シロヒメとしずかなうた
Ⅰ
「ぷーりゅかーなー、ぷーりゅかな~♪ ぷーりゅのー、あーき~♪」
小高い山の上。
木々の切れ目から見える夕暮れの街並に向かって、白馬の白姫は歌声を響かせていた。
「……っ……」
不意に歌が止まった。
「っ……りゅ……ぷ……りゅ……」
代わってこぼれたのは、抑えようとしても抑えきれない嗚咽だった。
「ぷりゅ……ぷりゅ……」
止まらない。
大粒の涙をこぼしながら、白姫は悲しみに全身をふるわせ――
「白姫」
「!」
はっと身体をこわばらせる。
「ぷりゅ……」
ふり向いた――
そこにいたのは優しい笑顔を見せている青年だった。
花房葉太郎。騎士にして、騎士の馬である白姫の主人と言うべき相手だ。
「ヨウタロー……」
あらたな涙をあふれさせながら、白姫が葉太郎に向かって口を開く。
「シロヒメ……シロヒメ……」
「うん」
すべてわかっているというように、葉太郎は優しい笑みのままうなずいた。
「ヨウタロー!」
たまらずすがりつく白姫。
「シロヒメね……シロヒメねっ……」
「うん」
「……たんだし」
「え?」
「あのとき……あのとき……」
白姫は絶叫した。
「ヨリコにぷりゅされてればよかったんだしーーーーっ!!!」
Ⅱ
「ぷーりゅかーなー、ぷーりゅかな~♪ ぷーりゅのー、あーき~♪」
「う?」
その日――
白姫が歌っている中庭にやってきたのは、屋敷で一緒に暮らしている少女・何玉鳳(ホー・ユイフォン)だった。
「『ぷりゅの秋』って……何?」
「ぷりゅ?」
ユイフォンのつぶやきに気づいた白姫がふり返る。
「あっ、ユイフォン、ちょうどいいところに来たんだし。ぷりゅッドタイミングだし」
「ぷりゅっどたいみんぐ?」
「そうだし」
そして白姫は唐突に、
「秋と言えばなんだし?」
「う?」
戸惑うユイフォン。と、白姫がすかさず、
「秋と言えば食欲の秋なんだし」
「うー……う?」
「もー、ユイフォンはアホなんだしー」
白姫はじれったそうに、
「シロヒメたちのごはんを作ってくれてるのは誰なんだし?」
「ごはん? それは……」
ユイフォンの頭に浮かんだのは、いつもメイドの姿をしている冷たい目の女性――
「よ……依子……」
自分で思い浮かべた彼女にふるえ上がるユイフォン。
朱藤依子。
ユイフォンたちが暮らす屋敷の家事を一手に担っている女性である。
だが、それだけではない。
依子は――強い。
かつて戦ったことのあるユイフォンは、一生忘れないと思えるほどの恐怖をその身に刻みこまれていた。
「なに、ふるえてんだし」
「だ、だって……」
「ヨリコにぷりゅされそうになったこと思い出したの?」
「う。ユイフォン、ぷりゅされそうになった。こわかった」
「とにかく、ごはんを作ってくれているのは依子だし。依子のごはんはおいしいんだし」
「う、おいしい」
それは事実だ。ユイフォンは素直にうなずく。
「ごはんを作ってくれるヨリコには逆らえないし。ごはんには逆らえないんだし」
「う、逆らえない。ごはんがなくても普通に逆らえない」
「それで……いいんだし?」
「う?」
突然の問いかけにまたも首をひねるユイフォン。
白姫はさらに深刻そうな顔で、
「つまり、シロヒメたち、ごはんを人質にとられてるも同然なんだし」
「人質……? 人……?」
「このままではだめなんだし! なんとかしなくてはならないし!」
「うー?」
白姫が何を言おうとしているのか、いまだにつかめないユイフォン。
すると白姫は驚くべきことを口にした。
「ユイフォン、ちょっとシロヒメに協力するし」
「協力?」
「シロヒメと一緒にヨリコの部屋に忍びこむんだし」
「ううぅ!?」
びくぅっ! 激しくふるえるユイフォン。
「な……なんで……」
「そんなの決まってるし。ヨリコの弱みつかむんだし」
「ううう……」
たちまちユイフォンの中にかつて刻まれた『恐怖』がよみがえる。
「や、やだ……」
思わず涙目になって拒否するユイフォン。
「ぷりゅぅ~?」
白姫の目が不機嫌そうに細められ、
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「あうっ!」
思い切り蹴り上げられ、ユイフォンはたまらず吹き飛んだ。
「い……痛い……」
「なに、シロヒメにさからってんだし。ユイフォンのくせに」
