連載 『芥川繭子という理由』11~15

昔から、架空のバンドを創作して妄想するのが好きでした。自分の理想とするバンド、そのメンバーならこんな事を話すだろう、こういう風に生きるだろう、そんな思いを会話劇にて表現してみました。既に完成しており、かなり長いです。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。全76回。

連載第11回。「AZ」

善明アキラという人物についてを本来であればメンバー4人にお伺いするべき段階に来て、編集者としての経験が自分にストップを掛けた。まだ早いのではないか。そう考えてしまう根拠が自分の中にあったわけではない。毎日のようにメンバーの姿を目で追いながら、事あるごとに何某かの言葉を投げかけようと試みては来たが、いつも決まってポーンと弾き返されるような感覚があった。芥川繭子へのインタビューを終え、一通り初めての単独取材を終えたタイミングで味わった『壁』とか『膜』と呼べる透明な隔たりに、私は一歩を踏み出せないでいた。その事を伊藤氏に相談してみた所、彼女は笑って「じゃあ」と頷いて下さった。



2016年、4月某日、会議室にて。
語り、伊藤織江。

「本当は、こういう言い方で、あまり表に出したくはないんですけどね。
でも時枝さんの場合、既に情報を仕入れていると思いますし、
この業界にいると嫌でも耳にする機会はあったと思うので正直に言いますけど、
結構、やんちゃな人達だったんですよ。
主に10代から…、20代後半にかけて。…ええ、長いですよね。
笑ってごまかしてます、今。
オブラートに包んだ言い方で『結構やんちゃ』な人達なので、
そこらへんは上手く編集しながら記事では適度に和らげておいてくださいね。

子供の頃はなんと言いますか、厄介な事に本人達だけではなくて。
周りにもやはり『そういう子達』が彼ら目掛けて集まって来て、
彼らを中心に色々と問題行動を起こしていたわけですよ。
ただそうは言っても、おそらく今の時代に想像出来るような、
不良少年達の姿とは違うと思いますよ。
ここ数年なんとなく、そういうのが格好良いと持て囃されるような、
んー、流れというと変ですけど、ありましたよね、漫画とか映画とか。
だけど彼らの場合はそういうイメージとは、ちょっと違うと思います。
何だったんだろうって思いますけどね、あの人達のあの無軌道さは。
理解しがたい…、あはは。

昔からある表現で分かりやすいなと思うのが、『痛みを感じないかのような』、とか。
格好付けすぎですかね。でも本当にそうなんですよ。
ギラついて、とんでもない方向に向かって前のめりな姿勢と言いますか。
わざわざ自分で傷を作るために、荊のトンネルに腕を突っ込みたがるような、
そういう危うさを4人ともが持っていたんですよね。
傍から見てるだけでも特別な4人でしたよ。
幼馴染だからっていう理由だけでは片付けられないです。
例えば、皆でワイワイ大声で盛り上がろうぜーみたいなノリは、皆無でした。
暴走族とも違うし、まず他人を巻き込んで盛り上がるような明るさがない。
好んで犯罪を起こす人達ではないんだけど、
何故だかずーっと問題を抱えていましたし、巻き込まれてました。っはは。
んー、そうだから、一言で言うと、暗いです。
ええ、暗いですよ、彼らの青春時代は。
だからきっと、今風のアイドルとか若手俳優を集めて映画化とか、きっと実現しないです。
全然魅力的ではなかったですからね、そういう意味では。
何度も言いますけど暗かったんです。だから本気で怖かったですからね。
…そうです。っはは、もう、苦労したんだよ!伊藤さんは!
あはは、でもそう言いながらも具体的な事は、ええ、一切教えないですけどね。
私はこれでも一応社長ですから、社員は守らないといけませんしね。
じゃあ言うなよっていう話なんですけども。
でもうちの真壁とか渡辺に聞けば分かると思いますが、
あの4人は頭が〇〇〇いって、私達の世代では有名でしたよ。
あはは、ああ、そうだね。うん、そっか。…うん、今のはナシで。
でもその頃についた怖いイメージというか、
暴力的な一面をもう私は既に知っていたからこそ余計に、うん。

…アキラが病気になったって知った時、全然実感がなかったんですよ。
いや、実感はあったか。
心配だってしてない訳はないんですけど、大事として捉えたくなかった。
うん、そういう感じだったと思いますね。
風邪をこじらせた程度でしょう、ぐらいに思いたくて。
アキラの病気が発覚した当時は、大切な人が連鎖的に亡くなる事態が続いて、
とても疲弊していた頃でもあるんです。
私の妹もそうですし、アキラの恋人のカオリだってそうです。
皆、病気で死んでいきました。
だけどアキラはなんと言うか…殺してもただでは死なないような。
言葉は悪いですが、そういうキャラクターでもありましたから。
癌だって分かった時ですら、でも治るんでしょ、早期なんでしょって。
何故なんでしょうかねぇ。
そういうのを軽く見てはいけない事は、分かってたんですけどね。
分かっていたのに、感情が逃げて行ったと言いますか。
…だって凄いんですよ、アキラって。
これももう時効だし良いかなって思うんですけど。
昔からめっちゃくちゃ喧嘩が強い人だったんです、笑っちゃうくらいに。
いつだったか、喧嘩して負かした相手2人くらいを、片手で服の襟掴んで引きずって、
バイクで運んできた事があるんです。
放っておくと捕まりそうだったんだーって。
それは可哀想だろー、だって。
だからってヒト2人片手で引き摺れますか?
見た事あります? そんなコントみたいなシーン、ないですよね。
っはは、まあ、そういう変な逸話は置いといて。
そういう、普通の男とは枠が違うというんでしょうかね。
常識では測り切れないような存在でしたし。
天真爛漫なようでいて、単純なんかじゃない影みたいなのもありました。
とにかく何をやっても突拍子がない人でしたけどね。
掴み所のない人だけど驚く程一途で、…面白い奴でしたよ。

(思い出と共に溢れ出した気持ちが涙となって、伊藤の頬を伝う。言葉が止まる)

バンド結成当時の話はご存知ですか?ちょっと彼ららしい面白い話があって。
竜二と大成は、割と早い段階で音楽で食べていくって決めてたんです。
4人全員楽器は出来たし、幼馴染だし、てっきりアキラもそうだと思っていました。
でも翔太郎とアキラはずっとプラプラしたままで、
今ひとつバンドの話に乗って来なかったんですよ。
そうこうするうち、待てなくなった2人が先に『クロウバー』を始動させて、
あれよあれよという間にメジャーデビューが決まりました。
これはこれで、また凄い話なんですけどね。
普通ハタチやそこらがバンド組んですぐにメジャーデビューなんで出来ませんよね。
私が言っても説得力はありませんが、才能はあったんでしょうね。
認めてくれる人達に出会えたのも大きいですし、きっと時代も良かったのかな。
それにもちろん、デビューを後押ししてくれた人の存在もありましたから。
だけどその頃、アキラと翔太郎が実際に何を考えていたのかは、
直接問い質したわけではないので本当の所は今でも分からないんです。
特にアキラはもう、尋ねる事も出来ませんしね。
もともと彼は、車やバイクいじりが好きだった大成と一緒にいる事が多くて、
その影響もあって、自動車の整備工の道も考えてましたし、
やっぱりそっちに行きたいのかなーって思ってましたね。
バイト先がずっとそうだったんですよ、カオリの実家が整備工場でしたから。
でぇ、翔太郎はー…。
竜二達がデビューして、でも2年程でクロウバーを辞めちゃって、
その後の彼らの充電期間中に、誠と出会う事になるんです。
後になって、当時は割と真っ当に生きる道を考えた事もあるって。
ええ、翔太郎の口から聞いた事ありますよ。
まあ、その一度っきりだけですし、お酒飲んでたんで本心は分かりませんけど。
実際何をどう思ってたのか具体的な内容までは聞けてません。
私個人としては、彼の考えてる事が一番分かりませんから。
もしかしたら、誠にだけは言ってたかもしれませんけどね。
ただ、面白いのはその2人じゃなくて、
先にデビューした2人の方が、アキラと翔太郎を諦められなかったんです。
子供の頃からずーっと4人でいましたから、寂しさは理解できますよね。
竜二と大成、2人だけが先へ進んでいく事に抵抗があったんだと思います。
当時クロウバーを組んでたギターが、
実はうちの(スタッフ)真壁なんですけど、事故で足を悪くしまして。
そういう不運も重なって、もう一度ちゃんと、声を掛けて話合ってみようと、
そういう流れになったみたいですね。
ドラム。はい、渡辺です。
彼は、元々表に出て演奏するっていうのはあまり好きではなかったみたいですね。
努力家で熱い男ですから、誘われるがまま付いて行ったような所がありますけど。
真壁も渡辺も、皆とは学生時代からの友人ですからね。
ええ、はい。昔っからの、腐れ縁会社なんです!
それでですね、そのー、話し合いというのがですね。
竜二が、あの2人に向かって言ったそうなんです。
『アキラはドラム、翔太郎はギター、大成がベースで、俺が歌う。これで世界に行こう』
って。ぽかーんですよね、翔太郎とアキラはね。
アキラは最初、海外旅行の話だと思ったらしいですよ。っはは!
そうなんですよ、実に竜二っぽいですよね。言い回しとか今と同じ!
だけどその横に真顔の大成が立ってるの見て、あーこれはマジなやつかって。
お互いの顔見渡して、
『えー、こいつベース?こいつギター?こいつ歌うの?えー?』
って。でも、

『あ、こいつらとなら行けるかもしれない』

って思ったそうですよ。
お互いの中にある不思議な、人間的な強さってものを信じてみようって、
そう思ったんだそうです。

『馬鹿だから何がどうだって言葉では言えないけど、こいつらが普通じゃないのは初めから分かってた』

って。何か凄くないですか、この話。
そうですよ。アキラ本人から聞いた話です、これは貴重でしょう?
是非何かの形で掲載してもらえれば」




2016年、5月某日、会議室にて。
語り、関誠。


その日、たまたま遊びに来ていた関誠氏を捕まえて、お話を聞かせて頂いた。
この頃には既に彼女の事務所から取材許可も得ており、私個人としては善明アキラ氏についてお伺い出来る貴重な人に巡り合えた喜びと、肉眼で捉えるだけで心拍数の上がる美人に再会出来た喜びで、ただただ舞い上がっていた。
だがこの日を境に、私にとって関誠という女性は単なるファッションモデルではなくなったし、ユーモラスで明るく優しい伊澄翔太郎氏の恋人という、ただそれだけの存在ではなくなった。彼女は、私にとって…。


「アキラさんかー。うおー。んー。あー。辛いですね、まだね。
アキラさんの話はいまだに辛いんです、私は。
10年ですよねえ。うん、10年経ってますけど、時間は全然関係ないかな。
あのー、やっぱり私みたいな付き合いの短さだと、悲しい記憶の方が勝つんですね。
良い思い出よりも衝撃の度合いが上回ると言いますか。
翔太郎と知り合って、他の皆と知り合って、仲良くしてもらって、
そこからほんの数年の間で2人も大切な友人を亡くして、最後にアキラさんです。
当時、私一応モデルとしてお仕事させてもらってましたけど、
デビューして間もないっていうのに全然仕事にならなかったですからね。
嫌だ、嫌だって何度翔太郎に泣きついたか、もう、はっきりと覚えてないですもん。
眠れない日が続いて、限界が来て落ちるように意識を無くして、
朝起きて、自分の一日を想像する前に、ドっと悲しみが押し寄せて、
起き上がれなくなって。
…ふふ、うん、そういう時代がありました。
ここ(スタジオ)にこうやって顔出せるようになったのも随分経ってからですよ。
それまで翔太郎に『顔出せ、皆会いたがってるから』って言われても拒否ってましたから。
だってスタジオは昔と違うけど、顔触れは同じじゃないですか。
皆どんな顔してるんだろうとか。私どんな顔すればいいんだろうって。
でも久し振りに見た繭子が超可愛くて、嬉しくて、それだけでちょっと元気貰いましたね。
しばらくしてからちょくちょく来れるようになってからも、
本当に、ほんっとうに、辛くて、悲しかったです。


あのー、…めっちゃ素敵だったんですよ、アキラさんとカオリさんが。
憧れでしたよ私の。ルックスが向こう、圧倒的に素晴らしくって。
うちら、ねえ、アレだったですけど。
ん? いやいやいやいや、まあまあまあまあ。あははは。
それはまあ、アレですけど。
…タイミングの良い人間なのか悪い人間なのか分からないですけど。
カオリさんのお見舞いに通ってたアキラさんも知ってるし、
病室で、カオリさんの最後を知った瞬間も私そこにいたんですよね。
アキラさんが亡くなる割と、ギリギリの時にも、あのー、…いたので。
そういう意味では幸せ者なんだと思いますけど、…あー、やっぱり辛いな。


…最後の最後は、親御さんまで、翔太郎や大成さんや竜二さんに、
自分達が座ってた椅子を譲ったんですよね。
私それ見てて。
4人だけにしてやろうって、ご両親と一緒員に部屋を出たんですよ。
これ、分かりますかね。その、意味分かります?
これ凄い事なんですよ、だってね…。
ごめんなさい、分かんないですよね。
もー、10年経ってこれですもん。
全然ダメ、アホ、バカ、ごめんなさい。あーああ、また怒られる。
…ここ何年かで大分、大丈夫にはなったんですけどね。
さっき言ってたみたいな精神的に参ってる時期が長くて。
トラウマっていうと嫌な聞こえ方になるんで使いたくないですけど。
でも、苦楽を共にした仲間ではないですけど、物凄く優しくしてもらったので、
喪失感がハンパなかったんですよね。


実はだから、この、時枝さんの取材の話聞いてなんで受ける決心したかって言うと。
翔太郎から、悪い奴じゃないよって聞いてたのもありますし、
今後もバンドを可愛がって欲しいからってのいうもあるんですけど、
そっち方面とはまた別な意味で、ずっと誰かに聞いて欲しかった事があるんですね。
あ、目がキラーンてなりましたよ、全然関係ないモデル業界の裏話とかしてやろうかな。
あはは、ウソです。…ただちょっとね、今でも普通にブルってます。
怖いんですよね、言葉にするのが。
あのー。
翔太郎にも、誰にも、言ってない事があるんですよ。
でもずっと誰かに聞いて欲しかったんです。
だけど当時の私はそれを口に出すときっと壊れてしまうなって。
うん。自分ではそう思っていて。


はあーー(大きな深いため息)。
うん、アキラさんの話ですよ。アキラさんが、亡くなる2か月程前ですかね。
お見舞いに行って翔太郎と一緒に座ってたら、たまたま翔太郎が急用で呼ばれて。
1人だけ先帰っちゃって、私だけ残ったんです。
来たばかりだったし、別に2人になる事に抵抗なんかないので。


ふーー。
あはは、ありがとうございます(心配になるほど震えた声)。
無理はね、もう今ちょっとここで頑張ってしておかないと、
一生喋れない気がするので気合入れますね。


『翔太郎って普段どんな感じだ?」


って、いきなり聞かれて。
いつも皆といる時とおんなじですよ、って答えました。


『そうかー。そんなはずないけどなぁ』


って。
どうしてですか?って聞いたら、


『誠といる時は、いっつも真顔なんだよあいつ。やっぱりこいつ本気なんだなーって。俺はそう思って見てる。なんか、ふふ、それが嬉しくてなー』


(ドバっと、誠の両目から涙が溢れて流れ落ちた。慌てて私はハンカチを差し出すのだが、私の両目も似たようなものだった)


初めてだったですねー。アキラさんが私に、そういう事言ってもらったの。
いつも心配してもらって、大丈夫かって声を掛けてもらってました。
だけどその時言って下さった安心に似た言葉は、まだ例えようがないです。
その時はただ嬉しくて、まだガキだし、顔真っ赤になって、本当ですかあ?って。
…あれ、私何言ってたかあんまし覚えてないな。
それで、アキラさんが言うんです。


『俺な。ノイの事やカオリの事があってめちゃくちゃ辛かったし、今も強烈に辛いけど、まあ、こうしてお前と話出来てるだろう?』


って。


『やっぱりこういう時、俺一人が苦しいわけじゃないって思える奴らが側にいるのって、有難いんだなって。それはもう昔っから分かってて。俺な。実はな、翔太郎や、大成や、竜二、織江達の事はそんなに心配じゃないんだよ』


心配?って思って。何ですか?って聞き返すと、アキラさん真顔で言うんです。


『俺になんかあった時』


やめてくださいよそんな話って私怒っちゃって。
でもアキラさんお構いなしで。


『あいつらは勝手に泣いて、勝手に支え合って、勝手にやってくだろうって俺には分かるんだよ。実際今がそうだしなあ』


私、正直耳塞いじゃおうかと思いましたよ。
顔真っ赤にして怒って、でも、聞かなきゃいけないんだって事は分かってました。


『ごめんな誠。だけど、俺はお前が一番心配なんだ』


って。アキラさん、そう言ったんです。お前が一番心配だって。
私もう首を振ることしか出来なくて。
何言ってんですか。そんな事ないですよ。心配ないです。…嫌です。
どんな感情だったかなー。きっと全部ですねえ。
…夕方だったと思います。部屋の中が物凄くオレンジで。
私は今、何を言われてるんだろうって、ぐちゃぐちゃになりました。


『お前が一番心配なんだ、誠、お前が』


『なあ。翔太郎は』


『あいつはちゃんとお前に優しいか?』


『自分勝手な人間の集まりみたいなもんだから、分かりにくいとは思うんだけど。ちゃんと皆良い奴だろ? だけどお前には翔太郎しかいないんだって、俺は思ってるから』


『あいつはちゃんと誠に、優しく出来てるか?』


そう言ってアキラさんは」


これ以上私はカメラを回していられなくなって、録画を中止した。この仕事をしていて初めて抱く感情だった。私はこれまで、どんな場面だって取材対象からカメラを背ける事などなかった。どんな醜い内輪揉めも、流血沙汰も、馬鹿馬鹿しい痴話喧嘩も、許される限りこのカメラに収めて記事の材料にしてきた。しかし今回は違った。これは無理だ。そう思って自ら静かに電源を切った。彼女は私がそうした事に気づかなかっただろうし、その後もしばらく話を続けて、その間私もじっと耳を傾けていた。私は出会った日から関誠を好きになっており、善明アキラを尊敬していた。その時には既に彼らと、彼らの心の底にある繋がりというものを、単なる取材対象として捉える事が出来なくなっていたのかもしれない。


そしてこのインタビューの数日後。
たまたま立ち寄った書店で、関誠氏が表紙を飾る女性誌が目に留まった。


『うわー、やっぱりプロは違うなー。綺麗過ぎて目が潰れる。この人に数日前取材して、2人きりで喋ったんだよなー』


そんなミーハーな余韻に浸れるかと思ったのだが、僅か数秒ですら叶わなかった。
私は彼女の笑顔を見つけた瞬間、その女性誌を握り締めて泣き崩れた。
その場に座り込んでしまい、店員さんに酷く心配された。
声を掛けられても返事が出来ないくらい、嗚咽で胸の中心が痛んだ。


善明アキラはきっと自分の死を覚悟していた。そして、想像も出来ないような恐怖と悲しみに苛まれて尚、友人に優しい言葉を掛けられる程の強さを持ち続けたまま旅立った。
こんな人がいたのか、と思う。表現のしようもない優しさに触れて、まだ若かった関誠の心は爆発寸前だったに違いない。関誠もまた、善明アキラの死を乗り越えてここにいる。見つめられると照れて俯いてしまいそうになる程美しく、明るい彼女の笑顔には、そうした経験を乗り越えた力強さが秘められていた事を私は知った。




2016年、5月、会議室。
語り、芥川繭子。


「誠さんと二人で?へー。超美人さんでしょ。ねえ、びっくりするよね、あの造形美。
初めて生で見た時目が覚めたもん。まだモデル始める前だったけど目ん玉飛び出たよ。
私が今まで出会った人の中で一番綺麗かもしれない。
テレビで見る佐々木希より、生で見る関誠だよね、これ私が考えた名言だけど、間違いないでしょ。
ね、これ名言でしょ? めっちゃ好きよ、私。めちゃめちゃ好き。
宇宙一好きかも…ごめん言い過ぎた。あははは!
ん?…えー。もー、だから。
やめてよちょっとまじで、そこは受け入れられないな。
いや、あんな顔になってみたいとは思うよもちろん。
だけど、いーやーちょっとトッキー、度が過ぎるよ本当に。
はいはい。…はいはい。
嬉しくないわけないじゃん、誠さんプロだよ。
そんな人に褒めてもらったらそら嬉しいさ、女の子だもん。
…28だけど。…今年9だけど(笑)。
でも私は女の子としての部分を、大切にはしてないから。
そんな事言われても皆程素直に喜べない。


え?…え、アキラさんの話を? こないだ? あー。そうか、やー…。
そうなんだ。でも話が聞けただけ凄いと思うな。うん、そうだろうね。
何というか、立ち位置とか距離感は私と似てると思うの。
…えっと、トッキーから見て、私とメンバーを見た時の関係と、
誠さんとあの3人の距離感ほぼ同じだと思って考えてみると分かり易いね。
いや、きっと出会ったのは誠さんの方が先だしもっともっと近いかもしれない。
うん、そう。そうだよ。辛いとか、そんな言葉で表現できる感情じゃなかったよ。
確実に、未来の一つが消え去ったのを見たんだもん。
あの時はただただ、耐えるしかなかった。
適切な言い方じゃないかもしれないけど、私達は打ち込めるものがあったから、
ずるい言い方をすると、忘れていい時間があったでしょ。
結果的には忘れないから、忘れた振りをしても許される時間、というかね。
でも織江さんや誠さんにはそれはなかったと思うし。
ひたすら、悲しみに耐えるしかない日々が続いたんだよ。
だからそういう意味で時間は関係ないのかなーと思うよ。
だって時間が経てば、大事な人が大事じゃなくなるの?って、そんなわけないしね。
私はこの10年、ガムシャラにこのバンドでドラムに打ち込んで来た。
それでも、今でも身を切るような痛みに襲われて夜中に飛び起きる事があるよ。
…夢を見るの、今でも。
昔のスタジオ。アキラさんのいた病室。まだ若い織江さんや誠さん。
優しい皆の笑顔。奥歯を噛みしめて涙をこらえる皆の顔。
眉間にぐあーって皺寄せて、拳を握って耐えている顔。
それでも涙は滝のように溢れるの。泣いて、叫んで。
どれだけ強く願っても、思っても、祈っても、人の死には逆らえないんだよね。
だけど、それでも私達は悔しくてたまらなかった。
そういう思い出は消えないからさ。
こう、胸の真ん中がね、ギューっと痛くなって目が覚めるんだよ。
でもね、私はもうその事で泣かないって決めてるの。
私はアキラさんの代わりにここにいるし、アキラさん以上に叩いて叩いて叩きまくるの。
その為に生きてるからね。泣いてたらドラム叩けないでしょ。
ただ今でも泣いちゃいそうになるタイミングって、悲しい記憶を思い出した時じゃないんだよね。
無心になって、前を見据えながら一心不乱にドラム叩いてると、
急に波が押し寄せて来るの。
本当は私じゃなくてアキラさんだったんだ。
皆それを望んでいたし、私もそうだった。
私が今全力で叩いているこの場所は、
もしかしたら永遠に私の物にはならない場所なんだって。
虚無感とかではないよ。充実してるし、私が勝手に自虐的に思うだけだし。
ただ一瞬波が押し寄せるの。私は何をやってるんだろう。
私は…その先はいつも空白で、ふっと我に返るの。
そういう時、いつもメンバーの誰かがいつもより近くに立っていて、
顔をのぞき込んだりはしないけど、私を気遣ってくれる様子が分かるの。
気が付くと、泣いてないのに、涙だけ流れてるの。
多分同じステージにいる人じゃないと見えない程度だと自分では思ってるんだけど、
実際は、どうなんだろうね。


