平凡な女の一生
平凡な女性 千恵子の波乱万丈な人生。
千恵子の人生のステージの登場人物は…
自己中心的で我儘な母親
一癖も二癖もある姉や妹達
早死してしまう優しかった父親
職人気質で酒癖の悪い夫
内弁慶で、反抗ばかりしている娘
器用で明るく優等生タイプの息子
千恵子の人生は、そんな家族に
翻弄され続けるのであった…
千恵子!子供時代Part1
時は、昭和9年 千恵子は玩具職人虎之助とその妻秋の六女として生まれた。
父、虎之助は、刑務所の受刑者が作ったおもちゃを卸して販売する仕事をしていた。
母、千恵子はお嬢様育ちの苦労知らずで我儘な性格の女であった。
お金に困っていても、生活費を切り詰める事など
さらさらない。
例えば、子供に毎日同じ洋服を着せていても
自分だけ新しい着物を誂えたりする。
虎之助と秋は、一人の息子と七人の娘に恵まれた。
当時の日本は、軍国主義だったので
男の子を産む事を推奨されていた。
七人も八人も子供がいれば、当然 依怙贔屓があった。
特に、秋は社交的で派手な性格の娘を好む傾向が強かった。
なので、平凡で大人しく目立たない千恵子は、母から理不尽な扱いを受ける事が多かった。
七人姉妹の一番上の姉は、容姿端麗で優しい性格の娘であったが、子供の頃 原因不明の病気で突然死してしまう。
次女の康子は、明朗快活でよく喋る。
長女 次女は、千恵子と末娘の雪子達とは
親子程 歳が離れている。
三女の直子は、気が強く男勝りな性格をしている。
勉強は、大嫌いだった。
四女の和子は、姉妹の中で最も学業成績が優れていた。
五女の茂美は、体格がガッチリしていて
活発な娘だった。
虎之助と秋は、五女を授かった後
やっと長男 龍之介を授かる事ができた。
六女として生まれてきた千恵子は、姉妹の中で
最も身長が低く、容姿も平凡で性格も大人しく目立たない。
しかしながら、彼女は内に秘めた情熱を持つ女性であった。
シャロット ブロンテの小説の主人公のジェイン エアのような女性であった。
千恵子は、音楽的才能があり透き通った美しいソプラノの声で歌を奏でる事ができた。
その才能を見抜いた教師が、千恵子に
小学校のコーラスコンクールで、ソプラノのソロパートを歌わせた。
懇談会の日に、「音楽の才能があるので、オルガンを買ってあげたらどうでしょうか?」と提案してくれたが、子沢山の家庭ではオルガンを買う余裕などない。
千恵子の唯一の楽しみは、大学ノートに自分の好きな詩を書き写す事であった。
千恵子!子供時代Part2
千恵子は、大阪の堺市で生まれ育った。
今の堺東の中心地に当たる場所。
時は、昭和20年「空襲警報発令!」
相次ぐ空襲で、街は焼野原に…
千恵子の目の前で、泣き叫ぶ幼女!
逃げ遅れてしまった老人!
戦争による被害は、計り知れない。
千恵子と下の妹の雪子は、一時的に親戚が住む
和歌山へ疎開する事となる。
昭和20年8月15日
天皇が、ポツダム宣言を受け入れ
終戦の詔書を朗読された。
千恵子達は、疎開先から堺へ戻ってきた。
しかし、戦争によって極度の食糧難と陥っていた。
千恵子達は、農家に行って
「どうかお米を分けて貰えないでしょうか?」
と懇願するが…
法外な値段での取引を強いられた。
千恵子は、米軍から支給されたキャラメルを
食べた時に思った。
「アメリカ人は、こんなに美味しい物を
食べてたんだ。
こんな美味しいものが食べれるアメリカと
戦争しても勝てる訳ないやん。」と
戦争 終戦 食糧難 当時の子供達は
あらゆる面で我慢を強いられる。
更に…
終戦の翌年、千恵子が愛してやまない父親が
突然、病死してしまうのである。
千恵子!思春期
戦争が終結し、日本の国はアメリカの援助もあって
少しずつ平静を取り戻しつつあった。
中学校では、科目の中に英語も含まれていた。
次女の康子と三女の直子は千恵子と親子程の
年齢差があったので、既に結婚していた。
康子は、戦争未亡人となっていた。
康子の娘、敦子は母親そっくりの性格をしている。
小柄で痩せっぽちで、お喋り!