「ううぅ……」
と、そこに、
「何をしているのだ?」
小さな影が白姫とユイフォンの前に現れた。
鬼堂院真緒。
まだ六歳でありながら、ユイフォンにとって『母』と言えるほど頼りになる女の子だ。
「媽媽……」
ユイフォンはあたふたと真緒に近づき、
「白姫がいじめた……」
「そうなのか? いじめはだめだぞ」
白姫は、
「ぷりゅぷりゅぷりゅ」
「白姫は『いじめていない』と言っているぞ」
「うぅ~……!?」
しれっと首を横にふった白姫に、ユイフォンは絶句するしかない。
「白姫はいい子だぞ」
「そうだし。もっと言ってやって。アピって」
「では、仲良くするのだぞー」
「あ、媽媽、待って……」
「ぷりゅぷりゅー」
『じゃあねー』と言うように耳としっぽをふって真緒を見送る白姫。
と――
ぴたり。耳としっぽの動きが止まる。
「ぷりゅ」
「!」
ふり返りざま、ぎろりとにらんできた白姫に、ユイフォンはふるえ上がる。
「なにチクってるしーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「あうっ!」
先ほど以上に激しく蹴り上げられるユイフォン。
「白姫、いじめた……。やっぱりいじめた……」
「ユイフォンが悪いし。マキオに『シロヒメが悪い子』って思われちゃったらどうすんだし」
「だ、だって、悪い子……」
「シロヒメに逆らったらもっといじめんだしーーっ!」
「あうぅっ」
そこに、
「やめてください! ユイフォンがかわいそうじゃないですか!」
そう声を張り上げながら現れたのは、これまた共に暮らしている少女アリス・クリーヴランドだった。
「ぷりゅー? 文句あんだしー」
「あるに決まってますよ! いじめはやめてください!」
「ちょっとくらいいいんだし。どうせ、ユイフォン、悪者だし」
「う……!」
ユイフォンの身体がふるえ、あらたな涙が目に盛り上がる。
「わ……わるもの?」
「そうだし」
「なんてひどいことを言っているんですか!」
アリスはユイフォンをかばい、
「ユイフォンはいい子になったんですよ!」
「う。いい子になった」
アリスの後ろでうなずくユイフォン。
だが白姫は、
「えー、信じられないしー。どうせ悪者だしー」
「どうせわるもの……」
涙の粒がふくれあがる。
「だからやめてください、ひどいことを言うのは!」
アリスは憤慨し、
「ユイフォンは友だちですよ! 友だちにひどいことを言うのはやめてください!」
「ぷりゅー?」
白姫は眉根にしわを寄せ、
「別にー。ユイフォンと友だちになったつもりないしー」
「うう……!」
「だから、ひどいことを言うのはやめてください!」
「ちなみに、アリスともぜんぜん友だちじゃないしー」
「えええっ!?」
「シロヒメと友だちだみたいな顔してムカつくんだしー。アリスのくせに」
「アリスのくせに」
「って、やめてください、ユイフォンまで!」
「ぷりゅ? ユイフォン『まで』ってどういうこと?」
「だって、白姫はもうずっと悪い子ですから……あきらめてますから」
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
「なんてことを言うアリスだし。そーゆー心ない一言から非行化は始まるんだし」
「始まるも何も、もう十分悪い子ですよ!」
顔を蹴られて涙ぐむアリスに、白姫はしれっと、
「でも、ちょうどよかったし。アリスもぷりゅッドタイミングなんだし」
「えっ?」
「アリスも一緒にやるんだし。ヨリコの弱みつかむ手伝いするんだし」
「ええええっ!?」
ユイフォンに負けず劣らずふるえあがるアリス。
「そ、そんなことできません! やめてください!」
「どうしてだし?」
「できるわけないじゃないですか、普通に考えて!」
「普通ー? 普通じゃないアリスの『普通』とか、意味わかんないんだしー」
「意味わかんない」
「って、だからやめてください、ユイフォンまで!」
「だから『ユイフォンまで』ってどういうことだしーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
「とにかく」
白姫が目をするどくし、
「ここまで聞かれたからには二人をただで帰すわけにはいかないんだし」
「うぅ……」
「やめてください! どこまで悪い子なんですか!」
