CLOUD SIDE - aches - (第6話)

- CLOUD SIDE -
aches - 癒えない痛み -


 闇 --- クラウドは、闇に(たたず)んでいた。
 耳に聞こえるのは、水が(したた)る音。
 首元に感じるのは、冷たい剣の刃先。

 冷えた体に微かに感じる暖かいもの。
 背中から誰かに抱き締められているような不思議な感覚。
 でも心に流れ込んでくるのは、悲しい気持ち。


 「……!!」
 クラウドは我に返って目を見開き、背中を振り返る。しかし、背中に感じていたはずの温もりは、一瞬にして消えてしまった。
 伏目になりながら、クラウドは再び前を向く。そこには、彼女に捧げた花が水面に浮いていた。その花を見て、クラウドは首元に当てていた刃先をゆっくりと離し、剣を下ろして息を吐き出す。
 --- あれは、何だったんだ……。
 クラウドは、自分が光に飲み込まれたことを鮮明に覚えている。でも、それから何があったのか記憶が飛んでしまっていた。光に飲み込まれて何があったか分からなくなってしまったが、状況は何も変わっていなかった。光の中では剣を離したはずなのに、目を開けると自分の首元に剣を突き付け、聖なる泉の中で佇んでいた。
 下ろした剣を再びホルスターに収めたクラウドは、水面に浮いた花束をもう一度見てから背を向けた。聖なる泉から出て、天を見上げる。その時、フェンリルのハンドルに下げていた携帯が鳴り、クラウドはゆっくり歩いて携帯を手に取った。通話ボタンを押すと、その第一声は幼い女の子の心配そうな声 ---
 『クラウド? 今、どこにいるの?』
 電話をしてきたのはマリンだった。ティファは、おそらく店の仕事で忙しいのだろう。
 「ああ……ちょっと、遠くまで行かないとならなかったから……今日は、戻れそうにもない。マリン、悪いがティファに伝えてくれるか」
 『明日は帰ってくる?』
 マリンのその言葉に、クラウドは現実に引き戻された気がした。こんな自分でも、帰りを待っていてくれる人が居ることを忘れてはいけなかった。
 「うん……明日は帰るよ」
 『ホントに? じゃあ、明日気をつけて帰って来てね』
 「分かった……」
 それだけ答えると、クラウドは携帯電話の切断ボタンを押した。聖なる泉は、再び静寂に包まれる。水面に浮いている花束を見つめ、クラウドは胸に微かに残る苦しみを押さえ込もうとした。眉をひそめ、解放することの出来ない自分の感情を押し殺す。
 戦いが終わってからは、悲しみ、喪失感、苦しみ。そればかりがクラウドを支配するようになっていた。でも、ティファやマリンの前では、それを悟られないように振る舞って来たつもりだった。しかし、忘らるる都に再び訪れて、クラウドを支配する感情は再び強くなる。
 「エアリス……」
 壊れそうだったクラウドの心を包み込むかのような光だった。
 --- あれは……君なのか……?
 確証は何も無い。ただの思い込みにすぎないかもしれない。それは逃げだと言われても、クラウドはそう思いたかった。どこかで、彼女と繋がっていると思いたかった。しかし、どんなに探しても、どんなに願っても、答えは見つからない、想いは叶わない。
 「俺は……」
 --- 俺は、君とずっと居られると思ってた……。ずっと一緒に……居たかったよ。


