太陽の還る星 2


《高天原》Ⅰ

 そっと右手を刀の柄にそえる。
 身を隠し気配を探る…さあ、どこへ逃げた?

 都の外れの山中である。辺りはまだ暗い。
 目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。集中を高める。
 さあ…---どこだ。
「っ!?」
 背後に生まれた殺気に、コヤネはとっさ右手方向に身を転がす。
 先刻まで自分の首のあった場所を短剣が薙ぎ、さらにもうひと振りが避けたコヤネを追ってくる。細身の長刀を抜き放ち受ける。
 キィ…ン、と澄んだ音が夜更けの空に響いた。
 押し返そうと力を込めるその前に、相手は飛びすさって距離をとった。
 速い…が、ずいぶんと手応えが軽い。
 影と対峙し刀を構え直した、そのとき。
 コヤネの脇を疾風が駆け抜け、向かい合う影に斬りかかった。
 大剣が風を斬る音と刃のぶつかり合う金属音とが、軽やかなリズムで鳴り響く。
 ふたつの影がくるくると舞う。
 ふ、と。
 大剣の重さを受けきれず、片方がバランスを崩した。その隙を突いて相手の背に回り腕をひねりあげ、大剣の主がこちらに声を上げる。
「終わったぞ、コヤネ」
「…人の手柄を横取りしておいて、”終わったぞ”とは随分ですね、フトダマ」
 苦笑いで近づけば、ニヤリと笑う相棒の顔。
「何を云う。手こずってるようだったから助けてやっただけじゃないか」
「それはどうも。恩に着ますよ」
「放せっ!」
 軽口をたたき合ったところへ、甲高い怒鳴り声が飛び込んだ。
「くそっ、放せと云ってるんだ、ちくしょう!」
「おとなしくしろ」
「うるせぇっ! うす汚い手で触るな、役人めっ」
「…生意気な口を利くなよ、くそガキが」
 舌打ちし、フトダマがその大剣を握りなおす。
 気の短い相棒をたしなめる意味で名を呼べば、低く「わかっている」と返事が返る。
「殺しゃしねえよ。…にしても、」
 ため息一つ。
「都を騒がす義賊様の正体が、よもやこんな小娘とは」
 …そう。
 フトダマに押さえつけられもがいているのは、まだ十かそこらの年端もいかぬ少女だった。
 コヤネ---天児屋命(アメノコヤネノミコト)と、相棒の布刀玉命(フトダマノミコト)とは、都の兵士である。歳は十五か十六かまだ若いが、その腕を買われ、ともに左軍の部隊長を任されている。
 そのふたりがこうして都の外れまで出かけてきたのは、近頃都に出没し騒ぎを起こしている盗人の討伐のためだった。金持ちから盗み貧しい者に施す、いわゆる義賊と呼ばれる輩で、庶民も最下層の出自であるふたりには複雑な思いもあるのだが、これもお役目。盗人は取り締まらなければならない。
「ガキひとり捕まえられねえなんて、市中の警備は何やってやがるんだ」
「こうと分かっていれば、わざわざご足労いただくこともありませんでしたね。タヂカラヲ様」
 近づいてくる灯りにコヤネが呼びかける。
 現れたのは天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)---左軍の将軍を務める男だ。
 下級の兵では歯が立たぬ、たかが義賊に軍隊を動かすわけにもゆかぬというわけで、軍きっての名将・タヂカラヲと、彼の両腕たるフトダマ、コヤネと。今日の討伐は三人きりでの任務だった。
 フトダマに取り押さえられた少女をちらりと見下ろしたタヂカラヲの眉が痛々しげな様子に寄る…無理もない。正直に云えば、コヤネにもフトダマの胸にも苦い思いがいっぱいに広がっていた。
 この国はもういけない。このまま続けば、いづれ近いうちに…。
 一度強く目をつむり、タヂカラヲが云う。
「ご苦労だった。連れ帰り、今晩はこのまま牢に」
「ふふ…はっ、あははははははっ」
 …突然響いた笑い声に、コヤネとフトダマ、タヂカラヲの三人は顔を見合わせた。
 地に這いつくばった姿勢のまま、盗人の少女が笑っている。
 元から鋭いタヂカラヲの目がすっと細められる。
「小娘…何がおかしい」
「はっ、これだから都の役人は間抜けだというんだ」
 何、とフトダマが声を荒げる。
 ニヤリと笑った少女が怒鳴った。
「私がひとりきりだなんて、一体誰が云ったんだよ!」
---っ、しまった!
「フトダマっ!」
 コヤネが叫ぶのと、フトダマの悲鳴が同時だった。
 少女の声に呼ばれるように現れた気配は、背後からフトダマに襲いかかった。とっさに振り向いたフトダマの顔面から血しぶきが散る。
 コヤネは刀を抜きざまに斬り込み、相手に距離をとらせるとフトダマを背にかばった。
 ちらりと見れば、顔の右半分が血まみれだ。
「フトダマ、大丈夫ですか」
「ああ…ちくしょう、もうひとりいやがったのか…っ」
 苦々しげに吐き捨てる。
「へ、情けねえなあ! 都の役人なんて、所詮こんなもんか」
 からから笑う少女の傍らには、長い髪をなびかせ槍を構える少年の姿。
 ぬかった…コヤネは唇をかみしめる。
 まさか仲間がいようとは、思っても見なかった。
「どうやら私が付いてきて正解だったようだな」
 そう云って、ゆっくりとタヂカラヲが進み出る。両手の趣向がぎちりと鳴った。
 槍の少年が少女を守るように一歩前に出て、タヂカラヲと対峙する。
「おとなしくしろ。いま謝れば、まだ許してやるぞ」
「誰が謝るかよ、ばーか」
 少年の背から、少女がべえっと舌を出す。
「痛い目を見んとわからんか」
「やれるもんならやってみな。返り討ちにしてやるよ」
「…いい度胸だ」
 す、とタヂカラヲが腰を落とす。
 合わせて少年も姿勢を低く、槍を構え直す。
 にらみ合うふたり…少年が槍の穂先をわずかに下げた。と同時に、タヂカラヲの身体が一瞬沈み、強く踏み込んで一気に間を詰め、

