音嫌いのえり好み

yumieisuke

 私はニナ、このトウキョーウという国で、、今を時めく、若いメンバー、20代前半が中心の女性アイドルグループ、リメンバーズのメンバーだ。 リメンバーズは、トゲのあるパフォーマンスや、風刺の効いた歌詞で話題の動画共有サイトやSNSで、口コミでその評判は広がった。
もちろんそれらは、それぞれのメンバーの個性を生かすこと、アイドルという常識に縛られないような一人ひとりの個性を生かすこと、を基本理念にかかえた、このグループの信念じゃらくるもの。マネージャー、事務所とスタッフの熱意のたまものだ、もっとも小さな芸能事務所なのだが……。
グループ加入から今年で3年目、私は、飽きたらきっとこのグループからいなくなる、と思っていたが、いつまでも飽きることはないし、実際飽きたところで別の目標ができそうだ、それくらいよくしてもらっているのだ、今回の件でさえ……そうだ。単なるフリーターだった私は、私の好き嫌いにかかわらず、夢を得る事ができた、今回、初めてその夢が、現実感を受け入れる事ができた。
「人の欲求は正反対の感覚や感情に下支えされている」
とは、私の持論だ。手の届かない場所にあるものは、手の届いた瞬間に姿を変える、その時人は、初めて自分の本当の姿を見る。
願わくば、その素敵な出会いの訪れまでに、私がその運命に耐えうる何かを手に入れられますように。
 というのは、私のある、最近の変化について、それを記録するものが、この話だからだ。私は元々この話題のアイドルグループ、メンバー7人の中で唯一、唯一個性のない人格、として、ある意味親しまれていた。いまでこそ、影の薄さはないが、当初は本当に、いるのかいないのかわからないくらいの、その程度の人物像—―キャラクター性——しかもたなかった。
メンバー唯一ぱっつんの長髪の子、まるで日本人形みたいな子、髪がきれいな子、あんまりしゃべらない子、歌がそこそこうまい子、つい最近まで、私はそれくらいのイメージだっただろう。

 半年前ほど前まで、私は音が嫌いだった。嫌いであるがゆえに、それは私のすぐそばにあった、物心ついてからずっとそうだ。音楽は好きだが、それも嫌いなものと比べた場合、に限られていた、それくらいには、不自由なのだ。
才能とは自分で選ぶものではない、自分の無意識が選択し、その道を自分に対し指示してくれるもの、それは、大多数の何者かが日々、日常で平凡な努力や苦痛と戦い続ける事で何らかの成果を出す行為に等しい、才能が自分の好きな行為であるのなら、道楽のように思う人もいるだろう、そうそううまくいくものじゃない、見る事と、実際に何かを残す事は、歴然とした差がある、人間は、ただ生まれながらにして、何かを選ばされていて、選ばされたものを、選びなおし、選んでいるのだ。
私はただ、そうして歌をうたい、アイドルであることを、ある種、強いられていたのだ、半年ほどまえまで、それほどに退屈な——人生だった。

 シーヤブという街が賑やかでうるさくて嫌いだった。その、少し前までは、私の個性を無理やり引き立てるための、無理をして立ち寄る場所だった。
だが今では、この街に私の不条理な欲求が下支えされている、私はファッションにうとい、たいていの事は店員さんだよりだ。おしゃれなアパレルショップはお気に入りをいくつか選んでみつけている。だからこそ。この場所を頼る。
問題は、音だ、私はこのにぎやかすぎる国、どこを見渡しても派手なファッションや、きらびやかな電飾、ビルから垂れ下がる広告や、街頭ビジョン。
この街だけではない、ほんの数か月前までは、ありとあらゆるこの国の音が嫌いだった。だから私、あるくとき、たいていはイヤホンで耳をふさいで、
クラッシックの楽曲を聞き続けていたのだ。

 数か月まえ、3か月ほどまえだろうか、異変は起きた、不快な音、どこへいってもそれはある、ましてやこの首都・スーパー・トウキョーウでは、
私は、辺境のT件で育ったが、例えば黒板をツメでひっかく音とか、金属と金属の擦れる音とか、くちゃくちゃ食事をする人の音とか、そういうのもあるけれど、小さいころから、私は感覚的に、他人の出す音に敏感だった、それは小さなころピアノ教室にかよっていたころ、その先生にあまりにうるさく言われた事も少なからず関係していると思う、私はその人の選ぶ音も、それを好まない音楽家の母が選ぶ音も、嫌いだった。自分の音も嫌いが、わからなくなるのももっと嫌だった、
 初めて自分の音とであったのは、この街、渋谷のあるライブハウスで、ゴリゴリのヘヴィメタルバンド、この街で有名なアマチュアバンドのライブを見た時だった、私は素性を隠し、深くキャスケット棒をかぶって、なるべく後ろでそのライブを眺めていた。それはカルト集会のようなもので、また不快な音にあふれていた、だがその中に私は、美しい何か、異音をみたのだ、彼等は、自分の奏でたい音を奏でている、その音は、高くても低くても同じ、それは自己主張の音なのだと気が付いた、だとすればきっと、私が不快に感じるすべての音を、ただ組み合わせを変えただけで、きっと私好みの変わった音が出せるはず。