基本的には、勝手に私が師匠扱いしてただけで、
手取り足取りドラムを教えてもらった事はないんだよ、実は。
そもそも我流だけどドラムは叩けたし。
どういうドラムを叩きたいのか、自分が一番好きなものはなにか、
そういう事を考える時間が長かったな。
そのぐらい、次元の違う人に思えた。
スタジオにお邪魔して色々勉強してるつもりでも、
ちょっと、なんというか、…まさしく雲の上というか。っはは。
何が違うかがもうね、分からないの。
私はずっとアキラさんに、ドラムに関して何かを尋ねる事は失礼だと思ってた。
翔太郎さんにさ、お前俺に合わせられんのかって言われたでしょ。
私本当は前々からそれは分かっていて。
何かアキラさんに教えてもらったとしても、じゃあそれをやれんのかよって思うし、
思われるだろうなって勝手に思い込んでた。
ただ、今にしてみると違ったのかもしれないんだなーって、それもあって。
…翔太郎さんの言葉も知らない人が聞けばキツく聞こえるのかもしれないけど、
お前はひたすら叩け、俺がちゃんとフォローしてやるって、そう言って貰ってるんだよね。
アキラさんにも、いっぱい色んな話聞いて、その時は無理でもさあ、
いつか叩けるようになれれば良いし、今だったら、結構やれると思うんだよ。
だから、勿体ないことしたなーって。


特徴的だったのはね、いつも、あの人は顔を上げて叩いてた。
皆の事を見ていた。
じっと一点を見つめて集中するとか、疲れて下を向くとか、
考え事して視線外すとかしない人だった。
いつも、皆を、ちゃんと見ながら叩いてる姿が印象的だったんだ。
やろうと思うとなかなか厳しいんだよ、これが。
特に私達みたいな楽曲だと尚更ね。
逆にお客さんの事は見てなかったかもしれない。
前の3人は、特別後ろを振り返るタイプの人ってわけじゃないんだけどさ。
もうテレパシーで会話でもしてるんじゃないのって言いたくなるくらい、3人の背中を見て、笑顔だったよ。
辛そうに叩いてる姿は見た事ないね。
あと体力は無尽蔵。
ライブ後半になって、最後の一曲になっても、疲れた顔見たことない。
汗だくだよそりゃあ。けど意に介さないんだよね。
だからなんだよ、っていう、そうやっぱり笑顔。
あと叫んでたなー。ドラム叩きながら、竜二さんが歌い出しの前に叫ぶ感じで、
「ウオイ!」とか「デエエアアア!」とか、
なんか多分そんな、言葉になってない雄叫びを、よく上げてた印象あるね。
格好良かったよー、そんなの当たり前じゃない!
今でもやっぱり、アキラさんのいた時代、ファーストアルバムの頃が一番良いっていう人は一定数いるの。
腹立つけど、どこかで『そうだよね』って同意してる自分もいたりで、それがまた腹立つんだけどね(笑)。
ファンの人には自慢に聞こえちゃうけど、ちゃんとこの目と耳で、一番近くで見た人間だから。
その私が言うんだから仕方ないけどね。まだ、全然勝てる気がしない。
…だってさ、ドラムの巧さやアレンジなんかで誰も勝負しないじゃない?
ただバンドを見て、聞いて、格好良いかどうかでしょ。
あのギタースゲーな、あのドラムスゲーなって、記憶に残るのは
そんな漠然とした衝撃だったりするでしょ。
私達の目指す所がそういう場所なんだと思う。
CDセールス何万枚とか、ライブの動員数何人とか、目に見えるデータじゃなくて。
おい、あのバンドのドラム凄くないか? 強烈だったな!クレイジーだぜ!
って世界中のメタルファンに言われたいだけ。
アキラさんなら、きっともう言われてる気がするんだ。
そういう人を惹きつける笑顔と、パワーと、器があの人にはあったから。
だから私が本当に欲しいのは、天才とか、上手いとか、そういう褒め言葉じゃないのね。
嬉しくないわけじゃないよ、あの人達に認めてもらえるならどんな言葉だって嬉しい。
ただいつか、私じゃないと駄目だって言わせたいんだよ。他の誰でもない、あの3人にね。


今、うん、そうだね。わりとたくさん、色んな方面から誘われるよ。
それこそドーンハンマー辞めてウチで叩きませんかーなんてのもあるし、
ニューアルバムのゲスト参加で叩いて貰えませんかっていう依頼もあるし。
テレビの企画みたいな奴で、ドリームバンド組んでレギュラー出演しませんか、とか。
いやー、面白いったらないよ。やるわけないじゃんね。
私が一体どんな気持ちでここにいて、ドラム叩いてると思ってるのよって。
まあ、皆知るわけないし責める気は毛頭ないんだけど。
だから丁重にお断りさせていただきますな感じなんだけど、
直接私が話するわけじゃないでしょ?
だからあとで織江さんに聞いてさ、先方さんすっごいびっくりしてたよーって言われるのが面白くて。
まさか断られるとは思ってないみたい。
うん、名前出すと皆知ってるレベルのバンドだったり、放送局だったりすると思う。
でもまあね、トッキーにはさんざん言ったけど。
バンド辞めるなんてそもそも絶対にありえないし。
ゲスト参加で、誰かの、あの3人以外の後ろでドラム叩くなんて、想像しただけで鳥肌が立つくらい嫌だ。
何がドリームバンドだって。あはは。
こっちは10年前からずーっとドリームバンドだっつーの!ね!あははは!
翔太郎さんじゃないけどさ。
竜二さんより歌えんの? 翔太郎さんや大成さんより弾ける奴いんの?
って言いたいよ。私は安くないよ。我儘だし、傲慢だよ。
そうだよ、もしアキラさんがここにいたとしてさぁ。
あの3人以外とドラム叩くわけないもんね。そういう事だよ」

連載第12回。「翔太郎×URGA」

2016年、5月23日。
対談。伊澄翔太郎(S)×URGA(U)。
スタジオ内、応接セットのソファーに腰かける2人。
2人の間には、優に2人が座れる分の距離が開いている。
画面右側の伊澄は、いつものように背もたれに体を預け、俯いている。
不機嫌ではないが、笑ってもいない。
対する左側のURGAは、背すじを伸ばして座ったまま、ずっと伊澄を見つめている。
口元には微笑みが浮かび、瞳はキラキラと輝いている。まるで恋する乙女のようだ。


