Let it be
◆ Chapter 1
「あらゆるものを失い、過酷な避難生活に疲れ切り、心が折れそうな人が「希望」を持てるようなる為に自分は何をすべきか?どんな言葉をかけるべきか?本当に難しい。逆は簡単だ。「見てみぬふりをする」「そのうち何とかなるんじゃないの?と思う」「興味を持たない」「かわいそうと思うだけ」大丈夫、そんな人は日本にいない!」
男はコンビニのレジの脇にある小さな募金箱を見た。【第3新東京市災害募金】とラベルが張ってあった。
第3新東京市は『使徒』専用迎撃要塞都市。この街には高層ビルをも超える大きい怪物が突然と現れる。
怪物の目的はよくわかっていない。何かを探すかのように徘徊し街を支配しようとする。その怪物を撃退する為、エヴァンゲリオンという巨大ロボットが出動し戦う。
戦いは巨大な怪物、使徒が死ぬまで終わらない。緊急時は人々はシェルターに避難し企業団体のビル郡や住宅街は地表ゲートに収束される。この街の建物が今のところ全壊される事はないが、戦いが終わると停電や通信回線の混線など何かしらの被害は出ている。
この怪物がやってくるのは1度きりのことではない。何度もやってくる。何度に渡る戦い、ニュースによると政府の防衛予算や義援金などでは街の修復は追いついていないらしい。
男は貯金箱の中を覗いてみた。小銭が少し入っているくらいであまり募金されていないようだった。男は「そりゃそうだ」と思った。何故なら男が今滞在している街こそが第3新東京市なのだから。被害に逢っている人々は自分の事や周りの事で精一杯。使徒の被害に合った直後では街を助ける事まで手が回らない。
男はレジカウンターに安いサンドイッチを置くと自分が好んでいるタバコの銘柄を店員に伝えた。店員は後ろの棚からそのタバコを1つ取り出すとそのまま勘定を始めた。
「610円です」
財布から700円を出し店員に渡すと既に商品はレジ袋に入っており、レシートと共に90円のおつりが帰ってきた。おつりを財布に仕舞おうかと思ったが先程の募金がふと気になり、男はおつりをそのまま募金箱へ入れる。
「あれ?加持君って募金する人だっけ?」
「募金する人と言うわけじゃないが、まぁ、きまぐれだな」
男はレジ袋を持つと後ろの女性に場所を譲る為に横に避けた。後ろの女性は赤いかごをレジに置く。かごの中身は携帯用の歯ブラシと栄養ドリンク、そして何本かのエビチュのビールだった。
「なんか意外」
「そうか?葛城だってたまには募金するだろ?」
店員が値段を告げた。葛城と呼ばれた女性も「まぁ、そうね」と言いながら財布から千円札を3枚取り出す。2枚を店員に渡し、1枚を募金箱に入れた。会計が終わり、戻ってきたいくらかのお釣りも彼女はそのまま募金箱に入れた。
「太っ腹だな」
「そう?」
彼女はそのまま出口へと向かっていった。男はその後ろを付いていく。
店の外に出ると女性は栄養ドリンクのキャップを開け飲み始めた。男は先ほど買ったタバコを開けると1本取り出し、火をつけ吸う。
「あのさ、募金すると達成感ってない?」
「達成感?」
「募金した時、このお金で頑張ってくださいって思ったでしょ」
「まぁ、募金する意義はそうだからな」
「いつも思うのは、それで終わりにしないって事なの」
「終わり?何が終わりなんだ?」
「んー、上手く説明できないけど」
彼女は栄養ドリンクをまた一口飲む。そしてビンの底を覗き込んだ。どうやら飲みきったらしい。
「自分の仕事は使徒を倒す事。その使徒がいなくなれば平和が訪れる。平和になれば募金箱は無くなる、って事でしょ。募金する立場じゃなく、募金活動がなくなるよう努力する。頑張って下さいと同時に自分も頑張る。そこまで考えるようにしたの」
「それは結構な考えだが、募金箱は無くなる事はないと思うぞ」
先程見た募金箱には災害募金のラベルが貼ってあった。が、そのラベルの下には何度かラベルが剥がされた後もあった。きっと前にも何らかの救援募金がなされていたのだろう。
