こわれて

『ねえ…』
『お願いだから私を食べて』
『髪の毛一本残さずに…』
『理由は…』
『ただ最後まであなたをみていたいから』
『だから上手に食べてね…』

男と女の想いが呪縛のように締め付ける。
男と女の歯車が噛み合った時、行き着く先にあるものは…。

愛のかたち

『ねえ…』

『お願いだから私を食べて…』

『髪の毛一本残さずに…』

『理由は…』

『ただ最後まであなたをみていたいから…』

『だから上手に食べてね…』



一の章酒場にて



木目調の全体的にヤニで煤けた店内。

でも嫌な感じはしない。こういうレトロな雰囲気を好む人もいるのだろう。

見る人が見れば、以外と当時としては凝った良い造りと感心するかもしれない。



カウンターに座り、といってもカウンター8席のこじんまりした店だが、まだ時間が早いのか他に客もなく、音もない、止まったような空間で酒を飲む。

タバコの煙だけが、換気扇に向けて流れていく。



「すみません、お客様。私も一本よろしいでしょうか?」



唐突なバーテンダーからの言葉に、男はグラスから顔を上げる。



「あ、どうぞ吸ってください。それとマスターも一杯どうですか?」

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えてラムをいただきます」



バーテンダーは小さなロックグラスに茶色の酒を注ぎ、男に向かいグラスを掲げる。

男もそれに答える。



「すいません、あまりお酒に詳しくないのですが、それは何ですか?」



バーテンダーがラムと言ってるのになんて間抜けな質問だと、言ってから後悔したが、男は誤魔化すように自分のグラスに口をつけ、バーテンダーの言葉を待つ。別段バーテンダーの飲む酒に興味が有った訳でもないが、このまま会話が途切れて、またグラスに目を落として緩慢に思考することを嫌ったようにもみえる。



「これはハイチのラムです。私の一番好きな酒です」

「ラムがお好きなんですか?さっきおすすめを聞いたら、うちはシェリーの店だとおっしゃったので、シェリーが一番好きかと思いました」



ちょっと釈然としない感じで男は返す。



「もちろんシェリーは好きですよ。とても」



バーテンダーは笑いながら話を続ける。



「でも一番好きなのはこれなんです。これに出会ってこの世界に入りましたから。もちろんこれより美味しい酒はあるでしょうし、うちはシェリーの店ですからシェリーと答えるのが本当なんでしょうが。何て言うか落ち着くし、最後には帰る酒というか。まあ、上手く言えませんが」



そう言ってバーテンダーは思い出したように、そして上手く伝えられないのを流すように自分もグラスに口をつける。



氷もない常温の液体を少し流し込み、男にとってはあまり馴染みのない手巻きタバコを作り始めた。

器用に手で巻いていく。男が見慣れているものよりは細身だが、フィルターもある外見は普通のタバコが出来上がった。



「もしよろしければ、お客様も一本いかがですか?」

「いいんですか?」

「はい。まあ、一杯のお返しには足りないかと思いますが」



バーテンダーは二本目をまた器用に巻き始める。

男がどうぞと差し出されたタバコを繁々と見てからくわえると、バーテンダーが良いタイミングでマッチをすり、火をつけてくれる。その残火で自分にも火をつける。

軽く吸い込むと、柔らかく、ほんのり甘い煙が口を通して鼻孔に抜ける。



「不思議です。今まで吸ったことがない味わいです。これは特別なものですか?」



まさか怪しいものでもないだろうが、そして仮にそうだとしても、今の自分にはその類いのものが必要なのかもしれないと感じながら尋ねた。



「まあ、特別というか。市販のタバコ葉にシェリーの一番甘いタイプをちょっと垂らして馴染ませました」

「なるほど。じゃあ、この甘い香りはそのシェリーのせいなんですね」



残念ながらその類いのものではなかったが、妙に気持ちがゆったりする。



「よろしければ、どうぞ。試飲程度ですが」



バーテンダーは小さなグラスに濃い、何と言うかプルーンのような酒を注ぎ、男の手元におく。



「シェリーのタイプ、ペドロヒメネスといいます」



男はその黒に近い茶褐色の酒を口に含む。



「甘い!干し葡萄のようです。飲み口も滑らかで、ベタですが、ビロードのような」

「タバコと合わせてみてください。煙が最高のツマミになりますから」



この御時世にありえないような言葉を出し、代わりに甘い煙を旨そうに吸い込む。

男もそれにつられて、少し流し込み、タバコを吸う。



「本当ですね。いつも惰性で吸ってたのに、こういうやり方もあるんですね。ラムも葉に染み込ませたりするんですか?一番好きだと言ってたので」

「ラム含め、熟成感のあるお酒は合いますね。ただこれがタバコに関しては気に入ってるんです。煙にボディが出る分、ラムとかウイスキーにも合うし。もちろん葉巻でも良いんですが、私はこれが好きです」



これがきっかけだったのか、バーテンダーは男に話しかける。



「お客様はこちらの方ではないですよね?お仕事か何かでこちらに?それとも待ち人ですか?」



男は即答せずにグラスに目を落とす。



「あ、すみません。普段はこんな詮索しないんですけど。あれ?私どうしたんだろう」

「いえ、いえ、そんな謝らないでください。こっちこそ、そんな大したあれじゃないのに黙っちゃって」



男はグラスの酒を少し飲み、口を開く。



「仕事ではないんです。まあ、観光に近いかも。どうしても来たかった街だったので」

「そうですか。で、いかがですか?この街は?」



バーテンダーの問いに、男は何かを思うようにゆっくりと答える。



「今日の朝一に着いて、駅からこの辺までぶらぶらしてました。僕は駅前よりこちらの古びた感じが何か落ち着きます。あ、失礼しました。古びたは違いますね。何と言うか…。歴史ある?」



バーテンダーは少し笑い、



「失礼じゃありませんよ。お客様の言うとおり、古びた飲み屋街ですよ。二十年くらい前まではこの辺がメインでしたが、段々駅前の方に流れちゃいましたね。今じゃ店の数も勢いも大分なくなりました。お客様のように県外の方はこちらの方が風情があって良いと言ってくださるんですけどね」



男は風情という便利な言葉が出なかったことをちょっと悔やみ、先程から気になってることを聞く。



「ところで、店のドアはいつも開けっ放しなんですか?」

「そうなんです。いつも開けてます。ひょっとして寒いですか?」

「いや、大丈夫です」



別段ドアの開いてる店は珍しくもないが、この時季となるとあまり見かけない。男はそれで不思議に思い聞いてみた。



「出来れば年中開けていたいんですが、もうすぐ閉める時季になりますね。開いてるとお客様のように飛びこみがあるのでありがたいんですが。なんせ店構えが古いんで、ドア閉めると入りづらいと思って」

「結構多いですか?そういうお客は?」

「はい。うちの場合は県外の方が多いですね。見えるんでバー目当てのお客様には分かりやすいですからね。まあ、うちはバーというより酒場ですけどね」



バーテンダーは最後自嘲気味に言い話を続ける。



「逆に地元のお客様は嫌がる方が多いですね。外から見られるのが嫌というよりは、なんでしょう、開けて入りたいというか。そっと覗いてから入りたいみたいな。県民性なんでしょうか」



ずいぶん内向的で不思議な県民性だなと思いながら、男はまた聞く。



「県民性云々はともかく、地元に合わせて商売した方が楽じゃないですか?それなら。もしくはどうしても見せたいならガラスにするとか」

「そうですね。でも、この重そうな木のドアをガラスにすると店のバランスが崩れますから。私の好きな店の。開けてるんだから関係なさそうと言われればそれまでですが。それにいくら見えても、一枚あるとないとじゃ大分違いますからね」



そういうものかと、なんとなく男は納得する。



「この店はマスターの年齢にしては古いですけど、継がれたんですか?」

「いえ。ただ空いてたので、そのまま居抜きで借りました。先代の方とは面識はありませんでしたが、一人でやるにはちょうど良い広さだし、一から造ってもこの雰囲気は出せませんからね」



会話の空気も暖かくなってきたと思ったのか、バーテンダーはさっき詮索した理由を男に話す。

県外客なのは雰囲気で分かる。仕事ですかと聞いてはみたがそんな感じではないのも分かる。何か漠然と人を待ってるような。本当にいつもは詮索じみた会話はしない。それがこの仕事の大事なところだから。でも貴方には何故か聞いてしまった。



男はバーテンダーの話を聞き終えると、迷った顔をして、ため息混じりに話す。



「まあ、観光というよりは、好きな人の地元だから見てみたかったというのが本当です」



男はグラスの残りの酒を飲み干し、また話始める。



「いなくなったんですよ。そう消えたんです。今でもいるような感覚なのに、すぐ隣に温もりまで感じるのに。いなくなってしまったんです」






『私はずっとあなたといたい…』

『本当よ…』

『あなたもそう思ってくれてるわよね?』

『だったらお願いだから…』

『私を食べてね…』



二の章出会い



女の舐める音が聞こえる。

舌を這わす度に男はびくっとなりくぐもった声をあげる。

大きな声を出したいが、まるで声を出したら負けだと思ってるような、それとも声を出したら己が崩壊し、自分でも見たことがないような、そう、女性的な羞恥をさらけだしてしまいそうな恐怖と葛藤するように男はくぐもった声をあげる。



