でいいよ」
「どっち~?」
「セット一つ買って、バラで面白そうなの何個か買えば?」
「うん。そうする」
言うとセットと跳びはねるのを何個かカゴに入れ、お菓子のコーナーにずれた。弥生は商品を見ながら「あっこれ懐かしくない?」と嬉しそうに言う。見ると幼い頃よく二人で行った駄菓子屋に置いてあった色の変わる飴がパック詰めで売れられていた。
「買ってやろうか」
「ホント?」
「あぁ。でも花火は割り勘だからな」
「え~。おごりじゃないの」
「何で俺がっ、誘ったのはお前だろ」
「分かってます~。割り勘ね」
精算し家に向かって自転車を押しながら歩いていると弥生は言う。
「ねぇ、うめバァ元気かな」
うめバァとは駄菓子屋のバーサンだ。顔がしわくちゃだからうめバァと呼ばれていたらしいが今考えれば容姿をけなしていたんだと睦月は罪悪感を感じていた。
「えっ聞いてないの?」
「何が?」
「うめバァこの間亡くなったんだ…」
「え? 知らない。この間っていつ?」
と真顔で睦月を見つめた。
「2カ月ぐらい前かな…」
「そうなんだ…。ねぇうめバァのお店行かない?」
「いいけど店開いてないよ」
「えっ」
「店引き継ぐ人がいないとかで廃屋になってるって聞いたけど…」
「そうなんだ…。でも行きたい」
と弥生は悲しい顔をしていた。
「分かった…」
睦月は弥生を自転車の後ろに乗せ家とは逆方向にこぎ始めた。巡回中のパトカーに出会わないように30分程こぎ住宅街の古ぼけた小さな店の前で止めた。
「変わらないね…」
と弥生は自転車から降り上を見上げた。
玄関の上に横文字で『駄菓子屋』と書かれた看板があり、うめバァはよく玄関横の小さな畑で実ったミニトマトを「おまけだよ」と言ってはくれた。そんな人だった。
「酷い…」
と畑を見つめながら呟く弥生。
その畑には『立ち入り禁止』と赤字で書かれた看板になぎ倒されたミニトマトの苗が赤く実を付けていた。
「植えたばかりだったんだろうな」
「うん…」
睦月は敷地に入りミニトマトを二つ取り弥生に一つ渡し、一緒に食べた。
「甘い…」
と弥生は呟き、コンビニの袋から飴を取り出し玄関の石畳に一つ置いた。
「うめバァごめんね。知らなくて…」
と玄関に向かって呟き肩を震わせていた。その姿を見た睦月はうめバァの死を弥生に伝えなかった事を本当に後悔していた。睦月は弥生の頭を軽く叩き「行くぞ」としか言えなかった。
「うん…」
弥生はゆっくり立ち上がり睦月を見て「ありがとう…」と呟いた。
「これからどうする?」
「ひとまず家戻ろう。制服花火臭くなるの嫌だし」
「うん…」
それから睦月は弥生を自転車の後ろに乗せ無言のままこぎ始めた。家の近くに来た頃弥生の方から口を開いた。
「夕焼け綺麗だね」
睦月は空を一瞥し「あぁ」と頷いた。
青空が夕陽色に染まりつつあった。
睦月は家の前で自転車を止めると弥生は降り「行く時連絡するね」と微かに笑った。
「あぁ。うん…」
弥生は玄関へ歩き始め、その後ろ姿を見つめていた睦月はふと自転車のカゴを見ると花火の入ったコンビニの袋が…。
「あっ、おい!」
弥生は振り返り口の端を持ち上げると「花火持って来てね。じゃまた後でっ」と一方的に言われ「はい?」と言いたいが当の本人は家の中に入ってしまい睦月は微かに首をかしげた。
@花火
8時頃、ようやく弥生から連絡が入りコンビニの袋を持って外に出ると弥生が待っていた。
「よっ」
「うん…」
二人は歩いて近所の公園へ向かった。睦月は入口付近の水飲み場の蛇口をひねり花火の付属に付いていた小さなバケツに水をはった。
「あっ火は?」
「持って来たさ」
