西さんは今日もせっせとマウスの世話をする
西さんは今日もせっせとマウスの世話をする。
休日も関係なく世話をする。
不器用な西さんを、僕視点から見た短編です。
西さん頑張りましょ!
西さんは今日もせっせとマウスの世話をする。
休日も関係なく世話をする。
自分の都合等お構いなしに、突然やってくるのが合コン話。まあ、自分主催じゃなければ当然の話だが、3日後はちと急すぎる。だが、せっかくの機会を逃すのももったいない。
結局僕は三秒程の沈黙の後に了解した。よろしくと伝えて電話を切る。
相手の女性陣は四十代三人とのこと。こちらのメンツはすぐに浮かんだが、問題は出席できるかどうか。
とりあえず、できそうな順に連絡してみようと、僕は携帯を手に取る。
「あ、角さんこんばんは。」
手始めに、元会社の先輩の角田さんに連絡をする。ここは固いはず。
「しょうがないから、行ってやるよ。」
もったいぶってとは思うが、ありがたい返答に感謝。
さて次はと。僕は常連の佐藤さんに連絡する。
「佐藤さん、こんばんは。合コンあるけど、どう?」
佐藤さんは残念ながら出張のため欠とのこと。
気を取り直し、次は鷲尾さんに。
「朝早いから、無理」
そっけない。まあ、あなたは不自由してないだろうからいいですよと、若干ひがみ混じりの悪態をつき、電話を切る。
それから三人程断られ、さすがに僕も焦る。
そりゃあ、みんな五十間近の社会人。独身で自由になる金はあっても、それなりの役についてるし、急には無理だよな。でも受けてしまった以上、今さら後には引けない。しょうがない。あんまり気は進まないが。
僕は煙草に火をつけ、一息ついてから電話をする。
「あ、西さんこんばんは。合コンどうですか?」
僕のなかでは、西さんも固いメンツではある。でもそれはある条件をみたした場合だけなので、あまり気は進まなかった。
「行きたいけど、金がない。」
予想通りの返答だった。
「僕の知ってるお店だし、そんなにかからないから行きましょうよ。せっかくの出会いのチャンスですよ」
「いや、でも給料前で金ないんだよね」
いつもならここで切るが、今回はメンツが集まりそうにないので、最後の駄目押しをする。
「お金なら気にしないでぜひ。僕が立て替えますから」
西さんはちょっとの沈黙の後に答える。
「それならいいよ。いつも悪いね。返すのはこちら都合だけどいいかな?」
「いつでもいいですよ」
言ってしまった。
そう。西さんの条件とは金である。
電話を切り、もう一本煙草に火をつけて、僕は呟いていた。
「そこそこもらってるでしょうに」
西さんはこの土地の大学の研究員である。
他の学部と違い、西さんの研究室は全国でも名が知れていた。
僕は前に、西さんに聞いたことがあった。
「そこそこもらってるでしょうに、何でそんなにお金ないんですか?」
西さんは、お前にだから話すという風に語り始めた。
給料体系は国家公務員とほぼ一緒。地方住まいの独身なら充分過ぎるくらいもらってる。今の職場の役職は助教で、次は准教授を狙ってるんだよね。でも、俺のついてる教授は二年後には退官する。次は別の派閥の人が教授になるのが有力。そうすると俺の准教授の目はなくなる。今の研究室は医師免許持ってる方が強くて、俺はそれがない。別になくても研究はできるけど、次の教授は医師免許持ちで、持ってる研究員を優遇するし、そもそも、今の俺の教授とはあまり仲が良くないからね。派閥も違うし、そうなると俺は准教授の空きのある大学を捜すか、有名所に論文を提出して、箔をつけて、名の知れた研究所に転職するか。何にしろ、暫く無職になるかもしれないから、金を貯めなければならない。
それを聞いて僕は西さんに言った。
「西さんさあ、じゃあ、おべべ狂いやめなよ」
西さんは痛いところを突かれて黙りこんだ。
僕と西さんは出会って五年程になる。
西さんが海外の研究所を辞めて、この土地の大学に勤め始めて一年程の頃だった。
ある時、西さんが僕の店にやってきた。僕がお世話になっているバーのマスターの紹介だった。