-- 画面を通してこちらまでフワフワ感が届いて来るようです。そしてスタジオ内とてもいい匂いがします。本日は、我らが超絶ギタリスト・伊澄翔太郎さんと、世界を包む温もりボイス・URGAさんにお越しいただいて、お二方の対談を収録させて頂きます。…えー、もうカメラ回ってます。…よろしくお願いします。
S「…」
U「…」
-- よろしくお願いします。
笑顔のままこちらを振り向き、URGAが「お願いします」と頭を下げた瞬間、伊澄が煙草に火をつけた。
U「やめろー!ボーカリストだぞー!」
相変わらず声量たっぷりに、愛嬌のある声でURGAが言うと、本気で慌てた様子の伊澄が煙草を揉み消した。彼ほどの人が緊張している姿などそうそうお目にかかれない。
-- まずは今回、弊誌掲載を許可してくださった事を、改めてURGAさんに感謝したいと思います。ありがとうございます。こんな日が本当に来るは思ってもみませんでした。まさかお二人のやりとりを生で拝見できるとは。
U「いえいえ、掲載許可とか、そんな大げさな話じゃないですよ。単純に、ジャンルの違いからくる違和感があるだけです」
S「っは、トゲあるわー(笑)」
U「なんだと!?」
S「許しはしたけど納得はしてねえ、みたいに聞こえなかった?」
-- 私に振るのはやめてください。そんな事全然気にしません。
U「トゲなんかないよー!」
-- 嘘です、全然なにも感じませんよ。お二人の仲の良さが見れて幸せだなーと思うだけです。
U「えへへー、そうなのー、実は仲良しなのよー」
カメラ目線でワザとらしくアピールするURGAに、伊澄が苦笑いを浮かべる。
-- そもそも、お二人の関係はどこから始まったのでしょうか。
U「馴れ初め?」
-- ああ、はい。
U「私が話す?それとも、あなたから言う?」
S「最後までそのキャラで行くの?」
U「そのつもりだけど」
-- 昨年のアルバム参加がきっかけですか?
S「実際に初めて会ったのはそう」
U「私がもともと、オリーと仲良しだったの」
-- 伊藤織江さんですね、『バイラル4』代表の。
U「そうそう、オリーと大成くんがよく私のステージを見に来てくれてたの。それでね、うちのスタッフに彼らのファンがいて、『今日、お見えになってます』って、聞いてもいないのにわざわざ教えてくれるの」
S「っははは!トゲ!」
U「誰が?ってなって、最初は。そしたらさ、『あの、ドーンハンマーのベースです』って言われて、どこー?って袖からチラ見したらまあ男前と美女のカップルじゃない? すぐに、楽屋へ来てもらって。でもね、最初は大成くんが一人で来たの。あれ、彼女はって聞いたら『会社の人間としてお会い出来る格好をして来なかったので、本人が辞退しました』なんて言うのね。当たり前じゃない、お休みの日にコンサートへ遊びに来てくれてるわけだから。私それ聞いて、凄いちゃんとした人だなーって思ったんだけど、同時にこれは出会いなのかもしれないなと直感して。是非お会いしたいですと私の方からお誘いして。そこから仕事の話をちょこちょこするようになったのかな。オリーも海外詳しいし、本当に気が合う素敵な人」
-- そうでしたか。もともと、ドーンハンマーというバンドはご存知で。
U「もちろん」
-- どういう印象をお持ちでしたか?
U「ちゃんと聞くまでは『うーん、何かルックスが怖いなー』っていう感じ」
S「(笑)」
U「…全員ね」
S「あははは!」
U「音楽性の違いやなんかで改めて聞くまではよく分かっていない所もあったけれど、そもそもバンドよりも彼がそっちの世界では有名人だから、お名前だけは以前から知っていました」
-- 伊澄さんですか? そっちの世界といいますと、ギタリスト界のような事でしょうか。
U「そう。ご一緒する事の多いミュージシャンや、よくセッションするギタリストの方達の間ではある種基準になってるみたいです。とにかく上手いと。テクニック関連の話になると必ずと言っていい程名前が上がるもの。伊澄以上か伊澄以下か、みたいな」
-- ジャンル違いの世界にも名前が知れ渡っているわけですね。となるともしかして初めは、ドーンハンマー=伊澄翔太郎とは思っていらっしゃらなかったとか?
S「興味ないもんね」
U「え?今はあるよ?それまでは、うん、確かにそこまでクリアに思い描けていなかったかもしれない。いや、知ってはいたと思うけどね」
S「フォローされてる(笑)」
U「違うよ」
-- 面白い出会いですね。伊澄さんは、URGAさんをご存知でしたか?
S「もちろん。織江もだけど、繭子も好きだし、多分アルバム全部うちにあると思う。なんならスタジオのどこかにもあると思う」
歓びに頬を紅潮させて、URGAは伊澄にピースサインを送る。伊澄に促されて、カメラにそのピースを向けた。
-- 休憩中、スタジオでは爆音で流れていたりしますよね(笑)。
U「へー!」
-- 伊澄さんご自身から見た、URGAさんの印象というのは。
S「んー」
この日初めて、伊澄はまともにウルガを見つめた。こういう時の彼は真剣で、ウソも冗談も言わない。対してURGAは両手で髪をとかす仕草をし、どこまでもユーモアスタイルを崩さない。
S「やっぱり、今一番凄い人なんじゃいかな。シンガーソングライターの世界では、一番だと思う」
U「はあああっ」
余りにもストレートな伊澄の物言いに、さすがのURGAも照れて顔を手で覆った。
U「嬉し過ぎる!来て良かった!」
-- 大絶賛ですね。
S「うん、大絶賛で良いと思う。歌声も、作詞も、作曲も、アレンジも、…まあアレンジは人によって好き嫌いあると思うけど、それでもちょっと才能ありすぎるよこの人。今の世代でこの人以上の歌うたいは出て来れないと思うよ。ちょっとでも似た感じでやれば、全部フォロアー扱いされちゃうと思う。そんくらいスペシャル」
U「うわあああー!もう帰る!このまま気持ちよく帰る!」
-- だめです!
U「帰る!」
-- このあとスタジオで歌を披露して下さると聞いていますよ?
U「…そうでした」
S「え、そうなの?」
U「え、駄目なの?」
S「どういうことだよ(笑)。ウチでなんかPVでも撮るの?」
-- 私は今回カメラだけ置かせていただいて、その場にはいませんので詳しくは分かりません。バンド側からの依頼だとは聞いていますが。
U「別にいてもいいよ。URGAさんは仲間外れなんてしません」
-- ありがとうございます(笑)。ですがそういう事ではなくて、きちんと織江さんと相談した上で私が自分から言ったことなので。
U「聞きたくないのー?」
-- めちゃくちゃ聞きたいですよそりゃ。ただ今回は別です。ドーンハンマー4人の為に歌を届けに来たあなたの側に、当事者以外がいるべきではないと判断しただけです。
U「…て事はもしかして、オリーもいないの?」
-- そう聞いています。
S「へえ~。でもなんか、嫌だな」
U「なんだと!?」
S「いや、楽しみは楽しみだけどな。去年ここで聞いて以来だし」
U「でしょ?というかさー、約束どうなったのよ。コンサート見に来てよ」
S「行くよ、行くから」
-- 去年ここで、というのは、歌のテイクも録られたんですか? ピアノだけではなくて。
U「歌って言うか、コーラスだけね。あ、聞いてー!そのコーラス使わないでやんのー!」
-- ですよね、聞いた覚えがないです。
S「だって依頼してないから。勝手にブース入って勝手にレコーディングしたんだぜ、笑うだろ。うちの連中もそういう遊び好きだからノリノリになっちゃって」
-- そんな言い方!ですがとても面白い方なんですね、URGAさんて。
U「ありがとう、2番目に嬉しい褒め言葉だね」
-- 1番はなんですか?
U「素晴らしい歌声だね」
-- 先程伊澄さんから頂きましたね。
U「そ。もうね、ちょっと本気で嬉しいの、今。カメラ回ってなかったら泣いちゃうくらいの」
-- 意外ですね。URGAさんクラスだと、何百回何千回と言われている気がします。
U「何万回と。だけど…うーん」
-- 違いましたか。
U「ちょっと真面目な話をしちゃうけどさ、私にとって歌っていうのは届けたい気持ちのこもったメッセージなの。それは相手が誰か特定の人な時もあるし、自分自身へ向けた歌でもあるし、あるいはその時々に、色々感じながら生きている人達に寄り添えるような言葉でありたいと思いながら、歌っているのね」
-- はい。
U「そこで言う歌の上手さっていうのはさ、そのメッセージを届けるためのプロセスって言うと変だけど、ツールに近いというか。誰かの胸に届ける為の、方法だと思っていて」
-- つまり、歌が上手いことが全てではない。そこがゴールじゃないと。
U「そう。と同時に、歌声って私の全てでもあるの。声が大きいとか、音域が広いねとか、可愛いねとか、あ、言ってないか(笑)。そういうもの全部ひっくるめた『歌声=私』だと思っていて。自分で書いた『思い』や『心』を乗せて、全力で届ける私の歌声を好きだと言ってくれる人は、私自身を好きだと言ってくれる事と同じだし、肯定してもらえるという事だから、単純に、回数の問題ではなくそこは慣れない。そりゃあ、嬉しいよ」
-- はい。
U「もちろん、ずっと私を支えてくれるファンの人達からの言葉もそうだし、感謝しているし、励みになる。だけどその事と、今翔太郎くんから言われた言葉っていうのは、分かりにくいけど、私には違った意味になるの」
-- と仰いますと。
U「相思相愛?」
S「恥ずかしいから本当にやめてくれないかな」
U「照れるなよー」
-- ええーっとー、真面目な話だと思って聞いていたのですが。
U「真面目だよー?真面目だよね」
-- 伊澄さんも、相思相愛ということでよろしいですか(笑)。
S「間違いではないよ」
U「いいいーよし!帰るぞ!帰る!」
ガッツポーズと共に立ち上がるURGAを笑顔で見やりながら、伊澄は続ける。
S「この人ずっとこんな調子だから誤解すると思うけど、話はもっと単純で、同業者同志、認め合ったもん同志だからこそ嬉しいっていうただそれだけだよ」
-- なんとなく分かってました。
U「えええ!」
S「たまたまだけど、ついこないだ竜二と話してて意見が合ったのがさ。俺達とURGAさんがいれば、人間の感情全部カバーできるんじゃないかって」
U「取り乱しました」
そう言ってURGAは最初の位置より少しだけ伊澄に近い距離に座り、話の続きを促した。
S「怒りとか、衝動とか、本能とか、前へ走り続ける為の原動力とか。喜びとか悲しみとか、許しとか、あと勇気、愛情。全部俺らとURGAさんで、表現してきた。だけど何が違うって、お互いが出来ない事を相手はやってるってことなんだよ。竜二にはきっと愛情の歌は歌えないし、彼女に純粋な怒りや暴力の歌は歌えない。決して手を伸ばそうともしない触れられない世界を、お互いにない音と世界観を持って表現してるなって、そう思う」
U「そうだね。確かに、私には見えていなかった世界が翔太郎くん達にはっきりと見えた。初めて4人が演奏しているのを見た時、心の通じ合った人間同士の一体感に嫉妬したし、圧倒された。感動もした。私にだって、彼らと同じ感情はある。だけど私には表現出来ないって思って、泣けたんだよね。自分なりの方法で、人の営みや想いを届けてきたつもりでいたけど、ああ、こういう人達がいるなら、この分野ではもう私に出番はないな、くらい思ってしまった。そして何よりもびっくりしたのが、彼らの演奏技術の高さと、自分達に対する絶対の自信。こんな人達が今までどこにいたんだーってなったよ(笑)」
-- なるほど。全く表現方法の違うお二人が何故ここまで惹かれ合っているのか、分かった気がします。URGAさんも、これまでたくさんの名プレイヤーと共演されてきましたし、それこそ海外で向こうのアーティストとも同じ舞台を幾度も経験されていらっしゃいますが、そんなURGAさんから見て、デスラッシュメタルバンドのギタリストである伊澄さんはどのように映るのでしょうか。
U「ううーん。ひとまずジャンルの話は置いとこうかな。そこを抜きにして、ギタリストとしてだけ見たら、間違いなく出会った中で1番上手い人。いっちばん上手い。評判に偽りなしだった。ギター音痴の私が言うと説得力ないかもしれないけど、上手いってこういう人の事だなって思い知った。うん、あのー、こんな言い方をすると傲慢と取られかねないけど、私ボーカリストなので、とにかく楽器演奏の上手い人ってめっちゃくちゃ助かるの、一緒にプレイする時に。まあ、ピアノでもなんでもそうだけど、とにかくミスをしない、ズレない、ぶれない人ってたまーにいるんだけど、本当に喉から手が出る程欲しい。翔太郎くん、あなたが欲しいよ」
S「酒飲んできた?」
U「ちょっとだけね」
S「あははは!」
U「でも、舐める程度だよ」
-- 本当ですか?
U「え、ダメだった?」
-- 一応カメラ回ってますけど、外に出て大丈夫な話ですか?
U「大丈夫、私好きになった人には大体おんなじ事言うから」
-- あははは、まあ、お酒の話も含めて。
U「ダメかなぁ? んー、どっちでもいいや。そうそう、去年スタジオにお邪魔した時も、ちょっとだけどアコギで弾いてくれたの。私の曲を」
-- ええー!凄いじゃないですか。
U「うん、まあサービスしてくれたんだろうなとは思ったけど、本当にびっくりするくらい上手いってのが分かるのよ、自分の曲だと。即興で初めて弾いたっていうのが、今でも嘘なんじゃないかって思うくらい。テクニックもそうだけど、曲のもつ顔とか、聞かせたい部分とか、そういうのを捉える力が抜群だなと思った。私が書いたメロディーを、ちゃんと理解している人が弾くギターの音だったの。あ、こういう人本当にいるんだって感動した。久しぶりに心が震えた気がする」
S「よおおし、じゃあ、俺も帰ろうかな」
-- っははは、本当に仲良しですね。
S「気持ち悪いよな、ただ褒め合ってるだけの対談なんか」
-- そんなことないですよ。
U「私が思う翔太郎くんの一番の魅力はそこかな」
-- テクニックうんぬんではなくて。
U「うん。プロである以上もちろんそれも大事なんだけどね、それ以上に心があったよ。心を乗せて弾ける人だね。まずそれがあって、あのプレイだから凄いんだと思うよ。私にとってはただの巧い人っていうだけじゃない魅力があるかな」
-- 伊澄さんを引き抜いて、2人でツアーに出たいんだという話を人づてに聞いたのですが、今もその気持ちに変わりはありませんか?
U「うん、変わらない。多分その話を最初にしてから一年以上経ってるけど、変わらない。引き抜くって言うとバンドやめろーみたいに聞こえるけど、ただ一緒に色んなステージをやってみたいっていう事だよ。誤解されたくないのが、私がこれまで共演してきたギタリストの方達に問題があるとか嫌だという事ではなくて、ポジティブな意見として、新しい世界が待っていると思うから。ただ私に合せて変幻自在に音を紡ぎ出せるだけじゃなくて、彼の持つ呼吸や間や音色が、私のそれと重なって今までと違った音像になると確信してる。なんなら、私の歌を彼に合わせてみたいとすら感じる。そのくらい、ギター一本で、私にない自分の世界を音に出来る人だと思う」
-- 音源としては残っていますが、ライブでアコギを引く伊澄さんはまだ見た事がないので、なんだか私までわくわくしてきます。
U「うん、私もそう。だから一刻もはやく計画を立てねば」
S「あ、もうやる前提なんだな」
-- 伊澄さんにとっても、これはかなり嬉しいラブコールじゃないですか?
S「そうだよな。なんというか、その、なかなか適切な言葉が出てこないんだけど、おそらくURGAさんだけだと思うんだよ今まで。一緒にやっても良いな、やりたいかもな、って思える人って。メンバーが聞いたらぶっ飛ぶかもしれないから真面目に話をすると、さっき言った竜二との話にも関連する所があって。おそらく今一番自分のやりたい事ってさ、もうすでに俺はやってるんだよ。このバンドでギターを弾くことが俺の全てだし、俺の持っている物を全部そこに費やして終わりたい。何か新しい事やインスピレーションが沸いて降って来たとしても、それを全部このバンドで表現し尽くしたい。だけど、本当に、まったくURGAさんと同じ気持ちもあるんだよ。この人の歌を生で聞いた時に受けた感動のおかげで、俺にはどう頑張っても作れない世界があるんだなって事に気づいてしまったというか。今この道を全力で駆け抜けたとしてもその先に辿り着けない世界が、彼女にはあるから。そこをもし一緒に見てもいいよって許されるなら、見てみたい気もある。心がぶるぶると震えるくらい感動できる音楽をさ、もし自分が作り出せるんだとこの人に言って貰えるなら、チャレンジしたい気持ちも、ギタリストとしてはあるよ」
U「ありがとう。すごく、嬉しいよ」
S「ただ、今んとこまだそこへは行けないかな」
U「そんな話し方だったね」
S「うん、ちゃんと行きたい場所へ行ってから、そこから見る景色に満足出来たら、そしてその時までURGAさんの気持ちが変わらなかったら、そういう事もありえるかもしれない」
-- 伊澄さんの計画では2年で世界と獲るという事なので、そう遠くない未来に実現できそうですね。
S「なんで。世界獲ったら防衛しなきゃ。君臨し続けなきゃ嘘だろ」
-- なるほど。そこからまた先にも、バンドの未来はあるわけですね。ホッとしたような、残念なような。
U「私がもっともっと頑張って、お願いです一緒にやらせてくださいって言われるくらい頑張らなきゃいけないね」
S「そうなったらなったで、もう俺のことなんか忘れてるかもしれないな」
U「そうだねー」
S「(笑)」
-- 少し話が戻りますが、ドーンハンマーのアルバムに参加する話を聞いた時、どのように思われましたか?
U「嬉しかったですよ。どちらかと言うと、同じ事を繰り返す作業が苦手な方なので、彼らみたいな才能ある人と何か新しい仕事が出来るというのは、私にとっても素敵な事なので」
-- 伊澄さん達は、同じ作業を繰り返す達人にも見えますが、何故ここへ来て、バンド外の音を入れてみようと思い立ったのですか?
S「おーお、語弊があるな。同じ作業を繰り返したことなんか一度もないよ。それは多分スタジオ練習の話なんだろうけど、それにしたって同じ事をやってる意識は全くない。一分一秒前を振り切るつもりで、演奏してるんだから」
-- 確かに、言われてみればその通りですね。その為の練習ですものね。
S「そう。アルバム制作にしたって、竜二の歌一つとったって、同じ顔した曲なんてないし、同じに聞こえるとしたらそれはきっと統一感を出すために意識的にやってる。今回は、というか前回なのかな、『P.O.N.R』作る時にたまたまキーボードかピアノかどちらかの音が欲しかったんだよ」
U「誰発信だったの?」
S「俺」
U「そーなんだー!」
S「知らなかった?」
U「連絡を貰ったのはオリーからだし、音関係の話だからきっと大成くんだろうなって思ってた」
S「ああ、確かに。ただあいつらの中でURGAさんて音よりも声で想像する人だから、最初は違和感あったみたいよ。なんで?って普通に首捻ってたし」
U「うんうん」
-- URGAさんのアルバムに収録されているピアノの音は全て、ご自身演奏のものだそうですが、伊澄さんはご存知だったんですね。
S「へー、知らないね。そうなんだ。なんで?」
U「知らないんだ!全部というか、独立して個人事務所立ち上げてプライベートスタジオを建設してからだから、まだここ5、6年だよ。単純に人件費の事もあるし、やっぱり自分の世界観や欲しい音の数や表情って自分が一番分かってるからかな。あまりにも複雑な譜面は、私はピアノでは作らないから、それ以外のシンプルでメッセージ性の高い歌重視の曲は、自分で弾いた音を聴きながら歌う方が、良いものが出来る印象があるかな。もちろん演奏の上手い下手で言ったら、もっと上手いピアニストは一杯いるし、実際ステージだと参加してもらう事の方が多いんだけどね」
-- 弾き語りのイメージも強くあります。
U「たまにそういうイベントをやったりするからかな。私極端なの。色んな楽器の音や私の声を一杯重ねて音像を構築するのも好きだし、全部取っ払ってピアノと歌だけっていうのも好きなの」
S「俺はどっちかっていうとそっちの、多重録音の人っていうイメージがあるかな。頭の中どうなってんだろうなっていつも思う」
U「ああ、そう言って貰えるのは嬉しいなぁ。ただね、疲れるよ、実際作り込んでステージで表現するのは」
S「そうだろうね。俺が一人で複雑な弾き方するのは全然平気だけど、音の種類を増やして合体させる作業は本当に神経擦り減らすから」
U「まさに!もうこの話も翔太郎くんと何度もしたけど、ココ!っていうポイントで音が一つポロンって鳴るか鳴らないかっていうだけで何日も悩んだりするもんね。だから本当に上手い人とやりたい願望は皆常にあるんだよ」
S「確かにあんたは極端だよ(笑)」
U「悪口は許さないぞ」
-- あははは!
S「(笑)、そこはでも、ストレス軽減できると思うけどね、プライベートスタジオがあると」
U「うーん。好きな時間に、それが夜中でも思い付きで音を録れたり残せたり、試せたり、それはそうなんだけど、最後まで宅録レベルで完成させられる曲はそう多くないからなー」
S「そりゃそうだけど、なんだこの下手くそはって思わなくて済むし」
U「…下手くそ!?誰に?」
S「一緒にやってるスタジオミュージシャンとか」
U「ちょっと!下手な人となんてやってません。ちょっとー、この人怖いかも」
-- そうですよ、超怖い御人です。
S「真面目な話、それでも自己完結しようと思えば出来るじゃない」
U「まあ、そういう曲も最近ちょこちょこ作ってはいるかな」
S「誰かと相談しなくていい。自分の気持ちを100%反映した曲が作れるって、俺達もそうだけど、恵まれてると思うよ」
U「うんうん、言えてる。ねえ、翔太郎くん達ってどこまでデモを作り込んでるの?」
S「どういう意味?」
U「というかどうやって作曲のイメージを伝えあってるの?」
S「ああ。俺と大成しか曲書かないから、とりあえず弾いて聞かせるよ」
U「生音?生演奏ってこと?」
S「うん。曲のイメージを伝えるっていう言い方の段階だと、そうかな。音を録るのは取り敢えず各パートで仮音が出来た後」
U「いやいや、その仮の音は皆どうやって作ってるの?」
伊澄はよく理解が出来ないという顔で私を見やる。
え?変な事言ってる?という顔でURGAも私を見る。
-- おそらくですが、URGAさんが仰りたいのは、翔太郎さんが作った曲をメンバーに伝える際、もしくは伝えた後に、各楽器が肉付けしていく過程で聞く音源はどうなってるの?という事だと思います。所謂仮音の事ですよね。
U「そうだよ。まさか一回聞かせただけで、さあ、覚えただろう、あとは勝手に作ってこい、ってやってるわけじゃないでしょう?」
S「そうだけど?」
弾かれたようにURGAが私を見る。
無理もない。そんな効率の悪い作業が存在するとは夢にも思うまい。
U「え、ちょっと待ってよ。なんで?なんでそんなにトップシークレットなの?ハリウッド映画の台本じゃないんだからさぁ」
S「その例えはよく分からないけど、別に一回しか聞かせないわけじゃないぞ? それに俺の方も最後まで出来てるとは限らないし、メインリフとAメロとサビくらいを何度か聞かせて、その場でセッションして、全員で取り敢えず最後まであーだこーだ言いながら作って、それを譜面に起こす。録れたら録る。そこから色々変えていくやり方が一番早いし。逆に他の人どうやってんの?」
U「人に聞かせる段階で仮音源を作ってると思うよ。だって大成くんベースだよ?彼の作った曲もスタジオで生演奏なの?」
S「あはは、あいつだってギター弾けるよ」
U「えー!そういう話? 嘘でしょー?本当にそうやって曲作ってるの?それともヘヴィメタルの人皆そうなの?」
-- ここまで極端な話は私もちょっと聞いた事ないですね。ただそれだと、確かにドーンハンマーの曲作りの早さの理由が分かります。海外だとあり得ないですけどね。メンバーが同じ国にいないバンドだってありますから。しかしその方法だと、全員でほぼ一日で作ってるように聞こえます。
S「もちろん完成はしないけど、譜面書く程度なら丸一日あれば仕上げるよ、皆」
U「えー…」
S「え、何がそんなにおかしいんだよ、全然わからない」
U「もしそれが全部本当なら、皆異常に記憶力が良くて、異常な速さで音を構築できる才能に満ち溢れているって事になるんだけど」
S「なんでだよ!誰だってセッションくらい出来るだろ?」
U「誰だって出来るわけじゃないよ」
S「いやいや、出来るって。要はゴールが全然違うって話。まだその段階だと、こういう感じの曲をやるぞーっていう程度だし、製品として出せるわけじゃないよ。そこからさらに何度も繰り返して練習するうち、皆それぞれマイナーチェンジをしながら仕上げていくわけ」
U「それ、いつ完成するの?」
S「しないよ」
U「あははは、ますます分かんない」
S「アルバムに収録した曲が完成だって誰が決めるんだ?」
U「…え?」
S「俺の場合は、というか俺達の場合は基本的に4人で出せない音は要らない考えなんだけど、そういう拘りと単純に格好良い曲を作りたい拘りって必ずしもゴールが同じじゃないわけだ」
U「それは、そうだろうねぇ」
S「そもそも大成以外は皆音楽的な知識や才能がないから、拘りはあっても具体的にどうしたらいいか分からないんだよ。だからまず伝える所からが大変だってのは、それは認めるよ」
U「才能ないわけないじゃん!」
S「いやいや。演奏とは別の話だから。そもそも考えて理解して作るとかほぼ無理だもん。やってるうちに格好良い方を選んで作り変えていくやり方しか出来ないし」
U「出来ないってことはないでしょう(笑)」
S「いやいや」
U「あっれー?(笑)」
S「あーんと、…そうだなー。これは勝手に俺が思ってるんだけど、URGAさんて音源を作るのとライブ、どっちが好きって言うと半々くらいなんじゃない?」
U「い、いきなりだな。まあ、そうかもしれない。どっちが好きかって言われると、迷うな。どっちも好きだし、どっちかの為だけに歌っているっていうわけでもないしね」
S「でも俺らは圧倒的にライブなわけだよ。正直アルバムなんて、出来た曲を一発録りして鮮度バリバリの真空パックで発送して終わりにしたいくらいだから」
U「分かり易い例えだなー」
-- ただその『出来た曲を一発録り』っていう言い方では想像が追い付かない程、彼らの楽曲は完成度が高すぎるという事実も付け加えさせてください。でないと話が食い違ってきます。
U「そうだよねえ。あれだけ音や演奏にこだわりを持ってる人達が、そんなラフな曲作りしてるわけないもんね」
S「全然ラフに作ってるわけではないしそんな事言ってないよ。俺達の曲は、格好良いかどうか、演ってて気持ち良いかどうかが基準だから、スタジオでその日出来た曲が完成だとは本気で思ってないって話。アルバムに収録された時点が完成でもなくて、ライブで演奏して、練習で演奏して、どんどん研ぎ澄まされていくことでしか完成しないって、極端な話そんくらい思ってるからね。だからこそ、ステージ上で4人で出せない音はいらないって思ってるんだけど、URGAさんのステージを見る限り作り込みや構築の出来上具合が半端じゃないレベルなんだよ。それこそ俺らみたいに一回作った上で、やっぱここをこう変えて演奏してみようかっていう思い付きが通用しないくらいに」
U「それは、…そうだね。そうかも。アレンジ変えたり、それこそバージョン違いを作ることもあるけど、いきなりスタジオで昨日までと違う演奏始めたらパニックになるよ。ただ単に私が欲張りなのもあるけど、じっくり、ちゃんと考えて、照明や風や演出や音の反響や構成を皆で話あって、最高のステージを作り上げたいっていう努力を積み重ねて、毎回楽しみながらやるのが好き出し、お客さんのびっくりする顔や喜ぶ顔を想像しながら曲を作り込む事に喜びを感じている所はあるね。そこからさらに、当日のお客さんの反応を見ながら、自分の出す波動との波のような押し引きで毎回違ったステージにするんだっていう、翔太郎君で言う所の一発録り感も、大事にしたい思いも強い。だから、一つのステージを作り上げてから実際にやり終えた後、物凄く疲れる。精神的にも。だから私は年間何十本も各地でツアー回る事は出来ないかな。全部出し切ってしまうから、充電期間が必要だもん」
S「それはステージを見てると分かるよ。頭と、心と、体を全部使って表現してるんだなって。回りくどくなったけど、そこで白羽の矢を立てたのがピアノとかキーボードっていう『音』じゃなくて、URGAさん自身だったんだよ。ピアノの技術とかどうこうよりも、音を組み立てる事の出来る人が欲しくて、俺の知ってる限りだと相当高いレベルでそれを出来るのが彼女しかいなかった」
声には出さないが、ふわ~~と言う顔でURGAは私を見た。
U「この人絶対女の人にモテるタイプだと思わない?」
-- 思います。
S「はあ?」
-- ただアルバムに収録されているのは2曲で、しかもイントロとアウトロのみですが、そこまで欲していたなら逆に何故だろうと思えるのですが。
S「そこは本当に申し訳ない。こちらの準備不足」
U「いや、私も実はそこまでガッツリとは考えてなかったの、正直な事を言うと。オリーから話貰った時も、ちょっと遊び感覚で参加しませんかっていう誘われ方だったし、時期的に色々煮詰まってトゲトゲ、クヨクヨしてる時だったから、気分転換出来て刺激にもなるだろうなーっていう割とヘラヘラした感覚で行ったら、全然違った。魂の削り合いみたいな現場だった」
-- 曲の問題ですか、音響整備とか楽器とか、環境の問題ですか。
U「曲」
S「曲、曲。ほぼ出来上がりかけてたんだよ、URGAさんが参加するって決まった時点で。さっきも言ったみたいに、本来なら俺ら4人で完成させるべきものだし、ライブで出せない音を収録するのは嫌だったから、そのまま仕上げてもなんらおかしくはないはずだったんだけど。どっかでやっぱり納得いかねえってなって。音への拘りと、楽曲への拘りがぶつかったというか。もっと格好良い事出来るだろ。出来るよなって話に持って行き始めてからの、URGAさんっていう流れだから、もう後付け作業とかアレンジ変更ぐらいしか方法がなかったんだよ。自分達で好き勝手にいじるんじゃなくて、全く違う楽器を持ち込むわけだから」
-- なるほど!納得です。
U「私はそれでも全然楽しかった。いい経験出来たよ。初めてだもん、出来上がってる曲に頭とお尻を付けてくれないかーなんて。でも私も発見だった。ああ、こういう作業好きかも、得意かもって」
S「そう言ってもらえると助かるよ」
U「良い出会いに恵まれたと感謝したくらいだし」
-- 物足りなくはなかったですか。
U「仕事内容としてはそうかもしれないけど、それでも苦労はしたから、朝飯前では全然なかったかな。彼らのやろうとしている事を分かり始めた頃に、今度は私のスケジュールがキツクなってきたから、正直大満足でやり残しなし!とまで胸を張れないのが心苦しいんだけどね」
-- お二人の間では何度かバトルがあったとも聞いています。短い期間で、濃厚なやりとりを経験された上で、生み出された楽曲なんですね。
U「バトル?喧嘩?してないよ」
S「ああ、喧嘩はしてないけど、お互い絶対に引かな部分で言い合いは何度もしたな」
U「でもそれは絶対に必要な事だったよね」
S「うん。この人に声掛けて正解だったと思いながら、青筋立ててたし」
-- 具体的にはどのような話だったんですか?
S「言葉にするには難しいな。俺は俺の『格好良い』を目指して、こうしてくれっていう依頼を出す。URGAさんはURGAさんで、違う格好良さを提案してくる」
U「私が、私の中から出て来るものを残せないならここにいる意味はないよ、って」
-- うわ、鳥肌が駆け上がりました。いかにお互いが真剣だったか、今見えた気がします。結局、どちらの意見が尊重されたんですか?
S「そりゃあバンドの曲だからね。全員で納得出来る音で、という感じかな」
U「どちら寄りの、という選択はなかったよね」
S「面白かったのがさ、この人インスピレーションが全部歌なの」
-- どういう事でしょう。
S「例えば俺が、このタイミングで入って来てほしいんだけど、どの音が良いと思うか相談するだろ。するとキーボード弾かないで、歌い始めるんだよ、色んな音階で、すっげー迫力なの、それが」
U「だって一番返事しやすいんだもの」
そう言うとURGAは、その時の様子を再現するかのように圧倒的音量でソプラノボイスを響かせた。右手を上下に上げ下げしながら音階を行ったり来たり。
S「あはは、やっぱ生で聞くと凄いね。これやってからキーボード弾くんだよ、面白いだろ?」
U「普通だよ!翔太郎君の方がよっぽど面白いって」
S「あ、それが良い!っていうのを2人で話あって、譜面にしていくと」
-- 確かに、曲が始まった時に感じた『ここから来るんだろ、来るんだろ』っていう期待とか嬉しい予感と、これまでのドーンハンマーとは違った音階に不思議なドキドキを感じたのを覚えています。
S「今までの俺達にはない浮遊感から爆走への繋がりが、単音じゃないからこそ活きるというかね」
-- そうですね。これまでは「PITCHWAVE」のようなギターリフによる展開からの転調が主体でしたが、URGAさんのパートはそこだけでも既に独立した世界がありましたね。最初はインストだと思ったくらいですから。見た事のない新しいドアが開いて、そこからドーンハンマーが飛び出してくるようなイメージがあります。
U「本当に好きなんだねぇ、彼らの事」
-- はい。涙が出て仕方ないくらい好きです。
U「いやー良いなあ、キュンとする」
-- ははは、お恥ずかしい。
U「やっぱりこの後聞いていきなよー」
-- ありがとうございます。嬉しいです。ですが、決めたことなので。これは私の趣味や遊びではなく私がきちんと誠意をもって全うしたい仕事ですから。
S「言うじゃないか。いいねえ、それでこそだ」
U「そこまで言われちゃうとね、あとで後悔するなよ!」
-- あはは、後悔は絶対するんですけどね、どっちに転んでも。今日この後ここで歌を披露された後、間もなくURGAさんはツアーに出られますね。ヨーロッパツアーです。
U「そうなの。今回は久しぶりでちょっと長いので、今から体調を整えないといけないんだけどね」
-- お忙しい中ありがとうございます。
U「どうせ彼らの事で話をするなら、翔太郎君を交えてオフィシャルなものにしたかったのもあるし、私が望んだセッティングだからそれはいいの。アルバム参加の話題だろうから、じゃあ一番、たくさんお話をした翔太郎くんが良いなと思って」
S「歌ってくれるって話はどこから?」
U「私」
-- そうでしたか(笑)。
S「へー、大丈夫なの?こんな直前に喉使って」
U「本当はダメだけど、日本を離れる前に聞いて欲しいなって、なんでか急に思ってしまったの」
S「なんで俺達なの?」
U「少しは考えろ!」
S「なんだよいきなり」
-- ファンを前にしたステージではなく、彼ら4人を前に歌を届けたいという所に、URGAさんという人の個人的な思いがあるように感じられます。
U「さっき翔太郎君が言った話に似ているかな。私にないもの、私が敢えて避けてきたもの、そういう世界をあなた達を通して見た経験が、一時私を物凄く不安にさせたの。これまで私が届けようとしてきた思いや言葉は、本当に人々に必要とされているか。チープで独りよがりの綺麗事なんじゃないかって。あの日からも私は色んな場所で、色んな人達の前で歌ってきた。歌って、歌って、語り掛けるように歌ううちに、ああ、間違いなんてないんだなってようやく思えるようになったの。万人受けを目指しているわけじゃないって、独立を決めた当の昔に覚悟を決めたはずだったのに、気が付けば誰かに『喜ばれよう』とする思いが背伸びをしていたんだと気がついたの。自信を失うっていうと、それはまた違うんだけど、私は私で良いんだ、っていうの感じて改めて奮い立たせてくれたこの1年に、あなた達に感謝の気持ちを込めて、歌いたいなって思ったの。それがまた私の中で一本の太い柱になって、これから向かうツアーでの心の支えになってくれると思うから」
S「そうなんだ。それは嬉しいね。…うん、嬉しい話を聞いたな」
U「だから今日は届けたい思いよりも、私が聞いて欲しい歌を歌うの」
S「いいね、楽しみだ」
U「じゃあ、そろそろ準備始めても良いかな?」
-- はい。お忙しい中、たくさんお話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。
U「こちらこそ。幸せな時間でした」
S「ありがとう」
U「ありがとう。またね」
-- ありがとうございました。

連載第13回。「スタジオライブ」

2016年、5月23日。


普段よりも幾分照明の明るさを落としただけ。
URGAという類い稀な実力と存在感を兼ね備えた歌い手にしては
かなり殺風景とも言えるドーンハンマーの楽器セットだけを背景に、
彼女はスタンドからマイクを取り外した。
囁き声で小さく呟く。


「『Sunnyday Flowers』」


軽快なリズムに乗るオリエンタルな音使い。
そして高く伸びやかなURGAの歌声。
始まった。
いつもはコの字に並んでいるソファーを横一列に並べなおし、皆がURGAを向いて座っている。ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者は笑顔で手拍子を送っている。
語り掛けるような笑顔とたおやかな腕の動き。大柄とは言えない彼女の体から発せられる事が、目の前にいてさえ信じられない。そんな、自信に満ちたURGAの歌声は、コンサートホールとは比べるべくもない練習スタジオの隅々にまで響き渡った。


「『Sunnyday Flowers』、聞いていただきました。改めまして、URGAです。
えー、今日は、URGAコンサートin 『ドーンハンマーズ・バイラル4・スタジオ』へお越しくださり、誠にありがとうございます。見ていただいて分かる通り、いつものようなバックバンドはいません。オケは録音です。その場のインスピレーションでアレンジを変えたり引き延ばしたりという遊びは何もできませんが、それでも目一杯心を込めて、お届けしたいと思います。あ、ブースの真壁さんが今日の私のパートナーです。よろしくお願いします」


