茗荷の舌 第6話ー冬虫夏草
子狸の摩訶不思議なお話。PDF縦書きでお読みください。
居間に朝日が差してきた。今日も天気が良いようだ。
朝の茶漬けの用意をした。さっぱりと、昆布茶漬けだ。
新聞を取りに玄関をあけると、小さな竹で編んだ籠がおいてあった。中に冬(とう)虫(ちゅう)夏草(かそう)が三つ入っている。
冬虫夏草は昆虫などにつく茸で、からだの中に菌糸をめぐらして昆虫を死に至らしめてしまう。昆虫にとっては命を脅かす病気のもとである。蝉や蛾の幼虫、蟻、蜘蛛、蜂なんにでもに寄生してしまい、そこから棒状の茸をはやす。小さいものだからなかなか目に付かないが、いろいろな種類があるという。冬の間は昆虫として動き回り夏になると茸になるということで、ふゆむしなつくさで、冬虫夏草という名がついたという。茸の仲間でも大きな傘を作るものに比べて原始的である。
入っていた二つの冬虫夏草は蝉茸で褐色の頭がある。蝉の幼虫の頭の辺りから茸が伸びている。もう一つ青っぽい頭を持つ冬虫夏草があった、なんの虫から出ているのか良くわからない。黒っぽい大きい虫である。
あの狸の子がおいていったに違いない。日陰において乾燥させておくと、とても貴重な薬になる。
科学博物館で冬虫夏草の研究をしている都(つ)縞間造(しまかんぞう)に電話をしよう。彼の家に電話をした。採集のため長期間出かけていることが多いので居ないことが多い。
ところがすぐ電話に出た。
「久しぶり、冬虫夏草をもらったよ、蝉茸と青っぽい頭をもつ冬虫夏草があるのだけど、興味あるかい」
「青い頭をもつ冬虫夏草なんて珍しい、すぐ行く、実は一月ほど研究期間をもらったところだ、沖縄や鹿児島の島々に行って冬虫夏草を調べようと思ってたのだ。幸先がいいね」
彼の声はいつもそうだが、特に今日は明るい。冬虫夏草と聞くとともかく喜ぶ。
彼の自宅は小田原にある。二時間もあれば南平までくるだろう。せっかちな男だからもっと早く来るかもしれない。
案の定、電話から三十分後に到着した。
「来たよ」と玄関を開けた。
おったまげた。この速さはちょっとどころではない。
「早すぎるじゃないか、うまく乗り継いだって一時間半、それでも無理だろう」
「はは、電車じゃ二時間かかる。ヘリコプターだ。小田原に住んでいる友人の自家用ヘリコプターですぐそばまで来てもらった」
そういえばヘリコプターの音が聞こえたようでもある。
「しかし、この近くにヘリポートなどないだろう」
「へへ、浅川にロープで降りた」
乱暴なことをする。
「あっという間で、誰も気が付かなかったさ」
大きなからだの都縞間造はずかずかと部屋に入ってくると、ちゃぶ台の上においておいた冬虫夏草をみつけた。
「あー、こりゃすごい」
都縞君は胡坐をかくと、リュックの中から冬虫夏草採取道具を取り出し、水をくれと叫んだ。水を持っていくと、シャーレに水を注いだ。青い冬虫夏草の頭をスライドグラスにはたいてから、虫の部分を水の中にいれて、ごみを取り除いた。
「何の虫」
「ふむ、マイマイカブリのようだ。マイマイカブリの冬虫夏草は初めてだ。完全な新種だよ。こんなに新鮮なのだから、このあたりで採れたのだろうな」
「マイマイカブリってどんな虫」
「蝸牛を食っちゃうんだ。意外と珍しいんだ。蝸牛の殻に顔を突っ込んで蝸牛をむしゃむしゃ食う。外からみるとマイマイをかぶっているように見える」
都縞君は蝉茸をピンセットでつまみ上げた。
「それと、この二つも蝉茸じゃない。蝉に見えたかもしれんが、雀蛾の蛹だな。
