小さな小さな約束を
「けぇいぃちゃぁぁぁぁぁんんん」
今、俺の目の前に鬼がいる
右手にはバット、左手にはスタンガン
般若のお面のような恐い形相
お、俺っ、絶対、こ、殺されるっ!!!
本能的にそう思った
しかし、逃げたくても俺の後ろは壁、逃げ道は既に阻まれている
真面目に助けを求めたかった
しかし声が出ない
壁に追い詰められる際、喉に一発スタンガンをくらった後遺症
発する言葉は音にならず苦し紛れの咳しか出なかった
「あぁんたはどこまぁで、」
一呼吸後、
「へタレなぁんですか!!!!」
耳を切り裂くような大声
耳がキーンと痛くなる、とてつもない迫力だ
俺をへタレだと叫ぶこの鬼の名前は、園崎詩音
「情報はちゃぁんと入っているんですよっ! 8月19日午後3時28分、興宮市内で月収約3か月分の指輪を購入済みとっ!」
ああAああアアあaあaaぁあ!!!
お、おまっ、な、な、なんで、知ってるんだぁぁぁぁ!!!
誰にも知られたくない出来事だった。だからできるかぎり人がいない時を見計らって宝石店に入店し前々から目星かけていた指輪を光の速さごとくに買った………と、言うのにどうして、こう、こと細かく、バレてるんだぁ!!
もしかして、あれか?俺は常に監視されている?!
プライバシーの侵害もないのか!恐るべし、興宮っ!!いや、園崎詩音!!!
「なぁのに!今だ、お姉と進展なしっ!! 何日たってると思ってるんですかっ!! これをへタレと呼ばずに何と呼べばいいんですかっ!!!!」
いや、それには理由がある、理由があるんだっ!
そう言いたいんだが声が出ない
ジェスチャーでの必死の訴えは実らない
詩音はゆっくりと、ゆっくりと右手のバットを振り上げた
「それともなんですかぁ? お姉というものがありながら他の誰かに、本命がいるんですか?」
そんなもん、いないいないいないいない!首を必死で横に振る
「じゃ、なんでプロポォズ、しないんですかぁ!!? ちゃんとそこのところ説明してもらわないと」
説明したくてもお前のスタンガンで声が出ないんだよっ!!!と、心の底から叫んだ
しかし声は出ない
詩音の目が大きく見開いた
見開いた目を見て確信する
こいつ、*る気だ
「納得、いかないんですよっ!!!」
バットが振り下ろされた
死ぬ、死ぬ、あんなの当たったら死ぬ
そう思ったら今までの思い出がいっきにぶあっと頭にビデオの早送りみたく流れた
小学校の運動会で始めて一等賞をとった事
修学旅行でイルカに触った事
思い出したくない記憶もはさんで雛見沢に来て皆と出会って、一世一代のドンパチをして、そして
そして
そして
魅音の笑顔が、
………嫌だ、死にたくない、というか死ねないっ!
お、俺は、そうっ、待たねばばならない奴がぁぁぁぁぁ!!!
喉に力をこめて大きく息を吸い込む
全身全霊、俺の持てゆる力を喉にこめる
そして、
「…………ぉんに、振られたんだぁぁぁぁ!!!!!!」
全ての世界が止まった
詩音のバットは俺の頭上1cm前でぴたりと止まり、しばしの沈黙が流れた
風も吹かない、音も聞こえない
俺は自分の命がデットオブアライブ、今選択されている事を感じていた
「なんて、言ったんですか?」
風が吹いた、ひぐらしの声が耳に入ってきた
バットが俺の横を横切り詩音の足元に収まった
身の危険は一時的だが回避された
安堵の息をつき俺は今ごろになって全身びっしょりに汗をかいていることに気付いた
「なんて、その、あれだ」
「今度こそ喰らいますか?」
にっこり笑ってバットを再び構いなおす詩音
本当なら二度と言いたくないんだが、命がかかっている
変なプライドは棄てるべきだ、うん
「………俺は、魅音に振られてるんだよ」
◇
今年の綿流しの晩、俺は決めていた
魅音にプロポーズをすると
指輪も買った
小さいけど魅音がしたら似合いそうな可愛い指輪
プロポーズの言葉はストレートに「結婚しよう」
そう頭の中で何度も何度もシュミレーションし俺は綿を流し終えた川沿いで告白した
魅音の答えは、「ごめん」
「嘘です」
「嘘ついてどうする」
「お姉がそんなこと言うわけありません」
「事実だ」
「お姉は圭ちゃんといつもいつも一緒にいたいと言っているんです。だからそんなこと言うわけありませんっ!」
「じゃ、魅音に聞いてみろ」
「聞きましたっ!そしたら………」
だから、俺の元に来て事実を確認しに来たのか
まったくたかが事実を確認するだけで騒きすぎだ。騒ぐくらいなら傷心の俺を癒して欲しいぜ
「なんで、なんで、なんで、なんでっ!」
歯を食いしばりやり場のない怒りを必死で堪えていた
なんでっていわれてもなぁ、うん
「聞きたいのか?」
「?」
「理由だよ」
そんなの当たり前ですっ!と睨んで叫んだ