拍手。


「先程、ドーンハンマーのギタリストである伊澄翔太郎さんと、Billionという雑誌のインタビューを受けました。その時にも感じたのですが、私はやっぱり、メッセンジャーだなーと改めて思いました。伊澄さんは言いました。演奏していて格好良いかどうかが、俺達の基準なんだベイベー」


「言ってねえぞベイベー」
一同、笑。


「彼の言う言葉の意味を噛みしめながら、私に当てはまる思いはなんだろうと考えました。彼の言葉はまるで、深い意味なんてないよ、ただ気持ちいいかどうか、それだけだと言っているように見えて、実はそんな上っ面な勢いの話じゃないんだということは、一緒に制作現場を経験した私には分かっています。今日は、皆さんと初めて出会ってからこの一年をかけて出した私の答えと、感謝の気持ちを伝えにやって来ました。短い時間ではありますが、どうぞゆったりとくつろぎながら、お付き合い下さい。それでは次の曲、『my little idiots』、聞いて下さい」


ここ数年彼女が好んでバックに取り入れている音とはまた一味違った、
よく言えばバンドサウンド、だがある意味URGAらしくない人工的なマシンサウンド。
しかしそんな「やたら大きく聞こえる」音をバックに従えても、彼女の歌声は負けずに大きい。まだ彼女がメジャー事務所に所属し、テレビCMや昼ドラのテーマソングにタイアップ起用されていた頃の代表曲である。一曲目に歌った『sunnyday flowers』も『my little idiots』も、所謂彼女における初期の名曲だ。これからヨーロッパツアーに旅立つ彼女にとっての、今日が前哨戦というわけではなさそうである。


「『my little idiots』、いかがでしたか?」


拍手。


「ありがとうございます。…喉の調子はバッチリのようです。えー、先程受けたインタビューの最中、年甲斐もなく何度か叫んでしまったので、用意していただいた楽屋でオリーブオイルを一口飲んで来ました。本番用の高級な奴です。こんな小っちゃい瓶に入ってるのに5,000円とかするやつです。ヨーロッパツアーを前に開けてしまいました。あとで請求書回しておきますね」


一同、笑。


「えー、次は、3曲続けてお届けします。ですが忘れないうちに、お伝えしておきたいこと。
実は今夜、この素敵なプライベートスタジオで歌わせていただくことになった経緯、それはまた後程お話するとして、何を歌うか、私が何を歌いたいか。必死に考えた結果、とても、悩んだ結果。なんだかよく分からない気持ちになってきたのでオリーに相談しました。私がどういう気持ちで、皆さんに歌をお届けしたいのか。皆さんに、どう感じてもらえるのか。そしたら彼女はあっけらかんと、こう教えてくれました。皆あなたのファンだから、彼らが好きな歌を歌ってあげると喜ぶよ。…ああ、なんて単純なんだ」


一同、笑。


「本当は、そんな簡単な話ではない気もするけれど、私は私なりに、届けたい思いを持って歌う人なので、ならばその期待にちゃんと正面から答えてみようと思って、決めた3曲です。
本当は4曲なのですが、その4曲の内1曲は、私が今日これだけは歌いたいと事前に決めていた歌でもあったので、最後に歌います。ちなみに、どなたがどの曲を好きだと言ってくれたかまでは、聞いていません。唄っている最中に目配せもしないでください」


一同、笑。
URGA、少し離れた床に置いたミネラルウォーターのペットボトルを拾い上げる。
ボトルのキャップを開封しながら、


「本気出すぞー」


一同、笑。そして歓声。
MCではほとんど囁くようなトーンでしか話さない彼女が、マイクを通さなくても聞こえるような声でそう意気込んだのだ。空気が少し、緊張感を帯びている。


「では真壁さんお願いします。
『終わりが来る時』『指先の灯火』『私という名の』」


「おわ!」「っしゃー」拍手。「ちょっとー」


声を上げ手を叩いたのは池脇、神波、そして繭子の3人だった。
いきなりリクエストした人間がバレてURGAが苦笑いすると同時に、演奏が始まった。
しかし彼女が歌い始めた瞬間から、和やかだったスタジオ内の空気は一変した。
私はこの日、立ち会う事を辞退して正解だったと思った(と同時に、やはり心底後悔した)。
私はこの密着取材を開始して以来最初にして最大の衝撃を受け、この映像を正視出来ない思いに苦しんだ。
ドーンハンマーというバンドを掘り下げて実感する、彼らの人としての芯の強さと狂気にも似た直向きな夢への熱情。その熱気に当てられ何度も涙を流した情けない私の傍らで、いつだって彼らは笑っていた。私が単なる泣き虫という説も間違いではないが、彼らの強さは上手く例えようがない。
本来他人に語る必要のない己の真芯にある本能のような衝動や、違えるわけには行かない友との約束の意味、それらを抱えて走り続ける彼らの信念と、決して無傷では済まない彼らの精神と肉体の悲鳴を思う時、必ずしも人は感情でばかり涙を流すではないと、私は改めて感じる日々を過ごしている。
気が付けばいつも、はらはらと涙は勝手に流れ出ていた。
しかしそんな、無知で影響されやすく泣き虫アンテナが常に5本立っている私の側で困ったように笑い、『もうその事では泣かないと決めた』彼らが、まるで堪える機能を失ったように涙する姿が、ビデオカメラの映像には映し出されていた。
私にとってそれは筆舌に尽くしがたい衝撃であり、これは見てはいけない姿なのだと思った。


後にURGAは私にこう語る。
『ひょっとして、私はここへ来るべきではなかったんじゃないのか、って』
どんな時もユーモアと笑顔を忘れないタフで可憐な歌姫が、眉間に皺を寄せてそう言った。彼女はこうも言う。
『歌を届けるという使命は、思いや言葉を届けるだけでなく、聞くその人の内側にある迷いや本音を浮かび上がらせる事をも、含まれていると思う。私に出来る事は、誰かを導く事じゃなくて、誰かの側にいて寄り添うこと。彼らが笑うなら私も笑い、彼らが泣くときは私の歌も泣いている。そういう存在でありたいと思いながら歌い続けている。そして聞く人が立ち上がる時には、前に踏み出す一歩を共に、後押し出来たらいいのだけれど…。だけどあるいはバランスを崩しかねない程の彼らの、…うん。…私は一体何を見たんだろう』


ある者は腕組みをし、ある者は背もたれに体を預け、ある者は前のめりになり、ある者はURGAを見つめたまま、静かに泣いていた。奥歯を食いしばり、堪え切れず、拭う事すら無駄だと感じているように見えた。


彼女が歌った3曲は、URGAファンの間でも名曲と名高いメッセージソングだ。
コンサートで今もなお歌い継がれる、URGA自身が大切だと語る思いの篭った3曲でもある。
その曲を目の前で歌うURGAの姿に涙が込み上げる。そこになんら不自然さはない。ただいつもの光景と違ったのは、おそらく誰もこうなるとは想像していなかった事だ。URGAはもちろん、彼女を好きだと公言していた彼ら自身も、まさかこんな事態になるとは思っていなかった。
何故ならドーンハンマーとは、理不尽な程自分自身に厳しい人間の集まりだからだ。彼ら程自分の肉体と感情をコントロール出来る人間を見た事がないし、おそらくその事を彼らも自負し武器としている。そんな彼らが、普段よりも台数を増やした撮影用カメラの前で涙を流す事など普段では到底考えられない。
何度も、「また泣いてんのか」と伊澄に揶揄われた。
有言実行者であり、無言の努力を実行し続けて来た彼らの強靭な精神が「涙を拒んでいる」節すら見受けられた。号泣しながらバンド加入を訴えたという繭子も、善明アキラの死に身も心もボロボロになった神波も、足早にこの世を去った友と交わした約束を全うするため、己の体を傷め続ける池脇も伊澄も、皆笑って今を生きている。そんな彼らが全く抗えない力がURGAの歌声にはあったという事だ。
人は誰でも好きな歌と自分の人生を重ね、心に落とし込んで耳を傾ているものだ。例え自分の過去やこれからの未来とかけ離れた歌詞であったとしても、どこかしら好きなフレーズや、感じ入る言葉の意味などを抜き取り、お守りのように大事に繰り返し思い出し、そして口ずさむ。


『いつかは誰しも わかる時が来る だけどそれが今日や明日だと 覚悟を持って生きることの辛さを 私はまだ 知りたくはなかった』と歌う、『終わりが来る時』。


『心を言葉にして それは素晴らしいね言えたのは ああ いつの日だったろうか それでも叫び続ける事の意味を 教えてくれたのは ああ 誰だったろうか 指先ほどの命の灯を 消えないように 消えないように ここにいるよと 歌い続けて」と歌う、『指先の灯火』。

『たった一人でいい 見えなくたっていい それでも私は あなたの中にこだまする この歌は誰かのため この歌は私のため 全身全霊 私という名の 響け歌声』と歌う、『私という名の』。


それはまるで彼らの人生を傍らで見守り続けた誰かが、彼らの為に書き上げた歌のようだった。人は本来そんな一曲に出会う事すら稀であるように思う。ドーンハンマーにとってそれは原動力であると同時に、怒りと悲しみによって刻まれた記憶でもあった。まだ20代のうちに愛する人を3人も失い弱りきった彼らの側に、URGAはタイムスリップしたように私には思えた。そして、まだ18歳で自分の未来と死に場所を決めた少女の側へも。頑張れとは言わない。大丈夫だとも言わない。彼らが声に出したくても面と向かって言えなかった叫びを、URGAは今歌っているのだと思えた。


個人的に特別な思い入れが誰かにあるわけではない。彼ら全員を尊敬し、愛している。しかし、こと涙に関して言えば、伊澄翔太郎の流す涙が一番私の心に響いた。周囲から天才と持て囃されながら、それでも己の研鑽を怠らず、今ようやくここまで上り詰めた彼の魂が、本当の意味で笑っているか否か、私などには想像もつかない。しかし今彼が泣いている事実が、私のファン心理をこれでもかとばかりに痛めつけるのだ。
繭子に宛てた関誠の言葉を思い出す。
「それで幸せになれるなら、バンドなんかやめたっていい。世界なんか関係ない」
ここへ来て彼女の言葉が私に突き刺さる。本当にその通りだと思った。
何よりも、傷ついた彼ら自身の幸せを私は願っている。もし、ドーンハンマーの取材をここで終えて欲しいと願い出されていたら、私はその理由も聞かずに承諾していたかもしれない。ライターとしては失格だろう。だが忘れてならないのは、彼らの途方もない努力が自ら望んだ事だとは言え、その結果彼らの抱える傷を癒やしてくれたか否かは誰にも分からないということだ。私がライターである事は、今関係ない。
誰かの幸せを願う事に、見返りのある理由などあってはならないと、私はそう思う。



この日を思い返して。伊澄翔太郎の言葉。
「うわー、やられたーって。だってその前のインタビューん時から、あーこれ嫌な予感すんなーって思ってたもん。だろ?嫌だなって俺言ってるよな?まあ、あれがあの人の凄さだよ。人の心に対する浸透率の高さは尋常じゃないよな」


この日を思い返して。神波大成の言葉。
「全然意識してなかったけどね。無意識だった。完全にあの人の中に引き込まれて、そん時自分がどんな状況だったか、周りがどうだったか覚えてない。(-- 皆さん泣いていらっしゃいました) そうなんだ? まあ、そらそうだろうねって感じかな」


この日を思い返して。池脇竜二の言葉。
「いやー、ジェラシーだわ。スゲーよ、やっぱあの人だけは。単純な声のデカさなら負けねえけど、やっぱ誰かに、心を届けたい気持ちのある人の歌ってスゲーわ!涙?そんなもんはなんつーか。…泣いてねーし!(笑)」


この日を思い返して。芥川繭子の言葉。
「私はいっつも一人で聴いて一人で泣いてるからね。それよりもあの人達ががん泣きした事で余計に止まらなくなって焦ったよ。普通醒めるじゃない、自分より泣いてる人見たら。いやいや普段絶対涙なんか見せないし、彼らの強さを知ってるからさ、その事に泣けて困ったなぁ。URGAさんやっぱ凄いよね。人として初めて嫉妬するかも。私もいつか彼らを感動で泣かしたいなー、無理だけどーって。未だにあの人達の背中を見てるだけで泣きそうになってる私にはまあ、まだ10年早いね」


永遠とも思える20分弱。
歌い終えたURGAは後ろを向いてハンカチで目元を抑える。
ミネラルウォーターを飲み、蓋を締め、床に置き、また涙を拭いて向き直った。


「えー…。3曲続けて、聞いていただきました」


目の前の男達はまだ完全に泣き止んだわけではない。
だがそれを待っていたのでは、URGA自身また涙が零れると判断したのだろう。
彼らの反応を待たずして、言葉を繋いでいく。


「もう、1年以上前になるのかぁというのが、正直な気持ちです。最初は軽い気持ちで、オリーからのお誘いを受けたわけですが、勉強不足の私がひょいっと足を踏み入れていい現場ではありませんでした。それは今でもほんのちょっと、後悔している部分でもあります。もし、もうちょっと深くあなた達について知っていたら、あの時の私は断っていたかもしれません。なぜなら、私は、今から丁度2年前…」


そこまで話したURGAは急に、下を向いて言葉を詰まらせた。
泣いていた。
マイクを持った右手の甲で口元を押え、流れる涙はそのままに、ただ泣いて立ち尽くした。
様子がおかしいと気づいた彼らが顔を上げ、繭子が立ち上がった時、URGAは左手を上げてそれを遮った。


「もう2年になります」


顔を上げたURGAの表情は、強く美しかった。


「今から2年前。私はこの先の未来を約束した人と、辛いお別れをしなければなりませんでした。当時の私は極限状態にあって、彼の闘病生活のサポートや、アルバム制作、日程の決まっていたステージの準備に追われ、記憶すら無くす程の目まぐるしい日々を送りながら、私は一体何と戦っているのだろう、なんで、こんな風になってしまったんだろうと、神様に問いかける毎日でした。失ったものはあまりにも大きく、これまで築きあげて来たURGAというアーティストは、半分以上、彼が側にいて初めて機能するものだったんだなーと、改めて実感し、もう、これ以上は、歩けないなー、と、思いました」


俯き声を失う。
彼女の足元に落ちては沁み込む涙の音まで聞こえるような沈黙だった。


「ただ、私は約束をしていました。歌う事だけは、絶対にやめないと。作品を創り続けるかどうか。コンサートを行うかどうか。それは分かりませんでした。ただ歌うことだけはやめないと、約束しました。だけど実際は、生きて、ただ毎日を生きることだけで、本当は精一杯でした。そんな時、ようやく1年が過ぎようとしていた頃、オリーから電話を貰いました。実は、彼女とはそれまでプライベートな話をしたことがありませんでした。どこかで私の事を聞きつけた、そんな彼女が掛けてきた電話も、やっぱりお仕事の話でした。うちのアルバム制作にお力を貸していただけませんか?もちろん、ドーンハンマーがどういうバンドで、どういう音楽をやっているか。それぐらいは知っていたし、私が知っていると分かった上でのお誘いのはず。なんだかヘンテコな話だけど、乗っかってみると面白い事があるかなー。その時の私は明るい話題に飛びつく習性があったので、本当にその一本の電話だけで、お話を受けました。よくよく聞いて見ると、歌ではなく、ピアノかキーボードでの参加希望だそうで。んー?ますます変だぞー?私、歌う人なんだけどなー。私は思った事をすぐ声に出してしまうので、オリーにも笑われてしまいました。URGAさんがその気になったら、いつでも歌ってください、そう、彼女は言いました。嬉しくて涙が込み上げて来ました。そうか、それでいいのか。そうかもしれないな。しかし、歓び勇んで出かけたあなた達の制作現場は、もう本当に、鬼畜でした」


ようやく彼らに静かな笑い声が戻る。


「私が辛いわけではなく、見ている事が辛くなるほどに、自分を追い込んでいる。肉体的に、精神的に、どこまでも追い詰める、そんな姿が、私の目を釘付けにして離しませんでした。そうやって紡ぎ出される爆音の連鎖。その中に、一人一人の結晶化された才能が埋め込まれていく様子を目の当たりにして、これはなんだ、これが彼らの音楽か、とにかく音がデカくてなんだか分からないけど、とにかく、凄いぞ。あー…。そうか。彼らは生きているなー。戦っているなあ。私と同じなんだ。もうそれだけで、あなた達の事が大好きになりました。ただそれと同時に、打ちのめされる感覚も味わいました。だって、ドーンハンマーというバンドには、言葉というメッセージがないんだもの。ただ演る、ただ歌う、ただ弾く。純粋に音楽を打ち鳴らし、格好良いとはこういう事だと全身で体現してみせる。それが、ドーンハンマー唯一のメッセージ。私の知らない音楽、私には出来ない音楽。あれ、じゃあ、私が今までやって来た音楽って、なんなんだろう。誰かに言葉を届けるって、一体どういう事だったろう。私は思わず、問いかける事の出来た人の存在を、探していました。急に寂しくなって、分からなくなりました。このスタジオを去った後も、その思いは消えず、また、自分に問い続ける日々が始まりました。ただそれまでと大きく違ったのは、もっと、もっと歌いたいという強い気持ちが、再び私を突き動かしたという事です。話が長くなりすぎました。漫談家と笑われないうちに、次の曲をお送りします。『あの虹の向こう側へ』」


強烈なメッセージを訴える力強いバラード。「あなたがいるから頑張れる」。この日の為に、彼らと思いを同じくする為に書かれたような歌詞を、URGAは何年も前から歌っている。彼女の底知れぬ「歌う力」には心から敬服するほかなかった。


拍手。


「メルシーボークー!」


URGAは笑顔で挨拶した後、頭を後ろへ倒して、天井を見つめた。


「あー。…こんなはずじゃなかったよー」


そう言った可愛らしい声と言葉に、ドーンハンマーは思わず笑い声をあげた。


「それはこっちのセリフだー」


そう池脇が答え、伊澄と神波が大きく頷いた。繭子は、両手で顔を覆ったままだ。


「私ねー、さっきあんな事言うつもりなかったんだよー。けど皆の顔見てたらさー。あー、ちゃんと向き合わなきゃいけない人達だなあって。うん、思ったんだよ。ちゃんと分かり合えたら、もっと楽しい事一杯できるんじゃないかって。ま、泣いても笑っても、次で最後の曲になります!日本で歌うのは、ツアー終えて帰って来てからなので、しばらくはこれで最後です。次こそは、私のステージに遊びに来てください。今日は本当に、ありがとうございました」


右手を胸に当てて深々とお辞儀するURGA。
4人は満面の笑みと盛大な拍手を送る。


「ありがとう。あなた達に合えた歓びを、この歌にこめます。本当に心から感謝しています。それでは、この曲を最後に、行ってきます。聞いて下さい。『地平線にて』」


『どんなに高い壁だとしても どんなに遠い場所だとしても
私の夢は決して醒めることはない 心折られるわけはいかない
孤独を味わう事が嫌なんじゃない 私はいつだってそこへ向かって走る
その一瞬が 私の輝ける場所 そう信じて 歩みを もっと前へ』


歌う彼女の両目から涙が流れた。しかしその顔から笑みが消える事はなく、ドーンハンマー全員が最後まで歯を食いしばり、涙を流しなら、決して目を背けることなくURGAを見つめ続けた。


この日一番URGAが歌いたかった歌。「孤独を味わう事が嫌なんじゃない」。そう歌う彼女の声が震え、笑顔が震える。しかし4人が立ち上がったのを見て、パっと、彼女に明るさが戻る。彼女の側へ歩み寄る為に立ち上がったわけではない事は、映像を通して見ても伝わってくる。それはURGAへの敬意と感謝の表れだろう。彼女の歌声が高らかに力強く響き渡る。
「そう信じて 歩みを もっと前へ」。


きっと、思いは届く。伝えるとはこういう事なのだ。人の心が伝い合う瞬間を一人でも多くの人達に見て欲しい。そんな思いを込めて、収録させていただきました。
ドーンハンマーとURGAの絆はおそらくこの先もずっと続いて行く。
そんな幸せな未来を予感させる、素晴らしい一夜のコンサートでありました。

連載第14回。「予兆」

2016年、6月7日。
深夜、練習終わりの神波大成に話を聞く。


-- お疲れさまでした。今日は長かったですね。
「お疲れさん。何時なの、今」
-- 11時半です。
「ほー」
-- やっぱり新曲が増えて来た印象です。練習を拝見していても、音源未収録の曲が『BATLLES』も含めて3、4曲あるように感じました。年内のアルバム発売はないとのことでしたが、ひょっとするとひょっとしますか?
「ないない。今からじゃ間に合わないよ。曲が増えたっつっても、知ってると思うけどうちのレコーディングは音源作る目的だけじゃないしね」
-- ぶっ壊す為ですね。ビルドアンドデストロイ。
「そんなパンクバンドみたいなノリじゃないけど(笑)」
-- 早くて年明けですか。
「決めてないけど、春くらいには出すよ。そこ超えると逆に時間ないし」
-- 確かに、来年の今頃はワールドツアーですね。
「うん」
-- 楽しみにしています。
「取材順調?」
-- おかげさまで。めちゃくちゃ濃いです。
「そりゃよかった」
-- 今もうすでに編集作業始めているんですが、全然進まないです。
「もううち来て2ヶ月? 3ヶ月?」
-- 3ヶ月目ですね。
「早いねえ」
-- 全然時間足りてないです。短いものも含めて、今日でまだインタビュー4回目ですよ。
「え?これまでも結構話してきたと思うけど、あれは何?」
-- 雑談です。
「おいおい」
-- 適切な言葉が分からなくて便宜上そう呼んでるだけで、どうでもいい話という意味ではありませんよ。
「インタビューとどう違うの?」
-- インタビューという体裁に編集し直して記事に起こす事も出来ますけどね。『雑談』はこちらサイドの、編集上都合の良い枠組みたいな事です。あらかじめ用意しておいたバンドに関する質問をぶつけて答えを戴くのがインタビュー。そういうフレームを外して、バンド内外の個人的な体験談や思想などを拾い上げていく作業を雑談と呼んでいるだけです。ちゃんと分けておかないと、記事にする時こんがらがって困るんです、馬鹿なもので。
「へー。ちゃんと考えてるんだね」
-- あ、こないだも、繭子に遊びに来てると思ってると言われて嬉しいやら情けないやらで。
「そう言えばもう違和感ないもんね。なんだかんだで各自のスケジュールちゃんと抑えて上手い時間に入って来るし」
-- ありがとうございます。お邪魔にならないようにだけ、本当に心がけているつもりです。
「期待しとくよ」
-- はい。では、始めさせていただきます。その前に、やっぱりこれは言いたかったのが、先日のURGAさんの生歌、凄かったですね。
「あ、見た?」
-- 見ちゃいました。
「ちょっとなぁ、あれはなぁ、凄かったね。でもあれから調子落としたんだよ俺ら」
-- 何故ですか?
「感化されまくったというか。あれだけなんていうか、洗いざらい?…どう言うんだろう。お互い全部見せあう勢いだったろ」
-- そうですね。心と心が繋がったように見えました。
「うん、実はあの後場所を変えて色んな話もしたし、美味い酒も飲んだし、そうなると家帰ってからも全然抜けないわけ。途中で合流した織江も興奮が収まらないって部屋でCD流すしさあ。毒っ気じゃないや、URGAオーラみたいなのがずーっと纏わりついてるようなね」
-- 上げたいんですか、下げたいんですか。
「ははは。いやーでも、俺らだけじゃないと思うよ。スタジオで誰も何も言わないけど、完全に今丸いもん、音が」
-- 凄いですね。そんな事あるんですか。
「音の質感変えたり、テンポ速めたり遅くしたりは結構自在に出来るんだけど、何やっても丸いのは初めてかも」
-- 全然調子が悪いようには見えないですけどね。
「下手になったとかそういう話じゃないしね。勢いじゃない部分で弾いてるというか、丸いんだけど、重い音にはなってるかな」
-- 死活問題とかそういう事ではないですよね?
「そういうんではないね。単純に、やっぱURGAさんってスゲーんだなっていう思いはまだ皆抜けきってない気はするかな。早くツアーに出てくれないかな。いつ出発だっけ?」
-- えっと、あ、明日ですね。早く出てけってまた凄いことをサラッと。
「あはは」
-- もともと大成さん達がきっかけみたいなものですよね。
「ん、何が?」
-- URGAさんとの接点というか、出会いのきっかけです。
「レコード会社が同じだしね、前から知ってはいたよ、もちろん。でも、どうだろ。俺と竜二がずっと好きでね。俺が織江に教えて、織江が繭子に教えて。誠はもともと知ってたし、だから翔太郎も知ってた。何がどう繋がってるか分からないもんだなーとは思うよ」