「我慢しなくていいんですよ。だって、まかせるままに声出した方が気持ちいいですよ」



女は男の首筋から乳首に舌を這わせながら、けして休むことなく舌を這わせながらそう言う。

男の心情に気づいたように。


舌は脇の下から肘の内側に、優しく流れるようにうつる。

男は肘の内側がこんなにも、女性でいう『感じる』ということがはっきり分かる部分だと初めて知る。


そこが男のポイントだと感じた女は、優しく、そして激しく、舌先を這わせる。

その間、女の左手は男の乳首をなぶり、右手は男の内腿に這わせる。



「ねえ、気持ちいいでしょ?声あげちゃいなよ。ほら、もうすぐ大きくなったの握ってあげるから」



女の言葉通り、内腿を揉みほぐすように手は男の根元に近づいてくる。

男は期待と羞恥に根元に触られるのを待つが、女の手は焦らすように触ろうとはしない。



「ねえ、今早くしてって思ってるでしょ?まだダメだよ。その前にもっといいことしてあげるね」



女は男の脇腹を舐めながら自然に、男はなすがまま裏返される。

舌はうなじから背骨にそうように這い、肩甲骨、そして腰へとくまなく這わされる。

男はくすぐったいような気持ちいいような感覚に震えながらシーツを強く握る。



「今からいいとこ舐めてあげるね」



女はおもむろに男の臀部を広げると、躊躇いもなく間に舌先を這わした。



「はうっ!」



男は激しく波打ち、平時に聞いたら情けなくなるような声をあげる。



「あっ、あっ、くっ!」

「そ、そこはやめて…ください…」



女は構わず舌を這わせ続ける。



「ダメ…。だって気持ちいいでしょ?ほら」



舌先を尖らせ男の穴を責める。



「ほら、今度は腰あげて」



男は言葉とは裏腹に素直に腰をあげる。

男の根元は痛いぐらいに起っていた。

後ろから廻された女の手は乳首をなぶっていたが、ゆっくりと下に這わせてくる。



臍を経て、女の手は男の先に触る。

握らずに、男の先から出た液を、柔らかい指使いで全体になじませるように。


男はもう声をあげ続けていた。ほんの前の葛藤などなかったかのように。



「恥ずかしいです!そんなとこ!あっ…」



女の手は、男のものを優しく上下に擦る。そして舌は男の袋に這わせがらがら。



「ひゃっ…。うっ!くう…」



女は仰向けに男の股の間に顔を入れると、男の先に舌を這わせ始める。


先全体を丁寧に舐めあげると、それを口に含める。含めながら舌を這わせる。

男は声をあげ続ける。


女は今度は男を仰向けにし、男のもの全体を舌全部を使って舐めあげる。

そして男のものをゆっくりと、飲み込むようにくわえていく。


男は羞恥に震えながらも、女の顔を見る。

あれをそんなに深くまで。あっ、唾と液が混ざってぬらぬらしてる…。うっ、手はそんなところに…。なんて卑猥な音がするんだ…。わざと聴かせてるのか…。


男の微睡んだ思考の中、女はふと上目遣いに妖しく男をみやる。

その女の眼にみいられて、男はさらに茫我へと堕ちていく。


女は男の眼を見ながら徐々に激しく顔を動かす。

それに合わせて、男の声も激しくなる。



「ダメです…。もう、もう出そうです…!」



女は激しく動かしながら、



「ん、ん、いいよ、出して、いっぱい…」



逝った。男は頭の中に白い火花一色になり、果てた。




男の胸に顔を乗せながら、女は寄り添っている。



「私ばっかり責めちゃってゴメンね。いろいろしたかったでしょ?」



男は女の髪のにおいをかぎながら、行為を思い出していた。

始まりの優しいキスから果てるまでを反芻するように。



「それはそうなんですが…。あまりにも経験したことないことばかりで…。すいません、余裕がなかったです」

「こういう所は初めて?まさか童貞じゃないよね?」



女は優しい笑顔で聞く。



「童貞ではないんですけど、こういう所は初めてです」

「そうなんだ!じゃあ、私が初体験の相手だね!おめでとう、風俗デヴュー!」

「何かその言い方も…」



屈託なく言う女の顔を男は見る。

始まる前は余裕がなく、今まじまじとやっと見ることができた。

女はかわいい部類には入るだろうが、何処にでもいそうな普通の顔立ち。眼を除けば。

眼の造りが変わっているとかではなく、何と言うか、魅入られる。何でも言うことを聞いてしまいそうに。

それ以外は身体も細身で胸がそんなにあるわけでもない。

ただ眼に魅入られる。

我を失う程に。



「もうすぐ時間だからゆっくりできないけど、また来てね。ここに来るときは必ず私を指名して。約束よ。私はあなたの初めての女なんだからね」


女はやや長めのキスをすると、最後に一言付け加える。



「営業じゃないから!本当にあなたに逢いたいの…」



魅入られる。

男は思う。また魅入られに来ると。







『あなたは拒めないし、拒まないわ…』

『だって、あなたも求めてるもの…』

『眼を見れば分かるわ…』

『あなたは私を美味しそうに食べるわ…』



三の章友人



随分昔に駅前が開発され、当時は洒落た街としてメディアや雑誌にも取り上げられた。


今でもその名残があるし、他の開発が次々と行われるせいで、メインとして扱われることは少なくなったが、逆に落ち着き、大人の街になった感がある。


そんな街の駅前の大通りをはさんだ、大手銀行の裏に、男の行きつけの店がある。

昔は下町だった名残を今でも残す店構え。

ビールケースを積んでテーブル代わりにしたものが6つと、コの字のカウンターに、まだ早いにも関わらず今日も立ち飲み客がひしめいていた。


カウンターの炭場の方を見ながら友人は言う。



「しかし、こんな時間からよく人が入ってるよね。まあ、うちらも他人のことは言えないけど。あ、すみません!皮二本タレでください!お前も食べるだろ?」



ウーロンハイを飲みながら男は頷く。

お互いの職場も近いこともあり、友人とは良くこの店で飲んで、とりとめのない話をダラダラする。

注文はいつも友人任せ。別に好き嫌いはないし、食べるペースや量もお互い合う。

楽なのである。

男と友人は大学の同期だった。

そんなに友達のいない男にとって、この友人は一番の親友になるだろう。


友人はタバコに火をつけ、一口吸うと上に向けて煙を吐き出す。



「どう?少しは落ち着いた?」



友人はここ最近会うたびに、挨拶代わりにそう聞く。



「まあ、何とか。相変わらず部屋にはなにもないけどね。でも、それが落ち着くんだよね」

「お前さあ、テレビくらい買ったら?ていうか冷蔵庫すらないんだろ?それぐらい貸そうか?」

「いや、いいよ。確かに部屋借りるのに使ったけど、手持ちがないわけじゃないから。それに本当に落ち着くんだよ。暫くはこのままでいいよ」



友人はちょっと渋い顔で返す。



「それにしたってお前、何かただでさえ覇気がないのに、余計薄くなってない?遠慮すんなよ。俺は大学の時、散々お前に世話になったんだから。ちょっとは返させろよ」

「そんなのいつまでも恩にきなくていいよ」

「じゃあ、ここは俺の奢りだ!好きなだけ飲んで食いなよ!」



男は軽く笑って言う。



「じゃあゴチになるよ。悪いね」



友人は真顔になり、男に言う。



「早く忘れろ。あんな別れかたしたから未練はあるかもしんないけど。次だ次!」



友人の言葉に男は頷くしかなかった。


男には学生時代からの彼女がいた。

周りからは何でお前にあれがくっつくんだと、かなり揶揄もされた。

男も不思議だった。釣り合いでいえば、勿体ないくらいの彼女だった。

明るく、行動的で社交性もあり、容姿も良い。

男と比べて友人知人も多く、後輩の面倒見も良く、上からの信頼もある。

それが講義で偶々隣になり、それから何となく挨拶する程度の男と付き合うことになるとは誰も想像しなかったし、付き合ってる時にも誰も信じなかった。


劇的なきっかけが有ったわけでもなく、恋愛的には普通のプロセスだろう。

何回かデートを重ね、普通に告白。そしてセックス。

ただ主導権は常に彼女の方だっただけである。

どういうわけか、彼女からのアプローチでそうなってしまった。

男は流されるままに、気づいたらそうなっていた。


卒業してお互い就職も決まり、二人は同棲を始めた。

男は流されたとはいえ、彼女のことをとても大事に思っていたし、きっとずっと一緒にいれると漠然と思っていた。


だが多少の引け目と焦りも感じていたかもしれない。

こんな自分と一緒にいてくれるなんてと。

早く釣り合うようにならなきゃと。


ケンカすることもなく、お互い仕事にも慣れてきて、男にとっては心地好い日々が数年続いたある日、別れが来る。



「何か飽きた」



突然の一言だった。



「今あなたの他に男いるから別れて」

「家も出ていってね」



たったそれだけである。

男は理由も聞けない、怒りをぶつけることもできないまま家を追い出された。

ほんの数秒で何もかも変わってしまった。

いくら考えても理由が見当たらない。

上手くやってたじゃないか。

考えればあれもこれも理由に思えるし、そんな事はないはずだとも思える。

そもそもいつから男がいたんだ?それに気がつかなかったなんて。世の中の男は皆気づくものなのか?何で自分なんかを好きになったんだ?そして何で嫌いになったんだ?せめて理由を教えてくれよ!