 * * * * *


 クラウドは忘らるる都で一晩を過ごし、朝になって都を出た。仕事の依頼が入っていた伝票を確認し、荷物を回収しながら大陸を渡った。長い長い道のりを経て、配達の仕事を無心にこなして行く。
 そして夜も更けた頃、クラウドがエッジへ戻ってくると、マリンが嬉しそうに出迎えてくれた。そんなマリンの顔は視界に捉えたけれど、クラウドにはマリンの声が壁の向こう側から聞こえているかのように遠く感じていた。クラウドの視線は、店の前に置かれている花に注がれている。マリンが大事に育てている花だ。それは、クラウドがエアリスから買った花だった。
 「クラウド?」
 服の裾を引っ張られ、クラウドは我に返った。そこには、マリンの心配そうな顔がある。
 「どうした?」
 「どうした……って……」
 マリンは、更に困惑した表情になった。そんなマリンの顔を見て、クラウドは更に怪訝な顔になる。
 「明日も……早いの?」
 クラウドに言った最後の部分だけをマリンは繰り返した。クラウドが最初から話を聞いていなかったことを悟ったのだ。
 「ああ……明日も早い」
 「ご飯は? ティファが用意してあるって」
 「そうか……でも、今日はいい」
 クラウドは、マリンから視線をそらした。
 「どうして? 食欲ないの?」
 マリンが心配そうな顔でクラウドの前に回りこんだ。
 「いや……外で済ませた。だから……」
 本当は外で済ませてなどいない。クラウドは、ずっと食事が喉を通らなかった。水分と、ほんの少しの非常食だけは食べたが、まともな食事は出来ない状態が続いている。
 「中へ入ろう、マリン」
 マリンを促し、クラウドは家の中へ入った。まともに食事もとらずに仕事を続けていたせいか、気分が優れなかった。
 「悪い……もう休んでいいか?」
 その言葉にマリンが返事をしたのかさえ分からず、クラウドはマリンから離れて家の階段を登った。自室に戻るなり、クラウドはベッドの上に身を投げ出した。そして、息を吐き出して目を閉じる。しかし、目を閉じると思い出す。忘らるる都で彼女に捧げた花を。そして、彼女の亡骸を抱いて、手を離したことを。自分の目の前で、彼女を死なせてしまったことを。
 クラウドは目を開けてベッドから起き上がった。息を吐き出し、頭を抱え込む。
 ただ、そうしているだけで時間は過ぎていく。眠れない時間は、とてつもなく長い。
 一人では、どうしたらいいのか分からず、クラウドはベッドを降りて部屋を出た。ティファが営んでいるセブンスヘブンは、既に客の姿は無く、ティファもそこには居なかった。カウンター席の隅に酒の入ったボトルとグラスを置き、クラウドは一人で酒を飲み始める。何も考えたくなくなるほど、酒に酔えたらいいのに、と思っていた。
 ふいに、空になったグラスに酒が注がれた。見ると、そこにティファの姿がある。クラウドが気づかない内に、店に戻ってきたようだ。
 「付き合おうか」
 ティファが言った。でもクラウドは、誰かの存在が必要な訳ではなかった。話すことも、誰かが傍に居ることも、今のクラウドにとっては負担にしかならない。
 「一人で飲みたい」
 下手に気を使うほどの仲でも無いので、クラウドは思わず本音をティファに言ってしまった。
 「だったら、部屋で飲んでよ」
 不機嫌そうなティファの顔。クラウドはカウンター席から立ち上がった。ティファが自分の事を思って言ってくれたのは分かる。でも、クラウドはそういう気持ちさえ、重荷に感じてしまうのだ。
 自室に戻ったクラウドは、再び眠れない時間を一人で過ごした。酒を飲んだものの、それで気持ちが紛れるほどの浅い傷ではない。誰の手にも届かない心の奥深い場所から、軋んで傷ついた何かが悲鳴を上げたくて、でも必死でそれを堪えている。
 体は疲れているはずなのに、クラウドはその日も休む事は出来なかった。