「うるせーし! いいからシロヒメの言うこと聞くんだし!」
「そんな……」
「うう……」
追いつめられたように互いを見ることしかできないアリスとユイフォン。
そんな二人に向かって、
「まず、ユイフォンがヨリコの注意を引きつけるんだし」
「うう!?」
「その隙にシロヒメがヨリコの部屋に忍びこむんだし」
「忍びこむって……どうやってですか?」
「問題ないし」
アリスの問いかけに胸を張り、
「シロヒメ、忍び足も完璧だから」
「そうなんですか!?」
「そうなんだし」
ささっ! 壁に張りつく白姫。
「ぷりゅ足、ぷりゅ足、ぷりゅり足~……」
「忍び足!?」
さらに壁から壁へと、素早い移り渡りを見せる。
「ぷりゅたたたたたたた……ぷりゅたっ!」
「白姫……すごい」
「当然だし。すごいんだし」
感心するユイフォンに、白姫はいっそう得意げに胸を張る。
「というわけで、ユイフォンはヨリコを引きつけるし」
「で、でも……」
ユイフォンはおずおずと、
「白姫と一緒に……ユイフォンも……」
「ちょっ、ユイフォン!?」
「だ、だって、一人、こわい……」
「それはそうかもしれないですけど……」
「えー、ユイフォン、シロヒメについてこれるんだしー?」
「つ、ついていける……」
「じゃあ、テストするし」
「てすと?」
「そうだし。シロヒメみたいな足さばきを見せてみるし」
「う……や、やる」
そして、ユイフォンは、
「ぷりゅ足、ぷりゅ足……」
しかし、緊張していたせいか、
「あうっ」
「なにつまずいてるしーーっ!」
パカーーーーーーン!
「あうっ」
「やめてください、ユイフォンにひどいことをするのは!」
「ひどくなんかねーし。むしろ優しさだし」
「ええっ!?」
「当然だし!」
白姫は強い意志のこもった目で、
「これが本番だったらどうなると思ってるし。ヨリコにバレた時点でユイフォン、ぷりゅされちゃってんだし!」
「う!」
ふるえあがるユイフォン。
「ユ、ユイフォン、ぷりゅされたくない……こわい……」
「それはそうだし。ここでシロヒメにパカーンされるくらい、どうってことないし」
「いや、でも、もっと優しい注意の仕方も……」
「ヨリコ相手に優しさなんて通用しねーんだし!」
「えぇぇ~……?」
「とにかく、ユイフォン、ビビりなんだし。本番が不安なんだし。やっぱり重要な任務にはつけられねーんだし」
「うう……」
「というわけで、ユイフォン、ヨリコを引きつけるし。シロヒメが忍びこむスキをつくるんだし」
「で、でも引きつけるって……どうやって?」
「そんなの知らないし。適当にヨリコにぷりゅされとくし」
「ううう!?」
真っ青になって首をふるユイフォン。
「ぷりゅされたくない……こわい……」
「なんて根性のねーユイフォンなんだし」
白姫が眉根にしわを寄せる。
「だいたい、ユイフォンがぷりゅされちゃっても何の問題もねーんだし」
「う!?」
「ユイフォン、悪者なんだし。ぷりゅされちゃってもいいんだし」
「うぅ……」
「だから、ひどいことを言うのはやめてください、本当に!」
「あっ、アリスにも大事な仕事があるんだし」
「えっ?」
「というわけで、二人とも行くしーーっ!」
「えっ、ちょっ……そんないきなり!?」
「い、行きたくない……」
嫌がる二人を強引につれ、白姫は『作戦』を開始したのだった。
「ぷりゅっ、ぷりゅっ、ぷりゅっぷりゅっぷりゅっぷりゅっぷりゅー、ぷりゅぷりゅ~♪」
ピンクの豹が出るアニメのテーマを口ずさみつつ、白姫は屋敷の外縁をリズムに乗った忍び足で進んだ。
そして、折々にはするどく左右も見回す。
「ぷりゅっ。ぷりゅっ」
人気がないことを確認すると、すばやく角の手前の壁に身体を寄せる。
「ぷりゅー」
「うー」
白姫につられるように、後についていたユイフォンも角から慎重に顔を出して辺りを伺う。
そんな白姫とユイフォンの顔には――サングラス。
「なんですか、それは……」
同じくつれてこられていたアリスが、ジト汗顔で言う。
「ぷりゅ?」
アリスのつぶやきを聞きとめた白姫がふり返り、
「なにごちゃごちゃ言ってんだし、アリス」
「だからその……かけているものが」
「サングラスだし」
「サングラスということはわかっていますよ。……馬のかけられるサングラスがあるのはやっぱりすごいと思いますけど」