その時、練習終わりの伊澄がスタジオに戻って来た。
「おー、やってんねー、お疲れさん」
忘れ物でもしたのだろうか、私達に声を掛けたのも束の間、伊澄の顔は楽器セットの方を見ている。彼の左手にはいつものように、携帯が握られている。
「あー、そうか。なあ、大成のモーリスって今ある?」
「ここにはないよ。楽屋にはあるけど、なんで」
「んー」
「取ってこようか?」
「あー。んー」
そう曖昧に答えて伊澄は携帯を耳に当てる。
「無理っぽい」
と、電話の相手に言いながらスタジオ入口に向かって歩きだした。
神波は私を見て、「何?」という顔をする。私に分かるわけがなく、「さあ」という顔で答える。ちなみにモーリスとは神波大成所有のアコギの事だろう。伊澄個人のアコギはスタジオ内にはないという話を聞いた事がある。
「え」
と言って伊澄が立ち止まる。
「どういう意味で? 今? なんで?」
もともと素っ気ない話し方をする所のある伊澄だからか、相手の表情の分からない会話だけを聴くと何かあったのかと心配になってしまう。
私はインタビューを一時中断し、伊澄の背中を見つめた。
「じゃあー…んー…」
私達の心配をよそに、伊澄はそのままスタジオを出て行ってしまった。


-- あんなに歯切れ悪い翔太郎さん初めて見ました。
「気持ち悪いね。まあ放っとくのが一番いいよ。考えても分からないもんは分からないし」
-- そうですね。と、こういう風なのが所謂『雑談』なわけです。こういう何気ないお話に、とても人として大切な部分が含まれていたりするので、隅にはおけない重要な事だったりします。
「こんな話から記事にされたって何も内容ないだろ(笑)」
-- 分かりませんよー。記事は対話形式だけではありませんからね。バンドの性格やメンバーの内情などを書き記す際のヒントにだってなりますから。
「へえ。でもネーミングがアレだよね。雑談って」
-- 確かに。またなんか考えておきます。それでは、気を取り直して始めます。前回までのインタビューで、どのようなお話をさせていただいてか、一旦整理させていただきたいのですが…。
「えーっと、なんだっけ」
-- 一番初めに、繭子についてお伺いしました。
「ああ、天才がどうとかいった話か。大分前な気がする」
-- そうです。繭子の加入とバンドの変遷、アキラさんの話、などですね。その後皆さんにお話しを聞いて、また戻ってきたのが、前回、前々回です。
「なるほど、あれから結構時間かかってたよね。その間色々あったから、自分が何て答えてるかも覚えてないな、最初なんて特に」
-- 前回は割とこれまでも表に出ていた話が中心でしたので、そこから更に深く掘り下げて伺いたいと思います。
「前もちょっと思ったんだけどさ、これさ、4人同時の方がよくない? 個別に話すると絶対重複するだろう? 個人的な雑談ならまだしもバンドの話なら一緒の方が楽じゃない」
-- そう思いますが、なかなか時間が取れないんですよね。
「あ、俺ら非協力的?」
-- いえいえ、プライベートな時間を割いていただくつもりはないので、スタジオに来られる日でその後の予定やタイミングをお伺いしてお願いしているのですが、なかなかどうして。ちなみに次に予定している翔太郎さんが全くの未定なので、先に竜二さんにお願いするかもしれません。
「スタジオにはほぼ毎日いるけどね」
-- そうなんですけどね。タイミングを見計らう事には神経使ってます。せっかくの長期取材ですし、私の方こそしっかりとバンドを見つめて、自分なりに考察する事も仕事だと思っています。
「真面目ー」
-- だらだらと毎日お話をお伺いするだけなんて自分で自分を許せません。そんなのは仕事と呼べませんよ(笑)。
「真面目!わざわざ順番まで決めて?」
-- 同じ順番が良いかなーというのは勝手に私が思っているだけなので、正確にはありません。スタジオでの日常風景も貴重な資料になるんですが、やはり生の声を治められないのは説得力に欠けますからね、タイミングは難しいです。
「なるほどな」
-- 練習以外で、皆さんプライベートで遊んだりすることはありますか?
「飲んだりはするよ。遊んだりって何?」
-- 気晴らしにどこかへ出かけるとか。
「ないない、あるわけないだろ。気晴らしにならないよそんなの」
-- やはりそうですか。物凄く仲が良いようで、その辺ドライな気もしていたので。
「ん?」
-- 練習終わりに一緒に帰る姿を見た事がないなーと。皆さん特に会話もないままばらばらに、残ったり出て行かれたりするので。
「フフフ、あははは、何だよ一緒に帰るって。面白いねー、ほんとに」
-- 変でしたか。
「うん、変だね。まあ、言ってしまえば子供の頃からの付き合いだしね、今更何をって感じなんじゃないの」
-- そうですか。このスタジオ(建物)って、外観はそれほどではありませんが、フルで改装されと言うだけあって中はとても綺麗ですし部屋数も多いんですよね。各自の楽屋があるそうですが、誰かの部屋にたむろして話すなんて事はないんですか?
「撤退した建設関係の会社が長い間使ってた建物でね、部屋数はもともと多かったんだよ。でも他の奴の楽屋なんて入ったことすらないよ。皆どういう風に使ってるかも知らない。俺は家が割と近いから、ほぼ物置だね。繭子は確か大分前にベッド入れてたから、仮眠室みたいな感じじゃない? あとは知らない」
-- こういう、あまりバンドの音楽面とは関係のない話をされるのはお好きじゃないようですね?
「得意じゃないね。多分一番どうでも良いと思ってるんじゃないかな、他の奴らと比べると。日常的な話にあまり興味がないし、逆に好きなミュージシャンのそういう話もあまり知りたくないと言うか」
-- たまに、海外の大物バンドでもオフの過ごし方なんていうインタビューが出ていたりしますが、読みませんか?
「それ全然スケール違うよ。そんな有名人と一緒にされても困るよ。俺らみたいな奴の私生活なんて誰も知りたくないだろうし、身を削ってする話じゃないよ、こっ恥ずかしい」
-- それがそんな事もないんですよ。皆さんキャリアは決して短くないですから、バンドの音へのこだわりとかステージへの熱意みたいな話は、既にそこそこ表に出ていますし…。
「それ主にあんたんトコね」
-- はい(笑)。もっとマニアックな情報を読者は欲しています。
「え、掘り下げるってバンドじゃなくてメンバーって事?」
-- 私は同じ事だと思っています。入口が違うだけで、辿り着く先は同じだと。
「言い方上手いなー!そういう所、庄内に似てるよね」
-- ありがとうございます。師匠ですから。
「ああ、そうなんだ。元気?最近見ないけど」
-- めっちゃ元気です。昨日も怒られました。
「なんで?」
-- 『お前の気持ちとかお前の泣いた瞬間とか誰も興味ないんだよボケ』『お前のはファインダーじゃなくてフィルターだ。いいから、ありのまま書け』『お前の感想や推測なんてゴミだから』って。
神波は体をくの字に折って腹を抱えた。見た事無いほどの大笑いだ。
「あー、痛快。目に浮かぶよ」
-- だからめっちゃ凹んでます、今日。
「気にすんなよ。あいつはあいつ、あんたはあんただよ」
-- ありがとうございます。でも凹みますよ。10年やっててそんな初歩的なとこで怒られる私って何、って。
「けど真面目な話さ、庄内が同じ企画抱えてやって来たとしてもきっとこういう風にはならなかった気がするけどね。人の涙って不思議なもんでさ、本当は誰にも見せたくないって思ってる側からすると、それを呆気なく見せて来る人ってちょっと馬鹿に見える反面、純粋さも見えてくると思うからさ」
-- うーわ、めっちゃ恥ずかしい。馬鹿も純粋も両方恥ずかしい。
「まあ、気にするなって事だよ(笑)」
-- ありがとうございます、お言葉通り受け取っておきます。あ、先日は織江さんにもお話をお伺いしました。ありがとうございました。
「なんで俺に言うの。それは織江に言いな」
-- 不思議なご関係ですよね。
「そういう問題じゃないだろ」
-- そうなんですけど。だけど不思議な気持ちになるんですよね。皆さん本当に信頼しあっている人間同志で、絆がもの凄く深い。そして強い。極端な事を言えば、ご結婚するかしないかなんて、そんなに大した問題ではない気もしてきます。しかし、お二方は籍を同じくされた。それでいて特に夫婦らしい関係性を大っぴらに見せる事もしない。バンドに全く関係のない話だと思う一方で、そこにも何か大切な意味が隠れているような気がするんです。
「例えば?」
-- それがうまく言葉に出来ないんです。モヤモヤすると言うのが正直な所で。同時に、翔太郎さんと誠さんの関係も同様に、よく分からない、すっきりしない『オブラートが見える』というか。何も見えないようで、そこに透明な何かがあるような。
「何それ、スピリチュアルな話? 女性週刊誌みたいになってるよ」
-- すみません。
「でもそれがなんであれ、あいつら関して俺の口からどうこう説明できる事は何もないよ。ただ俺と織江で言えば、それはもう責任としか言えないよな」
-- 責任?
「例え相手をどれだけ大切に思ってたってさ、それでもこの先どうなるか分かりはしないじゃない。一つだけ確かだったのは、織江がどういう生き方を選んでも俺にとって大切だって事は変わらないし、あいつが俺の側にいると言ってくれるなら、今後何がどうなろうと最後まで面倒見ようと思ったんだよ。というかあいつの事は俺が全責任を負いたいってのが本音かな。確かに籍を入れる入れないはどっちでもいいんだけど、言葉で言うより強いだろ」
-- そうですね。
「確かにバンドにとっては無関係なことだと思ってるし、夫婦だと認識してもらう必要すらないけどね。あいつもそれは理解していて、マネージャーであり事務所社長だから、人前ではちゃんとそういう顔をするし、俺もバンドのベーシストでしかないから、ベースを弾くだけ。ただあいつにもし何か困った事があった時は、そん時は自分一人で解決しようとしなくていいように、俺の事をいつでも思い出してもらえるようにしておこうと思ったって、そういう話だね」
-- よく分かりました。あー、とっても素敵です。ウルウルしてきた!
「はは。あのー、これは敢えて忠告しておくけど、翔太郎にはこういう話しない方が良いな。俺と織江の関係って割とこの業界内だと知ってる人多いから別に今更隠さないけど、翔太郎は自分のそういう話本気で嫌がるし、あいつが嫌だと思った時の対応は、それこそ悪鬼羅刹だと思っておきな」
-- こ、怖い。では、公平を期すためにせっかくの素敵なお話でしたが、大成さん達の事も、編集しておきますね。
「の方がいいかもね」


しかし私はあえてこの部分をカットしなかった。それが何故なのかこの場では明かせないが、この日の神波大成の言葉に、やがて来る大事件のイントロが隠されていたからだ。いや既に、もうとっくに色んな所で、その音は鳴っていたのかもしれない。私にとってはバンドの存続をも危ぶんだ大事件。その事を書くか書かないかで、編集部内でも意見が対立した。結果的に書く事が出来たのは、この密着取材を終えるまでの間に一応の解決を見たからであり、何よりバンド側から了解を得られたからなのだが、実際本当に書くべきだったかと問われると答えに窮する。
ただ、バンドの全てがここにあると銘打ち、私なりに『音楽と人間』というテーマを掲げている以上、あえて隠す事は彼らにとって損失になると判断した。
では損失とは何か。それはバンドのも持つ魅力と人間性が、より色濃く反映された事件だったからであり、そこを封印してしまっては伝わる物も伝わらないと判断したからに他ならない。
この部分はドーンハンマーらしいが、この部分はドーンハンマーらしくない。
そんな線引きが彼らにあろうはずがなく、常に彼らはどんな時であれドーンハンマーだからだ。そこを描写せずしてなにが密着であろうかという確固たる信念が私にはあった。
しかし、「お前のような女が本来傷つく必要の無かった人間を地獄に落とすんだよ」と編集部で私を罵る者がいた事もまた事実だ。しかし私は「その時は私が真っ先に地獄へ落ちて彼らの下敷きになります」と返した。そんな売り言葉に買い言葉のような返事が正解などとは、私も思ってはいない。だが彼らにとっての地獄とは、『こういう事』ではないはずだとこの時からすでに私は感じ取っていた。そして私自身が傷だらけになる覚悟も決めていた。冒頭「はじめに」の記事で私が実名を表記しているのは、決して自己顕示欲などではなく、それが理由である。
読者には申し訳ないが、今はまだこの文章を読んでも何も分からない筈だ。
分からないように書いている。何故なら彼らの突き進む道を共に目撃して欲しいからだ。
そしてこの事件の幕切れは、次に待ち受けたていた更なる衝撃の幕開けとも繋がっている。
ここからの数か月で、私は心身ともに衰弱した。魂が擦り切れる程感情が疲弊する思いを何度も味わった。だがそこを乗り越えた今だからこそ、かつて経験した事のない「絶頂」を体感することが出来たのだと、曖昧な表現ではあるがここに付け加えておきたい。
それでは戻ろう。