男は友人を頼った。

友人は黙っていつまでも話を聞いた。

男の整然としてない話を黙って聞いた。

彼女にぶつけられなかった想いを受け止められるわけはないが、男に吐かせることで、少しでも軽くなればと。

そしていつも以上に、時間が合えば男を誘うようになった。

また溜まったものを吐かせるために。


友人は今日の男にいつもと違う違和感を覚えていた。



「お前さあ、何かつかれてない?」



男は呆れたような不貞腐れたような顔で言う。



「そりゃあ、疲れもするよ。お前が一番分かってるだろ?」

「あ、いや、そうじゃなくて、『憑きもの』の憑く」

「何かに憑かれてない?」

「は?何だよそれ?お前宗教系にでもはまったのか?いいよ。お前の頼みなら入信してやるよ」



男は呆れ笑いで言うが、友人は男を真顔でみやり、更に続ける。



「お前、霊感って信じる?別に宗教とかじゃなくて。俺たまに感じるんだよ。まあ、便利に霊感って言ってるけど、上手く言えないけど、人のオモイみたいな。今日のお前からは何か感じるんだよ。最近何かオモイを貰うようなことなかった?」



何言ってんだかと流そうとした男の頭に、あの風俗嬢の眼が浮かびあがる。

魅入られた眼。

男はそれを振り払おうとするが、その眼は頭から消えない。

男は黙りこむ。



「お前思い当たるふしあるんだろ?話してみろよ」



男は躊躇する。

まさか風俗に行って、そこの風俗嬢の眼が今頭から離れないとは、さすがに友人にも…。



「いいから言え!お前ヤバイことになるぞ!」



友人の語気を荒げたもの言いに、男はしょうがないと渋々話始めた。



「実は、こんなことお前にも話すのも引けるんだけど、風俗に行ったんだ。初めて」

「まあ、きっかけはお前なんだよ」



友人は怪訝な顔をするが、黙って促す。


きっかけは別れてから何回目かの友人の誘いの席だった。



「お前ら結局何年付き合ったんだ?大学二年の頃からだから、七年くらいか?」



男ははっきり覚えてるくせに、そんなのいちいち覚えてないような顔で頷く。



「お前は将来はやっぱり結婚とか考えてたんだろ?付き合った期間もそうだし、周りもチラホラしてるしな」



「まあ、それは考えてたよ。漠然とだけど…」



男は飲みかけのジョッキに目を向けたまま顔をあげない。



「そうだよな。それは考えるよな」

「あんまり聞きたがないが、お前の今後のことも考えてあえて聞く。ちゃんとセックスしてたか?」



男は驚いたように顔を友人に向ける。



「別に驚く質問じゃないだろ?まあ、俺とお前の間でこんな話したことないけどね。あ、俺は話してたか」



友人は笑ってジョッキを煽る。

男と友人は親友と呼べる間柄だが、こと下の話はしたことがなかった。

というより、友人は話すが、男はどうも友人といえども、自分だけならいざ知らず、彼女のことまで断りもなくさらけ出すみたいで抵抗もあり、聞かれても流していた。



「なんでそんなことお前に…」



男は弱々しく呟く。



「もう別れたんだし、話したって構わないだろ?どういうわけか俺は彼女にあまり好かれてなかったから会うこともないし」



男は会う会わないの問題でもないと思ったが、きっと友人は話すまで引かないとだろうと感じ迷った。



「結構大事なポイントだと思うよ」



友人のその言葉に促されて、男は重い口を開いた。



「お前の言うちゃんとは分からないけど、してたよ」

「別れる前、直近はいつ?」



友人の問いに男はふと考えこむ。

セックスはしてた。いや、したことがある程度ではないのか?

付き合ってた年数を考えれば少ないかも。そういえば別れる前二年くらいしたことなかったような。

男は思考を遡り、ようやく不安げに答える。



「二年くらいまえかも…」



呆れられるかと思ったが、友人は冷静な顔で男に返す。



「そうだろうな。お前みるからに淡白そうだもんね」



男は声にならない反論を頭に響かせる。

そんなことはない。俺だって男だ。セックスだってしたいし、オナニーもする。

だが、男の頭をよぎる。本当にそんなにしたかったのか?

俺は一緒にいるだけで満足して、そこで満ちてしまっていたんじゃないか?

その考えを読んだように、友人は持論だと前置きして話始める。



「最初は愛情や快楽の行為かもしれないけど、長くなると義務になる。その義務感すらなくなると、終わるパターン多いよね。義務感持って、愛情や快楽というよりも情に変えてでも、定期的にする。やっぱり好き嫌い淡白関係なく、長く続けるにはセックスは大事だと思う」



男は黙って聞く。



「まあ、何で繋がってるかにもよるんだろうけど。例えば金、もしくは子供とか。そういうの別れない理由にもなるんだろうけど、セックス無しのそれだけだと、結局どっちか浮気するよね。皆とは言わないけど、確率高いと思うよ。リスキーでも満たされない欲を他人で埋める。もちろん結婚と恋愛は違うだろうし、ばれずに上手くやってるやつらもいるんだろうけど。どちらにしてもやっぱりお互い肌合わせて確認するって大事じゃね?」



友人は更に続ける。



「ほとんど毎日しても飽きないやつもいれば、質を求めるやつや、まあ、上手くないけど頑張ってる感が好きなやつとか。なんにしろ、やっぱり定期的にしないとダメなような気がする」



男は友人の話を聞いて思う。

俺は確かに回数もなかった。テクニックってなんだ?俺はダメだったのか?AV観て勉強すればよかったのか?



「浮気は満たされない気持ちだけじゃなくて、満たされない欲でもするからね。きっと。人間の三大欲だろ?下手で満たされないのをカヴァーするのがお互いの気持ち。回数肌合わせてたら、愛情が冷めても情が生まれる。いくら義務といってもやってやってるだと情がない。それだとダメになるだろうけど」