スコッチが大好きで、僕のオススメや興味があるものを上限なく飲んでいた。
その時の西さんは、身長はあるが太っていて、大分頭もきているし、ダブダブのチノパンに、これまたダブダブのチェックのシャツとまったく冴えないことこのうえない。
そんな西さんが変わり始めたのは、服飾関係の仕事についている女性に恋をしたからだ。その女性とは西さんの行きつけのバーで出会った。
西さんには、人生の師匠と慕うマスターが二人いる。一人は僕の店を紹介してくれたマスター。もう一人は、西さんが教授に初めて連れていってもらったバーのマスターで、女性とはそこで出会った。
何とかその女性とお近づきになりたいと、西さんはそのバーのマスターにアドバイスを求めた。
マスターは快く引き受けた。
先ずは服装。値は張っても、良いものを長く着なさいと。マスター流のコーディネートも含め、西さんはマスターの教え通りの服を買っていく。
次は食事。マナーはもちろん、料理と酒の組み合わせや、連れてく店選び。和洋中を問わず、マスターの知る限りを叩きこんでいく。マスターも燃えていたのかもしれない。
そして平行してダイエット。西さんは、毎日縄跳び三十分、腕立て伏せ百回を続けた。休むことなく。日々結果のどうなるか分からない研究を黙々と続ける忍耐力と集中力のなせる技か。
そして、西さんは生まれ変わった。元々身長もあったし、痩せて引き締まった身体に、それに似合う服。若干猫背気味なのと、大分きてる頭を差し引いても、いや、その頭も味になり、渋い大人の男風に。
その甲斐があってか、西さんと女性は二人で食事に行くまでの仲になっていた。たまにうちに来ては、嬉しそうに経過を話してくれた。
でも、それだけだった。西さんの口からは、段々女性の話しは聞こえなくなっていった。ひょっとしたら、一回くらいは男女の関係になったかもしれないが、こちらから聞くこともない。
まあ、女性とは上手くいかなかったけど、良い風に変われたんだから、とりあえずはね。とは話が終わらない。
西さんは、急激に変わる代償に失ったものがあった。そう、金である。
良く考えなくても当たり前の話で、普通の成人男性が、使える範囲の金でコツコツと年数をかけて身につけることを、四十過ぎの西さんは、取り戻すかのように急激に身につけた。
それだけでなく、維持費もあった。変わったことで相対的にかかる維持費。落としたくないから、多少嵩むのは分からなくもないが、西さんのそれは、僕の感覚したらありえないことだっだ。
維持費とは主に服にかかる費用だが、痩せて色々な着こなしが出来るようになったことが楽しいのは分からなくもないが、余りもかけすぎだった。
四万円のジーンズ、二万円のシャツ、七万円のジャケット、二十万円のオーダースーツ。それをポンポンと買っていく。上を見ればきりがないが、僕にはその感覚が理解出来なかった。
西さんは買う度に僕に見せに来た。決して自分からは言わない。僕に言わせたいのだった。
僕はいつも素っ気なく、しかたなく、
「また買ったんですか?色味が前と被ってるから、違うの買ったら良かったのに」
と突っ込むしかなかった。
西さんの海外研究所勤務時代に蓄えていた金はみるみる減っていた。
人生の師匠はそんなこと言ってないでしょ?良いものを長くじゃなかったの?僕が言っても聞かない、そんな現状が続いて今に至る。
合コンの日はあいにくの雨になった。急に大気が湿っぽくなり、それでも店につくまでには降られないだろうとたかをくくったが、結局は間に合わなかった。
僕は二階にあがる細い階段を昇りながら、ハンカチで拭いていく。とてもじゃないが拭ききれないと思いつつ。
店のドアを開けて、左手のテーブル席に目をやると、すでに皆さん御揃いのようで。
僕は知り合いのオーナーに軽く挨拶をして、テーブルに向かう。
座る前に、皆さんに謝辞を述べる。
「すみません、遅れてしまって。今日はよろしくお願いします。」