「潜入ミッションといったらサングラスなんだし。決まってるし」
「決まってるんですか……」
「文句あるし?」
「文句はないですけど、不良みたいですよ」
「なに言ってんだし」
白姫は心外だというように鼻を鳴らし、
「変なこと言ってんじゃねーし。アリスのせいで失敗したらそのときこそ、シロヒメ、グレるんだし。ぷりゅぷりゅする気もしない気もこのときにかかっているんだし」
「なんですか『ぷりゅぷりゅする気』って」
「とにかく悪の道に入るんだし。ねー、ユイフォン」
「う」
「もう入っちゃってますよ、悪の道に」
「ぷりゅんなよ」
「なんですか『ぷりゅんなよ』って。あと、なぜユイフォンまでその気に……」
「う!?」
我に返ったように身体をふるわせるユイフォン。
「し、白姫にのせられてた……あぶなかった。『ぷりゅんなよ』してた」
「だから、なんなんですか『ぷりゅんなよ』って。まだ乗せられたままですよ」
そこへ、
「なにいまさら言ってんだし」
ぎろりと白姫がユイフォンをにらみ、
「だいたい、いまさらやめてもぷりゅされるんだし」
「ううう!?」
恐怖であらためてふるえあがるユイフォン。
「ぷりゅされたくない。こわい」
「だったら気合入れてやるんだし」
「ううう……」
「あの……いまからでも遅くないからやめましょうよ」
おそるおそる言うアリスだったが、
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
「なんて根性のねーアリスだし! ユイフォンより根性ねーし!」
「こ、根性も何も、自分は最初からやりたくありませんでしたよ!」
「なにいまさら泣きごと言ってんだし」
「泣きごとじゃなくて事実です!」
「とにかく! シロヒメたちはヨリコの弱みをつかむんだし! それまでは裏切りは絶対に……」
そのときだった。
「みなさん」
「!」
同時に身体をこわばらせる白姫とアリスとユイフォン。
ふり向いた……そこにいたのは、
「ぷりゅーーーーーっ!」
「きゃーーーーーっ!」
「あうーーーーーっ」
冷徹――を超えた〝氷〟徹。
彼女たちにとって、そう表現するしかない女性の顔がそこにあった。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
「はわわわわ……」
「ううううう……」
「何をそのようにおびえているのですか?」
「……!」
彼女――依子の問いかけに全員がふるえあがる。
「あなたたちのお話……すこし耳に入ったのですが」
「!」
凍りつく一同。
と――次の瞬間、
「アリスです」
「ええっ!?」
いつの間にかサングラスをはずしていた白姫が言った。
「全部アリスがやろうとしてました。アリスが全部悪いです」
「ちょっ……白姫ぇ!」
思わぬ展開にアリスはあわてふためく。
しかし、白姫はしれっと、
「シロヒメ、知りません。なんにも知りません」
「知ってるじゃないですか! 主犯じゃないですか!」
その瞬間、
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
そして、白姫は、依子に向かって何事もなかったように、
「アリスの言うことは聞かなくていいです。無視していいです」
「ぐ……ぐふっ……」
反論したいものの、続けて蹴りをくらったダメージでうめくことしかできないアリス。そして、おびえるユイフォンはただただ成り行きを見守ることしかできない。
「まったくとんでもないアリスだし。シロヒメに罪をなすりつけようなんて」
「そうなのですか」
「……!」
依子に一瞥され凍りつくアリス。
一方、依子の視線から逃れた白姫は、してやったりという顔で、
「ふー、アリスをつれてきておいてよかったし。これがアリスの『仕事』なんだし」
「う……?」
そのつぶやきを聞いたユイフォンが首をひねる。
白姫は、にやりと悪い笑みを見せ、
「アリスの仕事は、こういうとき代わりに罪をかぶる仕事なんだし」
「う!」
白姫の邪悪な目論見を聞き、がく然となるユイフォン。
「白姫、ひどい……」
「なんだし? ユイフォンも一緒に身代わりになるし?」
「や、やだ……」
弱々しく首を横にふるユイフォン。
一方、アリスは、
「はわわわわわわ……」
蛇ににらまれた蛙のように、依子の冷たい視線を受けて指一本さえ動かすことができない。