性悪ではないが、デリカシーに欠ける発言をする。
そんなタイプの娘であった。
直子の旦那の一平は、とても優しい性格で
千恵子は、一平に大層 可愛がって貰った。
四女の和子と千恵子は、勉強がよくできたので
高等女学校へ進学させて貰った。
かの有名な、与謝野晶子と同じ女学校である。
母 秋は、千恵子と相性は悪かったが
勉強ができる千恵子を高等女学校に
進学させる事に関しては、反対しなかった。
学費は、姉達が家に入れているお金から
捻出された。
高等女学校に進学させて貰ったものの
制服を買って貰えなかったので
生地を買ってきて、自分で縫った。
高等女学校二年生の時
千恵子達は、次女の康子と五女の茂美が住む
大阪の生野へ引っ越しした。
生野へ引っ越しした為
堺の女学校から、大阪の商業高校への
転校を余儀なくされた。
千恵子は、思春期の頃 沢山の小説を読んだ。
日本文学全集 詩集を中心に世界文学も
読み漁った。
思春期の頃は、ほとんどの女の子は恋愛に
憧れを感じるものだ。
それは、今も昔も変わらない。
たとえ、戦争中であっても
終戦後の貧しい時代であっても
恋愛が禁止されていても…
女の子は、空想の世界の中で
恋愛への思慕を膨らませているのである。
千恵子も、例外ではなかった。
姉妹の中で、一番 大人しく儚げな雰囲気を
醸し出してはいたが、真の強い女性へと
育っていった。
千恵子!公務員時代
千恵子は、高等女学校を卒業後
大阪の玉造にある旧貯金局 (貯金事務センター)へ就職した。
今と違って、昭和20年代 30年代の頃は
公務員試験の倍率はさほど高くはなかった。
ただ、算盤の級を取る必要はあった。
算盤の級と言っても、三級レベルなので
取得するのに、そんなに困難な訳ではない。
千恵子は、A型の性格そのもので
生真面目で卒なく仕事をこなす事ができる。
字も達筆で美しく、癖がないので読みやすい。
当時の郵政大臣は、田中角栄。
彼の有能な才覚のお陰で
郵政は、優遇されていて
職場の環境も、当時としては
万全で、働きやすかった。
千恵子は、お給料で文学全集を購入したり
宝塚歌劇団やOSK日本歌劇団の
踊りを見に行ったり、洋画を見に行ったりした。
当時、沢山のアメリカ映画が日本でも公開された。
古き良き時代のアメリカ映画は、とても
ロマンチックで、男優が凄く男前でかっこいい。
グレゴリーペック タイロン パワーや
クラーク ゲーブル…
映画館に行くたびに
「こんなにかっこいい俳優を見た後に、街の
日本人男性を見るとがっかりするね。」と
自分達の容姿は棚に上げて、そんな会話を
したものだ。
千恵子は、青春を謳歌していたが…
母 秋は、門限時間に関して かなり厳しかった。
夕方の19時が門限であった。
平凡で地味な容姿の千恵子であったが
お化粧をし、小綺麗な身なりをする事で
それなりに、可愛らしく見えたりする時もある。
ただ、仕事柄、目を酷使する為
視力が下がり 眼鏡を常用する事となる。
そのせいか、性格がキツそうな風貌に見えた。
ある日、友達と日帰りで遊びに行った時の事
関大のグループと知り合ってボート遊びをして
楽しんだ。
そのグループの一人に、淡い恋心が芽生えたが…
母が門限に厳しかった事も理由の一つで
恋愛に発展する事はなかった。
早くお金を貯めて、結婚すれば
厳しい母から逃れる事ができる!と思って
職場に内緒で、競馬場の馬券売り場の
