壁の中

壁の中

Tapirus

私は壁の中に住んでいる。しかしこれは壁の内側にいるという意味ではない。たしかに壁の内側と呼べるものは存在している。壁は中心を定めつつ四方からそれを囲み、柱体を形成して塔のようにそびえている。だがその中には空虚しかない。私は壁の側に立って、まるで深淵を見下ろすように内部をのぞき込むだけなので、壁の内側に位置するなどということはおよそ考えられない。それなら一枚の壁そのものが空間を内包しているのではないかとあなたは言うかもしれない。植物がその細胞を分裂させるように壁の強固な組織が空洞を生じ、そこへ私が潜り込んで棲んでいるのではないかと。この想像は否定できない。しかし事実を言うと私はこの壁に居住しているだけではなく、すでに長いこと壁を建設しているのだ。それなら私は壁の上に立っているのだろうとあなたは先回りして考える。これは一面では正しいかもしれないが、しかし決して全体を把握してはいない。構造はもう少し複雑なのだ。だから私はいま極めて消極的に、自分は壁の中に住んでいると言おうと思う。しかしこれもまた若干の説明を要する。


私はもう長いこと壁の中にいる。こう言ったからといって、私がここへ意に反して閉じ込められているとか、あるいは逆にみずから進んで引き籠ったのだとか、そうした早急な判断を下さないでほしい。かわりに少しのあいだ目を閉じて、あなたがいま抱いている観念を詳しく精査してみるのがいい。こんなことを言うのは、あなたがまだ壁という現象を純粋に捉えられていないから、そしてまたおそらくは、その把握がふつう思われているよりもずっと困難な作業であるということにすら気づいていないからである。たとえば壁を、建物を網の目に区切る骨格、あるいは部屋を分厚く囲む外殻のようなものとして想像するなら、それは対象を別の対象の付属物として、したがって二次的にしか理解できていない証拠である。これではあなたの考察はまったく不十分なままだ。そこで今度は、壁がだだっぴろい荒野に立っているさまをまったく即物的に想像することにする。──さて、その壁はいまどのような形をとっているだろうか?それは単体で佇立しているのか、それとも複数の乱立だろうか?もし単体であるならそれは横へ拡張しているのか、あるいは上へ伸長しているのか?あなたは慎重な態度で、そもそもこの壁はなぜここに立っているのか、と尋ねる。しかしその問いは無意味だ、なぜなら壁ははじめからそこに目的なく存在しているから。


つまり壁は経験に先立ち、その意味で空虚な形式でもあるわけだが、しかしここではむしろその範型がうちに包み込んでいる存在の核のほうへと注意を向けてほしい──というのも壁はあなたの手にかかると、爆発的にその身を開き、その体積を拡大しはじめるのである。あなたが壁に手を触れ、それにより壁を受け入れた瞬間、沸騰と流出の過程を思わせる生育が始まる。私はいま生育といったが、たしかに壁ははじめなんらの技術も必要とせず、文字通り自然に自己を拡大するのだ。あなたはもう壁と骨がらみになって、水平に伸び広がり、垂直に立ち昇り、壁によって空間を媒介しつつ時間を持続し、媒介することで空間に受け渡され、持続することで時間に投げ込まれ、その諸相のいずれにおいてもなお地中へと頑強な根を張り渡しながら、この初期の段階を通過していく。──だが壁という形式が高度に反自然的なものでもあるからには、それが技術なしに完成へいたることはない。あなたは形成の術を学ばなくてはならないのだ。とはいえこれは難しいことではない。あなたはすぐに、石よりも煉瓦が、漆喰よりも瀝青が有用であることを覚えるだろう。だからあなたが技術を習得し、もはや燃えさかる珊瑚のようにではなく、腐食した皮を脱ぎ捨てる青銅の蛇のようにその身を伸長することを学んだからといって、それはなんら非難に値することではない。向日性の植物のように一定の方向へと身体を操作すること、自然と技術の同居……。


