老人と街の喧噪と無音

焦燥感の中で、自分は常に集中力を失ってきた、
たとえばこういう妄想について考える、自分が目をつぶった次の瞬間に、時間が自分の思ったより早いスピードで、たとえば夜中の就寝などといった
長時間のものではなく、ただめをつぶった瞬間に、とても長い時間が経過していたら?

たとえば、自分が本を読む間に、友人がその日もっとも面白い話しを話しかけていて、
そのことに気が付かなかったとしたら?

そんなことが毎日、毎日毎日きになって、ひとつの事に集中することをさけ、物音や話し声を敏感に察知していた。
仕事場へ向かうとき、道端の野良犬に話しかけるとき、友人と話すとき、意識の傍らに、別の意識が存在していた。
ただそれだけの事で全神経を、ひとつの物事に執着しない、集中しないという事にさいてきた。
同時に物事を考えていれば、その恐怖や不安は私の近くにやってこない、
近くにやってきたとき、遠ざける事もできるだろう。
だからこそ、今、私は、自分のそばで聞こえるこの物音が奇妙に聞こえる。

まるで無音だ。
皆が皆、好き勝手をやっている、ここは都会、私は昨年、この都会に移り住んできた。
誰もが、毎日好き勝手な事をしゃべる、もちろん好きでそうしているわけじゃない、都会という限られた空間でおこる、
小さな現象、大きな現象、その集約されたものが、この都会の……雑音。

私はこの都会のど真ん中で講義をする事をイメージした、
ありとあらゆる喧噪が気にくわない、物音、くしゃみ、喧嘩の声、カップルのキスの音。
その反対の感情もある、
どこまでもうるさければいい、どこまでも身勝手ならば、私の知りたいことを知ることができるし
私の書きたい文字や図形を形にすることもできる。

この空間はどこだ、そうだ、自分はいま、本を読んでいるのだ。
ここはバス停だ、誰も私の講義を聞かないし、私の心の声がうるさいとも思わない、
一人でに創作をしていることにも気がづかない。
だからこそ、メモ帳は私の世界であって、読書は私に偽物の世界を教えてくれるのだ。

私は講義している、現代のありとあらゆるものが気にくわない
気にくわないまま、年だけとってしまった、
サンダルとアロハシャツと、短パンの老人が、独り言でぶつぶつと、抗議している。
これまでの人生、教養も知識も知恵も何もない人生。
何かひとつでも、変える事はできなかったのか、と。

雑音の中で、年老いた先で、やっと無音を手に入れた。

老人と街の喧噪と無音

老人と街の喧噪と無音

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-16

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