 * * * * *


 翌朝 --- ティファもマリンも寝静まっている時間に、クラウドは身支度をして家を出る。昨夜までにミッドガルで回収した荷物をまとめ、フェンリルのエンジンをかけた。フェンリルは一路ミッドガルの外へ、クラウドが届ける荷物を待つ人の為に走り出した。
 ミッドガルを臨む丘の上には、バスターソードが突き刺さっている。クラウドはそれを視界に捉えながら、カームへ向かった。以前は、約束の地を求めて走った道は、ただ悲しいだけの色に変わっている。約束の地は、決してこの世界と交わることのないもので、どんなに求めても、苦しみや悲しみが募るばかりだ。
 その日は、依頼を受けたカームから荷物を回収し、そのままジュノンから大陸を渡ってコスタ・デル・ソルを目指した。メテオの被害から、まだ一度も訪れていない。コスタ・デル・ソルが以前と同じように残っているのか分からなかったが、クラウドはフェンリルを走らせた。しばらくすると海岸線が見え始め、潮の匂いが空気に混じっているのを感じた。温暖な地域ならではの強い日差しは以前と変わらなかったが、やがてゴーグル越しにコスタ・デル・ソルの姿が見え始めてくると、クラウドは思わず眼を細めた。あれが、かつてのリゾート地、コスタ・デル・ソルなのだろうか。
 海岸沿いに軒を並べていたリゾート宿泊施設、様々な店やレストラン、別荘が無残にも破壊され、残骸があちこちに散らばっている。温暖な土地ならではの独特な形をした木々も倒れており、道は途中で寸断されていた。
 クラウドはフェンリルを停め、徒歩で届け先へ向かうことにした。住所からすれば近いはずだが、届け先住所に人が居るかどうか不安に思えてくる。
 道が寸断されていたため、クラウドは砂浜から迂回することにした。海は以前と変わらず、美しい淡い青色をしている。
 「……?」
 クラウドは振り返った。人の悲鳴のような声が聞こえた気がした。眼を鋭く動かし、耳を研ぎ澄ませる。
 「!!」
 研ぎ済ませた耳に悲鳴が聞こえた。今度は方角が定まった。クラウドは悲鳴の聞こえた方角へ走り出す。そこで、何かが起こっていることは容易に想像出来た。
 クラウドが走り出した方角から、数人の人が逃げてきた。銃声も聞こえる。何かが倒れる大きな音が聞こえたと同時に、クラウドの視界にモンスターの姿が飛び込んできた。触手が無数に生えた巨大なモンスターだ。一度倒れたとはいえ、死んだわけではない。しかし、誰かがそのモンスターと応戦しているようだ。
 人々の悲鳴が一際大きくなった。次にクラウドの視界に飛び込んだのは、一人の女の姿だった。右膝を地面に着き、右足の大腿部を手で押さえている。応戦していたのは、どうやら彼女一人、しかも怪我を負ったようだ。
 クラウドはホルスターから剣を抜いた。走っていては間に合わないと判断し、剣に力を集中させて地面に向かって振り下ろす。剣から放たれた鋭い風圧が三本の爪痕のように砂浜を走り、巨大なモンスターに直撃した。
 モンスターは悲鳴を上げて再び倒れた。クラウドはホルスターからもう一本剣を取り出して合体させ、モンスターの触手で取り囲んでいる中心部を剣で突き刺し、素早くそこから飛び退けた。モンスターは毒ガスを吐き出して絶命した。
 「大丈夫か?」
 クラウドはホルスターに剣を収め、怪我をした女に歩み寄った。見たところ歳はクラウドとさほどかわらず、襟足までの赤茶の髪は綺麗なウェーブがかかっている。クラウドを見た彼女の瞳も、髪と同じ赤茶色をしていた。
 「ありがとう、助かったわ」
 少し安心したのか、険しかった表情は僅かに緩みを見せた。
 「勇敢だな、一人で戦ってたのか」
 そう言いながら、クラウドは所持していた清潔な白い布を取り出して、彼女の怪我した大腿部を止血した。見たところ傷は深くなさそうだったが、痛くないということは無いはずだ。しかし彼女は痛そうな表情など一つも見せず、クラウドが応急手当をしてくれるのを黙って見ていた。
 「ありがとう。あなた、こんなものまで持ってるの?」