この伸長はあなたが荒野で別の壁を目にするときまで続く。だがその閉じた壁は外から見るとじつに異様な恰好をしているので、その疎遠な有様におどろいたあなたは否応なく進行の方向を変えなくてはならず、それどころか呆然としたままその場に立ち尽くすことにもなりかねない。逃亡と自失の経験があなたをうろたえさせる。それは自己の限界のひそやかな、しかし確実な認識の契機だ。だがそれにしてもなぜ?なぜあなたは恐れるのだろう?──なぜなら、その壁はあなたのものではなく、他人のものだからであり、したがってあなたはその壁では「無い」からである。つまり他人の壁はあなたを否定する。主観的にみれば無限の成長をその本性に持つ壁が、客観的にみれば否定と制限の機能を帯びているということ、これは──地をめぐる月の相貌が常に表裏の一側面でしかないのとまったく同様に──ひとつの原理的な明証性を備えている。この明証性がいまや、それに特有な狭隘さでもって、あなたへの威圧を開始するのだ。


言い忘れていたが、壁の生育の方向にはそれぞれ違いがあり、したがってその形姿も発達の要請により様々に異なる。実際、あなたがいま目にしている他人の壁は、あなた自身とは似ても似つかない代物だ。例えばそれは気も遠くなるほどはるかな上空まで聳えているので、あなたが壁の上からあらんかぎり身を反らせ眼差しを送っても交信は期待できない。また別の壁はまるでそれ自身が地平線であるかのように視界の彼方まで両翼を広げているので、あなたは絶望的な気分になり迂回しようとする気をなくしてしまう。だがもっと悪いのは他の群小の壁たち、横に向かう壁、上に向かう壁、放射状に延びる壁、線状に延びる壁、あるものは囲い、あるものは開き、また覆い、ときに反り返り、湾曲し、層状に連なる壁、壁、壁、あなたはいつしか自分が無数の得体の知れない壁の群れに取り囲まれていることに気がつく、壁に面し、壁に接し、壁に櫛比し、あなたは身動きを取ることもできない。他人の壁はあなたに影を落とす。衝突し損害する不安、掘削され併吞される危惧、風化し倒壊する恐怖にあなたは怯えなければならない。そしてここからなにか新たなものが生じるとすれば、それは壁に包摂された存在の核の忘却と、それにつづく壁の露骨な変形だけなのだが、しかしこれもまた壁にとって必然的な第二の形成なのだ──自然を喪失し、その喪に服しながら粛々と、ただ技術だけによって建造された壁、前時代の要塞旗艦めいた装甲に身を鎧う壁、だが内部では機関部が死滅し、結核質の残骸を無残にも晒している、この空虚な伽藍。


だが構造はもう少し複雑なのだ。あなたはそれを知らなければならない。


壁の様式について触れておこう。私はこの様式の追求について若干の自負があるのだから。私が壁としての本性に逆らうように、遠方への拡大ではなく高所への上昇をつづけたこと、地の一点に自立しながら、天の外縁を目指して地上からは絶縁したこと、この倒錯的な事態を、あなたは想像できるだろうか?あまりにも多くの壁が、地を走り、地に伏し、地に還ることを望んでいる、地上において折衝し、地下において連絡し、潜り、絡み合い、また浮かびながら、しかし空という空間を忘れている、なぜなら倒壊の危険は中空へと進むにつれ増大するのだから。しかし私には視界を開くことがなにより重要だった。それでひと時として眠らずに壁を上へと積み上げ始めたのだった。壁の真の意味での建設が始まったのはまさにこの時で、成長はというとすでに失われていた。それどころか日を重ねるうちに、壁の水平に広がる外延は徐々に荒廃し、崩れ始めた。私は壊死しかかっている部分を放棄した。そこに壁がなくなると、次に日にはもう別の壁、私ではない壁がそこに根を下ろしていた。徐々に外壁が埋没していき、中心部を囲む壁だけが高層になっていった。しだいに、足元に蠢く無数の他人の壁は互いの輪郭が判別しがたくなった。代わって視野に入ってきたのは、常に形を変えることで見る者を欺こうとする、一種のだまし絵のような文様で、よく見てみるとそれは地上一面に蔓延し、互いに蚕食する壁たちの地図なのだ。私はこの迷路のような錯綜に気が遠くなりかけた。かつて高い壁が私を疎隔したように、いまや低い壁と疎通することは不可能になった。視線を上げると、壁の大地の向こう、地平線の彼方に没落する巨大な火球が見え、それから夜が来て、星図がまたたきはじめた。だが西の空にひときわ強い光を見たように思ったのはいつだったか──日中は目視することすらかなわない遠方に聳える別の壁から、おそらくは夜の戯れに発された信号。


