「好きだよ」
*
五月の連休まっただ中、今日はみどりの日。昔は何かの記念日だったそうだけど。自分の苗字が入った祝日は朝から弟達の面倒を見て、午後から部活。ようやく練習が終わったその足でお好み焼き【あかね】へと向かった。営業中の看板、のれんをくぐって引き戸を開ける。
「こんにちわー」
「はーい」
あかねのお母さんの声で出迎えられ一歩中に入る。店の中は混んでいて席はほぼ埋まっていた。家族連れが多かった。忙しそうに注文を取るお母さんは入ってきた私にはまだ気づいていないみたい。
「おや、緑川さんとこのなおちゃんじゃないか」
あかねのお父さんが厨房でひょいっとお好み焼きをへらで持ち上げる。浮いたお好み焼きはゆっくりと回ってひっくり返って鉄板へと落ちていく。芸術的な一芸、思わず見とれてしまった。お客の注文をお父さんに伝え一息ついたお母さんが改めて私に挨拶してくれた。
「あらあら、なおちゃんいらっしゃい。あかねなら部屋にいると思うわよ」
「ありがとうございます」
「ちょっと忙しいから何もないけどゆっくりしていって」
「いえいえ!おかまいなく」
「なおちゃんは礼儀がいいねぇ。うちのあかねにも見習わせたいくらいだ」
できたお好み焼きを皿に乗せてテーブルに置くお父さん。それを手に取りお客へ運んでいくお母さん。とても忙しそうだ。私は一礼すると店の奥のドアへ進んで中に入った。
店から住居内に足を踏み入れた私は廊下を歩き階段を登る。あかねの部屋には何度か遊びに来ているので大体の間取りは頭に入っていた。階段の手前には茶の間、登らずまっすぐいけば台所とお風呂場とトイレ。二階はあかねと弟のげんき君の部屋。
プリキュアになる前は家族でお好み焼き屋にご飯を食べに行く事はあっても個人的にあかねの家に遊びに行くと言う事はなかったし、気軽に家に入れる仲になれるとは思ってもみなかった。
あかねの部屋の前に立つとドアには「あかねの部屋」とオレンジ色のペンで書かれているプレートがかかっていた。引き戸をノックする。返事はない。
「あかね?」
やっぱり返事がない。
「あかね入るよ」
引き戸を静かに開ける。部屋には誰もいなかった。ベットの上のゴリラのぬいぐるみがじっとこっちを見つめている。私は中に入りゴリラを持ち上げて「あかね?」と声をかける。返事はやっぱりなかった。部屋を見渡す。この前言ったみゆきちゃんの部屋やれいかの部屋より少し小さく感じる。天井が低いせいだろうか?でも、自分の部屋と似た雰囲気なので一番落ち着く。
「トイレかな」
腰を下ろしてバックを置いて部屋の主を待つことにする。しかし、数分経ってもあかねは帰ってこなかった。
「おかしいなぁ、遊びに来いって言ってたのに」
聞き間違えたのだろうか、勘違いしていたのだろうか。あかねが現れない事に徐々に不安になっていく。こういう時、携帯電話があれば便利なのになと思わずにいられなかった。
「でも、お母さんは部屋にいるって言ってたよね……」
もう一度部屋をぐるりと見まわした。どこかに隠れていないか、見落としているところがないだろうか、と。
「あっ」
本棚の本の並びが偏っていた事に気づいた。もしかしたらふしぎ図書館に行っているのかもしれない。私は呆れたため息をついた。
「まったく行くなら行くって書き置き残しておいてよ」
私は本棚の本を動かす。上段の本を右へ、真ん中の本を左に。そこで手が止まる。
「……行ける、よね?」
自分の部屋からなら何度も行った図書館への行く手順。他の人の家で自分で行うのは初めて。
「あかねの部屋だからってエラー起きないよ、ね?」
部屋の主じゃない人がやると変なところに飛ばされるとかそんな事起きない、よね?恐る恐る下段の本を半分ずつ左右に動かす。光が見えた。私は光に包み込まれながら強く念じた。
あかねがいる場所へ連れてって――――
*
今日のみゆきは家族でおでかけクル。
キャンディはお留守番クル。
ちょっと寂しいけどお土産たくさん買ってくるって約束したから約束守るクル。
誰もいないみゆきのお家は静かすぎなのでふしぎ図書館に遊びにきたクル。決して寂しいわけじゃないクルー。
「んー」
誰かの声が聞こえたクル。誰か遊びに来てるクル。きのこの椅子に誰か座っているクル。赤い髪にあれはあかねクル!