アルバイトやエキストラのアルバイトをして
お金をを貯めた。
24歳の時に、知人から見合いの話を
持ちかけられた。
昭和30年代の前半の頃
24歳といえば、若干 オールドミス的な
扱いを受ける年齢であった。
そういった時代背景もあって
千恵子は、お見合いする事を決意した。
千恵子!結婚
千恵子は、厳格で依怙贔屓が醜い母親から
逃れたいと言う気持ちがあったという事と
24歳と言う年齢は、当時の日本では
結婚適齢期ギリギリの年齢と言われてた為
昌吉とのお見合い話を進めて貰った。
昌吉は、29歳で大工の仕事をしていた。
建築業の仕事は、年齢関係なく
稼ぐ事が、可能であった。
当時の日本人の体格としては、中背で
痩せていた。
顔は、好みではなかったが
社交的で頼もしい雰囲気の男性であった。
縁談を持ち掛けでくれた知人が
「昌吉さん、よく稼ぎはるし
悪くないと思うよ。
千恵子さんも、そろそろ決めな
オールドミスになってしまうよ。」と
プレッシャーを掛けてきた。
千恵子は、昌吉との結婚を決意する。
千恵子と昌吉は、昌吉の実家近くの文化住宅に
住まいを構えた。
大阪の環状線玉造界隈に、昌吉の実家はあった。
結婚前は、温厚で優しい昌吉であったが
結婚するや否や、昌吉は本性をさらけ出す。
ものすごく、お酒好きで
新婚当初から、友達を家に連れてきては
酒を浴びるように飲んでいた。
職人気質そのもので、とても頑固で
宵越しの金は持たない!持たせない!
昌吉は、稼ぎの中から生活費だけを
千恵子に渡して、残りのお金を自分で管理する。
残ったお金は、酒代 競馬 パチンコに使ったり
友達に奢ったりする。
そんな昌吉との結婚生活であったが
千恵子は、昌吉との間に二人の子どもを授かった。
結婚して、すぐに授かるが流産してしまう。
ところが、その3ヶ月後に再度妊娠した。
そして、めでたく生まれた子は女の子であった。
千恵子は、その女の子の名前に
奈津子か彩子を…と考えたが
昌吉が、自分の名前を一文字取る事に拘る。
吉子と名付けた。
吉子は、美人ではないが
なかなか愛嬌のある女の子だった。
昌吉と千恵子は、親バカで
「別嬪さんやろ!うちの娘。」と
皆んなに自慢していた。
昌吉と千恵子は、自分の家を持ちたい!と
思っていたので、吉子を昌吉の母 絹子に預け
共稼ぎをする事にした。
昌吉は、偏屈オヤジであったが
ものすごく子煩悩で、吉子を体操可愛がった。
何度も何度も、吉子の顔を見てはニヤリと
微笑んでいた。
吉子は、お乳をあまり飲んでくれない。
ある日、授乳中に焼け付くような胸の痛みを
感じた。
乳腺炎であった。
昌吉の父親に祈祷してもらい
母乳からミルクに変更した。
昌吉の父親は、大工とお坊さんのお仕事を
兼業していた。
なぜなら、11人兄弟であったからだ。
昌吉は、11人兄弟の真ん中 六番目に生まれてる。
七男 四女であった。
昌吉の両親は、二人とも千恵子に優しい。
その上、義兄 義姉 義弟 義妹
兄弟全員、干渉をして来ない。
ただ、義母絹子は優しいが
極度の綺麗好きな性格だったので
口には出さないが、指先で埃を触って
すくい取る仕草をするのである。
千恵子は、その仕草が 嫌だった。
11人兄弟と言っても
昌吉が、結婚した頃には兄弟は、実家を
出ていてて住んでいるのは義父 義母と
戦争未亡人となった次女の琴絵と
末娘の須美だけだった。