そこへ白姫が、
「ほら、早くぷりゅっちゃって、ぷりゅっちゃって。お仕置きしちゃって」
「し、白姫ぇ~……」
――と、
「白姫さん」
「ぷりゅ!?」
不意に声をかけられ、びくっとなる白姫。
依子はたんたんとした口調で、
「『お仕置き』とは、どういうことです?」
「ぷ、ぷりゅ?」
思いがけないことを言われたというように白姫は動揺し、
「だ、だって、アリス、悪いことしようとしたんだし。だからお仕置きされるんだし」
「悪いこととは?」
「ヨリコの部屋に忍びこんで、何か弱みをつかもうとしてたんだし」
「違うじゃないですか! やろうとしたのは白姫で……」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
声もなく放たれたヒヅメに吹き飛ばされるアリス。
白姫はやはり何事もなかったように、
「というわけで、アリスをお仕置きしちゃってください。ぷりゅっちゃってください」
「………………」
依子は、
「白姫さんは?」
「ぷりゅ?」
またも不意の問いかけにきょとんとなるも、はっとなった白姫はすぐに首を横にふった。
「シ、シロヒメ、何も知りません。なんにも関係ありません」
「う……うそ……」
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「あうっ!」
よけいなことを言いそうになったユイフォンにもすかさず蹴りをくらわせ、
「シロヒメ、なんにも知りません。全部アリスとユイフォンがやろうとしてました」
「先ほど遠くから聞いた限りでは……」
依子は、やはりたんたんと、
「『ヨリコの弱みをつかむ』とおっしゃっていたのは、白姫さんのように思いましたが」
「!」
びくぅっ! 一気に血の気が引く白姫。
「あ、あの、それは……」
冷気がこちらに押し寄せるのを感じつつ、白姫は必死に、
「シ、シロヒメ、違います。アリスとユイフォンに無理やり協力させられそうに……」
「あなたはこうおっしゃいました」
依子は冷徹に告げる。
「『シロヒメは何も知りません』と」
「!」
嘘がほころびを見せ出し、白姫はいっそうあせって、
「あの、それは、知らなくはなかったけど、悪くないという意味で知らないって……」
「嘘をついたのですね」
「っっっ!」
とっさに何も返せないでいると依子は駄目を押すように、
「嘘をついたのですね」
「ぷ……ぷりゅりゅりゅりゅ……」
「あなた方が何をしようとしていたかはっきりとした証拠はありません。……ですが」
依子の目がさらに冷たさを増し、
「白姫さんがいまここで嘘をついたことは確かなようですね」
「ぷりゅーーーーーっ!」
ジョバーーーッ!
「白姫!?」
恐怖のあまり悲鳴と共に失禁する白姫。そんな白姫を見て、アリスは思わずかばいに入ろうと――
「アリスさん」
「きゃあっ!」
「あなたへのお仕置きはのちほど」
「や、やっぱりお仕置きされちゃうんですかぁ~……」
宣告だけでへたりこんでしまうアリス。ユイフォンはすでに、そばで依子の凍気にふれ続けたことで完全にすくみあがっていた。
そして、
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
依子の取り出したお仕置き用の鞭が……白姫に――
「白姫をぷりゅさないでーーっ!」
そのときだった。
「やめてー!」
「白姫、ぷりゅさないでー!」
「ぷりゅ……!?」
白姫の目が驚きに見開かれる。
「み、みんな……」
そこに現れたのは、普段から白姫と仲良くしている子どもたちだった。
白姫を守ろうとするように間に入る子どもたち。
と、白姫ははっとなり、
「だ、だめだし! みんなまでぷりゅされてしまうし!」
あわてて離れさせようとするが、
「白姫をぷりゅさないで……」
「ぷりゅさないで……」
依子を前に、小さな子どもたちは一歩も引こうとしなかった。
「みんな……」
感動の涙が白姫の目に光る。
「なんていい子たちなんだし。さすがシロヒメの友だちだし」
そして白姫は、
「ヨリコ!」
自分をかばってくれた子どもたちの前に立ち、懸命に、
「ぷりゅんなさい! 全部シロヒメが悪いんだし! みんなは悪くないんだし!」
「………………」
静かに白姫を見つめ続ける依子。