-- アルバムのクレジット見るとどれも共通して、作詞作曲編集全てバンド名になっていますね。やはり全員で作り上げるという意識の表れでしょうか。作詞は全て竜二さん、作曲は翔太郎さんと大成さんと決まっているようですが。
「おー、やっとインタビューっぽくなった」
-- すみません、始めますと言いながら、ここまで全部雑談でした。
「長げーな!」
-- 面目ない。
「えーっと。いや、決めてるわけじゃなかったんだけど、『FIRST』の時点でそうだったんだよ確か。その後繭子も入って一緒に作るようになるんだけど、面倒臭いから同じていいかっていうのを繰り返してるだけだね」
-- 話を色々聞いてきましたが、本当にライブ以外の事に拘りがありませんね。長年やって来てバンドロゴを作ることもないですし、アートワークも適当と聞きましたし。
「適当とまでは行かないけど。…だって面倒臭いだろ?」
-- いやいや、そんなことありませんて。皆そこは結構楽しんでやりますよ。
「えー?本当ー?」
-- こっちが言いたいですよ。バンドロゴのない20年選手初めて見ましたもん。
「ないって言うか、あるけど変えるってことだろ?」
-- だろ?ってそんなまた。そもそもファーストアルバムのタイトルが『FIRST』って嘘だと思いましたよ最初。
「分かり易いし、結構あるよそんなバンド」
-- だってセカンドは『SECOND』にしてないじゃないですか!
「あはは、なんだっけ。『KIND OF SORROW』だ」
-- それサードです!え?本気ですか?
「あれ(笑)、え、なんだっけ、セカンド」
-- 『HOWLING LEO』です。そもそも『P.O.N.R』が何枚目だか覚えていらっしゃいますか。
「馬鹿にしてんのか?…7枚目」
-- …。
「違う?」
-- マジですか。9枚目です。
「おおー、結構出してた。全部覚えてる?」
-- 私編集者ですよ(笑)。『FIRST』『HOWLING LEO』『KIND OF SORROW』『ASTRAL OGRE』『GONE』『NOCTURNAL DROP』『7.2』『&ALL』『POINT OF NO RETURN』 …です!
「お見事。懐かしい」
-- しかも有名ですよ、『GONE』の経緯。5枚目だから『GO』にしようとしてたのを、あまりにも恥ずかしいってんで繭子がつけたして『GONE』になったという。もっと言えば、今あげた全アルバムタイトル、その名を冠した曲が1曲もないんです。あえて面白がっている節がありますよね。
「曲名ってさ、俺達にしたら記号でも言い訳なんだよね。演奏してて、次あの曲行こうってなった時『12番』っていう合図でもいいわけ。ただそれだと数が増えると、どれだっけってなるから後で名付けてるパターンがほとんどなんだよ。主に竜二が書いてる歌詞をセンテンスだけ抜き取って、脈絡なくタイトルにしてるのが多い」
-- そんな話聞いたことない!
「考えてみなよ。俺達がさあ、『ノクターナルドロップ』なんてシャレた名前考えつくと思う?」
-- 繭子ですか。
「ううん。誠」
-- う、ええ?
「『HOWLING LEO』と『&ALL』と『P.O.N.R』以外は全部誠が考えた」
-- ひいい。それ出しちゃいけない話じゃありませんか? 誠さんの事を世間に公表されてないんですよね。
「公表って?翔太郎の事?関係ないんじゃない。付き合ってるって言わなきゃいいだろ。昔からの友人です、で」
-- あ、そうか。それにしたって、えええ、そうなんですか。
「ちなみに『&ALL』と『P.O.N.R』は織江な。要するにその名前の曲がないのはそういう事だよ」
-- びっくりです。ちょっと混乱してます。誠さんは全然バンドに興味がないと思っていたので。
「興味あるなしで言えばないんじゃないかな。人と人で繋がってるんであって、相手が何をやっていようと関係ないっていうスタンスだろ、あいつ」
-- そのようですね。
「そもそもバンドのファンとかそういうんじゃないしね。あいつも面白いよ。見た目と違って結構ぶっ飛んだ奴だし、雑誌に載せる載せないは関係なく色々話してみたら?」
-- 以前アキラさんのお話を少しお伺い出来たのですが、彼女自身については聞けていないので、是非ゆっくりとお時間の都合を付けて頂きたくなりました(笑)。…あれ?『HOWLING LEO』は、じゃあ、誰が考えたタイトルですか?
「ああ、考えたというか、まあ、アキラだね」
-- そうなんですね。あえてセカンドで付けたというのはやはり追悼の意味を込めてですか。
「そうだね。HOWLING LEOっていう言葉自体が、アキラを表してるんだ」
-- なるほど。
「本当は皆セカンドってつけようとしたんだけど、セカンドアルバムって一応全曲繭子が叩いてるけど譜面書いたのはアキラなんだよね。だからそれもあって、敬意を表して」
-- なんでそこまで覚えてるのにさっき間違えたんですか。
「いやいや思い出したんだよ今」
-- へー、やはり聞いてみないと分からない歴史がありますね。
「まあ、あえて人に言うような話でもないしね」
-- でもここ最近の曲名はちょっと、雰囲気違いますよね。
「実はさ。曲名に関してはちょくちょく海外でも言われるんだよ、曲の雰囲気とあってない気がするが特別な意味でもあるのかって。意味なんて全然ないからさ、ちょっと前回のからはとりあえず曲調に合わせよーかって」
-- あははは!面白い話ですね。確かに、言葉選びのセンスが独特で、よりメタルアルバムに相応しい語呂が並んでいるなと思ってました。
「よく見てるね」
-- ありがとうございます。
「ちなみにどの曲が一番ピンときた?」
-- 『P.O.N.R』ですと、『ULTRA』はやはりキラーだと思いますね。個人的に一番ヘビロテしてるのは5、6の流れです。『MY ORDER』からの『BRAINBUSTER'S』は歴史に残る格好良さです。なんだろう、聞いてて嬉しくなってくるというか。
「曲名の話なんだけど」
-- は!そうでした。
「まー、嬉しい事ばっかり言ってくれるよ」
-- 本心ですよ。曲名で言えば、URGAさん参加の3曲目『FOLLOW THE PAIN』はメッセージ性があって好きですし、これもURGAさん参加ラストナンバーの『GORUZORU』は不思議な語感で好きです。ゴルゾル、であってますか?
「うん」
-- どういう意味なんですか?
「造語だよ。音の質感」
-- へー!音の質感が曲名なんてしゃれてますね。…あ!
「あはは、勘がいいね。そうだよ。誰だと思う?」
-- えええ。
「あれURGAさんなんだよ、面白いだろ。ってか気づくの遅すぎだよ、アルバム出したの去年だぞ」
-- 普通気づきませんよ!
「そっか」
-- そうですよ。あー、凄いな、凄い面白い。色んな意味で規格外だ。
「しかも誰もその事口外しないっていうね」
-- そうなんですよ。先日の翔太郎さんとの対談でも全然そんな事仰いませんでしたし。
「そういうユーモアのセンス抜群だよね、あいつもURGAさんも」
-- ええ。もう、外に出して大丈夫な話ですか?
「去年出したアルバムの事だしね。いいんじゃない。そもそも隠してたわけじゃないし」
-- 他にそういう隠れた逸話ってありますか?今回のアルバムで。
「ん?」
-- URGAさんの参加、曲名考案。アルバムタイトルは事務所社長の考案、あと何か…。
「んー、ないと思うけど」
-- 曲数が9曲、といつもより少ないのは、理由があるんですか?ストックはまだまだあるとお伺いしてますが。長尺の曲でも6分台が1曲あるだけですし、確か全曲で40分台ですよね。
「ああ、フルで全力演奏してテンション保てるのが丁度それくらいなんだよ」
-- 40分ってことはないでしょう、あなた方にしてみれば。
「疲労とかそういう話じゃなくて。逆に全く疲れずに、マックスでやり切れる曲を並べたんだよ。全力全開演奏でもその9曲ならいい汗かいたレベルだから」
-- でもそれは、皆さんの匙加減なのではありませんか?
「いやいや、100メートル走全力で走り終えても、汗ダクにはなんないだろ、オリンピック選手は」
-- 分かり易い例えをありがとうございます。よくわかりました。今後の課題があるとお伺いしましたが?
「それはねー、これまでも言ってきたことなんだけど、やっぱりコーラスだね」
-- ああ、ずっと仰ってますね。けど今回とても効果的で素晴らしいコーラスワークでしたが。
「いやいや、全然だよ。レコーディングしてみりゃ分かるよ、やっぱ竜二ってバケモンなんだよね。翔太郎が苦しそうな顔するのなんてコーラス録りん時しか見れないよ。あいつが弱音吐くもん、全然釣り合う気がしないって」
-- やはり相当声の大きさが。
「違い過ぎる。そもそもコーラスパートを考えるのも竜二がやってるのね、俺はともかく翔太郎は分かってないから。でさ、自分の声を使って、模範コーラスを作ってくれるんだけど、ありえないのはさ、あいつが一人で70%の声量で被せてる歌に、俺ら2人でも届かないの」
-- ええ?
「コーラスっつってもさ、あれだよ、別に歌ってないんだよ。叫んでるだけなんだけど足りないんだよね、声量が。俺ら2人がどんだけ腹から叫んでアアア!とかやったところで、『ちゃんとやれよお前らァ』って」
-- ふははは!
「いや本当だからねこれ。本番でもやらなきゃいけないから変な風には残せないだろ、コーラスが一番キツイもん」
-- なるほどなるほど。お二人にもそんな弱みがあったのですね。意外ですが、面白いです。
「本当にこれは言いたいんだけど、竜二が凄いんだからね。だってあのURGAさんが唖然とした程だよ」
-- それは凄いですね!
「な?頑張らないといけないのは分かってるんだけどね。こればっかりは、才能だと思うしかないね、あいつのは」
-- 昔からあれだけの声量と肺活量だったんですか?本当に日本人離れしてますよね。
「昔からっていうのがどのあたりを指してるのか分からないけど、クロウバーの時点でデカかったよ。もうちょっとクリアに歌ってた分、今よりもそう感じる人いると思うな」
-- 『歌う』バンドでしたもんね。ハイトーンで攻めてる曲もありましたね。ドーンハンマーになってからは昔よりも声の質感を絞っているように感じられます。その、焦点を、という意味ですが。
「そうだね。ハイキーでもキャンキャンした声は出さなくなったね。それはやっぱりそのままの声をステージで出せないコンディションも考慮してだと思うよ。あと単純に今の音とか曲調とハイトーンは合わないよね」
-- そうですよね。アルバムタイトルをずらりと並べた所で思い出したのですが、初期の最高傑作と名高い『ASTRAL OGRE』から今のボーカルスタイルに近いですよね。
「うん。ひとつの答えを見つけた気がしたな。一曲目が確か、ファンファーレ?」
-- そうです、『MAGNUM FANFARE』。なんで私がそうです、とか(笑)。
「ふふ、あそこからだね、一番頭にインストを持ってくるって決めて、竜二に絶叫させるっていうルールを作ったのは」
-- 今でも1曲目でやる事の多い、そしてやると必ず歓声の上がる名曲ですね。
「でも去年からはやってないね。『PITCHWAVE』が出来ちゃったからね。あれ万能だと思う。そのまま『URTLA』に続く流れもいいし、そこからすっ飛ばして『MY ORDER』に繋げても嵌るし。尺の取れるステージだと、それこそ『FORROW THE PAIN』でもいいしね」
-- このバンドの最大の魅力でもある4人揃っての突撃を堪能出来る流れのパターンが、一気に増えましたね。
「そうだね。結局その時一番新しいアルバムの1曲目を持ってくる事が多いからこそ、たまにやるファンファーレが光るし、1分ちょいの『PITCHWAVE』が出来たおかげでバリエーションの幅が広がった。ああいうゆったりめで重い音のインストって、意外と難しいからね」
-- ヘヴィでゆったりですが、きっちりとザクザクしたリフの刻まれた名曲だと思います。そう言えば繭子に聞いた逸話なんですが、合図なしで翔太郎さんの出頭に合わせられるっていう神業が未だに衝撃的です。
「ん?」
-- 『PITCHWAVE』から『ULTRA』へ途切れなく続いている曲は、2人で一発録りしたものだと聞きました。その際2人は合図もせずに曲の出だしを揃えられる、と。
「うん」
-- え?これ普通の事なんですか?
「え、違うの。そんなの皆ライブでやってると思うよ。わざわざタイミング取ったり顔見合わせたりはしなかな。ダサいし。うちは全曲そうだよ、あの2人に限らず、タイミングは全部体で覚えてる」
-- それは、私が勉強不足でした。割と高度なテクニックをさらっと100%宣言されたもので、びっくりしました。
「確かにあそこはちょっと特殊だと思うけどね。要するにタイミングで言えば、もう翔太郎なんかは言わずもがな、完璧なわけじゃない。そこにどう合わせるかっていう繭子なりの方法があるんだろうね。俺も竜二も沁み込んだ練習量を頼りにしてるんだけど、繭子は多分どっかで翔太郎に近い資質を持ってるんだと思うよ」
-- なるほど。
「練習量が少ないとかじゃなくてね。練習量で言えば繭子が一番やってると思うけど、例えば新曲なんかでもそれが出来たりするからね」
-- 本人は、愛だー、なんて言ってましたが。
「フフ、そうかもしれないね」
-- 男性ファンが嫉妬しますね。
「嫉妬してんのは時枝さんだろ(笑)。なにかっつーと繭子のルックス褒めてくるし、噂になってるよ、『あいつそーなんじゃねえか』って」
-- やめてください!
「あははは!」
-- もー。大成さんから言われると本気にしちゃうじゃないですか。ご自分の影響力考えて下さいよー。でも愛って、そういうアレではない気がするんです、皆さんは特に。
「そうだね、期待してるような恋愛の愛じゃないね。あいつは単純に好きなんだよ本当に、ドラムが。バンドが。音楽が」
-- はい。
「例えば、この音とこの音が、こう、バチコン!って当たった時に凄い快感だとするじゃない。したら普通はそこを目指すんだよ。そこを目指して出来るまでやるのが俺達。でも好き過ぎて一回目で合わせられるのが翔太郎や繭子みたいな奴らってことだね」
-- なるほど!分かり易いです。
「まあ、言葉で言う程簡単じゃないけどね。出来るかっていうと普通出来ないよね」
-- なんなんでしょうね。
「それが愛だなんだって言うとお茶を濁すみたいな感じになっちゃうけど、ただ繭子にしたって翔太郎にしたって、誰とでもやれるってわけじゃないと思うよ、俺の見たとこ」
-- 確かに、繭子もそう言ってました。
「うん。やっぱり、同じ音を見て、同じ音を聞いて、同じ音を出し続ける仲間だからっていうのもあるんだろうね。やっぱ愛か」
-- 深いなー、色んな愛がそこにあるわけですね。
「これは俺の感覚だけど、合わせてるっていう気持ちすらないよね。特にライブ中だと。このタイミングが一番格好良い、一番気持ちいいっていう瞬間音って揃うもんなんだよ」
-- 合わせているんじゃなく、合うのが必然だと。
「そうだね」
-- 大成さんの今の言葉が一番しっくりきました。
「ほんと?ならそう書いておいて」
-- はい!ああ、もう日付変わってしまいます。お疲れの所ありがとうございました。
「いいよ別に、近所だし」
そこへタイミングよく、帰宅の準備を終えた伊藤織江が入って来た。
-- お疲れさまです。
「お疲れさま。どうする?先戻ってようか」
-- あ、今終わりました!すみません、お待たせして。
「全然全然、私は平気ですよ。まだ翔太郎も残ってるみたいだし」
-- そうなんですか? 先程電話しながら出て行かれましたけど、まだスタジオ内にいらっしゃるんですか。30分くらい前ですよ。
「車あるけど、あれ、帰ったのかな。いや無理だよね」
「酒飲んでもないのに、歩いて帰ったりはしないよ」
「ふむ。あ、…時枝さん少しいいですか?」
-- 私ですか、全然大丈夫ですけど。
「大成ちょっと待っててもらえるかな」
「なんだよ、何の話」
「うーん、まだ分からないんだけど、時枝さんなら何か分かるかなーと思って」
「だから、何」
沈黙。
この時私は何も分からず、ただ伊藤を見つめ返すだけだったのだが、突然ゾクリと悪寒のようなものを感じて震えた。なんだろう、とても嫌な予感がした。海外ツアーの中止?レコード会社と契約解除?いや、今のドーンハンマーの勢いでそれはない。誰かと揉めたとか?まさか、誰か病気か?
「誠の話」
伊藤がそう言った時も、私には何もぴんと来るものはなかった。ただ漠然とした黒い不安だけが、私の中で徐々に広がって行くのが分かった。これは、私が聞いてよい話ではない気がする。
-- 何も聞いていませんが。というか、まだ一度しかまともに話をしていませんし。
「うん、そうなんだけどね、却って…。そうか、なら、いいか」
「なんかあったのか?病気か?」
と、神波が尋ねる。
「ううん、違う。そうならこんな勿体ぶった聞き方はしないよ」
「なんだよ、気持ち悪いな」
「ってことは、大成も特に聞いてないんだね」
「おい」
「うん、あのね。別れたって言ってるんだ。誠と翔太郎が」
-- え。
「別れた?あの2人が?いやいや、ないない!」
「誠が自分でそう言ってるのよ、電話だったけど」
「翔太郎は?」
「私、さっき外から戻ったばかりで今日はまだ会ってないの。練習中どうだった? そんな素振り、あった?」
「ない。いやいや。…いやいや、それはないって」
私はその時、狼狽えた神波大成を初めて見た気がした。立ち上がり、髪をかき上げたその顔は青白くも見えた。
「ちょっと翔太郎探してみるね。時枝さんは、ごめんなさい。ちょっとオフレコのままで」
-- 分かりました。
「大成は、竜二と話してみて。何か聞いてるかもしれないし」
神波は答えず、私に一瞥もくれずに頷いてスタジオを出て行った。先程までの和やかで穏やかな空気はもうどこにも残っていなかった。人生とは本当に何が起きるかわからない、それ自体が生き物のようだ。『これってバンドにとってどの程度、重要な話なんだろうか。私はこの後、どんな顔で、どんなテンションで、彼らに話を聞けばよいのだろう』。その時はそんな小さな悩みに思いを巡らせていたのだが、実際はそんな生易しいレベルの話ではなかったのだ。

連載第15回。「事件」

何故こうなってしまったのか。
物事の渦中においては、それを考える事ほど無駄な時間の過ごし方はない。
起こってしまった今、自分に何が出来るかを考える他先へ進む方法などない。
では、何が出来るのか。
物事には順序があると言えど、人の気持ちは時にその順序を無視する事だってある。
過去が未来に繋がっているように、今ここで起きている目の前の事が全てだとは言い切れない。
答えを探そうと顔を上げた時、過去、現在、未来全てに思いを巡らせる必要がある。
全ては繋がっている。良い事も、悪い事も。良い思い出も、悪い思い出も。良い予感も、悪い予感も。
全ては繋がっているのだ。



2016年、5月23日。
URGAコンサートin「ドーンハンマーズ・バイラル4スタジオ」。
彼女が即興で名付けた素敵な一夜には、本番前の映像が存在する。
そこにはとても重要な、「ヒント」が散りばめられていた。
スタジオ内には一人で音の反響をチェックするURGAの姿。先程伊澄翔太郎と受けたインタビュー時とは若干衣装が変わっている。こういう姿にも、彼女なりの拘りとプロ意識を感じる。別室のPAブースから時折低い声が聞こえてくるが、カメラの映像からは明瞭に聞き取る事が出来ない。おそらくそれは音響を担当した真壁の声だが、リハーサルというにはあまりにも簡素だった。立ち位置と、マイクの感度、スピーカーから出る演奏の響き、音量、モニターからの返り、発声などを一通りチェックした後、ほんの10分程で「オッケーです」とマイク越しに囁くURGA。演奏が止むと、「一旦戻りますか?」というPAブースからの声が聞こえる。
「どうしようかな。…このままでも行けますよ。ここ来るまでに気持ちは作ってきたので」
「じゃあ、呼びますね」
「お願いします」
どうやらリハ終わりでそのままコンサートを始めるようだ。普通は違う。本来演者は一度楽屋へ戻り、客を呼び込んだ後SEと共に登場する。そこを飛ばしたようだ。しばらくの間、URGAが緊張した面持ちでマイクを握り、「ん、ん」と喉を鳴らす。
アアーー、ハーーーー。
先程から何度となく繰り返す発声練習。緊張感が漂う。やがて、池脇を先頭にドーンハンマーの面子がスタジオに入って来る。既にスタンバイしているURGAを目にとめ、驚いたように立ち止まる。
「え、いいの?」と池脇。
「どうぞ」微笑んで促すURGA。
了解したような顔でメンバーはソファーの所までやって来ると、配置を横一列に並び替えて腰を降ろした。
そこへPAブースから少し慌てた声。
「あ、一旦スピーカー類の接続解除してつなぎ直します。ごめんなさい!」
「真壁ー」と池脇が嘆き、神波が無言でブースへ入って行く。
「おおう。ライブって感じー」マイクを握ったままお道化て見せるURGA。
本番に向けて集中力を高めていればいる程こういうイレギュラーな事態は避けたい筈だが、そこはやはり百戦錬磨の余裕が見える。
「一旦戻りますか?」と繭子が気遣いを見せると、URGAは微笑を浮かべたまま首を横に振った。彼女はそれでもマイクを離すことなく、足元や後ろを振り返りながら、
「あのさ。さっきから気になってたんだけど、この、ここのドラム前からフロント3人までのスペースに散らばってるこの、赤いシミのような点々は何?」
と言う。すかさず池脇と伊澄が答える。
「血」
「血」
「えええ。裸足になんなくて良かったー!」
「すみません、なんかそこらへんもう掃除しても落ちなくて」と繭子が謝る。
「いいんだけどさー、なんでこんなに飛び散ってるの? 殴り合いでもしてるの?」
「いやいや、普通弦ぐらい切れるじゃない」と伊澄。
「弦が切れたぐらいでこんなになんないよ!」とURGA。
「気づかなかったり、無視して弾き続けたりすると、いつのまにか血吹いてたりするよな」と池脇。
「どんだけバイオレンスな現場なの。特にここ、ここ酷い!」
URGAは自分の立っている場所から右斜め前の床をつま先で指し示す。
確かにそこは、他の部分よりも飛び散っている血の跡の範囲が広い。
なんだっけ、という顔で繭子が左隣を見る。
左隣に池脇、一人分空けて、左端に伊澄が座っている。
「えーっと、あれじゃない、竜二の、あれ、ガッ!っていう。喀血」
独特の間でそういう伊澄の言葉に、思わず繭子が吹き出して笑う。
「血吐いたの?」
本気で心配そうな顔をするURGAに、池脇は少しバツの悪そうな顔で答える。
「いやいや、しょうもない話なんだけど、物凄い勢いで舌噛んじゃって。痛いし、痛い事に腹立つし、しばらくそのまま歌ってたんだけど、なんか歌いづらいぞと思って血吐き出したらちょっと舌の先っぽ噛み切ってたみたいで」
「やめて!聞くんじゃなかった!」
URGAは自分が痛みに耐えるように、両拳を握ってぴょんぴょん跳ねた。
繭子も自分を抱きかかえるように両腕を回し、とても嫌そうな表情を浮かべる。
「いや、でもちょっと。ちょっとよ」
と見当違いなフォローを入れる池脇を見つめて、URGAは思い出したような顔でこう言った。
「あ、それで少しだけ、英語の発音が舌足らずなの?」
間髪入れずに池脇が食ってかかる。
「うるせえな!あんただって子供みたいな発音じゃねえか!」
「失礼な事言うな!」とURGA。
「竜二さんが悪い!」と繭子。
「なんでだよ!実際そうじゃねえか!」
「まだ言うか!」
言い返すURGAも含めて全員が笑っている。
「翔太郎くん、私って子供みたいな発音してる?」
URGAがムキになった振りをしながらそう尋ねると、伊澄は一瞬黙って、
「子供みたいな発音って言うか、小っちゃい女の子みたいな声だな、と思う事はあるよ。発音は素晴らしいと思うけど」と真顔で答える。
「よし!」池脇に向かってガッツポーズを見せつけるURGA。
「それそれ、それが言いたかった。俺らと歳変わんねえくせにめっちゃ、なんだろ、少女みたいな声出すだろ!なんだあれ!」
池脇の言葉にURGAは怯む様子もなく、腰に手を当てて言う。
「それはね、女の子が幾つになっても使えるという伝説の魔法なの、という妄想は置いといて。別に意識して若作りしてるわけじゃないんだけどね、あはは、イントネーションを意識するとそうなるらしいんだよ。私が自然に発音しやすい声で喋ると、どうも高くなるみたいで」
「でも歌ってる時は全然そんな事感じないけどな」
伊澄がそう言うと、URGAは笑顔で答える。
「MCとかでしょ? 海外公演で挨拶とかするじゃない、そういう時になるかな。緊張してるってのもあるんだけど。変?」
「変じゃないです!」と繭子。
「日本人て若く見られるでしょう?だから普通に今でも可愛いねーって言われるよ」
「自分で言うな!」池脇の鋭い突っ込みが飛んだ所へ、神波が戻って来る。
「何を騒いでるんだお前らは」
「URGAさんがいくつになっても可愛いという話」と繭子。
「繭ちゃん100ポインツ!」
「お前も見習えばいいのに」
さらっと言い放ち、神波は池脇と伊澄の間に腰を下ろした。繭子は両手で顔を覆い、ソファーの背もたれに体を倒す。
「あー!ひどー!大成くんマイナス100ポインツ!」とURGA。
しかし繭子は傷つく素振りを一瞬で引っぺがし、「やっぱそうだよなー」と笑顔で答えた。
「いやいや、必要あるかい?」と池脇が言う。「URGAさんとお前じゃあなんか目指してる所違うと思うんだけど」。
「でもさー、思うんだけど」とURGAが低めのトーンで言う。「私達に託された人生って一回しかないじゃない。泣いても笑っても、一回こっきりで、いつ終わっちゃうかも分からないでしょ? 私は、自己、顕示欲…なんだっけ、自己アピール、そうそう、自己アピールをする事で人から可愛いって思ってもらえるんだとしたら、必要だと思うけどな。もちろん相手にもよるけどさぁ」
「なるほど」と頷く繭子。
「繭ちゃんと違って、歌ってない時の私は本当に普通の人なので。いつまでも若くいたいなーとか、可愛くなりたいなーっていう思いはさ、そう思える相手がいるっていう事がもう、とっても素敵な事だと思うし、幸せな事なんだよ」
「なるほどー」
「お前分かってんのかほんと」なるほどしか答えられない繭子に池脇が言う。
「分かってますよー!ただそういう、アピールしたい人が、いないというか」
「あれれ。そういう事言っちゃう?本当に?」とURGA。
「いやー、どうなんでしょうねえ」
右手でずっとスタンドマイクを握り、左手を腰に当てたまま、URGAが意味深な笑みを浮かべる。
「ここにいる殿方達は選択肢に入っていないわけね?」
「そうですねー」
「はっきり言うなー」と池脇。
「勿体ないと思うけどねえ」とURGA。
「いや、タイプじゃないとか好きじゃないっていう話ではないですよ。むしろ逆ですけど、だからこそ無理です」
「あはは、うん。分かるよ。…でもあれだよね、竜二くんの歌詞読んでるとさあ、たまあに、良い事言うじゃないかコノヤロー!ってなる事あるよね。ルックスと違うぜー!優しい男だぜー!って」
URGAが少しはしゃいでそう言うも、メンバーはピンとこない顔でお互いを見合っている。
コメントを差し挟むなら「そうなの?」と言っている顔である。
「なんで誰も何も言わないの?」とURGA。
「いやだってこいつが何歌ってるかなんて知らないから」
事も無げに伊澄がそう言うと、
「う、おお、え。馬鹿なんじゃないか君達。ちゃんと共有しなよ。たまにめっちゃ良い事言ってるんだから」
とURGAが嘆きの言葉を言い放つ。笑い声が響く。
「たまになんだ。8割どうでもいい事なんだな」
拗ねた口調で池脇が言うと、URGAが大きく頷いた。
「うん、8割意味分からないしどうでも良い事叫んでるんだけど、たまにどうしたんだって言うくらいメッセージ性のある歌を歌ってたりするの。私はやっぱりそういう、誰かに宛てた思いがこもっている歌詞が好きだから、そこには反応してしまうかな。ああ、こういう事を考える人なんだなー、とか。私とちょっと似てる所あるなー、なんて思ったり」
「っへー!例えば?」
「アルバム名は覚えてないんだけど、『アイオーン』って言う曲ない? あの、出だしがめっちゃ格好良いやつ。楽器演奏と竜二君の叫びが同時に始まる歌。デデデンデデンデデデン!アアアアー!みたいな」
「あはは!可愛い!」嬉しそうに繭子が言う。「『aeon』、私も好きです。『7.2』ですね。2曲目の」
「そうなのかな?あれは別れの歌なんだよね。ああ、凄いな、ここまで言えるって、いいな。素敵だなーって。私多分この中で一番気が合う人だと思う、竜二くんが。同じボーカリストだっていうのもあるし、考え方や性格もなんか似てる気がする。腹割って色々話してみたいもん。親友になれそう」
「おおお。イエーイ」嬉しそうに手を叩く池脇。
「でもあれだよ。胸がキュンとしたり、ウフっとかキャってなったりするのは翔太郎くんみたいなタイプなの」
「おい!男心を弄んじゃねえよ!」
「あははは!」
二人の漫才のようなやり取りに伊澄も神波も言葉はなく、最早笑うしかないようだ。
「すっごーい、天地が逆さに引っくり返ってもそんな大胆なセリフ言えない!」
繭子だけが真剣に目を輝かせている。
「思わない事は言わないで良いんじゃない?ただ言いたい時にちゃんと言いたい事を言わないと、後で絶対後悔するよ」
「分かります」
「面白い事思いついた時は考えるより先に言っちゃってる時あるけどね(笑)。普段からそこは意識しながら生きてる所あるから。だからね、今日ここへ来て歌おうって思ったの。歌の歌詞というか、言葉もそうなんだけど、それ以上に今日は私の心を届けに来ました。…にしても長くないか?」
怒った振りをして、URGAがPAブースの方を見やる。
真壁の声が聞こえる。「あ、終わってますよ。面白かったので聞いてました」
響き渡る爆笑。
手を叩き、のけ反り、頬を染める、それぞれの幸せな笑顔。
そこにあるものが全てではない。そこにないものも決して無関係ではない。
やがて、その日のコンサートが始まる。