「良かった…」
睦月はズボンのポケットからライタ-を取り出し花火に火をつけた。プシュ-…とけたたましい花火独特の音、煙、匂いがその場に立ち込め「はいっ」と火の付いた棒状の花火を弥生に渡した。辺り一面に煙が充満し、睦月はその煙を吸い込んでしまい目を赤くしながらせき込んでいた。その姿を見た弥生は笑い出した。
「笑うなっ!」
睦月は言いながら、せき込む。
「だって…」
弥生はまた笑い出す。
睦月は最後に残った二本の線香花火を持ち「これで最後か…」と呟きながら線香花火を一本弥生に渡した。
「最後だね」
呟き二人はベンチに座り線香花火に火をつけた。
先端の紙がゆっくり燃え火薬に引火した瞬間はじけ出し光の花を咲かせた。
「綺麗だね…」
と呟く弥生。
睦月は無言のまま光の花を見つめていると最後まで咲かずに弥生の火の玉が砂の上に落ちた。
「終わっちゃったっ…」
と残念そうに言った。
睦月は自分の線香花火を渡そうと手を動かした瞬間火の玉が落ちてしまった。
「あっ。…帰るか」
「うん…」
睦月はバケツを持ち歩き始めると「ねぇ」と言われ振り返った瞬間、弥生と唇が触れ合った。
「なっ」
弥生は唇を離し言う。
「いいじゃない。初めてする分けでも無いんだし」
「あれは幼稚園の頃だろ。まだ意味だって知らなかったんだし…」
「私は知ってたよ」
と小さな声で呟く弥生。
「え?」
「分かったわよ。ごめんなさい。帰ろう」
「…あぁ」
睦月は微かに顔をしかめながら、いつもはもっと突っ掛かって来るのにと思っていた。
それから二人は喋る事もなく無言のまま歩き、家の前に着いた。
「じゃ」
と睦月。
「好きだったの…」
「えっ?」
「ずっと睦月が好きだった…。じゃ」
と家の中へ駆けて行った。
睦月は部屋に戻り弥生のケータイに電話をしたが電源が入って無いらしく繋がらなかった。睦月は部屋の窓から弥生の部屋を覗いたがカーテンが閉められ連絡の取りようがなかった。
弥生は自分の部屋に戻ると机のライトだけをつけ便せんに手紙を書き始めた。書いて行くうちに自分の思いとは裏腹に身体が小刻みに震え出す。一瞬目をつむり気持ちを落ち着かせると再び書き始めた。数枚の便せんを宛て名書きした封筒に入れ切手を貼った。
立ち上がり窓越しに睦月の部屋を覗くと暗がりで読みづらいが『電源切るな!』と太字で書かれた紙が窓に貼られていた。それを見た弥生は微かに口の端を持ち上げ笑った。
「バカ…」
呟くと涙腺のゆるんだ瞳から涙が流れ出した。
@翌日
翌日、目が覚めた睦月は薄暗い中ケータイで時間を確認した。
はぁ? 5:31? 寝よう…思いながら、ふと弥生の部屋を見ると『ゴメン。充電切れだったの!』と書かれた紙が窓に貼られていた。睦月は微かににやけ外を見ると弥生が家から出て行くところだった。こんな早くに何処行くんだろう…。思ったが眠気に負け睦月は二度寝を決め込んだ。
いつもの時間に家を出るとケータイが震え出し、弥生からのメールだった。
《ゴメン…愛してる…》と。
《何がゴメン何だよ…》と打ち返したが何分待っても返って来ず電話をしたがコール音が鳴るだけだった。
ガチャガチャと乱暴にドアを開け出て来た弥生の両親と目が合った。
「どうかしたんですか?」
「睦月君…」と泣き出す弥生の母。
「弥生、車に轢かれたらしいんだ」と伏し目がちな弥生の父。
「はァ? えッでッ弥生無事何ですか?」
「重体らしい…」
「そんな…」
睦月は弥生の両親と共に病院に向かった。
両親より先に受付に睦月は食ってかかるように「さっき車に轢かれて運ばれて来た片山弥生は何処ですか?!」と言うと「片山弥生さん…」と手元の書類を見ながら「先ほど霊安室に移されたみたいです」と彼女は言った。