白姫と子どもたち、そしてそばで見ているアリスとユイフォンにも緊張が高まっていく。
すると、
「みなさん」
依子が――笑顔を見せた。
「白姫さんのためにありがとうございます」
子どもたちに向かって深々と頭を下げる。
あぜんとなる白姫、そしてアリスとユイフォン。
一方、子どもたちは当然というように、
「だって、白姫、友だちだもん!」
「友だちだもん!」
「ぷりゅ……」
あらためて涙をにじませる白姫。
そして、つぶやく。
「シロヒメ、情けないし……」
「えっ」
はっとなるアリスとユイフォン。
「シロヒメ、情けなくないシロヒメをみんなに見てほしかったのに……」
「それって……」
「だから、ヨリコに怒られないようにって……それで……」
つまり――
白姫は子どもたちに格好悪いところを見せたくないからと「依子の弱みをつかむ」などという無謀なことをしようとしていたのだ。
子どもたちが今日こうして遊びに来ることは決まっていたのだろう。
ぎりぎりまで迷って、そして追いつめられて強引に事を進めようとしたのだ。
「ですけど……」
アリスは思わず、
「シロヒメ、間違ってますよ。いい子にしてれば怒られたりは……」
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
「なに言ってんだし。シロヒメ、これ以上なくいい子だし」
「これ以上なくいい子はこんなひどいことしませんっ!」
「いい子だし! ヨリコの弱みつかんで言うこと聞かせて、それでみんなにおいしいおやつとかふるまわせようとしてたんだし!」
「『弱みをつかむ』っていう発想がすでにいい子じゃありませんよ!」
「ぷりゅふんっ!」
アリスの反論に、そっぽを向いて鼻を鳴らす白姫。
と、すぐにしょんぼりうなだれ、
「やっぱり、ヨリコはこわかったんだし。シロヒメ、ちょっぴりちびってしまったし。恥ずかしいしー」
「ちょっぴり? あの、いえ、かなり……」
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
またも蹴り飛ばされるアリス。
すると、
「みなさん」
先ほどと同じ依子の呼びかけ。しかし、白姫たちに向けたものとはまったく違う優しい声色と微笑で、
「あちらにお菓子とお茶が用意してあります。よろしければどうぞ」
「えっ……」
いつの間に――アリスはかすかに驚きの息をもらす。
が、よく考えてみれば、白姫が何かするまでもなく依子は来客のための準備を怠るような人ではなかった。
子どもたちから歓声があがる。
そして白姫も、
「わーい」
うれしそうな声をあげ、子どもたちと一緒に――
「ぷりゅ?」
白姫の足が止まる。
というか、止められた。
「あれ?」という鳴き声をもらす白姫だったが、直後、
「ぷっりゅーーーー!」
ほとばしる悲鳴。
白姫のお尻に依子が手を置いていた。決して力をこめているようには見えないが、白姫はまったく前に進めなくなっていた。
そして、依子は先ほど以上の冷気をその目に宿し、
「白姫さん」
「!」
「白姫さんも行っていいと……誰が言いました?」
「だ、だって……」
白姫はがくがくとふるえつつ、
「みんながお願いしてくれたから、シロヒメはもうぷりゅされずに……」
「許すとは誰も言っていません」
「ぷっりゅーーーー!」
恐怖と驚愕のいななきが響き渡る。子どもたちはすでに遠くに行っているようで、それを聞きとめ戻ってくる気配はなかった。
「ヨ、ヨリコ、だましたし……罠にかけたし……」
「だましたつもりはありませんが……」
白姫から手を放した依子は、静かな顔のまま鞭をぐぐっとしならせ、
「みなさんの想いをくんで手前ほどでやめておきましょう」
「て、手前……」
なんの『手前』だというのか……。どちらにしろ白姫にとっては絶望しか残されていなかった。
「こ、こうなったら……」
ふるえる白姫の四肢に力がこもる。そして、
「ヨリコ、覚悟―――っ!」
「白姫!?」
「う!?」
驚きに目を見張るアリスとユイフォン。
なんと白姫が――
依子に向かって、突進を仕かけたのだ!
「無茶ですよ、白姫!」
アリスが叫ぶ。
普通なら――逆だ。
馬の突進をまともに受けたら人間のほうがただでは済まない。
しかし、相手は依子だ。
「ぷりゅ!?」
ズンッ!