女性陣からのよろしくお願いしますとの声を聞きながら、角さんと西さんの間に座る。座りながら、何で真ん中開けてんの?ちょっとは場を温っめといてよと、遅れた分際で心の中で呟く。
だが、座って顔をあらためて女性陣に向けた時、この配置に感謝した。こんな場所での感謝は一つしかない。目の前の女性があまりにもタイプ過ぎたのだ。年齢は四十代後半、細身で影のある美人。僕はこういうタイプに目がないし、それに滅法強い。また心の中で呟く。気を利かせてくれてありがとうございますと。
乾杯も終わり、料理も運ばれてきて、一通りの自己紹介に入った。
ここでの仕切り役は必然的に僕であった。何故なら、角さんは酒が入らないと喋らないスロースターターだし、西さんは大人の男風に斜に構えるから。
先ずは、左隣の角さんを紹介する。
「こちらは、前に僕が勤めていた会社の先輩の角田さんです」
「角田です。よろしく。アンちゃんの先輩で飲み仲間です。」
さすがスロースターター。淡白な自己紹介ありがとうございました。
声にはもちろん出さずに、右隣の西さんの紹介に移る。
「こちらは、西山さんです。」
「西山です。大学の研究室で働いてます。今日はよろしくお願いします。アンマスの店の常連です。」
西さんは今日も決まっていた。薄い青のセットアップにインナーは黒のTシャツ。胸にはもちろんチーフも。夏が始まるこれからの時期を意識したのだろう。
女性陣の研究者だってというもの珍しげな声をよそに僕は思う。それにしてもまた買ったんですか。
最後は僕の紹介である。
「この近くで、アンソニーというバーをやってる、近藤と申します。今日はよろしくお願いします。」
女性陣から納得の声があがる。
「だからアンちゃんとか、アンマスなんですね」
目の前の女性からの声に、僕はラッキーとばかりに食いつく。
「そうなんです。誰も名前で呼んでくれなくて。皆さんも好きに呼んでください。」
そうすると目の前の女性がまた話しかけてきた。あれ?何か幸先良いのか?
「何でお店の名前はアンソニーなんですか?」
「僕の好きなバンドのボーカルの名前です」
女性は目を輝かせて、僕の好きなバンドの名前をドンピシャで当てて、私も好きなんですと返してきた。
僕は両隣の刺すような視線を感じながらも、余裕の態度で女性陣に自己紹介を求める。今日は絶対いける。
女性陣は角さんの対面から始まった。
「佐々木です。今日はよろしくお願いします。仕事は販売員です。」
佐々木さんは通りの良い明るい声で紹介を終えた。ひょっとしたら、この人が女性陣の仕切り役かもと僕は察した。まあ、始まったら分かることだが。
次は僕の対面。見た瞬間に僕の本命の女性の紹介に。
「斉藤です。佐々木さんと同じ販売員です。社は違うんですけど、同じフロアで働いてます。」
なるほど。デパートですね。佐々木さんはアクセサリー系、斉藤さんは化粧品系とみた。
それにしても美しい。今年で四十になる僕よりも、ヘタをすると十近く上かもしれないが、なに。まったく問題ない。
最後は西さんの対面の少し地味目な女性の自己紹介が始まった。僕の読みでは看護士とみた。
「新井と申します。看護士をやっております」 やはり。今日は勘が冴えている。
新井さんの短い自己紹介の中にも、育ちの良さを感じさせる物言いを聞き終えながら、ますます今日の成功を確信する。この勘の冴えと、斉藤さんとの始まりの会話の良い流れ。今日はいかせていただきます。端からみれば愚にもつかない根拠を信じて、僕は心の中で笑った。
大分皆さんお酒も入り、角さんもエンジンがかかり始めて来た。
西さんはまだ斜に構え中。
女性陣との会話も滞りなく弾み始めてきた。女性陣の仕切り役はやはり佐々木さんだった。会話の入りかたも上手いしノリもいい。
斉藤さんは僕との会話をメインにお酒の飲みもいい。あれ?本当にいけるかも。
新井さんは上品に料理を食べながら、みんなの話を聞いている感じ。
ちょっと全体の一体感が欲しいかな。バラけるにはまだ早すぎる。