まったく気の強い奴だ
「後悔するなよ」
そう一言付け加えあの時の魅音の言葉を覚えている限り伝えた
「ごめんね、圭ちゃん。大好きなんだよ、すごく大好き。圭ちゃんのプロポーズすごく嬉しい。でも、だめなんだ。私」
「私だけ幸せになっちゃいけないんだ、だって詩音ずっと待ってる。悟史君のことずーっと待ってる。私には圭ちゃんが側にいた、でも詩音は一人。平気な顔で『大丈夫』というけど分かるの。全然大丈夫じゃないって。だから、もうこれ以上置いてけない」
「だから私、詩音が幸せになるまでこれ以上幸せにならないって決めたんだ。そんなことしても詩音は喜ばないかもしれない。でもこれ、願掛け。詩音が幸せになるための願掛け」
「小さい頃約束したんだ、結婚式は一緒にねって。忘れてるかもしれないけど私は覚えてる。好きな人が現れたら隠さない。そしてチャペルの教会で、青空の下、4人で式を挙げる、祝福されながら。漫画で見た結婚式に憧れて約束したんだ」
「だから、ね、」
◇
「だから、俺は振られてやった。そしてこう言ってやったさ。詩音が待ってる奴が来た時。お前の隣が空いてたらもう一度だけ、もう一度だけ告白していいか?と」
「なんていったんですか、お姉」
「目にいっぱい涙堪えながら笑って言ったよ。『きっとしわしわのおばあちゃんになってるよ』って」
「いいんですか、おじいちゃんになっても」
「いいさ、それも」
「待てるんですか」
「待つさ、だから早く来るといいな」
『待ち人』が
そう言うと詩音と俺の間に沈黙が生まれた
先ほどのように恐いとか、死ぬとかの危機感の沈黙ではない
それは1人の女性に対していろんな思いを巡らせる、心温まる沈黙
詩音はふと何かを思いついたかのように手に持っていたバットを俺に押し付ける
俺は戸惑ったが詩音の目は「早く受け取りなさい」と言っていたので素直に受け取る
そして、くるりと振り返り何事もなかったかのように歩き進む
「ちょ、詩音?」
「…私の待ち人はもうじきやってきます。ただし、やってきても、私と共に歩んでくれるか分かりません。まぁ、元からそんな約束してませんし」
詩音の足が止まる、俺に背中を向けた格好で喋り続ける
「私は彼以外の誰かを好きになる事はないと思います、今までもそうでした。だから彼に振られたらきっぱり諦めて私は生涯一人身を貫こうと思ってます。そう思うくらい、私は彼が好きなんです。他の誰か、なんて考えられない」
伝わる、詩音の覚悟が
彼女は生半端な恋愛をしていない、一途でとても純粋な思いを秘めている
どんな理由かよく分からんがいつ戻ってくるか分からない奴をずっと待っている
この詩音がずっと待ってるんだぞ?
来ないと分かったら迷惑でも押しかける一直線な詩音がだぞ?
帰ってくるまで待つ、それは並大抵の愛情じゃ出来ない
だからその話を魅音から聞いた時、俺は詩音の待ち人は『愛されてる』と思っていた
が、詩音の口からそうストレートに聞くと理解から実感へと変わっていく
「もしもの話です。最悪の最悪で私は彼に振られました。振られた私は生涯独身を貫くと決めています。そうなるとここで圭ちゃんに大問題が発生します」
「どんなだ?」
「分からないんですか?そうなるとお姉も小さい頃の約束を守って生涯独身ですよ?永遠に結婚できませんよ」
「そりゃ、大問題だ」
俺は軽々しく答える
確かに大問題なのだが俺にはなんとなくだけど彼女達の未来図が見えてる
4人で結婚式をあげるハッピーエンドな未来図が
それは、夢でも何でもない
運命として決められた未来
だから魅音は俺を振ってでも『待つ』を決めたのだ
……そう考えると魅音は大変悪どい奴だと思う
『俺が魅音を諦めない』という前提の『願掛け』なのだから
これは魅音が思い描くシナリオの一部
そう、俺は魅音の掌で踊っているだけなのだ
俺は『女は恐い。なぜなら惚れたら敵わないのだ、人生の駒となるだけなのだから』と言う言葉を人生の教訓の一つをして覚えた
まぁ、だから、本当は大問題でも何でもない
話をあわせているだけだ
「約束した本人が覚えてない約束なんて無効です。今すぐ取り消せばすぐに結婚できます。いいですか、取り消してきたらすぐにプロポーズしてください、命令ですよ」
取り消しか、たぶん無理だと思うぜと言おうとしたがそれは喉の奥に引っ込める
これ以上余計な言い訳はしない、ま、魅音に説得されてきてくれ
『分かったよ』と一言告げると詩音はまた歩き出した
「おい、詩音」
「なんですか?」
急ぎ足の詩音の足を再び止める
「頑張れ」
他人事のように笑って言った
詩音には見えてない
「言われなくても、分かってます」
そうして彼女は魅音の元へいち早くと歩いていった
小さな小さな約束を