「私は箱じゃなくて、この街への募金を終わらせたいって言ってるの」
「はいはい」
「……いくらお金があっても根本的な問題が解決しない限り、悪循環を繰り返すだけよ」
私はその悪循環を断ち切りたいの、と彼女は語り空瓶をゴミ箱へ捨てた。男もタバコを吸い終え火を消す。
「経験者は語る、か」
その言葉で気合が入っていた彼女の顔が一気に冷めた表情になった。その顔を見て男は「しまった」と思った。しかし、時は遅すぎた。
「か、葛城……」
「ごめん、加持君。用事思い出したから」
彼女は男に背を向け道を歩く。男は慌てて彼女の名を呼び肩に手をかけようとしたが捕まらず空を切った。彼女は背中越しに右手を振った。言葉が無い別れの挨拶だった。
去って行く女を男はただ黙って見送るしかできなかった。
「……失敗した」
使徒の恐怖から直ぐに立ち直る人もいれば、長い時間をかけて克服する人もいる。
彼女は15年前の災害『セカンド・インパクト』で使徒の恐怖を目の当たりにした人物。
長い長い時間をかけて、彼女は立ち直った。表面上は。
彼女が使徒を倒そうとするのはこの街の為、というより自分の為の方が大きいかもしれない。
自分の全てを奪った使徒に復讐する事で彼女は今を生きている。
知っていたはずなのに、彼女はまだ恐怖を抱えて生きてる事を。
彼女の心の傷をまた広げてしまった。と男は深く反省した。
◆ Chapter 2
『幸福な家庭はみな似通っているが 不幸な家族は不幸の相もさまざまである』
惣流・アスカ・ラングレー、エヴァンゲリオン弐号機パイロットとして日本に滞在。
彼女は14歳でドイツの大学を卒業しているが、ネルフの上司の命令で中学校に通っていた。基本はエヴァのパイロットとしての任務が優先だが何も無いときは中学生としての生活を送る事を義務付けられている。
あくびをかみ殺し、退屈で幼稚な授業に耐える。命令じゃなければこんな場所にいないのにと何度も思いながら時間が過ぎるのをただ待つ。
「こんなことしてるくらいなら、シンクロテストしてる方が100倍マシよ……」
誰にも聞こえない愚痴を呟き2つ隣の席に座る洞木ヒカリをじっと見る。視線を感じたのかヒカリはアスカと目を合わせると笑ってくれた。そして、すぐに教卓へと目を向ける。真面目なヒカリらしい仕草だった。
アスカはため息を深くつく。そして次は自分の左斜め前の空席を見る。その席の主は今頃初号機のパイロットと共にテストに望んでいるはずだ。アスカはテストに望んでいる彼を羨ましいと思った。
授業が終わるとアスカはヒカリと会話をしながら下校した。今、アスカに学校生活で必要なものは何?と質問したら「ヒカリ」と答えるかもしれない。ドイツの大学生活では得られなかったもの。ヒカリがアスカに話しかけ、友とならなかったらきっと彼女は当の昔に学校を登校拒否していただろう。学校を歩いて辿りついたとある十字路の分かれ道でアスカはヒカリと別れた。
「また、明日ね」
「うん、またね」
何気ない別れの挨拶が明日学校に行く楽しみになる。アスカは駅に着くと電車に乗りネルフへと向かった。
電車の中ではゲームウォッチで暇を潰す。簡単なパズルゲームだった。もうすぐクリアする所で電車が大きく揺れ、操作を誤った。眉をしかめ顔を上げるとアナウンスが自分の降りる駅を教えてくれた。アスカは不機嫌の表情のままゲーム機をしまうとそのまま立ち上がりドアの前に待機した。
電車を降りたアスカはまっすぐとネルフに向かった。アスカの目的地は女子更衣室の自分のロッカーだった。
「あった」
ロッカーを開けると折りたたまれたプラグスーツの上に1冊のノートがあった。ヒカリから借りていた社会科のノート。これがないと宿題が進まない。
「まったく、面倒な宿題出さないでよね」と愚痴をこぼし、カバンに大切そうにしまうと更衣室を後にした。他に用事はない。アスカはトイレに寄ってからそのまま帰るつもりだった。
そのトイレ行く途中の自販機でアスカは不思議な情景を見た。
――渚カヲルと冬月副司令が話してる?
