限界を生きる
( 今朝はカラッと晴れて、窓から心地よい風が入って来る。
幸せな気分だ。何だか眠くなってきた。今がチャンス。
さあ、先生、注射お願いします。チェアで眠っているうちに・・・。
とても静かだ。これでいい。
妻の手を握らせてくれ。「ありがとう」と言いながら逝きたいから。)
私は慣れない文章を書き始めてから二年のあいだ、最後をいかに生きようかとずっと考えていた。私と同じように安楽死を望む人や、望みながら苦しんで逝く人も見て来た。でも、希望が叶えられた人は周囲に一人もいない。
安楽死問題に立ちはだかる「岩盤」に「風穴」があくのは何時の日か。
ALS闘病中の私は現時点で自分がどのような状況にあるのか把握している。助からない命を妻と懸命に生きてきたが、私の身体機能の低下はどうしようもない。人生の限界は近いので、悔いの無いように過ごそうと思う。家族と一緒にいる時間は楽しくて、生きているという感じが湧く。今週は長男家族のドライブで青々とした稲田の空気を吸い、桑の実がなった公園で孫娘の遊びを目で追った。そのうち、家族全員でワインを飲みたい。私はストローで一口飲めば体があったまり、文章を書くように勧めてくれた無口な次男も口がほぐれる。嫁さん達も加わって、みんなで楽しい話が出来るだろう。
私はまだ紙オムツ、胃ろう、呼吸器をつけていない。出来るならこの状態のまま家族に惜しまれて去りたい。最後は冒頭のように生きたいものだ。 2018/6/23
限界を生きる