須美は、昌吉達が家に入れていたお金で
玉造にある私立の高校へ進学した。
須美は、しっかり者で社交的な娘であった。
須美は、吉子を体操可愛かってくれた。
千恵子は、仕事で帰ってきて
吉子を連れて帰ろうとすると
吉子が、千恵子よりも絹子や須美に懐いて
帰るのを嫌がったりするので
とても、哀しかった。
哀しけれど、悲しんでいる暇はない。
明日になれば、働きにいかないといけない。
「家を買えば、三人でのんびり暮らせる!」
「出来れば、郊外に家を買おう!」と
密かに思っていた。
そんなこんなで…
偏屈オヤジ昌吉との結婚生活は
山あり谷ありであったが
がむしゃらに、働き がむしゃらに
吉子を育てた。
テレビをつけると、石原裕次郎の歌が
流れてくる。
当時の三人娘美空ひばり 江利チエミ
雪村いずみの全盛期で、三人が輝いて見えた。
「私の人生、これで良かったのかな?
風と共に去りぬのレット バトラーのような
男性と出会えた訳でもなく…
こんな酒飲みで偏屈で生活費しか
お金も入れてくれない男と一生を添い遂げる?
あり得ないわ!」と思った。
当時は、余程の理由がない限り
結婚すれば、一生添い遂げると言うのが
必至であった。
離婚なんて、もってのほかであった。
昌吉の長所と言えば…
姑との揉め事では、必ず味方してくれる。
社交的で友達が多く、その友達達は
千恵子に優しい。
六畳一間の文化住宅の一室であったが
昌吉の友達が、入れ替わり立ち代り
訪問する。
そして、千恵子の作ったご飯を
「美味しい!美味しい!」と言って
食べで帰る。
それが、煩わしくもあるが
楽しくもあった。
お正月には、狭い部屋で花札大会を行う。
千恵子も参加させて貰う。
そんな感じの新婚生活であった。
千恵子!子育てPart1
恵子の娘 吉子は千恵子が働いている時間は
昌吉の実家に預けられて
祖母絹子と次女の琴絵と末娘の須美に
サポートして貰って育てられた。
絹子は、元々11人の子供の母親だったので
子供を甘やかして手取り足取りと
丁寧な子育てをする訳ではなかった。
戦争未亡人である琴絵は、工場の下請けの
仕事をしていた。
須美も高校を卒業して、兄の幸四郎が
立ち上げた会社で、事務の仕事を
任されていた。
その為、吉子は一人遊びさせられている事も
多かった。
吉子は、一人遊びが大好きだったので
あまり、手がかからなかった。
吉子は、手拭いを被って
お姫様ごっこをするのが大好きだった。
三才になるかならないか?の時期に
一人遊びばかりしていた吉子は
幼稚園入学以降、いろんな場面で
様々な苦労をする事となる。
ある日の事。
千恵子が、貯金局から帰って来て
吉子を迎えに行くと
吉子の髪の毛が刈り上げられていて
坊主にされていた。
吉子の頭にでんぼ(腫れ物)ができたので
義父が、剃っていまったらしい。
「いくらなんでも女の子に坊主は、酷いわ。」
そう思いつつも、何も言えなかった。
小さな子供を預けて、共稼ぎをすると言う事は
親にとっても、子供にとっても
何かしら犠牲にしなければいけなかった。
昌吉と千恵子は、吉子をいろんな場所へ
遊びに連れて行った。
吉子は、その年齢の子供同様に
遊園地が大好きであった。
特に、ボートに乗るのが大好きであった。
「昌吉と千恵子の夫婦仲を繋いでいたのは
まさしく吉子の存在だった!」と言っても
過言ではないかもしれない。
平凡な女の一生