アスカは目を疑った。二人は同じ現場で働いているとはいえ、社長と平社員的な関係。副司令からは戦闘中に直接の命令はされるが、談話するような仲柄ではないと思っていた。
だが、十数メートル先の二人は確かに話してる。よくよく見れば賑やかに、という感じではない。冬月は淡々と何かを語り、それをカヲルは聞いている感じだった。
歩みを止めてその二人を見ていたアスカは偶然にこちらを見たカヲルと目があった。何故か居た堪れない気分になったアスカは振り返りその場を離れようとした。
「アスカ」
カヲルはアスカの名を呼んだ。その声にアスカの足が止まる。カヲルは冬月と二、三言会話を交わすとまっすぐアスカの元へ歩いてきた。
「学校、終わったんだ」
「……えぇ」
「僕に逢いに来てくれたの?」
「なっ!なわけ、ないわよ!!」
「照れなくてもいいのに」
あぁ、もうっ!とアスカは心で叫んだ。カヲルと話すと自分のペースが崩れる。自分の思い通りにいかない。自分が自分でなくなる、コイツとの会話は危険だ。そう、分かっているのに、何故か『話しかけない』『無視する』という選択ができない。
「……私が気になってるのはあの人と何を話していたかって事よ」
「ん?あぁ、副司令の事かな?昔の事を聞いていたんだ」
「昔?」
「うん、セカンドインパクトについて、ね。最初は日向さん達に聞いたんだけど、年配の冬月さんに聞いた方が詳しく分かるって言うから」
カヲルは冬月が語った事を教えてくれた。
「セカンドインパクトは南極で起きた災害だから日本での被害は物資不足くらいなものだよ。海外では工場の生産ができなくなったり、輸入輸出が空海問わずストップした」
「そうなんですか」
「起きた場所が起きた場所だからね。アメリカの方は人々がパニックになり二次災害が酷かったと聞いている」
「二次災害?もう一度災害が起きたのですか?」
「いや、二次災害はセカンドインパクトが起きた事によって生まれた人為的な災害の事だよ。物や情報が無い為に強盗や窃盗が多発したらしい」
「人と人が……それが二次災害。日本でも起こったのでしょうか?」
「多少ね。全国の所々で起きた。都市では輸入に関する食料は自衛隊が管理していたから、それを巡っての暴投が起きていた。だが、」
「今よりも、昔に起きた大震災の方が悲惨だったかな」
冬月が思い出したのは遠い昔に起きた東日本沿岸沖で起きた大震災だった。当時を思い出しながらぽつりぽつりと語っていく。
「何日か停電や断水などを経験したよ。半月以上は物資、特にガソリンや灯油には悩まされた。でも、私はまだ恵まれていた。家を無くした者、家族を失った者、愛する人を失った悲しみ………渚君、授業などで津波が起きた場所の写真を見たことがあるかい?」
いえ、ありません。と答えると冬月は一息ついてぽつりと呟いた。――――幼い頃に教科書で見た、原爆が落とされた後の広島のようだったと。
「と、セカンドインパクトの事だったね。すまない、話が脱線して」
「いえ、とても興味深い話でした」
カヲルは冬月に1つ質問した。「昔の震災と、セカンドインパクト、そして今。どれが一番大変でしたか?」と。冬月は返答に困った。「比べられるものではないと」
「はっきり言えるのは過去の教訓が今を支えていると言う事だよ」
今は使徒に対してエヴァと言う救世主、信じる希望が目に見えている。しかし、昔は突然と現れた大震災に人々はパニックになるしかなかった。エヴァのような希望がある分、この世界はもしかしたら救われているのかもしれない。
「そんな事を副司令と話していたんだ」
「セカンドインパクトねぇ……」
そんなの授業で散々聞いてるじゃないとアスカは聞き返した。
「……そうなんだけどね、実はセカンドインパクトは僕が生まれた日なんだ。だから知りたかった。どんな世界だったのかを。授業の話って歴史話だから実際の体験談を聞いてみたかったんだ」
「ふぅん……って、ちょっとまって。あんた今15歳?」
「うん。病気で1年学校休んでるんだけどね。当時の事はあまり聞けなかったけど、とても興味深い話だったよ。今の平和な世の中を見ていると、昔にそんな大変なことが起きたなんて実感しないんだけど」
アスカが「つい最近まで使徒やらで大変だったけど」とツッコむとカヲルは「あぁ、そうだったね」とまるで人事のように笑った。
「人と言う生き物は生きようとする力が無限大だと思うよ」
「あんたもその生き物でしょ?何他人事みたいに語ってるのよ」
「あぁ、そうだったね」
「……ねぇ、カヲル」
アスカは少し間を置いてから何かを思い出したかのような笑いを浮かべて話した。
「そんな災害に負けずに生まれてきたあんたってやっぱ最強ね」
カヲルは少し首を傾げた。意味が分からない、という感じだった。
この言葉はある意味、アスカにとって最大級の褒め言葉である事はカヲルには伝わらなかったようだ。
◆ Chapter 3
『不思議だ
ひとはこんなにも時が 過ぎた後で
全く 違う方向から 嵐のように 救われる事がある』
件名には私の名前が付いていた。
『大丈夫?』
内容はその一言。
その言葉にどう返事をすればいいか悩んだ。
難しい。
おかしい。
いつもなら「大丈夫」と答えるだけでいいのに。
私は何を伝えたいの?
