8月3日

可愛いね、ってブツブツ言いながら、鼻から血を垂らしながら、床を綺麗に磨いているのがもし自分じゃなかったら、きっと逃げ出してた。
リノリウムの床、っていう表現を、五億回ぐらい本で読んだことがあるのに、未だに、リノリウム、が何かよくわかってない。あの頃のエスは幼かった。今だって幼い。たぶん、ずっと幼い。

エスの目の奥に炎があるって言ったらありがちな表現になるけど、
エスの瞳孔には とある家族が住む木造の一軒家があって、エスの目の奥の炎はその家を燃え上がらせている炎なんだよ。エス、お前は幸せな一家を殺したんだね、おれも共犯だよ。エス。いつか読んだ外国の小説の一節みたいに、その目を舐めて、まつ毛を掬い取ってあげたい。
ぼくが愛する人と一緒になるには、二人でミキサーに入って、ジュースみたいに混ざる以外方法は無いんだよ。

エス。お前の本質はどこにも無いさ。眠るお前を抱きしめていた時、おれはお前の身体も自分の身体も邪魔で仕方なかったよ。おれはお前の身体に触れたいわけじゃなくて、ただお前に触れたかった。お前はどこにいる?
動物みたいに身体を無理にくっつけるのがお前に一番近づける方法なら、おれたちは可哀想だ。いつか遠い昔にお前とキスをした時、おれはお前の唇が邪魔で仕方がなかった。お前の中に入ってお前と一つになって、それでもおれたちは随分遠い距離が開いている気がした…

愛の女神、ビーナス。おれのために泣いて。

例えば引っ越して、新しい部屋に画鋲で空けたような小さい穴があったら、白いチョークを上から擦りつけたら、綺麗に穴を埋められるよ。
もうずっと前、子どもって名乗っても差し支えない頃、寝室にまさにそんな感じの穴が空いてて、それを埋めるのに学校から白いチョークを一本持って帰ったのが、たぶん、人生初の盗みだった。
いつかチョークを喉に詰まらせた変死体が見つかったら、それはきっと誘拐されたチョークの家族たちの復讐だから、捜査はしなくていいよ。

8月3日

8月3日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-08-03

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