Fate/Last sin -11

 夜半過ぎ、空気の冷たさは刻一刻と厳しさを増していた。
 空には厚い雲がかかり始め、油彩画のように重たいコントラストを強めている。市街地の喧騒からは一歩離れた坂の上にある教会は、未だ修復の途中の不自然なシルエットを暗い夜空に浮かび上がらせていた。
 コツ、コツと、石畳が立てる足音を隠しもせず、その青年は教会の扉へと続く広場の中央辺りに歩いていく。教会を取り囲む木々は黒々とした影のようにそびえ立ち、広場の隅の池には薄氷が張り始めていた。
「……まだこんなところに?」 
 青年の薄い唇がそう呟く。冬の夜風に揺れる長めの金髪の隙間から、整ったかたちの目が彼を捉える。
 彼――白いカソックの監督役は、教会の扉の前に立ったまま、うっすらと笑った。
「君が壊したんだろう」
「そうだった。悪い」
 青年は素直に謝った。監督役、アルパは腕を組み、燃え痕を残す柱にもたれかかる。
「風見にある聖堂教会の管轄の建物はここだけだ。むやみに移動して参加者を困惑させたら、中立性が失われる」
「それで半壊した教会に住み着いているのか」
「酷い言い草だ。地下室は運よく無事だったから、そこにいるだけさ」
 金髪の青年は、教会の焼け跡と同じように焦がされた真紅のマントをひるがえして、堂々とアルパの方へ歩み寄った。アルパは柱にもたれたまま、入り口の数段ほどの階段の上から青年を見下ろす。
「それで、何の用だい、セイバー。マスターの元に居なくていいのか?」
「楓は安全な場所にいる。それよりも、お前に確認することがある」
「……と、言うと」
 セイバーは硬い表情でアルパに詰め寄った。
「私を召喚した触媒を出せ」
 アルパは、つと顔を強張らせたが、すぐに脱力する。硬い表情のままのセイバーとは対照的に、「ああ、構わない」と言いおいて教会の中に姿を消し、数分足らずで戻ってきて、階段を降りてセイバーと同じ高さに立った。手には小箱を抱えている。
「これがどうかしたかい」
 白い手が差し出した小箱を受け取り、セイバーはそれを開封した。中から、ベルベットに包まれた石の破片が転がり出る。
 セイバーはその破片を目の高さまで持ち上げ、少しの間それを観察した。
 そしてアルパに尋ねる。
「これは何だ」
「――――それは、」
 監督役は口を開きかけ、無表情のまま言葉を止める。セイバーはなおも畳みかけた。
「私がこの触媒にまつわる英霊でないことくらい、私が宝具を使ったときに気づいたろう。何を迷う? お前だって疑問に思っているはずだ。この私が何者なのか」
「……」
 アルパは沈黙したまま、熱のない目でセイバーを見据えた。セイバーもまたアルパを睨む。
「……まあ、いいか」
 乾いた唇が揺れた。アルパはセイバーを見据えていた瞼をゆっくり閉じ、掠れた低い声で言い放つ。
「それはかつてブリテンで、最も優れた騎士達が囲んだという――――円卓の破片」
 

