友よ、許してくれ
猛暑になると思い出す。今から五十五年ほど前の事である。
その夏休みは東日本大学レガッタ(漕艇大会)に出るために合宿していた。参加種目の「エイト」は八人の漕手と一人の舵手が乗る。まず、左舷四人、右舷四人の漕ぎ手の力を調整しなければならない。左右差があると艇はローリングし易いうえに真っすぐに進めない。曲れば舵を引いて直すことになるが、スピードが落ちてしまうのだ。
選手のポジションが決まったら、艇のバランスを取りながら漕ぐ姿勢、オールの水の捕らえ方、漕ぐピッチを変えた時の即応力を徹底的にチェックする。全員が完全に一致出来たら二千メートル、六分前後を全力で漕ぎ通す力とスタミナをつける。勝つために連日炎天下で猛練習をした。
私はコックス(舵手)。クルーに号令をかける他に大切な事は、不必要な操舵を避け、荷物にしかならない体重を制限まで落とすこと。私は一夏に八キログラム減量した。猛暑と空腹でフラフラ、ペコペコ、頭もボーッとする事があった。気合を入れて大声を出してはいたが、艇が左に曲がる事があるのにも気がついていた。それでも本番には直るだろう、全力を出すだろうと漕ぎ手を信頼し、ともかく私は舵を引くまいと決めていた。
大会当日、スタートの合図で各艇が一斉に漕ぎ出した。爆発的な力でダッシュし、スピードが出たところで一定のリズムに乗り、他艇との差を見ながら適宜スパートをかけ、ゴールを目指す。
ところが、我々の艇は途中から左に曲がって、修正しようとした時には他艇に接触してしまい、失格となった。操舵の判断を誤って大失態を演じた私は監督に退部を申し出た。監督はとめようとしたが、もはや私には皆に合わせる顔が無かった。
年が明けたある日、メンバーだった一人が肝臓癌で亡くなったと聞いた。
「アァ・・・」
しばらくして、彼の顔とオールさばきが目に浮かび、「まさか」と「やっぱり」が頭で交錯した。
彼の病気については誰も知らなかったが、彼自身も知らなかったのではないか。練習が誰よりも辛く、それを仲間に言う事が出来なかったのではないか。キャプテンは足の小指を疲労骨折しても痛みを我慢して練習していた。だから彼も頑張っている皆に弱音を吐けなかったのではないか。私は彼の心情をあれこれ推し量ると切ない気持ちになる。
こんなことなら、私は練習の辛さを自ら口に出し、本番ではゴールを見据えて、舵を切りながらでも二千メートルを完漕したかった。勝つことにこだわりすぎて失策し、皆の苦労を台無しにし、彼らの折角の夏休みを苦しみだけで実りの無いものにしてしまった。広い視野を持って状況判断しなければならないコックスに私は選ばれるべきでなかったと思う。黙って逝ってしまった友よ、許してくれ。 2018/8/1
友よ、許してくれ