僕は話の流で女性陣に質問した。
「まあ、見ての通り僕らは彼女いなそうでしょ?もうどれくらいいないか忘れたけど、皆さんは因みにいつくらいまでいたんですか?何か普通にいそうなんだけど」
この質問に西さんが噛みついてきた。
「アンマス何でそんなこと聞くの?どうでもいいだろ。俺は合コンの場で女性が本当のこと言うとは思わないし、別に言わなくてもいいし、その質問くだらなくない?」
「いや、流でなんとなく聞きました。あれ?駄目ですか?」
僕は答えながら、この人は何を当たり前のことをと憤る。そんなのは言われなくても分かってますよ。本当のことなんてどうでもいいんですよ。要は流れでしょ。会話なんて、とりとめのない無駄話の積み上げで構築していけばいいし、無駄のない会話はその後に本命とするもの。無駄が無いと疲れるでしょ。
とは思ったものの、場面的には一応謝る。
「すいませんでした。まあ、確かに余計なことですね」
言い合って空気が悪くなるのもなんだしね。
とはいっても、やはり空気は冷える。そんな所に救いの手を差し伸べてくれたのは斉藤さんだった。
「いいよ。別に話すよ。どれくらいかな?多分二年近くかな」
斉藤さんはにこやかに答えてくれた。場も拾って上手く収めてくれる。なんていい女なんだ。
斉藤さんの話をかわきりに、二人が続けて答えてくれた。地味な新井さんも乗ってきたことは嬉しい。これでまた温まるだろう。
女性に聞けば当然男性にも返ってくる。
最初に口を開いたのは角さんだった。
「俺はそうだなあ。アンちゃんどんくらい前だっけ?」
始まりました。角さんのいつもの手。自分で語るとモテ自慢になるから、僕に語らせて嫌味なく間接的にモテ自慢をする。でも、それも十分嫌味だと思うけど。
まあ、言えと言われれば言いますとも。
「角さんは、確か一年半くらい前でしょ?ほら、ダンス教えてたハンガリー人の彼女と」
女性陣はハンガリー人の彼女に盛り上がった。東京ならいざ知らず、地方でハンガリー人は珍しい。
それをおとした俺ってスゴくない的な雰囲気を出しながら角さんは口を開く。
「まあ、結局駄目だったし、やっぱり日本の女性がいいよね。それにしても、アンちゃんは俺のこと何でも知ってるなあ」
最後に僕との仲良いアピールも入れて話を切った。いや、言わせたのはあなたでしょ?と突っ込みをいれたいが、そこは我慢。でも、最後の言葉は素直に嬉しい。実際仲良いしね。
ここは順番的には僕だろうと、話始めた瞬間に、西さんがいきなり被せてくる。
「アンマスの前カノ、本当に綺麗でさ。俺ビックリしたよ。ね、アンマス」
いや、こっちがビックリしたよ。何をいきなり。今そんな話するかね。
僕が話そうとするのを更に遮り、西さんは続ける。
「この間のかわいい彼女とも温泉行ったんだろ?」
もはや怒りすらなまぬるい。殺意が芽生える。
僕は、角さんみたいにモテ自慢するタイプじゃないし、それじゃあ、僕は顔で彼女を選んでるみたいじゃないか。人には攻め方見せ方があるでしょ。僕と角さんは違うんだよ!
しかし、女性陣がやっぱり顔なんだと言い始めたので、僕は答える。
「顔云々は人それぞれなんで、何とも言えないですけど、それぞれ良い人でしたよ」
僕は更に続ける。
「でも、やっぱり顔で選ぶかな。性格もそうだけど、自分が良いと思った顔や性格だったら、ほかが何と言っても関係ないしね」
上手く収めたつもりでいたら、斉藤さんがすかさず聞いてきた。斉藤さん。僕に興味がおありですか?
「何で良い人なら別れたの?」
まあ、そう来るよね。西さんのせいで、僕は一銭にもならない切り売りをさせられる。こういうのはもっとゆっくり、マンツーマンで本命と話したいのに。
「まあ、この歳になると結婚観とかですかね。前は、向こうがバツイチだったのでゆっくりしたいってのと、この前はつきあって一ヶ月で結婚したいと。その一ヶ月の間にあったの三回ですよ。何もわかんないでしょ?」
斉藤さんは更に突っ込んで聞いてくる。兆候が読めない。今はタイトロープなのか?
