猫たちのしあわせ
「お前はネコの気持ちがわかるのか?」
掃除をする信者の姿を、読書をしながらみつめて、姿勢よく、仁王立ちをしながら
退屈そうに、ティー牧師は、ならずものの少年に問いかけた。
懺悔室によりつかない、人を話さない彼は、孤高である、その代わりに、ほかの生物を愛する。
特に愛したのが、猫なのだ、いつもにゃーにゃ―、猫たちとおしゃべりをかわす。
なので、寂しそうであるが、人恋しそうではない。
彼こそが、この町で一番の退屈者だ。
その瞳の奥を見ると、黒よりも黒い暗闇が広がっている。
神父でさえ、その目を恐れた。
彼は二年前に両親を失い、それからはずっとこんな様子だ。
今日も牧師の教会をあらしまわる。
猫は屋根や椅子や、廊下をかじってまわり、
ときに信者にかみついた。
それをみて、ならずものの少年は、腹を抱えて笑うのだ。
毎日のように、こんなような、陳腐ないたずが繰り返されていたが
そういうとき、
牧師は、ただ堪えていただけだった。
猫好きの彼は、猫を自由自在にあやつった。
とくに曲者なのは、3匹の野良ネコだ。
一匹目 顔のほそいやつ。
二匹目 色の黒い奴
三匹目 黄色の黒ブチ猫
彼らは少年が指示をやめたので、彼のそばをはなれ、
その指と目をみつめたまま、散り散りになり、動かなくなった、
「……」
口ごもる少年。
猫の気持ちはわからなかった。
だが、彼等について一切考えたことがないわけでもない。
同世代のほかの人間よりは、知識もあれば、知恵もある、ならばそれを使えば、いつか猫の言葉がわかるようになるだろう、
そんな風に、牧師の問にふと考えた。
だから答えた、
「—ニャアア―」
いつも通り、ふざけた返事だ。
その前後を振り返ると、彼等のやりとりの意義深さは感じられるだろうか。
それはちょうど、ター牧師がしばらく協会を開けて、所用でとなりまちにでかけて、帰ってきた日の話。
先週土曜の事だった。
学校のチャイムがなると、彼は一目散に、教室を出てたった一人で廊下へかけだして、校門からすぐに
猫たちの家にいく。
猫たちの家は、大人たちが嫌い、子どもたちに好かれる、
ノラ猫の集う、廃屋である。
彼は猫を扱えるし、猫を統べる事ができるので、おまけに、大人たちには好かれるくらい、ませている。
本来人気ものの性質をもっていてもいいはずである。
しかし彼の唯一の欠点はいたずら好きであることだ。
そして彼の不満はもっぱら、教会にむかっていた。
彼は、信仰は人を救わないとおもった。
いつまでも、自分自身の不幸を狙っている。
過去の苦しみが、彼をそうさせる。
彼の大事な人達は、この世にいない。
その痛みから逃げ出す方法を、彼はまだ知らなかった。
いたずらが許されていたのは、子どもだからだろう、彼はそれもわかっていたのだ。
学校が終わると夕方、その足で猫の家、宿題や明日の準備を終えると、猫をつれて、
ター牧師のいる協会へいく。
いつも通りいたずらを終えると、その様子をみていた牧師は、
「ふう」
とため息をついて、かれに何を語り掛けるか、語らせるかを少し悩んでいた。
聖書のどこに、彼に見合う記述があるだろうか?
ター牧師は、もともとマフィアの下っ端だった。
なぜ、神を信じたか。
10年も続けていたが、いつしか、ふいに嫌気がさしたのだという。
だからこそ彼は許容できる存在がひろく、そして、本人いわく、自分がでたらめな人生をあゆんできたからこそ、
人の苦悩の理解が深いのだという。
それに異論を唱えるものはいなかった、それが彼の、牧師としての新しい経歴である。
牧師になってから、人の懺悔を聞く事を、苦であるとも、困難であるとも思ったことはない、
彼が一番手を焼いたのが、この猫を操る少年Tだった。
何度も彼の気持ちを問うたことがある、
しかし彼はふざけて。
「ニャー」
としかいわない。
そこで、牧師は先週尋ねた。
「お前は猫の気持ちがわかるのか?」
と。
そして彼は答えたのだ。
「ニャー」
そんな彼に転機が訪れたのは
昨日の朝型の事だ。
彼が町で唯一好いている少女がいた。
少年は、彼女には一度もいたずらをしたことがないとおもっていた。
学校のだれも、そのことを否定せずにいた。
しかし、朝方、彼の教室に、少女がやってきた。
少女は髪を左右で結って、きれいなブロンド髪をまとめた、
彫刻のように美しい顔立ちをもつ少女。
彼女が動くと、その取り巻きや親友も一緒になって、そのあとをついてくる、
そんな日常は、一日たりとも、その日であっても、
例外ではなかった。
ずかずかと彼の教室にはいってくる。
まだ教師はきていない、
席をたったままのもの、驚いてすわるもの、談笑しながら輪をつくるものたち、様々だ。
みっつも離れた教室から、人気ものの少女がやってきた。
彼の教室の生徒たちは、一瞬はりつめたような空気にとりつかれた。
「なぜ彼女がここに?」
彼らの表情は一様にそういいたげである。
彼女はそれを気にすることもなく、彼と目をあわせて、一目散に彼の机の前にたちどまり、
ふたつの手のひらを、バン!とその机にぶつけるようにして、そして、恐ろしいほど、彼をねめつけて、
しばし、見つめあっていた。
そして憶することなく、彼に面と向かっていったのだ。
「あなたの猫、汚いし、くさいし、迷惑よ、先月、私の母親が腕をかまれたの、なんとかしてちょうだい」
とはいえ、あれは野良である、すべてが少年の責任であるわけでもない。
しかし、行動は早かった、少年は野良たちの相談を、ター牧師の教会の懺悔室へと持ち込んだ
少年はいった。
「私には自覚がなかっただけだ、人が苦しむことと、喜ぶことの違いが理解できなかった、
だが言葉で、やっと理解した、
ああ、これが人の苦しみだったのだ、僕は苦しみをやっと理解したのだ
あそこにはいろいろな猫がいる、
足のおれたやつ、めの片方しかないやつ、みみのきれたやつ、先生、なんとかしてください」
人を苦しめられるものと苦しめ続けるものの依存
それはいつか見切りをつけなくてはいけない。
常識を手に入れるために、妄想に区切りをつけなくてはならない。
少年は、猫たちの管理をずさんにおこなっていた。
そのことを、はじめて後悔した。
それから、今日の昼食がとり終わったころ、校門をでて、
校庭で待ち構えていた猫たちにいった。
「きっとお前たちの気持ちはわからない、だけど、信じるものを選ばなくてはいけない、そんなことはわかっていたんだ」
少年たちは、長いこと、猫たちを自分と重ねていた。
猫たちの不潔さは、高潔さは、寂しさは、自分とそっくりだとおもっていたから。
少年は首輪を買おうと思った、これ以上数を増やさないようにしようとおもった、
そして彼等の傷を治療してやろうとおもった。
その姿に、幸せだったころの記憶がよみがえるといいと思った。
ただの、平和な午後だった。
猫たちのしあわせ