 「応急処置用だ。世界中駆け回ってるから、こういうの持ってないと……困るときもある」
 「あなた、もしかして配達屋さん?」
 「え?」
 「私、リンネ。私宛の荷物届けてくれるのって、もしかしてあなた?」
 確かにクラウドが届けようとした荷物は、彼女宛の物に違いなかった。
 「そうだけど……」
 「やっぱり! 待ってたのよ。あ、ねえ、一緒に来て!」
 クラウドの返事も聞かず、彼女はクラウドの手を取って引っ張った。荷物はポケットに入る程度の小さな物だったので、すぐに手渡しても良かったのだが、怪我を負った彼女の様子も気になったのでそのまま付いて行く事にした。
 しばらく砂浜を歩いたあと、リンネはある建物の前で足を止めた。そのまま建物のドアを開け、リンネが中に入った。クラウドは怪訝な表情のまま、リンネの後に続いて建物の中に入る。あたりを見回すと、どうやら診療所のようだ。しかし中は人でいっぱいで、歩くのに人の合間を縫って行かなければならないほどだ。
 「おねえちゃん! モンスターは!?」
 「リンネおねえちゃん! 怪我してる!」
 「大丈夫!?」
 小さな子供たちが、リンネの姿を見つけて寄ってきた。どうやら砂浜に現れたモンスターから避難するために、人々はこの診療所に集まっていたようだ。
 「大丈夫、傷は浅いから。モンスターは倒したから、安心して? みんな、もう外に出ても大丈夫よ」
 診療所に避難していた人々を見回しながら、リンネは子供たちの頭を撫でた。
 「おねえちゃんが倒したの?」
 「ううん、危ないところをこの人が助けてくれたの」
 リンネがクラウドに視線を移すと同時に、子供たちはクラウドを見上げた。
 「このおにいちゃんが?」
 「ありがとう、おにいちゃん」
 クラウドは、礼を言う子供たちに小さな笑みを返した。
 「それにね、薬も届けてくれたの。これで、アトルも助かるよ?」
 「ホントに?」
 「おにいちゃんが持ってきてくれたの?」
 「アトル、助かるの?」
 子供たちが次々に声を上げた。リンネは嬉しそうに頷いて、子供たちから離れて先に進んだ。そして、ある部屋のドアの前で足を止め、ドアをノックして中へ入った。中には、一人の医師が書類を束ねて立っていた。歳は30代後半だろうか。温和そうな顔をした男だった。しかし、リンネの足を見るなり、その表情は突然曇った。
 「リンネ! 怪我したのか!?」
 「私は大丈夫。それより先生、ミッドガルから薬が届いたの」
 「え……?」
 「ミッドガルに居る知人に頼んだの。持って来てくれたのは、この人よ」
 リンネがクラウドに視線を移した。ようやく荷物を渡せる機会が与えられ、クラウドはポケットの中から少し厚みのある封筒を取り出した。医師はクラウドに歩み寄って封筒を受け取り、中に入っていた小さな箱を取り出して中身を確認した。
 「ああ……そうだ、これだ。ありがとう……本当に、ありがとう」
 医師はクラウドに歩み寄って頭を下げた。
 「いや、俺は……」
 ただ配達を頼まれ、それを仕事としてこなしただけ。まさかこんなに深々と頭を下げられるとは思っていなかったので、クラウドは思わず言葉に詰まってしまった。
 「早くアトルに……」
 リンネに促され、医師は何度も頷いた。
 「アトルの次は君だ。怪我の手当てしないとね」
 「大丈夫だってば」
 リンネが笑みを浮かべながら言うと、医師は薬を持って部屋を後にした。
 「……慕われてるんだな」
 クラウドが声をかけると、リンネは苦笑に似た表情で首を振った。
 「慕われてなんか……私はただ、自分の力を人の為に役立てたくて、色々立ち回ってるだけ。ただの罪滅ぼし……のつもり」
 「罪滅ぼし……?」
 クラウドが問い返すと、リンネはあたりを見回して声をひそめた。
 「ここじゃちょっと……出ましょう?」
 リンネはクラウドの手を掴んで引っ張った。
 「おいッ……」
 部屋を出ると、診療所の内部にひしめき合っていた人々は、既に外へ出て行ったようで、数人だけが残っていた。