大丈夫、心配しないで、構わないで、いえ違う。
逆なの。
そう、逆。
私は自分が願っている事を4文字の言葉にして文字を打った。
『助けて』
この言葉を叫べば碇君が動いてくれるなんで思ってもいない。
そもそも合わせる顔がない。結果を出せなくて。惨めで悔しくて。
惨め、悔しさ、初めての感情。彼を思って生まれた感情。
ごめんなさい、一緒に戦えないかもしれない。
私はメールを送信せず、テーブルに携帯を置くとそのまま外に出た。少し肌寒かった。
行き先は決まっている、その場所まで私は歩みを止めない。
空を見上げると、夕焼け色に染まって綺麗だった。
着いた、と心で思った。黄色い機体、私が辿りついたのは エヴァ零号機の前。
数週間前の事故で零号機はベークライトで封印されている。
『大丈夫か?』
あの時は素直に頷けたのに。
碇司令じゃないから素直になれない?
いえ、違う。赤木博士の言葉にも、葛城二佐の言葉にも答える事ができる。
碇君だけ、彼に対しての返答だけは気持ちが高ぶり上手く言葉にできない。
零号機の前に来れば何かが分かるかもしれないと思った。
けど、何も分からない。
この場所は、私の原点、私の絆がある場所。私の命はこのエヴァと共にある。
運命共同体であるはずのエヴァが、怖い。
問いかければ答えてくれるだろうか、教えて欲しい。
私は貴女に乗るべきなの?
二十二日前 ネルフ本部・第二実験場
「エントリープラグ、注水」
操縦席に水溶液が満たされる。私の足元からどんどんと水が攻めてくる。
膝元、手首、胸、首、そして口から頭、私は赤い水の中に溺れた。
赤木博士がテスト前に言っていた事を思い出し、肺から息を吐き出した。
少し気持ち悪かった。
「レイ、大丈夫?」
「……はい」
「実験を続けるわ」
「起動開始」
「主電源、全回路接続」
「主電源接続。フライホイール、回転開始」
何かが回る音がする。
目の前の視覚エフェクトが様々変わる、色も変わる。
「フライホイール、スタート。稼動電圧、臨界点に達します」
「エヴァ零号機、起動しました」
モニターの画面が安定した。
白い部屋、そして大きなガラス。ガラスの向こうの部屋には碇司令が立っている。
いつもと変わらないその姿を見て、ほっとした。
それからだ。
いきなりモニターの画面が荒れだした。アナウンスが途絶え、耳鳴りがした。
赤い画面、青い画面、黄色い画面、それぞれが生き物のように蠢いていた。
本能的に襲われる、殺される、そう思った。
そして強い衝撃。二度、三度、頭や体に痛みが走る。頭から何かが流れ落ちた。
水の中で流れ落ちるもの?と考えた時、もう一度、衝撃が来た。共に声がした。
自分の中にない記憶、でも私は確かにこの声を知っている。
――アンタナンカ、アンタナンカシンデモカワリハイルノヨ
これが起動実験の私の記憶。
「綾波……」
誰かが私の名を呼んだ。静かに声がした方へ振り向く。
「碇君」
彼がいた。
「どうして、ここに」
「……綾波がここにいるような気がして」
碇君は私に近づいてきた。一歩、二歩、三歩。あと二歩で私の隣に立つ、ところで彼は歩みを止めた。碇君はガラス越しの零号機を見た。
「僕もね、何かに迷った時、初号機の前に行くんだ」
そして、私を見た。碇君の茶色い瞳が私の赤い瞳と合わさる。
「だから綾波も一緒かなと思ったんだ」
笑った。それは照れ隠しのような笑顔に見えた。
その笑顔と言葉で私は安心した。
碇君と私は一緒、一緒なら分かるかもしれない。
私の今の思いを彼も経験した事があるかもしれない。