私は壁の中に住んでいる。しかしこれは壁の内側にいるという意味ではない。たしかに壁の内側と呼べるものは存在している。壁は中心を定めつつ四方からそれを囲み、柱体を形成して塔のようにそびえている。


壁の内部の空洞について。そもそも、壁が作られると必然的にその内側が生起するという根源的な事実に、まったくと言っていいほど無関心な者たちは少なくない。これは自然を装った壁の作為性に対する、ほとんど盲目的な反省の欠如と言うほかないが、しかし私自身、現在のように四方の壁で内側というものを明確に定義づけることではじめて、この内的領域を、その不可避性ともども、ともかくも認識できたように思う。もしかすると、かぎりなく狭い範囲にこの領野を限定すること、これが肝要だったのかもしれない。なんといっても、無差別な空間上の広がりほど不安を引き起こすものはない。自由は壁の内にも外にもなく、壁そのものにあり、あるいは同じことかもしれないが、壁であることが自由なのだ。だから壁はあらゆるものを我が身で覆いつくそうとする、大地を壁で塗りかためようとする、だが天界から無慈悲な空が降下してくる日には、地上の壁は圧死の恐怖に怯えなければならない。空はその日あらゆる場所に充満して壁の無効を告知する。内側と外側の区別を失った壁たちの間に浸透し、膨張し、破裂するのだ。だが巨大な天空を不安とともに見上げるのは、地上に群れなす壁ばかりではない。


壁を襲う眩暈について──だがこれについてあなたに語る時間はない。なぜならそれを語ってしまえば、次に語るべきなのは壁の崩落だろうから。そしてそうなると時間は本当にもう残ってはいないだろうから。たとえそれが交信の終わりとして当然予期される事態だとしても、私はあえてこの場所で、この宙に浮いた状態で話を終えようと思う。目視のかなわない空中の彼方に、その壁のあなたに、私の経過を伝えることをやめようと思う。あるいはあなたがいるのは、なにかまったく別の技術、別の素材でできた超高層の建物のうちかもしれないし、あるいはもしかすると、もうひとつの異なる生命体の胎内かもしれないが、いずれにせよ──私がいまあなたに語った、まさにこのとおり私は生育し、形成し、変形した、そして変形し、形成し、生育する壁はそのさい常に私のもとにあり、言うなれば壁は私の住屋であり、私の存在をそこに包み込んだまま、まるで閉ざされた祭壇のように、あるいは封印された墳墓のように、いつまでも私の体を手放さないでいる。上昇することで天蓋へと架空し、沈潜することで根底へと放下しながら、しかもなお外界の一切から隔絶された壁、ここに私は居住し、建設し、この営みに終わりはない。完成はないのだ。神話と歴史はこう教えている。ある壁は天の極みに達すべく伸長し、その不遜が神の怒りにふれ崩壊した。またある壁は全地をあまねく画すべく延長し、その傲岸もついに時の流れに呑み込まれ荒廃した、と。私たちの誰もがこの壁を所有している。それとも、所有されている、と言ったほうが正確だろうか?私が壁に触れたとき、この固い殻の内にしなやかな新芽を見出したとき、この厳かな神殿の内に敬虔な眼差しを向けたとき、私はそれを望んでいたのか?むろん答えはない。意志もなく、思考もなく、記憶もない場所で私たちはそれを受け取り、にもかかわらず神話に束縛されたまま、私たちの誰もが傲岸と不遜の危険、それにつづく隔絶と幽閉の危険、そして最終的な崩落と解体の危険を抱えている。私を襲ったのはまさにこの危険であり、その危険を閉じ込めるようにして私はこの壁、すなわち中心を定めつつ四方から内部を囲むこの壁を形成したのだ。


空の降下の日、私の壁はひとつの口と喉となってそれを迎え入れる。空を呼吸するのだ。朝の冷気を吸い込んだ内側の空虚を、私は壁の側に立ってのぞき込む。そこは真暗で、なにも見えない。私は待っている。空がもたらした種が、壁の底で根を下ろし、また生え出す。

壁の中

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-17

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