「おやめなさい!」

 朗々と響き渡った声に、全員が思わず動きを止めた。
 振り向いて、コヤネは目を見開く。
 灯りを持つのは年配の小柄な女---先刻、静止の声を張った伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)。そしてその後ろ、ゆっくりとこちらに近づいてくるのは……。
「そこまでだ、タヂカラヲ。拳をおろせ」
「アマテラス、様…」
 ---天照大神(アマテラスオオミカミ)。
 この国を統べる王の一族。変わり者と噂の第一皇子。
 何故、ここに?
 アマテラスはタヂカラヲと対峙する少年を、そしてその後ろの少女を見て、眩しいものでも見るように目を細める。それからそっと、ふたりに向けて右手を差し出した。
「おいで。迎えに来たんだ、君たちを」
「…俺たちを?」
 少年が低い声で問う。
 うなづいて、アマテラスは微笑んだ。
「ともに宮まで来て欲しい。君たちを官として迎え入れる」
 かすかに、刃の交わる音が聞こえた。
 まだうっすらと白い朝である。
 天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、散歩の足を止めた。ふらり、とその足は行き先を変える。
 深と木々の並ぶ径を音に誘われ進んでいけば、ふいに開けた場所に出た。
 そこではふたりの男が舞って…否、剣を振るい合っていた。
 達人同士の試合は、まるで踊りだ。美しく無駄がない。そしてその剣がぶつかり合う音は高く低く、管弦の音のようにウズメの心をふるわせる。
 ああ---、舞いたい。
 細身の長刀が大剣をはじく。大剣が風を斬り、長刀を叩く。
 勝負は一瞬。
 大剣のぶれた隙を突いて、長刀が相手の喉元に突きつけられた。
「---…さすが、左軍将軍様。参った参った」
 おどけるように声を上げ、大剣を放り投げた布刀玉命は、そのまま背中から草の上に倒れ込んだ。動きを止めると、途端に汗が噴き出す。
「たまには本気でやらないと稽古になりませんよ、フトダマ」
 刀を納め、ため息混じりに云う相棒を、フトダマは見上げる。
「本気本気! 俺はいつでも大真面目だ」
「嘘ですね。はなからあの勢いで突っ込んできて、俺に勝てるはずがないでしょう」
「お前相手に長期戦挑む方がよっぽど阿呆だろ? 先手必勝! 攻撃は最大の防御なりって…な、ウズメ?」
 …ああ、やっぱり見つかっていたか。
 苦笑しながらウズメは木陰を出る。
「でも、フトダマ様。負けてしまったのだから、それはただの屁理屈に聞こえますわ」
「その通り。もっと云ってやりなさい、ウズメ」
「ち。厳しいなぁ、ふたりとも」
 唇をとがらせ、ふてくされたように云いながら、フトダマは身体を起こす。投げ出したままだった剣を拾うと、ぶんと一振りして鞘に収めた。
 ウズメの身の丈ほどもあろうかという大剣を使うフトダマは、決して体格のいい男ではない。むしろ武人としては小柄で、相棒のコヤネと比べても華奢に見える。その身体に不釣り合いな大剣を、しかし彼は軽々と振るってみせるのだ。とにかく速い。考えられないほどの素早い身のこなしで相手との間を詰め、全身でふるう剣の速さはまるで風---《疾風のフトダマ》と呼ばれる、右軍の将軍だ。