「あかね?」
「ひゃあぁ!!」
あかねは凄くびっくりしてきのこの椅子から落っこちたクル。
「大丈夫クルー?」
「なんやキャンディか。大丈夫や……」
立ち上がったあかねはじっとキャンディを見つめたクル。キャンディの可愛らしさの虜になったクルか?
「なぁ、キャンディ。一つ聞いていいか?」
「何クルか?」
もしかして、キャンディ、頼られる?頼られているクルか?
「本棚の本を動かしていける場所って確証がないと行けないんか?」
「ど、どういうことクル?」
質問の意味が分からないクル!
「いや、なんちゅうか……例えばうちがキャンディの好きな人の元にいきたいっ!って願えばその人の元に行けるとか」
「そういう事クルか。多分行けるクルよ(キャンディはやった事ないクル)その人に一番近い本棚に着く筈クルよ。この前、秘密基地を探した時みたいな感じクル」
あの時、みんながそれぞれ願った場所に飛べたのはそういう事クル。
「やっぱなぁ……」
「あかねは何に悩んでいるクル?行きたい場所があれば行ってみるといいクル!」
「……キャンディ、気軽に言うけど結構深刻なんやよ?」
あかねが難しそうな顔で話すクル。
「好きな人の好きな人のところに行きたい、って願ってもし相手じゃなく違う友達が目の前に現れたら自分の思いが片思いだってわかってしまうんやよ?自分が振られてしまう事になるんや……」
「それでもあかねは知りたいクル。だからここにいるクル」
びしっと指をさして言うとあかねの目が大きく丸くなったクル。
「なら行ってみるクル!大丈夫、振られてもみんながいるクル!」
「振られるの確定かっ!!」
あかねのツッコミがビシッと決まったクル。やっぱりあかねは悩んだりへこんだりしてるより勢いよくツッコむ方が似合うクル。
ツッコんだあかねは顔の雰囲気が変わったクル。緩くなったクル。大きく背伸びをしたあかねはしゃがんでキャンディの頭を撫でたクル。
「ありがとな、キャンディ。そんじゃま、いっちょ行ってくるわ」
「帰ってきたらお好み焼き食べたいクル」
「まかせときや!」
あかねは親指をグッと立てて約束したクル。
「ちゅー」
本棚の本を手順通り動かすあかねクル。そういえばあかねは好きな人がなんとかと言ってたクル。
「ちゅー」
あかねの好きな人は誰クル?気になるクル!
「たこかいな!」
あかね、って声をかける前に最後の手順を勢いよくやりとげたあかねは光に包まれて行ってしまったクル……。
図書館にひとりぼっちになったクル。また誰か来るかもしれないから秘密基地で待ってみるクル。
大きいドアを押して秘密基地の中に入ると今度はなおがいたクル。
「なおー」
「キャンディ」
なおは少し頬を赤くして何かを飲んでいるクル。いっぱいお話ししたからキャンディも喉が渇いたクル。一緒にお茶するクル!
「あー、キャンディも、何か、飲む?」
「飲むク……」
なおの言葉が少し変?と思いながらお茶したいと答えようとした時、突然周りが暗くなってそこからキャンディの記憶は途切れてしまったクル……。
*
「あかね、タイミング悪すぎ」
光の中から飛び出したあかねは尻もち状態で着地した。さっきまで会話していたキャンディを下敷きにして。運が悪いとしか言えないけどキャンディがかわいそう。
「そやかて、まさかここに来ると思わなかったねん!」
目をクルクル回したキャンディを抱き上げてソファーに寝かせてあげた。水で濡らしたタオルを額に乗せる。キャンディは「クルークルー……」と呟いてる。強く打って気を失っているだけみたい。
「どこに行こうとしたの?」
「どこにって……」
「行きたい場所あったから本動かしたんでしょ?」
「それは……」
あかねが目を逸らして両手のひとさし指をつんつんした。答えに困るとよくやる、あかねの癖だ。本当あかねって嘘つけない人だよね。私は演技で少し残念そうな表情をする。
「あかねが遊びに来いって言うから家に行ったのに、いないもんだから探しに来たんだけどな」
「え、もうそんな時間になっとった?来るの早すぎやない?!」
秘密基地に掲げられた時計は三時を示していた。いつも部活が終わるのは今頃なんだけど明日は隣町の中学校と練習試合をするので今日は明日の為に早めに切り上がった。あかねにはそうだからって前に話したような気がするんだけど。もう一度説明したら思い出したようで「そうやったっ!」とおおきな声とリアクションを取った。
「まぁいいんだけどね。で、何か言う事ある?」
「へ?」
「だって分かったんでしょ?私の好きな人」