「まあ、そういう飽きないようにいろんなプレーあるわけで。お前もこれからまた彼女ができた時の為に、今せっかくフリーなんだからちょっとはっちゃけたら?」

「はっちゃけるって。俺は…」

「まあ、お前のことだから引っかけて遊べる訳もないし、風俗とかどう?これが可愛いのが結構いるんだよね」

「お前行ったことないだろ?なんなら一緒に行く?」



男は答えなかった。





友人は男の話を聞いて思い出した。



「なんだよ。誘ってくれれば良かったのに」

「誘える訳ないだろ」

「んで?どうだった?良かった?」



男は沈黙する。言える訳がない。

友人はそれでも楽しそうに聞いてくる。

男はさっきの真顔はどこ行ったんだよと内心思うが、根負けしてポツリポツリと答え始めた。


ネットで調べてみたものの、何処が良いか分からずに適当に店を選んだこと。

その店は古いビルの中にあったこと。

女の子は店のお任せにしたこと。

詳しいプレー内容は言わなかったが、初めての経験が多くびっくりしたこと。

女は本来皆ああなのかと思ったこと。

自分はただ身を任せていただけだが、確かに幅は広がるのかと思ったこと。



「女が皆風俗嬢みたいなことする訳ないだろ。あれはお仕事だからね。まあ、しようと思えばできるんだろうけど」



友人は笑って言う。



「ひょっとして、はまったのか?」

「まさか…」



男は強く否定できない自分を感じつつ、弱く答える。



「しかし、そんな風俗行ったくらいで憑くかね。最近他に何かないの?」

「別にそれ以外は普段と変わらないけど」

「そうか。そこでもらったのか、それとも俺が視誤ったか」



男は不安と確認の意味を込めて聞く。



「お前、本当に視えるというか、感じるのか?」

「ああ。どういうわけかね。さっきも言ったけど霊感なんて便利な言葉使うけど、別に幽霊が視えるわけじゃないし。ただ、悪い空気を感じるみたいなね」

「俺からそれを感じると?」

「そうだよ。だから心配になって聞いたんだよ。しかし、落が風俗デヴューとはね。俺の見立ても落ちたかね」



男は言えないでいた。

あの眼に魅入られたことを。

そして、友人の懸念は多分当たっているだろうと。

そして、もうそこから逃れられない気がすることを。





『ようやく出逢えたの…』

『ずっと待ってたのよ…』

『本当の意味で私を満たしてくれる人を…』

『逃げないでね…』

『好きに食べていいんだから…』



四の章誘蛾灯



薄暗い、男と女の淫香が漂う部屋。

消臭剤で誤魔化しても、決して消えることなく漂い続ける匂い。

幾多の男と女の匂いの粒子が混ざりあい、部屋そのものを成しているような、そんな空間。


男は今、そんな空間に新たに自分と女の匂いの粒子を混ぜ合わせ、そして継ぎ足していく。



「あっ…、んっ、そうよ、あなたの好きにしていいのよ…」



男は女に覆い被さり、耳から首筋に向かい舌を這わせる。

左手は女の乳房を揉みながら、右手は女の頭を抱く。

男の動きはぎこちない。

初めての時に女が男にしてくれたようにしようとするが、上手くいかない。

男は焦る。

好きにしていいと言われても、何をしていいか分からない。

今考えれば男のセックスは、雑な愛撫と入れて果てるだけの、自分よがりな単調な行為だったのだろう。

だから分からないなりに、女がしてくれたことをなぞろうとする。きっと、そうすれば女も感じてくれると思い。

すがるように。

男の荒い息づかい。



「大丈夫よ。ゆっくり。そうよ、やさしく」



ああ…。

くっ…。

んっ…。

徐々に女の声は、男の愛撫に合わせて響くようになる。

男はその声に合わせるように、さっきより幾分流れ良く愛撫を続ける。

男は思う。

女の掌で踊らされてるようだ。

俺は猿だ。

女の声でのせられ、そして芸をする猿だ。

でもそれでいい。

今は女の声を途切らせないように、この淫靡な声を聞き続けるために。


男の手が、女の軽く開いた内腿を撫で上がり、そして秘部にそっと触れる。



「ああ…」



女はビクンと身体を震わせ声をだす。

男は触るか触らない程度の軽さで、秘部の突起をさする。

女の声が徐々に激しさを増す。

男は少しだけ力を強めて、更にさする。

女の秘部は、それに合わせるように液を溢れさす。

その液が潤滑油となり、女の突起は男の指をスムーズに滑らせ、熱く膨らみ、それにより感度をあげていく。



「いいわ…。そのまま続けて…。お願い…」



ああっ、ああっ…。

女の声が更に大きく激しくなり、それにつられるように男の息づかいも荒くなる。

愛撫する男も、女の快楽を分け合うように自分も感じる。

男のものは、なにもされてないのにいきそうなほどいきり起っていた。

女は喘ぐ。

男も喘ぐ。

そして、女は一際大きく喘ぐと、身体を大きく痙攣させていき果てる。

小さな痙攣を続ける女の上で、男は覆い被さったまま、自身もいき果てていた。


男にとっては初めての経験。

直接弄られたわけでもないのに、女の腹の上に液を飛び散らしていた。

快感のシンクロ。

彼女とは味わうことがなかった、別の次元にいったような感覚。

女はまだ息の荒い男の頭を抱き寄せ、耳許で囁く。



「ねえ、まだ大丈夫でしょ?今日は時間もあるし。入れて…。あなたのを」



その言葉に反応するように、今いったばかりの男のものは跳ねあがる。


男は女の秘部にむしゃぶりつくように舌を這わる。

はあ、はあ、息づかいの音と、ぴゃちゃぴゃちゃ、じゅると唾液と愛液の混ざりあったものを舐めあげすする音。

男は女の秘部に指を入れる。

熱く濡れそぼった中を荒々しくかき混ぜる。

女はその激しさにもかかわらず、痛がることもなく、合わせるように声をあげ続ける。

びちゃびちゃ。

かき混ぜる度に音が卑猥になっていく。

たまらず女は叫ぶ。



「入れて!早く入れて!」



男は硬くなったものを一気に突き刺す。

ああ!

熱く、たっぷりと濡れた女の中を男は感じる。

男のものを女の中は締め付けてくる。

絡みつくように。

入れただけで果てそうになるのを男は必死にこらえ、男は無我夢中に腰を動かす。

女は男にしがみつき、男の腰の動きに合わせるように、声をあげ、腰を合わせる。

動かす。

合わせる。

喘ぎと汗と荒い息。

二人は無我の中で、同時にいき果てる…。


「ごめん、中に出しちゃって…。店的にヤバイよね…」



女は笑いながら男の髪を撫でる。



「大丈夫よ。こういう店の子は皆ピル飲んでるから。それに店的には入れるの無しだけど、私がどうしても欲しかったから」

「それとも病気心配してる?一応毎月検査はしてるけど。それに店で最後までさせたのはあなたが初めてよ」



女は男の眼をじっと見てくる。

男はその眼から視線を反らせずにいた。


段々顔の輪郭が溶けていき、女の眼だけが写る。

まるで男を丸ごと飲み込むように。

魅入られる。


男は思考が緩慢となるのを感じながら飲み込まれていく。

もう反らすことはできない。



「どうしてかなあ?まだ二回しか逢ってないのに、すごくあなたが愛しいの」



女の口ではなく、眼が優しく語りかけてくる。


男は黙って頷く。

自我は忘却の彼方に。


ただ光に引き付けられる蛾のように。

ゆっくりと飛び込み、そして堕ちてゆく。

男にとって心地よく淀んだ暗い沼の中へ。





『私をどうやって食べてくれるの?』

『ちゃんと料理してくれなきゃイヤよ…』

『全部あなたのものよ…』

『他の人にはあげないでね…』

『あなただけのものよ…』



五の章女



この古いビルに入るのは、もう何度目になるだろう。

男は女の許に通い続ける。

そして肌を重ね続ける。


もう自分でもどうすることもできない。

ただあの眼に語りかけて欲しくて。

淀んだ快楽に溺れる。


息苦しいほどの悦楽と退廃を伴い。


女は男に語り始める。

自分のことを。



「私が産まれた街は、大昔は活気のあった港町だったのよ」

「もちろん私はその時生まれてないけど」



女は無邪気に笑いながら話す。



「明治の頃は日本一の人口だったのよ。今じゃその影もないけどね」



男は黙って聞いている。

女の言葉を一言一句洩らさぬように。



「私は古い繁華街で育ったの。昔は花街で今でもその名残があって、子どもの頃はすごく活気のある街だったのよ」

「学校の帰り、道でよく芸妓さんとすれ違ったわ」

「昔は芸妓さんも全国的に有名だったんだって。今じゃ廃れて、何とか復活に力入れてるみたいだけどね」

「今は駅前の方に人が流れて、昔ほどの活気はなくなって大変みたいだけど」



女は懐かしむような顔で話す。



「私は兄と二人兄妹で、三つ上の兄がよく面倒みてくれたわ」

「両親は小さい居酒屋をやってて、お父さんの腕が良かったのか人柄なのか、繁盛店だったのよ」

「だから私達兄妹はなに不自由なく、街の人達も皆優しかったし、楽しく暮らせてたわ」

「私ね、女子校だったの。うーん、ランクは中位かな。でも伝統ある学校で、おばあちゃん、お母さん、娘みたいにずっとその学校って子が何人もいるのよ。すごくない?」

「友達は多い方ではなかったけど、皆好きだったわ」

「彼氏はいなかったわ。これでも別の学校の男の子に告白されたこともあるのよ。好きな人いたから断ったけどね」



女の好きな人という言葉に、男は少し反応する。

昔話なのに、何だろう?この嫉妬にも似た気持ちは…。

相変わらず眼に語られながらも、男は自身の感情に複雑な思いを抱く。



「その好きな人とは結ばれたけど、結局彼は私の願いを聞いてくれなかったの」

「あんなに愛しあっていたのに。彼は私から逃げたの」



男は嫉妬に似たのではなく、はっきりと自分が嫉妬しているこを認識した。

決して綺麗ではなく、どす黒い感情の炎が燃え上がる。

俺なら逃げない。

男は無意識に言葉にしていた。



「ありがとう。あなた優しいのね」



女の眼が男に語りかける。



「お店じゃあなたに負担がかかるわ。連絡先教えて」

「今度は私の部屋に来てね」

「もっとあなたと一緒にいたいわ」



眼が怪しい優しさで男を絡めとる。

男は逃げられない。

いや、逃げない。

男はそれを望んでいるから…。






『私を感じて…』

『私はあなたを感じるわ…』

『終わりなんてないのよ…』

『ずっと一緒よ…』

『さあ、早く私をめしあがれ…』



六の章対峙



友人は改めて男をみる。

ダメだ。

益々重くなってる。

何に憑かれた?