「それで、君は何者なんだ」


 アルパは重たい脅しのように尋ねた。
「ガウェインか。ランスロットか。ガレスか、パーシヴァル、ケイ、何でもいい、円卓の騎士として名を連ねた英霊だろう」
 ずらずらと名前を連ねるアルパの言葉を、しかしセイバーはきっぱり断ち切った。
「そんな奴ら、知らないな」
「……」
 アルパが絶句する。セイバーは構わず言葉をつづけた。
「円卓? 何のことだかさっぱりだな。私はブリテンを知らない。円卓の騎士とやらも知らない。私は―――いや、そんなことはどうでもいい、」
「どうでもいいものか!」
 叫ばれたと思ったら、細く白い指がセイバーの腕にいきなり掴みかかった。セイバーは驚いて、神父の顔を見る。アルパは苦虫を噛んだような、歪んだ顔をして、喉の奥から絞るように言う。
「誰だ。誰なんだ、君は。記憶を―――無くしたのか。ならまだ対処できる。思い出せ、君は円卓の―――」
「うるさい!」
 セイバーはアルパの腕を振りほどいた。人間とサーヴァントだ、容易くアルパは突き飛ばされる。
「何故だ。何故……触媒が無視された? そんなこと、あるわけがない。ほとんどゼロに等しいはずなのに―――」
 突然人が変わったようにうわ言を口にし始めた神父を、セイバーは片手に剣を握ることでけん制する。
「さっきから聞いていれば、貴様の方こそ何なんだ。その触媒を楓に渡したのは貴様だな? ……楓を使って、何を企んでいた。返答によっては貴様の首が飛ぶが、構わないだろうな」
「……」
 セイバーの剣を警戒したのか、アルパは大きく息を吸い、そして吐いた。それと同時に、熱に浮かされたような目が冷えていく。
「……本当に、円卓の騎士でない、と?」
「ああそうだ。真名を名乗っても構わないぞ。そうでなくても、父と師の名にかけて誓おう」
「そうか。なら……いい。悪いね。取り乱した。どうか剣を下ろしてくれないか」
 アルパの頼みに、セイバーは渋々ながらも剣を下ろす。アルパはもうさっきの異様な表情など欠片も残さずに、口の端だけで笑ってみせた。
「企み、か。そうだね、そう言われるとそうかもしれないけれど」
「……なんだ」
「触媒を渡した理由……大したことじゃない。あの子が願ったから、戦おうとしたから、せめて他のマスターと対等の立場でいられるように、監督役としてお節介を焼いただけさ。あれだけ強力な触媒なのに、それと全く関係のない英霊が来るなんて想像もしていなかったものだから、驚いたけれど」
 そう言って、彼は困ったように笑う。
 ―――まるで洞のような言葉だと、セイバーは思った。
 理路整然としすぎている。それより、さっき自分の正体を問いただした時の言葉と視線の方が、余程熱に満ち、切実だった。今のアルパの言葉に込められていた実感は、紙のように薄い。
「なぜそこまで『円卓の騎士』に執着する?」
 セイバーは円卓の破片をベルベットに包んで箱に納め、アルパに差し出した。神父はやせた指でそれを受け取る。セイバーは彼の顔を始終凝視していたが、彼が目を上げて視線を合わせることは無かった。
「……強力だから、だ。アーサー王を筆頭に、円卓の騎士はほぼ間違いなく最優のセイバーとなって現界する。魔術師として未熟な楓には向いていると思った」
「監督役らしからぬ言葉だな。中立性、とやらはどうした。そこまで楓に肩入れしていいのか?」
 セイバーの言葉に、アルパは初めて目を上げて、セイバーの明るい灰色の瞳を真っ直ぐ見た。口元には、軽口を言い合うかのような笑みすら浮かべている。
「それこそセイバーらしからぬ言葉だ。まるでマスターの勝利を望んでいないように聞こえる」
「……なんだと?」
 片頬がピクリと痙攣したのが分かった。―――落ち着け、とセイバーは自分に言い聞かせる。良くない癖だ。すぐに頭に血が昇る。
 アルパはそんなセイバーの様子を知ってか知らずか、すぐに表情を消して「冗談だよ」とつまらなそうに言った。
「私が楓に手を貸すのもあれきりだ。同じ土台に乗せたのなら、もう手出しはしない。他の六人と同じ、いや、むしろ―――」
 そこでアルパは唐突に言葉を切って、蛇のように目を細めた。

「それこそ、セイバーと手に手を取って頑張ってもらわないとね」







 床一面に大きく広げられた巨大なキャンパスに、ざくりと巨大な鋏が入って、大きく穴を切り取った。そんな気分だ。

「失敗した?」
 ―――そうだ。失敗している。けれどこれは、まだ終わりではない。
「穴は塞げばいい」
 ―――そうだ。塞げばいい。まだ余地はあまりあるほどに存在する。
 切り取り、縫い合わせ、自分勝手に絵の具を継ぎ足す。まだ大丈夫だ。まだ終わりではない。どうとでもなる。結局は、成功する。