覚えているだろ。羊たちの沈黙にでてくる蛾の蛹。蛾になると頭に髑髏のような模様のできる蛾だよ。メンガタスズメだ。この幼虫はいろんな草を食べるが、みんな毒をもっている草だそうだ。この二つはメンガタスズメの蛹から出ている冬虫夏草だ。これも新種だな。すごい発見だな、もらっていいかい」
「もちろん」
都縞君は冬虫夏草を丁寧にしまった。
「しばらく居ていいかい」
そういわれなくても、きっと何日も逗留するだろうと予想はできていた。しばらくという事は一週間ということである。
「もちろん、このあたりをうろつくんだろ」
「そうさ、近くに冬虫夏草の坪がありそうだ」
坪とは冬虫夏草が生えやすい場所を意味する専門用語らしい。
こうして、都縞君はいつものように我家の客になった。
我が家の白猫は都縞君が大好きだ。外で遊んでいたのに、もう気がついて家に戻ってきた。都縞君は白を抱き上げて乱暴に頭をなでた。この乱暴さが好きなようだ。
都縞君に一つ部屋をあてがった。机の上に携帯用の顕微鏡が用意されている。
「さて、このあたりを散策するか」
「朝は食べたのかい」
「そういやまだだ、茶漬けをくれ」
遠慮がない。
「昆布だぞ」
「そりゃいい、最近毛が薄くなってきた」
確かに、後ろから見ると頭の地が透けて見える。
特製昆布の佃煮を皿に山盛りにし、電気釜ごと彼の部屋に持っていった。お茶もたっぷりと用意した。彼は昆布茶漬けをおそらく三杯くらい食べただろう。電気釜の中はあっという間に空になった。
「この昆布の佃煮はあいつが作ったんだろう、えーと、子(し)木子(きね)堪能だったかな」
「そうだよ、子木子には会ったことがあったかな」
「一度な、埼玉の山奥にいるやつだろう」
いつもはすぐに忘れちまうのに珍しい。きっと食べ物に関わることだからだろう。
「前ここに泊まったとき、イナゴの佃煮と、トンボの佃煮を持って来たじゃないか、佃煮みたいに色が黒くて細長いやつだった」
堪能がナナフシの佃煮をつくるため全国をまわっていたとき、この家に寄っていったことがある。そのときも間造が冬虫夏草の調査に来ていた。
「あのときには冬虫夏草が一つしか見つからなかったとぼやいていたような気がするが」
「ああ、だから、この辺はだめかと思っていたのだが、今年はいいようだな」
「良く彼の名前を覚えていたな」
「はは、俺は間造、あいつは堪能,胆汁は肝臓で作られる」
へんな覚え方をしたものだ。
「冬虫夏草の佃煮もうまいぞ、たくさん採れたらやるから、冬虫夏草の佃煮を作ってもらえ」
そりゃいいと思ったが、口には出さなかった。
都縞君は採集道具をリュックと肩掛けに詰め込んだ。
僕は彼を家の隣に広がる丘陵公園に案内した。瓢箪池もあり、公園の中にはいろいろな茸が生える。一昨年だったか、タマゴタケが大量に生えたことがあった。真っ赤な茸で日本人は毒茸だといって踏み潰してしまうが、ヨーロッパでは帝王の茸として珍重されている。旨いきのこだ。傘が似ている赤い毒茸があるが、タマゴタケのように白い壷をもっているものはない。他の毒茸と間違えることはまずない。これだけは僕でも自信があり、茶漬けというかスープかけご飯にして美味しく食べた。
丘の中腹の八号通りのわが家の脇の階段を上り、十三号通りに行くと、丘陵公園の入り口がある。そこから瓢箪池のほうに降りていくこととにする。
都縞君は瓢箪池に水が入り込む小さな水の流れの脇を丹念に歩いた。ゆっくりと、それこそ虱潰しに目をこらして歩いていく。大男が細かいことをしているのを見ると大変大らかな気持ちになる。
「うん、あった。橙色の小さな耳かきのようなものが生えている」