「……碇君はエヴァに乗ることは怖いと思う?」
自分の不安を言葉にした質問。
確かに私の代わりはいる。
私という個体がいなくなっても他の「綾波レイ」という個体が零号機に乗るだろう。
運命の歯車は変わらない。変わらず「計画」は実行されるだろう。
私が死んでも何も変わらない。
のに、私は――――
「綾波はエヴァが怖いの?」
「多分」
「僕はエヴァに驚いたりびっくりはしたけど恐怖はあんまりないんだ」
「怖くないの?」
「乗る事は。僕が怖いのは……必要とされない事かな」
「必要と、されない?」
「エヴァに乗れなくなる事が怖い。父さんやミサトさんに『いらない』と言われる事が怖い」
必要とされない事が怖い彼と死ぬ事で自分が消える事が怖い私。
碇君と私の恐怖は言葉にすると違うけど、根本は同じなのかもしれない。
碇君は自分の右手を見た。
「今もまだ不安だけど、うん、大丈夫」
見つめた右手をぎゅっと握り締めて、自分に暗示をかけるかのように大丈夫だと言った。
碇君は恐怖に打ち勝つ強さを手に入れているようだった。
「綾波がエヴァに乗る事が怖いなら無理して乗らなくてもいいよ」
その言葉は私への拒絶の意だと思った。
一瞬、胸が痛んだ。
「僕が守るから」
でも、違った。
痛みは消えて、何かがこみ上げてきた。温かい何かが。
「大丈夫」
もう、大丈夫。
「碇君がいるから、私乗れる」
碇君が入れば、私は私で居られる。
私の存在意義は、彼の中にある。
「うん、僕も綾波がいたからエヴァに乗れた」
碇君は笑った。さっきの照れ隠しとは違った笑い方だった。
「碇君、ひとつお願いしていい?」
「何かな」
「……手を握って欲しいの」
碇君は戸惑っていたけど「僕で、よければ」と真っ赤な顔で右手を差し出してくれた。
恐る恐るその右手に、私の右手を近づける。
触れた。
握った。
温かい。
碇君の右手に宿る恐怖に打ち勝つ力。
ほんの少し貰った気がする。
大丈夫、私はまだエヴァに乗れる。
Chapter 4
100あるうちの1つの不幸に出逢ったら、100あるうちの1つの癒しを探してください
人を救う事にマニュアルはありません
相手の為に自分が出来る事を考え行動すれば、その思いはいつかその人の胸に届きます
「さて、今日も頑張るか」
口に咥えていたタバコを名残惜しそうに外し火を消す。そして見上げる。
今日も派手に壊れてきた零号機。まぁ、ちょっくらまってな。俺が直ぐに治してやるからよ。
特注のメスとドライバーを両手に持ちひょいひょいと作業台を登る。途中で仲間に出会った。挨拶代わりに軽口を叩いたら小突かれた。まぁ、日常茶判事だ。
頭甲部に行くリフトへ乗って、上昇ボタンを押す。ガコンと言う音と共にリフトは登っていく。ゆっくり、ゆっくりと。その間、俺は胸ポケットからタバコを取り出し一服する。
タバコ一本吸い終わる頃、ちょうどリフトが止まった。天辺に着いたようだ。タバコの始末をしながらリフトを降り後頭へ歩いていく。
そしたら、珍しく先客がいた。こいつは、えっと、あぁ、そうだ。数ヶ月前に新しく入ったばかりの奴だ。パッと見、少し生気が抜けているような気がした。まぁ、最近の仕事量を考えれば元気な奴の方が珍しい。俺は声をかけた。奴はぺこりと頭を下げた。なんでここにいるんだ?と疑問に思ったが時間が惜しいのでそのまま作業に入る。後頭のカバー部分をマジマジと見つめ「よしっ」と気合を入れて作業しようとした、その時だった。生気が抜けている若い奴が声をかけてきた。