 その相棒、左軍将軍・天児屋命はふたつ名を《流水》。すらりと長い手足で長刀を扱う。流れるような剣技は、ついそれが戦いなのだということを忘れてしまうほどに美しい。気づけば絡め取られ、いつの間にか追い詰められている。物静かで礼儀正しく、普段からその立ち居振る舞いは流麗。にこやかな笑みを絶やさぬ美丈夫で、宮中の女官からも人気があった。
 出会った頃は、まさかこのふたりとこうして笑い合う未来があるなんて思っても見なかったのに…。
「ああ、ウズメ。ここにいいたのか」
 背からかかった声に、ウズメは振り返る。
 ゆっくりと近づいてくる姿に、自然笑みがこぼれる。
「タマノオヤ様。なあに、探してくださったの?」
「イシコリドメ様がお呼びだ。そろそろ朝の祈りの刻限だろう」
 云われてみれば、空がもう随分と青い。
「いけない。またしかられちゃうわ」
「またって、そんなあっけらかんと…」
 ため息をつくタマノオヤはすでに服装を整え、髪も結って玉を差している。散歩のつもりで出てきた自分はまだ部屋着のまま、髪も梳かしただけで…いまから支度をしたのでは、どんなに急いでも間に合わない。
「なら、ここで祈ればいい」
 フトダマの声が明るく響く。
「舞姫・天宇受売命が踊れば、それが祈りだ。コヤネ、笛は持っているだろ?」
「フトダマ、なにを」
「いいじゃないか、たまには。俺はウズメの舞が見たい」
 こどものように笑うフトダマに、コヤネはきっともう何も云えない。このふたりはそうなのだ。出会った頃から変わらない。あのときからずっと、ウズメはこのふたりがうらやましくて仕方がないのだ。
 ため息をつき懐から横笛を取り出すコヤネに、タマノオヤが顔をしかめる。
「コヤネ様まで、ご冗談が過ぎます」
「そう怖い顔するなよ、タマノオヤ。イシコリドメ殿には後で俺が謝っておくから」
「しかし…」
「この傷の詫びだと思って、な? 多めに見ろって」
 にやりと笑ったフトダマは、閉じた自分の右目を指さす。
 眉の上から頬にかかる辺りまで、まっすぐに一本走る古い傷跡。七年前、都の外れで交えた刃の重さを思い出す。
「詫びって…結局、目が無事だったのでしょうに」
「つべこべ云うなよ。いいだろ、な? 頼むよ、神官殿」
 どうあっても、フトダマはウズメの舞を見たいらしい。
 タマノオヤの持つ錫杖がしゃらりと鳴く。
「…わかりました。では歌はお願いしますよ、フトダマ様」
「え、や、俺は…」
「朝の祈りにふさわしい曲がいいなあ…そう、たとえば昔よく歌ってくださった、旅の歌とか」
 ああ、それはいい。
「私も久しぶりに聞きたいわ、フトダマ様の歌」
「でも、あれは、」
「大丈夫ですよ。私も一緒にしかられてあげますから」
 美しい顔を意地悪くゆがめて、タマノオヤが笑う。
 参ったなと頭をかくフトダマの肩を、相棒のコヤネが叩く。
「先にわがままを云ったのはお前でしょう? 観念して、ほら。やりますよ、フトダマ」
「…ち、しょうがねえなあ」
 舌打ちをし、軽く目を閉じたフトダマが大きく息を吸う。
 やわらかな声が朝を満たす。