 クラウドは、もう一つ彼女宛の荷物を預かっていたのだが、依頼人から頼まれた事がある。先に薬を渡して、彼女の様子が落ち着いていたら、渡して欲しいと言われた。クラウドは、そのタイミングが掴めずにいるのだが、荷物を預かったままでいるわけにもいかないので、診療所を出てから、彼女が導くままに歩くことにした。
 診療所から離れた場所に、壊れかけた飲食店が立ち並んでいる。その中の一つにクラウドは招かれた。彼女の住んでいる家も、海岸沿いに建つ小さな飲食店のようだ。しかしカウンター席以外の椅子とテーブルは隅に片付けられていて、飲食店として営んでいる様子はない。
 「良かったら適当に座って? お茶くらい出すわ」
 「いや……あまりゆっくりしてる時間は……」
 「そんなこと言わないでよ。助けてくれたお礼くらい、させてくれないの?」
 リンネはカウンター席の奥にある冷蔵庫から飲み物を取り出し、コップに注いだそれをカウンター席に置いた。ここまでされては、無下に断ることなど出来ない。
 クラウドはカウンター席に座り、リンネが出してくれた冷たい飲み物を口にした。少し甘みのあるフルーツジュースのようだ。
 リンネは、クラウドの座った椅子より一つ離れて、椅子の背もたれに浅く腰掛けた。
 「私……昔は神羅に居たの。色々あって、今はここに居るけど……世界が荒廃してしまったのは、神羅のせいだと言う人も多い。だから、街の人たちには何も言ってないの」
 「そうか……」
 「うん……ねえ、あなたも神羅に居た人?」
 「え……?」
 「だって、すごく強いし。もしかして……ソルジャーだった、とか……?」
 「いや……」
 「違うの?」
 クラウドが伏目になって頷くと、リンネは「違うんだ……」と呟いて天井を見上げた。
 「……怪我は、本当に大丈夫なのか? 手当てしてもわらなくても……」
 彼女が落ち着いていたら、頼まれた荷物を渡さなければならない。クラウドは確認の意味でも、リンネに問いかけた。
 「大丈夫だって。あなたが手当てしてくれたじゃない。これくらい、平気。あなたこそ、大丈夫なの?」
 逆にリンネに問い返され、クラウドは怪訝な表情で彼女を見上げた。
 「顔色も悪いし、ね」
 「え?」
 クラウドは怪訝な表情のまま、更に眉根を寄せた。すると彼女は、自分の首を人差し指で突付いて見せる。
 「ココ、どうしたの?」
 彼女の質問の意味が分からず、クラウドは言葉に詰まった。
 「自分で気づいてないの? 首、ちょっと怪我してる」
 クラウドは思わず首に手を当てた。微かに痛みを感じる。忘らるる都で自分の首に剣を当てた時、僅かに力が入った。その時に、少し刃が入ってしまったのかもしれない。自分でも気づかなかったし、ティファやマリンにも何も言われなかった。彼女たちも気づかなかったのだろうか。
 「私も最初は気づかなかったけど、あなたが手当てしてくれたときに見えたから……」
 クラウドの首の傷は、どうやら見えにくい場所にあるようだ。彼女を手当てした時、彼女の視線より下に屈んだ為に、それが見えたのだろう。
 リンネはクラウドから視線を外した。
 「それ、ためらい傷でしょ?」
 彼女の言葉に、クラウドは視線のやり場に困って下を向いた。
 「戦って負ったんじゃないって、すぐ分かった。私も、経験あるから」
 クラウドがリンネに視線を向けると、彼女は悲しげに笑った。
 「何か……つらいこと、あったんだね」
 クラウドは視線を下に向けて口を噤んだ。
 「あなたのその傷見て、他人事に思えなくて……ごめんね、変なこと言って」
 「いや……」
 「ねぇ、それちゃんと飲んで行ってね?」
 「ああ……」
 相槌を打ちながら、クラウドは彼女に渡す荷物をポケットから取り出した。少し厚みのある封筒だ。
 「これを……」
 椅子の背もたれに浅く腰掛けていたリンネは、再び立ってクラウドからそれを受け取った。
 「なに?」
 「依頼人から、もう一つ預かった。あんたに渡して欲しいって」
 彼女は、封筒を持ってカウンターの中へ移動した。クラウドは、彼女が出してくれたフルーツジュースを少しずつ飲んでいく。クラウドは今でも、飲み物や食べ物がすんなり喉を通らない。