「はぁ?」
「ですので、片山弥生さんは先程亡くなったんです」
遅れて来た両親にも聞こえたらしく睦月の後ろで「イヤァ…」と弥生の母は泣き叫んだ。
弥生が死んだ…嘘だろう…何で? どうして…。
冷暗室の冷たくて重苦しい扉が開くと線香臭く、台の上に弥生は寝かされていた。顔に乗せられた白い布を弥生の母が震える手で取ると優しい弥生の顔がそこにあった。手や足は傷だらけなのに顔だけは傷一つ無かった。
泣きじゃくる弥生の母を慰めながら弥生の父も男泣きしていたが、泣きわめく弥生の母を連れ出て行った。
二人きりになった睦月…。必死に『嘘だ。間違いだ』と言い聞かせていたのに弥生の顔を見てると緊張の糸が切れ泣いていた。
「弥生冗談だよな…ふざけんなよ。起きろよ弥生。なぁ起きろって! 弥生!」
何度も身体を揺すった。
「他に何もいらないから、起きてくれよ…」
傷だらけの弥生の手を握った。少し冷めたコーヒーのように生暖かった。
「俺だってずっと好きだったんだ。弥生の事が…でも弥生と違って素直に言えなくて…。弥生、愛してるよ…」
唇を重ねた…。最期のキス…。
部屋から出ると弥生の両親は軽く頭を下げ睦月も頭を下げ、家に戻った。
@手紙
翌日。廃人のような睦月は学校を休みベッドによっ掛かりながらボーッとしていた。まるで半身が無くなったような脱力感に押し潰されそうになっていた。
ノック音が聞こえドアが開き「手紙来てたわよ」と母親は手紙を差し出した。
「ありがとう」
母親は何も言わず出て行った。差出人は不明だが宛て名書きの文字に見覚えがあった。封を切ると中には数枚の便せんが入っていた。
『睦月へ。
これが届く頃私は死んでるかもしれない。
でももし生きてたら「こんな手紙書いてバカだな」って笑い話にしてね。
変な話なんだけど信じてくれる?
いつの日からか私は同じ夢を見るようになったの…。
しかも全て私が車に撥ねられて死ぬ夢を。
もしかしたら私は死ぬのかもしれない。
そう思った時何が一番嫌かなって思ったら、忘れられる事が一番嫌だなって思ったの。
だから最期に睦月のそばにいれて良かったと思ってる。
花火綺麗だったね…。
沢山言いたい事あったけど「好き…」って伝えれて良かったと思ってるんだ。
睦月がどう思ってるか分からないけど。
悔いはないよ…。
でも本当は悔いばっかり…。
もっと早く好きだって伝えれば自然に睦月のそばにいれたかもしれないとか、
素直になれたのかもしれないとか…。
でも一番言いたいのは…私の事忘れないで、私の事思い出にしないで、
私だけを見ていてって、生きている間に言いたかった…。
明日の朝、自分の運命に逆らえないか試してみるつもりなの。
ごめんね。ありがとう…。弥生』
睦月は軽く下唇を噛み前髪をかき上げた。
風がカ-テンを押し上げ舞う。
睦月は窓から顔を出し弥生の部屋のまだあの紙が貼られたままの窓を見つめた。
@弥生
ピピピピピピッ…とけたたましく鳴った。
珍しくケータイのアラームに起こされた弥生は頬を伝う涙の痕をいつものように拭う。立ち上がり窓を開け睦月の部屋を覗いた。『電源切るな!』と太字で書かれた紙が窓に貼られていた。それを見た弥生は微かに口の端を持ち上げ笑った。
「バカ…」
呟くと涙腺のゆるんだ瞳から涙が流れ出した。
…やっぱり、夢と同じか…。
もし、私があんな夢を見なかったら…。
もし、私が本当の事を言ったら睦月は信じてくれたのかな…。
そう思いながら弥生は昨日書いた手紙を持ち家を出た。
- end -
アラーム