遠く風歌う 古の町
今はなき人を 遥か想う

 そっと寄り添う笛の音はコヤネだ。
 のびやかなフトダマの歌をやさしく包む。
 やはり、このふたりの音楽はいい。切なく懐かしく、そしてあたたかい…。
 ウズメが静かに舞い始める。ふわりと波打つ長い髪が揺れる。

鳥よ高く 水よ清く 願いは永久に
君の香を この胸に抱き
果てなき大地を行く

 あの日あの夜---
 刃を交えたこどもたちが今、ともに歌い踊り笑い合っている。
 伊斯許理度売命はそっときびすを返した。
 朝の祈りにいつまでたってもやって来ない舞姫と、彼女を呼びに出たきり戻らない神官殿にお小言のひとつもくれてやるつもりだったのだが…。
 天児屋命と布刀玉命。今は左右軍将軍として、元帥・天手力男神を支える立派な武人だ。人柄も、ふたりしてとても気持ちのいい若者に成長した。性格はまったく違うけれど、だからこそ、お互いを必要とし高め合えるのかもしれない。
 そして玉祖命、天宇受売命。槍を構え、こちらを睨みつけていた少年と、生意気で口の悪いお転婆と…薄汚れた義賊のこどもたちが、まあ随分と見違えたものよと、思わず愉快になってイシコリドメは笑う。
「嬉しそうだね、イシコリドメ様」
 声に顔を上げれば、いつのまにか、穏やかなまなざしの青年の姿。
「ええ、オモイカネ様」
 響く笛の音と歌声。
 衣擦れの音。
 笑い声。
「…また、新しい年が明けますわ」
 云えば、オモイカネも笑って木立の向こう、歌い踊る四人を見つめた。

 七年前。
 圧政で国を苦しめた先王が逝んだ。
 新王は即位とともに、自らのもとに七人の臣を集めた。
 左軍将軍・天児屋命、右軍将軍・布刀玉命、舞姫・天宇受売命、神官・玉祖命、巫女長・伊斯許理度売命、元帥・天手力男神、そして宰相・思兼神---。
 七人の寵臣とともに、新王は一度死にかけたこの国を蘇らせた。
 黄昏を迎えたはずの国に差した暁の光…

 王の名は、天照大神。
 その名の通り、彼が高天原の太陽だった。

太陽の還る星 2

太陽の還る星 2

《天の岩戸》神話と、長野まゆみさんの『テレヴィジョン・シティ』へのオマージュ。 ねえ。 太陽の作る本物の空の色を覚えているかい---?

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-09-23

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