破滅の匂いがする…。

最近呼び出しても、男は断ってばかりいた。

こうして会うのは久しぶりであった。



「どうよ?最近は?」

「変わりないかい?」



いきなり本題には入らずに、友人はじっくり探りを入れることにした。



「見ての通り元気だよ。もう彼女のことも吹っ切れたしね」


男はいたって普通に返す。



「そうか。それは良かった」

「じゃあ、前進に乾杯!」



友人はジョッキを掲げる。

男もそれに合わせてジョッキを掲げる。

友人は思う。

いっけん普通だし、誰が見てもそう思うだろう。

だが、確実に憑かれてる。

見立てに間違いはなかった。

しかし何が…。



「ところで、風俗はたまに行ってるのか?」

「はまってんじゃないのお?」



友人は揶揄するように聞く。

男に違和感を覚えたのは、風俗に行った話を聞いた時だ。

その時は原因は分からなかったが、間違いなく風俗はからんでると今は確信している。

男は自嘲気味に答える。



「あのさあ、そんなに行けるわけないだろ?金が続かないよ」

「そうなのか?まあ、それなら安心したよ」

「進めた手前、はまってたらどうしようかと思ってさ」



男は、ない、ない、と首をふる。



「まあ、でもたまにならいいんじゃね?」

「そうだね。悪いとこではないね」

「良い女でもいたかい?」



男は少し黙りこむ。

友人は考える。

場所に憑かれたか、女に憑かれたか。それとも両方か。

淀んだ場所に行けば、色んなオモイの集合体にあてられることもある。

場所なら行かなければ良いだけの話だが、女となると厄介か。



「あれ?いたなこれは!」

「いや、そんなんじゃないよ」

「まあ、話せよ」



友人はなるべく茶化すように聞く。

男が話しやすいように。

警戒されないように。



「正直に言うと、何回か行ってる。あ、でもそんなには行ってないよ」



友人は続けるよう笑って促す。



「お前にこの間話した初めて行った時の子に、まあ、会いに」



友人はその女が元凶だと察する。

男はそんなにはと言ったが、短期間にかなりのめり込んでるであろうことも。



「おい、おい、そんなに気に入ったのか?俺にも紹介してくれよ。お前がハマるテク俺も味わってみたいよ」



友人は冗談めかして言うが、男の顔色が変わった。



「ふざけるな!彼女は俺のものだ!」



男はジョッキをテーブルに叩き付けるように置き、語気をあらげた。



「悪い。冗談だよ。そんな怒んなよ」



男はふと我に帰り、取り繕うように叩き付けたジョッキにもう一度口をつける。



「いや、こっちこそごめん」



友人は真顔になり、男に諭すように言う。



「少し俺の話しを聞いてくれ」

「お前が誰に惚れようがハマろうが、それはお前の自由だ」

「でもな、彼女の職業は風俗だ。もちろん職業に貴賤はないと思う。お前と彼女が良ければそれは構わない」

「だかお前が一時の快楽を勘違いして、女にのめり込んでるとしたら、ちょっと冷静になれ。彼女はそれが仕事なんだ」

「彼女は仕事と割りきってサービスもするし、お前に良いことも言うだろう」

「良く考えて、お前の一人歩きならやめろ」

「何度でも言うが、仕事なんだ」



男は震えながら、独り言のように言う。



「彼女は違う。俺と彼女はひとつになんるんだ…」

「そして、ずっと一緒にいるんだ…」



友人は回りくどい説得は諦めた。



「俺はお前に憑かれてるって話したの覚えてるだろ?」

「それは、その女だ。そいつが元凶だ」

「その女はやめろ。お前だって分かってるんだろ本当は?」

「どういう形になるか分からんが、結末は最悪だぞ。いいのかそれで?」

「俺はやだね。お前が堕ちるのはみたくない。頼むからやめてくれ」



男は少し笑って答える。



「仮にもしそうだとしても、もう止まらないよ。それに結末なんてどうにでもなるだろ?お前の得意の霊感擬きも当てにならないかもしれないし」



男はテーブルに札を置き、立ち上がる。



「悪い。今日はこれから用あるんだ。じゃあ」



男はそう言うと、友人が止める間もなく店を後にした。

友人は急いで男の後を追う。



「悪いが、見過ごせないね。間違いなく悪い方に振れてるお前を。なんせ大学時代にお前には世話になったんでね」



人込みを挟んで見える男の背中に向けて、友人は投げかけるように呟いていた。



男は人込みを掻き分けて進む。

早く、早く、少しでも早く彼女に逢いたい。

友人の忠告などもう忘れていた。

早く、早く。

少しでも早く彼女に。

逢いたい。

友人は男を少し離れて追う。

何やってんだ、バカ野郎。

友人は自分に対して思う。

俺が奴に風俗なんて進めなければ…。

俺が必ず戻してやるからな。

俺が憑いてるもん落としてやるからな。


男はビルとビルの間の路地に入っていく。

路地を入ってすぐの古いビルの前で立ち止まり、入り口付近の集合ポストの脇で、壁に背中をあずけて佇む。

中に入る様子はない。

友人は路地を挟んではす向かいのビルから、男を見ている。

男に回りを警戒する様子はない。

男は時計をみる。

端から見たら、待ち人をそわそわしながら、楽しみに待っているようにしか見えない。

男はハッとしたように入り口奥に顔を向けると、顔には安堵の笑顔が広がる。

興奮のあまり、息づかいも荒くなってるのが、離れた友人にも見てとれる。


女が手を振りながら男に駆け寄ってくる。

友人はハッキリと見る。

あの女か。

パッと見はちょっとかわいいくらいの、何処にでもいそうな女。

だが、何だ?あの纏ってるものは。

普通の人は気づかないだろう。

店でついても、また指命する客はそんなにいないかもしれない。

可もなく不可もなく。これくらいならハズレではないか。まあ、良しとしよう。そんな感じ。

テクが有れば別だが、外見だけならそう思う客が多いはずだ。

しかし、あれは…。

あれはダメだ。

何というか、禍々しいオモイ。

波長が合わなければもらうこともないが、きっと男は合ってしまったんだろう。

思ってたよりもヤバいな。

友人は気を引き閉める。


男と女は楽しそうに、手と手を取り合ってこちらに向かって歩いてくる。

友人はビルの隙間に身を隠し、二人が通り過ぎるのを待つ。 どうやら駅に向かうらしい。

友人は考える。

今止めても無駄だろう。

逆に男を刺激する。

あの女に会う必要がある。

会って確かめなければ。

どれくらいヤバイかを。

きっと見た以上に危険を感じるだろう。

果たして、どういう手を打てるのか。

友人は不安を感じながら、女が出てきたビルの方を振り返って見続けていた。




何処の店も内装に差こそあれ、雰囲気や匂いは変わらないなと友人はタバコを吸いながら思う。

薄暗い部屋に、芳香剤と混ざりあった、染み付いて決して消えることのない男達の欲望の匂い。


友人は色々考えたが、ここで会うのが一番良いという考えに至った。

自分自身会って直に感じる。

あの禍々しいオモイを。

ドアをノックする音が友人の耳に入る。

来たか…。



「どうぞ」



友人は不安を隠すように、明るい声で答える。



「失礼します」



明るい声の後にドアが開き、女が顔を覗かせる。



「初めましてえ。今日はよろしくお願いします」



下着の上に透け透けのキャミソールを着ている。

何処の店でもそんなに変わらない格好。

女はにこやかに歩いて来て、ベッドの友人の隣に寄り添うように座る。

女は友人の手を握り、肩に頭を寄せて顔を見やり、甘い声で言う。



「ご指命ありがとうございます。今日は楽しみましょうね」



友人は吸っていたタバコを灰皿で揉み消し、肩の女の顔を見る。

この眼か。

男はこの眼にやられたか。



「こちらこそよろしくね。なあにしちゃおっかなあ」



友人はこういう店に来た時の、いつものノリで答える。



「もう!何してくれるのかな?」



女も明るく返す。



眼と眼が合う。

女は友人に顔を近づけ、キスしようとする。

近づく唇と唇。

触れそうになった瞬間友人は顔を離す。

不思議そうに、顔を見てくる女。



「キスはダメだった?」



友人は、まあ、もうちょっと話そうよという風に、



「いや、違うんだ。焦らずに会話から入るタイプだから。その方が燃えるんだよね。俺は。」

「そうなんだ。じゃあ、何話そっか?」



女は訝しがることなく友人に合わせる。



「なんで私を指命してくれたの?きっとこういう店来馴れてるでしょ?分かるんだからね!」

「バレた?たまに利用するよ。この店は初めだけど。知り合いに聞いたんだ。すっげえ良くしてくれた子がいたって」



女は嬉しそうに答える。



「そうなんだあ、嬉しい!その人にお礼言ってね!そしてまたご指名よろしくって!」

「わかった。言っとくよ」



友人は笑顔で答える。



「何か、独特な雰囲気あるね。上手く言えないけど。良く言われない?」

「ええ、言われないよお。初めて言われたあ」



そうかもしれない。

女が持ってるこの雰囲気は、波長が合ったものや、自分みたいな人種にしか分からないのかもしれない。

そして、波長の合った人間が、女の眼の虜になり堕ちてゆく。


女は相変わらず笑みを絶やさない。

女には悪気はないのだろう。

ただ求めてるのだ。

純粋に。

自分の願いを叶えてくれる人間を。


友人は女を視てそう感じた。

たが、いくら悪気が無いとはいえ、波長が合って女の願いを叶えようとする人間は、きっととんでもないオモイを背負うことになるだろう。

良い願いならいいが、この女の願いは男を破滅させるに違いない禍々しいものだろう。


回りくどいのはどうも性に合わない。

友人は切り出す。



「実は今日は話があって来たんだ」

「え、今お話してるよお」

「いや、そうじゃないんだ」

「俺が話したいのは、昨日ここから一緒に帰った男のことだ」



女はキョトンとした顔になり、



「あ、そうなんだあ。彼の紹介だったのね。そうでしょ?」



友人に問う。

友人は少し間を置いて答える。



「紹介ではないんだ。俺が勝手に来たんだ。奴は知らないよ」

「君と奴について話に来たんだ」



女は真顔になり、男に聞く。



「ねえ、どういうこと?彼との何を話したいの?」



友人はまた少し間を置き、ゆっくりと話す。



「単刀直入に言う。彼を解放してあげてくれないか。もう逢わないでくれ」



女は冷静に友人を見て答える。



「それはつまり、私が風俗嬢だから?だから彼には相応しくないってこと?」



この女は純粋だ。純粋過ぎる故にとんでもないオモイを相手に背負わせる。

しかもそのオモイは明らかに負のものなのに、女はそれに気がつかないでいる。

お互いがそれを望んで、叶えればきっと満たされると。

女は満たされるだろう。だが相手は…。


友人は頭を振り答える。



「それは違う。君の職業なんて関係ない。奴が気にしなければ別に構わない」

「職業じゃないんだ。君とはダメなんだ」

「君はきっと良い子なんだろう。だけど、君は気づいてないかも知れないが、君と波長の合った男は必ずダメになる。君に悪気がなくても。君が純粋に相手を愛しても。君が求めれば求めるほど、相手は堕ちていく。奴には君を受けとめられない」