2016年、6月8日。
沈鬱な空気に支配されたスタジオ内に今、メンバーが集まっている。唯一、伊澄の顔にだけ普段と変わらない微笑みが見て取れる。ソファーに座っているのも彼だけだ。繭子はソファーの肘置きに腰掛けているが、顔はカメラと反対側を向いている。
スタジオ入口に近い場所に伊藤織江が立ち、マイクスタンドの位置に池脇。
神波が一人だけ少し離れた場所、PAブースの入り口横の壁にもたれて立っている。
私もこれまで幾度となくバンドマンの痴話喧嘩、男女の縺れなどを目の当たりにしてきた。個人的な事を言わせてもらえば、もうそこには何の感情も興味もない。この時はまだ事情を掴めていない事もあり、ただの傍観者に過ぎない私は「こういう空気はやっぱり好きじゃないな」程度の感想しか抱いていなかった。
伊澄翔太郎と関誠の恋人関係が終わった。言葉にするとそれだけなのだ。それだけなのだが、15年という時間の重みは一行の言葉に収まりきるものではない。それぐらいは色恋に疎い私でも分かる。だが彼らの人間関係をまだどれほども理解していないこの時点の私にとって、何より驚いたのが神波大成の狼狽であった。私は勘違いしていたのかもしれない。寡黙で余計な事を口にしないこの男は、何事にも取り乱す事のない冷静な人間だなのだと勝手に思い込んでいた。それはあながち間違いではないかもしれない。だがそこにはある種の、感受性の低さや冷徹さを想起させるニュアンスも含まれてはいないだろうか?しかしながら、全くそんな事はなかった。友人とその恋人が別れる。その事がこれ程まで彼に影響を与えるなど私に予想出来るはずもなかった。私に見えている事以上の意味がそこにはあるのだろうし、そう思う他なかった。見れば伊藤織江の顔も蒼白である。ともすれば倒れてしまいそうなほど弱々しい。繭子の背中もいつもより丸くなり、常に明るく下らない冗談ばかり飛ばしている池脇の眉間に深い皺が刻まれている。その中で唯一、伊澄だけが微笑んでいる。この息を呑む程の異常な空気に、私は何も考えられなくなった。



「いつ?」
と言葉を発したのは伊藤織江である。
伊澄は大きく鼻から息を吸って、煙草の煙と一緒に言葉を吐き出した。
「一昨日。話をしたのは一昨日だな。で、そういう結果になったのは昨日。ってかなんでこんな会議みたいになってんの。あいつが誰かに何か言ったのか?」
「うん、私が聞いた」
いつになく声の小さい伊藤の言葉が、叱られた子供のように頼りない。
沈黙。
特に、誰も何も言わない。
言う言葉などないのだろう。伊澄が認め、関誠が伊藤にそう告げたのなら、2人の関係は確かに終わったのだろう。しかしスタジオ内に漂う空気に内包された感情はとても複雑だったように感じられた。
本当か?これでいいのか?あり得るのか。なんで今なんだ?切っ掛けはなんだ。理由は?なぜ受け入れたんだ。怒ったらいいのか?悲しんだらいいのか?誠をこの場に呼ぶべきじゃないのか。
「もう、どうにもならないんですか」
繭子が呟くように言った言葉に、伊澄はいつものように即答する。
「どうにもって。そうなんじゃないの。何をどう変えようっての」
「一方的にって事ですよね。誠さんからそう告げられたからって。そういう事ですよね」
「他に理由なんかないだろ」
「そんな事あります?ついこないだ話したトコなんですよ。15年前からだねって。正直な話、私人の恋愛事情とかどうでもいいと思ってきましたけど、これはなんだか納得できないです」
「俺が振ったって言いたいのか?」
「そうじゃなくて。信じられないって思うだけです」
「何を?誰も嘘はついてないけど」
「ちゃんと話したんですよね。どうやって納得したんですか?」
「なんでそんな事お前に言わなきゃなんないんだよ」
繭子の正直な思いは、伊澄の正直な言葉によってぶった斬られた。
確かにそう言われては、誰も何も言えまい。


携帯の着信音。
しばらく間を置いて伊藤がジャケットから携帯電話を取り出す。画面を一瞥し、止まる。
何も言わずに携帯をポケットに戻し、また沈黙がやって来る。重圧に耐えきれない様子の池脇が、全く興味を感じていない声で誰からだと尋ねる。「テツ。業務連絡」(上山鉄臣、バイラル4スタッフ)。短く簡潔に答える伊藤の顔はいまだ青白く、そしてまた沈黙。


「帰っていい?」と伊澄。
彼にしてみれば、無言という名の拷問に晒されこの場に縛り付けられる理由などないというのが本音だろう。誰も答えられない。やがてゆっくりと、繭子が言葉を吐き出した。
「バンド、辞めないですよね」
はっと息を吐き出しながら伊澄は笑う。
「なんで辞めんだよ。辞めねーよ、そんな事になったらそれこそ」
ぐっと言葉を飲み込んだのが伝わった。ピン、と空気が張り詰めた。
「まあ。最悪バンドが続くなら私はもういいです」
務めて明るく振る舞おうという気持ちだけは感じられたが、繭子の声は涙に少し震えていた。肩を掴んで強く揺すれば零れてしまいそうな程、ギリギリのラインに達していた。我慢強く、どこか達観している風ですらあった繭子の震える姿が、とても痛々しく見えた。
池脇はマイクスタンドの側でうずくまり、頭を抱えている。彼のこんな姿を見るのも初めてだ。何事も豪快に笑い飛ばす姿の印象しかないだけに、見ているこちらの方が辛くなる程だ。
神波は腕組みしたまま俯いている。男性メンバー2人から言葉が発せられることは無い。
「じゃあ、そういう事で」
硬くなった体を伸ばすように、両腕を真上に持ち上げて伊澄が言ったその時、またもや伊藤の携帯が鳴る。先程とは音が違う。慌てたように織江は携帯を取り出して確認する。
「来た」と言う伊藤。
「誰?」と尋ね返す池脇。
「誠。今下に来てる」
勘弁してくれと言わんばかりの伊澄の様子。私も同じ気持ちだった。いくら家族のような長年の付き合いとは言え、惚れた腫れたの恋愛沙汰に他人がここまで深く干渉する必要があるのかと思う。実際、伊澄は心底嫌がっているように見えた。
「呼んだわけじゃないよ。どうせおかしな空気になるんだろうから、自分で言いに行くよって、誠がそう言ってたの」
「いいんじゃないですか、帰れっていう理由なんかないですよね」
繭子が少しやけになっているのが気に掛かる所だが、彼女の言葉を否定する事も出来ない。
昨日まで誰の許可も必要とせず出入りしていた人だ。恋人と別れた瞬間追い返すような無粋な真似をする人間はここにはいない。



程なくして、いつもと変わらぬ場違いな美人がスタジオ内に現れた。そしていつもと変わらない、肉まんの差し入れ。いつもと違うと言えばその量だ。2袋を両手に持って現れた。私ははそんな彼女の姿を見て、自然と涙が込み上げてきた。
「だっはー。物凄い空気だなあ。これ、置いとくんで、好きに食べてください。さて、何から言おうかな」
誰に言うでもなく話し始める誠も、よく見れば微笑みがぎこちなく、誰を見て良いか分からないでいるような、所在無さげな印象を受けた。
「ああ。時枝さんさ、いるのは構わないんだけど、撮るのはやめない?」
急に矛先が私に向いて内心ぎょっとしたのだが、気づかれないように涙を拭っていた私は小さく「分かりました」と即答した。
「いいの。私が依頼出してる事だから、…全部残す」
そう助け船を出す伊藤に、
「ええ?私バンドと関係ないんだけど」
と笑顔のままやり返す誠の言葉が私に突き刺さる。関係ないのは正にこの私だからだ。
「表に出す出さないは後で決める事だし、誠が嫌ならもちろんそうする。ただ翔太郎と付き合っててバンドと無関係っていう言い方はないでしょ。その言い分は通さない」
「怖ーわ。はいはい、もう好きにしていいけど。それにしても酷い空気だね。翔太郎の事だからきっと何も言ってないんでしょ。優しいね、やっぱり」
「どうしたのよ誠さん。いつもより余裕ないね」
優しい声で、繭子は不意に抉るような事を言う。辛うじて誠の方へ顔を向けてはいるが、ソファの肘置きけにだらしなく座ったまま、立ち上がろうともしない。いつもの繭子らしくないと思えた。
誠は苦笑し「スッキリはしてるよ、でも」と返す。「やっと言えたーって感じだし」
「翔太郎さんの事、好きじゃなくなった?」
「いやいや、違う違う」
「じゃあなんで?」
「この話もうやめようぜ。オッサン3人にこのノリはきついわ」
しゃがんで頭を抱えたままの姿勢で、池脇がそう言った。力の篭った声だった。虚勢や空元気やトゲなどを含んだ女達の声をまとめて上から押さえつけるような「音」だった。しかし動揺する繭子とは対照的に、誠は全く意に介さない。
「別に帰ったらいいじゃない。聞きたい人だけ残ればいいと思うよ」
彼女がそう言うも、誰も立ち去ろうとはしない。しばらく待って、誠は両手の平を上に向けるジェスチャーをして見せる。どうするの。続けるの。帰るの。そして彼女はつま先の少し先を見たまま言った。
「元はと言えば最初っから決まってた事なんだと思う。こうなるはずだったと言うか。だから本当はもっと早く」
「帰るわ」
そう言って伊澄が立ち上がる。
「そう来たか」と誠。
「どうする、タクシーで来たんだろ。送ってくか」
伊澄が誠に向かって言う。今来たばかりの人間に掛けるその言葉の意味は、帰れ、だろう。面食らったような誠はそれでも、そういう可能性もあるだろうなと予想していた顔だった。
「うん。…じゃ、一緒に帰る」
そこへイライラしたような伊藤の声が被さる。
「ふざけてないでちゃんと説明してよ。月9(のドラマ)見てるんじゃないんだからさ。別に今更考え直せなんて思ってないから。それでも15年一緒に生きてきて、こんな理解不能な終わり方で明日っから今まで通り練習に打ち込めるわけないでしょう。そんな器用な人間ここには一人もいないんだから」
伊藤の言葉を受けて、伊澄はしぶしぶ腰を降ろす。
どうなっても知らないぞ。そんな空気が彼の横顔から感じられた。
言葉とは裏腹に立っているのも辛そうな伊藤の様子を見て、繭子が言葉を繋げる。
「嫌いになっていないならさ、あえて今二人が別れる事なんてないんじゃないかな」
誠は笑顔のまま繭子を見つめる。
「そう思う?」
「思うよ」
「他の人の事が好きでも?」
「え?」
「私ずっとアキラさんの事が好きだったんだよね」
「…何言ってんの?」
「15年経って言う話じゃないよね、そりゃびっくりもするよ。でもそうなんだよ。ずっと黙ってただけ。翔太郎のことももちろん好きだよ。色々助けてもらったし、感謝してる。ただもう黙ってるのも限界が来たというか」
「本気で言ってるの?」
「そうだよ。なんで嘘だと思うの。思いたい気持ちも分かるけどさ。カオリさんの事だって好きだし、邪魔するつもりはもともとなかった。2人ともいなくなっちゃったけど、だからって気持ちはそんな簡単に消えてなくならない。私が辛い時、やばい時、翔太郎が側にいて支えてくれたことは一生忘れないよ。でもだからってその事が、私がこの人と一緒にいる理由にはならないんじゃないかってずっと思ってた。もういい加減、お互い自由になるのがいいんじゃないかな」
「なにそれ、全然分かんない」と繭子。
「恋愛感情のない人と15年付き合ってたってこと?翔太郎をずっと騙してたっていうことなの?」と伊藤。
「まあ、翔太郎が気づいていなかったんなら、そうなるね」
「な、え、なんの為に?もしそれが本当の話なら私誠さんの事軽蔑する」
繭子の言葉に、誠は疲れたような苦笑いを浮かべる。
「なんの為って。翔太郎に大事にしてもらう事が心地良かったからなんじゃないの。ただのその心地よさと罪悪感の天秤がもう釣り合わなくなったんだよ」
「他人事みたいに言わないでよ。もう死んじゃった人より翔太郎さんの事をもっとちゃんと大切にしてよ!なんで今更そんな事言うのよ!」
「悪かったとは、思ってるよ」
「そんな事言ってないでしょ! なんで翔太郎さん黙ってるの!? なんで怒らないの!?」
黙ってやり取りを聞いていた伊澄は、困ったような顔で首を横に振った。
「なんで怒るんだよ。仕方ないだろうこればっかりは。ここにいない奴の話したって仕方ねえからアキラの事はまあ、ひとまず置いといてさ。理由がなんであれ俺とはもう付き合えないってのがこいつの答えなんだろ。だったらもうそれが全てじゃないのか。それとも俺が、泣いて引き留める姿を見たいのか?」
繭子にとってそれは、伊澄から聞きたい言葉ではなかったようだ。しかし反論出来る余地はどこにも無かった。繭子は両目をギュッと閉じ、大きく溜息を吐き出した。
「もう帰る」
そう言って繭子は立ち上がり、誠の横を通り過ぎる。慌てた様子でその背中に伊藤が言葉を掛けた。
「ちょっと、泊っていけば。うち来る?」
「楽屋で寝ます。練習は休みません」
立ち止まらずに繭子はスタジオを出て行った。
「ちょっと見ててやってくれる?」と神波が顔を上げ、
「分かった」と答えて伊藤もその後を追った。



「さて、と」ようやく口を開いて、池脇が立ち上がった。
その顔は険しかったが、誰かに対して怒っているような表情ではなかった。
「私も帰るよ」
誠がそう言うと、伊澄が立ち上がろうとする動作を見せた。それに気づいた誠が手で制し、
「タクシー呼ぶから平気。もう、彼女面はしない」と言って微笑んだ。
伊澄は黙って頷き、煙草を銜えて火を付けた。
「俺は、気づいてたのかもしれねえ。というか、そういう可能性の話を考えた事はある」
そう切り出したのは池脇だった。何の感情も感じさせない口調で誠が答える。
「そうなんだ。お優しい事だね。今までずっと黙って見守ってくれてたわけだ。私アキラさんにも言ってないんですけどね」
「だってお前、アキラが死んだ直後のお前酷かったじゃねえか。少しくらいは、あれって思うぜ。そんくらい思い詰めてたように見えたし」
「俺はアキラから、スゲー誠の事を心配してるっていう話を聞いてた」
そう言ったのは神波だ。どうやら池脇も神波も、繭子や伊藤の前では言いたくなかった事のようだ。
「翔太郎は何をしてんだ、誠を一人にしちゃいけないって。正直、何言ってんだこいつ、てめーの事心配してろって思ってたけど。実際あいつが死んじまった後のお前を見て、これはもしかしてそういう事だったのかなって。ただ俺も竜二も、お互いその事には触れてこなかった。お前らはずっとうまく行ってるように見えてたし、翔太郎がもし気づいてるとしても、それでもこいつは、こういう奴だから」
「気づいてても気づかないでも、誠の側にいただろうなって。それが自然な事のように思えたし」
「気持ち悪りいな!ウダウダと下らねえ話すんじゃねえよ!」
自分をフォローしているはずの池脇と神波を罵倒し、伊澄は煙草を投げ捨てた。
「お前今格好付けたって仕方ねえだろ」
そう諭す池脇に、伊澄は平然と鼻で嗤い返す。
「お前らがメンタル弱すぎなんだよ、こんな事可能性としていっくらでもある話だろう。15年付き合った女と別れる、それだけだ。世界中で起こってるよこんな事」
「あれー」
不意にひと際大きな声を発し、誠が間に割って入る。
「もしかして他に良い人いる?」
沈黙せざるを得ない言葉だった。
「え、お互い様だった?」
誠が目を見開いて伊澄を見詰める。
「いや、いない」
「遅っ」
「おいおいお前ら、何やってんだ」と池脇。
「URGAさん?」
「え?」と神波。
「まじか」と池脇。
「なんでそう思うんだ」とようやく伊澄が尋ね返す。
「こないだのスタジオインタビューとライブの映像、繭子と一緒に見たよ。ああ、こういう人が翔太郎の側にいるべきだったんだろうなーって思った。良かったじゃん。私も一安心だよ」
事の真相は定かではない。しかし恋人の立場から見ると、嫉妬心が首を擡げるのは理解出来る空気が2人にあった事は確かだと私にも思えた。
「…厄介払いみたいに言うなよ」
ゆっくりと伊澄がそう言った。
「私の方こそ、ずっと厄介者だったね」
そう返した誠の声のトーンがあまりにも素直過ぎたせいか。場が静まり返った。空気が張りつめる程の静寂だった。
「翔太郎。本当に、今までありがとう。…ずっとごめんなさい」
誠はそう言って、笑顔で数秒伊澄の横顔を見つめ、頭を下げた。
あまりの出来事に、池脇も神波も何も言えずただ2人を見つめるしかなかった。
さようならも言わず、誠はスタジオから出て行く。
伊澄が立ち上がった。
「俺が行くわ」
神波がそう言って返事を待たず誠の後を追った。
残されたのは伊澄、池脇、何故か私、時枝の3人。
伊澄は立ち上がったまま再び煙草に火を付けて、いきなりこう切り出した。
「そうだ、今丁度いんじゃないか、インタビュー。次俺なんだろ。時間無いって大成に愚痴ってるの聞いたぞ。どうせ帰った所で酒飲んで寝るだけだし、とことんやるか」
当然私は狼狽えて言葉が出てこない。そんな私のリアクションなど織り込み済みだと言わんばかりのテンションで、池脇が続ける。
「なら。一緒に俺も済ませるか!」
「おお、いいね、繭子も呼んでくる?」
「いいねえ。ちょっと様子見て来るわ」
そういうと池脇もスタジオを出て行ってしまった。



「なあ。これさ。記事にするとしたらどんなタイトル?」
一人になった伊澄は、振り返る事もなくそう聞いた。
-- 『事件』です。
嘘みたいな明るい笑い声がスタジオにこだまして、泣き疲れた私からも、少しばかりの笑顔を引き出した。こんな人は見た事がなかった。もし私に出来る事があるならば、オロオロしている場合ではないと思った。
「あ、ちょっと待ってて」
そう言って伊澄はPAブースに入って行くと、間もなく缶ビールを4つ抱えて戻って来た。
冷蔵庫が中にあるようだ。ここへ通うようになって3か月、スタジオでお酒を飲むメンバーを見た事もなければ、もちろん外で一緒に飲んだ事もない。今夜が初めての事だ。
-- うわー、ありがとうございます!
「まあまあ、変な所一杯見せたからなあ。…口封じだよ」
-- あはは。
「じゃあ、お疲れさん、乾杯。…乾杯は変か」
伊澄と2人になるのは初めてではないが、バンドマンとしての姿しか知らない私にとっては、今日は初めて尽くしの日となった。
-- 乾杯。不思議ですね。なんだか、私今なにやってんだろうって思います。
「俺もだよ。なんだろうな、今日は」
-- 聞いていいですか?
「どうぞ」
-- 未練はないですか。
「っはは。あー。まー。どうだろう。こんな事言うと気持ち悪いかもしれないけど、全然終わった気がしないな、まだ」
-- お二人の関係ですか?
「うん」
-- それは、どういう。
「あいつも言ってたけどさ。好きだとか大切に思う気持ちって、そんな簡単に消えたりするもんじゃないって俺も思うんだよ」
-- はい、そうだと思います。
「実感がないだけって言えばそれまでなんだけど。別れたって言ってもお互い死んだわけじゃないし、またどこかで顔合わすこともあるだろう。別々かもしれないけどこの先も生きてくわけだし、何かが終わったって言うにはまだ早いかな。ただ、もう別に俺はいいかなっていう思いも、あるにはあるかな」
-- 別れる事を受け入れるという事ですか。
「それもそうだし、そもそもが、今日までの毎日が俺にとっては十分出来過ぎた時間だったんだよ。よく15年続いたなって思うよ。それに、どうせあと何年か何十年かしたら俺も死ぬだろ。だったらもういいかなって。また誰か別の女と出会って新しい関係をどうこうって話は、もういらないな。誠だけでいいよ。…うん、泣くとは思ったけど早いなぁ。聞いといてそれはないって」
-- そういう話は、もう昨日の段階で済まされていたわけですか?
「いやいや。俺も内心びっくりはしたからね。でもさっき言ったみたいに、足掻いてどうなる事でもないだろうなって、それだけは思ったんだよ。あいつがそうしたい以上、最後は黙って受け入れてやるのが男らしくて良いかなって。だってさー、何度も言うようだけど15年って、簡単に言うけど長いと思うんだよな。聞いたと思うけど、俺らあいつが15の時に知り合ってんだよ。15歳から30歳になるまでの女として一番、良い時期って言うとやらしい話になるけど、そういう思春期から大人になってく時期をずっと隣にいて過ごしてくれたんだって思うとさ。例えあいつの中にずっとアキラがいたんだとしてもだよ。それでも俺は感謝する。俺だって心地良かった、あいつといた時間はずっと。…俺さ、今だから言うけどめちゃくちゃあいつの顔好きなんだよ。それは多分綺麗だからとかそんなんじゃなくて、あいつだからだと思うんだよな。誠だから、あの顔だからじゃなくて誠だったから、横にいて笑ってる事が凄く心地良かったんだって思ってる。だから今でもそうだけど、こんな風に終わっといて信じられないかもしれないけど、俺からはあいつの嫌いな所一個もないな。普通どっかしらなんかあんじゃん、15年も一緒にいたら。同棲しなかったってのも関係あるかもしれないけど、いつも笑ってくれてた気がするんだよ。少なくとも俺がバンドに打ち込んでこられたのはそれを許してくれてたあいつのおかげだと思ってるし、色々支えてもらったっていう実感はあるよ。…そう考えると、あいつやっぱりスゲーな。アキラへの思いをずっと抱えたまんまで、それを隠したまんまで、俺の横にいて、それでも笑っていられたんだから、スゲーなあ。優しい奴だと思うよ。…良い15年だった」
-- はい(それしか言えなかったのだ)。
「はい。あ、肉まんあるんだった、これで飲むか」
-- 差し入れはいつも肉まんでしたね。翔太郎さんの好物なんですか?
「どうだっけな。忘れた。まあ何にせよこれでしばらく食うことはないな」
-- 付き合うきっかけは、翔太郎さんの方から?
「だったと思うよ。具体的なきっかけは曖昧にしか覚えてないけど」
-- 人生、何があるか分かりませんね。
「なあ」
-- 取られた悔しさのようなものはないですか。
「アキラに?んー、ないかな。負け惜しみかもしれないけど、取られたと思ってない。あいつは死んだんだし、実際に15年付き合ったのは俺だから。変かな。15年得したくらいに思ってるよ」
-- あっぱれです。
「馬鹿みたい?」
-- いえいえいそんな。ただ私は我慢出来ないですけどね。嫉妬で狂います。それにしても、最後まで綺麗な人でしたね。ちゃんと、面と向かって感謝と謝罪を述べておられた。普通言えませんよ、あんな風には。
「サバサバしてたなー。まあ、その方がいいよ。がんがんに泣かれても困るし、今のあんたみたいにな」
-- 最初、こういう話になるとは思ってもみなくて一瞬は、なんだあの女!って腹立ったんですけど、肉まん2袋抱えてやってきた誠さん見て、あーダメだ、嫌いになんかなれないって思っちゃいました。
「あははは!そりゃーまーなんというか、ありがとう」
-- 色々想像しちゃいました。きっと、いつもより多めに買って来られたのも、これで最後だっていう思いがあったんだろうな、とか。
「そうかもしれないな。…自分で言って自分で感動泣きとかしないでくれるかな」
-- でも、本当なんですか。
「何が?」
-- URGAさんとの関係は。
「何もないよ」
-- ちょっと信じられないです。
「っはは! 女って本当そういう所面倒だわ。何もねえよ、それはあの人に対しても失礼だろ」
-- さっき、一度スタジオに戻られた時電話していた相手は、誠さんですか、URGAさんですか。
「何でそんな事答えなきゃいけねんだよ(笑)」
-- 女だから言いますけど、URGAさんにはあると思いますよ、翔太郎さんに対する気持ちが。
「あるわけねえだろ(笑)。仮にそうだとしても、俺達の間に何かあったかって言われても何もないとしか答えられない」
-- ああ、今後そのご予定があるとか。
「あ、え?酔ってんのか?」
-- 酔ってますよ。色んな感情が溢れ過ぎて吐きそうですもん。で、どうなんですか、URGAさんとビッグカップル誕生なんですか。
「誕生はしないと思うぞ」
-- URGAさんですよ? 断る自信ありますか。
「ないよ、ないない。断るもなにも、そんな事言われないって。例え何かの間違いで、そういう話になったとしても、今それをあれこれ考える余裕がそもそもないよ。本当にさ、また誰かとイチから付き合って、信頼とか愛情とかそういうのを育む時間を持つくらいなら俺はバンドに集中したい」
-- なるほど。URGAさんの事はどう思いますか。
「どうって?」
-- ミュージシャン同志ならもう絆に近い信頼がお二人には生まれつつあると思います。そこを飛び越えて人生のパートナーとして見る事が出来る人ですか。
「見るだけならなんぼでも見れるよ。そりゃあれだろ、あの人に魅力があるかないかって話じゃねえか。あるに決まってるだろ。実際に見て触れてあの人の凄さや良さに気づけない奴はただの不感症だよ」
-- だったらもう幸せになって下さいよ!
「え?」
-- 幸せになって下さい!
「どうした。幸せだよ俺は。どうしたんだよ」
-- あんまりだと、思って。
「同情かよ。面倒くせえ酔い方しやがって」
-- いけませんか。幸せになってほしいって願う事は面倒くせえですか。
「ごめんごめん、もういいもういい。竜二全然帰って来ねえじゃねえか。ちょっと電話してみる。…何で俺が謝ってんだ」
-- 私に出来ることはありませんか。なんなら、私URGAさんの連絡先分かるんで、何か伝えたいことあったらすぐにでも連絡取ります。ちょっと早めに帰って来てほしいとか。
「大丈夫。連絡先なら俺も知ってるから」
-- やっぱりURGAさんなんですね、さっきの電話。
「あははは!スゲーな!時枝さんスゲーな!久々にしてやられたわ!」
-- ええー、やっぱりなんか嬉しいです、もしそうなら、嬉しいってのは誠さんに失礼か、でも、うん、バランスですよバランス、終わりがあってはじまりがあるんですよね、そう、そうこなくっちゃあいけませんよ、人生はね、何があるか分からないけど、何があっても良いんですよ、特に男と女ってのは、よく分からないくらいがちょうどいいバランスなんですよ、きっとね、私はそう思いますよ、ちょっと私の方からも連絡してみますね、あ、ツアーに出ちゃいましたけど、どうしましょ、明日連絡したって、もう海外ですね、あー、ニアミスって奴ですねこれ、ニアミス、あー、しくじったなー、こういう所がねー、人生って上手くいかないなーって思う瞬間んすよねー」