「でも、回数や期間は関係ないでしょ?即結婚する人達もいっぱいいるし」
「それはそうなんでしょうけど。もちろん結婚はしたいけど、僕はある程度時間が欲しいです。だって勢いで結婚っていう歳でもないでしょ?ゆっくりし過ぎも駄目でしょうけど、何て言うか、お互いがちょうど良い期間というか。」
斉藤さんが僕の答えに納得したかどうかは定かではなかったが、僕の番はなんとなく終わった。
さて、西さん。それ相応の覚悟はできてるんだろうね?
自分の番になった西さんは一言で言葉を詰まらせた。
「俺は…」
暫しの沈黙。そうだ。西さんは僕も分からない。突っ込みようがない。さすがに今まで恋愛経験がなかった訳ではないだろうが。更に言うと、この間の彼女は恋愛だったのか?
西さんは葛藤していたのだろう。あまりにも前の恋愛話をしても、それから何もないモテない男と取られるかもしれないしと。
なら、この間の彼女とのことを恋愛話として話せばいいのにと僕は思った。そうすれば、僕が上手く乗ってあげるのに。
でも西さんは話さないだろうなとも思う。何故なら、西さんは空気の読めないまじめ人間だから。
西さんは不器用である。空気も読めないから、自分の思ったことをすぐに口にだしてしまう。
自分では良かれと思って出る言動。それが他人にどう取られるかを考えて器用に動くことができない。
そして厄介なことに、それなりにプライドもあるから、自分を落としめに語ることもできない。カッコ悪く見られたくないのだ。
かといって、自分の中でなかったことは言えない。つまり、彼女とのことは西さんも恋愛とは捉えていないのだ。
まったくもって面倒臭い男である。僕に対する今日の会話も、まったく悪気がない。思ったことを口にして、西さんなりに場を盛り上げようとしただけである。
だから僕は西さんを嫌いにはなれない。と思いたいのだが。
西さんが黙りこんでいるのを見兼ねかねたように、斉藤さんが口を開く。
「いや、別に無理に話さなくてもいいよ。違う話にしようか」
斉藤さん、本当にありがとう。なんて優しいんだと思いながら、僕は席を立った。
「すいません。ちょっとお手洗いに。帰って来るまで盛り上げお願いします」
トイレは、店の入口を挟んで、テーブル席の反対にあった。ドアを開けると鏡と手洗いがあり、中で男女別れていた。
用をたし、手を洗っていると、斉藤さんがドアを開けてきた。
突然二人きりになるチャンス到来。だが、僕は迷った。今このチャンスを逃さずに会話をするべきなのか。急ぎなら大した会話も出来ないし、まさか斉藤さんが用をたすのをこの場で待つわけにもいかないし。
結局ここは諦めて、挨拶程度で次に賭けようと斉藤さんに声をかけようとした瞬間、向こうから話かけてきた。
「ちょっと話そうよ」
もちろんいいですとも!
内心小躍りしながら話しかけようとしたら、またしても斉藤さんから話し出す。
「ねえ、大分気を使ってるでしょ?」
僕は黙ってしまった。この流れはいったい?