女の顔つきが変わる。



「何言ってるか理解できないわ。それじゃ、私は好きな人を求めちゃいけないの?満たされちゃいけないの?ひとつになって、ずっと一緒にいちゃいけないの?」



女の熱を帯びた言葉に、友人は冷静に諭すように返す。



「今の君が変わるか、それとも、便宜上精神的って言葉使うけど、精神的に強い人間じゃないと君とは無理だ。もしくは、まったく波長の合わない人間か」

「今の君は奴にとって毒薬なんだ。破滅に向かう」

「俺はそんな奴を放っておけない。奴を助けたいんだ」

「だから、頼む。奴を解放してくれ」



女は深く息を吐き、男を睨みながら言う。



「初対面のくせに私の何が分かるっていうの?それに私と彼は深く繋がってるの。ずっと一緒だって約束したの」

「あなたは部外者なの。もう放っておいてよ」

「俺には分かるんだよ。君の過去に何があったとか、生まれつきなのかまでは分からないけど、君の纏ってるいるオモイはダメだ。君自身がそのオモイを産み続ける限り、君のその眼は奴にとって邪眼以外のなにものでもない」

「頼む。奴にはもう逢わないでくれ。奴を想うんであれば」



女はまったく理解できないでいた。

この男は突然現れて何を言ってるのか?最早怒りしかなかった。

それを察して友人は女に幾分申し訳なさそうに言う。



「君は純粋に彼を求めてることは良く分かった。でもね、いまの君は変われない。多分これからも。そして君のオモイを満たした時、奴は終わる」

「お願いだ。奴を助けてくれ」



友人は女に向かって頭を下げた。


女はそれを見て、怒りの余り嫌味ったらしく友人に言う。



「だいぶ余計な話で時間かかったけど、どうする?抜いてく?まあ、ここまで言っといてそれはないか。じゃあ、早く出てってよ!」



友人は暫く下げた頭を上げて、女の怒りに満ちた眼を背に受けながら、淫魔の香り漂う部屋を後にする。






『私もあなたに魅入られたの…』

『違うわ…』

『あなただけじゃないのよ…』

『私も魅入られたのよ…』



七の章願い



男と女は向き合っている。

裸で向き合っている。

座った男の上に女は乗り、男と女は繋がっていた。

ゆっくりと女は動いていて、男はそれに合わせるように下から突き上げる。


女の両手は男の首に回され、男の両手は女の背中を抱く。

男と女は見つめ合い、そして時折唇を重ねる。


静かな夜だった。

普段なら窓の外の車の音が聴こえる時間帯なのに、女の部屋に聴こえるのは、二人の呼吸と喘ぎと繋がりから聴こえる濡れて淫秘に動く音だけであった。

いや、二人にはそれしか聴こえてないのかもしれない。

女は恍惚の表情で男に語りかける。



「前に好きな人がいたって話したの覚えてる?」



男は嫉妬に駈られ強く下から突き上げる。

俺との最中にそんな話は聞きたくないと言わんばかりに激しく突き上げ始める。



「あっ!んっ!すごい気持ちいいわ…」



女は顔を歪ませ快楽に身を任せながら続ける。まるで男の嫉妬心を煽り、より深い快楽を得ようとするように。



「その人と私は結ばれたの。私の初めての人よ」



男はさらに燃え上がる。



「あんっ!その人と結ばれた時は本当に嬉かったわ。あっ!いい!」

「んっ!うあんっ…。お互いに、あん!本当に愛しあっていたの…。んっ、すごい!当たるわ!もっと奥まで突いて!」



もう男は嫉妬から怒りに変わったように突き上げ続ける。



「はあっ!あんっ!でもその人は彼氏にはなれない人だったの…。はっ!んっ!」

「そ、その人は私の兄だったのよ!あんっ!やっ!」



男は急に動きを止める。どういうことだ?

嫉妬や怒りの感情がふっと消えていく。

繋がったままの荒い息づかいで女は男に聞く。



「ねえ、引いた?私は高校時代彼氏がいなかったって言ったでしょ。あれは兄だから彼氏じゃないのよ」



男は急に呆けたように女の話を聞いている。



「私は兄が好きだったのよ。男として」



男は繋がったままの状態で固まり、女の話をどう理解したら良いか分からないでいた。


女はそんな固まった男をよそに、ゆっくりと動かしながら話を続ける。



「兄と初めて結ばれたのは高校一年生のとき。それまでお互いに気づいてたのに恋愛感情は押さえてたの。だっていけないことくらい分かってたもの」



男の耳に女の独白が流れてくる。



「でもね、もう抑え切れなくなって一気にはじけちゃったの。それまで我慢してた分、想いは深く濃く激しいものだったわ。私達は流され溺れたの」



女は続ける。



「すごく幸せで、そして背徳感のせいかすごく気持ち良かったわ。何度も何度もしたわ。飽きることなんてないのよ」



やめろ。やめてくれ。そんな話は聞きたくない…。

男は心のなかで呟く。



「でも、それもそんなに長くは続かなかった。あんなに好きだったのに、兄は私の願いを聞いてくれなかったの。私はずっと一緒にいたいと思ってたのに…。私の願いを叶えられないと言って、兄は私と距離を置くようになったの。私から離れていったわ」



女は男の眼を見る。

男は女の眼に飲み込まれていく。



「ねえ、あなたなら聞いてくれるわよね。私とあなたはこんなにも愛しあってるもの。あなたは兄とは違うわよね」



男は魅入られながら頷く。

女は言う。とても柔らかく、それでいてちぎれない糸で絡めるように。



「ねえ…」

「お願いだから私を食べて…」

「髪の毛一本残さずに…」

「理由は…」

「ただ最後まであなたをみていたいから…」

「だから上手に食べてね…」



男は叫び、女を組伏せ、狂わんばかりに腰を振り続けた。

魅入られながら…。







『いい?必ず食べてね…』

『じゃないとひとつになれないから…』

『私はあなたの中で永遠に生き続けるの…』

『愛する人に想われながら…』



八の章呪縛



友人は男に何度も電話していたが、繋がることはなかった。



「なんで出ないんだよ!ちくしょう!」



友人は女の店にも行ったが、女は店を辞めていた。

店で、緊急事態だから女の住所と連絡先を教えろと言っても、おかしな客扱いされ、かといって、警察に行っても相手にされないのは目に見えていた。それに手続きだなんだで急には動いてくれないだろう。

男の会社にも連絡したが、無断欠勤で連絡もつかないという。

友人は八方塞がりで、焦りと危機感が増すばかりだった。



「どうすりゃいいんだよ!」



友人は行き場のない不安と苛立ちで狂いそうだった。



男と女は何度も交わっていた。

女は男に語る。

私が風俗嬢をしていたのは、あなたを見つけるため。実際に出逢えたでしょ?あんな仕事だけど、今まで最後までしたのは兄とあなただけよ。



男は女の囁きを耳にしながら、ひたすら腰を動かす。



「私はずっとあなたといたい…」

「本当よ…」

「あなたもそう思ってくれてるわよね?」

「だったらお願いだから…」

「私を食べてね…」

「あなたは拒めないし、拒まないわ…」

「だって、あなたも求めてるもの…」

「眼を見れば分かるわ…」

「あなたは私を美味しそうに食べるわ…」

「ようやく出逢えたの…」

「ずっと待ってたのよ…」

「本当の意味で私を満たしてくれる人を…」

「逃げないでね…」

「好きに食べていいんだから…」

「私をどうやって食べてくれるの?」

「ちゃんと料理してくれなきゃイヤよ…」

「全部あなたのものよ…」

「他の人にはあげないでね…」

「あなただけのものよ…」

「私を感じて…」

「私はあなたを感じるわ…」

「終わりなんてないのよ…」

「ずっと一緒よ…」

「さあ、早く私をめしあがれ…」

「私はあなたに魅入られたの…」

「違うわ…」

「あなただけじゃないのよ…」

「私も魅入られたのよ…」

「いい?必ず食べてね…」

「じゃないとひとつになれないから…」

「私はあなたの中で永遠に生き続けるの…」

「愛する人に想われながら…」



女の言葉が流れ込んでくる。

男は曖昧に頷いたり、相槌を打っていたかもしれないが、意識はほとんどなかった。

かといって、女の言葉はしっかりと男の奥に刻まれていた。


男は腰を動かす。律動が女に対する返答のように。

ああ、堕ちてゆく。深い処に。そこに光りは無いと知りながら。



友人は探す。

男を救えるのは自分しかいない。

早まるな!戻ってこい!また二人で飲むんだろ?俺のバカ話につきあえよ!