 リンネは、封筒の中から手紙を出して、それを読んでいる。封筒の厚みは手紙ではなく、同封されていた小さな箱だった。彼女の掌に、その箱がある。彼女は、手紙を読み終えてから小さな箱をあけ、中身を取り出した。それをギュッと両手で握り締め、胸元に当てて俯いた。そんな彼女の様子を、クラウドは怪訝な眼差しで見つめる。
 「……大丈夫か?」
 なんとなく、クラウドは彼女に声をかけた。
 「これ……」
 彼女の声色は泣いていた。クラウドは眼を見開く。リンネはクラウドに背を向けたまま俯いている。そんな彼女に、なんて声をかけたらいいのか、クラウドは言葉が見つからなかった。
 「ごめん、急に……」
 彼女は背を向けたまま、目を擦る仕種をした。
 「これね……私の大切な人の親友から」
 クラウドは、また言葉が見つからない。背を向けたままの彼女を、ただ見守ることしか出来なかった。
 「あの人の……所持品のひとつだって。形見に持ってろって……」
 「……形見?」
 リンネは小さく頷いて、言葉を継いだ。
 「でも私は、物なんか……欲しくない。私は……」
 胸の前で握り締めた手を、リンネは腰の位置まで下ろした。そして手を開き、箱の中の物に再び視線を落とす。
 「私はただ……彼に生きていて欲しかったの」
 クラウドは眉をひそめ、ただリンネを見つめる事しか出来ない。大切な人を失うことの苦しみは、クラウドなら分かってあげられる。だからこそ、彼女を慰める言葉なんて何も無いのも分かっている。
 「……私は孤児で、神羅に育てられてきた。強くないといけなかったの。誰の助けも必要としてなかった。でも、そうじゃなくていいんだって教えてくれた人が居た。私の大切な人。もう……どこにも居ないけど……」
 リンネはクラウドに向き直った。
 「彼を亡くしてから、仕事も何も手につかなくなって……神羅ビルが崩壊する少し前に、ミッドガルを出たの。メテオの災害の少し前、ここに着いて、暮らし始めた。でも、コスタ・デル・ソルは、メテオのとき津波に襲われて、街は壊滅状態になって……やっと少しずつ復興してきたの。ここに居る人たちと、支えあって生きてこられた。必死になってたら、少しずつ……気が紛れてきたんだけどな……」
 リンネはそう言って、今度は手の中にある箱に視線を落とす。
 「まだ……信じていたくなかった。心のどこかで、永遠のお別れなんてないって思ってた。もしかしたら、いつか会えるんじゃないかって、そんな気持ちになったこともあった。でも、受け入れろってことなのかも……しれないね」
 「俺は……」
 クラウドは、視線を下に落としたまま言葉を継いだ。幼馴染のティファにも、誰にも言えなかった言葉。
 「……ずっと探してた。居るはずも無いのに、ずっと……」
 リンネがクラウドに視線を向けた。しかし、クラウドは彼女に視線を返すことは無い。
 「どこかで……会える気がした。でも、どんなに探しても見つからない。記憶の中にしか……探せない」
 現実を受け入れたくないわけじゃない。過去に囚われて、今を見失っているわけでもない。ただ、自分が存在するこの世界に、彼女が存在しないという事実が苦しくて、耐え難くて、自分の存在を許せなくなる。
 「守ってやれなかったことを……償いを……本当は、あの時こうしたかったんだ、って……」
 クラウドは、首についた傷に手を当てた。
 「傍に……」
 --- ずっと傍に居たかった。彼女から手を……離したくなかった。
 クラウドは目を伏せ、唇を引き結んだ。
 「私も……同じ事考えてたよ。今も……苦しいよ。でも、ここに居ると、私を必要としてくれる人も居て、それが救いになってる」
 リンネは、クラウドの隣に歩み寄った。
 「あなたも、あなたを必要としてくれる人、居ない?」
 クラウドは小さく息を吐き出した。
 「どうかな……」
 「私は、居ると思うな。あなたが薬を届けてくれなかったら、アトルは薬も与えられないまま、死んでしまうところだったもの」
 「……それは……」
