露呈:前編
シュウマイ弁当は堂々としていた。
きつく結ばれた紐、四角くふんぞり返ったレトロな木製の弁当箱。どれをとっても伝統と格式、威厳に満ちており、貧相な弁当屋の片隅にあってもそれらは損なわれる事がなかった。
一つ七百六十円という値段は、居並ぶその他の駅弁と比べては、決して高価ではなかったし、むしろ廉価な部類に入るかもしれない。しかしながら、当時、小学校を出たばかりの私にとって、それは老成にも似た円熟の美の象徴であり、私の理想であり、憧れであった。
さて、前述の通り私は中学に入りたての新入生であったが、早くも私の理想と新たな世界の現実との間に歪みが生じていた。また、思春期といった時期も災いしてか、その歪みが大きくなればなるほど、精神が摩耗し、暗鬱な疲労感に襲われるのであった。
そんな日々を送り続けていたある日、私に転機が訪れた。
あの日の事を私は今でも鮮明に覚えている。初めての定期考査を終えた後、まだ不慣れな新宿駅で迷っていた時の事であった。時刻はだいたい昼間すぎ。やっとの思いで小田急線乗り場にたどり着き、窓から溢れる光を見ていた。
途端、弁当屋のシュウマイ弁当が目に入った。どうやら、いつもは来ないロマンスカー乗り場に出てしまったようだ。
私はその時、妙な悪戯をしてみたくなった。シュウマイ弁当を買ってみようと思ったのだ。普段なら、そんな事は考えもしなかったし、それは私にとって大それた考えであった。
たかが中学一年生の子供がシュウマイ弁当など食べていいはずもなかった。分不相応である。呆れる程の身の程知らずである。周囲の成熟した立派な大人に「生意気なクソガキ」と誹られるに決まっている。後で強烈な羞恥心に駆られるに決まっている。分不相応は恥であると同時に罪であったのだ。
しかし、その時の私なら出来るような気がした。幸か不幸か、平日なので弁当屋に客は居なかった。
これは悪戯なのだ。一種の道化であって、私が本気でシュウマイ弁当を食べる人間に自分が値するなどと考えてはいないし、第一、誰も見ていないのだから恥でもなんでもないのだ。と自分に言い訳をしつつ、落ち着かない足取りで弁当屋むかった。
シュウマイ弁当を手に取ってみた。なめらかな木目が指を滑り、私を誘惑した。
しばしシュウマイ弁当に見蕩れた後、顔を上げた時、店主と目が合った。
私の悪戯は早くも終わりかけた。店主は心の中で私の分不相応を嘲笑するに違いないと私は思った。だが実際は違った。私を見るなり、店主はニヤリと、嘲るような笑ではなくむしろ客におもねる様な笑をうかべた。
しめた。
店主は、私の悪戯の共犯者になったのだ。店主は私の分不相応の罪に加担した。
私は臆することなく、その共犯者に返答した。
「この、シュウマイ弁当を下さい。」
露呈:前編
後半は執筆中です。
くそみそに批判してやって下さい。
そうすれば、私も嬉しいので。