「俺、あと、どんだけ治せばいいんでしょうか」
「どんだけ、と言うと?」
昨日一日かけて切り抜いた装甲カバーを固定している螺子を特注ドライバーで外していく。この奥にある機械を引っ張り出したら俺の仕事は一旦終わりだ。後は赤木博士を呼ぶ。そしたら赤木博士はパソコンに繋いでプログラムを組むだろう。組み終わったらまた俺の仕事。今度は新しい装甲を付け替えるんだ。
「何回も何回もボロボロになって帰ってくるコイツ等を、何度治せば平和が来るでしょうか」
「難しい話だな」
一つ目の螺子が外れた。長さ75cm。とても持ってられないから床に置く。2つめの螺子を外しながら俺は奴の言葉に答える。
「でも、俺達が治さなきゃこいつは戦えねぇ」
そう、治らなければこいつは動かない。そしたら俺達は使徒っつう怪物に殺られちまう。世界はジ・エンド。終わっちまうんだ。
「零号機班の奴、愚痴いてました。もう、これ以上頑張れないって。疲れたって」
「ほう」
「それだけですか?」
「あぁ」
「……酷いですね」
「どっちが酷いんだ?」
二つ目の螺子が外れた。床に置く。螺子と螺子がカツンとぶつかった。少し転がったが直ぐに止まった。落ちる事はないだろう。螺子から目を移動し奴の顔を見た。不細工な顔だった。今にも泣きそうな醜い顔だった。奴から目を離し三つ目の螺子外しに取り掛かる。
「他人の愚痴を受け止めて共感しちゃってるお前は、これからどうするんだ?そいつと一緒に諦めるのか?」
「それは……」
三つ目は意外に早く外せた。装甲カバーが振り子のように下がった。中からピンク色の皮膚体らしきものが見えた。それは人間の脳みそに似ていた。
「俺は諦めねぇ」
最後の螺子外しに取り掛かる。俺は背を向けたまま、奴に語る。
「不幸に共感しちゃいけねぇ。自分のできる事を最大限に考えて、行動しろ。自分のやってる事が正しければ道は開ける」
四つ目の螺子が外れた。カバーがガタンと落ちた。床が響いた。足がしびれる。
「下手な同情は確かに届かねぇ。なら、自分の背中を見せな。愚痴をネタにするくらいならな」
四つ目の螺子を床に置く。4本の螺子が転がらないよう直したら俺は零号機の中身を触った。温かい、気がした。いや、エンジンは切っている筈だから熱は持っていないはず。でも、何故かぬくもりを感じられた。
俺は皮膚と皮膚の割れ目に右腕を突っ込む。この奥に、確か、ある、筈、なんだ……が?あれ?ない?
「すいません」
人差し指にカツンと何かがぶつかった。あぁ、あった。手探り状態でそのぶつかった物を引き寄せ掴むと一気に引っこ抜いた。取り出したのは複数のUSB接続の穴がついたポートだった。情報通りだ。ポートを垂れ下がるように放置する。後は赤木博士の出番だ。
俺は後ろを振り向いた。奴の顔はやっぱり疲れは消えてない。でも気合が入っていた。死んだような目が少しだけ輝きを取り戻したような感じだった。こういう姿を見るとやっぱり人間ってのは強い生き物だよな、とふと思う。なんらかのきっかけがあれば人は歩き出せるし強くなれるのだから。
「わかりゃいいってことよ」
俺はこの場を後にしてリフトへと戻る。奴も着いてきた。リフトでタバコを取り出すと「禁煙です」と注意してきやがった。小言を言えるならもう大丈夫だな、と思った。
赤木博士を呼んだら今度は初号機班の手伝いだ。こいつも持ち場に戻って精を出すだろう。休んでる暇はない。使徒はいつ来るか分かったもんじゃないからな。
「さて、今日も頑張るか」
「うぃっす!」
Let it be