虚しく胸にこだまするだけであった。



「さあ、もう最後よ。…」

「最後は一緒にいきましょう…」

「ほら、私の首に手をかけて…」

「そうよ。閉めて…」

「そう…。もっと強く…」

「ほら、あなたのも締め付けるでしょ?」

「気持ちいいわ…。もういきそうよ!」

「もっと!もっと!もう少しよ!」

「いくわ!いくわ!いくぅっ!」

「ああ!」



女は一声大きく喘ぎ身を震わせる。

男は熱く濡れてきつく締め付けた女の中へ放っていた。

今までにないくらいに溢れんばかりの液を。


男の手は女の首を絞め続ける。

女はもう動かない。声もない。


男はそれでも動かし続ける。

もう何も反応しない女の中で。

ゆっくりと体温が失われていく女の中で。

男は女の言霊に縛られたことに気づかずに…。







『…』

『………』



九の章捌く



男は見下ろしていた。

もの言わぬ身体になった女のことを。


ただ見開いたままの眼だけが、男を凝視している。

例え男が顔をそらしても、その眼だけは男の眼に焼き付いて離れない。


男にはやらなければならないことがある。

女の願いを叶えなければ。

女とひとつにならなければ。

そして、女と永遠を共有しなければ…。


男は女だったものに毛布を掛ける。まるで、体温を失った女を気遣うように。


男はキッチンへ向かう。

足りないものがあれば買いに行かなければならないから。

女は日頃から料理をしていたようで、一通りはそろっていた。

しかし、それは普通の料理の為のものであり、もっと大きな包丁や他にも色々必要だと男は感じた。



「ごめん。俺は普段あまり料理しないから、君を上手く食べられるか不安だけど、精一杯料理するよ」



男は女に話しかけると服を着て買い出しの準備を始めた。


男は久しぶりに外に出たようだった。

今人込みの中を歩いていても、何時もと違って漫然と歩いてはいなかった。

何故なら、男は使命感に突き動かされていたから。

男は目当てのホームセンターに着くと、店員に話しかける。



「一番大きな包丁?みたいなのありますか?マグロを捌くみたいな」



店員は丁寧に答えてくれた。



「申し訳ありません。うちでは御客様の御求めの大きさはないですね。でも一応キッチン用品コーナーにご案内しますね。こちらにどうぞ」



男は店員の後についていく。



「こちらです。ごゆっくりどうぞ」



店員はそう言い残すと、作業途中の自分の持ち場に戻った。


男は包丁の陳列ケースの前に行き、じっと眺める。



「そうだよな。やっぱり専門店じゃないと無いか」



男は独り言を呟き、次は日曜大工コーナーに向かう。

コーナーをゆっくりと見て回り、ノコギリが陳列されてる場所で立ち止まる。



「やっぱりこれかな」



男は大きめのノコギリと小さめのノコギリを手に持ち、次は鉈の前に行く。

男は色々手に取り、振ってみて、自分にちょうど良い大きさと重さの鉈を選ぶ。



「大まかなものはこれで足りるだろう。あとは厚手の包丁が欲しいかな。何か台所のやつだと不安だし。ねえ、君もそう思うだろ?」



男は目の前から離れない女の眼に話しかける。



結局男はホームセンターで、ノコギリ、鉈、厚手の包丁、大きな桶、ビニールシート、寸胴等を買い帰路につく。



「まあ、こんなもんかな。俺頑張るよ」



道々男は女の眼に話しかけながら歩いていた。


部屋に帰り、男は先ず台所のテーブルをずらしてスペースを作り、ビニールシートを広げた。

浴室も考えたがあまりに狭く、そこは血抜きに使うことにした。

メインとなるのはこの台所と決めた。


男は女の前に行き、毛布をめくり、そして女を見る。

部屋を出た時と何も変わらない。

冷たく固くなった女がそこにはあった。



「始めるね」



男は女に言うと服を脱いで裸になる。


男は女を抱えて浴室に向かい、浴槽に女を寝かせる。

当然入りきらないので、固くなった女の体を何とか折り曲げ、膝を抱えて座ってるようにする。

中々上手くいかずに、男は四苦八苦してようやく浴槽に納める。


これから血抜きだが、男は何処を切って血を抜いたらいいか考える。

テレビや映画のシーンを思いだし、取り敢えず手首に包丁で切り込みを入れてみる。

さっき買ってきた厚手の包丁の刃を女の細い手首に当てて、一気に引いた。

刃は勢い良く肌に切り込み、女の手首の骨に達する。

ゴリ。

骨と刃の擦れる音の後に、切り口からゆっくりと血が滲み、それが段々広がっていく。

流石にテレビや映画のようには飛び散らないんだなと、男は思った。

女の身体がまだ生きていたら違ったかなと考える。


これだけでは時間がかかると思った男は、次にこれも良くある首の横に刃を当てて、手首と同じように一気に引いた。

刃は音もなく皮膚を裂いた。かなり深く切りつけたが、なんの抵抗もなく刃は滑る。

骨には達しなかったが、主要な血管は十分に切れているはずである。

これも飛び散ることはなく、手首同様最初は滲み出るように、そしてすぐ後に溢れ出てきた。首は手首よりも多量に出血した。


あらかじめ詮をしておいた浴槽に、女の血がゆっくりと溜まっていく。

男はさらに、腹と太股の内側に切り込みを入れる。



「血ってこんなに赤黒いんだね」



男は先ほどから作業を眺めている女の眼に話しかけた。


男は一旦台所に戻り、携帯の電源を入れる。

二人の時間を邪魔されたくなかったので、電源を切っていた。

電源を入れたのは、これから始める解体について調べるためだった。


さて、どうやって調べるかな。医学、人体とかで調べればいいのか?それとも料理だから牛や豚がいいのか…。

男が思案していると、センターから着信を告げる音がなる。

舌打ちをして履歴を見る。

履歴は会社、それに友人からがほとんどだった。


男は友人が女のもとを訪ねたことを知らなかった。

あの日止められたにも関わらず、男は進んだことを後悔はしていなかったが、心配してくれた友人ともっと話して誤解を解くべきだったとは思う。

男と女は本当にひとつになって、永遠を共有することを望んでいると。

別に破滅する訳ではないと。

だが、今は友人に電話して説明してる暇はない。


男は思いつく限りのキーワードを入れて調べ始める。


一通り調べたあと、男は携帯の電源をまた切り、浴室に向かう。

浴槽には女の血が結構溜まっていた。

でもまだ血抜きは必要だと男は感じる。

眼に向かい話しかける。



「もうちょっと待ってね」



男は眼が、『大丈夫よ、待ってるわ』と返事をしてくれるのを聞いた…。



男は台所から厚手の包丁を持ってくると、女の鳩尾辺りに刃先を突き刺す。

そしてそのまま下腹部まで切り下げた。

繊維を断つような感触を包丁に感じながら、女の陰毛の辺りまで切り開く。一気にはいけなかったが、何とか内蔵を取り出せるくらいの切り口にはなった。


やはりあれくらいの切り口では血が出きってるはずもなく、裂いた腹から大量の血が出た。



「中々上手くはいかないね。そりゃあ、心臓止まってるから血管あるとこ切ってもそんなに出ないか。いっそ逆さに吊るせたらね」



男は眼に話しかけながら、切り口に手を入れて、腸を取り出す。

浴室に悪臭が漂うが、男は気にすることなく腸の次は胃と、ここで取れるだけの内蔵を取りにかかる。

ずりゅ、ぐちゅ、ごり。

浴槽の血溜まりの中に女の内蔵が溜まっていく。


一通り内蔵を取り出すと、男は女を抱え上げ浴槽から一旦出す。

女は元々細身で、運ぶ時も思ったよりも苦にならなかったが、内蔵を抜いた今は更に軽くなっていた。

内蔵って結構重いんだなと男は思いながら、女を洗い場に横たえる。


男は内蔵を抜かれて空っぽになった腹の中を丁寧にシャワーで洗う。


浴槽の血と内蔵は後で綺麗に洗うことにして、台所に女を運ぶ。

ビニールシートの上に女を丁寧に横たえる。


間接に添って切断する工程に向かう。

男は試しに包丁で女の肩から腕を切りはなそうとしたが、中々上手くいかない。


やっぱり鉈かノコギリか…。

細かいところは包丁でやることにして、男は買ってきた大きいほうのノコギリを手に取る。


床についたままだと切りにくいので、男は女の背中を上げるために挟むものを探す。

ちょうど小さなカラーボックスが目に入ったので、中身を抜いて、それに女の背中を乗せるようにする。

女の上半身が床から30㎝ほど浮く。

これなら何とかなるか。

男は女の腕の付け根にノコギリの刃を当てると、軽く引いた。

ぶちぶち…。

皮膚がノコギリのギザギザの刃に絡みつき、嫌な音をたてる。

軽くじゃダメだな…。

男は次は思い切り、勢い良く引いた。

ずり…。

さっきよりは絡まる感じは減ったようだった。

ずり、ずり、ずり…。

男は引き続けた。


刃はすぐに間接に当たる。

肩を繋ぐ骨と骨の間に上手く刃が入らずに、骨を削る音が鳴る。

がり、がり…。

男はノコギリを置き、包丁を握ると、間接の間に刃をねじ込み、骨の繋がりを離しにかかる。

女の腕が肩からだらりと下がる。

ここからは包丁だけでもいけそうだったが、せっかく買ったのだからと、小さいノコギリを取り、残った筋肉と皮膚を切り離しにかかる。

ごと。

女の腕が肩から外れる。


片腕は何とか外せた。次はどうする?首にいくか…。

男は首に小さいノコギリを当てると、躊躇なく引き始める。 最初の皮膚の絡まりは腕と一緒だったが、首は骨の間接が分かりにくい。

ここは鉈で一気に叩き切るか…。

男は鉈を手に取り、切り口から見える女の骨めがけて鉈を叩きつける。

がつんっ…。

骨は叩き切られ、首は皮一枚だけで繋がり、頭が床にぶらんと垂れ下がる。