 しばらくためらっていた私だったが、私生活でさえ、不快な音にあふれていて、ストレスはたまり続ける一方で……。
私はマネージャーに提案した、マネージャーはあまりいい返事はなかったが、マリンちゃん、私の信頼するグループのサブリーダーにそれについて相談した、昔の事もすべて話した、するとマリンちゃんは、私がつくったサンプルの音を気に入ってくれた、しかしこのグループにこの音をすぐに反映することはできないのだと、悲しい顔をして、私をさとした、そんなことは100も承知だった、私はこのグループに、私の主張の受け皿となる度量があると、どこかで信じていただから、黙り込むマリンの返事をまっていた、2つ上の、頼れるお姉さん、ずっとこのにぎやかな国の、トーキョーウの国の、首都、スーパー・トーキョーウの街でそだったお姉さんだ。
この音は、私は好きだよ
そういって、彼女は、ある提案をしてくれた、次の曲は、あなたがまとめ役、中心、主役となって、ひとつの曲を完成させようと、あなたを中心のイメージにそえようと、それは、これまで私はそういった出番がなく、私自身拒んでいたからでもある、ほかの6人は全員、そうした“主役”としての活動をしたことがあった。
私たちのグループは、歌詞を皆で考えて、ひとつひとつ、ほぼすべての歌を、作詞家まじえ、グループの全員で検討する。だから、マリンさんは、彼女のいったことは、今度はその歌詞に、あなたの思いをいれよう、そう言う事だった、彼女の根回しは実際よくきいた、問題は完成してから起きた、私ははっきりいって調子に乗ってしまったのだった。

 一か月前、シングル曲の発表とともにこの曲の成り立ちを公式サイトおよびアイドルのブログにて発表、そして私はそれにあわせてSNS活動をはじめた、グループいち地味であり、グループいち影が薄かったわたしの、せめてもの、つぐないである、しかしネットではひとい反応ばかり、ボロボロのいわれようだった、地味なあの子がとか、いまさら自己主張をするなとか、そろそろやめると思ってたとか、ジミコとか、7人のグループでここまでのたたかれようはないだろう。だから私は、ストレスを、徐々にためていき、二面性が、もう一つの私との乖離が、そのイライラをさらに募らせていった。
私は、アイドルなんか、やりたくなかったのだ。
 夏の暑い日、7月ごろ、私は、SNSで堂々と、ファンと口論をするようになり、それが数日続くと、事務所からSNS禁止の命令がでて、一週間の謹慎をくらい、しかし、そのせいで……CDは売れた。それまでアイドルに興味のなかった人々も所謂、炎上商法のようにはなってしまったが、私のこの変わりよう、CDジャケットでのヘヴィメタル風の私と、いつものメンバーとのギャップがとても話題になったし、私のネットでのたたかれようを擁護する風潮もSNSで生まれ、話題が話題をよび、私のギャップや人格の急変が、噂となり、結果、CDの売り上げはのび、大成功となった。

 夏の暑さの中、一枚のCDを手にもって、私はマリンちゃんの家へ急ぐ、それは、また新しくつくった私の曲だ、これはいつか、完成して、もっと多くの人に聞いてもらえる事ができるだろうか?スクランブル交差点にたちすくみ、暑さをたもったままの茶色のシューズや、レギンス、ショートパンツ
向かい合う人々の行列は、休日という事もあってそれなりにバリエーションに富んでいる、信号機の音は不快な音を調律する役割を持つ。
 私は初めて仕事を終えた、私がまとめ上げた歌詞、私がリードしたひとつの楽曲。私は、そのシングルの売り上げが、私たちのこれまでのシングルで第二位、となったことや、自分の影のうすさが、むしろ、それからというものいい方向に転じたこと、奇抜な個性を手に入れたことに関して喜んでいるんじゃない、それからずっと、マリンちゃんが、私のことを友達として、いっぱしに個性を主張できる人間として扱ってくれ、そして私のつくる“音”を気に入ってくれたことが、ただただ、ひたすら、都会の喧騒にまみれたこの街での私の孤独をいやしたし、人間として嬉しかったのだ。音を否定された私の音が、このうるさい都会でよみがえったのだ。

音嫌いのえり好み

音嫌いのえり好み

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-25

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