斉藤さんは更に続けた。
「私達にもそうだけど、そっちがわにもね。アンちゃんも好きにしていいんだよ。私達も歳なりに、それなりに経験豊富なんだから」
斉藤さんの優しそうな笑顔とアンちゃんと呼ばれた嬉しさに、時間よ、流れてばっかりじゃなくて、たまには止まってみろよと心の中で呟く。
「別に気を使ってる訳じゃないけど、見ての通り、両隣があれだから」
斉藤さんはクスッと笑って僕の顔を見る。
せっかく二人きりなったし、早いが僕も本音をぶつけてみることにした。
「斉藤さんは多分、前に3Bとつきあってたでしょ?全部制覇したかは分からないけど」
僕のちょっと茶化した物言いに、斉藤さんは笑顔で答えてくれた。
「何で分かったの?バンドマンはないけどね」
「やっぱりそうだよね」
僕は自慢気に言った。
「本当に何で分かったの?雰囲気?」
僕は答える。
「そうだね。雰囲気もそうだし、僕が一目惚れしたからかな。きっとそういう業種にモテるだろうし、斉藤さんも嫌いじゃないでしょ?」
「当たり。嫌いじゃないよ。アンちゃんのことも今結構気にいってるかも」
「じゃあ、僕があなたのことを気にいってるのも気がついたでしょ?だから話に来た。どうでしょうか?この読みは?」
「すごい!当たってるよ。アンちゃん何者?」
僕は当たりついでに、あんまり言いたくないけど、これも正解だろうと思うことを投げてみた。
まあ、話してて何となく気がついてたことを。
「そして斉藤さんは、もう卒業しました。どう?これも正解でしょ?」
斉藤さんは、ちょっと寂しく笑って答えてくれた。
「本当にすごいね。それも正解だよ」
少し間を置き、続ける。
「疲れたんだよね。やっぱり、アンちゃんもそうだけど、そういう職業の人には魅力をかんじるよね。だけどさ、なんか安定が欲しくなってね」
僕らの職業のネックである。例えば身体を壊した時の保証がない。保険があるにはあるが、微々たるものだし、職業柄中々潰しもきかない。雇われになる手もあるが、中途半端な歳まで頑張れてしまうと、その雇われの口すら狭き門になる。若い方が体力も勢いもあるし、何より給料が安くてすむ。雇用者がどちらを選ぶかは明らかである。もちろん例外もあるが。
「斉藤さんはいっぱい振り回されたんだね。大変だったでしょ?」
「散々苦労したわよ。もうお金のない男はこりごり」
斉藤さんはあきれ顔で言った。
「だから話に来たのよ。アンちゃんなら
私の気持ちに気づいて、止めてくれると思って」
僕もあきれ顔で返す。
「ねえ、普通止めないよね。絶対いただくでしょ?」
「大丈夫。アンちゃんなら絶対止めてくれると思ったから」
まったく身勝手な女だ。でも、そう言われたら止めるしかないよね。
「斉藤さん、巷でよくいうでしょ。3Bとはつきあうな。例外もいっぱいいるんだけど、僕ではなかったということで、御卒業おめでとうございます」
斉藤さんははにかんで答える。
「ありがとう、アンちゃん。アンちゃんは優しいから言ってくれると思ったよ」
はい、はい、どういたしまして。
僕は悔し紛れに言う。
「まあ、卒業したといっても同窓生なんだから、いつでも帰ってきなよ。待ってるよ。それに進学かもしれないしね」
「絶対やだ」
僕は斉藤さんにトドメの一撃をくらった。
僕が席に戻ると、角さんが早速突っ込みを入れてきた。
「アンちゃん、ちょっと長すぎない?斉藤さんと何話してたの?」
「今やってるアニメの話で盛り上がりまして」
僕は適当な返事をしておいた。まさかふられたとも言えまい。
隣の西さんの視線も痛い。
「西さん、飲んでる?そろそろ次に行こうか?皆さんもせめて今日はうちにも来てくださいよ。売り上げないから」
「大丈夫だよ。行くよ俺は」
西さんがボソッと呟いた。
角さんも乗ってくれて、斉藤さんが帰ってきたら、うちに来ることになった。
僕は準備があるので先に行ってますと、席を立ち、店の入口に向かった。お金は多目に西さんにそっと渡してある。奢ろうが割り勘だろうが好きにしてくださいと。
ちょうど入口に差しかかった時に、斉藤さんが帰って来た。これからのことを伝えたら、斉藤さんも了承してくれた。そして、下までお見送りに出てくれた。
僕は何となく、今日は気にいった人がいたかを聞いてみた。
「アンちゃん以外だと、西山さんかな」
はい?