白姫の全力の突進を――依子は、
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
平然と、片手で受け止めていた。
信じられない力――
いや、ただの腕力ではない。
技……いやそれをも超えた格。その圧倒的な差をあらためて思い知った白姫の顔がたちまち蒼白になっていく。
「白姫さん」
「!」
そして、
「ぷりゅーーーーっ! ぷりゅーーーーーーっ!」
白姫の悲鳴と共に、容赦のない鞭の音が屋敷の中庭にこだましていった。
Ⅲ
「ぷりゅ……ぷりゅっ……」
お仕置きが終わり――
恐怖の冷めやらぬ白姫は庭の片隅でずっとすすり泣いていた。
「お、お尻痛い……」
「大丈夫ですか、白姫?」
「大丈夫なわけねーし……ぷりゅされるギリギリだったし……」
「う、ギリギリだった」
心配するアリスの横で、ユイフォンがうなずく。
「でもギリギリで済んだじゃないですか……みんながかばってくれたおかげで」
「ぷりゅっ!」
白姫はアリスをきっとにらみ、
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
またもヒヅメが放たれ、またも直撃を受けてしまうアリス。
「なっ、なんてことをするんですか! 何回蹴るんですか、今日は!」
「何回でも蹴らせるアリスが悪いんだし」
「自分、悪くないですよ!」
「悪いし! みんなは身を挺してシロヒメをかばってくれたのに、なんでアリスは身を挺さないし!」
「シロヒメ、こっちを身代わりにしようとしたじゃないですか!」
「うるせーし!」
「きゃあっ」
そこへ、
「白姫ー」
「ぷりゅ?」
さらに放とうとしていたヒヅメを寸前で止める白姫。
やってきたのは、屋敷に遊びに来た子どもたちの一人――真緒と同じくらいの歳に見える女の子だった。
「白姫、どうしたの」
心配そうに近づいてくる女の子。
「白姫が来ないからって、みんな気にしてたんだよ」
「ぷりゅ……」
返答につまる白姫。みんながおやつを食べている間、依子にお仕置きされていた……とはさすがに説明しづらい。
と、女の子は泣きそうな顔で、
「白姫……いじめられてるの?」
「ぷりゅ……!」
はっとなる白姫。
すぐに優しい目になり、
「ぷりゅ。ぷりゅぷりゅ」
「あの、白姫は『いじめられてない』って言ってますよ」
アリスが女の子にそう説明する。すぐさま白姫も「ぷりゅっ」とうなずいみせる。
女の子の顔に笑顔が戻り、
「よかったー。じゃあ、白姫もみんなとおやつ食べよー」
「ぷりゅー」
仲良く並んで歩き出す女の子と白姫。
そんな彼女たちを、アリスとユイフォンもまた優しいまなざしで見送った。
「ねー、白姫」
「ぷりゅ?」
「白姫にはご主人様がいるんだよね」
「ぷりゅ」
「じゃあ、ご主人様を乗せて走ったりするの」
「ぷりゅぷりゅ」
「………………」
「ぷりゅ?」
「白姫……お願い、聞いてくれる?」
「ぷりゅ」
「あのね、わたしも、白姫に乗ってみたいの」
「ぷりゅ……」
「だめ?」
白姫は困ったように黙りこむも、やがてはっきりと、
「ぷりゅぷりゅぷりゅ」
首を横にふった。
女の子が残念そうに表情を沈ませる。
「だめなの? どうして?」
それは――
白姫が騎士の馬だからだ。
騎士の馬は原則、主人以外を乗せることはない。騎士は忠節を貫く者。そんな騎士を主人に持つ馬にとってもそれは同様だった。
「ぷりゅ……」
下を向く女の子を見て――白姫は、
「ぷーりゅぷーりゅー、ぷーりゅぷりゅ~♪ ぷーりゅりゅー、ぷーりゅ~♪」
「あ……」
女の子が顔を上げる。そして、
「しーずかーなー、しーずかな~♪」
白姫と声を合わせて歌い出す。
中庭に、二人の少女の楽しそうな歌声が響き渡った。
そして夕暮れ――
「白姫、またねー」
「またねー」
「ぷりゅねー」
手をふって帰っていく子どもたちに、白姫もしっぽをふって応えた。
隣のアリスが微笑み、
「みんな、よろこんでいたみたいでよかったですね」
「よかったし」
そう言ったあと、白姫はすぐに涙を見せ、
「ヨリコのいじめに身体を張って耐えた甲斐があったんだし……」
「いじめじゃなくて、お仕置きですよ。それに、そもそも白姫が悪いんじゃないですか」
「ぷりゅーーーっ!」
パカーーーーーーン!