男は残りの皮と頭を包丁で切り離し、女の顔を持ち上げる。

男の目線まで女の頭を持ち上げると、開いたままの眼を見ながら男は語りかける。



「ああ、早く君を食べたい…」



ずり、ぐち、がつん、がり…。

黙々と作業に打ち込んだ。

食べたくて待ちきれない気持ちを抑えながら…。








『……』

『美味しく食べてね…』



十の章食



男はぐつぐつ煮たった鍋を眺めていた。

時々思い出したようにかき混ぜる。

鍋には砕いた女の骨が入っていた。

とても全部は入りきらないので一部だけだが、煮立ててスープを作るつもりだった。

浴槽の血はこのスープと混ぜて使うことにしている。

内蔵は浴室で腸や大腸は便を取り除き、他と一緒に綺麗に洗ってある。



「無駄にしないで食べるって難しいんだね。俺はあまり大食いじゃないから、全部食べるの一苦労だよ」



男は眼に楽しそうに話しかけた。



「頑張ってたくさん君を食べるね」



男は時折話しかけながら、まるで女に自慢の手料理を振る舞うのが楽しみで作っているようだと感じていた。

食べるのは男だけなのに…。

食材は女なのにも関わらず…。


男はさっき、余りの空腹と食欲に負けて、女の股肉を焼いて食べてみた。

味付けは塩と胡椒だけのシンプルなもので。

熱したフライパンに女の肉が香ばしく焼けていく。

外側から熱が通っていき、中心の赤色が鮮やかになってくるのが切り口から見える。

二、三回ひっくり返して表面に焦げ色が着いてきたところで、熱いうちに食べる。

ぐちゅ、くちゅ…。もむ、もむ…。ごくん…。

これが人の肉の味か…。

不味いなんて何かの本で読んだことあったけど、そんなことはないな。何だろう?鶏や豚や牛とも違うこの味と感触は…。

いろいろためそう…。


男は煮込んで焼いて、女を余すことなく食べていく。

そして腹が脹れれば寝る。また起きては食べ、自慰をして寝る。


女の肉が減れば減るほど、本当にひとつになっていくような気がしていた。


女の眼はより強く男を魅入る。

男はその眼に魅入られながら自慰をする。

快感はよりいっそう強くなる。



もうどれくらいたったのか、男には時間の感覚がなかった。



とうとう女の身体は無くなった。



「なるべく綺麗に食べたつもりだけど、これでいいかい?」



男は女の眼に問いかける。



「ここまで綺麗に食べてくれてありがとう。これで永遠にひとつよ…」



女の眼が男に感謝を告げる…。








『ありがとう…』

『お願いを聞いてくれて…』



十一の章消失



男は部屋でただ座っていた。

女が無くなった、何もない部屋で。


男は女の眼とひとしきり語りあった。

そして何度も確認しあった。

これで永遠にひとつだと。


どれくらいの時をこの部屋で過ごした時だろうか。

女の眼が、段々薄れていくのを感じ始めた。

語りかけても、徐々に返事が聴こえなくなってきた。

男は不安を感じる。

どうしたんだ?ずっと一緒いれるんだろ?何故君は遠ざかる?

何かがたりなかったのか?これ以上どうすればいいんだ?おい!答えてくれ?消えないでくれよ!


男の願いも虚しく、女の眼は弱々しくなっていき、そして、もう男を魅入ることはなくなった。

男の声に答えることもなくなった…。


おい!嘘だろ!何でだよ!君の温もりは今でも感じるし、ずっと隣にいるみたいなのに、何で出て来てくれないんだよ!頼むから、俺を魅てくれよ!

男の叫びは何もない部屋に、ただ虚しく響くだけだった。



「探さなきゃ」

「君をもう一度探さなきゃ…」



男は部屋を出る。

太陽が眩しく男を照らす。

男は携帯の電源を入れると、友人に電話した。

二回の呼び出し音の後に、友人が電話に出る。



「おい!今まで何してたんだよ!お前今何処にいんだよ!」



ようやく連絡がついた男に友人は捲し立てる。



「お前大丈夫なんだろうな?おい!何か言えよ!」



男は弱々しく答える。



「いなくなったんだ…。俺の目の前からいなくなったんだよ。なあ、どうすればいい?何処探したらいいんだよ?なあ、教えてくれよ…。助けてくれよ…」

「いなくなったってなんだよ!おい、説明しろ!何があった?」

「俺達はひとつになったんだ。確かにひとつに。俺は言われた通り、なるべく無駄にしなかったんだよ。ちゃんと食べたんだよ。そして本当にひとつになったんだ。でも、しばらくしたら、みえなくなったんだ。俺の前から消えたんだよ。今でも隣にいるみたいなのに。温もりも感じるのに。なあ、これも消えちゃうのかよ?どうすればいいんだよ?何処探せばいいんだよ?教えてくれよ!」



友人は沈黙の後、最悪の結果を振り払おうとするように問う。



「まさか…。お前、喰ったのか…?」



男は答える。



「ああ、食べたよ。それが望みだったし、俺達がひとつになるためにね」



友人は無力な自分を呪うように、あの時力ずくでも止めるべきだったと後悔の念に焼かれるに身を任せるように黙りこむ。



「俺は探しに行くよ。もう一度魅てもらうために行くよ」



そういうと、男は電話を切る。

友人は止めることはできなかった。

ただ男の声がいつまでも響いていた…。







『君がみえないんだよ…』

『何処にもいないんだ…』

『約束しただろ?』

『永遠にひとつだって…』



十二の章終幕再び酒場にて



男はぽつりぽつりとバーテンダーに語っていた。

語り終える頃にはグラスも空になり、男の両手に挟まれていたせいで氷もとけていた。


男はバーテンダーの顔をみる。

バーテンダーは男の話を黙って聞いていた。

相槌を打つこともなく、いや、打てないほど動揺していたといった方が正しいだろう。



「という訳で、俺は探しに来たんですよ」



男はバーテンダーを見ながら言う。



「ここでなら見つかるんじゃないかと思ってね」



バーテンダーは息をするのも忘れたように、黙りこくっていた。

顔からは血の気が引き、多少入った酒の効果もなく、青ざめた顔色で男をみていた。



「どうしたんですか?顔色悪いですよ」



男は薄ら笑いを浮かべてバーテンダーに言う。



「ショックでしたか?俺の話し。気づいてますよね?あなたの妹さんのことですよ」



バーテンダーの顔がひきつる。

気づきたくなかったし、気づいてはいけないものに触れたから。



「あなたのことは妹さんから聞きました。俺がこの店に来たのは、あなたに会うためでもあったんですよ。だってここでなら逢える気がしたから。願いを叶えることを望まれた者同志だから。俺のことも分かってくれると思ったから。だからあなたも俺に何かを感じて、普段聞かないような事も聞いてきたんでしょうね。きっと同類だから」



バーテンダーは苦しくてどうしようもなくて、だが、聞かなくてはならない使命感もあり、絞り出すように言葉を吐いた。



「お前は妹を…、本当に喰ったのか…?」



男は当たり前のように答える。



「食べましたよ。それが妹さんの願いだったから。あなたが叶えられなかった望みを俺が叶えてやったんです。あなたが拒否して逃げた願いをね」



「お前は…」



バーテンダーは言葉に詰まる。



「俺達はひとつになったんだ。でもね、いなくなってしまったんですよ。最初は確かにいたんだ。それが時間がたつに連れて、消えていったんですよ。俺の前から。今でも温もりは感じるし、隣にいるみたいなのに、みえなくなったんだ。これからひょっとして、この温もりも感じられなくなってしまうんじゃないかと恐いんですよ。せっかくひとつになれたのに…」



男は空いたグラスに目を落とし語る。



「妹さんが受け入れたのは、俺とあなただけだ。だからここにならいると思ったんですよ。そして、また俺のこと魅てくれるんじゃないかとね」



バーテンダーはよりいっそう苦悶の表情を浮かべる。



「俺はね、請われたんですよ。あなたの代わりに永遠にひとつになることを。それなのに…、これじゃあ、あんまりだ…。俺はどうしたらいいんですか?何処に行けば逢えるんですか?ねえ、教えてくださいよ!」



男の悲痛な想いに、バーテンダーは薄雪の声で答える。



「お前は妹に請われて、それ故に壊れたんだ…」

「妹もお前に魅入られてたんだよ。覗くものは覗かれる…。だから惹かれ合ったんだろう。俺は請われても立ち止まれた。何故なら、俺は深く覗けなかったから。お前は深く覗き過ぎたんだ」

「そして壊れた…」

「妹はもう何処にもいないよ…」

「お前は、妹の願いを叶えると同時に、妹を永遠に無くしたんだ…」



もう、お前は壊れてるんだよ…。



男には最後の言葉は届いてはいなかった。



静まりかえった店内に願いを請われた二人…。

叶えた男には刹那の悦びと永遠の無…。

壊れた男には、もう何も残ってはいなかった…。



終幕

こわれて

登場人物は絞り、名前もつけませんでした。

男、女、友人、バーテンダー。

広い世界観の話ではありませんが、狭いながらも四苦八苦して書き上げました。

こわれて

出逢いがきっかけで生まれる偏愛とそれがもたらすカタルシス。救われた者と取り憑かれた者と。 ある意味純粋故に。

  • 小説
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  • 恋愛
  • サスペンス
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2018-07-14

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