あかねの動きが固まった。顔が一気に真っ赤になる。タコみたいに。
「なななんあななんあなーーーー!!!」
古かったり傷ついたCDを再生した時によく起きる、音飛びのような声。頭から湯気が出ている。ここまでパニクッたあかねは初めて見る。
「落ち着いてよ。別にどうもしないから」
「えあ、あの、どうもこうもって」
「好きな人の好きな人のところに行きたい、って一つ欠点あるんだよね。もしその好きな人が願った本人だったらどうなると思う?」
そこであかねは気づいたようだった。
「き、キャンディとの会話、ど、どこから聞いてました?なおさん?」
「ひゃぁあ!のところからかな」
「最初っからやん!」
首を傾げたりツッコんだり今日のあかねはとても忙しい。でもそれが
「ごめんね。あかね探してたら聞こえちゃって」
かわいいんだよね。
「私も一度やったんだ、それ。そしたら、あかねの隣に着いたの」
好きな人の好きな人がもし自分だったら、ふしぎ図書館は好きな人の元へ自分を届けてくれるらしい。それに気づいた時、恋のキューピットなんて憎らしいなぁと苦く笑ったのは最近の事だった。
「まさかあかねも同じことするなんてね」
笑いが込み上げてきた。口元を右手で覆う。やばい、どうしよう、顔が熱い。涙腺が緩んできた。
「本当、似てるよね。私達」
あかねから顔を逸らす。まともに顔が見れない、見られたくない。多分、あかねに負けないくらい赤いんだと思う。顔だけじゃなく、体まで熱くなってきた。
「ずるいで」
「へ?」
「ずるいやんけ!自分だけ!知ったら知ったで言ってくれればいいやん!ずっとずっと悩んでうちバカみたいやん!!」
「あかねがバカなのは今に始まったことじゃないと思うけど」
「そういう問題じゃなく!時間の無駄や!ってことや!」
「いや、無駄とかそういう問題じゃないと思うよ、これって」
「無駄や無駄や無駄や!!うちがどのくらい悩んだと思ってん!!!そんでもって別にどうもしないってどういうことやねーーーんっ!!」
ダメだ、話が全くかみ合わなくなった。思いが互いに通行してる、と理解していてもあかねの頭はとっくにオーバーヒート。冷静になれていない。今の問題ではなく過去の失態について自分を責めたり納得いかない事に腹を立てている。
焦っているあかねを見て自分の体がすっと落ち着いていくのが分かった。口元を抑えていた右手を離し、あかねの左腕を強くつかんだ。あかねの体がびくっと跳ねる。叫びに近い声が止まった。
「ごめん」
謝ると強張っていたあかねの体は少し柔らかくなった。でも右手に込めた握力を弱めなかった。
自分が男じゃなくてごめん
勝手に思いを知ってごめん
知らないふりしてごめん
でも、すごくすごくうれしかったんだよ
あかねの体を引き寄せて、触れない、でもできるだけ近い場所で自分の思いを伝えた。
「好きだよ」
その告白に答えるかのようにあかねは触れない距離を縮めるように一歩踏み出し、私の胸へ飛び込んだ。あかねの重みに足を踏ん張って倒れないように、支える。胸から熱さが伝わった。
「ずるいやんけ」
「ごめん」
「ほんまや」
「ごめん」
「責任とってや」
「どういう風に?」
「…………一緒にいて」
どのくらい一緒にいればいいの?って聞き返そうかと思ったけどやめた。あかねが飽きるまで一緒にいればいいんだ、って思ったから。左手をあかねの肩に添えて、私は「うん」と答えた。
*
目を覚ましたらあかねとなおがテーブルでお好み焼きパーティをしていたクル。
「お、目が覚めたか?」
「キャンディ、大丈夫?」
「一体何があったクル?」
「ん、ちょっとしたアクシデントかな?」
「それよりキャンディ、お好み焼き食べへんか?出来立てほやほややで」
「食べるクルー!!お腹すいたクルー!」
あれ?お好み焼きで何かあったような気がしたクル…………。
「ほいっ!キャンディには特別やで!!」
「キャンディの顔が描いてあるクルー!!」
マヨネーズで描かれたキャンディの顔はちょっと歪んでいたクル。やよいの描いたキャンディの方がもっと可愛いクル。
「はい。食べやすいよう賽の目に切ったよ」
なおがへらでお好み焼きを切って、フォークをくれたクル。一切れ刺して食べるクル。
「うまいクルー!!!」
「うちのお好み焼きは天下一品やで!」
あかねが約束守って作ってくれたお好み焼きはとてもおいしかったクル!!
約束?んー、そのうち思い出すクル!お好み焼きおいしかったからウルトラハッピークル!
「好きだよ」