「きゃあっ!」
都合の悪い指摘を強引に蹴り飛ばしたあと、白姫は何事もなかったように、
「またみんなの来る日が楽しみだし」
「そ、そうですね……みんな、いい子たちですから……」
「そうだし。みーんないい子なんだし。さすがシロヒメの友だちだし。だから今度はもーっとよろこんでもらいたいんだし」
「いや、でも、今日みたいなことはやめてくださいね」
「それは身にしみてわかったし……」
真剣な顔でうなずく白姫。
が、すぐ笑顔に戻り、
「シロヒメ、友だちがたくさんいてくれて、とーってもうれしいんだし」
「そうですね」
「みんな、みんな、ずーーーっと――」
白姫は言った。
「友だちなんだし」
Ⅳ
アリスは言葉を失った。
「そ、そんな……」
それは――
白姫の『ヨリコの弱みつかむ』事件から一ヶ月ほど経った日のことだった。
「あの子ね……白姫と一緒に歌えて楽しかったって」
「………………」
確かに違和感はあった。普段、白姫を慕って集まってくる子どもたちの中では、見たことのない子だなとは思っていたのだ。
「あんまり学校に来られなくてね……外でもぜんぜん遊べなくて……」
「………………」
「でも白姫が歌ってるのが聞こえてきて……いつもそれに合わせておうちの中で歌ってたって……」
「………………」
「あの日は、どうしてもっておうちの人に頼んで、それで白姫に会いに……」
話していた女の子が涙にむせび、それ以上は何も言えなくなる。一緒にいた子どもたちもそれぞれに悲しみをにじませる。
その日、屋敷に来た子どもたちの応対に出ていたのはアリスだった。
白姫は――まだこの場にいない。
(どうしましょう……)
知らせるべきかどうか……アリスは迷った。
もちろん、知らせないわけにはいかない。それに、いま知らせなくとも、いずれは子どもたちの口から伝わるだろう。
しかし、白姫はまだ三歳なのだ。
身近な者との死別を体験したことはおそらくないはずだ。
そんな白姫に下手な伝え方はできないと、アリスはあらためてどうするべきか――
「あっ、白姫」
「えっ!?」
子どもの一人の言葉に驚いてふり返るアリス。
「あ……」
おそらく誰かからみんなが来ていることを聞いたのだろう。すこし離れた場所に、こちらを見て無言で立ち尽くしている白姫の姿があった。
「あの、白姫、いつから……」
アリスや子どもたちが気づかなかったほどだから、それなりに互いの距離はあった。
しかし、アリスは知っている。
馬がとてもすぐれた聴覚を持っていることを。
「し、白姫……」
アリスがあたふたと彼女に近づこうとしたその瞬間、
「!」
白姫がきびすを返した。
そして、まっしぐらに屋敷の外を目がけて駆けていった。
「白姫!? 白姫――――――っ!」
そこへ、
「どうしたの?」
「葉太郎様……!」
現れたのは、白姫の主人であり従騎士のアリスにとって仕えるべき騎士である青年――花房葉太郎だった。
「じ、実は……」
自身も胸の痛みを感じながら――
アリスは、これまでのことを葉太郎に話し始めた。
Ⅴ
「白姫……」
夕闇の近づく山の中――
愛馬の背中に手を置きながら、葉太郎は言った。
「白姫は、悪くない」
「悪いし! シロヒメ、ものすごく悪い子だったんだし!」
首を激しくふって、白姫は絶叫する。
「シロヒメ、あの子を乗せてあげられなかったんだし! 乗りたいって言ったのにだめって言ったんだし! 騎士の馬だからって!」
「………………」
「あの子は、ヨリコからシロヒメを守ろうとしてくれたんだし! なのに、シロヒメ、あの子の頼みを聞いてあげなかったんだし! こんなシロヒメなんて、あのときヨリコにぷりゅされちゃってればよかったんだし!」
「それは……」
葉太郎は確信をこめて言った。
「それは違う」
白姫が、はっと葉太郎を見る。
「その子はそんなこと思ってない」
「で、でも……」
「だって……白姫のことが大好きだったんだから」
「……!」
言葉をなくす白姫。
葉太郎は、
「歌おう」
「っ……」
「その子のために……歌ってあげよう」
「………………」
白姫は、
「……ぷ――」
暮れなずむ町に向かって、再び、
「ぷーりゅかーなー、ぷーりゅかな~♪ ぷーりゅのー、あーき~♪」
重なる。
共に歌った女の子との思い出が。
遠く――
遠く――――
「ぷーりゅぷーりゅー、ぷーりゅりゅの~♪ ぷーりゅぷーりゅは~♪」
聞こえた気がした。
彼女の声が。
『ありがとう――白姫』
シロヒメとしずかなうた