彼はそこにしゃがみこむと、道具を取り出した。写真を撮り、周りから少しずつ堀り始めた。三十分もすると虫の本体が掘り出された。
「カメムシだな、普通のカメムシタケのようだ」
彼はコケを敷いたタッパーにカメムシタケを丁寧に入れた。
その近くにもう一つカメムシタケがあった。
それも掘ると、公園の反対側の茸のよく生える斜面にいった。しかし、そこでは何も見つからなかった。
とりあえず、家にもどることにした。
「玄関にあった新種はどこからとってきたのかな」
都縞君がつぶやいた。
八号通りに向かって石段を降りていくと、登り口の脇でおかっぱ頭の女の子がしゃがみこんで何かを一生懸命見つめている。きっとあの狸の子だ。僕も都縞君も覗きこんだ。
蟻が行列をつくって丘の斜面を登っていく。
女の子は、ゆっくりと立ち上がると、僕たちに手招きをして、草の生えている斜面に入った。そのままを蟻の後をついていく。
斜面の朽ちた切り株の穴にアリが吸い込まれていく。女の子は切り株の裏にまわった。女の子が僕たちを見た。神社で泣いていたときよりひと回り大きくなったようだ。
女の子が切り株の脇を指差した。。都縞君は急いでそばに寄った。
都縞君が大声を上げた。
「すげー、冬虫夏草だ」
都縞君は、写真機を切り株の裏に向けシャッターを押すと、道具を取り出して掘り出した。真っ赤な冬虫夏草が首を持ち上げていた。
長い時間かけて掘っていくと、出てきたのは蜘蛛から生えた冬虫夏草だった。
「蜘蛛茸だ、でも新種だよこりゃ。真っ赤な蜘蛛茸なんてはじめてだよ」
都縞君の大きなからだが笑っていた。
「ありがとう」都縞君が女の子にお礼を言った。
おかっぱの女の子もニコニコして都縞君の掘り出した蜘蛛茸を見ている。
と、都縞君が大声をだした。
「あああああ、尾っぽ」
僕も見た。
ありゃ、また、出しちまった。
おかっぱの女の子はあわてて尾っぽを茶色のカバンに変えた。少し進歩したようだ。
都縞君は目をこすった。
「目が疲れているようだ」
「そりゃ、あれだけ細かく探してりゃ疲れるよ」
都縞君が僕に、
「この子が玄関に冬虫夏草を置いてくれたんだね」
というから頷くと、
女の子に、
「あの冬虫夏草を採ったところに連れてってくれるかな」
と頼んだ。
女の子はこっくりと頷いた。
「おい、この子がもっとあるところ知ってるって、教えてくれるそうだよ」
都縞君は目を輝かせて言った。
「どこの子なんだい」
「上のほうの子だ、茸が好きなんだって」
とだけ答えておいた。
「よろしくね」
都縞君が言うと、女の子もにっこりして、石段を登り始めた。
団地の一番上には多摩動物公園のフェンスがある。風向きによっては動物園から動物の鳴き声が聞こえてくる。フェンス脇の道を行くと、一方は南平高校の上を通り隣の日光団地に行き着く。反対側は高幡不動のほうに出る。
階段を登り詰めると、女の子は高幡不動とは逆のほうに歩いていく。南平高校のあるところを過ぎ、しばらく行くと動物園のフェンスを隠すように大きな杉の木が生えているところに出た。古い杉の木だ。幹の根元がねじくれて根がでこぼこと土の上に顔を出している。
女の子は幹の根元とフェンスの間に入ると手招きをした。僕たちがのぞいてみると、杉の幹の根元に大きな穴が開いている。我々も何とか入れそうな大きさだ。道のほうからでは全くわからない。
女の子はその穴の中に入った。都縞君もリュックを手に持ち、大きなからだを穴の中に入れた。僕も入った。穴をちょっと下ると、出口の光が見えるほど短いものである。女の子はすでに外に出ている。都縞君も出た。僕も出る。そこは動物園の中である。動物園の裏手にあたり、見物客も来ない静かな場所だ。