僕のビックリした顔を見て、斉藤さんは笑いながら答える。
「アンちゃんみたいに、何でも察してくれて共感力高い、器用な人はもういいかな。あんなに不器用で正直な人は、何か新鮮だったから。それに職業も安定してそうだしね」
僕は苦笑いで、その場を後にした。
西さんに対しては、すいません、絶対応援しないですと、斉藤さんに対しては、今のところはねと、両者に呟きながら。
店で待ってると、以外とすぐに皆さんが到着した。
僕はドリンクを作りなが観察していると、角さんは酔ってぐだぐだになって、佐々木さんと新井さんに話しかけていた。いつもの光景である。ごめんなさい、佐々木さん、新井さん。
西さんと斉藤さんは二人で話が盛り上がってるようだった。まあ、一方的に西さんが話してるだけのようだが。
日付も変わろうとする時間になったので、この場は御開きにすることに。
一応皆で連絡先の交換をする。僕も未練たらたらで斉藤さんとも交換をする。
外まで皆さんを見送りして、店のカウンターに一人座りながら、ふと思う。
これが、勝負に勝って試合に負けるということかと。
それが正しいかどうかも考えるのが面倒になり、ちょっと早いが、帰り仕度を始めた。
「帰って寝ましょ」
呟きが自然と漏れていた。
それからちょうど三日後、西さんが店にやって来た。何やら話したそうでそわそわしている。
「西さん、どうしたんですか?」
西さんは僕の目をじっと見て、ようやく話し始めた。
「アンマス、斉藤さんを食事に誘ってOk貰った」
今さら驚くこともない。先日に答えは出ていたし、後は西さん次第だったのだから。
僕は素直に祝福する。
「良かったですね、西さん。ちゃんとものにしてくださいよ。斉藤さん綺麗だし、歳的にもちょうどいいでしょ」
素直にのつもりだったが、表面には出ないひがみが少し入ったのは許して欲しい。
あらためて、僕は西さんの後押しをする。
「今こそ師匠の教えを発揮するときです。まあ、前回の彼女は忘れましょう。イレギュラーです。今回はいけますから」
別にいい人ぶるつもりはないが、結局応援してしまう。西さんのことは好きだから。それに、人は不幸せよりも、幸せな方がいいに決まってるしね。
西さんは告げることが終わると、一杯で店を後にした。借りた金の話もしない。
僕は思う。そういうところだぞ西さんと。
二週間くらい、何となく時は流れていき、暑さも本番となった頃に、西さんがやってきた。
あれ?何か暗いような。
西さんは、黙ったまま、注文もせずに下を向いたままだ。
たまらず僕は声をかける。
「どうしました、西さん?明らかに分かりやすく落ち込んでますけど」
西さんは、それでも黙ったまま下を向いている。
さすがに察する。
僕も西さんが話すまで黙っていることにした。
暫くすると、西さんは話始めた。
あの後、三回食事に行った。そして、三回目の食事で告白したと。
黙り気味になる西さんを、僕は無言で促す。
西さんは語る。
その三回目でふられたと。理由を聞いたら、全然私の話に共感してくれないし、思ったことを、すぐに何でも口にするところも嫌と。あなたが誉めたつもりで言ってることでも、私が気にしていることで、不快に思うことも多々ある。きっとつきあうのは無理。今日はもう会わないと言いに来たと。
おい、おい、斉藤さん。それは余りにも酷いだろ。僕に言ってることと違うじゃないか。やっぱり共感できる、器用な3Bがいいんだね。残念。あなたは留年でした。
でも、ふと思う。怒りも最初は感じたが、よくよく考えてみれば、斉藤さんは幸せを掴むために変わろうとして頑張って、だけどまだ変われなかった。いや、変わろうとした矢先の西さんでは荷が重かったのかもしれない。
斉藤さんの真意は分からない。こちらからわざわざ連絡をすることもない。まあ、留年は一先ず取り消しに。
僕は西さんを見る。
空気を読めない不器用な西さん。今はきっと、まだ時期じゃないだけです。西さんを受け入れてくれる女性はきっといます。幸せになれる時期はきっと訪れます。僕も独り身。お互い、また合コン頑張りましょう。
僕は今心の中で思ったことを口に出す代わりに、西さんの大好きなスコッチを差し出した。
きっと言葉より伝わると思ったから。
そして西さんは今日もせっせとマウスの世話をする。休日も関係なく世話をする。
終わり
西さんは今日もせっせとマウスの世話をする
西さんという不器用な人間を、僕という器用な人間の目から見て書きました。ちょっと僕の要素が強くなった気もします。