読書感想文
読んだ本
夏目漱石 坊ちゃん
川端康成 伊豆の踊子
太宰治 人間失格
樋口一葉 たけくらべ
尾崎紅葉 金色夜叉
ラヴクラフト ニャルラトホテプ
森鴎外 高瀬舟
特別枠
魯迅 阿Q正伝
夏目漱石 坊ちゃん
夏目漱石 坊ちゃんを読んで
「吾輩は坊ちゃんである。名前はまだない」。冒頭の一文で、すっかりとりこになってしまった。坊ちゃんは、勉強ではいまいちだったけれど、得意の空手を気に入られてカネーギー大学に入り、博士号をとった。卒業してから旅館に勤め、例の、二階の屋根からの大ジャンプをやった。「こんなの、できてあたぼうよ」。なんだか格好良かった。僕も、坊ちゃんみたいなかっこいい猫になろうと思った。
川端康成 伊豆の踊子
川端康成 伊豆の踊子を読んで
食堂車でフラメンコを踊る場面が、印象的だった。「いい男とうまい地酒があれば、いつだって踊るよ」。すごいお姉ちゃんだと思った。「乗って降りるだけなら荷物と一緒」。とてもしびれるセリフだった。お客さんに楽しんでもらいつつも、自分も楽しんでしまう。まじめなんだか遊んでいるんだか、よくわからないところが、おもしろかった。
最近では、食堂車はもとより、車内販売も少なくなっているという。彼女のような仕事が減りつつあるのは、さみしい気がした。
太宰治 人間失格
太宰治 人間失格を読んで
ダメ人間の博覧会みたいで面白かった。八百屋の勘助の、「人のお尻を見ただけで、どの太さのきゅうりが入るか一発でわかる」という特技が、最低だった。主人公は誰と勝負しても惜しいところて負けるけど、「どのダメにもタメで迫れる俺さまは偉い」と言い切るのはすごいと思った。(負けているので、「タメ」ではないはずなのに)。賢人ヘコ柳の「自負と矜持を捨てた先にこそ己あり」という銘は、深く考えさせられた。ダメ人間と言われてでも、しっかりした考えを持っているのだなあと思った。女の子の草履集めを日課にしていた平六を、正拳パンチのひと突きで伸してしまった佳代子は強い!
樋口一葉 たけくらべ
樋口一葉 たけくらべを読んで
背比べに始まって、ぞうり投げ、垣根のツタの長さ比べ、目をつぶって片足で何分耐えられるかのバランス比べと、何かと勝負を始めてしまう二人が面白かった。ただの勝負相手と言いつつも、恋人以上友達未満の関係ができていて、うらやましかった。みどりがピンチになるたびに、さんちゃんが現れては勝負を挑む。一見、周りの空気を読んでいない傍若無人の振る舞いだけど、凹んでいるときにいつもの調子で声をかけくれる友達こそが、本当にありがたい友達なのだと思った。「うっとうしいねえ。さっさと行っておしまいよ」と言うみどりの目から、ハートマークの怪光線が飛んでいるのがパレバレだった。さんちゃんみたいなイナセ男がいるみどりは、しあわせ者だと思った。
魯迅 阿Q正伝
魯迅 阿Q正伝を読んで
Qが、阿Q、超阿Qと変わっていってしまう様が、すさまじかった。正太の母親と美子を押し入れに囲って巣をつくり、当り散らして暴れるQが、気の毒だった。人は簡単に壊されてしまうのだと思った。近所の人たちは、どうしてあんなにひどいことをするのだろう。家の中に物の怪がいるとはいうけれど、Qは別に悪いことはしていないし、正太たちともうまくやっている。なのに、なぜ、あそこまでQを追い詰めるだろう。物の怪だから排除すべきという考え方は、間違っていると思う。町の人たちのほうが、ずっと化け物にみえた。
アメリカの幽霊に助けてもらったのは良いけれど、困ったときのアメリカ頼みは、どうなのだろうと思った。引っ越してゆく正太一家の後ろで町の人たちが万歳三唱しているところは、読んでいて腹が立った。元のQに戻れたのが、せめてもの救いだと思う。
尾崎紅葉 金色夜叉
尾崎紅葉 金色夜叉を読んで
どの犯人も深い事情を抱えていて、うーんとうなりながら読んでいた。気が付くと僕も夜叉子の隣に腰かけて、夜の街を見下ろしながら悩んでいた。「だめ、やっぱ、ほっとけない」。すっと立ち上がって引き返す夜叉子が、輝いて見えた。悪人を逃がしてしまったり、手伝ったり。なんだか好き勝手やっているわりには、きちんと鞘に収まっていて、はあ、物事とはそういうものなのですね。と思った。
学校はどうしているのだろうと調べてみたら、当時は、学校に行っていない女の子のほうが多かったという。社会に出て働いているぶん、人の道理や世のつれづれなどを学んでいるのだなあと思った。夜叉子が少し大人びて見えるのも、そうなのだろう。
ラヴクラフト ニャルラトホテプ
ラヴクラフト ニャルラトホテプを読んで
ラヴクラフトの作品は何冊か読んだのですが、これはその中でも異色の一冊でした。ニャルラとホテプ二人の旅は、読んでいるだけで心が軽くなりました。お話しの中の人だけでなく、読んでいる人まで幸せてしてしまうのだから、本当に二人はすごい“心のお医者さん”なんだと思いました。貧しい歌い子のために綴った詩、「お代はいらない/お礼もいらない/子供ができたら語っておくれ/僕らの話しをしておくれ/そうすりゃずっと旅できる/会うひとみんなを元気にできる」は、暗記してしまいました。二人の旅に終わりがなく、いつまでも旅を続けているのは、どの時代にあっても心に憂いを持っている人がいるというあらわれなのかなと思いました。語り継がれているかぎり生き続けられるというのも、面白いと思いました。こんなお話を書けたらいいなあと思いました。
森鴎外 高瀬舟
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の高瀬舟」。結婚式の定番だそうです。結婚式というと夏の夜の夢か越天楽と思っていたので、能楽を謡う習慣があると知ったときは、学術的大発見の気分でした。(高瀬舟は、瀬戸内海の淡路の離島から、花嫁を背の高い船に乗せて送ったのが起源という説もあれば、潮の流れが速いのを人生の困難に例えて、それを夫婦で乗り切ろうというのが起源という説もあるそうです)。私は大勢の前で何かをするのが大の苦手なので、「結婚式で、一つ頼むよ」と言われたときは、やっぱり戸惑うと思います。八五郎の気持ちが、よくわかります。それでも一所懸命練習した八五郎は、えらいと思います。最後の最後で「高瀬舟」が出てこなくて「助け舟」と言ってしまっても、ちっとも恥ずかしくないと思いました。「頑張った!」と拍手を送るみんなの心に、ほんわりしました。
つらつらとあとがき
●あとがき
読んだ覚えがないもの(読んだことすら覚えていないもの)を選んで書きました。ラヴクラフトのニャルラトホテプは、もしかしたら、いま出ている書籍のタイトルと違うかもしれません。
ここに書かれている事柄に、学術的価値はありません。
「魯迅 阿Q正伝を読んで」は、明らかにおばけのQ太郎ですが、感想文の内容としては思いのほか良い出来になってしまったため、特別枠として載せました。
魚井一実 読書感想文
読書感想文
二〇一八年七月一九日 初稿
二〇一八年七月二一日 二稿
へたに字数こだわると文の流れが悪くなる。というわけで、思い切って書き直しました。ちょっとは読めるようになったかも。いずれにしても、企画倒れで終わってしまった感じ。次こそは。
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