「おおおおお、なんだこれ、どういう状況だオマエら」
そう池脇が驚きの声を上げた事も、伊藤と共に繭子が戻って来た事も、この時の私は分かっていない。そもそも記憶がない。私はアルコールに弱い体質なのだが、4本あった缶ビールの内3本を一人で飲んだというのを後から聞いた。大失態ではあったが、嘔吐を免れた奇跡と撮影中だったカメラを止めずにいてくれた伊澄の優しさに感謝したい。
池脇が2人を連れて戻って来た時、スタジオにいた私は涙と涎と鼻水でぐちゃぐちゃになっており、そこらへんにあった誰かのタオルで、伊澄に顔を拭いてもらっていた。何度も言うが全く覚えていない。
この後の話は私の預かり知らない出来事であり、本来は外に出る内容ではないのだが、大変貴重な会話が記録されていたので後日特別に許可を貰って収録する運びとなった。


池脇(R)、伊澄(S)、繭子(M)、伊藤(O)。

R「おまえなんぼなんでも手当たり次第すぎんだろーよ」
S「なわけあるか。お前が遅いからこんな事になってんの」
M「えええ、トッキー大丈夫ですかねこれ。ちゃんと意識あるのかな?」
何事か喚く時枝。何を言っているかは全く聞き取れない。
S「さっきまでべらべら普通に喋ってたから平気だろ。寝かせといてやれよ」
O「毛布取ってくるね」
S「悪いな」
しばらく時枝を介抱する4人の姿。コの字に並んだソファーの一辺に私を横たわらせ、L字に二人ずつ並んで座る四人。
画面左から伊澄、繭子、池脇、伊藤。
生きていたカメラは楽器側ではなくソファーとは反対側にある固定カメラの為、彼らの顔はほとんど映っていない。
S「大成は?」
O「しばらく下でタクシー待って、誠を見送ったって。そのまま彼も自宅に戻るってさっき連絡あった。大丈夫そうだって、誠」
S「そか。あとで俺からも言っとく」
R「結局インタビューやったのか?」
S「はあ?お前が全然戻ってこねえから大変だったんだけど。話し始めて5秒で泣くしさー、あることないこと騒ぎ立てるしさー。何やってたんだよお前らこそ」
R「こっちはこっちで大変だったん…あれ肉まん少なくない?どんだけ食ったんだよお前ら」
S「見てみ(机の上に散乱したビールの空き缶を指さし)、4本中3本行ったもんこいつ。俺すげー小さくなってずっと肉まん齧ってたもん」
M「あははは。あー、はは、おかしい。良かった、いつもの翔太郎さんで」
伊澄がぽんと繭子の頭を叩いて、「ごめんな」と言う。
ガクンと繭子の首から上が落ちた。頭を前に倒し肩が震えているのが離れた所からでも分かる。
S「誠と仲良かったもんな。なんか、お前にとっても辛い事になっちゃったなーと思って。ちょっと喧嘩っぽくなって終わってるけど、きっと大丈夫だから。あいつも分かってるはずだから、それはそれとして、今後も仲良くしてやってくれよ」
言葉で返す事が出来ず、大きく縦に首を何度も振る繭子。池脇は鼻をすすって、残っていた肉まんを頬張る。
S「織江も」
O「いやー、私はどうかな。私は誰より、何よりもバンドを優先する人間だから。ここを揺さぶる相手には容赦しない」
S「あはは!まじで。まじで怖いから」
O「怖いよー、織江さん怒らせたら怖いんだよ」
R「繭子より全然織江の方が怒ってんだもん、何をどう話したって全然ダメ」
S「あー、それで遅かったの?」
R「そー」
S「お前が怒っても仕方ないだろう」
O「仕方があるかないかの話じゃないの。私という人間が許せないの。ノイも絶対黙ってないはず」
R「なんでノイが出てくんだよさっきから」
(ノイ=伊藤乃依の愛称、織江の妹。故人。池脇竜二の恋人だった女性)
O「なんか、全く気づきもしないで、こんな事態になるまで何も出来なくて、なったらなったでただ狼狽えるだけの私が本当に嫌だった。ノイがいたらきっとなんとかしてくれたはずだって、なんかそんな事ばっか考えちゃって」
S「お前がそんな風に思う事はないんだって。悪かった、色々と」
O「え、なんで翔太郎が」
S「頼む。もう悪く言わないでやってくれよ。事情はあれだし、きっと筋としてはお前らの言ってる事が正しいと思うんだけど、俺自身が別にあいつに対して怒り心頭ってわけでもないんだよ。上手く言えないけど。…なんか嫌なんだよ、あいつがお前らに嫌われちまうのは。そういうのは見たくない」
R「おー。なんか、お前大人になったな」
S「なんだそれ(笑)」
O「…分かった。翔太郎がそう言うなら、私も切り替えるようにする」
S「うん」
O「クッソ忙しいしね、織江さんはね」
R「ああ、テツなんだって?なんか変更でもあったのか?」
O「何。テツ?」
(テツ=上山鉄臣。事務所「バイラル4」のスタッフ)
R「え?」
O「テツがどうかした?…え?」
M「さっき織江さんが自分で言ったんですよ。テツさんから連絡来たって」
O「あー! 私テツって言ったんだ? 違う違う、びっくりしちゃって嘘付いた。えーっと、いいのかな」
S「…ん?」
O「URGAさんからだったの。さっき翔太郎と電話で話したんだけど、ちょっと怒らせたかもしれないから、謝っておいて欲しい、ツアーから帰ったらまた行きますね、みたいな文章で、全然意味分からないからキョドった」
M「さっきって。いつ電話したんですか?」
S「えー。今何時?12時前だと思うから、もう3、4時間前」
O「そうなんだ。全然知らないからさ。なんだよ、今する話かこれとか思っちゃった。怒らせたかもって何、また揉めたの?」
S「全然」
M「なんの話だったんですか?明日からヨーロッパ(ツアー)ですよね。あ、行ってきますとかですかー? なんちゃって」
お道化る繭子に頷いて見せる伊澄。
S「まあ、そういう感じになるのかな。急に、ギターの音が聞きたくなったから聞かせて欲しいって」
M「ひゃー」
照れた様子でソファーに倒れ込む繭子。唖然とする伊藤は声に出してはマズいと思ったのか、ん?ん?と伊澄の顔を覗き込んだ。
S「なんだよ。いや俺ここにギター置いてないからさ、断ったわけ。大成のモーリスも楽屋だったし、わざわざ取りに行かせるのも悪いしさ」
M「えー、それぐらいしましょうよー」
S「あはは、同じ事言われた。にしたってアコギなんて家にしかないし、大成に取りに行かせるには理由言わなきゃなんないだろ。無理っすって。『えー』っつってなんか電話の向こう、拗ねた声でなんか暗いし、切り辛いじゃんそんなん」
M「うん、そんなの絶対ダメですよ」
S「一応、なんかないかなーって探しはしたんだけど。竜二いないし、モーリス楽屋だし、俺のはそもそもないし。俺もえーってなって。したらあの人も自宅兼スタジオなんだって思い出して。そっちにギターないの?って聞いて」
M「はいはい」
S「エレアコがあるんだけど、全然弾けないと。昔チャレンジしたけど、歌ってる途中から弾かなくなっちゃうから諦めたんだーなんて。で、今から口でコード教えるからそこを取りあえず指で押さえてくれと」
M「ふんふん。え、URGAさんが電話の向こうで?」
S「そう」
R「なんで?」
S「でー、取り敢えず言ったトコ全部抑えて貰って、一気に全部の弦弾いてって」
R「よく伝わったな」
S「ちょっと苦労した(笑)。でもめちゃくちゃ簡単なフレーズだから、それを何パターンか繰り返して」
M「なんの曲だったんですか?」
S「アイオーン」
M「ああ、なるほど」
S「彼女も途中で気づいて、あー!アイオーンだー!って」
M「あー…えっと、それはわざと?」
S「本人好きだっていうから。え、何が?」
かつてURGAはドーンハンマーの名曲『aeon』を、別れの歌なのだと称していた。
S「それだけなんだけど。なんで俺怒ってる話になんの?」
M「怒って、敢えて別れの歌をチョイスしたんだ、って思ったんじゃないですか」
S「へー、そうなるんだ。実際あれって別れの歌なのか?」
R「そこはちょっと難しいな。別にメッセージソングを書いたわけでもねえし、実際の歌詞とは逆の気持ちで叫んでるような部分もあるっつーか。…どうだろな。アイオーンって、英語で書けるか?」
S「書けない」
O「簡単だよ。エー、イー、オー、エヌ、だよね。元々ギリシャ語とかラテン語とかだよね。なんだっけ、時間とか時代とかの意味を持ってるんだよね。永遠とかの意味でつかわれる事もあるんだよ。物知りでしょ」
R「まー、そうなんだけど。それを、アルファベットを逆から読んでみな」
示し合わせたように3人ともが上を向いて、空中にアルファベットを書いていく。
別れとは反対の意味で歌っているという、A.E.O.Nという名の曲。
アイオーンのアルファベットを逆から綴れば、N.O.E.Aとなる。
そのまま読めば、ノエ、エ、とも読むことも出来るだろう。
まず最初に伊澄がパッと池脇の顔を見た。
右側に座っていた繭子の背中に手を当てて体を前に倒し、
空いた左手で池脇の背中をバシっとを叩いた。
R「イッタ!なんだオマエ!」
潤んだ目を輝かせて、無言のまま織江も同様に池脇の背中を叩いた。
調子に乗った繭子が叩こうとして、池脇の反撃にあった。
M「なんで私だけー!」
ずっと顔色のおかしかった織江の頬に赤みが差し、今にも涙が零れそうになった。
何か言葉を発すれば、その涙はきっと零れていただろう。
M「そっかー、こういう事もあるんですねえ。今後はちゃんと歌詞読んでみるべきかもしれませんね。全然気づかなかった」
S「んー、でも俺はやっぱいいかな」
R「あははは!そう言うと思ったよお前は」
S「いやでもこういうのはなんて言うか、きっと特別な事なんだと思うし、おそらくだけどあんましそういう事やらない奴だと思うんだよ竜二は」
R「いやいや、全部スゲー考えて作ってっから」
S「うそうそ」
R「いやいやいやいや」
S「それでなくたってさ、歌詞チェックしてる織江が気づかないんだから、そうそう読んで言葉を理解したくらいじゃ分からないように作ってるはずだろ。そんなの敢えて俺らが共有する意味なんかないだろ」
M「まあーたー、そういう言い方するー」
S「なんでー。俺正直嬉しかったけどね、URGAさんがさ、8割意味の分からない事を叫んでるって言ってたの聞いてさ、ちょっと惚れ直したもん。あ、こいつはやっぱそうなんだなって」
M「逆じゃなくてですか?」
S「うん。なんかね、これは個人的な考え方だし、前にも言ったと思うけど、あんまし『良い事』を言いたくないんだよ。詩人っぽい事とか、哲学っぽい事とか、芸術性の高い表現とか。俺あんまり好きじゃないの、本当は」
M「ああ、はいはい、そうですね。言ってましたね」
R「そんな上品な言い方してなかったけどな」
S「あれ、お前にも言った?」
R「直接は言われてねえけど、そういうバンドの事スゲー嫌ってんのは知ってるよ。言うならちゃんと言え、と」
S「そうなー、うん、そうそう。なんか『俺の中の悪魔が囁く、この竜巻を飛び越えた先にお前の魂の光が見えている、暴風域を突き抜けろ』みたいな歌詞書く奴いるだろ。死ねと」
一同、爆笑と拍手喝采。
S「もうゲロ出そうになるわ」
M「お腹痛い、お腹痛い」
O「意外と才能あるんじゃない?」
S「フザケんなお前、マジで鳥肌立つから」
R「特に英語で書く奴なんかは日本語に直すとそういうクソ寒い表現になりがちだしな。そこはそうならんように、考えて書いてるよ」
O「竜二のはちゃんと英語を話せる人が書く歌詞になってるし、そもそもテーマがあるようでないから、読んでるだけで面白いよ。8割意味がないっていうのは、めちゃくちゃな歌詞っていう意味じゃないよ。馬鹿馬鹿しいとか、メッセージ性をあえて籠めないっていう事だから」
S「そう。だから、良かったーと思って。そういうどうでも良い言葉並べておいてさ、それでいてスケールに嵌った奴らより格好良いって思われる事の方が、一番格好良いと俺は思ってるから」
M「ああ、確かにそうですね。言葉で何かを伝えるっていうバンドじゃないですもんね」
S「そうそう。まあそもそも、何かを伝えたいとも思ってないしね」
O「メッセージソング大好きなくせにね」
と織江がお道化た口調で池脇の腕に自分の肩をぶつける。
R「だからこそじゃねえかな。うん、きっと、俺達がやるべき事じゃねえって思ってるのかもしれねえ」
S「ストレートな日本語歌詞で歌わせたら格好良いバンドはもう一杯いるもんな。最近他所のライブ行ってないから今も生きてるか分からないけど」
M「あとURGAさんとかね!」
そう言って織江を真似るように、繭子は伊澄の腕に自分の肩をぶつける。
目を細めて天井を仰ぎ見る伊澄の口元が何かを呟いているが、小さすぎて聞こえない。
後日聞いた話だと、面倒くせえ、らしい。
O「さっきチラっと竜二に聞いちゃった。でも皮肉っちゃあ皮肉だよね。一番最初にURGAさんのCDここに持ち込んだのって多分誠だと思うんだよ。私も大成に教えてもらって知ってはいたんだけど、ドハマりしてる誠見て改めてのめり込んだ記憶あるもん」
M「まさかのまさかだよね。そのURGAさんと、いやいや私自身ここまで近い関係になった事も信じられないし、まさか翔太郎さんとねえ」
S「だから付き合ってないし、付き合わないし」
R「え?」
O「え?」
M「え?」
S「え?」
M「なんで?」
S「なんでってお前ら」
M「あー、まー。翔太郎さんはそういう人かもしれないなー」
S「出た、全然わかってない奴が使う十八番、『そういう人』」
M「馬鹿にされた(笑)」
S「それは俺のセリフだろ」
O「じゃあなんで止めなかったの。…そんなに誠の事大切なら、なんであんなにあっさり受け入れたのよ」
不意に伊藤の声が真剣味を帯び、池脇も繭子も笑顔でいられなくなった。
伊澄が煙草に火をつける。
普段は視線を送らずとも先端だけに綺麗な火を灯す彼だが、
今は深い縦皺を眉間に刻み、怖いくらいに強い目でその火を見つめていた。
S「あっさりじゃねえよ。ボケ」
口調は強くなかったが、最後に「ボケ」と付けた瞬間伊澄の装えない本心が見えような気がした。
明るかった室内の雰囲気が、またきゅっと温度を下げたよう感じられた。
全てを吹き飛ばすような音量の溜息をついて、池脇が言う。
R「もう終わったことは終わったことだ。今日はもういいだろ」
沈黙の中で伊澄の吐き出すく煙だけが自由に漂う。
S「約束したからな」
沈黙。
M「…どんな約束ですか」
S「言わない」
R「おお。約束は、守んないとな、男は」
S「そう。内容はどうでもいい。相手が守るかどうかも関係ない。でも約束ってそういう物だろ」
M「…誠さん忘れちゃったのかな。私どうしてもそういう人には思えないんだけどな」
O「あれはあれで、一本筋の通った良い女だと思ってるんだけど。どんな内容かは知らないけどさ、何か大切な約束を翔太郎と交わしておいて、今更アキラがどうとかね。…ダメだやっぱり腹立つ」
S「やべえ、藪蛇だ」
R「まあまあ(笑)。最後の肉まん食っていい?」
M「私食べてないんですけど!」
O「私はいらない」
S「腹減ってるからカリカリしてんじゃないの?」
O「ふざけないで」
S「ごめんごめん」
M「竜二さん幾つ食べたの?」
R「3つ?」
M「食べ過ぎですよー!翔太郎さんは?」
S「こっちの袋全部」
M「ちょっとー!お腹どうなってんですかー!?」
O「無邪気だなー君たちは」
どうにかこうにか、その夜を笑い声で乗り切る事が出来たのは、彼らの結束力があってこそだったように思う。その日流した涙の量は、時枝の分も含めるときっと伊澄が抱えて持って来た缶ビールより多いだろう。
この世の中に変わらない事などない。しかし変わって欲しくない事は山ほどある。
この日の出来事はドーンハンマーの絆をより一層強固にしたに違いない。
だが、この日の事件はこれで終わった訳ではなかった。確かにこの夜から数か月間は、環境面での変化についていくのが精一杯で、伊澄の抱えた寂しさは次第に爆音の中へ紛れて消えていったように思う。何より彼らには音楽があった。どのバンドよりも強靭で、絨毯爆撃と称される隙のない音の爆弾で、魂を込めた一曲一曲を全力で炸裂させて行く毎日だった。
その年の後半、彼らのコンディションは登り調子に良くなって行く。今この瞬間世界へ飛び出し、いつどこでヘッドライナーを任されようと誰にも文句を言わせない。そんな確固たる自信が漲り、ピークを迎えようとしていた冬の始まりのある夜。
再び彼らに試練が訪れた。しかし時間を一足飛びで駆け抜ける事をしたくはない。醜態を晒した時枝の横で交わされた4人の会話を収録する事が出来たのは何故か。今それを語る事は出来ない。しかし読者諸兄に約束しよう。必ずや、かつてない熱量の感動と衝撃を味わう事になると。その時こそ、今この瞬間を共に生きている彼らの強さの意味を、感じ取ってほしい。私の願いはそれだけだ。

連載 『芥川繭子という理由』11~15

連載第16回~ https://slib.net/85097

連載 『芥川繭子という理由』11~15

日本が世界に誇るデスラッシュメタルバンド「DAWNHAMMER」。これは彼らに一年間の密着取材を行う日々の中で見た、人間の本気とは何かという問いかけに対する答えである。例え音楽に興味がなく、ヘヴィメタルに興味がなかったとしても、今を「本気」で生きるすべての人に読んで欲しい。彼らのすべてが、ここにあります。

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-09

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 連載第11回。「AZ」
  2. 連載第12回。「翔太郎×URGA」
  3. 連載第13回。「スタジオライブ」
  4. 連載第14回。「予兆」
  5. 連載第15回。「事件」