 そう、私はいつも成功する。でなければ、私ではない。




 時計が、午前零時過ぎを指した。
 楓は、もう何度目になるかも分からない寝返りを打つ。自分の部屋に帰ってきたのは夜の十時ごろだ。アサシン達との争いにアーチャーが割って入り、一方的に敵視して撤退し、セイバーもセイバーで「今日は斬らない」と宣言したので戦いはそれで幕を閉じた。――それだけなら、まだ良かったのだ。
『――僕、嫌いなんだよね。君みたいな人間、吐き気がするよ』
 杏樹との別れ際、帰り道、何度も何度も頭の中で繰り返した言葉を、ほぼ自動的に反芻する。その度に、痛みは薄まるどころか、かえって鋭さを増していく。
『君みたいな偽善者、見てて本当気持ち悪い』
 何度も。
『ねえ、もう関わらないでくれる?』
 何度も、
『鬱陶しいんだ。僕が何を望むのかなんて、君には一生かかっても分からないだろうから』
 明確な敵意。悪意、或いは憎悪。新鮮な苦痛は、すり減ることがない。
 大学の講堂の前でぶつかった時、マフラーを貸してくれた時、夜偶然出会った時、あんなに完璧な微笑みを浮かべながら、心の底でああいう敵意を降り積もらせていたのだろうか。私はそれほどまでに、彼にとって不快な人間だったのだろうか。――――いや、そうなのだろう。でなければ、あんなことを言われるはずがない。
 目は冴えきっていた。セイバーとの契約は未熟な体にとって日に日に重さを増し、肉体は疲れ切っているはずなのに、眠れない。眠って忘れよう、とにかく寝なきゃ、と焦るほどに、眠気は遠のき、よく働く頭は尖ったナイフのような言葉を何度も繰り返す。
「……」
 楓は布団の中で小さく丸まって、カーテンを閉め切った窓を見つめた。部屋の中の闇に慣れた目は、カーテンから漏れる僅かな光だけで部屋全体を見渡せる。
「……」
 独りだ、と気づく。
 右手の令呪が鬱陶しい。闇の中で浮かび上がるような赤。不気味だった。
 こういう時、誰かの名前を呼べたら良かった。母親、父親、祖母、祖父。誰も当てはまらない。誰も呼びたいと思わない。だって本当に傍にいてほしいのは、傍にいてほしかったのは、
「……花ちゃん」
 楓は、既にこの場所からいなくなった懐かしい姉の名前を、消え入るような小さな声で呼んだ。



 ドアの向こうで、少女のすすり泣く声が聞こえた。
 セイバーはそのドアにもたれかかったまま、腕を組んで視線を床に落とす。本当はとっくのとうに教会での用事を済ませてこの場所に帰ってきていたが、小さい遠慮がちな泣き声が部屋から漏れているのを聞いて、思わず部屋に入るのを躊躇った。そのまま声をかけるタイミングを無くし、仕方なくこうして様子を伺って一時間ほどが経つ。
 ……俺では役に立たないだろうからなあ。
 セイバーは小さくため息を吐いた。物心ついた時から死ぬまで戦いに明け暮れていた自分は、女性の、しかも楓のような繊細な年齢の乙女の気持ちなど全く専門外だ。生前は妻を得たこともあったが、それも病で早くに亡くした。しかもその死のすぐ後に国を追われての大騒動があったのと、召喚された姿が若い時分のものだから、妻についての記憶も殆ど持ち合わせていない。そんな自分が、楓の心情を汲んで気の利いた言葉をかけてやれるなど到底思えなかった。
 それでも、自分が行くべきなのだろうか?
 彼女のサーヴァントだから。――理由はそれだけで十分だ。今日の様子を一通り見て思ったが、楓は恐らく他の同じ年の人間に比べて酷く打たれ弱い。遠慮がちで、常に受け身だ。そんな彼女が唯一自分に命令したこと、すなわちあのアサシンのマスターを救い出すことは、彼の心のない言葉に全て踏みにじられた。
 正直、楓の感情には少しも寄り添えない。自分は戦場で生き、楓はこの世界で生きてきた。自分は楓のように弱くないし、楓は自分のように強くない。自分と楓はあまりにも違いすぎる。
 それでも―――そうだとしても、何もわからないままでも、手を差し伸べるふりだけでもするべきなのだろうか?
 セイバーは迷ったまま、しかし楓の傍に近づくことはしなかった。
 夜は更け、泣き声は小さくなっていく。
 それがやがて疲れたように寝息に変わるころ、セイバーは静かに実体を消し、霊体化した。誰かが近づいてくる気配もない。
 
 

 ―――聖杯戦争開幕より二日が過ぎ、三日目がやってくる。





 

Fate/Last sin -11

Fate/Last sin -11

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-23

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work