だいぶ前の話であるが、このあたりで、動物園のレッサーパンダが逃げ出して騒がれたことがあった。この穴から出たのではないだろうか。レッサーパンダならいつでも訪ねておいでと思っていたのだが、次の日みつかってしまった。残念である。
ともあれ、こうして、我々は動物園に無断侵入してしまったのだ。
女の子が指を差している。
穴から出たところは羊歯に覆われ、切り株や朽木が倒れていて、いかにも茸の好みそうなところであった。
「あったあった」冬虫夏草がいくつも生えている。
都縞君はヒステリー状態で、写真を撮り、冬虫夏草を掘った。
しばらくは、彼の脇で掘るさまを見ていたが、飽きてきた。
僕たちは切り株に腰掛けた。
女の子に聞いた。
「化けるのが上手になったね」
女の子はこっくりと頷いて、にこっと笑うと顔を兎にした。長い耳がぴくぴく動く。次は麒麟の顔になり、紫色の舌をべろりと出した。そしてライオンの顔になると「がおお」といって笑いながらもとの女の子の顔になった。
「上手だね」と言うと、女の子は真っ白な大きい冬虫夏草になった。
冬虫夏草を掘り出した都縞君が僕たちを見て、
「あ、大きな冬虫夏草」
と声を上げた。女の子はあわてて元に戻った。
「どうしたい」
と、僕は彼に声をかけた
「大きな冬虫夏草に見えてしまった」
「相当目が疲れてきたんだね」
「ああ、そうかもしれないな」彼は目をこすった。
「今日はそれくらいにしたらどうだ」
「そうだな,随分採れた、帰って整理もしなければならないしな」
「帰ろう」
僕は都縞君をうながした。
都縞君は立ち上がった。
女の子に僕は言った。
「元に戻っても大丈夫だよ」
それを聞いた女の子は、ボーっとなって、茶色の子狸になった。
「ありがとうね」
と言うと、子狸は尾っぽを揺すって動物園の中に消えて行った。
「動物園にすんでいるんだ」
きょとんとしている都縞君を引っ張って穴から出ると、家路を急いだ。
「あれ、ほんとに狸だったんだ、お前の知り合いか」
僕は頷いておいた。
「ふーん」
彼はそれ以上は聞かなかった。冬虫夏草が手に入れば後はどうでもいいのだ。
その日の冬虫夏草は新しいものが八つもあった。彼は明日からしばらく動物園通いになりそうだ。
都縞間造は我が家に一週間ほど逗留し、冬虫夏草の採集と整理に没頭した。時々、僕も一緒に行った。僕が行くと必ず狸の子は女の子に化けてあらわれた。だから、お昼の食事用に必ずコロッケを持っていった。駅の近くの肉屋さんの美味しいコロッケだ。狸の子の大好物だった。
あまった冬虫夏草は陰干しにして、子木子堪能に送ることにした。それでも余ったものはお浸しにして食べることにした。
台湾や中国で売られている冬虫夏草は蝙蝠蛾についた冬虫夏草だそうである。冬虫夏草の焼酎漬けはからだに良いという。最近、蚕につく冬虫夏草でお酒を作った町があった。
一月が経った。都縞君は論文書きに忙しいようだ。新たな図鑑も出版するという。その上、ある酒造元に頼まれて、冬虫夏草の霊薬酒の開発がすすみ、うまくいきそうだとのことであった。
おめでたい話である。
あれから、一度、おかっぱの女の子が門柱の脇に立っているのを見かけた。玄関から出ると、女の子はいなくなり、そこに赤い花の咲いている茗荷が置いてあった。
珍しいものである。玄関の脇に植えることにした。
「茗荷の舌」所収、自費出版33部 2016年 一粒書房
茗荷の舌 第6話ー冬虫夏草