 「あなたは、ただの仕事だと思ってる? でも、その仕事のおかげで、助かる人も居る」
 配達の仕事を始めてから、クラウドは何度か実感したことはある。それがクラウドの生きる支えになっていたことも事実だ。
 「それに、あなたが居なかったら、私はモンスターに殺されていたかもしれない。配達屋さんは、モンスターを倒すのは仕事の内じゃないでしょ?」
 クラウドがリンネに視線を返すと、リンネは小さく微笑みを返した。
 「ね?」
 彼女の強い心と、優しい微笑みは、どことなくクラウドの中のエアリスとリンクしていた。全くの別人だけれど、記憶の中で眠っていたエアリスの別の顔を思い出す。古代種としての使命を背負った彼女ではなく、ただの女の子として、クラウドと接していた日々を。隣で笑いかけてくれたこと、不安で壊れてしまいそうな自分を受け止めてくれたことを……。
 「リンネ……」
 「うん?」
 それを思い出させてくれた。
 「ありがとう……」
 同じ痛みを抱える人。リンネだけではなく、他にも多く居るだろう。それは、どんな形であっても、払拭できるものではない。一生、それを抱えて生きていなければならない。
 「あ、そういえば私、まだあなたの名前を聞いてなかった」
 リンネは苦笑を浮かべながら言った。クラウドもつられて苦笑する。
 「クラウド」
 クラウドが答えると、リンネは頷いて「クラウド」と繰り返した。
 「私こそ、ありがとう。これ、大切にする」
 彼女に渡した、彼女の大切な人の形見。
 「また、コスタ・デル・ソルに用事があったら、ちょっと顔見せてよ?」
 「……時間があったらな。悪いけど、そろそろ行くよ。これでも仕事の途中なんだ」
 リンネが出してくれた飲み物も飲んで終わったところで、クラウドは椅子から立ち上がった。リンネは肩をすくめてクラウドを見上げる。
 「そうだったよね、ごめん」
 「謝ることじゃない」
 そう言って、クラウドはリンネの住んでいる店の外へ出た。リンネは、クラウドを出入り口で見送る。クラウドは、リンネを振り返って声をかけた。
 「元気で」
 リンネは、微笑みながら頷いた。
 「うん、クラウドもね」
 クラウドはリンネに背を向け、砂浜を歩いて、フェンリルを留め置いた車道を目指す。
 メテオが降った日、街は津波に襲われ、その爪痕がいまだに残っている。かつてのリゾート地のように美しい街並みに戻るのは、いつの日になるのだろうか。
 フェンリルのところまで戻ってから、クラウドは海を振り返った。街は無残な姿になってしまっても、海は以前と変わらず淡い青色をしている。陽光に反射して、(まぶ)しく思えるほどだ。


 ねぇ、クラウドは肌の白い方と黒い方、どっちが好き?

 一緒に居ていい? 海、見ようよ。


 星が病んでいて、きっと彼女にはその悲鳴が聞こえていたのかもしれない。
 体の中に巣食った不安を払拭させようと必死になっていたのかもしれない。
 それでも、傍に居てくれる。
 大丈夫だと言って、受け止めてくれる。
 心から、彼女を大切だと思った。
 大切に思いすぎて、一歩を踏み出せなかった。
 時間が永遠にあると、勘違いしていた。

 君の居ない世界が存在するなんて、思ってなかったんだ……。

 エアリス……俺には、まだ生きている意味があるのかな……。

CLOUD SIDE - aches - (第6話)

CLOUD SIDE - aches - (第6話)

忘らるる都に花束を届けた時のクラウドの話。 配達の仕事を続けながら、ある人と出会う。 自分の生きる意味を問いかけながら、記憶の中のエアリスを想う。 「aches」は「長く続く(心の)痛み」という意味ですが、そのままのタイトルがピンと来なかったので、「癒えない痛み」と付けました。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-23

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work